機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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50.見えない発信源

レギナント隔離格納庫に、いつもの整備音はなかった。

 

工具の音はある。端末の起動音もある。整備班が動く足音も、ケーブルを引きずる音も、モニターに走る解析表示の電子音もある。

だが、いつもの空気ではなかった。

 

誰かが冗談を言うこともない。

ヨウランがヴィーノに軽口を叩くこともない。

整備班員たちはそれぞれの担当箇所へ張りつき、レギナントの白い装甲を囲むように計測ケーブルを伸ばしていた。

 

半跪姿勢のレギナントは、格納庫の奥で静かに佇んでいる。

白い女王。

ミネルバを守った機体。

その白さが、今はどこか冷たく見えた。

 

「外部通信アンテナ、異常なし」

 

整備員のひとりが報告する。

 

別の端末には、通常識別系のログが表示されていた。ザフトの仮登録コード以外に、外部へ送られた記録はない。

ドラグーン管制系は待機状態。

神経接続補助ユニット3号の単体ログにも、該当波形は見つからない。

 

ヨウランは端末を片手に、眉間に皺を寄せていた。

ヴィーノはレギナントの左腰部付近に接続した計測器を確認しながら、何度もログを見返している。

 

「……出てないな」

「出てない」

 

ヴィーノが短く返す。

 

通常通信。

ドラグーン管制。

3号ユニット。

どの画面を開いても、ジブラルタルで拾われた短い低周波パルスは現れない。

 

「少なくとも、今の待機状態じゃ何も鳴ってない」

「基地ログでも、出てたのは起動時だけだ」

 

ヨウランはジブラルタル基地から送られた波形を呼び出した。

 

短い低周波パルス。

戦闘中に続いていたわけではない。

空間支配(クイーンズ・ウェブ)展開時に再発したわけでもない。

レギナントが起動した、その時だけ。

起動時診断か、同期処理に紛れるように、短く漏れている。

 

それが、かえって気味が悪かった。

 

常時発信なら、発信源を追えばいい。

通信系なら、回路を辿ればいい。

だが、起動時にだけ鳴る信号は、普段の整備では見えない。

 

問題が消えているのではない。

眠っているだけだった。

 

「起こさないと見えない、か」

 

ヴィーノが呟いた。

 

「そういうことだな」

 

ヨウランはレギナントを見上げた。

白い装甲の奥に、まだ自分たちの知らない機能が眠っている。

それは、セラすら知らないものかもしれない。

 

「……腹立つな」

「何が」

「こいつを整備してるつもりで、まだ全然見えてなかったってことが」

「仕方ないだろ。ザフト機じゃない。図面も完全じゃない。ブラックボックスだらけだ」

 

ヴィーノはそう言ったが、声は軽くなかった。

 

「でも、セラが疑われる理由になってる」

「だから、ここで潰すんだろ」

 

ヨウランは端末を閉じず、別の解析画面を開いた。

 

「発信機じゃないなら、起動シーケンスだ。電源投入、診断、機体識別、同期処理。どこで波形が出るか、順番に潰す」

 

格納庫の入口側で、メイリンが通信ログ端末を確認していた。

その隣にはルナマリアが立っている。

シンとレイも少し離れた位置で待機していた。

 

「ミネルバ側の起動ログ、出ました」

 

メイリンが言う。

 

「ジブラルタル戦の時刻と照合します」

「お願い」

 

ヨウランが応じる。

 

メイリンの指が、端末上を素早く滑った。

ジブラルタル基地の受信ログ。

ミネルバの格納庫記録。

レギナント起動ログ。

出撃許可時刻。

戦闘管制記録。

 

彼女はそれらを何度も重ねて表示した。

 

時刻が揃う。

レギナントの主電源投入。

起動診断の深い階層への移行。

その数秒以内に、基地側が低周波パルスを拾っている。

 

「……一致してる」

 

メイリンの声は小さかったが、格納庫内の空気を揺らした。

 

「戦闘中は」

 

ヨウランが聞く。

 

「ない。空間支配(クイーンズ・ウェブ)展開中にも同じ波形はない。ドラグーン制御ログにも一致なし」

 

メイリンは唇を噛んだ。

 

「本当に、起動時だけ」

 

レイが画面を見ながら、静かに言った。

 

「常時ビーコンではない。戦闘中の操作とも切り離せる」

「だよな」

 

シンがすぐに反応する。

 

「出撃してからじゃない。空間支配(クイーンズ・ウェブ)でもない。セラが戦闘中に何かしたんじゃない」

「少なくとも、戦闘中の操作とは無関係だ」

 

レイは淡々と補足する。

 

「次は、起動時にセラの操作が介在しているかどうかを切り分ける必要がある」

「そこまで確認すればいいんだな」

「ああ。操作ログと波形を重ねれば判断できる」

 

シンはレギナントを睨むように見上げた。

 

「なら、やろうぜ。さっさと確認しよう」

 

その声には苛立ちがある。

だが、先の見えない怒りではなかった。

やるべきことが見えた人間の声だった。

 

格納庫の奥、レギナントのコクピットブロックへ通じる昇降足場が下りてくる。

医療班の確認を受けたセラが、メイリンに付き添われて歩いてきた。

 

通常のパイロットスーツではない。

検査とテストに合わせた軽装備。

背中には3号ユニット用の接続準備があるが、直接神経接続用の処置はない。

 

タリアの命令通りだった。

 

「セラ、無理しないでね」

 

メイリンが言う。

 

セラは短く頷いた。

 

「通常起動テストです。負荷は限定範囲内」

「そういう意味だけじゃなくて」

「メイリンの心配を確認」

「うん。確認して」

 

セラは少しだけ間を置いた。

 

「確認しました」

 

そのやり取りを見て、ルナマリアが小さく息を吐いた。

まだぎこちない。

けれど、以前より少しだけ会話になっている。

 

ヨウランが昇降足場の下から声をかけた。

 

「セラ、今回は直接繋がない。3号も最小限。まずは通常コクピット起動だけだ」

「了解しました」

「起動手順はいつも通り。ただし、通信操作は一切しない。識別信号の手動更新もなし。ドラグーン管制も起こさない」

「了解」

「こっちで全部見てる。変な反応があったらすぐ止める」

「停止命令、受領」

 

シンが腕を組んだまま言う。

 

「本当にすぐ止めろよ」

「すぐ止めます」

 

ヨウランが返す。

 

「セラじゃなくて、お前らもだ」

「分かってるって」

 

ヴィーノが苦笑しかけて、すぐに表情を戻した。

 

セラはコクピットへ入った。

ハッチが閉じる。

格納庫内の照明が、わずかに落とされる。

計測機器が一斉に待機状態へ移行した。

 

ヨウランが端末を確認する。

 

「テスト1。通常待機状態。主電源オフ」

 

白い巨体はまだ眠っている。

膝をついた姿勢のまま、レギナントは何も発しない。

通信系は静穏。

低周波帯も平坦。

ドラグーン管制も起きていない。

 

ヴィーノが画面を切り替える。

通常通信、識別装置、ドラグーン管制、3号ユニットの残留ログ。

どれも、ジブラルタルで拾われた波形とは無関係だった。

 

「記録開始」

 

ヨウランが言う。

 

「セラ、主電源投入」

『了解。主電源、投入』

 

レギナントの内部に、低い駆動音が灯った。

白い装甲の奥で、眠っていた電力が順に流れ始める。

半跪の巨体が、眠りの底から浅く浮かび上がるように震えた。

 

「起動診断、第一階層」

 

画面の線はまだ平坦だった。

 

「反応なし」

「第二階層」

 

メイリンは端末を握りしめていた。

画面の中の線は、まだ静かだった。

けれど、彼女は息をするのも忘れていた。

 

「まだなし」

 

ヨウランが次の階層を開く。

 

「第三階層……」

 

その瞬間、低周波帯のグラフが跳ねた。

 

短い山。

細く、規則的で、見間違えるにはあまりに整っている。

 

「出た」

 

メイリンの声が震えた。

 

ヴィーノがすぐに通信ログへ飛ぶ。

ヨウランは識別系を開き、別の整備員がドラグーン管制の状態を読み上げる。

画面が次々と切り替わった。

 

通常通信アンテナに送信履歴はない。

識別装置も手動更新されていない。

ドラグーン管制は待機のまま。

3号ユニットは未接続。

セラの操作ログにも、外部送信はない。

 

「……通信系じゃない」

 

ヴィーノが言った。

 

「セラの操作でもない」

 

メイリンが続ける。

 

ヨウランは、表示された波形をしばらく睨んでいた。

ジブラルタル基地の記録と重ねる。

山の位置も、長さも、ほとんど同じだった。

 

「もう一度やる。セラ、一度停止。30秒後、同じ手順で再起動」

『了解』

 

レギナントの駆動音が落ちる。

白い機体は再び沈黙した。

 

30秒。

誰も喋らない。

秒数だけが、端末上で減っていく。

 

シンは腕を組んだまま、足先で床を小さく叩いていた。

メイリンは端末から目を離さない。

ルナマリアはその横顔を見て、声をかけようとしてやめた。

レイは沈黙したまま、ログの推移を追っている。

 

「再起動」

『主電源、投入』

 

同じ手順。

同じ階層。

そして、同じタイミングで短いパルス。

 

今度は、誰もすぐには声を出さなかった。

 

答えは、画面の上に出ていた。

 

「見えたな」

 

ヨウランが、ようやく息を吐く。

 

「これは、セラが送ってるんじゃない。レギナントの起動診断の奥で、勝手に鳴ってる」

「通常通信系でもない」

「ドラグーンでもない」

「3号でもない」

 

メイリンが一つずつ確認するように言った。

 

「セラの操作でもない」

「ああ」

 

ヨウランは端末を見ながら言う。

 

「ただ、発信源そのものはまだ掴めない。起動診断シーケンスの奥だ。識別同期か、機体固有認証か……どっちにしても、ザフト機の規格じゃない」

「でも、セラが送ったものじゃない」

 

メイリンの声は、今度は少し強かった。

 

「そこは、言えるよね」

「言える」

 

ヨウランは即答した。

 

「これはセラの送信じゃない。機体側の自動処理だ」

「十分だ」

 

レイが言った。

 

シンが振り向く。

 

「レイ」

「操作ログ、通信系統、発生タイミング。どれを見ても、搭乗者の意思による発信とは考えにくい」

「だろ!」

 

シンが強く言った。

まるで、自分が証明したわけでもないのに、胸を張るような声だった。

 

「だから言ったんだ。セラがそんなことするわけないって」

「気持ちだけでは証拠にならない」

 

レイはいつも通りに返す。

 

「だが、今は証拠がある」

「……そういう言い方なら、まあいい」

 

シンは不機嫌そうに言ったが、声には確かな安堵が混じっていた。

 

コクピットのハッチが開いた。

セラが昇降足場から下りてくる。

 

「結果を確認します」

 

セラは、いつも通り淡々としていた。

 

ヨウランは少しだけ言葉に詰まり、それから端末を向けた。

 

「起動時にパルスが出た」

「はい」

「通信操作はしてないな」

「していません」

「3号も繋いでない」

「未接続です」

「でも出た」

 

セラはモニターの波形を見る。

 

「レギナント側の自動処理」

「ああ。たぶん起動診断か識別同期だ」

「該当機能は把握していません」

「だろうな」

 

ヨウランはため息をついた。

 

「少なくとも、セラが送ったものじゃない。そこは言える」

「私が送ったものではない」

「そうだ」

「確認しました」

 

セラは短く頷いた。

その反応はあまりにも静かだった。

 

シンが思わず言う。

 

「もうちょっと安心しろよ」

「安心」

「セラが疑われる理由が減ったんだぞ」

「疑われる理由、減少」

「そうだよ」

 

セラはシンを見る。

 

「少し安心します」

「少しじゃなくていいだろ」

「大きく安心します」

「いや、そういう報告じゃなくてさ……」

 

メイリンが小さく笑った。

その笑みは、泣きそうな表情と隣り合わせだった。

 

「でも、今のはちょっと嬉しい」

「嬉しい」

「うん。ちゃんと安心しようとしてくれてるから」

 

ルナマリアも肩の力を抜いた。

 

「とりあえず、はっきりしたわね」

「ええ」

 

レイが頷く。

 

「セラが意図的に発信したという可能性は、記録上否定できる」

「これなら報告できる」

 

メイリンが言った。

 

その声には、慎重さと、それでも隠せない安堵があった。

 

「セラはスパイじゃないって」

「そうだ」

 

シンが即座に言う。

 

「そう報告すればいい」

 

調査結果は、すぐに艦長室へ上げられた。

 

タリアはアーサーと並んで、技術班からの報告を読む。

ヨウランとヴィーノの解析。

メイリンのログ照合。

レギナント限定起動テストの記録。

セラの操作ログ。

 

全てを重ねれば、見えてくる結論は明白だった。

 

パルスは、レギナント起動時のみ発生する。

通常通信系からの送信ではない。

ドラグーン制御系でもない。

3号ユニットでもない。

セラの手動操作とも無関係。

起動診断、または機体識別同期系に隠された自動処理である可能性が高い。

 

セラが意図的に送ったものではない。

 

それは、ミネルバの中で共有できる事実だった。

 

「これなら……」

 

アーサーが慎重に言った。

 

「セラがスパイではないことは、十分に説明できます」

「ええ」

 

タリアは報告書の文面を確認する。

 

「少なくとも、搭乗者の意思による送信ではない。そこははっきり書けるわ」

「はい。起動時自動処理。通常通信系とは無関係。セラ本人の操作ログにも送信はない」

「発信源の完全特定と除去には、本国設備での解析が必要」

「そこも正直に書きます」

「もちろんよ」

 

隠さない。

都合の悪い部分も書く。

その上で、セラの意思によるものではないことを明確にする。

 

タリアは、送信用の報告文面を開いた。

 

> ジブラルタル基地で検知された未確認パルスについて、ミネルバ艦内調査を実施。

> 当該パルスはレギナント起動時にのみ発生。

> 戦闘中、ドラグーン運用中、空間支配(クイーンズ・ウェブ)展開中の再発信は確認されず。

> 通常通信系、ドラグーン制御系、神経接続補助ユニット3号からの発信ではない。

> 搭乗者による手動通信操作、識別信号発信操作も確認されず。

> 起動診断系、または機体識別同期系に含まれる未解析自動処理によるパルスと推定。

> 搭乗者セラは当該機能の存在を把握していない。

> 現時点で、搭乗者の意思による情報送信を示す証拠はない。

 

アーサーは読み終えて、息を吐いた。

 

「……これなら、伝わります」

「ええ」

 

タリアは送信承認を入力した。

 

「送ります」

 

報告データが暗号化され、本国へ送られる。

画面上に、送信完了の表示が出た。

 

その瞬間、艦長室の空気が少しだけ緩んだ。

問題は解決していない。

レギナントの中に何かが残っていることは、むしろ確定した。

だが、セラが意図的に信号を送ったのではない。

その事実は、ミネルバが掴んだ。

 

それだけでも、大きな前進だった。

 

しばらくして、メイリンたちにも調査結果が共有された。

 

食堂の片隅。

メイリンは端末に表示された報告概要を見つめたまま、何度も同じ行を読んでいた。

 

> 搭乗者の意思による情報送信を示す証拠はない。

 

その一文が、何度見ても目に入る。

 

「よかった……」

 

小さく漏れた声に、ルナマリアが隣で頷いた。

 

「うん」

「まだ全部分かったわけじゃないけど」

「でも、セラがやったんじゃないってことは分かった」

「うん」

 

メイリンは端末を胸元に抱えるように持った。

 

「それだけでも、よかった」

 

少し離れた席では、シンが腕を組んで座っている。

不機嫌そうに見えるが、さっきまでの刺々しさはない。

 

「だから最初から言ってるんだよ」

「何を」

「セラがそんなことするわけないって」

「それを証明するために、みんなで調べたんでしょ」

 

ルナマリアが呆れ気味に返す。

 

「分かってるよ」

「分かってるなら、その顔やめなさい」

「どんな顔だよ」

「勝ったみたいな顔」

「勝っただろ。少なくとも、ひとつは」

 

シンの言葉に、メイリンは少しだけ笑った。

 

「うん。ひとつは、勝ったかも」

 

レイは黙って端末を見ていた。

報告文面に過不足はない。

搭乗者操作との切り分けもできている。

起動時のみ発生するという条件も明確になった。

 

レギナントの危険性は残る。

だが、セラ個人への疑いは退けられる。

 

「十分な内容だ」

 

レイはそう言った。

 

シンが目を向ける。

 

「だろ」

「ああ」

 

それは短い返答だった。

だが、レイがそう言ったことには意味があった。

 

セラは、メイリンの隣で端末を見ていた。

自分についての報告。

自分が把握していない機能。

自分の意思による送信ではないという結論。

 

「私の意思による送信ではない」

「そうだよ」

 

メイリンが言う。

 

「セラがやったんじゃない」

「ミネルバの調査結果」

「うん」

「メイリンは安心しましたか」

「したよ」

 

メイリンは少しだけ笑った。

 

「少しじゃなくて、ちゃんと安心した」

「ちゃんと安心」

「そう」

 

セラはその言葉を処理するように瞬きをした。

 

「確認しました」

 

*****

 

その数時間後。

ミネルバへ緊急度の高い暗号通信を受信した。

 

「本国から返信です」

 

アーサーが端末を開く。

タリアは立ったまま、画面に視線を向けた。

 

アーサーは最初の数行を読み、わずかに表情を曇らせた。

 

「……読み上げます」

 

その声に、タリアは目を細めた。

 

「ミネルバからの追加調査報告を受領。レギナント起動時に未確認パルスが発生していた事実、および通常通信系・搭乗者操作系からの発信ではないとの解析結果を確認」

 

そこまでは、予想通りだった。

 

アーサーの声が、次の文で重くなる。

 

「ただし、当該機体が元敵性勢力由来の未解析機であり、搭乗者セラが同機体の唯一の実戦運用適合者であること、また当該パルスが位置情報把握に利用された可能性を否定できないことから……」

 

アーサーは一瞬、言葉を詰まらせた。

 

「続けて」

 

タリアが言う。

 

「……レギナントおよび搭乗者セラは、プラント到着後、ただちに特別管理下に置くものとする。搭乗者セラについては、一時拘束の上、事情聴取、事実確認、および機体との関係性調査を実施。ミネルバ艦長タリア・グラディスは、関連記録を持参の上、到着後、指定部署へ出頭せよ」

 

艦長室の空気が止まった。

 

アーサーは端末を見つめたまま、言葉を失っている。

 

「そんな……」

 

ようやく漏れた声は、軍人のものというより、アーサー個人のものだった。

 

「解析結果は送ったはずです。セラが意図して送ったものではないと」

「本国は、それを確認したと言っているわ」

 

タリアは静かに言った。

 

「確認した上で、この判断を返してきた」

「ですが、それでは……」

「ええ」

 

タリアは通信文を最後まで読む。

 

本国の判断は、冷たい。

だが、軍の論理としては理解できる。

元敵性機体。

未解析パルス。

唯一の搭乗者。

位置情報漏洩の可能性。

それらを並べれば、機体と搭乗者をまとめて管理下に置くという判断は、組織として不自然ではない。

 

不自然ではない。

だからこそ、腹立たしかった。

 

セラはスパイではない。

少なくとも、ミネルバの調査ではそう確認できた。

本国へも、その材料を送った。

それでも、本国は疑う。

疑うというより、管理する。

危険要素として隔離する。

 

タリアは端末を閉じなかった。

閉じずに、もう一度だけ文面を見る。

 

一時拘束。

事情聴取。

事実確認。

機体との関係性調査。

 

どれも、軍の命令文としては珍しくもない言葉だった。

けれど、その言葉がセラに向けられた瞬間、意味は変わる。

 

それはつまり、尋問だった。

下手をすれば、拷問に近い手段で情報を引き出そうとすることだった。

 

あの子は、問い詰められれば答えるだろう。

知らないことは知らないと言い、分からないことは分からないと言う。

痛みを与えられても、必要と判断されれば耐えようとするかもしれない。

命令だと言われれば、自分の身を守ることさえ後回しにするかもしれない。

 

それを、あの子の性質を知らない者たちに任せる。

 

タリアの指が、端末の縁を強く押さえた。

爪がわずかに白くなる。

 

「……冗談ではないわ」

 

低い声だった。

 

アーサーが顔を上げる。

 

「艦長」

「あの子は、調査対象ではない」

 

タリアの声は大きくなかった。

だが、艦長室の空気を切るには十分だった。

 

「あの子は、ミネルバのパイロットよ。ミネルバを守るために出撃し、命令を守り、こちらの調査にも協力した。知らないことまで知っているように扱われる理由はない」

「……はい」

「まして、本人の知らない機体機能を理由に、一時拘束など」

 

タリアはそこで一度だけ言葉を切った。

 

怒鳴れば楽だった。

机を叩けば、胸の奥に溜まったものを少しは逃がせたかもしれない。

 

だが、彼女は艦長だった。

怒りを命令に変えなければならない立場だった。

 

「本国の判断は理解したわ」

 

軍人として、そこは否定しない。

命令系統を乱すつもりはない。

危険性の評価も、必要な調査も、組織としての手続きも理解している。

 

それでも。

 

「でも、承服はできない」

 

その一言には、軍人としての判断だけでは収まらない感情があった。

 

コクピットで眠る少女。

食堂で料理の味を確かめていた少女。

自分が心配される理由を理解できず、それでも理解しようとしていた少女。

ミネルバを守るために、自分の身体を傷つけることを選んだ少女。

 

その子を、ただの搭乗者として差し出すことはできない。

 

「到着後、私が直接説明します」

 

タリアは顔を上げた。

 

「関連記録をすべて整理して。ヨウラン、ヴィーノ、メイリンの解析資料。レギナント起動テストの映像。セラの操作ログ。医療班の負荷管理記録も必要になるわ」

「了解しました」

「それから、セラにはこの文面をそのまま見せないで」

「隠すのですか?」

「違うわ。守るために、伝える順番を選ぶの」

 

アーサーは息を呑んだ。

 

タリアの表情は崩れていない。

だが、そこにある怒りだけは隠しようがなかった。

 

「シンに先に知られたら、面倒なことになる」

「……否定できません」

「メイリンも動揺するでしょう。ルナマリアもね。だから、こちらで説明の場を作る」

 

タリアは端末を閉じた。

 

「ミネルバの中では、答えは出た。セラはスパイではない」

「はい」

「それを本国に認めさせるのは、これからよ」

 

艦長室の外では、変わらずミネルバが航行を続けていた。

プラント本国へ向けて。

安全圏へ向けて。

そして、セラを巡る新たな審問の場へ向けて。

 

帰還までのタイムリミットは、まだ終わっていなかった。

むしろ、その針はさらに大きな音を立て始めていた。

 

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