機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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52.最高の失敗作

議長室の扉が開いた。

 

先に入ってきたのは本国担当官だった。

その後ろに、セラがいる。

 

小さな身体。

白い肌。

整った顔立ち。

そして、どこかラクス・クラインを思わせる輪郭。

だが、似ているだけではなかった。

 

デュランダルは、その姿を直接見た瞬間、わずかに言葉を失った。

資料では読んでいた。

タリアからも報告を受けていた。

ラクス・クラインを基準個体として作製された模倣個体。

遺伝情報はラクス・クライン由来。

 

それでも、実際に目の前に立たれると、文字とはまるで違った。

ラクスと同じものを元に作られたはずの少女。

しかし、その目にはラクスのような柔らかい感情の揺れがない。

微笑むことも、怯えることも、誇ることもせず、ただ室内を確認するように視線を動かしている。

 

人を惹きつけるために作られたはずの少女が、人とどう向き合えばいいのか分からないまま、そこに立っていた。

 

「議長」

 

担当官が敬礼する。

 

「搭乗者セラを連れてまいりました」

「ご苦労。ここからは私が話を聞く」

 

デュランダルは平静を装って言った。

声はいつも通り穏やかだった。

だが、タリアには分かる。

議長の目は、まだセラの姿を受け止めきれていない。

 

担当官は一礼し、扉の外へ下がった。

議長室には、デュランダル、タリア、そしてセラだけが残る。

 

「そこに座ってくれ」

 

デュランダルが椅子を示す。

 

セラは一度だけタリアを見る。

タリアが小さく頷くと、セラは指定された椅子に腰を下ろした。

 

「君が、セラだね」

「はい。ミネルバでは、セラと呼称されています」

「以前の識別名は」

「L-31」

「L-31……」

 

デュランダルはその符号を口の中で繰り返した。

 

名前ではない。

個人を示す呼び名ですらない。

ただの管理番号だった。

 

「今日は事情聴取ではない。君に罰を与えるためでもない」

「確認しました」

「私は、君が知っていることを聞きたい。君自身の言葉で」

 

セラは少しだけ瞬きをした。

 

「私の言葉」

「そうだ」

「了解しました」

 

デュランダルは資料端末を卓上に置いた。

そこにはタリアが提出した報告が並んでいる。

ジブラルタルの低周波パルス。

レギナントの起動ログ。

タマンラセットでの交戦記録。

そして、セラ本人の証言。

 

「まず確認したい。君は、自分が人格的完成体研究の被験体だったと話している」

「はい」

「その研究について、知っている範囲で説明してくれ」

 

セラは、まるで記録を読み上げるように言った。

 

「研究名、人格的完成体研究」

「研究理念。人類社会の安定化。人々が自然に惹かれ合う社会。争いの起きない世界」

「主研究対象、ラクス・クライン」

「選定理由。高い対人影響力。高精神安定性。高協調性。高いカリスマ性。Accord特性。シーゲル・クラインの血統」

 

デュランダルの指が、卓上で止まった。

 

研究名。

理念。

そこまでは、記憶の奥にかすかに残っていた。

 

若い頃。

まだ政治の中心ではなく、研究室にいた時代。

人間の適性と社会の安定について、理想を語る小さな研究構想があった。

人が自然に人を受け入れ、争いを必要としない社会。

遺伝子と人格形成によって、そんな未来を探れるのではないか。

 

彼は、それに一度だけ名を貸した。

保証人の一人。

支援者の一人。

継続的に関わったわけではない。

研究所の内部を見たわけでもない。

 

それが、今、目の前の少女の口から語られている。

 

「……ラクス・クラインが、主研究対象だったのか」

「はい」

「君は、それをいつ知った」

「研究所内の説明記録。および自己情報照会」

「自己情報照会」

「はい。私はラクス・クラインを基準個体として作製された模倣個体です。遺伝情報はラクス・クライン由来です。そのため外見的特徴に高い類似性があります」

 

セラの声に揺れはない。

だが、その内容は議長室の空気をさらに重くした。

 

デュランダルはすぐには言葉を返せなかった。

タリアも黙っている。

 

それは、知っていた者の沈黙ではない。

知らなかったことを、今ようやく現実として受け止めようとする沈黙だった。

 

「……君自身は、その研究でどう評価された」

 

デュランダルは、ようやく次の問いを口にした。

 

セラは迷わなかった。

 

「評価項目。感情形成不完全。人間性欠損。自己認識異常」

「総合評価、不合格」

「処遇、廃棄予定」

 

タリアの表情がわずかに硬くなる。

 

以前にも聞いた。

L-31だった頃のセラは、同じように言った。

研究結果は不合格。

廃棄予定。

私は失敗作です。

 

あの時も、部屋の空気が変わった。

だが、今は違う。

その言葉は、若き日のデュランダルが一度だけ名を貸した研究の末端で下された評価として、本人の前に差し出されている。

 

「君は、自分を失敗作だと認識しているのか」

 

デュランダルが問う。

 

「はい。研究所評価に基づく自己分類です」

「君自身が、そう思っているというより」

「評価記録に基づく事実です」

 

セラは淡々と答えた。

 

自分を傷つけるための言葉ではない。

自分を卑下するための言葉でもない。

記録にそうあるから、そう言う。

 

それが、かえって痛々しかった。

 

デュランダルは息を吸った。

 

「では、なぜ君はモビルスーツに乗っていた」

 

その問いに、セラは少しだけ間を置いた。

質問の意味を整理するような沈黙だった。

 

「研究は停滞していました」

「研究所は閉鎖予定でした」

「廃棄処遇の実行前に、外部企業から支援が入りました」

「外部企業」

 

デュランダルの声が低くなる。

 

「はい。支援条件は、研究成果および被験体の軍事目的への転用」

「軍事目的……」

 

デュランダルはその言葉を反芻した。

 

研究の停滞。

閉鎖寸前の研究所。

そこへ現れた外部企業。

軍事目的への転用。

 

構図は、あまりにも分かりやすい。

 

「ロゴスか……」

 

低い呟きだった。

 

セラは続けようとして、わずかに止まる。

 

「企業名は把握していません」

「いや、君が答える必要はない。続けてくれ」

 

デュランダルはそう言った。

だが、その声には先ほどまでの穏やかさとは別の硬さがあった。

 

セラは頷く。

 

「以後、評価項目が変更されました」

「戦闘適性。空間認識能力。情報処理能力」

「神経接続型MSへの適性」

「神経接続適性、極めて優秀」

「総合適性評価、最高水準」

 

言葉が並ぶたびに、議長室の空気が冷えていく。

 

人格的完成体研究では、不合格。

感情形成不完全。

人間性欠損。

自己認識異常。

処遇は廃棄。

だが、軍事評価では極めて優秀。

 

人と人が自然に惹かれ合う社会を目指した研究は、やがて、人を殺すための機体に最も適した少女を見つけた。

それは、救済ではなかった。

評価の物差しが変わっただけだ。

 

「その神経接続型MSが、レギナントか」

「はい」

「君は、その適合者として運用された」

「はい。レギナント運用個体として登録されました」

「登録……」

 

デュランダルは目を伏せた。

 

失敗作と最高水準。

 

そこに、人間としてのセラはない。

研究所は彼女を失敗作と見た。

外部企業は彼女を兵器適合者と見た。

どちらも、彼女を少女として見てはいなかった。

 

タリアは静かに拳を握る。

 

セラは何も変わらない。

ただ、尋ねられたことに答えている。

それが事実だから。

記録にあるから。

自分の処遇として、そう定められていたから。

 

デュランダルはしばらく黙っていた。

議長室の外では、プラント本国の静かな時間が流れている。

ここが戦場ではないことが、むしろ奇妙に思えるほどだった。

 

やがて、デュランダルは顔を上げた。

そして、もう一つだけ問いを重ねる。

 

「君は、Lシリーズのことをどう思っている」

「Lシリーズ

セラの視線が、わずかに動いた。

 

「君と同じ系列の個体たちだ。タマンラセットで確認されたNo.3や、ミュルミドンに搭乗していた少女たち。君は、彼女たちをどう認識している」

 

セラは即答しなかった。

それは、この面会の中で初めてと言っていい沈黙だった。

デュランダルは、その沈黙を見た。

 

迷い。

同族意識。

あるいは、自分と同じ境遇に置かれた者たちへのわずかな痛み。

 

そうしたものが、そこにあるのかもしれない。

一瞬だけ、そう思った。

 

「……セラ」

 

デュランダルは、声を落とす。

 

「彼女たちを、撃てるのか」

 

タリアが息を止める。

セラはまだ黙っていた。

視線は床でも、デュランダルでもなく、どこか一点に固定されている。

質問の意味を、深く処理しているようだった。

 

「どうしたのかね」

 

デュランダルが尋ねる。

セラは、ようやく口を開いた。

 

「敵性個体を撃てない理由を考えていました」

 

その言葉に、議長室の空気が止まった。

デュランダルは、すぐには返せなかった。

タリアもまた、セラを見つめる。

 

セラの声には迷いがなかった。

苦しみも、拒絶も、怒りもない。

 

彼女は本当に考えていたのだ。

自分と同じ系列の少女たちを撃てるかどうかではない。

撃てないとするなら、その理由は何か。

敵性個体を排除しない合理的理由があるのか。

 

その問いを、彼女は探していた。

 

「……そうか」

 

デュランダルは、ようやくそれだけを言った。

 

彼は今、改めて理解した。

 

この少女はまだ、戦場の論理の中にいる。

自分と同じように作られた者たちでさえ、敵であれば排除対象として処理できてしまう。

それは残酷さではない。

残酷さを残酷だと認識する前の、もっと深い欠落だった。

 

タリアは低く息を吐いた。

 

「セラ」

「はい」

「今すぐ答えを出さなくていいわ」

「答えを保留」

「そう」

 

セラは短く頷いた。

 

「保留します」

 

デュランダルは二人のやり取りを見ながら、資料端末へ視線を落とす。

 

感情形成不完全。

人間性欠損。

自己認識異常。

 

研究所が下した評価は、あまりにも冷酷だった。

だが、目の前の少女の沈黙は、その評価がただの書類上の言葉ではなかったことを突きつけていた。

 

「セラ」

「はい」

「君は、ミネルバに戻りたいと思うか」

 

セラは即答しなかった。

また問いの意味を処理している。

命令ではなく、希望を問われている。

その種類の質問に、彼女はまだ慣れていない。

 

「戻りたい、という判断基準が不明瞭です」

「では、質問を変えよう。ミネルバに戻ることは、君にとって不都合か」

「不都合はありません」

「本国の担当部署に留まることは」

「命令であれば可能です」

「可能かどうかではなく、君が安全でいられるかだ」

 

セラはまた瞬きをした。

 

「安全」

「そうだ」

「ミネルバは、私の状態を把握しています。メイリン、ルナ、ヨウラン、ヴィーノは神経接続補助ユニットの管理を行えます。タリア艦長は直接神経接続の使用を制限しています」

「つまり、ミネルバの方が君を理解している」

「はい」

 

デュランダルは小さく頷いた。

その口元はいつになく穏やかだった。

 

「ならば、それで十分だ」

 

彼はタリアへ向き直る。

 

「グラディス艦長」

「はい」

「特別管理局によるセラへの事情聴取は中止する。少なくとも、現時点で通常手続きに乗せるべきではない」

「ありがとうございます」

「礼を言われることではない」

 

デュランダルは低く言った。

 

「これは私の判断だ。彼女の身柄は、引き続きミネルバに預ける」

「承知しました」

「レギナントも同様だ。機体解析は必要だが、現時点では君たちの管理下に置くのが最も安全だろう。整備、起動、運用に関する記録はすべて保全してくれ」

「了解しました」

「ただし低周波パルスの件は未解決だ。起動時の発信は止まっていない」

「はい」

「本国側の解析班を入れる。だがミネルバ整備班の立ち会いを必須とする。セラ本人への接触も同様だ。記録なしの聴取や検査は認めない」

 

タリアの表情がわずかに変わる。

 

それは、彼女が前話で担当官へ突きつけた条件と同じ方向だった。

今度は議長の命令として、それが明文化される。

 

「感謝します」

「まだ終わっていないよ、グラディス艦長」

 

デュランダルは資料端末を閉じた。

 

「これは極秘扱いとする」

「はい」

「人格的完成体研究、およびLシリーズに関する記録を、こちらで調査する」

「議長自ら、ですか」

「必要な範囲でだ。少なくとも、私の名が過去に関わっている可能性がある以上、放置はできない」

 

タリアは黙って頷く。

 

デュランダルは続ける。

 

「該当する研究機関、支援記録、保証人名簿、閉鎖時の移管先。こちらで洗う」

「はい」

「結果が出次第、君に確認任務を命じる可能性がある」

「ミネルバに、ですか」

「君たちが最も近くでセラとレギナントを見ている。現場を知らない者に任せるより、正確な判断ができるだろう」

「承知しました」

 

デュランダルの視線が、再びセラへ戻る。

 

「セラ」

「はい」

「君は、ミネルバへ戻りなさい」

「戻る」

「そうだ」

 

セラはタリアを見た。

 

「私は、管理対象ではありませんか」

「管理対象ではある」

 

デュランダルは否定しなかった。

 

「だが、それだけではない。君はミネルバのパイロットであり、彼らが守ろうとしている存在でもある」

「守ろうとしている存在」

「そうだ」

「私は、ミネルバを守りました」

「そして今、ミネルバが君を守ろうとしている」

 

セラはその言葉を処理するように、しばらく黙った。

 

ミネルバがあるから、守ることができる。

以前、彼女はそう言った。

ミネルバが落ちたら、守ることもできなくなる。

だから守った。

 

だが、そのミネルバは今、セラを守ろうとしている。

 

「相互」

「何だね」

「ミネルバを守る。ミネルバが私を守る。相互関係」

「そうだ」

 

デュランダルは静かに答えた。

 

「それは、悪いことではない」

 

セラは短く頷いた。

 

「確認しました」

 

タリアは、その横顔を見ていた。

セラの表情は大きく変わらない。

けれど、何かを受け取ろうとしていることだけは分かった。

 

議長室での面会は、そこで終わった。

 

デュランダルは担当官を呼び、セラの臨時管理を解除する指示を出した。

書面には、はっきりと記された。

 

搭乗者セラの身柄は、ミネルバ艦長タリア・グラディスの管理下へ戻す。

レギナントについても、当面の管理責任をミネルバに置く。

本国側による解析は、ミネルバ整備班および医療班の立ち会いのもとで実施する。

本件は極秘扱いとする。

 

その命令が発行された時、タリアはようやく胸の奥で息を吐いた。

 

安心ではない。

問題は何も終わっていない。

研究所も、外部企業も、Lシリーズも、レギナントの隠し機能も、まだ闇の中にある。

 

だが、少なくともセラは、無人の聴取室へ送られない。

担当官の手に、ただ預けられることもない。

 

ミネルバへ戻る。

 

その一点だけは、確かに決まった。

 

議長府を出る廊下で、セラはタリアの隣を歩いていた。

本国の通路は静かで、足音がよく響く。

セラは前を見たまま、ぽつりと言った。

 

「タリア艦長」

「何?」

「私は、戻ります」

「ええ」

「ミネルバに」

「そうよ」

 

タリアは歩調を緩めない。

 

「あなたを待っている子たちがいるわ」

「待っている」

「ええ。たぶん、かなり落ち着かない顔で待っている」

 

セラは少し考えた。

 

「シンは怒っていますか」

「怒っているでしょうね」

「メイリンは心配していますか」

「しているわ」

「ルナは」

「メイリンを支えながら、あなたの心配もしている」

「レイは」

「不満そうな顔で黙っているかもしれない」

「アスランは」

「状況を理解して、難しい顔をしていると思うわ」

 

セラは一度だけ瞬きをした。

 

「全員、予測可能です」

「そうね」

 

タリアはわずかに口元を緩めた。

 

「でも、その予測を直接確認しに行きましょう」

「了解しました」

 

ミネルバの臨時待機区画では、予測通りの光景があった。

 

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