機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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56.月光のワルキューレ

プラント本国での滞在は、休養だけで終わるものではなかった。

 

ミネルバは修理と再整備のため、軍港に係留されている。

レギナントもまた、本国施設のラボで起動時の低周波パルスを解析されていた。

 

だが、乗員全員がただ待機していればいいわけではない。

艦の修理を待つ間にも、身体を鈍らせないための基礎訓練は組まれる。

軽い射撃訓練、体力測定、シミュレーター調整、連携確認。

そして、その日は本国側の訓練施設で、ミネルバ隊の一部が合同訓練に参加することになっていた。

 

セラも同行していた。

正確には、訓練参加者というより、観察対象に近い扱いだった。

特殊機レギナントの搭乗者。

議長案件としてミネルバに預けられた少女。

本国側からすれば、無視できない存在である。

 

セラは訓練施設の待機スペースで、メイリンの隣に立っていた。

支給された簡易訓練服は、サイズを調整しても少し余っている。

身体の線は細く、周囲のパイロット候補生や兵士たちと比べると、ひと回り小さく見えた。

 

その視線を、メイリンは感じていた。

じろじろと見る者。

すぐに視線を逸らす者。

何かを知っているふりで囁く者。

 

セラ本人は、ほとんど反応しない。

ただ、視線の数と向きを確認するように、時折わずかに目だけを動かしている。

 

「嫌なら、少し奥に行こうか?」

 

メイリンが小さく言う。

セラはメイリンを見る。

 

「嫌、ではありません」

「本当に?」

「視線があります。ですが、接触はありません」

 

そういう問題ではない。

メイリンはそう言いかけて、飲み込んだ。

 

少し離れた場所では、ルナマリアが施設内の案内表示を見ていた。

その表情が、ふと曇る。

 

「……月方面隊も来てるのね」

「月方面隊?」

 

シンが振り返る。

 

「本国に戻ってるの。再編と合同訓練だって」

 

ルナマリアの声には、少しだけ嫌そうな響きがあった。

メイリンもその言葉に反応する。

 

「月方面隊……」

「そう」

 

ルナマリアは、短く息を吐いた。

シンが露骨に嫌そうな顔をする。

 

「……アイツかよ」

 

名前を知らないわけではない。

士官学校時代の同期だ。

ただし、親しいという意味ではなかった。

 

シンにとって最もやりづらい相手だった。

笑いながら、相手の嫌がるところを正確に刺してくる。

そういう類の人間は、どうにも苦手だった。

 

レイは壁際に立ったまま、施設の出入り口を見ていた。

名前を聞いても表情は変えない。

ただ、周囲の配置と人の流れを確認する目が、少しだけ鋭くなる。

 

その時、待機スペースの空気が少し変わった。

靴音が近づいてくる。

 

「本国に戻ってずいぶん騒がしいと思ったら、あなたたちが帰ってきていたのね」

 

明るい声だった。

けれど、親しげではない。

声の端に、わずかな棘がある。

 

ルナマリアが振り返る。

 

「アグネス……」

 

そこに立っていたのは、長い髪を整えた少女だった。

身だしなみは隙がなく、訓練服であっても妙に華やかに見える。

周囲にいる兵士たちの何人かが、彼女に視線を向けた。

 

アグネス・ギーベンラート。

 

月方面隊所属。

ルナマリアたちとは、士官学校時代の同期である。

アグネスはルナマリアを見ると、薄く笑った。

 

「相変わらずね、ルナマリア。騒ぎの中心にいるのが好きなの?」

「好きで巻き込まれてるわけじゃないわよ」

 

ルナマリアは冷静に返した。

怒鳴りはしない。

けれど、歓迎していないことは明らかだった。

アグネスはその反応を楽しむように、少しだけ目を細める。

 

「そう。ミネルバは大変ね。どこへ行っても注目されて」

「訓練に来ただけよ。嫌味を言いに来たなら、別の場所でやって」

「嫌味だなんて。挨拶よ」

 

シンは、少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。

こういう相手は苦手だった。

怒れば、たぶん面白がられる。

黙っていれば、それもそれで好きに刺してくる。

 

今度はメイリン……ではなく、その隣にいるセラに視線を移す。

上から下まで。

遠慮のない視線だった。

 

細い肩。

余った訓練服。

短い髪。

表情の薄い顔。

 

アグネスの口元が、わずかに歪む。

 

「その子が噂の子?」

 

空気が変わった。

メイリンの手が、わずかに動く。

セラの前に出ようとしたのを、ルナマリアが視線だけで止めた。

 

「噂って、何のこと?」

 

ルナマリアの声は落ち着いている。

だが、低い。

アグネスは肩をすくめた。

 

「本国にいれば、耳に入ることくらいあるわ。

 あなたたちほど派手に動けば、なおさらね」

 

「何を聞いたの?」

 

メイリンが聞く。

アグネスは、楽しそうに答えた。

 

「ミネルバが特殊機を持ち帰ったこと。機体名はレギナント。

 パイロットは小柄な少女。議長案件になっている。

 それと……ラクス・クラインに似ているとか」

 

その名が出た瞬間、メイリンの表情が強張った。

シンもわずかに目を細める。

レイは表情を変えない。

ただ、視線だけがアグネスへ向いた。

 

アグネスが知っているのは、表層だけだ。

Lシリーズ。人格的完成体研究。レギナントの本質。

それらまでは、何も知らない。

 

だが、知らないことを知らない顔はしていない。

少し聞きかじった情報を、まるで自分だけが知っている事実のように扱っている。

 

「やめなさいよ、そういう言い方」

 

ルナマリアが言った。

アグネスは笑う。

 

「何が?」

「知ったような顔で言わないで」

「知っていることを言っただけよ」

 

その視線が、またセラへ落ちる。

 

「随分と貧相な体つきね。そんなんでパイロットが務まるの?」

 

メイリンの顔色が変わった。

シンが一歩出かける。

だが、ルナマリアが先に口を開いた。

 

「いい加減にしなさいよ、アグネス」

「本当のことでしょう。訓練施設にお子様がいていい場所じゃないのよ。

 怪我をしないうちに帰りなさい」

 

「やめて」

 

メイリンが言った。

声は大きくない。

けれど、はっきりしていた。

アグネスはその反応を待っていたように、メイリンを見る。

 

「あなたが止めるの?」

「……」

「本人じゃなくて?」

 

メイリンは言い返そうとした。

 

「セラは――」

「危ないから」

「……」

「傷つくから」

「……」

「分からないから」

「……」

「だから、あなたが守ってあげるの?」

 

メイリンの言葉が詰まった。

アグネスは、そこを逃さなかった。

 

「そんな人形みたいに大事そうにしちゃって、かわいそうとは思わないの?」

「セラは人形じゃない」

 

メイリンが反射的に言った。

アグネスは笑った。

 

「そうやって、あなたが代わりに怒るのね」

 

その一言が、メイリンに刺さった。

セラは人形ではない。

そんなことは分かっている。

だから怒った。

 

けれど、今の怒りは本当にセラのためだったのか。

セラ自身が何も言う前に、自分が先に怒っただけではないのか。

 

メイリンの胸の奥で、何かが小さく引っかかった。

アグネスは、その沈黙を見て満足そうに目を細める。

 

「優しいのね、メイリン。昔から、そういうところは変わらない」

「……アグネス」

 

ルナマリアの声が一段低くなる。

 

「もうやめなさい」

「怖い顔。あなたも変わらないわね」

 

シンは、拳を握った。

怒りよりも、むしろ苛立ちとやりづらさが勝っていた。

 

言い返せば相手の思う壺だ。

それは分かる。

分かるが、黙って見ているのも腹が立つ。

その時、セラが口を開いた。

 

「メイリン、質問があります」

 

場の空気が止まった。

メイリンは慌ててセラの顔を見る。

 

「な、何?」

 

セラはアグネスを見ていた。

怒っている様子はない。

怯えている様子もない。

ただ、今までの発言を処理しているような目だった。

 

「あの人の発言は、士気を鼓舞するものではありません。

 むしろ、士気を下げる発言を繰り返しています」

 

メイリンは息を詰まらせた。

セラは続ける。

 

「これは、士官として合理性に欠けている行為です。

 あの人は"欠陥品"と評価しますが」

 

訓練施設の空気が凍りついた。

メイリンは、今度こそ完全に固まった。

 

「セ、セラ……」

 

ルナマリアは片手で額を押さえた。

 

「……よりによって、そう来るのね」

 

シンは数秒間、耐えていた。

肩が震える。口元を押さえる。

 

だが、無理だった。

 

「ぶっ……!」

 

噴き出した。

そのまま、こらえきれずに大声で笑い出す。

 

「お、お前……欠陥品って……!」

「シン、笑わない!」

 

ルナマリアが叱る。

だが、その声にも少しだけ力がなかった。

レイでさえ、視線を横へ逸らしていた。

表情はほとんど変わらない。

けれど、肩がわずかに震えている。

 

メイリンは慌ててセラの腕を取った。

 

「セラ、今のは、ちょっと言い方が……」

「不適切でしたか」

「えっと……かなり」

 

セラはアグネスを見ながら短く頷く。

 

「訂正します」

「今はしなくていいから」

 

メイリンが小声で止める。

アグネスは微笑んでいた。

 

「面白い子ね」

 

声だけは、まだ綺麗だった。

だが、目は笑っていない。

 

その視線が、セラに向く。

さっきまでの余裕とは違う。

見下すような色の奥に、明確な怒りが混じっていた。

 

アグネスが一歩踏み出そうとする。

その行く手を、ルナマリアが遮った。

 

「もう十分でしょ」

「十分かどうかは、訓練を見れば分かるわ」

 

ルナマリアの声が低くなる。

 

「訓練に私情を持ち込むなら、やめなさい」

「私情? ただの基礎訓練よ。あなたたちもやったでしょう?」

 

アグネスは笑う。

その時、待機スペースの奥から訓練教官が現れた。

 

「次の班、移動しろ。模擬剣を使った基礎訓練に入る」

 

教官は淡々と告げた。

 

「刃引きだ。防具もつける。危険な訓練じゃない。

 お前らも士官学校でやっただろう」

 

その言葉に、ルナマリアがわずかに表情を変えた。

視線が、セラへ向く。

セラは何も言わない。

教官は名簿を確認する。

 

「ミネルバ側からは、ルナマリア・ホーク、シン・アスカ、レイ・ザ・バレル。

 それと、特殊機搭乗者の基礎運動確認としてセラ」

 

「セラもやるんですか?」

 

メイリンが思わず聞いた。

教官は悪意なく頷く。

 

「基礎訓練だ。大げさなものじゃない」

「でも……」

「無理なら途中で止めればいい」

 

その軽さが、逆にメイリンの胸を締めつけた。

止めたい。

でも止めればまた言われる。

 

危ないから。

傷つくから。

分からないから。

だから、あなたが守ってあげるの。

 

アグネスが、楽しそうに微笑む。

 

「それなら、私が相手をします」

「アグネス」

 

ルナマリアが即座に言った。

 

「訓練なら訓練としてやりなさい。遊びでやるならやめて」

「遊びじゃないわ。合同訓練でしょう?」

「その子に当たるのは違うでしょ」

「当たるなんて。加減はしてあげるわよ」

 

アグネスはセラを見る。

 

「怖がらなくていいわ。すぐ終わるから」

 

セラは答えなかった。

セラは何も言わず、アグネスを見ていた。

怯えているわけではない。

怒っているわけでもない。

 

だが、周囲からはそう見えない。

 

押し切られているように見える。

何も分かっていないように見える。

アグネスにとっても、そう見えた。

 

シンは、まだ少しだけ笑いの残った顔で低く呟いた。

 

「……止めた方がいいんじゃないのか」

 

だが、レイはシンの言葉を止める。

 

「いや、今は見るべきだ」

「でも」

「セラは、見ている」

 

レイの視線は、セラの足元にあった。

ほんのわずかに開かれた足幅。

剣を受け取る前から、相手との距離を測っている立ち方。

 

メイリンは気づいていない。

ルナマリアも、まだ不安の方が強い。

だがレイには何か、確信に近いものが見えている。

 

セラは教官から、訓練用の刃引き剣を受け取った。

 

小さな手が、柄を握る。

一度、重さを確かめるように剣先を下げる。

それから、握りをほんの少しだけ変えた。

 

アグネスは余裕の笑みを浮かべている。

だが、その目は嗜虐的な色に染まっていた。

 

セラは無表情のまま、訓練場の中央へ向かった。

 

メイリンは、その背中を見つめていた。

人形ではない。

それは分かっている。

 

けれど、自分は今、何をすればいいのか。

止めるべきなのか。

見守るべきなのか。

セラ自身の判断を待つべきなのか。

 

答えは出ない。

 

訓練場の中央で、アグネスが剣を構えた。

セラは、まだ構えない。

ただ、相手を見ている。

 

教官が片手を上げる。

その瞬間、待機スペースの空気が静まり返った。

 

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