機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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56.月光のワルキューレ

プラント本国での滞在は、休養だけで終わるものではなかった。

 

ミネルバは修理と再整備のため、軍港に係留されている。

レギナントもまた、本国施設のラボで起動時の低周波パルスを解析されていた。

 

だが、乗員全員がただ待機していればいいわけではない。

艦の修理を待つ間にも、身体を鈍らせないための基礎訓練は組まれる。

軽い射撃訓練、体力測定、シミュレーター調整、連携確認。

そして、その日は本国側の訓練施設で、ミネルバ隊の一部が合同訓練に参加することになっていた。

 

セラも同行していた。

正確には、訓練参加者というより、観察対象に近い扱いだった。

特殊機レギナントの搭乗者。

議長案件としてミネルバに預けられた少女。

本国側からすれば、無視できない存在である。

 

セラは訓練施設の待機スペースで、メイリンの隣に立っていた。

支給された簡易訓練服は、サイズを調整してもまだどこか大きい。

 

それでいて、目立たないわけではない。

 

周囲の訓練生たちに比べ、セラの身体は明らかに小さかった。

背丈も、肩幅も、手足の細さも違う。

同じ訓練服を着ていても、兵士の列に子供が一人混じっているように見える。

 

けれど、ただ幼いだけではなかった。

顔立ちはひどく整っていて、どこかラクス・クラインを思わせる面影がある。

だから余計に、周囲の視線を引いた。

 

待機スペースの端では、本国側の訓練生たちが何人か、こちらを遠巻きに見ていた。

 

「……あの子か?」

「ミネルバが持ち帰った特殊機の」

「小さくないか」

「でも顔……すごくかわいい」

「本当にラクス様そっくりだ」

 

ひそひそとした声は、聞こえないほど小さくはない。

だが、面と向かって話しかけるほどの度胸もないらしい。

 

視線だけが集まる。

 

セラ本人は、ほとんど反応しない。

ただ、視線の数と向きを確認するように、時折わずかに目だけを動かしている。

 

メイリンは、その横顔を見た。

目を引くのは分かる。

けれど、見世物のように見られることが、どうしても嫌だった。

 

「嫌なら、少し奥に行こうか?」

 

メイリンが小さく言う。

セラはメイリンを見る。

 

「嫌、ではありません」

「本当に?」

「視線があります。ですが、接触はありません」

 

そういう問題ではない。

メイリンはそう言いかけて、飲み込んだ。

 

少し離れた場所では、ルナマリアが施設内の案内表示を見ていた。

その表情が、ふと曇る。

 

「……月方面隊も来てるのね」

「月方面隊?」

 

シンが振り返る。

 

「本国に戻ってるの。再編と合同訓練だって」

 

ルナマリアの声には、少しだけ嫌そうな響きがあった。

メイリンもその言葉に反応する。

 

「月方面隊……」

「そう」

 

ルナマリアは、短く息を吐いた。

シンが露骨に嫌そうな顔をする。

 

「……アイツかよ」

 

名前を知らないわけではない。

士官学校時代の同期だ。

ただし、親しいという意味ではなかった。

 

シンにとっても、どうにもやりづらい相手だった。

笑いながら、相手の嫌がるところを正確に刺してくる。

そういう類の人間は、苦手だった。

 

レイは壁際に立ったまま、施設の出入り口を見ていた。

名前を聞いても表情は変えない。

ただ、周囲の配置と人の流れを確認する目が、少しだけ鋭くなる。

 

その時、待機スペースの空気が少し変わった。

靴音が近づいてくる。

 

「アグネスだ」

「月方面隊の?」

「月光のワルキューレだよ、あれ……!」

 

誰かが、少し浮ついた声で囁いた。

 

訓練施設の高い天井から、白い照明が落ちている。

その光を受けて、近づいてくる少女の髪が淡く光った。

 

「本国に戻ってずいぶん騒がしいと思ったら、あなたたちが帰ってきていたのね」

 

明るい声だった。

けれど、親しげではない。

声の端に、わずかな棘がある。

 

ルナマリアが振り返る。

 

「アグネス……」

 

そこに立っていたのは、長い髪を整えた少女だった。

身だしなみは隙がなく、訓練服であっても妙に華やかに見える。

周囲にいる兵士たちの何人かが、彼女に視線を向けた。

 

アグネス・ギーベンラート。

 

月方面隊所属。

ルナマリアたちとは、士官学校時代の同期である。

 

アグネスはルナマリアを見ると、薄く笑った。

 

「相変わらずね、ルナマリア。騒ぎの中心にいるのが好きなの?」

「好きで巻き込まれてるわけじゃないわよ」

 

ルナマリアは冷静に返した。

怒鳴りはしない。

けれど、歓迎していないことは明らかだった。

アグネスはその反応を楽しむように、少しだけ目を細める。

 

「そう。ミネルバは大変ね。どこへ行っても注目されて」

「訓練に来ただけよ。嫌味を言いに来たなら、別の場所でやって」

「嫌味だなんて。挨拶よ」

 

シンは、少しだけ居心地悪そうに視線を逸らした。

こういう相手は苦手だった。

怒れば、たぶん面白がられる。

黙っていれば、それもそれで好きに刺してくる。

 

アグネスの視線が、一瞬だけシンをかすめる。

 

すぐに外れた。

 

その短さが、逆にシンの癇に障った。

 

「……」

 

何か言いかけて、やめる。

 

アグネスはもう、ルナマリアを見ていた。

その隣にいるメイリンを見ていた。

そして、メイリンの横に立つセラへ視線を滑らせていた。

 

レイは壁際に立ったまま、何も言わない。

アグネスが誰を見て、誰を見ていないのか。

それを確認しているようだった。

 

「メイリンも久しぶりね」

「……久しぶり、アグネス」

 

メイリンは普通に返した。

学生時代の同期。

だから、必要以上に他人行儀にはしない。

けれど、その声には警戒があった。

 

アグネスはそれを分かった上で、今度はセラを見た。

上から下まで。

遠慮のない視線だった。

 

低い背丈。

細すぎる手足。

兵士というより、訓練場に迷い込んだ子供のような体格。

 

アグネスの口元が、わずかに歪む。

 

「その子が噂の子?」

 

空気が変わった。

メイリンの手が、わずかに動く。

セラの前に出ようとしたのを、ルナマリアが視線だけで止めた。

 

「噂って、何のこと?」

 

ルナマリアの声は落ち着いている。

だが、低い。

アグネスは肩をすくめた。

 

「本国にいれば、耳に入ることくらいあるわ。あなたたちほど派手に動けば、なおさらね」

 

「何を聞いたの?」

 

メイリンが聞く。

アグネスは、楽しそうに答えた。

 

「ミネルバが特殊機を持ち帰ったこと。機体名はレギナント。パイロットは小柄な少女。議長案件になっている。それと……ラクス・クラインに似ているとか」

 

その名が出た瞬間、メイリンの表情が強張った。

シンもわずかに目を細める。

レイは表情を変えない。

ただ、視線だけがアグネスへ向いた。

 

アグネスが知っているのは、表層だけだ。

Lシリーズ。人格的完成体研究。レギナントの本質。

それらまでは、何も知らない。

 

だが、知らないことを知らない顔はしていない。

少し聞きかじった情報を、まるで自分だけが知っている事実のように扱っている。

 

「やめなさいよ、そういう言い方」

 

ルナマリアが言った。

アグネスは笑う。

 

「何が?」

「知ったような顔で言わないで」

「知っていることを言っただけよ」

 

その視線が、またセラへ落ちる。

 

「随分と貧相な体つきね。そんなんでパイロットが務まるの?」

 

メイリンの顔色が変わった。

シンが一歩出かける。

だが、ルナマリアが先に口を開いた。

 

「いい加減にしなさいよ、アグネス」

「本当のことでしょう。訓練施設にお子様がいていい場所じゃないのよ。怪我をしないうちに帰りなさい」

 

「やめて」

 

メイリンが言った。

声は大きくない。

けれど、はっきりしていた。

アグネスはその反応を待っていたように、メイリンを見る。

 

「あなたが止めるの?」

「……」

「本人じゃなくて?」

 

メイリンは言い返そうとした。

 

「セラは――」

「危ないから」

「……」

「傷つくから」

「……」

「分からないから」

「……」

「だから、あなたが守ってあげるの?」

 

メイリンの喉が詰まった。

 

違う。

そう言いたかった。

 

セラは人形じゃない。

何も分からない子じゃない。

だから、あんな言い方をされて黙っていられなかった。

 

けれど、言葉が出なかった。

 

セラは、まだ何も言っていない。

怒ったとも、嫌だったとも、助けてほしいとも言っていない。

 

それなのに、自分は先に声を上げた。

 

守ろうとした。

そのはずだった。

 

でも、今の自分は、本当にセラを見ていたのだろうか。

それとも、傷つくだろうと決めつけて、セラの言葉が出る前に塞いでしまっただけなのか。

 

メイリンの指先が、小さく震えた。

 

アグネスは、その沈黙を見て、満足そうに目を細める。

 

「優しいのね、メイリン。昔から、そういうところは変わらない」

「……アグネス」

 

ルナマリアの声が一段低くなる。

 

「もうやめなさい」

「怖い顔。あなたも変わらないわね」

 

シンは、拳を握った。

怒りよりも、むしろ苛立ちとやりづらさが勝っていた。

 

言い返せば相手の思う壺だ。

それは分かる。

分かるが、黙って見ているのも腹が立つ。

 

その時、セラが口を開いた。

 

「メイリン、質問があります」

 

場の空気が止まった。

メイリンは慌ててセラの顔を見る。

 

「な、何?」

 

セラはアグネスを見ていた。

怒っている様子はない。

怯えている様子もない。

ただ、今までの発言を処理しているような目だった。

 

「あの人の発言は、士気を鼓舞するものではありません。むしろ、士気を下げる発言を繰り返しています」

 

メイリンは息を詰まらせた。

セラは続ける。

 

「これは、士官として合理性に欠けている行為です」

 

そこで、ほんの少しだけ首を傾げた。

 

「あの人はやはり『欠陥品』なのでしょうか」

 

訓練施設の空気が凍りついた。

 

誰かが息を呑む音がした。

遠巻きに見ていた訓練生の一人が、口元を押さえる。

別の一人は、笑いかけて慌てて顔を伏せた。

 

メイリンは、今度こそ完全に固まった。

 

「セ、セラ……」

 

ルナマリアは片手で額を押さえる。

 

「……よりによって、そう来るのね」

 

シンは数秒間、耐えていた。

肩が震える。

口元を押さえる。

 

だが、無理だった。

 

「ぶっ……!」

 

噴き出した。

そのまま、こらえきれずに大声で笑い出す。

 

「お、お前……欠陥品って……!」

「シン、笑わない!」

 

ルナマリアが叱る。

だが、その声にも少しだけ力がなかった。

 

シンが噴き出した瞬間、アグネスの笑みがわずかに止まった。

ほんの一瞬だった。

 

視線だけがシンへ動く。

冷たい目だった。

 

だが、何も言わない。

 

すぐに、その目はセラへ戻った。

さっきまでより、少しだけ細くなっている。

 

レイでさえ、視線を横へ逸らしていた。

表情はほとんど変わらない。

けれど、肩がわずかに震えている。

 

メイリンは慌ててセラの腕を取った。

 

「セラ、今のは、ちょっと言い方が……」

「不適切でしたか」

「えっと……かなり」

 

セラはアグネスを見ながら短く頷く。

 

「訂正します」

「今はしなくていいから」

 

メイリンが小声で止める。

アグネスは微笑んでいた。

 

「面白い子ね」

 

声だけは、まだ綺麗だった。

だが、目は笑っていない。

 

その視線が、セラに向く。

さっきまでの余裕とは違う。

見下すような色の奥に、明確な怒りが混じっていた。

 

アグネスが一歩踏み出そうとする。

その行く手を、ルナマリアが遮った。

 

「もう十分でしょ」

「十分かどうかは、訓練を見れば分かるわ」

 

ルナマリアの声が低くなる。

 

「訓練に私情を持ち込むなら、やめなさい」

「私情? ただの基礎訓練よ。あなたたちもやったでしょう?」

 

アグネスは笑う。

 

その時、待機スペースの奥から訓練教官が現れた。

 

「次の班、移動しろ。模擬剣を使った基礎訓練に入る」

 

教官は淡々と告げた。

 

「刃引きだ。防具もつける。危険な訓練じゃない。お前らも士官学校でやっただろう」

 

その言葉に、ルナマリアがわずかに表情を変えた。

視線が、セラへ向く。

セラは何も言わない。

 

教官は名簿を確認する。

 

「ミネルバ側からは、ルナマリア・ホーク、シン・アスカ、レイ・ザ・バレル。それと、特殊機搭乗者の基礎運動確認としてセラ」

 

「セラもやるんですか?」

 

メイリンが思わず聞いた。

教官は悪意なく頷く。

 

「基礎訓練だ。大げさなものじゃない」

「でも……」

「無理なら途中で止めればいい」

 

その軽さが、逆にメイリンの胸を締めつけた。

 

止めたい。

 

その気持ちは、間違いなくある。

けれど、手が動かない。

声も出ない。

 

止めれば、また同じことになる気がした。

 

危ないから。

傷つくから。

分からないから。

だから、あなたが守ってあげるの。

 

その声が、まだ胸の奥に残っている。

 

メイリンは、セラを見る。

セラは静かに訓練場を見ていた。

怯えてはいない。

怒ってもいない。

ただ、これから行われることを確認している。

 

それでも、メイリンには分からなかった。

見守ることが、信じることなのか。

止めないことが、見捨てることなのか。

 

答えは出ない。

 

アグネスが、楽しそうに微笑む。

 

「それなら、私が相手をします」

「アグネス」

 

ルナマリアが即座に言った。

 

「訓練なら訓練としてやりなさい。遊びでやるならやめて」

「遊びじゃないわ。合同訓練でしょう?」

「その子に当たるのは違うでしょ」

「当たるなんて。加減はしてあげるわよ」

 

アグネスはセラを見る。

 

「怖がらなくていいわ。すぐ終わるから」

 

セラは答えなかった。

何も言わず、アグネスを見ていた。

怯えているわけではない。

怒っているわけでもない。

 

だが、周囲からはそう見えない。

 

押し切られているように見える。

何も分かっていないように見える。

アグネスにとっても、そう見えた。

 

遠巻きの訓練生たちが、また声を潜める。

 

「本当にやるのか」

「相手、アグネスだぞ」

「いくら基礎訓練でも、あの子じゃ……」

「でも、特殊機のパイロットなんだろ」

「MSと生身は違うだろ」

 

声は小さい。

けれど、待機スペースに落ちていく。

 

シンは、まだ少しだけ笑いの残った顔で低く呟いた。

 

「……止めた方がいいんじゃないのか」

「シン」

 

レイが静かに言った。

 

「今は見るべきだ」

「でも」

「セラは、見ている」

 

シンは言葉を止めた。

 

レイの視線は、セラの足元にあった。

ほんのわずかに開かれた足幅。

剣を受け取る前から、相手との距離を測っている立ち方。

 

メイリンは気づいていない。

ルナマリアも、まだ不安の方が強い。

だがレイには何か、確信に近いものが見えている。

 

セラは教官から、訓練用の刃引き剣を受け取った。

 

小さな手が、柄を握る。

一度、重さを確かめるように剣先を下げる。

それから、握りをほんの少しだけ変えた。

 

アグネスは余裕の笑みを浮かべている。

だが、その目は嗜虐的な色に染まっていた。

 

セラは無表情のまま、訓練場の中央へ向かった。

 

メイリンは、その背中を見つめていた。

 

人形ではない。

それは分かっている。

 

けれど、自分は今、何をすればいいのか。

止めるべきなのか。

見守るべきなのか。

セラ自身の判断を待つべきなのか。

 

答えは出ない。

 

訓練場の天井灯が、白く冷たい光を落としている。

 

その向かいに立つセラは、相変わらず無表情だった。

細い肩。

剣を握る小さな手。

訓練場の中央に立つには、あまりにも幼く見える体格。

 

見た目だけなら、勝負になるようには見えない。

 

けれど、レイだけは違うものを見ていた。

 

セラの足幅。

剣を握る前から測っている距離。

相手の肩、肘、重心へ動く視線。

 

教官が片手を上げる。

 

その瞬間、待機スペースの空気が静まり返った。

 

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