機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
プラント本国の軍港に、ミネルバの白い艦体が横たわっていた。
傷だらけだった外装は、完全修理により見違えるほど整えられている。
艦内を行き交う兵たちの足音にも、数日前までの慌ただしさとは違う響きがあった。
休息は、終わりに近づいている。
それは誰もが分かっていた。
格納庫では、整備員たちが出航前の最終確認に追われていた。
インパルスを始めとするミネルバ隊のMSがそれぞれ定位置で固定される。
そしてその奥にその半跪姿勢で固定されている白い大型MSレギナント。
機体の周囲には、基地工廠の技術者とミネルバの整備班が並び、最後の検査ログを確認していた。
特殊コーティング処理を終えた機体表面には、以前とは違う鈍い光沢がある。
完全に元通りになったわけではない。
だが、再び戦場へ出られる状態には戻っていた。
セラは、その少し離れた位置に立っていた。
何かをするわけではない。
整備作業に口を出すわけでもない。
ただ、レギナントを見ている。
メイリンは通信端末を抱えたまま、その横顔を見た。
「セラ」
名前を呼ぶと、セラはこちらに振り向く。
「はい」
「出航準備、もうすぐ終わるって」
「了解しました」
「……それだけ?」
「はい」
いつも通りの返答だった。
メイリンは少しだけ苦笑する。
出航する。
また戦場へ行く。
その言葉に自分の胸は少し重くなる。
けれど、セラの表情は変わらない。
「怖くないの?」
聞いてから、メイリンは少し後悔した。
セラは怖がらない。
少なくとも、普通の意味では。
案の定、セラは短く答えた。
「恐怖反応はありません」
「そっか」
メイリンはそれ以上聞かなかった。
「メイリン」
「何?」
「ミネルバは、次にどこへ向かいますか」
「まだ正式通達は来てないよ。艦橋の方には何か入ってるかもしれないけど」
「目的地は不明」
「今のところはね」
メイリンは端末を抱え直した。
「でも、たぶんすぐ分かる」
その言葉の通り、艦内放送が入ったのはそれから間もなくだった。
『各員、出航準備最終段階へ移行。指定要員は第2ブリーフィングルームへ集合』
ミネルバの中に、緩んでいた空気が戻る。
兵たちの足音が変わった。
休息は終わる。
次の戦場が、こちらを呼んでいる。
*****
第2ブリーフィングルームには、すでに主要な搭乗員たちが集まっていた。
シンは壁際に立ち、腕を組んでいる。
ルナマリアはその隣で、端末に表示された資料へ視線を落としていた。
レイは無言で席に着いている。
アスランは、部屋の中央から少し離れた位置に立っていた。
セラはメイリンの少し後ろに立つ。
遅れて入ってきたタリアが、全員を見渡した。
「出航準備は予定通り完了したわ」
その一言で、室内の空気が締まる。
「本国での修理、補給、各機の点検は完了。レギナントについてもミネルバでの運用継続が認められました」
数人の視線がセラに向いた。
セラは反応しない。
ただ、命令内容を聞いている。
タリアは端末を操作した。
正面のスクリーンに、新たな作戦概要が表示される。
「次の任務について通達します」
画面に、複数の戦域図が映し出された。
ロゴス討伐宣言後、世界各地で戦線は再編されていた。
連合残存部隊。
ロゴス関連施設。
各地で続く抵抗と掃討作戦。
そのすべてが、整然とした作戦図の中では矢印と点に変わっている。
けれど、その点の下には、確かに人がいる。
「ギルバート・デュランダル議長のロゴス討伐宣言以降、ザフトは各地のロゴス関連拠点および連合残存戦力への作戦を継続しています」
タリアの声は淡々としていた。
「しかし、複数の戦域で作戦遅延、戦闘長期化、被害拡大が確認されています」
シンがわずかに眉を動かす。
タリアは少しだけ視線を向けた。
「原因は独立武装勢力による介入」
スクリーンの表示が切り替わる。
そこに、白い艦のシルエットが映った。
艦名、アークエンジェル。
室内の空気が変わった。
シンの目が鋭くなる。
ルナマリアが小さく息を呑む。
アスランの表情が、硬くなった。
メイリンも画面を見る。
かつて戦場を駆け抜け、多くの戦闘に介入してきた艦。
名は天使でも、その姿はいつも戦場にあった。
「アークエンジェル……」
シンが低く呟いた。
その声には、隠しきれない深く強い怒りがある。
タリアは続けた。
「アークエンジェルはロゴス討伐宣言後も各地の戦場に出現。ザフト軍の作戦行動、連合残存戦力への攻撃、ロゴス討伐作戦に対し、断続的な妨害を行っています」
画面に、過去数回の交戦記録が並ぶ。
戦闘開始の最中にアークエンジェル介入、同時にMSフリーダムが出現。
作戦部隊は混乱し、部隊は撤退を余儀なくされる。
そして戦闘は再開される。
その結果、被害拡大する一方だ。
それは記録として見れば、ただの数字。
だが、その数字の向こうに死者がいる。
「司令部からの命令は明確です」
タリアは一度言葉を切った。
「ミネルバはアークエンジェルを追跡し、発見次第これを討伐せよ」
シンの拳が強く握られた。
「フリーダムもですか」
その声は静かだった。
静かだからこそ、怒りの深さの底が見えない。
タリアは頷く。
「アークエンジェル搭載機および随伴機の排除も許可されています」
フリーダム。
シンの目が、さらに険しくなる。
アスランは何も言わない。
ただ、唇を固く結んでいた。
レイは静かに資料を見ている。
セラは、画面に表示された戦闘記録を見ていた。
怒りも、驚きもない。
ただ、情報として処理している。
「ただし」
タリアが声を変えた。
「私は、この命令の運用について上申を行いました」
アーサーが横で頷き、別の資料を表示する。
「単純な追跡では、アークエンジェルの捕捉は難しいでしょう。彼らは隠密行動と逃走に長けています。こちらが後手に回れば、発見と見失いを繰り返すだけになる」
タリアは、スクリーンに映る複数の戦域を指した。
「ですが、彼らには明確な行動傾向があります」
誰も口を挟まない。
タリアは静かに告げた。
「戦場であれば、必ず現れる」
シンが顔を上げた。
「では、本艦はアークエンジェルを追い続けるのではなく、ロゴス討伐作戦中の各戦線を遊撃します。作戦支援を行いながら、アークエンジェルが介入した時点で捕捉、撃破する」
画面上で、ミネルバの進路候補が複数の戦域へ伸びる。
アークエンジェルを追うのではない。
アークエンジェルが現れる場所へ向かう。
それは、追跡ではなく待ち伏せに近い。
「司令部は上申を受理。本艦は遊撃艦として各戦線を転進します。アークエンジェル出現時は、同艦の撃破を最優先目標とします」
重い沈黙が落ちた。
タリアは全員を見渡す。
「質問は」
誰もすぐには答えなかった。
アスランは画面を見ている。
そこに映っているのは、ただの艦影だ。
だが、彼にとってそれはただの艦ではない。
あの艦には、かつて共に戦った者たちがいる。
友がいる。
守ろうとした国に繋がる者もいる。
彼らが何をしようとしているのか、アスランには分かっていた。
戦争を止めたいのだろう。
どちらか一方が一方的に殺される戦場を、放っておけないのだろう。
その気持ちそのものを、否定することはできない。
だが、方法は違う。
国家にも軍にも属さず、責任の所在を曖昧にしたまま、圧倒的な武力で戦場に割り込む。
その場の戦闘は止まるかもしれない。
けれど、その先の停戦も、和平も、政治的な道筋もない。
結果として、戦場は長引く。
別の場所で、また火がつく。
そのたびに、誰かが死ぬ。
分かっている。
分かっているからこそ、言葉が出なかった。
「質問がなければ、各員は出航準備に戻って」
タリアの声で、室内の空気が動き出す。
室内に集まったクルー達が立ち上がる。
だがシンは画面から目を離さなかった。
フリーダム。
その名は、胸の奥で燃え続けている。
*****
ブリーフィングの後、アスランは通路の端で足を止めていた。
キラ達に対するザフトの見解と決定。
彼らを討つ。
軍に属するものとして、立場も責任も命令の正当性さえ理解している。
けどその命令に「はい」とだけ答えるには、感情が追いつかなかった。
「アスラン」
背後から声がした。
振り返ると、シンが立っていた。
顔つきが違う。
ブリーフィング中よりも、さらに硬い。
「何だ」
「あんた、また迷ってるんですか」
言葉は鋭かった。
アスランはすぐには答えない。
シンは一歩近づいた。
「あんな奴がいるから、戦争は終わらないんだろ」
「シン」
「止めてるつもりで、戦場をめちゃくちゃにして。そのせいで、また悲しむ人が増えていく」
シンの声は低い。
怒鳴ってはいない。
だが、その奥には煮えたぎるものがあった。
「それは、あんたが一番分かってるはずだ」
アスランは反論しようとした。
違う。あの艦は、誰かを苦しめるために戦場へ来ているわけじゃない。
フリーダムのパイロットも、戦争を広げるために戦っているわけじゃない。
そう言いたかった。
だが、言えなかった。
その結果、何が起きているのか。
その場を止めた先に、何を作れているのか。
その問いに、アスランは答えを持っていない。
「俺は落とす」
シンは言った。
「今度こそ、あいつを」
その目はまっすぐだった。
まっすぐすぎて、危うい。
アスランはそれを見て、胸の奥が重くなる。
この怒りの先に何があるのか。
シン自身は、それを見ているのか。
「シン。怒りだけで戦うな」
「じゃあ何で戦うんですか」
即座に返された。
「何で戦えばいいんですか。家族を殺されても、仲間を殺されても、終わるはずだった戦闘をぐちゃぐちゃにされても、怒るなって言うんですか」
「そうじゃない」
「なら、止めないでください」
シンはアスランを睨む。
「俺は迷わない。あいつを落とす」
それだけ言って、シンは歩き去った。
アスランはその背中を見送るしかなかった。
*****
「メイリン、質問があります」
待機スペースの端で、セラが言った。
メイリンは端末から顔を上げる。
「何、セラ」
「先ほどのブリーフィングのことです」
「うん」
「あの時、アスランの通常任務時より反応遅延がありました。もしかして、対象艦および対象機との過去接触が原因ですか」
「……それ、どこで知ったの?」
問いながら、メイリンの声はわずかに低くなった。
「艦内資料に記録がありました」
「そっか……」
メイリンは小さく息を吐き、責める言葉を飲み込んだ。
セラを疑ったわけではない。ただ一瞬、知らなくていいものに触れてしまったのではないかと考えた自分が、少し嫌だった。
「たぶん、そうだと思う」
「そうですか」
セラは再び作戦記録に視線を落とす。
ブリーフィング後に配布された、アークエンジェル介入記録。
そこには過去の戦闘経過が時系列で並んでいる。
「アークエンジェルおよびフリーダムの介入行動を検証しました」
「うん」
「局所戦闘の停止効果は確認できます」
「……そうだね」
メイリンは少しだけ言葉を選んだ。
実際、アークエンジェルが現れたことで、その場の戦闘が止まった例はある。
両軍の損害が減った場面も、きっとある。
でも、それで終わらなかった。
セラは続ける。
「ですが、戦闘再発防止、戦略目標の変更、停戦成立への寄与は確認できません」
「……」
「総合評価として、効果は限定的です」
冷たい言い方だった。
けれど、間違いだとは言い切れない。
「むしろ、戦闘時間の延長と損害拡大が確認されます」
「セラ」
「はい」
「それは、記録上はそうかもしれないけど……」
そこから先が出てこなかった。
記録上はそう。でも人間は記録だけで動いているわけではない。
アークエンジェルにだって、戦争を止めたいという気持ちはあるのかもしれない。
アスランが苦しむのも、分かる気がする。
けれど、それをセラに説明する言葉が見つからなかった。
セラはメイリンを見た。
「アスランは、この評価を理解しているように見えます」
「……うん」
「では、なぜ悩むのでしょうか」
メイリンは答えられなかった。
アスランが苦しい理由。
それは分かる気がする。
かつての仲間を敵として討てと言われる痛み。
理屈では間違っていると分かっていても、感情だけを切り離せないこと。
正しさだけで人が動けるわけではないこと。
でも、それを言葉にすると、どこか違う気がした。
だから、メイリンは正直に言った。
「……分からない」
セラは瞬きをした。
「分からない」
「うん。分からない」
メイリンは端末を伏せる。
「アークエンジェルが全部正しいとは思わない。でも、アスランさんが迷う理由も分かる気がする。だけど、それをちゃんと説明できるほど、私も分かってないよ」
セラは黙って聞いていた。
「メイリンにも、分からないことがありますか」
「あるよ。いっぱいある」
少しだけ、メイリンは笑った。
「セラのことだって、分からないことばっかりだし」
「私」
「うん」
セラは考えるように沈黙した。
「分からないことを、分からないと回答することは有効ですか」
「たぶんね。無理に分かったふりをするよりは」
セラは頷いた。
「記録します」
メイリンは苦笑した。
「それも記録なんだ」
「はい」
その返答はいつも通りだった。
けれど、メイリンには少しだけ違って聞こえた。
セラは、分からないという答えを否定しなかった。
それを、情報として受け取った。
それだけのことなのに、なぜか少し安心した。
*****
自室に戻る途中で、アスランはタリアに呼び止められた。
「アスラン」
足を止める。
「はい」
「少しだけいいかしら」
タリアは歩みを止めず、通路の端へ移動した。
アスランもそれに続く。
「命令について、あなたが思うところがあるのは分かっています」
「……申し訳ありません」
「謝罪を求めているわけではないわ」
タリアは静かに言った。
「迷うなとは言いません。過去の関係も感情も、簡単に切り離せるものではないでしょう」
アスランは何も言えなかった。
「ですが、戦場では判断を遅らせないこと」
「……はい」
「あなた一人の迷いで、誰かが死ぬ」
その言葉は重かった。
慰めではない。
叱責とも違う。
ただ、艦長として必要なことを告げている。
アスランは目を伏せる。
「分かっています」
「なら、分かっている通りに動きなさい」
タリアはそれだけ言うと、視線を前へ戻した。
「あなたが迷うこと自体は否定しない。でも、戦場で迷い続けることは許可できないわ」
アスランは小さく頷いた。
「了解しました」
返事はできた。
だが、胸の中の重さが消えたわけではない。
タリアはそれも分かっているのだろう。
それ以上は何も言わなかった。
*****
出航時刻が近づくにつれ、ミネルバの艦内は静かな緊張に包まれていった。
ブリッジには各員が配置につく。
メイリンは通信席で回線確認を行い、アーサーは各部署からの報告をまとめている。
タリアは艦長席に座り、正面モニターを見据えていた。
「推進系、最終確認完了」
「航路データ入力完了」
「各区画、出航準備よし」
「格納庫、全機固定確認。発進待機状態へ移行可能」
報告が次々と入る。
タリアは短く頷いた。
「軍港管制へ。ミネルバ、出航準備完了」
「管制より入電。『軍港管制よりミネルバへ。航路クリア、出航を許可する。――いってらっしゃい』」
メイリンが読み上げた最後の一言に、艦橋の空気がわずかに緩んだ。
シンは格納庫でインパルスを見上げていた。
ルナマリアはその少し離れた場所で、自分の機体の最終確認をしている。
レイは無言で端末を閉じた。
アスランは、いまだ答えを出せない。
セラは、レギナント格納区画の近くにいた。
アークエンジェル。
フリーダム。
局所戦闘停止効果あり。
戦闘再発防止効果、未確認。
停戦成立への寄与、未確認。
戦局混乱要因。
「排除対象」
セラは短く呟いた。
「ミネルバ、発進します」
タリアの声が艦内に流れる。
係留アームが外れる。
艦体がゆっくりと軍港を離れる。
プラント本国の光が、ブリッジの外で遠ざかっていく。
整えられた夜。
守られた都市。
ミネルバは、再び宇宙へと旅立った。