機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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60.整備班からの贈り物

ミネルバは、再び宇宙にいた。

 

プラント本国の光は、すでに艦尾の向こうへ遠ざかっている。艦内には、地上でも本国でもない、いつもの振動が戻っていた。

 

床を伝う微かな震え。空調の低い音。格納庫の奥から響く工具の音。

 

戦場へ向かう艦の音だった。けれど、その日の格納庫には、いつもの緊張とは少し違う空気があった。

 

「よし、集まったな!」

 

ヨウランが、妙に張り切った声を上げた。

 

格納庫の一角。レギナントの足元に近い作業スペースには、いつものメンバーが集められていた。そしてなぜか、セラはそのわきで台車に腰かけている。

 

さらにヴィーノはその台車の横で腕を組み、寝不足を隠しきれない顔をしていた。もっとも、表情で言えばヨウランも似たような顔だ。目の下には隈があり、髪も少し跳ねている。それでも、2人の表情だけは妙に明るい。

 

「何だよ、また何か変なもん作ったのか?」

 

シンが警戒するように言った。

 

「変なもんとは失礼だな」

「前にもそう言ってなかったか?」

「今回は本当に有用だ」

 

ヴィーノが胸を張る。

 

「今回はって言ったわね」

 

ルナマリアが即座に突っ込んだ。

 

ヨウランは聞こえなかったふりをして、ヴィーノに合図を送る。同時にヴィーノはガラガラと台車――正確には台車に乗せられたセラを運んできた。

 

2人の指示なのだろう。セラはいつもなら絶対にやらない決めポーズをとっている。

 

「本日お披露目するのは、レギナント運用上の最大懸念だった神経接続系の信号漏れ、および遅延問題を大幅に改善するための新型補助ユニットだ」

「名前は?」

 

メイリンが聞く。

 

ヴィーノとヨウランは顔を見合わせた。そして、声を揃える。

 

「小判ちゃん4号!」

 

数秒、沈黙が落ちた。

 

シンが眉をひそめる。

 

「何でだよ!」

「そこは聞くな」

「じゃあ言うなよ!」

「名前は大事なんだよ!」

 

ヨウランは咳払いをした。

 

「正式名称は、レギナント用神経接続補助ウェア……けど正式名称だと長いし、愛着が湧かない」

「愛着がいる装備なの?」

「いるさ!」

 

ヴィーノが真顔で答えた。ルナマリアは頭を押さえる。

 

「嫌な予感しかしないんだけど」

「安心しろ。性能は本物だ」

 

ヨウランはそう言うと、セラの方を見た。

 

「じゃあ、セラ。頼む」

「はい」

 

セラは台車から降り、一歩前に出た。

 

次の瞬間、何のためらいもなくノーマルスーツの留め具に手をかける。

 

「ちょ、セラ!?」

「待ちなさい!」

 

メイリンとルナマリアの声が、同時に格納庫へ響いた。だが、止めるより早く、セラはノーマルスーツの上半身部分を脱ぎ下ろしていた。

 

シンは反射的に横を向いた。

 

「俺は見てない!」

「誰もまだ何も言ってないでしょ!」

 

ルナマリアが怒鳴る。

 

レイは最初から視線を外していた。アスランも、わずかに遅れて顔を背ける。その場の男子全員が、微妙に動揺した。

 

しかし、ノーマルスーツの下から現れたのは、黒いタイツ状の補助ウェアだった。メイリンが一瞬だけ胸を撫で下ろす。

 

「……あ、なんだ。ちゃんと下に着てるんだ」

 

その直後、ルナマリアの眉が跳ねた。

 

「いや待って。めちゃくちゃボディライン出てるんですけど!?」

 

ルナマリアの言う通り、セラはちゃんとタイツ状の補助ウェアを着込んでいる。着込んではいるが、体に密着した生地がセラの体型をほとんどそのまま再現していた。

 

「仕様上しかたないんだよ」

 

ヨウランが即答した。

 

次の瞬間、ルナマリアの足がヨウランの膝に入った。

 

「痛っ!?」

「説明の前に配慮を覚えなさいよ!」

「いや、技術的に必要な密着性で」

「言い訳する前に謝りなさい!」

 

メイリンは慌てて近くのタオルを取り、セラの肩からばさっと被せた。

 

「セラ、とりあえずこれ被って!」

「視認性が低下します」

「視認性を下げて!」

 

セラはタオルを被せられたまま、少しだけ首を傾げた。

 

「了解しました」

 

シンは横を向いたまま、ぼそっと言う。

 

「……何でこうなるんだよ」

「セラだからでしょ」

 

ルナマリアが疲れた声で返した。

 

ヴィーノは小さく手を上げる。

 

「ええと、説明を続けても?」

「変な方向に行ったら次は反対の膝よ」

 

ルナマリアの声に、ヨウランが膝を押さえたまま震えた。

 

ヴィーノは咳払いをして、補助ウェアを指した。

 

「今回はウェアタイプだ。背中の形に合わせて、受信回路が縫い込まれている」

「背中?」

 

メイリンがタオルの端を押さえながら聞く。

 

「そう。レギナントの神経接続系は、セラの背面側から拾う信号がかなり重要なんだ。ただ、外から拾おうとすると信号が散る。ノーマルスーツ越しだと精度も落ちる」

「だから、体にぴったりくっつく必要があるってこと?」

「そういうこと」

 

ヴィーノは頷いた。

 

「どんな体勢でも信号が拾えるように、接触面がずれない構造にしてある。背中側の受信回路が、常に神経信号の変化を拾えるようになってるんだ」

「ゼッケン型も考えたんだけどな」

 

ヨウランが膝を押さえながら口を挟む。

 

「背中だけ覆うやつ。でも、それだと上に着るものが限られるし、動いた時にずれる」

「それで、これになったわけね」

 

メイリンはセラにかけたタオルを直しながら言った。

 

「まあ、理屈は分かるけど」

「発表の仕方が最低なのよ」

 

ルナマリアが冷たく言う。

 

「いや、だから着用済みで出てきた方が説明が早いと思って」

「その判断が最低なのよ」

 

ヨウランは沈黙した。

 

セラはタオルを被ったまま、ヴィーノとヨウランを見ていた。その顔が、いつもより少し明るい。メイリンはそれに気づいた。

 

笑っているわけではない。表情が大きく変わっているわけでもない。でも、分かる。

 

セラは、ほんの少しだけ誇らしげだった。

 

まるで、あの時と同じだった。レギナントを紹介した時。自分の神経接続適性について、研究所で最高水準との評価を受けていると、淡々と口にした時。あの時のセラも、こんな顔をしていた。

 

それが嬉しいことなのかどうか、メイリンにはまだ分からない。

 

研究所で評価されたもの。セラが自分の価値として知っているもの。それを誇ることが、良いことなのかどうかも分からない。

 

でも、セラがほんの少しだけ明るい顔をしている。それを見たら、メイリンもつられて笑ってしまった。

 

「セラ、嬉しいの?」

「嬉しい」

 

セラは少しだけ考えるように言った。

 

「該当する可能性があります」

「そっか」

 

メイリンは笑った。

 

「なら、よかった」

 

セラはタオルの下で、黒い補助ウェアの背面を少しだけ示した。

 

「この装備は、私の神経接続適性を有効化します」

「うん」

「レギナントの運用効率が向上します」

「うん」

「私は、有用です」

 

その言葉に、メイリンの笑みが少しだけ止まった。

 

私は、有用です。

 

セラは当然のように言った。それは喜びに近い響きだった。

 

だからこそ、少しだけ胸が痛い。でも、今ここでその言葉を否定したら、セラの明るさまで否定してしまう気がした。

 

メイリンは、タオル越しにセラの肩を軽く押さえた。

 

「うん。すごく有用」

「はい」

 

セラは頷いた。その返事も、少しだけ誇らしげだった。

 

しばらく黙って説明を聞いていたレイが、そこで口を開いた。

 

「だが、それでは信号漏れの対策にはなっても、信号遅延そのものは解消しないのではないか」

 

空気が少し変わる。

 

レイの指摘は、いつも通り冷静だった。シンが視線を戻す。

 

「信号遅延?」

「レギナントの神経接続信号は複雑だ。全てを処理しようとすれば、どうしても時間がかかる」

 

レイはヴィーノたちを見る。

 

「密着性で受信精度が上がっても、処理量そのものが減らなければ遅延は残る」

 

ヴィーノとヨウランは顔を見合わせた。そして、同時に笑う。

 

「そこだよ」

「今回の本命は、むしろそこなんだ」

 

ヨウランは痛む膝を忘れたように、端末を操作した。

 

格納庫の小型モニターに、神経信号の模式図が表示される。複雑な波形。その横に、基準信号と差分信号という表示が出た。

 

「今までは、セラから拾った神経信号を全部そのまま処理しようとしてた。でも、それだとデータ量が多すぎる」

「全部読むから遅いんだよ」

 

ヴィーノが続ける。

 

「だから、まず基本になる神経信号を取る。姿勢、筋緊張、反応傾向、接続時の基準パターン。そういうのを最初にまとめて読む」

「それを基準値にするわけか」

 

アスランが言った。

 

「そうです」

 

ヨウランが頷く。

 

「次に、その基準から変化した部分だけを処理する。毎回全部を見るんじゃなくて、変わったところだけ拾う」

「差分処理か」

 

レイが呟く。

 

ヴィーノは嬉しそうに指を鳴らした。

 

「その通り。ただし、処理を続ければ続けるほど、差分のゴミが溜まる。信号の細かいズレ、姿勢変化、接触面の微妙な揺らぎ。そういうのが積み重なる」

「だから、一定周期で基準信号を取り直す」

 

ヨウランがモニターを切り替える。

 

基準取得、差分処理、誤差蓄積、そして基準再取得。その流れが簡略化された図で表示された。

 

「こうすれば、ノイズを抑えながら信号遅延を最小限にできる。完全にゼロにはならないけど、実戦運用上はかなり改善されるはずだ」

「あ……」

 

メイリンが声を上げた。

 

全員の視線が向く。メイリンはモニターを見たまま言った。

 

「画像処理技術?」

「ご名答」

 

ヴィーノが嬉しそうに笑った。

 

「動画とか画像の差分処理に近い。毎回全部描き直すんじゃなくて、変わった部分を見る」

「だから処理負荷が下がるんだ」

「そういうこと」

 

メイリンの目が少し輝いた。

 

「すごい。これなら、信号の取り直しタイミングを戦闘動作に合わせて調整できますね。急制動や高機動の直後に基準を取り直せば、誤差も抑えられる」

「その通り」

「でも、随分古い技術じゃない?」

「だからいいんだよ。枯れてて、速くて、壊れにくい」

「そっか」

 

ヨウランは満足げに頷いた。

 

「メイリンなら分かってくれると思ってた」

「分かるけど」

 

メイリンは冷たい目で言った。

 

「それと発表の仕方が最低だったことは別」

「はい」

 

ヨウランは素直に頷いた。

 

シンは腕を組んだままモニターを見る。

 

「つまり、セラの反応がもっとレギナントに伝わりやすくなるってことか?」

「簡単に言えばそう」

 

ヴィーノが答える。

 

「今までは、セラの信号を拾っても処理で詰まる部分があった。それがかなり減る」

「ドラグーン制御も?」

「改善するはずだ。特に同時展開時の細かい遅れが減る」

 

ルナマリアが息を吐いた。

 

「それ、かなり大きいじゃない」

「大きいどころじゃない」

 

ヴィーノは真顔になった。

 

「レギナントは元々、セラの神経接続適性に合わせて組まれてる。今まで制限されてた部分が抜ければ、かなり動く」

「かなり、で済むのか?」

 

アスランが静かに問う。

 

ヴィーノは一瞬だけ言葉を選んだ。

 

「正直、実戦でどこまで伸びるかは分かりません。でも、少なくとも信号漏れと遅延で抑え込まれていた分は戻ります」

 

レイがセラを見る。

 

「セラ。接続負荷は」

「許容範囲内です」

「即答か」

「はい」

 

セラはタオルを被ったまま、いつも通りに答えた。ただ、その声にはわずかな張りがある。

 

「小判ちゃん4号は、有用です」

「おお……!」

 

ヨウランとヴィーノが同時に震えた。

 

「聞いたか、ヴィーノ」

「ああ。小判ちゃん4号が認められた」

「名前を認めたわけじゃないでしょ」

 

ルナマリアが呆れる。メイリンも苦笑した。けれど、格納庫の空気は明るくなっていた。

 

戦場へ向かう艦の中。重い任務を抱えたまま、皆がそれぞれ不安を抱えている。

 

それでも、こうして馬鹿みたいな名前の装備に突っ込み、膝を蹴られ、説明に感心し、少しだけ笑う時間がある。

 

それは、ミネルバにとって必要な時間だった。

 

セラは、レギナントを見上げた。

 

黒い補助ウェア。背中に縫い込まれた受信回路。基準信号と差分処理。そして、再び動ける白い機体。

 

自分を縛っていた制約が、少しずつ外れていく。

 

それが何を意味するのか、セラはまだ感情としては理解していないのかもしれない。けれど、メイリンには分かった。

 

セラは今、自分が役に立つことを示されている。そして、そのことを誇らしいと思っている。

 

「セラ」

 

メイリンが呼ぶ。

 

「はい」

「小判ちゃん4号、よかったね」

「はい」

 

セラは頷いた。

 

「有用です」

 

その答えに、メイリンは笑った。今度は、胸の痛みだけではなかった。

 

セラが有用だからここにいるのではない。そう言いたい気持ちはある。

 

でも、今はそれだけでは足りない。

 

セラが自分の力を、ただ命令に従うためではなく、仲間と一緒に戦うためのものとして受け取れるなら。

 

それはきっと、悪いことではない。

 

格納庫の奥で、レギナントの白い装甲が静かに光を返していた。

 

セラを縛っていた制約は、完全になくなったわけではない。それでも、大きく緩んだ。

 

それはミネルバにとって、大きな力になる。

 

そして同時に。

 

セラ自身が、また少しだけ前へ進むためのものでもあった。

 

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