機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
ミネルバは、再び宇宙にいた。
プラント本国の光は、すでに艦尾の向こうへ遠ざかっている。艦内には、地上でも本国でもない、いつもの振動が戻っていた。
床を伝う微かな震え。空調の低い音。格納庫の奥から響く工具の音。
戦場へ向かう艦の音だった。けれど、その日の格納庫には、いつもの緊張とは少し違う空気があった。
「よし、集まったな!」
ヨウランが、妙に張り切った声を上げた。
格納庫の一角。レギナントの足元に近い作業スペースには、いつものメンバーが集められていた。そしてなぜか、セラはそのわきで台車に腰かけている。
さらにヴィーノはその台車の横で腕を組み、寝不足を隠しきれない顔をしていた。もっとも、表情で言えばヨウランも似たような顔だ。目の下には隈があり、髪も少し跳ねている。それでも、2人の表情だけは妙に明るい。
「何だよ、また何か変なもん作ったのか?」
シンが警戒するように言った。
「変なもんとは失礼だな」
「前にもそう言ってなかったか?」
「今回は本当に有用だ」
ヴィーノが胸を張る。
「今回はって言ったわね」
ルナマリアが即座に突っ込んだ。
ヨウランは聞こえなかったふりをして、ヴィーノに合図を送る。同時にヴィーノはガラガラと台車――正確には台車に乗せられたセラを運んできた。
2人の指示なのだろう。セラはいつもなら絶対にやらない決めポーズをとっている。
「本日お披露目するのは、レギナント運用上の最大懸念だった神経接続系の信号漏れ、および遅延問題を大幅に改善するための新型補助ユニットだ」
「名前は?」
メイリンが聞く。
ヴィーノとヨウランは顔を見合わせた。そして、声を揃える。
「小判ちゃん4号!」
数秒、沈黙が落ちた。
シンが眉をひそめる。
「何でだよ!」
「そこは聞くな」
「じゃあ言うなよ!」
「名前は大事なんだよ!」
ヨウランは咳払いをした。
「正式名称は、レギナント用神経接続補助ウェア……けど正式名称だと長いし、愛着が湧かない」
「愛着がいる装備なの?」
「いるさ!」
ヴィーノが真顔で答えた。ルナマリアは頭を押さえる。
「嫌な予感しかしないんだけど」
「安心しろ。性能は本物だ」
ヨウランはそう言うと、セラの方を見た。
「じゃあ、セラ。頼む」
「はい」
セラは台車から降り、一歩前に出た。
次の瞬間、何のためらいもなくノーマルスーツの留め具に手をかける。
「ちょ、セラ!?」
「待ちなさい!」
メイリンとルナマリアの声が、同時に格納庫へ響いた。だが、止めるより早く、セラはノーマルスーツの上半身部分を脱ぎ下ろしていた。
シンは反射的に横を向いた。
「俺は見てない!」
「誰もまだ何も言ってないでしょ!」
ルナマリアが怒鳴る。
レイは最初から視線を外していた。アスランも、わずかに遅れて顔を背ける。その場の男子全員が、微妙に動揺した。
しかし、ノーマルスーツの下から現れたのは、黒いタイツ状の補助ウェアだった。メイリンが一瞬だけ胸を撫で下ろす。
「……あ、なんだ。ちゃんと下に着てるんだ」
その直後、ルナマリアの眉が跳ねた。
「いや待って。めちゃくちゃボディライン出てるんですけど!?」
ルナマリアの言う通り、セラはちゃんとタイツ状の補助ウェアを着込んでいる。着込んではいるが、体に密着した生地がセラの体型をほとんどそのまま再現していた。
「仕様上しかたないんだよ」
ヨウランが即答した。
次の瞬間、ルナマリアの足がヨウランの膝に入った。
「痛っ!?」
「説明の前に配慮を覚えなさいよ!」
「いや、技術的に必要な密着性で」
「言い訳する前に謝りなさい!」
メイリンは慌てて近くのタオルを取り、セラの肩からばさっと被せた。
「セラ、とりあえずこれ被って!」
「視認性が低下します」
「視認性を下げて!」
セラはタオルを被せられたまま、少しだけ首を傾げた。
「了解しました」
シンは横を向いたまま、ぼそっと言う。
「……何でこうなるんだよ」
「セラだからでしょ」
ルナマリアが疲れた声で返した。
ヴィーノは小さく手を上げる。
「ええと、説明を続けても?」
「変な方向に行ったら次は反対の膝よ」
ルナマリアの声に、ヨウランが膝を押さえたまま震えた。
ヴィーノは咳払いをして、補助ウェアを指した。
「今回はウェアタイプだ。背中の形に合わせて、受信回路が縫い込まれている」
「背中?」
メイリンがタオルの端を押さえながら聞く。
「そう。レギナントの神経接続系は、セラの背面側から拾う信号がかなり重要なんだ。ただ、外から拾おうとすると信号が散る。ノーマルスーツ越しだと精度も落ちる」
「だから、体にぴったりくっつく必要があるってこと?」
「そういうこと」
ヴィーノは頷いた。
「どんな体勢でも信号が拾えるように、接触面がずれない構造にしてある。背中側の受信回路が、常に神経信号の変化を拾えるようになってるんだ」
「ゼッケン型も考えたんだけどな」
ヨウランが膝を押さえながら口を挟む。
「背中だけ覆うやつ。でも、それだと上に着るものが限られるし、動いた時にずれる」
「それで、これになったわけね」
メイリンはセラにかけたタオルを直しながら言った。
「まあ、理屈は分かるけど」
「発表の仕方が最低なのよ」
ルナマリアが冷たく言う。
「いや、だから着用済みで出てきた方が説明が早いと思って」
「その判断が最低なのよ」
ヨウランは沈黙した。
セラはタオルを被ったまま、ヴィーノとヨウランを見ていた。その顔が、いつもより少し明るい。メイリンはそれに気づいた。
笑っているわけではない。表情が大きく変わっているわけでもない。でも、分かる。
セラは、ほんの少しだけ誇らしげだった。
まるで、あの時と同じだった。レギナントを紹介した時。自分の神経接続適性について、研究所で最高水準との評価を受けていると、淡々と口にした時。あの時のセラも、こんな顔をしていた。
それが嬉しいことなのかどうか、メイリンにはまだ分からない。
研究所で評価されたもの。セラが自分の価値として知っているもの。それを誇ることが、良いことなのかどうかも分からない。
でも、セラがほんの少しだけ明るい顔をしている。それを見たら、メイリンもつられて笑ってしまった。
「セラ、嬉しいの?」
「嬉しい」
セラは少しだけ考えるように言った。
「該当する可能性があります」
「そっか」
メイリンは笑った。
「なら、よかった」
セラはタオルの下で、黒い補助ウェアの背面を少しだけ示した。
「この装備は、私の神経接続適性を有効化します」
「うん」
「レギナントの運用効率が向上します」
「うん」
「私は、有用です」
その言葉に、メイリンの笑みが少しだけ止まった。
私は、有用です。
セラは当然のように言った。それは喜びに近い響きだった。
だからこそ、少しだけ胸が痛い。でも、今ここでその言葉を否定したら、セラの明るさまで否定してしまう気がした。
メイリンは、タオル越しにセラの肩を軽く押さえた。
「うん。すごく有用」
「はい」
セラは頷いた。その返事も、少しだけ誇らしげだった。
しばらく黙って説明を聞いていたレイが、そこで口を開いた。
「だが、それでは信号漏れの対策にはなっても、信号遅延そのものは解消しないのではないか」
空気が少し変わる。
レイの指摘は、いつも通り冷静だった。シンが視線を戻す。
「信号遅延?」
「レギナントの神経接続信号は複雑だ。全てを処理しようとすれば、どうしても時間がかかる」
レイはヴィーノたちを見る。
「密着性で受信精度が上がっても、処理量そのものが減らなければ遅延は残る」
ヴィーノとヨウランは顔を見合わせた。そして、同時に笑う。
「そこだよ」
「今回の本命は、むしろそこなんだ」
ヨウランは痛む膝を忘れたように、端末を操作した。
格納庫の小型モニターに、神経信号の模式図が表示される。複雑な波形。その横に、基準信号と差分信号という表示が出た。
「今までは、セラから拾った神経信号を全部そのまま処理しようとしてた。でも、それだとデータ量が多すぎる」
「全部読むから遅いんだよ」
ヴィーノが続ける。
「だから、まず基本になる神経信号を取る。姿勢、筋緊張、反応傾向、接続時の基準パターン。そういうのを最初にまとめて読む」
「それを基準値にするわけか」
アスランが言った。
「そうです」
ヨウランが頷く。
「次に、その基準から変化した部分だけを処理する。毎回全部を見るんじゃなくて、変わったところだけ拾う」
「差分処理か」
レイが呟く。
ヴィーノは嬉しそうに指を鳴らした。
「その通り。ただし、処理を続ければ続けるほど、差分のゴミが溜まる。信号の細かいズレ、姿勢変化、接触面の微妙な揺らぎ。そういうのが積み重なる」
「だから、一定周期で基準信号を取り直す」
ヨウランがモニターを切り替える。
基準取得、差分処理、誤差蓄積、そして基準再取得。その流れが簡略化された図で表示された。
「こうすれば、ノイズを抑えながら信号遅延を最小限にできる。完全にゼロにはならないけど、実戦運用上はかなり改善されるはずだ」
「あ……」
メイリンが声を上げた。
全員の視線が向く。メイリンはモニターを見たまま言った。
「画像処理技術?」
「ご名答」
ヴィーノが嬉しそうに笑った。
「動画とか画像の差分処理に近い。毎回全部描き直すんじゃなくて、変わった部分を見る」
「だから処理負荷が下がるんだ」
「そういうこと」
メイリンの目が少し輝いた。
「すごい。これなら、信号の取り直しタイミングを戦闘動作に合わせて調整できますね。急制動や高機動の直後に基準を取り直せば、誤差も抑えられる」
「その通り」
「でも、随分古い技術じゃない?」
「だからいいんだよ。枯れてて、速くて、壊れにくい」
「そっか」
ヨウランは満足げに頷いた。
「メイリンなら分かってくれると思ってた」
「分かるけど」
メイリンは冷たい目で言った。
「それと発表の仕方が最低だったことは別」
「はい」
ヨウランは素直に頷いた。
シンは腕を組んだままモニターを見る。
「つまり、セラの反応がもっとレギナントに伝わりやすくなるってことか?」
「簡単に言えばそう」
ヴィーノが答える。
「今までは、セラの信号を拾っても処理で詰まる部分があった。それがかなり減る」
「ドラグーン制御も?」
「改善するはずだ。特に同時展開時の細かい遅れが減る」
ルナマリアが息を吐いた。
「それ、かなり大きいじゃない」
「大きいどころじゃない」
ヴィーノは真顔になった。
「レギナントは元々、セラの神経接続適性に合わせて組まれてる。今まで制限されてた部分が抜ければ、かなり動く」
「かなり、で済むのか?」
アスランが静かに問う。
ヴィーノは一瞬だけ言葉を選んだ。
「正直、実戦でどこまで伸びるかは分かりません。でも、少なくとも信号漏れと遅延で抑え込まれていた分は戻ります」
レイがセラを見る。
「セラ。接続負荷は」
「許容範囲内です」
「即答か」
「はい」
セラはタオルを被ったまま、いつも通りに答えた。ただ、その声にはわずかな張りがある。
「小判ちゃん4号は、有用です」
「おお……!」
ヨウランとヴィーノが同時に震えた。
「聞いたか、ヴィーノ」
「ああ。小判ちゃん4号が認められた」
「名前を認めたわけじゃないでしょ」
ルナマリアが呆れる。メイリンも苦笑した。けれど、格納庫の空気は明るくなっていた。
戦場へ向かう艦の中。重い任務を抱えたまま、皆がそれぞれ不安を抱えている。
それでも、こうして馬鹿みたいな名前の装備に突っ込み、膝を蹴られ、説明に感心し、少しだけ笑う時間がある。
それは、ミネルバにとって必要な時間だった。
セラは、レギナントを見上げた。
黒い補助ウェア。背中に縫い込まれた受信回路。基準信号と差分処理。そして、再び動ける白い機体。
自分を縛っていた制約が、少しずつ外れていく。
それが何を意味するのか、セラはまだ感情としては理解していないのかもしれない。けれど、メイリンには分かった。
セラは今、自分が役に立つことを示されている。そして、そのことを誇らしいと思っている。
「セラ」
メイリンが呼ぶ。
「はい」
「小判ちゃん4号、よかったね」
「はい」
セラは頷いた。
「有用です」
その答えに、メイリンは笑った。今度は、胸の痛みだけではなかった。
セラが有用だからここにいるのではない。そう言いたい気持ちはある。
でも、今はそれだけでは足りない。
セラが自分の力を、ただ命令に従うためではなく、仲間と一緒に戦うためのものとして受け取れるなら。
それはきっと、悪いことではない。
格納庫の奥で、レギナントの白い装甲が静かに光を返していた。
セラを縛っていた制約は、完全になくなったわけではない。それでも、大きく緩んだ。
それはミネルバにとって、大きな力になる。
そして同時に。
セラ自身が、また少しだけ前へ進むためのものでもあった。