機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
ミネルバの格納庫には、戦闘後の熱が残っていた。
帰投した機体の装甲には焦げ跡があり、関節部には細かな破片が噛んでいる。インパルスのシールドには新しい焼け跡が走り、ルナマリアのザクの肩部装甲にも浅い傷が残っていた。
それでも致命傷はない。
整備員たちは工具を抱えて走り、補給班は残弾と推進剤の確認に追われている。勝ったという空気はなかった。まだ誰も笑っていない。けれど沈みきってもいなかった。
守った。その事実だけが、格納庫の中に重く残っていた。
「インパルス、固定完了!」
「ザク、右肩装甲に損傷。交換までは不要!」
「セイバー、推進系チェック入ります!」
声が飛ぶ中で、メイリンは格納庫の入口に立っていた。通信席を離れて、ここまで走ってきた。息は少し上がっている。けれどメイリンの意識は、格納庫の奥へ向いていた。
レギナントが戻ってくる。
戦場で聞いたセラの声が、まだ耳に残っていた。
『……はっ……ミネルバ進路、維持可能』
いつもの声だった。淡々としていた。けれど、その後ろに短い息が混じっていた。
セラは大丈夫だと言った。小判ちゃん4号も、レギナントも正常だと言った。でも、メイリンには分かった。あれは、いつものセラの声ではなかった。
「レギナント、帰投進路に入りました!」
整備員の声が上がる。
格納庫の奥で誘導灯が灯った。白い機体が、ゆっくりと艦内へ入ってくる。大型スカート装甲の縁が作業灯を受け、ドラグーンラックの影が床へ伸びた。
レギナントは目立つ損傷を負っていない。火線の中を泳ぎ、敵MS群の進路を縛り、ミネルバの進路を開いた機体とは思えないほど、白い外装は静かだった。
「固定アーム、接続」
「ロック確認」
「コックピット開放いけます」
メイリンは無意識に手を握った。
ハッチが開く。中からセラが姿を見せた。
ノーマルスーツのまま、シートから身体を起こす。動きは遅い。普段よりほんの少し、肩の上下が大きい。
それだけだった。
崩れ落ちるわけではない。震えてもいない。目も合う。
セラはハッチの縁に手をかけ、短く息を吸った。
「帰投しました」
第一声がそれだった。
シンが肩の力を抜く。
「……最初にそれかよ」
「報告としては正しいわね」
ルナマリアはそう言ってから、額に手を当てた。
「でも、もう少し他にあるでしょ」
メイリンは何も言えなかった。
安心した。無事だった。ちゃんと立っている。そのはずなのに、胸の奥がまだ落ち着かない。
セラはハッチから降りようとする。その足が、床に着く直前で少しだけ止まった。
ほんの一瞬。見逃せる程度の間。
それでも、シンは動いていた。
「おい」
インパルスから降りたばかりのシンが、下から手を伸ばす。
セラはその手を見た。
「補助は不要です」
「いいから掴め」
「歩行可能です」
「可能でも掴めって」
セラはそれ以上は言わなかった。シンの手を取る。
足が床に着く。姿勢は崩れない。ただ、セラはもう一度短く息を吸った。
メイリンが駆け寄る。
「セラ」
「メイリン」
セラは顔を向けた。
「息、まだ上がってる」
「一時的なものです」
「それは大丈夫って意味じゃないよ」
セラはすぐには答えなかった。言葉を探しているのではない。自分の状態と、メイリンの声を照合しているようだった。
そこへ医療班が駆け込んでくる。
「セラ、検査へ」
「戦闘報告が未完了です」
「検査が先です」
「報告は短時間で完了します」
「検査も短時間で終わらせます」
医療班は慣れていた。言い合いではなく、手順としてセラの前に立つ。
ヨウランとヴィーノも、端末を抱えて近づいてきた。2人とも顔色は悪い。徹夜明けのまま戦闘に入ったせいで、目の下の隈がさらに濃くなっている。
「4号のログは取れてる」
「接続遅延はほぼなし。信号漏れも許容範囲内。俺たちの勝ちだな」
ヴィーノはそう言ってから、すぐにセラを見た。
「で、お前は座れ」
「報告が」
「座って報告しろ」
ヨウランが折りたたみ式の簡易椅子を引っ張ってくる。
セラは椅子を見た後、そのまま腰を下ろした。抵抗しなかった。
それだけで、メイリンはようやく息を吐けた。
ルナマリアがセラの肩を軽く押さえる。
「疲れてるんでしょ」
「疲労はあります」
「なら、最初からそう言いなさい」
「作戦行動に支障はありませんでした」
「そこじゃないのよ」
ルナマリアは呆れたように言ったが、その声は強くなかった。
近くの整備員が、工具箱を抱えたまま小声で言う。
「座らされてる」
「いや、座ってくれただけでだいぶ安心だろ」
「確かに」
その会話はすぐに工具音へ紛れた。
シンは椅子に座ったセラを見て、少しだけ笑った。
「とりあえず帰ってきたな」
「はい」
「帰投しました」
「そういう意味じゃ……まあ、いいか」
シンはそれ以上言わなかった。
アスランが近づいてくる。
「セラ、戦闘中に範囲を広げすぎた」
「はい」
「レイの指示を受けてからは絞ったな」
「はい。処理量が低下しました」
「負担も下がったはずだ」
「下がりました」
レイは端末の表示を見ていた。
「呼吸が乱れたのは、機体ではなく操縦側の処理過多だ」
「同意します」
「次は最初から範囲を決める」
「了解しました」
あっさりとした返答だった。
以前のセラなら、効率だけを理由に範囲拡張を続けたかもしれない。だが今は違う。戦場でアスランとシンに役割を渡した後、レギナントの動きは安定した。セラ自身も、それを認識している。
ヴィーノが端末をセラの前に出した。
「小判ちゃん4号の評価はどうだ」
「有用でした」
ヨウランの顔が少しだけ明るくなる。
「だろ?」
「接続遅延は軽微。レギナントの応答も安定。通常運用より広い戦域に対応可能でした」
「聞いたかヴィーノ」
「聞いた。今の録音しとけばよかった」
ヴィーノが少しだけ笑う。
ルナマリアは腕を組んだ。
「装備の評価は分かったわ」
「はい」
「次は自分の状態」
「疲労があります。呼吸の乱れは処理範囲拡張時に発生。制御範囲限定後は低下しました」
「うん。報告としては合ってる」
ルナマリアはそこで、少しだけ目を細める。
「でも次からは、無理したら報告。いい?」
「了解しました」
「メイリンに心配かけたら、あとで私も怒るから」
「了解しました」
素直な返事だった。
メイリンは、その素直さにかえって胸が詰まった。
セラは善意を、たぶん善意として受け取ってはいない。
医療班の検査も、シンの手も、ルナマリアの叱り方も、メイリンの心配も。きっとセラの中では、保護、効率、安全確認、行動修正として処理されている。
それでも拒まない。言われれば座る。手を取る。検査へ行く。次から報告すると答える。
意図を汲んでいるのだ。感情の名前を知らないだけで。
「セラ」
メイリンはようやく口を開いた。
セラは顔を向ける。
「はい」
「小判ちゃん4号が有用だったのは分かったよ。レギナントが応えてくれたのも分かった」
セラは頷く。
「はい」
メイリンは一度だけ視線を落とした。
戦場で、セラの息が切れていた。あの声を聞いた時、心臓が冷えた。
それでもセラは帰ってきた。自分で判断し、仲間の声を聞き、範囲を絞り、帰投した。
倒れてはいない。壊れてもいない。けれど、無理をしたことは確かだった。
「セラは、役に立ったよ」
メイリンは言った。
セラの目がわずかに動く。
「私は、有用でしたか」
それは確認だった。
いつもの報告とは少し違う。自分の中で処理しきれなかった一点だけを、セラは口にした。
「うん。有用だった」
メイリンはそこで止めなかった。
「でも、それだけじゃない」
セラは黙っている。
「セラが帰ってきたことも大事。無事だったことも大事。ちゃんと私の声を聞いてくれたことも、大事」
格納庫の音が少し遠くなった気がした。
補給班の台車が通路を横切り、整備員が避ける。誰かがレギナントの足元で部品番号を読み上げている。その中で、セラだけが静かにメイリンを見ていた。
すぐに答えは返らない。
セラは黙って考えている。
ルナマリアが小さく息を吐いた。
「メイリンを心配させたらだめでしょ」
「心配させました」
「したわね」
「次回は、心配させないよう制御範囲を限定します」
「うん、方向性は合ってる。たぶん」
シンがこらえきれずに笑った。
「たぶんかよ」
「だってこの子、戦闘より難しい顔してるもの」
セラはルナマリアを見た。
「このミッションの難易度は高いです」
その場の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
メイリンも笑ってしまった。涙ではない。怒りでもない。ただ、胸の奥に残っていた怖さが少しだけほどける。
「そうだね。かなり難しいよ、セラ」
「覚えます」
セラは淡々と答えた。
その返事はいつも通りだった。けれどメイリンには、少しだけ違って聞こえた。
セラは今、戦闘ではないものを覚えようとしている。
敵の位置でもない。射線でもない。装備評価でもない。
誰かが心配すること。帰ってくることを待っている人がいること。無事であることに価値があるということ。
まだ正しくは分からないのかもしれない。
でも、知らないままではない。
医療班が腕を組んだ。
「では、覚えたところで検査へ」
「了解しました」
今度は、セラは報告を理由に止まらなかった。
ヴィーノが端末を持ち上げる。
「詳細ログはこっちで先にまとめる」
「小判ちゃん4号の主観評価は」
「検査後に聞く」
「了解しました」
ヨウランが小さく肩を落とす。
「今の素直さ、さっきも欲しかったな」
「贅沢言うな。座っただけでも進歩だ」
シンがセラの前に立つ。
「歩けるか」
「歩行可能です」
「じゃあ医務室まで行くぞ。途中で止まるなよ」
「停止予定はありません」
メイリンは横に並んだ。
「私も行く」
「はい」
セラは短く答えた。理由は聞かなかった。
メイリンが行くと言った。だから、それを受け入れた。
数歩進んだところで、セラは一度だけ足を止めた。
メイリンが隣を見る。
「どうしたの」
「メイリン」
「うん」
セラは少しだけ視線を落とし、またメイリンを見た。
「私は、帰投しました」
「うん」
メイリンは今度こそ、ちゃんと答えられた。
「おかえり、セラ」
セラは小さく頷いた。
「はい」
その声は短く、いつもと変わらない。
けれど格納庫にいた誰もが、その返事を戦闘報告とは受け取らなかった。