機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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64.セラの価値

ミネルバの格納庫には、戦闘後の熱が残っていた。

 

帰投した機体の装甲には焦げ跡があり、関節部には細かな破片が噛んでいる。インパルスのシールドには新しい焼け跡が走り、ルナマリアのザクの肩部装甲にも浅い傷が残っていた。

 

それでも致命傷はない。

 

整備員たちは工具を抱えて走り、補給班は残弾と推進剤の確認に追われている。勝ったという空気はなかった。まだ誰も笑っていない。けれど沈みきってもいなかった。

 

守った。その事実だけが、格納庫の中に重く残っていた。

 

「インパルス、固定完了!」

「ザク、右肩装甲に損傷。交換までは不要!」

「セイバー、推進系チェック入ります!」

 

声が飛ぶ中で、メイリンは格納庫の入口に立っていた。通信席を離れて、ここまで走ってきた。息は少し上がっている。けれどメイリンの意識は、格納庫の奥へ向いていた。

 

レギナントが戻ってくる。

 

戦場で聞いたセラの声が、まだ耳に残っていた。

 

『……はっ……ミネルバ進路、維持可能』

 

いつもの声だった。淡々としていた。けれど、その後ろに短い息が混じっていた。

 

セラは大丈夫だと言った。小判ちゃん4号も、レギナントも正常だと言った。でも、メイリンには分かった。あれは、いつものセラの声ではなかった。

 

「レギナント、帰投進路に入りました!」

 

整備員の声が上がる。

 

格納庫の奥で誘導灯が灯った。白い機体が、ゆっくりと艦内へ入ってくる。大型スカート装甲の縁が作業灯を受け、ドラグーンラックの影が床へ伸びた。

 

レギナントは目立つ損傷を負っていない。火線の中を泳ぎ、敵MS群の進路を縛り、ミネルバの進路を開いた機体とは思えないほど、白い外装は静かだった。

 

「固定アーム、接続」

「ロック確認」

「コックピット開放いけます」

 

メイリンは無意識に手を握った。

 

ハッチが開く。中からセラが姿を見せた。

 

ノーマルスーツのまま、シートから身体を起こす。動きは遅い。普段よりほんの少し、肩の上下が大きい。

 

それだけだった。

 

崩れ落ちるわけではない。震えてもいない。目も合う。

 

セラはハッチの縁に手をかけ、短く息を吸った。

 

「帰投しました」

 

第一声がそれだった。

 

シンが肩の力を抜く。

 

「……最初にそれかよ」

「報告としては正しいわね」

 

ルナマリアはそう言ってから、額に手を当てた。

 

「でも、もう少し他にあるでしょ」

 

メイリンは何も言えなかった。

 

安心した。無事だった。ちゃんと立っている。そのはずなのに、胸の奥がまだ落ち着かない。

 

セラはハッチから降りようとする。その足が、床に着く直前で少しだけ止まった。

 

ほんの一瞬。見逃せる程度の間。

 

それでも、シンは動いていた。

 

「おい」

 

インパルスから降りたばかりのシンが、下から手を伸ばす。

 

セラはその手を見た。

 

「補助は不要です」

「いいから掴め」

「歩行可能です」

「可能でも掴めって」

 

セラはそれ以上は言わなかった。シンの手を取る。

 

足が床に着く。姿勢は崩れない。ただ、セラはもう一度短く息を吸った。

 

メイリンが駆け寄る。

 

「セラ」

「メイリン」

 

セラは顔を向けた。

 

「息、まだ上がってる」

「一時的なものです」

「それは大丈夫って意味じゃないよ」

 

セラはすぐには答えなかった。言葉を探しているのではない。自分の状態と、メイリンの声を照合しているようだった。

 

そこへ医療班が駆け込んでくる。

 

「セラ、検査へ」

「戦闘報告が未完了です」

「検査が先です」

「報告は短時間で完了します」

「検査も短時間で終わらせます」

 

医療班は慣れていた。言い合いではなく、手順としてセラの前に立つ。

 

ヨウランとヴィーノも、端末を抱えて近づいてきた。2人とも顔色は悪い。徹夜明けのまま戦闘に入ったせいで、目の下の隈がさらに濃くなっている。

 

「4号のログは取れてる」

「接続遅延はほぼなし。信号漏れも許容範囲内。俺たちの勝ちだな」

 

ヴィーノはそう言ってから、すぐにセラを見た。

 

「で、お前は座れ」

「報告が」

「座って報告しろ」

 

ヨウランが折りたたみ式の簡易椅子を引っ張ってくる。

 

セラは椅子を見た後、そのまま腰を下ろした。抵抗しなかった。

 

それだけで、メイリンはようやく息を吐けた。

 

ルナマリアがセラの肩を軽く押さえる。

 

「疲れてるんでしょ」

「疲労はあります」

「なら、最初からそう言いなさい」

「作戦行動に支障はありませんでした」

「そこじゃないのよ」

 

ルナマリアは呆れたように言ったが、その声は強くなかった。

 

近くの整備員が、工具箱を抱えたまま小声で言う。

 

「座らされてる」

「いや、座ってくれただけでだいぶ安心だろ」

「確かに」

 

その会話はすぐに工具音へ紛れた。

 

シンは椅子に座ったセラを見て、少しだけ笑った。

 

「とりあえず帰ってきたな」

「はい」

「帰投しました」

「そういう意味じゃ……まあ、いいか」

 

シンはそれ以上言わなかった。

 

アスランが近づいてくる。

 

「セラ、戦闘中に範囲を広げすぎた」

「はい」

「レイの指示を受けてからは絞ったな」

「はい。処理量が低下しました」

「負担も下がったはずだ」

「下がりました」

 

レイは端末の表示を見ていた。

 

「呼吸が乱れたのは、機体ではなく操縦側の処理過多だ」

「同意します」

「次は最初から範囲を決める」

「了解しました」

 

あっさりとした返答だった。

 

以前のセラなら、効率だけを理由に範囲拡張を続けたかもしれない。だが今は違う。戦場でアスランとシンに役割を渡した後、レギナントの動きは安定した。セラ自身も、それを認識している。

 

ヴィーノが端末をセラの前に出した。

 

「小判ちゃん4号の評価はどうだ」

「有用でした」

 

ヨウランの顔が少しだけ明るくなる。

 

「だろ?」

「接続遅延は軽微。レギナントの応答も安定。通常運用より広い戦域に対応可能でした」

「聞いたかヴィーノ」

「聞いた。今の録音しとけばよかった」

 

ヴィーノが少しだけ笑う。

 

ルナマリアは腕を組んだ。

 

「装備の評価は分かったわ」

「はい」

「次は自分の状態」

「疲労があります。呼吸の乱れは処理範囲拡張時に発生。制御範囲限定後は低下しました」

「うん。報告としては合ってる」

 

ルナマリアはそこで、少しだけ目を細める。

 

「でも次からは、無理したら報告。いい?」

「了解しました」

「メイリンに心配かけたら、あとで私も怒るから」

「了解しました」

 

素直な返事だった。

 

メイリンは、その素直さにかえって胸が詰まった。

 

セラは善意を、たぶん善意として受け取ってはいない。

 

医療班の検査も、シンの手も、ルナマリアの叱り方も、メイリンの心配も。きっとセラの中では、保護、効率、安全確認、行動修正として処理されている。

 

それでも拒まない。言われれば座る。手を取る。検査へ行く。次から報告すると答える。

 

意図を汲んでいるのだ。感情の名前を知らないだけで。

 

「セラ」

 

メイリンはようやく口を開いた。

 

セラは顔を向ける。

 

「はい」

「小判ちゃん4号が有用だったのは分かったよ。レギナントが応えてくれたのも分かった」

 

セラは頷く。

 

「はい」

 

メイリンは一度だけ視線を落とした。

 

戦場で、セラの息が切れていた。あの声を聞いた時、心臓が冷えた。

 

それでもセラは帰ってきた。自分で判断し、仲間の声を聞き、範囲を絞り、帰投した。

 

倒れてはいない。壊れてもいない。けれど、無理をしたことは確かだった。

 

「セラは、役に立ったよ」

 

メイリンは言った。

 

セラの目がわずかに動く。

 

「私は、有用でしたか」

 

それは確認だった。

 

いつもの報告とは少し違う。自分の中で処理しきれなかった一点だけを、セラは口にした。

 

「うん。有用だった」

 

メイリンはそこで止めなかった。

 

「でも、それだけじゃない」

 

セラは黙っている。

 

「セラが帰ってきたことも大事。無事だったことも大事。ちゃんと私の声を聞いてくれたことも、大事」

 

格納庫の音が少し遠くなった気がした。

 

補給班の台車が通路を横切り、整備員が避ける。誰かがレギナントの足元で部品番号を読み上げている。その中で、セラだけが静かにメイリンを見ていた。

 

すぐに答えは返らない。

 

セラは黙って考えている。

 

ルナマリアが小さく息を吐いた。

 

「メイリンを心配させたらだめでしょ」

「心配させました」

「したわね」

「次回は、心配させないよう制御範囲を限定します」

「うん、方向性は合ってる。たぶん」

 

シンがこらえきれずに笑った。

 

「たぶんかよ」

「だってこの子、戦闘より難しい顔してるもの」

 

セラはルナマリアを見た。

 

「このミッションの難易度は高いです」

 

その場の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。

 

メイリンも笑ってしまった。涙ではない。怒りでもない。ただ、胸の奥に残っていた怖さが少しだけほどける。

 

「そうだね。かなり難しいよ、セラ」

「覚えます」

 

セラは淡々と答えた。

 

その返事はいつも通りだった。けれどメイリンには、少しだけ違って聞こえた。

 

セラは今、戦闘ではないものを覚えようとしている。

 

敵の位置でもない。射線でもない。装備評価でもない。

 

誰かが心配すること。帰ってくることを待っている人がいること。無事であることに価値があるということ。

 

まだ正しくは分からないのかもしれない。

 

でも、知らないままではない。

 

医療班が腕を組んだ。

 

「では、覚えたところで検査へ」

「了解しました」

 

今度は、セラは報告を理由に止まらなかった。

 

ヴィーノが端末を持ち上げる。

 

「詳細ログはこっちで先にまとめる」

「小判ちゃん4号の主観評価は」

「検査後に聞く」

「了解しました」

 

ヨウランが小さく肩を落とす。

 

「今の素直さ、さっきも欲しかったな」

「贅沢言うな。座っただけでも進歩だ」

 

シンがセラの前に立つ。

 

「歩けるか」

「歩行可能です」

「じゃあ医務室まで行くぞ。途中で止まるなよ」

「停止予定はありません」

 

メイリンは横に並んだ。

 

「私も行く」

「はい」

 

セラは短く答えた。理由は聞かなかった。

 

メイリンが行くと言った。だから、それを受け入れた。

 

数歩進んだところで、セラは一度だけ足を止めた。

 

メイリンが隣を見る。

 

「どうしたの」

「メイリン」

「うん」

 

セラは少しだけ視線を落とし、またメイリンを見た。

 

「私は、帰投しました」

「うん」

 

メイリンは今度こそ、ちゃんと答えられた。

 

「おかえり、セラ」

 

セラは小さく頷いた。

 

「はい」

 

その声は短く、いつもと変わらない。

 

けれど格納庫にいた誰もが、その返事を戦闘報告とは受け取らなかった。

 

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