機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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65.守護られた日常

中継コロニーは、落ちなかった。

 

港湾ブロックの外壁には応急封鎖の黄色い表示が残り、外縁区画へ続く通路では自動清掃ロボットが割れた案内板の破片を集めていた。商業区の天井照明も、場所によっては半分ほど落ちたままだ。

 

それでも、街は動き始めている。

 

閉まっていたシャッターが軋みながら上がる。店主が曲がった看板を手で叩いて直そうとし、補修班の女性が壁面の亀裂へ赤いマーキングを入れていた。

 

「そこ、まだ通行制限です」

「店だけでも開けたいんだよ。客は入れないから」

「なら入口にロープ張ってください。検査が終わるまで中には入れません」

 

復旧班の声が、通路に響く。

 

近くでは、避難所帰りらしい母親が幼い少女の手を引いていた。少女は遠くの窓の外を見上げ、停泊する艦影を指さす。

 

「あれ、ミネルバ?」

「そうよ」

「まだいてくれるの?」

「今はいてくれるわ」

 

ミネルバと友軍艦隊の介入によって、コロニーは窮地を脱した。敵艦隊は後退し、防衛隊は戦線を立て直した。

 

だが、安全が完全に戻ったわけではない。

 

広域レーダーを使わずとも、超高感度レーザー望遠鏡なら遠方にまだ敵艦隊の影を捉えられる。距離はある。すぐに再攻撃できる位置ではない。けれど、完全に離脱したとも言えなかった。

 

そのためミネルバと友軍艦隊は、一時的にコロニー周辺へ留まることになった。

 

防衛網の再構築。補給と修理。市民区画の安全確認。敵艦隊の再接近に備えた警戒。

 

表向きには、まだ戦闘後処理の時間だった。

 

けれどミネルバの格納庫では、別の予定が動き始めていた。

 

---

 

『非番乗員に限り、中継コロニー商業区指定範囲内での外出を許可。行動時間は2時間以内。緊急招集時は直ちに帰艦すること』

 

艦内放送が流れると、格納庫の整備員たちが工具の手を止めずに耳だけを向けた。

 

「2時間か」

「飯食って土産見るくらいはできるな」

「商業区、もう開いてるのか?」

「一部だけだってよ。補給班の若いのが、菓子の袋抱えて戻ってきた」

「こういう時だけ行動が速いな」

 

工具音の間に、軽口が混じる。

 

その横で、レギナントは整備アームに固定されていた。

 

白い機体には目立つ損傷がない。ただし周囲の端末には、戦闘ログが並んでいる。ドラグーン制御。神経接続補助ウェアの負荷。機体応答。戦域拡張と、その後の制御範囲限定。

 

ヴィーノが端末を覗き込み、隣のヨウランに声を落とした。

 

「4号、壊れてないな」

「壊れてたら俺たちがルナマリアに壊される」

「笑えない」

「だから真顔で言ってる」

 

2人は同時にレギナントを見上げた。

 

そのコクピットには、セラがいた。

 

寝ているわけではない。ハッチを開けたまま、シートに座って戦闘ログを読んでいる。膝の上の端末には、敵機の接近線とミネルバの進路、ドラグーンの射線が何度も再生されていた。

 

ミネルバの生活には慣れてきた。

 

食堂にも来る。個室も使う。メイリンやルナマリアに誘われれば、短時間なら休憩スペースにも顔を出す。

 

それでも気づくと、セラはレギナントの中に戻っていた。

 

格納庫の入口に、メイリンが立った。

 

「やっぱりここか」

「予想通りね」

 

隣でルナマリアが腕を組む。

 

その後ろには、シン、レイ、アスランがいた。

 

「で、何で俺までいるんだよ」

「荷物持ち」

「少しは隠せよ」

「必要人員よ」

 

ルナマリアは悪びれない。

 

レイは格納庫の出入口と作業中の整備員を確認し、アスランは手元の許可証データを見ていた。

 

「外出可能範囲は商業区の第1、第2ブロック。公園区画は警備確認済み。港湾側と外縁連絡路は立入禁止だ」

「買い物行くだけだろ」

「その買い物に、身元を秘匿する必要のある子を連れて行くのよ」

 

シンは言葉を飲み込んだ。

 

メイリンはレギナントを見上げる。

 

「セラ」

「はい」

「降りてきて」

「了解しました」

 

セラは端末を閉じた。戦闘ログの表示が消え、コクピット内の薄い光も落ちる。

 

ハッチの縁に手をかけ、セラは迷いなく床へ降りた。シンが反射的に手を出しかけるが、その前にセラの足が格納庫の床を踏む。

 

「補助は不要です」

「まだ何も言ってないだろ」

「手の位置から推測しました」

「そういうところだよな……」

 

メイリンは苦笑しながら、セラの前に立った。

 

「今日は商業区に行こうと思って」

「商業区」

「うん。買い物と、映画。あと公園も少し」

 

セラは少し黙った。

 

「目的は休息ですか」

「そう。気分転換も兼ねて」

「休息であれば、レギナント内または個室での待機が効率的です」

「うん、セラならそう言うと思った」

 

ルナマリアがメイリンの横へ出る。

 

「でも今回は、休息方法の変更よ」

「休息方法の変更」

「ずっと同じ場所で休むだけが休息じゃないの。違う景色を見る。人の流れを見る。店を見る。そういうのも休むうち」

「外部刺激の増加は、休息効率を低下させる可能性があります」

「だから検証するのよ」

 

ルナマリアはさらりと言った。

 

「商業区での休息効果検証。ついでに市街地での識別回避訓練。帽子と化粧でどこまで印象を変えられるかも確認する」

「複合目的行動」

「そう。複合目的行動」

 

セラは少し考えた。

 

「合理性あり」

「よし、勝った」

 

ルナマリアが小さく拳を握る。

 

シンが半眼になる。

 

「今の、買い物に行きたいだけだろ」

「黙って荷物持ちしてなさい」

「やっぱり俺、荷物持ちかよ」

「必要人員です」

 

セラが淡々と告げた。

 

シンは肩を落とす。

 

「お前が言うと、本当に作戦になるんだよな……」

 

ヴィーノが遠くから声をかける。

 

「おーい、セラ。4号のログは戻ったら確認な」

「今確認中でした」

「戻ったらでいい。俺たちも今から少し寝る」

「睡眠は必要です」

「お前が言うと説得力あるような、ないような」

 

ヨウランが疲れた顔で手を振る。

 

「商業区行くなら、変なもの買わされるなよ」

「変なものの定義は」

「ルナマリアが笑顔で勧めてくるやつ」

「ヨウラン?」

 

ルナマリアの声に、ヨウランは即座に端末へ視線を戻した。

 

「作業に戻ります」

 

格納庫の整備員たちが小さく笑う。

 

セラはメイリンを見た。

 

「識別回避訓練を開始します」

「うん。まずは準備からね」

 

---

 

変装準備は、レギナント整備区画の横にある小さな休憩室で行われた。

 

本来は整備員が簡単な食事や仮眠に使う部屋だ。壁際には古いソファがあり、棚には紙コップと粉末飲料の袋が並んでいる。

 

そこに、メイリンが化粧ポーチを広げた。

 

「セラ、こっち座って」

「了解しました」

 

セラは椅子に座る。

 

シンは入口近くで腕を組み、居心地悪そうにしていた。アスランは扉のそばに立ち、外の通路を確認している。レイは壁際で、手元の端末に外出許可範囲を表示していた。

 

ルナマリアは完全に監督の顔だった。

 

「まず帽子ね。髪は少しまとめた方がいいわ」

「髪型変更」

「そう。輪郭を変えるの」

「顔貌印象の調整」

「そうそう、それ」

 

メイリンは笑いながら、セラの髪を軽くまとめた。薄い色の帽子を被せ、前髪の位置を少し整える。それだけで、ラクスに似た印象は少し遠のいた。

 

次に、メイリンは化粧を始めた。

 

「目は閉じて」

「了解」

「動かないでね」

「動作停止」

「そこまでしなくていいよ」

 

ルナマリアが横から口を出す。

 

「色は薄め。派手にすると逆に目立つわ」

「うん。肌色を少し変えて、目元の印象を柔らかくする」

「あと口元。ラクス様っぽさが出やすいから」

 

シンがつい覗き込もうとして、ルナマリアに睨まれた。

 

「何」

「いや、どれくらい変わるのかと思って」

「完成してから見なさい」

「分かったよ」

 

休憩室の前を、若い女性整備員が通りかかった。紙コップを手にしていたが、中の様子に気づいて足を止める。

 

「え、待って。かわいいことしてる」

「休憩しに来たんじゃないのか」

「してる。でもこれは見るでしょ」

「怒られるぞ」

「怒られる前に一瞬だけ。……あ、やっぱりかわいい」

 

メイリンは最後に、セラの頬へ薄く色を乗せた。

 

「できた」

 

セラが顔を上げる。

 

その場にいた5人の声が、ほとんど同時に漏れた。

 

「おお~」

 

セラは首を傾げる。

 

「評価が不明です」

「かなり成功」

「成功」

「うん。ぱっと見なら分からないと思う」

 

帽子と化粧で、印象は確かに変わっていた。完全な別人ではない。だが、ラクス・クラインの面影は柔らかく崩れ、軍艦にいる正体不明の少女ではなく、少し整った一般の少女に見える。

 

シンが何気なく言った。

 

「これならばれないだろ。なんなら本人よりきれいじゃないか」

 

メイリンとルナマリアの表情が、同時に微妙なものになる。

 

「シン」

「今のは、いろいろ危ない」

「え、何が」

「全部」

 

シンは本気で分かっていない顔をしている。

 

その横で、アスランだけが静かにシンを見ていた。

 

怒鳴るわけではない。責める言葉もない。ただ、普段より少しだけ硬い目だった。

 

シンは気づかない。

 

「いや、似てないって意味じゃなくてさ」

 

なおも言い訳を続けようとするシンの後ろで、メイリンが小さく息を止める。ルナマリアも、アスランの視線に気づいて口を閉じた。

 

レイだけが、淡々と告げる。

 

「シン。その話題は切れ」

「え?」

「切れ」

 

シンはようやく周囲の空気を察し、口を閉じた。

 

セラは首を傾げる。

 

「発言に問題がありましたか」

「今のは、後で説明するね」

 

メイリンが苦笑しながら、帽子の位置を直した。

 

ルナマリアが手を叩く。

 

「はい、この話はここまで。外ではラクス様の話題は禁止。セラも、本人確認みたいな返事はしないこと」

「了解しました」

「シンも余計なこと言わない」

「俺だけ扱い重くないか?」

「当然でしょ」

 

休憩室の外で、さっきの女性整備員が紙コップを両手で抱えたまま小さく笑った。

 

「大変そう」

「戻るぞ」

「はいはい。かわいかったなあ」

 

その声を背に、一行は商業区へ向かった。

 

---

 

商業区は、思っていたよりも賑わっていた。

 

完全に元通りではない。開いている店は全体の半分ほどで、通路の端には復旧用の資材が積まれている。壁面表示の一部は仮設パネルに差し替えられ、天井の案内灯もところどころ点滅していた。

 

それでも、人はいた。

 

店の前で看板を拭く女店主。警備兵に通行証を見せる親子。営業再開の札を貼る若い店員。復旧作業員が、飲み物を手に壁際で息をついている。

 

「本当に開いてるんだな」

 

シンが呟く。

 

「昨日まで避難していた区画とは思えない」

「だから開けるのよ」

 

ルナマリアが言う。

 

「ずっと閉じてたら、不安がそのまま残るでしょ」

 

セラは通路を見ていた。

 

敵影もない。警報もない。けれど、歩く人々の肩にはまだ硬さが残っている。

 

商業区の広場へ続く通路で、少年がザフト兵の制服を見て目を輝かせた。

 

「ミネルバの人?」

「違う部隊かもしれないだろ」

「でも、あの艦の人たちが守ったんだって」

「俺、砲撃見た」

「見えるわけないだろ、避難所にいたんだから」

「音は聞いたし!」

 

その横で、年配の女性が小さく頭を下げた。

 

「ご苦労さまです」

 

アスランが短く会釈する。シンは少しだけ背筋を正した。

 

セラは、そのやり取りを黙って見ていた。

 

最初の目的地は、コスメ売り場だった。

 

店は営業を再開したばかりで、棚の一部には欠品の札がある。それでも店内には客がいた。小さな鏡の前で色を試す女性客。母親に連れられた少女。復旧作業の腕章をつけた女性が、手の甲についた汚れを気にしながらクリームの棚を見ている。

 

店員が、一行を見て少し目を丸くする。

 

「いらっしゃいませ。お探しですか?」

「この子に合いそうなものを」

 

メイリンがセラを軽く前へ出す。

 

店員はセラの顔を見て、ほんの一瞬だけ言葉を失った。

 

「……わ、かわいい」

「かわいい」

「あ、すみません。つい」

 

店員は慌てて姿勢を正したが、すぐに表情が明るくなる。

 

「薄い色の方が合いそうです。目元がはっきりしているので、強い色を乗せると印象がきつくなりすぎるかもしれません」

「なるほど。やっぱり薄めね」

 

ルナマリアが頷く。

 

近くでリップの色を試していた女性客が、鏡越しにセラを見た。自分の手元の色を見比べてから、店員に小声で言う。

 

「あの子なら、こっちの色。絶対こっち」

「ですよね。肌が白いので」

「あと、濃い色はもったいない。かわいいのに強くなりすぎる」

「分かります」

 

2人は妙に息が合っていた。

 

反対側の棚では、母親に連れられた少女が小声で言う。

 

「あの人、お人形さんみたい」

「見すぎないの」

「でも、帽子もかわいい」

「聞こえるわよ」

 

少女は慌てて母親の後ろに隠れた。

 

シンは荷物かごを持たされていた。すでに帽子用の予備ピン、薄い色のリップ、肌色を変えるクリーム、小さな鏡が入っている。

 

「これ、本当に全部必要か?」

「必要」

「何に」

「女の子に」

「答えになってない」

「シンには一生分からないから黙って持ってて」

 

レイは棚の成分表示を読んでいた。

 

「刺激性の低いものを選べ。セラの肌に合うか分からない」

「レイ、そこ見るんだ」

「当然だ」

「当然なんだ……」

 

アスランは店の外で待とうとしたが、シンに袖を引かれた。

 

「逃げるなよ」

「逃げているわけじゃない」

「じゃあ持ってくださいよ」

「……分かった」

 

アスランの手にも紙袋が増えた。

 

メイリンはセラの手に、小さな淡い色のリップを持たせる。

 

「これは?」

「メイリンが必要と判断するなら、買います」

「うん。買います、で合ってる」

 

前回より、言い直しは早かった。

 

セラはその小さな容器を見つめる。

 

「戦闘には不要」

「でも今日には必要」

「今日」

「そう。今日のセラに必要」

 

セラは黙って、それをかごに入れた。

 

---

 

映画館は、商業区の奥にあった。

 

入口には「本日より一部上映再開」の表示が出ている。ロビーの照明は少し暗く、売店のメニューにも欠品の札が目立つ。それでも、列はできていた。

 

「こんな時に映画か」

 

シンが呟く。

 

アスランがチケット売り場の列を見ながら言う。

 

「こんな時だからだろう。日常に戻るために」

「日常に戻るための娯楽」

「そういうことだ」

 

係員が上映前の注意を読み上げている。

 

「避難警報が発令された場合は、係員の指示に従って速やかに退避してください。本日は一部出口が復旧作業中のため、右側通路をご利用ください」

 

客の中に、少し緊張が走る。けれどすぐに、売店前の子供がポップコーンをこぼして母親に叱られ、空気が緩んだ。

 

上映されたのは、古い宇宙戦争ものの喜劇だった。

 

画面の中では、サングラスをかけた艦長らしき男が艦橋の中央で勢いよく立ち上がる。その迫力にクルー達の視線は男に集まったその瞬間。

 

『月は出ているか』

『はぁ?』

 

場内にクスクスと静かな笑いが零れた。

 

「何だよ今の」

「名言らしいよ」

 

シンも少し笑っていた。

 

メイリンが小声で言う。

 

セラは画面を見つめる。

 

「月面確認が必要な状況ではありません」

「そこじゃない」

「では、なぜ確認を」

「決め台詞だから」

「決め台詞」

「そう。意味より勢い」

 

ルナマリアが肩を震わせる。

途中で主人公とヒロインが抱き合う場面があった。

 

セラは小声で尋ねた。

 

「なぜ今、抱き合いましたか」

「感情が高まったから、かな」

「戦術的必要性は」

「ないよ」

「ではなぜ」

「映画だから」

 

メイリンが囁く。

 

セラはそれ以上は聞かなかった。スクリーンに顔を戻し、周囲の客が笑うところで少し遅れて客席を見渡す。

 

上映中、遠くで復旧工事の振動が伝わった。

 

天井灯が一瞬だけ揺れる。

 

客席の何人かが顔を上げた。前列の少年が母親の袖を掴む。係員がすぐに通路へ出て、静かに手を上げた。

 

「復旧作業の振動です。避難警報ではありません」

 

数秒後、観客はまたスクリーンへ戻った。

 

セラは、その流れを黙って見ていた。

 

メイリンは横顔を見て、何も言わずに小さく笑った。

 

---

 

最後に向かったのは、公園区画だった。

 

商業区の外れにある小さな人工公園だ。植栽は人工照明を受けて柔らかく光り、中央には低い噴水がある。噴水は片側だけ動いていて、水音が不規則に響いていた。

 

芝生の一部には立入禁止のロープが張られている。遊具の1つには点検中の札が下がっていた。それでも、子供たちは残った遊具の周りを走っていた。

 

「そこ、走りすぎない!」

「だって鬼ごっこだもん!」

「鬼ごっこでも転んだら痛いの!」

 

母親の声が飛ぶ。

 

近くのベンチでは、老夫婦が紙袋からパンを取り出して半分に分けていた。老人は膝に陽を受け、目を細めている。隣の女性が、彼の肩に上着をかけ直した。

 

「寒くない?」

「平気だ」

「さっきから同じこと言ってる」

「同じ答えで足りるからな」

 

その向こうでは、復旧作業員が芝生の端に座り、ヘルメットを膝に置いて休んでいる。警備兵は通路の角に立ち、時折空を見上げていた。

 

シンは少し離れて、その光景を見ていた。

 

紙袋を両手に持ったまま、しばらく黙っている。

 

「シン?」

 

メイリンが声をかける。

 

シンはすぐには答えなかった。

 

子供が走る。母親が追いかける。少年が転びかけて、警備兵が反射的に一歩踏み出す。何もなかったと分かると、警備兵は照れたように元の位置へ戻った。

 

シンは小さく息を吐いた。

 

「……守れたんだな」

「何をですか」

 

セラが聞いた。

 

シンは少し困った顔をする。

 

「こういうのだよ」

「公園設備ですか」

「いや、まあ、それもだけど」

 

彼は言葉を探した。

 

「人が普通に歩いて、子供が遊んで、店が開いてる。そういうの」

「戦果に該当しますか」

「するんじゃないか」

 

その答えは、少し不器用だった。

 

メイリンがセラの横に並ぶ。

 

「うん。これもセラの戦果だね」

「私の戦果」

「セラがミネルバの進路を守ったから、敵が引いた。敵が引いたから、この人たちはここにいられる」

 

セラは公園を見る。

 

「敵機撃破数とは異なります」

「うん」

「輸送艦群への打撃とも異なります」

「うん」

「しかし、結果として維持された」

「そう」

 

メイリンは笑った。

 

「守れたものって、数字だけじゃないんだよ」

 

セラは黙った。

 

噴水の水音が、途切れながら続く。遠くでは復旧ドローンが低い音を立てて飛んでいる。公園の案内表示には、一部施設利用停止の文字が出ている。それでも子供たちは遊び、売店の店主は「今日は甘いの多めにしとくよ」と声を張っていた。

 

セラは帽子のつばを少し押さえる。

 

「覚えます」

 

その返事は、いつものように短かった。

 

けれどメイリンには、セラがただ情報をしまっただけではないように見えた。

 

セラは、敵の位置ではないものを見ている。

 

射線でもない。損害率でもない。任務達成条件でもない。

 

自分が戦った結果として、そこに残った日常を見ている。

 

シンが紙袋を持ち直す。

 

「帰るのか。そろそろ」

「帰艦まで残り38分」

 

レイが時計を確認する。

 

「寄り道は短時間だ」

「じゃあ、飲み物だけ買って戻ろう」

 

メイリンが言う。

 

「増やすなよ」

「シンが飲む分もいるでしょ」

「いるけどさ」

 

アスランは通路側の警備兵と短く情報交換し、戻ってくる。

 

「敵艦隊に動きはない。だが長居はしない方がいい」

「了解」

 

メイリンが答える。

 

セラは紙袋の中を見た。

 

化粧品。帽子用の予備ピン。映画の半券。公園の売店で買った小さな包み。

 

どれも戦闘には直接必要ない。

 

けれど、セラは捨てない。

 

「これらは、保管します」

「うん。そうして」

 

メイリンが笑う。

 

帰り道、商業区の照明が少しずつ明るくなっていった。復旧班が新しい案内板を取り付け、店主が閉店時間を知らせる札を書き換える。警備兵の通信端末には、遠方監視の情報が静かに流れ続けていた。

 

敵艦隊の影は、まだ完全には消えていない。

 

コロニーの安全は、まだ仮のものだ。

 

それでも、街の灯りは消えていなかった。

 

ミネルバはその灯りを守るため、もう少しだけここに留まる。

 

セラは最後にもう一度、公園の方を振り返った。

 

帽子のつばの下で、その表情はいつもとほとんど変わらない。

 

ただ、メイリンに聞こえるほどの小さな声で、セラは言った。

 

「守護られた日常」

 

メイリンは少し驚き、それから笑った。

 

「うん」

 

セラは頷く。

 

「本日の戦果として、記録します」

 

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