機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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67.北への航路

カーペンタリア基地の会議室には、海の匂いが混じっていた。

 

空調は効いている。壁も床も軍施設らしく無駄がなく、中央の大型卓上モニターには周辺海域の戦術図が表示されていた。

 

それでも、どこか湿った空気がある。

宇宙艦の密閉された空気とは違う。地上の、それも海に近い基地特有の重さだった。

 

タリアは席に着き、卓上モニターの表示を見ていた。

カーペンタリア湾。バンダ海。モルッカ海。セレベス海。大小の島々と、その間を縫う航路。地図上では線と記号でしかないが、その下には人がいる。港があり、集落があり、漁船があり、逃げ場の少ない海峡がある。

 

会議室には、ミネルバ側からタリアとアーサーが出席していた。

基地側は3名。

中央に座るのが、カーペンタリア基地司令。髪に白いものが混じった、落ち着いた声の軍人だった。隣にいる作戦参謀は、細い指で端末を操作しながら資料を切り替えている。もう1人の情報幕僚は、会議が始まってからほとんど表情を変えていない。

 

最初に口を開いたのは、基地司令だった。

 

「まずは、ミネルバの無事な降下を歓迎する」

 

声は低く、抑えられていた。だが、敵意はない。

 

「本国からの戦果報告も確認している。中継コロニーでの戦闘、見事だった」

「ありがとうございます」

 

タリアは短く答えた。

 

「本艦は現在、本部よりアークエンジェル追跡の指令を受けています。ただし、地球方面での作戦行動において、可能な範囲で協力することは吝かではありません」

「それはこちらとしてもありがたい」

 

基地司令は頷いた。

 

「率直に言えば、アークエンジェルの介入には何度も頭を抱えさせられている」

 

アーサーがわずかに姿勢を正した。

情報幕僚が端末を操作する。卓上モニターの一部に、過去の交戦記録と未確認艦影の推定航路が表示された。

 

「同艦は、特定陣営の補助戦力として動いているとは言い切れません。しかし、結果として作戦進行を阻害する事例が複数確認されています」

「民間人被害が大きい戦域へ現れる傾向もありますね」

 

タリアが言うと、情報幕僚は頷いた。

 

「はい。人道的介入、と表現する者もいます。ただし、軍事的には極めて扱いにくい存在です。こちらが攻勢をかければ、その戦域に現れる。敵はそれを予測して行動する。結果として作戦は長引きます」

「アークエンジェルを抑えられるだけでも、こちらには意味がある」

 

基地司令は静かに言った。

 

「撃沈せよ、とまではこの場では言わん。だが、少なくとも作戦の流れから切り離してもらえるなら、それだけで助かる」

 

タリアはその言葉を受け止めた。

助かる。

その言い方は、決して軽くなかった。

 

アークエンジェルは、ザフトにとって敵艦である。だが基地側にとっては、それ以上に作戦を壊す不確定要素だった。現れれば戦場が変わる。味方の攻撃目標が制限され、敵が民間人の存在を盾に使い、結果として戦闘が長引く。

 

善意か信念かは関係ない。軍事作戦にとっては、制御できない武装介入だった。

 

作戦参謀が表示を切り替えた。

 

「では、現行作戦案について説明します」

 

地図が拡大される。カーペンタリアから北へ伸びる航路が描かれた。そこからバンダ海を通り、モルッカ海へ。さらに北上し、セレベス海方面へ矢印が伸びる。

 

「本作戦の主目的は、セレベス海南部、マナド周辺の制圧です」

「マナド……?」

 

アーサーが地図を覗き込む。

 

「ここを橋頭堡とするのですね」

「その通りです」

 

作戦参謀は端末を指でなぞった。

 

「カーペンタリアからバンダ海方面へ進出し、モルッカ海を抜けて北上。セレベス海に入り、マナド周辺の制圧を行います。以後のオーブ方面作戦へ接続するための前進拠点を確保する。それが今回の目的です」

 

タリアは地図を見た。

島が多い。

 

大きな島だけではない。小さな島々が航路を分け、海峡を狭め、艦の進路を縛る。海上戦力を展開するには適しているが、同時に逃げ場が少ない。民間船舶も、沿岸集落も、戦闘の影響を受けやすい。

 

情報幕僚が続けた。

 

「敵戦力として想定されるのは、地球連合スラバヤ守備隊、およびオーブ側のマニラ守備隊です」

「オーブの守備隊も出てくると」

 

アーサーが確認する。

 

「可能性は高いと見ています。オーブ本国が正面から大規模介入するとは限りませんが、周辺勢力圏の維持という名目で、前衛的に動く部隊は存在します」

「スラバヤ守備隊は」

「海上阻止に出る可能性が高い。こちらの北上を許せば、セレベス方面の防衛線が薄くなるからです」

 

作戦参謀が地図上の別ルートを表示した。

 

「当初案では、ミネルバには助攻としてスラバヤ守備隊の抑えを担当していただく予定でした」

 

基地司令が視線を向ける。

 

「貴艦は単艦での戦闘能力が高い。スラバヤ側の出足を鈍らせるには十分すぎる戦力だ」

「ありがたい評価です」

 

タリアはそう答えたが、すぐには続けなかった。

その時、作戦参謀が首を横に振った。

 

「司令。私は、その案には反対です」

「理由は」

「アークエンジェルです」

 

会議室の空気が、わずかに変わった。

作戦参謀は、地図上の主攻ルートを指した。

 

「同艦が現れる可能性が最も高いのは、民間被害が拡大しやすく、なおかつ作戦全体の成否に関わる主戦域です。つまり、北上部隊です」

「ミネルバを主攻側に回すべきだと」

「はい」

 

作戦参謀は迷わなかった。

 

「スラバヤ守備隊には、海戦能力の高い機動兵器と海洋部隊を当てます。足止めが目的なら、それで十分です。その隙に主攻部隊がセレベス方面へ進出する。ミネルバには主攻側で、アークエンジェル介入時の対応を担当してもらうべきです」

「ミネルバを囮にする、という意味ではありませんね」

 

タリアが静かに問う。

作戦参謀はすぐに首を振った。

 

「違います。戦力として最も効果が出る位置に置く、という意味です。アークエンジェルが出るなら、貴艦の任務と我々の作戦目的は一致します」

 

基地司令はしばらく黙っていた。

タリアは地図を見据えた。

 

マナド周辺。セレベス海。島嶼部。海峡。港。

作戦としては分かる。ザフトがオーブ方面へ圧力をかけるには、海域支配と前進拠点が必要になる。スラバヤ側を抑え、北へ抜け、マナド周辺を取る。地図の上では筋が通っている。

だが、地図の上だけでは戦争は終わらない。

 

「この地域は、大小の島が入り組んでいます」

 

タリアは言った。

 

「海峡も多く、民間船舶や沿岸集落を完全に避けることはできない。戦闘が起きれば、地元住民への被害は避けられません」

 

情報幕僚は黙っていた。

作戦参謀も否定しなかった。

基地司令が静かに答える。

 

「だから、アークエンジェルに来られると困るのだ」

「民間人を守ろうとする艦だから、ですか」

「違う。戦闘が長引くからだ」

 

基地司令の声は、少しだけ低くなった。

 

「我々が作戦を始めれば、被害は出る。これは否定できん。だが我々の敵はあくまで地球連合軍およびオーブ軍だ。決して民間人ではない。敵と我々のどちらに軍配が上がるにせよ、早期に紛争状態を収束へ導くことが、結果として一番被害を抑えられる」

「もしアークエンジェルが介入すれば」

「戦闘は止まったように見えるが、紛争は終わらない。敵は態勢を立て直し、こちらも戦力を整え、また戦闘が始まる。それは即ち海域は封鎖されたままだ。そして苦しむのはそこに住む者たちだ」

 

タリアは基地司令を見た。その言葉に嘘はないのだろう。だが正しいとも言い切れない。

ならば作戦そのものをやめればいい。その言葉が喉元まで上がった。

タリアはそれを飲み込んだ。

それを言える立場に彼女はいない。命令を受け、艦を預かり、兵を動かす軍人が、作戦の前提そのものをこの場で否定することはできない。

それでも、飲み込んだ言葉は胸に残った。

 

基地司令は作戦参謀を見た。

 

「ミネルバを主攻側に回す案を採用する」

「ありがとうございます」

 

作戦参謀が頷く。

基地司令はタリアへ向き直った。

 

「ミネルバには、北上部隊に随伴してもらう。アークエンジェルが現れた場合、同艦への対応を優先して構わない」

「了解しました」

 

タリアは答えた。

 

「本艦は北上部隊に随伴し、作戦行動中にアークエンジェルが出現した場合、その制圧、または作戦区域からの排除を優先します」

「助かる」

 

基地司令は短く言った。

会議は円満だった。互いの目的は整理され、作戦上の役割も決まり、ミネルバは補給と整備の支援を受けることになった。基地側は終始、ミネルバを増援として扱い、敵意も軽視も見せなかった。

 

だからこそ、タリアにはその地図の線が重く見えた。

カーペンタリアから北へ。

バンダ海を越え、モルッカ海を抜け、セレベス海へ。

卓上モニターの矢印は、淡々と伸びていた。

 

*****

 

港湾ドックには、補給車両の音が満ちていた。

 

ミネルバはコロニーから直接カーペンタリアへ降りてきたため、弾薬の消費は大きくない。だが、艦内備蓄品は別だった。食料、医療品、整備用消耗品、日用品、フィルター類、交換部材。戦闘していなくても、艦は動けば減る。

 

トラックが積荷を運び、ワーカーMSがコンテナを吊り上げている。補給班の兵士たちが伝票を確認し、整備員が誘導灯を振る。港の向こうには、カーペンタリアの海が鈍く光っていた。

 

その横を、いつものメンバーが基地方面へ歩いていた。

 

シン、ルナマリア、メイリン、レイ、アスラン。そしてセラ。

 

セラは帽子を被り、メイリンとルナマリアが施した化粧で印象を変えていた。変装のためだった。レギナントのパイロットとして顔を広めすぎないこと、ラクスに似た印象を薄めること、その2つが目的だった。

 

ただ、結果として別の意味で目立っていた。

 

通りすがりの整備兵が一瞬だけ振り向く。若い通信兵が、荷物を抱えたまま足を止める。ワーカーMSの誘導をしていた兵士が、相方に肘でつつかれている。

 

シンはそれを見て、少し顔をしかめた。

 

「……ちょっと基地で化粧はまずかったんじゃないか」

「反省してる」

 

メイリンが小さく言った。

 

ルナマリアも腕を組む。

 

「まさか、ここまで可愛くなるとは思わなかったのよ」

「いや、やったの自分たちだろ」

「だから反省してるってば」

 

メイリンはセラの横顔を見た。

 

「次は最低限にとどめるね」

「最低限」

「うん。目立たないための最低限」

「了解しました」

 

セラはいつも通りに頷いた。

 

本人は注目されていることに大きな反応を示さない。視線が集まっていることは認識しているはずだが、それを恥ずかしいとも嫌だとも言わない。

 

その時、少し離れた場所から声が飛んだ。

 

「小さいな。見学の子供かと思ったぜ」

 

足が止まった。港湾ドック脇の待機スペースに、基地所属のMSパイロットらしい兵士たちがいる。

全員、年齢は20代前半ほどに見える。制服は着崩してはいないが、立ち方が荒い。

 

背高い男が、口元を歪めている。

 

「エリート艦は、こんなのまで連れて歩くのか」

 

隣にいた細身の男が、肩を揺らして笑う。

 

「お化粧して基地見学か。余裕だな」

 

もう1人、丸顔の兵士が調子を合わせた。

 

「宇宙じゃ派手にやったらしいが、ここは地球だぞ」

 

シンの肩が動いた。

 

「何だよ、それ」

 

すぐにレイが腕を出した。

 

「シン」

「でもレイ、今のは」

「相手にするな。ここは基地だ」

 

シンは歯を食いしばった。

ルナマリアは足を止めたまま、わざとらしく別方向を見た。

 

「付き合ってられないわね」

 

声は冷たかった。だが、相手に聞かせるためではなく、本当に相手にする価値がないという言い方だった。

アスランは兵士たちを見て、小さく息を吐いた。

 

「……まあ、こういう連中がいても不思議じゃない」

 

諦めに近い声だった。

背高い男はその反応に気をよくしたのか、さらに声を上げる。

 

「エリート艦の女性兵士さんは、お化粧して戦場に行くのかい」

「お見合いに行くんじゃねえんだぞ」

 

丸顔の兵士が合わせる。

細身の男は、セラではなくシンたちの方を見た。

 

「やっぱりMSの性能でうまくやってるだけだろ。戦場を舐めてるんじゃないか」

 

シンが一歩前に出ようとした。

レイの手が、今度ははっきりと肩を押さえる。

 

「シン」

「分かってるよ」

 

分かっている、と言いながら、シンの声は低かった。

その時、鋭い声が飛んだ。

 

「いい加減にしろ」

 

3人の表情が、一瞬で変わった。

 

待機スペースの奥から、1人の女性隊長が歩いてきた。短くまとめた髪。無駄のない歩き方。年齢は若いが、3人よりは明らかに落ち着いている。

 

「基地の品位を下げるな」

 

その一言で、3人は姿勢を正した。

 

「姐さん、いや、その」

「言い訳は後で聞く」

 

女性隊長はミネルバ側へ目を向け、短く頭を下げた。

 

「部下が失礼しました。カーペンタリア基地所属、MS部隊第3中隊第2小隊長、エルザ・ヴァルナーです」

「ミネルバ所属MS隊隊長、アスラン・ザラだ。こちらこそ、騒ぎにするつもりはない」

 

エルザは頷き、それから背後の3人へ視線を戻した。

 

「お前たちも名乗りなさい。謝罪する相手に、顔も名前も出せないのか」

 

背の高い男が、苦い顔で一歩前に出た。

 

「第3中隊第2小隊所属、ラルフです。失礼しました」

「同じく、オルガンです」

「ミケルです」

 

背の高い男、ラルフが名乗ると、細身の男、丸顔の兵士と続く。

 

「声が小さい!」

 

3人の背筋が伸びた。

 

「申し訳ありませんでした!」

「失礼しました!」

「すみませんでした!」

 

声が、港湾ドックに響いた。

 

シンはまだ納得していない顔をしていたが、レイの手が肩に置かれている。ルナマリアは腕を組んだまま、小さく息を吐いた。

 

「……まあ、これ以上はいいんじゃない」

「そうですね」

 

アスランが短く答える。

 

それで場は収まるはずだった。

 

だが、1人だけ、まだ止まらない声が上がる。

 

3人の後ろにいた少年兵が、前へ出てきた。

 

年齢はセラと大きく変わらない。背伸びしたような立ち方をしているが、制服の着方も、視線の動きも、まだ実戦部隊のそれではなかった。

 

少年はセラの前に立ち、わざと見下ろすように顎を上げた。体格差は大きくない。それでも、彼は自分が上に立っているつもりでいるようだった。

 

「こんなにひょろっこくて、よく生きてこれたな」

 

エルザの眉がわずかに動く。

 

「おい、ユアン」

「背も随分小さいじゃないか」

 

セラは何も言わなかった。

 

ただ、少年兵の目を見ている。

 

その視線に、ユアンは一瞬だけ言葉を忘れた。

 

小さい。細い。子供みたいだ。そう言うつもりだった。けれど、正面から見ると違う。

 

整った顔立ち。薄く引かれた唇。帽子の影から覗く、感情の薄い瞳。化粧のせいなのか、それとも元からなのか、白い肌の輪郭がやけにはっきり見えた。

 

一瞬、周囲の音が遠のいた気がした。

 

ユアンは慌ててそれを押し込める。

 

違う。これは、そういう話じゃない。

 

見下していたはずなのに、胸の奥が妙に落ち着かない。それが悔しくて、ユアンはさらに顎を上げた。

 

「で、お前は何歳だよ」

「14歳です」

「……14歳!?」

 

思わず聞き返し、ユアンはミネルバの面々へ顔を向けた。

 

誰も否定しない。

 

むしろ、当然だというように頷いている。

 

「嘘だろ……」

「事実です」

 

幼い姿と、そこから淡々と返ってくる幼い声。

 

それが、ユアンの癇に障った。

 

「はっ! 子供じゃないか!」

「お前だって15歳(ガキ)じゃねえか!」

「ガハハ! 違いない!」

 

丸顔の兵士、ミケルの突っ込みに、ラルフとオルガンが続いて大笑いする。

 

「うるさいな!」

 

ユアンの顔が一気に赤くなった。

 

メイリンはそのやり取りを見て、少しだけ目を細める。

 

「知らないって、幸せだね」

 

声は優しかった。

 

本当に、ただの独り言のようだった。

 

けれど、隣にいたシンはその横顔を見て黙った。メイリンは微笑んでいる。だが、目は笑っていなかった。

 

ユアンはその意味に気づかない。

 

プラントであったあの一件。そして戦場を駆けるセラの姿を知らないのだから。

 

少年はセラに顔を向け、さらに言葉を重ねた。

 

「お前みたいなのが、戦場に出てるっていうのかよ」

「はい」

「……何なんだよ、それ」

 

ユアンは吐き捨てるように言った。

 

「そんな小さい体で役に立つのか? そんなら俺だって行けるだろ。役に立ちそうにないなら、艦に戻れよ」

 

セラはまた、ユアンの目を見た。

 

感情のない面持ちのまま数秒、沈黙が落ちる。

 

発言内容。服色。部隊章。所属表示。現在地。ミネルバ所属隊員としての行動許可範囲。

 

そして、静かに尋ねてみた。

 

「それは、命令ですか」

「は?」

 

ユアンが止まる。

 

「今のは命令かどうか、確認しています」

「そ、そうだよ。命令だ。帰れ帰れ!」

 

言ってしまった直後、周囲の空気が変わった。

ラルフたちの顔色が、目に見えて悪くなる。

セラは数秒、ユアンを見ていた。

 

発言内容。服色。部隊章。所属表示。現在地。ミネルバ所属隊員としての行動許可範囲。

それらを順番に照合するように、視線だけが静かに動く。

 

「あなたは、ミネルバ所属隊員への命令権を保有していません」

「は?」

「命令する立場を主張するなら、一度艦に戻って確認します」

 

そう言って、セラは来た道を戻ろうとした。

 

「ちょ、待て!」

 

ユアンが慌てて手を伸ばす。

 

「何でそうなるんだよ!」

「命令権の確認が必要です」

「必要ない!」

「では、命令ではありませんか」

「いや、その」

 

メイリンが、慌ててセラの腕を取った。

 

「セ、セラ! あれは勢いで言った冗談だよ!」

「冗談」

「そう、冗談」

「命令ではないのですか」

「違うよ! 冗談!」

「冗談」

 

メイリンの言葉を繰り返し、セラはユアンへ視線を戻した。

 

「命令ではなく、冗談と判断します」

「いや、そういう言い方されると、それはそれで……」

 

ユアンの声が小さくなる。

ラルフがすかさずユアンの肩を掴んだ。

 

「おいユアン、馬鹿止めろ」

 

ミケルとオルガンも、左右からユアンを押さえるように寄る。

 

「姐さんに殺されるぞ」

「本当にミネルバに正式照会なんかされたら、こっちの小隊ごと報告書だ」

 

ユアンはようやく事の大きさに気づいたらしい。口を開けたまま、言葉が出てこない。

エルザがゆっくり歩み寄る。

ユアンは振り向く暇もなかった。

拳骨が落ちた。

 

「痛っ!」

 

港湾ドックに、乾いた音が響いた。

エルザはユアンを見下ろす。

 

「お前はまだ予備兵だ。何を偉そうに他部隊へ命令している」

「す、すみません」

「謝る相手が違う」

「すみませんでした!」

 

ユアンは慌ててセラに頭を下げた。

セラはその様子を眺め、そしてメイリンに顔を向ける。

 

「冗談の後に謝罪が発生しました」

「うん。そういうこともあるよ」

 

メイリンが静かに答えた。

声は元に戻っていた。けれどシンは、まだ不機嫌そうにユアンを見ている。

レイが短く言う。

 

「行くぞ」

 

ルナマリアは肩をすくめた。

 

「ほんとに、付き合ってられないわ……」

 

アスランはエルザへもう一度軽く頭を下げる。

 

「失礼します」

「こちらこそ、申し訳ありません」

 

エルザは低く答えた。

ラルフ、オルガン、ミケルは、さっきまでの勢いを完全になくしていた。エルザの背後で、揃って気まずそうに視線を落としている。

 

ユアンだけが、まだ痛む頭を押さえながらセラを見ていた。

小さくて細い子供にしか見えない。

それでいて、あの目は何だったのか。

ユアンには、まだ分からなかった。

 

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