機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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68.戦場に駆ける者たち

カーペンタリア基地の作戦説明室には、夜明け前の硬い空気があった。

 

壁面の大型モニターには、北へ伸びる海域図が表示されている。カーペンタリア湾からバンダ海へ。そこからモルッカ海を抜け、セレベス海南部へ。細い航路線が、島々の間を縫うように伸びていた。

卓上モニターには、さらに別の矢印が重ねられている。

ひとつはマナド方面へ向かう主攻。

もうひとつは、マカッサル方面へ分かれる助攻。

矢印だけで見れば単純だった。

 

だが、その線の下には艦隊があり、MSがあり、補給艦があり、海上を進む兵士たちがいる。

タリアは説明室の前方に立ち、集まった隊員たちを見渡した。

シン、アスラン、レイ、ルナマリア、セラ。メイリンも通信要員として端末を抱えて席についている。アーサーはタリアの横で資料を確認していた。

 

基地側からは作戦参謀と情報幕僚が同席している。先日の会議で見た顔だった。表情は固いが、こちらに敵意はない。これから行われる作戦の大きさを、彼ら自身も理解している顔だった。

 

「作戦目標は、セレベス海南部の制空・制海権確保、およびマナド近郊への橋頭堡構築」

 

タリアの声が室内に通る。

 

「ミネルバはマナド方面主攻部隊に随伴する。単なる護衛ではなく、主攻部隊の機動打撃戦力として動くわ」

 

モニター上の主攻ルートが強調された。

カーペンタリアから北上し、バンダ海を抜ける線。そこからセレベス海南部へ進み、マナド周辺で展開する。

 

「マカッサル方面には助攻部隊が出る。目的は敵の撃滅ではない。スラバヤ方面から北上する地球連合軍守備隊の輸送能力を破壊し、マナド方面への合流を阻止すること」

 

レイが静かに言った。

 

「敵の足を折る、ということですね」

 

タリアは頷く。

 

「そう。マカッサル方面は勝つための戦場ではない。間に合わせないための戦場よ」

 

シンはモニターを見ていた。

その目は地図ではなく、別のものを探しているようだった。

タリアはそれに気づいている。

 

アスランも、同じように地図を見ていた。だが、こちらはシンとは違う。視線は落ち着いているように見える。けれど表情はわずかに固い。

 

タリアは、あえて少し間を置いた。

 

「今回の作戦には、アークエンジェルが介入する可能性がある」

 

室内の空気が、ほんの少し重くなった。

メイリンが視線を上げる。ルナマリアは表情を変えなかったが、シンの横顔を一瞬だけ見た。

 

「来ると決まったわけではない。だが来ないと決まったわけでもない」

 

タリアは続けた。

 

「こちらは、どちらにも対応する。アークエンジェルが現れなければ、予定通りマナド橋頭堡を確保する。現れた場合は、同艦を作戦区域から切り離す」

 

シンが唇を結んだ。

来るなら来い。

声には出していない。だが、その顔にはそう書いてあった。

 

アスランは反対に、わずかに目を伏せた。

来るな。

同じく声には出していない。けれどタリアには分かった。

 

レイは2人を見ていた。

シンの熱と、アスランの沈黙。その両方を確認するように、短く視線を動かす。そして何も言わず、モニターへ目を戻した。

 

タリアはシンへ視線を向けた。

 

「シン」

「はい」

「アークエンジェルが現れた場合でも、私情で動くことは許可しない。フリーダムが出ても同じよ」

「……分かっています」

「分かっているだけでは足りないわ」

 

シンの表情が固くなる。

タリアは声を荒げなかった。

 

「あなたは強い。だからこそ、艦の作戦を壊す動きは許されない。私情ではなく、軍人として行動しなさい。それが責任よ」

 

シンはすぐには返事をしなかった。

ルナマリアが横で息を詰める。

メイリンは端末を抱える手に少し力を込めた。

 

「……了解しました」

 

シンはようやく答えた。

納得している声ではなかった。

だが、拒んでもいなかった。

 

タリアは次にアスランを見る。

 

「アスラン」

「はい」

「あなたにも言っておくわ。腹をくくりなさい」

 

アスランの目がわずかに揺れた。

 

「アークエンジェルが現れれば迷うでしょう。あの艦はあなたにとってはただの敵ではない」

「艦長」

「分かっているわ。だから今言っているの」

 

タリアは言葉を切らなかった。

 

「あなたの迷いを責めるつもりはない。けれど、迷ったまま戦場に出ることは許さない。ミネルバに乗る以上、あなたはミネルバの兵士よ」

 

アスランは黙っていた。

シンが横目でアスランを見る。

 

「了解しました」

 

アスランは静かに答えた。

その声は、シンよりも落ち着いていた。

 

だが、落ち着いていることと、揺れていないことは違う。

セラはそのやり取りを聞いていた。

表情は変わらない。

 

だが、視線はアークエンジェルの表示と、フリーダムの機体識別データを交互に見ていた。

タリアはセラへ向き直る。

 

「セラ」

「はい」

「アークエンジェルまたはフリーダム出現時、あなたは単独で判断を広げすぎないこと。ミネルバ、シン、レイ、アスランとの連携を優先する」

「了解しました」

「レギナントの広域制御は有効だけれど、あなた自身の負荷も大きい。必要なら範囲を限定しなさい」

「はい」

 

返答は短かった。

その短さが、逆にタリアには少しだけ頼もしかった。

セラは熱くならない。迷いもしない。だが、戦場の意味をすべて理解しているわけではない。

だからこそ、明確に指示する必要がある。

 

「ルナマリア」

「はい」

「あなたは主攻部隊との連携、ならびにミネルバ周辺の防衛を意識して。状況によっては橋頭堡側への支援にも回ってもらう」

「了解」

「レイ」

「はい」

「全体の戦況を見て。シンが前に出すぎた場合は、止めなさい」

「了解しました」

 

シンが少しだけ顔をしかめる。

 

「俺、そこまで無茶しませんよ」

「その発言を信用できるなら、最初から言っていないわ」

 

タリアが即座に返した。

ルナマリアが小さく笑いそうになり、すぐに咳払いでごまかした。

シンは不満そうだったが、何も言い返さなかった。

アーサーが資料を切り替える。

 

「各隊は出撃準備に入ります。ミネルバは主攻部隊の中央後方から進出。戦闘開始後、必要に応じて前方へ展開します」

 

モニター上に艦隊配置が表示される。

輸送艦、巡洋艦、戦艦、そしてミネルバ。

搭載される水中MS部隊、航空MS部隊、陸戦MS部隊、合計200機以上。

それだけで作戦の規模が分かる。

 

「助攻部隊は先行してマカッサル方面へ展開。スラバヤ守備隊の北上を阻止します」

 

アーサーの説明が続く。

メイリンは端末に通信割り当てを打ち込んでいた。作戦回線、緊急回線、味方識別信号、友軍艦隊との中継。ひとつ間違えれば、戦場で声が届かなくなる。

 

セラは静かに座っている。

シンは前を見ている。

アスランは、地図の端に表示されたオーブ勢力圏の線を見ていた。

タリアはそれを見て、短く息を吐いた。

 

作戦は始まる。

アークエンジェルが来る保証はない。

だが、来ない保証もない。

どちらに転んでも、艦を迷わせるわけにはいかなかった。

 

*****

 

予備兵用の待機室は、作戦説明室よりもずっと狭かった。

 

壁際に簡易ロッカーが並び、中央には古い長机が置かれている。モニターには基地内の作戦予定と、待機要員の配置表が表示されていた。

 

基地でセラに絡んでいた予備兵のユアンは、その配置表を睨んでいた。

自分の名前は、出撃部隊の欄にはない。

基地待機。

予備兵としての補助任務。物資整理、通信補佐、負傷者搬送時の誘導。どれも必要な任務だと教えられている。だが、ユアンにはそれが「置いていかれる」という意味にしか見えなかった。

 

港湾ドックで見た少女の顔が頭に残っている。

自分より1つ下の女の子。

背も小さく、体も細く、なのにミネルバの連中は彼女を連れて歩いていた。しかもMSのパイロットだという噂も耳に入った。

 

本当かどうかは分からない。

分からないが、もし本当なら。

なぜ、あんな子供が戦場に出て、自分が留守番なのか。

 

「予備兵は待機。余計な真似はするな」

 

隊長に言われた言葉が、まだ耳に残っている。

短くまとめた髪の女性士官。3人の兄貴分達が「姐さん」と呼んでいる人。普段は冷静だが、怒ると本当に怖い。

ユアンもそれは分かっている。

 

分かっているのに、足は止まらなかった。

待機室を出る。

通路には、出撃前の兵士たちが行き来していた。整備員、補給班、通信兵、MSパイロット。誰もが忙しい。予備兵1人が通路を歩いていても、いちいち気にする者はいない。

 

ユアンは作業用の帽子を深く被り、物資搬送用の小型端末を手にした。

 

端末は本物だ。待機室の横に置かれていた予備機を持ち出した。使い方も、一応は分かる。物資番号を読み取れば、搬送先が表示される。

 

出撃艦へ近づく口実にはなる。

港湾ドックには、助攻部隊と主攻部隊の艦が並んでいた。

 

ミネルバほど目立つ艦はない。だが、それぞれの輸送艦にもMS搭載ハッチがあり、コンテナが次々と運び込まれている。

 

ユアンは息を吸った。

 

正面から乗ろうとすれば止められる。

パイロット用通路を使えば身元確認がある。

だが補給コンテナ側なら、今は人の流れが多い。

 

ちょうど、陸戦MS用の予備部品コンテナが搬入されるところだった。

ユアンは端末を掲げ、運搬員の列に紛れた。

 

「そっち、番号確認」

「はい」

 

声が飛ぶ。

ユアンは端末をコンテナの側面に当てる。表示は出た。搬入先も正しい。

 

「中へ入れろ。急げ」

「了解」

 

返事をして、足を進める。

心臓がうるさい。

ばれたら終わりだ。

 

軍法会議という言葉が頭をよぎった。だが、ユアンにその重さはまだよく分かっていない。分かっているのは、見つかればただでは済まないということだけだった。

 

それでも、足は止まらなかった。

艦内の貨物区画に入る。作業員たちは次のコンテナへ向かって戻っていく。ユアンはその流れから半歩外れ、整備用パレットの影に身を滑り込ませた。

 

暗い。

油と金属の匂いがする。

艦内放送が流れた。

 

『第3輸送艦、搭載物資確認。出航準備、最終段階』

 

ユアンは膝を抱えた。

自分はまだ見つかっていない。

それだけで、少しだけ息が楽になった。

 

「俺だって……」

 

小さく呟く。

誰にも聞こえない声だった。

 

「俺だって、できる」

 

それが何を意味するのか、ユアン自身にもまだ分かっていなかった。

 

*****

 

基地の兵舎棟からは、港湾ドックの一部が見えた。

厚い強化ガラス越しに、巨大な白い艦が見える。

 

ミネルバ。

 

宇宙から降りてきたザフトの新鋭艦。中継コロニーで戦果を上げ、アークエンジェル追跡の任務まで受けている艦。

基地の兵士たちにとって、それは頼もしい増援であると同時に、面白くない存在でもあった。

窓際に、3人のMSパイロットが並んでいた。

 

長身の男は、腕を組みながら忌々し気にミネルバを見下ろしている。

細身の男と丸顔の男はそれに気づかず、部隊表と地図を広げながら小隊が展開する場所の確認に追われていた。

 

長身男が二人に向かって声をかける。

 

「オルガン、ミケル、見てろみよ。あれが噂のエリート艦だ」

 

その声に二人は席を立ち窓の外を覗き見る。

 

「目立つな。あれで隠密行動できるのか」

 

細身の男、オルガンが鼻で笑う。

丸顔の男、ミケルは窓越しにミネルバのカタパルトを見ていた。

 

「でも、実際強いんだろラウフ?」

「強いのは艦とMSだろ」

 

長身の男、ラウフがすぐに返す。

 

「乗ってる連中まで強いとは限らない」

「港で見た女の子もいたしな」

「あれが本当にMSのパイロットなら、こっちは笑えないな」

「笑えないから腹が立つんだよ」

 

三人は窓から目を離さなかった。

 

「こっちは地球でずっとやってる。海も島も、基地の泥臭さも知ってる。なのに、宇宙から降りてきた連中が主役みたいな顔をする」

「主役みたいな顔って、まだ何もしてないだろ」

「存在がうるさいんだよ」

 

丸顔の男(ミケル)が肩をすくめる。

 

「姐さんに聞かれたらまた怒られるぞ」

「大丈夫だ。聞かれてないって」

「聞こえているが?」

 

3人が同時に振り向いた。

 

扉の近くに、女性士官が立っていた。短くまとめた髪。無駄のない姿勢。腕を組んでいるだけなのに、3人の背筋が勝手に伸びる。

 

「姐さん」

「その呼び方を公の場でするなと言ったはずだ」

「今は公の場じゃないです」

「基地の窓際で他艦を見下ろして悪態をつく場所は、公の場ではないのか」

「……公の場っす」

 

長身の男(ラウフ)が素直に訂正した。

女性士官は3人を順番に見る。

 

「出撃前だ。無駄口を叩く余裕があるなら、機体のチェックに行け」

「了解」

「了解しました」

「はい」

 

3人は返事をしたが、すぐには動かなかった。

 

細身の男(オルガン)の端末が鳴った。

画面には、別部隊の識別名が表示されている。マカッサル方面へ回る助攻部隊のパイロットからだった。

 

「出ても?」

「手短にしろ」

 

許可の声で通信を開く。画面にヘルメットを小脇に抱えた若い男が映った。背後では輸送艦の格納庫が慌ただしく動いている。

 

『そっちは主攻だってな』

「そっちは助攻だろ。羨ましがるなよ」

 

オルガンが軽く返す。

画面の向こうの兵士が笑った。

 

『羨ましいかよ。こっちはスラバヤから来る連中の足止めだぞ。敵の輸送艦を沈めて、とっとと帰る』

「言うだけなら簡単だな」

 

ラウフが横から口を挟む。

 

『お、そっちにもいるのか。ラウフ、相変わらず偉そうだな』

「偉そうなんじゃない。実際に偉い」

『小隊長でもないくせに』

「姐さんの次くらいには偉い」

「勝手に序列を作るな」

 

女性士官の声に、ラウフは口を閉じた。

通信画面の向こうで笑い声が起きる。

 

『オルガン、お前はちゃんとラウフを止めろよ』

「無理だ。聞く耳がない」

 

オルガンが肩をすくめた。

 

彼は端末を持ち直し、画面を少し傾ける。

 

『ミケルは』

「ここだよ」

 

ミケルと呼ばれたその兵士は、いつもの軽さで笑った。

 

「そっち、沈むなよ」

『そっちこそ。ミネルバの横で格好つけて沈むんじゃないぞ』

「縁起でもないこと言うなよ」

 

別の通信が割り込む。

同じ助攻部隊の別パイロットらしい。画面の中で誰かが肩をぶつけ合い、笑い声が混ざる。

 

『生きてたら、また基地の食堂で会おうぜ』

「生きてたら、な」

 

ラウフが言った。

軽口のようだった。

だが、その言葉だけは少し重かった。

オルガンも笑わなかった。

ミケルは唇を結び、すぐに無理やり笑顔を作る。

 

「戻ったら、今度こそ俺が奢ってもらうからな」

『何でだよ』

「生きて帰った祝い」

『それは全員でやるやつだろ』

 

通信画面の向こうで、出航準備を告げる警告灯が点滅した。

 

『そろそろ行く。そっちも死ぬなよ』

「そっちもな」

 

通信が切れる。

部屋には、港湾ドックから響く低い機械音だけが残った。

女性士官は、しばらく黙っていた。

 

3人も、もうミネルバへの悪態を続けなかった。

窓の外では、助攻部隊の輸送艦が少しずつ離岸準備に入っている。マカッサル方面へ向かう艦だ。彼らは主戦場ではない場所へ向かう。だが、そこも間違いなく戦場だった。

 

「ラウフ、オルガン、ミケル」

 

女性士官が言った。

 

3人が振り向く。

 

「作戦が始まればオーブだろうと、アークエンジェルだろうと関係ない。戦場では自分の機体と僚機だけを見ろ。ミネルバを気にして見栄や対抗心や雑念を燃やすな」

「了解」

「はい」

「分かってます」

 

ミケルだけが少し早口だった。

女性士官は、それ以上叱らなかった。

 

「ユアンは」

「待機室じゃないですか」

 

ミケルが答える。

 

「さっきまで配置表見て腐ってましたよ」

「見てくる」

 

女性士官はそう言って、部屋を出ていった。

その背中を見送りながら、ラウフが小さく舌打ちした。

 

「予備兵のくせに、戦場に出たがる」

「俺たちも昔は似たようなものだっただろ」

 

オルガンが言う。

ラウフは否定しなかった。

ミケルはもう一度窓の外を見た。

 

ミネルバの甲板では、MS搬入用のアームが動いている。白い艦体は、基地のどの艦よりも目立っていた。

 

「なあ」

 

ミケルが言う。

 

「本当に来ると思うか」

「何が」

「アークエンジェル」

「来るなら来い」

 

オルガンは端末を閉じた。

 

「来ない方がいい。あの艦が来ると、戦場が面倒になる」

「怖いのか」

「面倒だと言った」

 

オルガンの声は低かった。

 

「撃つなだの止まれだの叫びながら戦場に割り込んでくる、いかれた艦だ。ああいうのは、味方にいても敵にいても厄介だ」

 

ラウフは何も言わなかった。

ミケルも笑わない。

 

港湾ドックの放送が響く。

 

『マナド方面主攻部隊、出撃準備最終段階。各員、配置につけ』

 

ラウフが窓から離れた。

 

「行くぞ」

「了解」

「はいはい」

 

3人は部屋を出る。

窓の外では、ミネルバの艦体に朝日が当たり始めていた。

 

*****

 

ミネルバの格納庫は、出撃前の熱を帯びていた。

 

インパルス、セイバー、ザク、レギナント。各機の周囲で整備員たちが最終確認を行っている。

工具の音、推進剤ラインの接続音、端末の警告音。

どれも聞き慣れた音だが、作戦前だけは少し違って聞こえる。

 

シンはインパルスの足元に立っていた。

見上げた装甲には、まだ新しい整備跡が残っている。

戦うための機体。

守るための機体。

壊すための機体。

 

どの言葉を選んでも、今のシンにはしっくりこなかった。

 

「シン」

 

レイが近づいてくる。

 

「発進前点検は」

「終わってる」

「ならいい」

 

レイはそれ以上聞かなかった。

シンは少しだけ目を細める。

 

「来ると思うか」

「アークエンジェルか」

「ああ」

 

レイはすぐには答えなかった。

格納庫の奥では、セラがレギナントの整備用足場に立っている。ヨウランとヴィーノが端末を見ながら何か説明していた。セラは頷き、短く返事をしている。

 

「来る保証はない」

「分かってる」

「来ない保証もない」

「それも分かってる」

 

シンの声は低い。

 

「でも、来るなら今度こそ」

「作戦を忘れるな」

 

レイが遮った。

シンは言い返そうとして、やめた。

タリアにも言われた。

私情ではなく、軍人として行動しろ。

分かっている。

分かっているが、胸の奥で何かが燃えている。

 

アスランは少し離れた場所でセイバーの確認をしていた。

手順は完璧だった。整備班への指示も、チェック項目の確認も、いつも通りに見える。

だが、ルナマリアには分かった。

いつも通りにしようとしている。

それは、いつも通りではないということだ。

 

「アスランさん」

「何だ」

「艦長に言われたこと、気にしてます?」

「気にしていないと言えば嘘になる」

 

アスランはセイバーの装甲を見上げた。

 

「アークエンジェルが来れば、俺は迷うかもしれない」

「……それ、私に言っていいんですか?」

「言っておくべきだと思った」

「重いんですけど」

「すまない」

「謝られても困ります」

 

ルナマリアはため息をついた。

 

だが、嫌だとは言わなかった。

 

「分かりました。変な動きしたら言います」

「助かる」

「その代わり、私が変な動きしたら、アスランさんも止めてくださいよ」

「分かった」

 

短いやり取りだった。

それで十分だった。

 

メイリンは通信席へ戻る前に、レギナントの方へ寄った。

セラは足場の上で、ヨウランの説明を聞いている。

 

「制御系は問題なし。けど、前みたいに行動範囲は広げすぎるなよ」

「了解しました」

「小判ちゃん4号の予備は積んである。けど、万能じゃないからな」

「了解しました」

「あと、お前自身の負荷も見ろ」

「了解しました」

「本当に分かってるか」

「はい」

 

ヴィーノが横から口を挟む。

 

「今の『はい』は怪しい」

「怪しいですか」

「怪しいな」

 

セラは少しだけ首を傾けた。

メイリンはその様子を見て、小さく息を吐く。

 

「セラ」

「はい」

「今回は、無理したらすぐ報告」

「了解しました」

「報告できないくらい無理する前に」

「了解しました」

「それと、帰ってきて」

「帰投します」

 

迷いのない返事だった。

メイリンはそれで、少しだけ笑った。

 

「うん。それでいい」

 

セラはメイリンを見た。

感情の意味を完全に理解しているわけではない。

けれど、メイリンが何を重要視しているかは分かっている。

 

帰投。

それは戦闘終了後の手続きであり、メイリンにとっては別の意味を持つ言葉だった。

格納庫に発進準備の放送が入る。

 

『マナド方面主攻部隊、出撃準備完了。ミネルバ、発進シーケンスへ移行』

 

タリアの声が艦内に響いた。

 

『各員、持ち場につきなさい』

 

シンはインパルスへ向かう。

アスランはセイバーへ。

ルナマリアとレイもそれぞれの機体へ向かう。

セラはレギナントのコックピットへ入る前に、一度だけ格納庫を見た。

 

ミネルバの中。

自分に割り当てられた場所。

戻る場所。

出撃する場所。

 

ハッチが開く。

セラは中へ入った。

 

*****

 

港湾ドックの海面が、朝日に光っていた。

助攻部隊の艦はすでに離れている。マカッサル方面へ向かう艦影が、水平線近くへ小さくなっていた。

 

主攻部隊の艦隊が、順に動き始める。

輸送艦。巡洋艦。戦艦。

その中に、ミネルバがいる。

 

基地の管制塔から誘導信号が送られ、艦隊の航路が開かれる。作業用ポッドが退避し、港湾ドックの作業灯が切り替わった。

 

ミネルバのブリッジでは、メイリンが通信を確認していた。

 

「各艦、出航準備完了。主攻部隊、予定隊列に移行中」

「推進系、正常」

「進路、北方航路へ設定」

「了解」

 

タリアは艦長席で正面を見ていた。

海の向こうに、まだ戦場は見えない。

 

だが、艦はそこへ向かう。

アーサーが表示を確認する。

 

「艦長、主攻部隊全艦、出撃可能です」

「発進」

「ミネルバ、発進!」

 

艦体がゆっくりと動き出す。

カーペンタリア基地のドックが遠ざかる。岸壁の上に並ぶ整備員や基地兵たちが、小さく見えた。見送りのために立つ者もいれば、次の作業へ戻る者もいる。

 

それぞれが、それぞれの場所で戦場へ関わっている。

アークエンジェルが来るかどうかは分からない。

フリーダムが現れるかどうかも分からない。

けれど、戦場に駆ける者たちは、もう走り出していた。

 




ネタだし、書き溜めのため、翌日0時と12時の投稿はお休みするかもしれません。
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