機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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69.暁のマナド

マナド泊地の朝は、湿った風から始まった。

 

海から吹き込む空気には塩の匂いが混じり、格納庫の壁には薄く水気が張りついている。夜勤明けの整備兵が、首にかけたタオルで汗を拭いながら通路を歩いていた。

 

港湾側では、民間船の汽笛が遠く聞こえる。

 

戦争は近い。それは、この基地にいる誰もが知っていることだった。だが、それが今すぐここへ来るとは、まだ誰も思っていなかった。

 

待機室の片隅では、数人の駐屯兵が古い長机を囲んでいた。机の上には、角の擦り切れたカードが並んでいる。

 

「またそれかよ」

「読まれやすい顔をしてる方が悪い」

「顔でカード見るなよ」

「顔に書いてある」

 

缶入りの飲料を開ける音がした。

 

「お前、戦闘中もその顔するなよ。敵に全部読まれるぞ」

「戦闘中にカード持ってないだろ」

「そういう意味じゃない」

 

気の抜けた会話だった。

 

壁面モニターには周辺海域図が表示されている。マニラ方面、スラバヤ方面、セレベス海、モルッカ海。基地勤務の兵士たちにとっては見慣れた地図だった。

 

「ザフト、来ると思うか」

「来るならとっくに来てる」

「でも、カーペンタリアから艦隊が動いたって話があるだろ」

「噂だろ」

「警戒情報は出てる」

「警戒情報なんて毎週出てる」

 

カードが1枚、机に置かれる。

 

「ここは前線じゃない。前線になるかもしれない場所だ」

「それ、安心していいのか」

「少なくとも今、カードをやるくらいの余裕はある」

 

その時、待機室の照明が一段赤く落ちた。壁の警報灯が回転を始める。

 

『警戒態勢。全員、所定配置へ。繰り返す。警戒態勢。全員、所定配置へ』

 

カードが机の上でばらけた。

 

「何だ」

「哨戒線か」

 

さっきまでの笑い声が消える。

 

通信室の方から声が飛んだ。

 

「南方海域に多数の熱源! 艦隊規模です!」

「識別照合急げ!」

「航空反応もあります。高度を取っています!」

 

待機室の扉が開き、通信兵が駆け込んでくる。

 

「パイロットは格納庫へ! 全機、出撃準備!」

「敵か」

「ザフトです!」

 

その一言で、空気が変わった。

 

兵士たちは、手札も飲みかけの缶もそのままにして走り出す。廊下には、すでに人の流れができていた。整備班、誘導員、通信兵、基地防衛隊。誰もが自分の持ち場へ向かっている。

 

司令室では、基地指揮官が大型モニターを睨んでいた。南方海域に、複数の反応が並んでいる。輸送艦、護衛艦、戦闘艦、MS運用艦らしき反応。そこへさらに、高高度の航空反応が重なっていた。

 

「数は」

「艦艇反応、現在確認できるだけで20以上。MS運用反応も複数」

「マニラへ緊急通報。ザフト部隊、マナド方面へ進出中。増援を要請」

「了解」

「港湾管制へ避難勧告を出せ。民間船を退避させろ」

「はい」

 

別の幕僚が声を上げる。

 

「第1中隊、基地側防衛配置へ移行」

「第2中隊、港湾部へ展開中」

「沿岸砲座、起動確認」

「敵主力までの距離は」

「まだあります。ですが、航空反応が速い」

「先行部隊か」

「高度を取っています。雲上です」

 

その瞬間、別の警報が鳴った。

 

「高高度より複数機、急速降下!」

「上空です! 雲の上から来ます!」

「対空砲、上だ!」

 

命令が終わるより早く、空が裂けた。

 

雲を割って、ザフトの航空MSが現れる。濃い影が太陽を横切り、次の瞬間、港湾管制塔の外壁に火花が走った。

 

『上だ!』

『速い、砲が追いつかない!』

『アンテナを守れ、撃ち落と――』

 

通信が途切れる。

 

外部アンテナ群が撃ち抜かれた。白い破片が空中に散り、管制室の窓が内側から弾ける。低空で機首を引き起こしたバビが、対地兵装を切り離した。爆発が連続し、格納庫へ向かう車両通路がえぐれ、搬出中だったM1の列が止まる。

 

「管制塔に被弾!」

「外部アンテナ、損傷!」

「第2対空砲、沈黙!」

「MS格納区画、搬出路に着弾!」

 

対空砲が応射する。曳光弾が空へ伸びるが、ザフトの航空MSは一撃離脱で雲の中へ逃げ込む。遅れて別方向からディンが入り、砲座管制用の外部センサーを撃ち抜いた。

 

司令室の照明が一瞬落ちる。

 

「予備回線へ!」

「マニラへの送信、途切れました!」

「再送しろ!」

「港湾側、第2中隊が出ます!」

 

答えは、別のモニターに映った。港湾側の海面に、遠くから迫る艦影が並んでいる。

 

ザフト艦隊。

 

それはもう、ただの警戒情報ではなかった。

 

指揮官は歯を食いしばる。

 

「全隊へ通達。これは威力偵察ではない」

 

港湾奥で、また爆発が起きた。

 

「本格攻撃だ」

 

*****

 

ミネルバは、第2戦闘配備のままマナド沖にいた。

 

正面モニターの向こうでは、海岸線の一部から黒煙が上がっている。雲の切れ間を抜けた航空MS部隊の初撃は通り、管制塔と外部アンテナ群は沈黙しかけていた。

 

だが、泊地そのものはまだ落ちていない。

 

「第一群、港湾外縁へ接近」

「敵MS反応、二方向に分離。基地側に一個中隊、港湾側に一個中隊です」

「沿岸部の大型砲座群、起動継続。第一群の前進速度が落ちています」

 

メイリンの報告に、アーサーが顔をしかめる。

 

「まだ砲座が生きているのか」

「初撃で管制塔の一部は叩いています。ただ、予備系統に切り替わった可能性があります」

「港を使うなら、艦砲で吹き飛ばすわけにもいかないわね」

 

タリアは戦術表示を見ていた。第一群の進路が、港湾入口の手前で鈍っている。前へ出たい本隊と、そこへ火線を重ねる沿岸施設。さらに、その隙間をオーブのMSが埋めていた。

 

「主攻旗艦より通信。ミネルバ宛です」

「回して」

 

ブリッジに低い男の声が入った。

 

『こちら主攻旗艦。港湾側の制圧に遅れが出ている。大型砲座群がまだ動いているうえ、敵MSが射線へ誘導してくる。戦艦砲で潰せなくはないが、港湾施設を巻き込む』

「こちらのMS隊を使え、ということですね」

『頼めるか。砲座の管制と護衛を剥がしてくれれば、第一群を入れられる』

「受けます。ミネルバ隊を出します」

『助かる。こちらも合わせる。第一群、ミネルバ隊が開けた線を使え』

『了解。進入準備、できています』

 

カーペンタリア側の声が、短く応じた。

 

タリアは頷く。

 

「MS隊、発進準備。インパルス、セイバー、ザク2機を出します」

「了解。MS隊、発進準備!」

 

メイリンが格納庫へ回線を開く。

 

『インパルス、セイバー、ザク、発進準備。目標、港湾外縁の砲座管制および護衛MS』

『了解』

『レギナントは』

 

セラの短い確認が入った。

 

「セラは待機。レギナントは出しません」

『了解しました』

 

それ以上の問い返しはなかった。

 

発進警告灯が走る。インパルスの固定アームが外れ、続いてセイバーがカタパルト位置へ移動する。ルナマリアとレイのザクも、それぞれ武装チェックを終えていた。

 

「シン・アスカ、インパルス、行きます!」

「アスラン・ザラ、セイバー、出る」

「ルナマリア・ホーク、ザク、出ます」

「レイ・ザ・バレル、ザク、出る」

 

4機が次々と海上へ飛び出した。

 

*****

 

港湾部では、第一群がコンテナ群の手前で足を止められていた。大型砲座の一撃で海面が跳ね上がり、倉庫の壁が吹き飛ぶ。ザフトの陸戦MSが前へ出ようとすると、オーブのM1とムラサメが横から撃ち込み、下がったところへ砲身が向いた。

 

『前へ出られません!』

『砲座がこちらの動きに合わせてきます!』

『右、敵MS! 誘導されてるぞ!』

 

通信が荒れる中、上空を赤い機体が横切った。

 

セイバーが港の上へ出る。

 

「上は抑える。シン、正面から砲座に突っ込むな」

『分かってますよ!』

 

インパルスは砲身の真正面には入らず、倉庫とコンテナの隙間へ滑り込んだ。護衛に出ていたM1が迎撃する。

 

『白と青の機体、来るぞ!』

『砲座の前へ押し込め!』

『抜けられた!』

 

シンはシールドで一射を受け、機体を低く沈めて横へ抜けた。

 

「そこをどけ!」

 

ビームライフルの一撃が、M1の脚部を撃ち抜く。敵機が崩れたところへ第一群の陸戦MSが射撃を重ね、別のM1が牽制に動いた。

 

『今だ、左を使う!』

『煙幕を前へ。砲座の首を押さえろ!』

 

カーペンタリア側の陸戦MSが、コンテナの陰から前進を始める。

 

ルナマリアのザクは、倉庫屋根の影を使って前へ出た。

 

「管制塔、見えた。外部センサーが残ってる」

『こちらでも確認した。上部右側、まだ動いている』

 

レイの声に合わせ、ルナマリアは砲座そのものではなく、塔の外壁へ照準を寄せた。

 

「落とす!」

 

ザクの射撃が、管制塔の側面を削る。装甲板が剥がれ、外部センサーの1つが火花を散らして吹き飛んだ。

 

「第1砲座、火線が途切れました!」

「第一群、左側の射線が薄くなっています!」

 

ミネルバのブリッジでメイリンが声を上げる。

 

「主攻旗艦へ送って。左側を使える」

「了解!」

 

第一群が動き出す。陸戦MS数機が煙幕を張り、別の機体が砲座の側面へ回る。前に出た部隊を守るように、インパルスが護衛MSを押し返した。

 

『シン、下がれ』

 

レイの声と同時に、彼のザクが別角度から撃った。砲座の基部を覆う外装が焼け、旋回部の一部から黒煙が噴き出す。

 

「今だ。第一群、前へ」

 

アスランの声に、主攻旗艦の通信が重なった。

 

『第一群、前進! 開いた線を閉じさせるな!』

 

陸戦MSがコンテナの陰から走り出す。ミネルバ隊が先に踏み込んだ場所へ、第一群の機体が続いた。

 

「敵第2中隊、後退を開始!」

「第1砲座、発砲停止!」

「第2砲座、砲身旋回が止まりました!」

「揚陸隊、前進準備に入ります!」

 

報告が重なり、ブリッジの空気がわずかに動いた。

 

だが、タリアは表情を変えない。

 

「まだ終わっていません。敵を港湾奥へ押し込みすぎないで」

「はい」

 

その直後、ルナマリアのモニター端に、MSではない影が映った。倉庫区画の北側、コンテナの間を数台の車両が走っている。その後ろに、作業服らしき人影が続いていた。

 

「港湾奥、非戦闘員らしき反応あり。位置を送ります」

『確認した』

 

ミネルバからタリアの声が返る。

 

『全機、港湾奥への射線に注意。砲座と管制施設を優先。市街地方向へ火線を伸ばさないで』

「了解」

 

インパルスの前にいたM1が、倉庫区画の奥へ逃げようとした。シンは追いかけかけたが、ルナマリアの声が割り込む。

 

『シン、そっちはだめ』

『分かってる!』

 

返事は荒かったが、インパルスは敵機を追い切らず、機体を反転させた。逃げたM1は倉庫の影へ消える。その背中を撃つ者はいなかった。

 

『港湾奥に人影がある。火線を伸ばすな』

『了解。砲座だけ潰す』

『前へ出るぞ。止まるな!』

 

第一群の通信が短く交差する。

 

レイのザクが再び射線を合わせ、残っていた外部センサーを撃ち抜いた。塔の上部が弾け、海側へ向いていた砲身の動きがさらに鈍る。

 

「第2砲座、追尾が遅れています!」

「第一群、港湾外縁へ進入!」

「敵MS、北側へ後退!」

 

第一群の機体が前へ出た。砲座の側面へ回り込んだ陸戦MSが、給弾口と外部配線を狙って撃つ。派手な爆発は起きない。ただ、砲身が止まり、そこへ向かっていた火線が途切れた。

 

「第3砲座、発砲停止!」

「進路、開きました!」

 

アーサーが息を吐く。

 

「抜けた……」

「第一群へ。進入路を確保したと伝えて」

 

タリアは短く命じた。

 

「ミネルバ隊は深追い禁止。砲座周辺の警戒を継続。敵残存機を市街地側へ追い立てないで」

「了解。全機へ通達します」

 

通信が飛ぶ。

 

『ミネルバより各機。深追い禁止。砲座周辺の警戒を継続。第一群の進入を支援』

『了解』

『了解』

『了解』

 

シンの返事だけが、ほんの少し遅れた。

 

『……了解』

 

タリアはその間を聞き逃さなかったが、何も言わなかった。

 

*****

 

マナド泊地の司令室では、報告が途切れなくなっていた。

 

「港湾管制塔、損傷拡大!」

「第1砲座、応答ありません! 第2砲座、旋回機構に異常!」

「第2中隊、港湾外縁から後退しています!」

「基地南側、第1中隊は再編中。搬出路の復旧、間に合いません!」

「外部通信、断続。マニラへの送信は継続中!」

 

基地指揮官は拳を握った。

 

「港湾奥の退避は」

「一部車両が北側へ移動中。ただ、全体は把握できていません」

「使える車両を回せ。港の職員を市街地側へ逃がせ」

「防衛線が崩れます」

「基地が残っても人が死ねば意味がない。やれ」

「了解!」

 

司令室の外で爆発が起き、天井から粉塵が落ちた。照明が揺れ、モニターの1つが砂嵐に変わる。

 

「敵部隊、港湾外縁へ進入!」

「南側倉庫区画、突破されます!」

「第2中隊より後退許可を求めています!」

 

指揮官はモニターを見た。

 

赤い機体が上空を押さえ、青と白の機体が前へ出ようとするMSを押し返している。砲座の周囲では、ザフトの機体が次々と射点を潰していた。その後ろから、主力の陸戦MSが流れ込んでくる。

 

単独の機体に敗れたわけではない。戦線を押し込まれたのだ。

 

「戦闘継続不能な部隊は北側退避路へ下がれ。機体を捨てても構わん」

「司令」

「ここで全滅しても、次の部隊に何も伝えられない。敵の規模、進入経路、ミネルバの位置。持ち帰れるものは全部持ち帰れ」

「了解!」

 

黒煙の向こうで、オーブの機体が1機、片膝をつく。その横を、ザフトの機体群が越えていった。

 

*****

 

ミネルバの正面モニターでは、戦術表示が少しずつ塗り替わっていた。

 

「第一群、港湾外縁へ進入」

「第1から第3砲座、火線消失。発砲は確認されません」

「敵第2中隊、北側へ後退」

「揚陸隊、前進準備」

「主攻旗艦より通信。支援に感謝、とのことです」

 

アーサーが肩の力を抜く。

 

「突破口は開きましたね」

「ええ。でも制圧はこれからよ」

 

タリアはモニターを見つめたまま言った。

 

進入路はできた。だが、港湾施設はまだ混乱している。倉庫、管制、補給設備、残存機、退避中の人影。すべてを確認しながら進まなければならない。

 

『こちらインパルス。港湾外縁、抜けた』

「シン、深追いはしないで」

『分かってます』

「分かっているだけでは足りないわ」

『……了解』

 

タリアは次にメイリンを見た。

 

「非戦闘員反応は」

「移動中です。第一群にも位置情報を共有済み」

「引き続き監視。港湾奥へ火線が伸びそうなら即時警告」

「はい」

「レギナントは」

「待機のままです」

「セラにも伝えて」

「了解」

 

通信が格納庫へ入る。

 

『セラ、レギナントは待機継続』

『了解しました』

 

セラの声は短かった。

 

タリアは正面へ視線を戻す。黒煙が海風に流され、遠くに市街地の輪郭が見えた。第一群は港へ入る。揚陸隊も続く。マナド泊地は、すでに最初の防御線を失っている。

 

だが、戦闘は終わらない。

 

この場所を奪うだけでは足りない。使える状態で残し、後続を迎え、反撃に備えなければならない。その向こうから、まだ見えない増援が来る。

 

「ミネルバ隊は第一群の進入支援を継続。艦は現位置を維持」

「了解」

 

ミネルバは海上で進路を保った。

 

黒煙の奥へ、カーペンタリアから来た部隊が踏み込んでいく。

 

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