機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
ミネルバの会議室には、重い空気が満ちていた。
戦闘終了から半日。
艦内はすでに通常航行体勢へ戻りつつある。
だが、艦の上層部に流れる空気だけは違っていた。
タリアは、端末に映し出された白いMSの解析初期データを見つめていた。
会議室にいるのは、タリアとアーサー。
そして、医療、保安、整備に関わる必要最低限の上級士官たちだけだった。
誰も軽い口を開かない。
「まず確認しておくわ。今回の件は、現時点から機密扱いとします」
タリアの声は静かだった。
だが、その場にいる全員の表情が硬くなる。
「対象機は、未知のドラグーン搭載型MS。所属不明艦は逃走。パイロットは生存したまま保護」
「加えて、そのパイロットの容姿に問題があります」
問題。
その言葉に、室内の空気がわずかに揺れた。
ラクス・クラインに酷似した少女。
それだけで、政治的には十分すぎるほど危険だった。
アーサーが端末を操作しながら続ける。
「本国への報告は、予定通り最低限に制限します。詳細データ、映像、容姿情報については、帰投後の直接提出に限定」
「ええ。通信傍受のリスクがある以上、軽々しく外へ流せる情報ではないわ」
誰も異論を挟まなかった。
未知の新型機。
幼いパイロット。
ラクス・クラインに似た顔。
どれか一つだけでも厄介なのに、それが一つの機体にまとまっている。
「艦内情報統制も実施します」
アーサーが続ける。
「対象パイロットとの接触は制限。許可対象は、艦の上層部、医療班の一部、保安担当、そして任務上必要なミネルバ隊メンバーのみとします」
「整備班については?」
誰かが問う。
タリアは少しだけ考えた。
「現時点では、機体への作業のみ許可。パイロットとの接触は禁止。対象機そのものの処遇も、まだ決められないわ」
実際、それが最大の問題だった。
あの機体をミネルバで保有し続けるのか。
本国へ引き渡すのか。
あるいは、別の判断が必要になるのか。
今の段階では、誰にも答えは出せない。
「……厄介物ですね」
アーサーが、疲れたように漏らした。
タリアは苦く笑う。
「ええ。とびきり危険な厄介物よ」
*****
数日後。
ミネルバ医務室、ICU。
静かな機械音だけが、薄暗い室内に響いていた。
メイリンは、ベッド脇の記録端末を確認していた。
本来なら、長くいる場所ではない。
ただ、戦闘時の通信ログと、白いMSのパイロットの生体反応を照合する必要があり、医療班から確認を頼まれていた。
だから、ここにいる理由はあった。
それでも、視線は端末よりも、ベッドの上へ向いてしまう。
少女は静かに眠っていた。
薄桃色の髪。
幼い横顔。
白い肌。
あのMSのパイロット。
そう聞いても、今でもまだ現実感がない。
戦場で見た白い機体は、怖かった。
赤い線で宇宙を塞ぎ、シンたちを近づけさせなかった。
なのに、その中にいたのは、この小さな少女だった。
メイリンは小さく息を吐く。
その時だった。
少女の指先が、わずかに動いた。
「……っ」
メイリンの肩が跳ねる。
ゆっくりと、閉じられていた瞳が開いた。
少女はしばらく天井を見ていた。
ぼんやりしている、というよりは。
最初に天井を確認しているように見えた。
数秒後、少女の視線がメイリンへ向く。
そこに、驚きはなかった。
怯えも、警戒もない。
ただ、状況を確認している。
そんな目だった。
メイリンは一瞬迷ってから、静かに声をかけた。
「……目、覚ましたの?」
少女は数秒沈黙した。
そして、小さく口を開く。
「生存を確認」
メイリンは思わず瞬きをした。
返事。
のはずだった。
でも、それは会話というより、何かの報告みたいだった。
少女はゆっくりと周囲を見る。
医療機器。
白い天井。
自分の身体につながれたケーブル。
そして、拘束具。
そこまで確認してから、静かに言った。
「捕虜状態を確認」
メイリンは、言葉を失った。
怖い、とは少し違う。
でも、普通ではない。
目を覚まして最初に言う言葉が、それなのか。
自分が助かったかどうかではなく、ここがどこかでもなく、生存と捕虜状態の確認。
「えっと……」
メイリンは端末を持つ手に力を入れた。
本当は、余計な接触はしない方がいい。
そう言われている。
でも、今の言葉を聞いてしまったら、何も聞かずにいることもできなかった。
「ねえ。あなた、名前は?」
少女はすぐに答えた。
「L-31」
メイリンは、また瞬きをする。
名前を聞いたはずだった。
けれど、返ってきたのは番号だった。
「L……? それ、コードネーム?」
少女は少しだけ間を置く。
「識別番号です」
識別番号。
メイリンは、その言葉を胸の中で繰り返した。
名前ではない。
コードネームですらない。
何かを管理するための番号。
物を分けるための印。
そんな響きだった。
「……そっか」
それ以上、何を聞けばいいのか分からなかった。
ICUに、静かな機械音が戻る。
少女はもう喋らない。
ただ、天井を見つめている。
メイリンは、その横顔を見ていた。
本当に、この子が戦っていたのだろうか。
あの白いMSで。
シンたちを止めて、ミネルバの前に立ちはだかっていたのだろうか。
今は、どこにでもいそうな小さな女の子にしか見えない。
けれど、その口から出てくる言葉だけが、どうしようもなく違っていた。
生存を確認。
捕虜状態を確認。
識別番号。
人が、自分に向けて使う言葉には聞こえなかった。
メイリンは、端末をそっと閉じる。
このことは、軽く話していいことではない。
箝口令があるからだけではない。
この子の中にあるものを、まだ誰も知らない。
自分も、何も分かっていない。
だからメイリンは、その小さな違和感を胸の奥へしまい込んだ。
そして、静かなICUで、少女の傍にもう少しだけ座っていた。