機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
マナド泊地は、まだ煙を上げていた。
数時間前まで砲声が響いていた岸壁には、ザフトの車両が入り始めている。破れた外壁、折れた照明塔、黒く焦げた倉庫の扉。海面には細かな破片が浮き、波に押されて岸壁へぶつかっていた。
勝った、という言葉を口にする者はいない。
ここは、まだ使える場所ではなかった。
「資材搬入、現在全体の3割程度完了しました!」
「よし。搬入と振り分けは同時に行え。日没までに仮設営を終わらせるぞ」
「はっ!」
指揮官の声に、作業兵たちが走り出す。
軍用トラックが荷台を開き、作業用ボットが鉄骨を運ぶ。工兵隊は崩れた通路を避けて仮設の誘導路を引き、補給班は端末を見ながら燃料と弾薬の仕分けに追われていた。
遠くでは、まだ人の列が動いている。
港を離れた細い道路に車が詰まり、荷物を抱えた人影がその隙間を歩いていた。途中で動かなくなった車両もある。誰かが押し、誰かが怒鳴り、誰かが泣いている。だが、設営部隊は手を止めない。
止められなかった。
港を使えるようにしなければ、後続は降りられない。後続が降りられなければ、ここを取った意味がない。
ミネルバは、泊地から少し離れた海上にいた。
周辺警戒のため、シンとアスランは南側の哨戒へ出ている。ルナマリアとレイはミネルバの直掩につき、格納庫ではレギナントが固定アームに繋がれたまま待機していた。
青空は、腹立たしいほど明るかった。
インパルスのコクピットで、シンは眼下の道路を見下ろしていた。車の列はほとんど進んでいない。港は封鎖され、海側へ逃げる道もない。市街地外へ抜けるこの細い道だけが、逃げ場のように残されていた。
「なんで海上ルートは使えないんですか」
返事はすぐには来なかった。
少し離れた空域を飛ぶセイバーから、アスランの声が入る。
「艦長が基地司令と協議している。せめて一時的に航路を開けられないか、と」
「無理なんでしょう」
「ああ」
分かっていた。
港には後衛部隊が入り、物資を降ろしている。安全確認の済んでいない船や車両をそこへ近づけるわけにはいかない。敵の残存部隊が紛れ込む可能性もある。理屈なら、何度も聞いた。
それでも、シンの指は操縦桿を強く握ったままだった。
「じゃあ、あの人たちはどうするんですか」
「退避路の確保を急いでいる」
「間に合うんですか」
「間に合わせるしかない」
アスランの声は低かった。
シンは言い返せなかった。代わりに、モニターの中で動かない車列を睨んだ。
遠くで、乾いた音が鳴った。
銃声だった。
道路の脇にいたザフト兵が、空へ向けて警告射撃をしたらしい。押し合いになっていた車列が一瞬だけ止まり、怒鳴り声が遅れて広がる。
シンの喉が詰まった。
「……くそ」
「シン」
「分かってます。行きませんよ」
アスランはそれ以上、何も言わなかった。
*****
南側の地上では、カーペンタリア基地所属の小隊が哨戒任務についていた。
ザフトの軍用トラックと作業用ボットが目まぐるしく行き交う中、長身の男が通信を開く。彼の機体は瓦礫の脇に立ち、北側の道路を見下ろしていた。
「オルガン、ミケル。そっちはどうだ」
『オルガン機、異常なし。車と、車を捨てて歩く連中であふれてる』
『ミケル機も同じだ。こっちは子供連れが多い。撃ち合いになったら最悪だな』
細身の男と丸顔の兵士の声が、うんざりした調子で返ってくる。
ラルフは短く息を吐いた。
「姐さんは」
『さっき中隊長に呼ばれて、港の仮設指揮所に行ったよ』
『この状況で呼び出しって、いい話じゃないよな』
「いい話なら俺たちに回ってこない」
オルガンが笑う。
『かぁ。今度はどんな面倒を背負わされるんだろうな』
『やめろよ。言うと来るぞ』
「もう来てる」
ラルフはそう言いかけて、言葉を止めた。
瓦礫の向こうで、補給車両の影が動いた。
作業兵ではない。
動きがぎこちない。隠れようとして、隠れきれていない。
「……おい」
ラルフは機体を下がらせ、通信を切り替えた。
「オルガン、ミケル。こっちへ来い」
『何かあったか』
「たぶんな」
数分後、三人は補給車両の陰から一人の少年を引きずり出していた。
予備兵用の制服。大きすぎるヘルメット。泥のついた靴。手には補給ケースを抱えていたが、中身は空だった。
ラルフの顔色が変わる。
「お前……ユアンか」
「……はい」
「何でここにいる」
ユアン・レッセルは口を開きかけたが、答えられなかった。
ラルフの手が動いた。
乾いた音がして、ユアンの顔が横へ弾かれる。
「この大馬鹿野郎!」
オルガンとミケルが慌てて間に入った。
「落ち着け、ラルフ!」
「やめろって!」
「落ち着いてられるか! 下手すりゃ銃殺じゃねぇか!」
「さすがに予備兵にそりゃないだろ!」
「営倉行きでなんとかなるって!」
二人が必死に止める。
ユアンは頬を赤くしたまま、直立姿勢を崩さなかった。唇を噛み、目だけが濡れている。
「任務は何だった」
ラルフの声が低くなる。
「基地待機。通常訓練を、全うすべし」
「なら、ここにいるお前は何だ」
「……」
「答えろ!」
「命令違反です」
ラルフの拳が震えた。
殴りたいのではない。
殴って済ませられないことが、腹立たしかった。
その時、背後から女の声がした。
「そこまで」
四人が振り返る。
エルザ・ヴァルナーは、ヘルメットを小脇に抱えて立っていた。港の仮設指揮所から戻ったばかりなのだろう。ブーツにはまだ泥が跳ねている。
彼女はユアンを見て、次にラルフを見た。
「見つけたか」
「姐さん」
「中隊長への報告前でよかった、と言うべきだな」
「で、命令は」
オルガンが恐る恐る聞く。
エルザは深く息を吐いた。
「ラルフの予感通りだ」
「……まじかよ」
ミケルの顔から血の気が引いた。
ユアンはその意味を理解するまで数秒かかった。理解した瞬間、膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
エルザは目を閉じた。
「今、地上の営倉は敵兵と捕虜で埋まってる。軍法手続きに回す余裕もない。任地放棄、作戦区域への無断侵入。敵前逃亡と同列で扱われても、文句は言えない」
「予備兵ですよ」
「だから私もここにいる」
ラルフは歯を食いしばった。
「中隊長は」
「正式報告前に、処理方法を探せと言った。見つからなければ、その場で処分になる」
「そんな」
「戦場とは、そういう場所だ」
エルザの声は冷たくなかった。
だから余計に、ユアンの肩が震えた。
ラルフは彼を見下ろす。
「何しに来た」
「……自分も」
「聞こえない」
「自分も、役に立ちたかったんです」
オルガンが目を逸らす。
ミケルが小さく舌打ちした。
ラルフはもう一度手を上げかけ、止めた。
「それで死ぬなら勝手だ。だがな、お前を見つけた俺たちはどうなる。姐さんはどうなる。部隊はどうなる。役に立つ前に、余計な荷物を増やしてるんだよ」
ユアンは何も言えなかった。
エルザは空を見上げる。
青い空を、赤い機体が横切った。
セイバーだった。
彼女はその機影を目で追い、短く言った。
「手は、ひとつだけある」
*****
『セイバー機、聞こえますか』
個別回線に入った声に、アスランは一瞬だけ眉を寄せた。
通常の部隊通信ではない。識別はザフト。発信元は地上の小隊機。
「こちらセイバー。個別回線とは、一体どうした」
『こちら第3中隊第2小隊長、エルザ・ヴァルナー。先日は部下が失礼した』
「こちらミネルバ所属MS隊隊長、アスラン・ザラだ。それで何か」
『こんなことを申し出るのは許されることではない。だが、もうこれしか手がない』
声は抑えられていた。
だが、その奥にあるものは隠しきれていなかった。
アスランは視線を地上へ向ける。
「内容を聞く」
『本来基地待機の予備兵が、輸送艦に紛れて作戦区域へ入り込んでいた。所属は私の管理下にある訓練班だ』
「……無断で、か」
『そうだ』
「処置は」
『このまま正式報告が上がれば、現場判断で処分される可能性が高い。営倉に空きがない。後送もできない』
「それを俺に言う理由は」
『ミネルバの艦内営倉で、一時的に預かれないか』
アスランはすぐには答えなかった。
エルザの申し出が、どれだけ無茶かは分かる。部隊の失態を他艦へ預けるようなものだ。しかも相手は、ミネルバ。今この海域で最も目立つ艦だ。
だが、断ればどうなるかも分かった。
「分かった。俺から艦長へ上げる」
『感謝する』
「まだ感謝は早い。通るとは限らない」
『それでも、聞いてくれた』
通信が一度、沈黙した。
アスランは少しだけ息を吐く。
「待機してくれ」
『了解』
*****
「艦長、セイバーから秘匿回線です」
メイリンの声に、タリアは眉を動かした。
「秘匿回線?」
「はい。アスランさんからです」
その時点で、タリアは嫌な予感を覚えた。
アスランが通常回線で済ませない話を持ってくる時、それは大抵、面倒な形をしている。
「つないで」
正面の表示が切り替わる。
『艦長。今、地上にいる基地部隊から厄介な相談を受けました』
「聞くだけ聞くわ」
『本来基地内待機である予備兵が、勝手に輸送艦に乗り込んで作戦区域へ来ていたそうです』
「……脱走扱いね」
『はい』
タリアは額に手を当てた。
予想より厄介だった。
『所属小隊長は、処分を避けたいと嘆願しています』
「そんなもの、こちらで何とかできる話じゃないでしょう」
『地上の営倉は埋まっています。後送も今は困難です。せめて艦内営倉に入れてほしい、と』
「ミネルバを留置所代わりにする気」
『言い方は、そうなります』
アーサーが隣で同じように頭を抱えた。
「どうしますか」
「どうしようもないわよ」
タリアは低く言った。
軍として見れば、答えは簡単だった。命令を破った者を許せば、次が出る。まして作戦中だ。情で判断すれば、部隊全体の規律が崩れる。
だが、本来なら営倉に入れて裁くべき案件を、場所がないから撃つ。
それを命じるほど、タリアは非情にはなり切れなかった。
ブリッジに短い沈黙が落ちる。
メイリンは端末を見つめたまま、何も言わない。
タリアはゆっくりと息を吐いた。
「……メイリン、アスランへ」
「はい」
回線が戻る。
『こちらセイバー』
「アスラン。こちらで考えた結果、ひとまずミネルバで預かるわ。その馬鹿を連れてきなさい」
『了解。ありがとうございます』
「礼なら、その馬鹿から直接聞くわ」
タリアは通信を切った。
すぐにアーサーが呻く。
「艦長、また厄介ごとが増えましたね」
「言わないで」
「はい」
タリアは椅子に深く背を預けた。
明るい空の下で、港はまだ煙を上げている。
遠くで、また銃声が鳴った。
今度は誰に向けたものでもない、警告の音だった。
それでも、その乾いた響きはブリッジの中まで届いた気がした。