機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
夕焼けが、ミネルバの艦体を赤く染めていた。
マナド泊地の沖合に停泊する白い艦は、昼の戦闘で浴びた熱をまだ残している。甲板では整備員が動き、格納庫ではMSの再点検が続いていた。港では仮設された管制設備と補給線が、急ぎ足で橋頭堡としての形を整えつつある。
その喧騒から少し離れた艦長室で、タリアは1人の小隊長と、1人の少年を迎えていた。
カーペンタリア基地所属、MS部隊第3中隊第2小隊長、エルザ・ヴァルナー。
その隣で、予備兵のユアン・レッセルが青白い顔をして立っている。背筋は伸ばしているつもりなのだろう。だが肩はこわばり、視線は床に落ちていた。
「この度は、大変厚かましい要請を受けていただき、感謝いたします」
エルザは深く頭を下げた。
タリアは端末から目を上げる。
「あなたが、任務を放棄して艦に潜り込んだ予備兵ね」
その声は静かだった。
けれど、ユアンは身を竦ませた。
叱責というより、事実の確認だった。だからこそ逃げ場がない。
「報告上は、任務放棄および無断乗艦。状況次第では脱走兵として扱われる。意味は分かっているわね」
ユアンの喉が動いた。
「……はい」
かすれた声だった。
タリアはそれ以上、すぐには責めなかった。端末に表示された資料へ視線を落とす。
ユアン・レッセル。15歳。フェブラリウス市第2区出身。C.E.72、志願入隊。C.E.73、部隊研修のためカーペンタリア基地配属。
経歴だけを見れば、特別なものはない。むしろありふれている。戦争を遠くから見て、英雄の姿を追い、自分もその列に加われると信じた少年。
典型的な英雄思考ね。
タリアは内心でそう呟いた。そして、そういう少年ほど戦場で死にやすいことも知っていた。
「話は聞いているわ」
タリアは端末を閉じる。
「うちの営倉を貸してほしいなんて、大胆なことを考えるわね」
「はっ。こちらの監督不行き届きです。ですが――」
「言い訳はいいわ」
タリアはエルザの言葉を遮った。エルザは口を閉じる。
「あなたがこの子を現地で切り捨てず、手続きを踏んで処分を待たせたいと思ったことは分かっている。だから受けたの」
タリアの視線がユアンへ向く。
「けれど、勘違いしないこと」
ユアンは顔を上げられなかった。
「あなたは勇敢だったわけではない。命令を破り、部隊を乱し、他人に後始末を押しつけただけよ」
言葉は鋭かった。
ユアンの肩が小さく震える。
「自分だけならいいと思った?」
「……いえ」
「あなたが艦内で見つからなければ、あなたの小隊は捜索に人を割かれる。見つかれば、あなたを乗せた艦にも責任が発生する。戦闘中なら、あなたの処理に誰かの手が塞がる」
タリアは少しだけ間を置いた。
「戦場で、そういう一手が人を死なせるの」
艦長室に沈黙が落ちた。
エルザは何も言わない。ユアンも答えられない。
「本作戦が終了するまで、あなたはミネルバの営倉で反省していなさい。その後、正式にカーペンタリア基地へ引き渡す。処分はそちらで受けることになるわ」
「……はい」
ユアンはようやく声を出した。
エルザが敬礼する。
「ご配慮、感謝いたします」
「配慮ではないわ。手続きよ」
タリアは淡々と返す。
「ただし、次はないと思いなさい」
「はっ」
エルザの返答に続き、ユアンも慌てて敬礼した。形だけは整っている。だが、その手はまだ震えていた。
*****
*
営倉の隅で、ユアンは膝を抱えて座り込んでいた。
厚い扉。簡素な寝台。壁に埋め込まれた監視端末。艦内の音は遠く、ここだけが別の場所のように静かだった。
脱走兵。
タリアに言われた言葉が、頭から離れない。
自分は何をしたのだろう。
あの女の子がやるなら、自分だってやれる。そんなことを考えていた。けれど今になると、それがどうでもいいことに思えた。
自分より1つ下の子供が戦場に出ている。ミネルバの連中に普通に受け入れられている。それが羨ましくて、悔しくて、だから無理をした。
その結果がこれだ。
ユアンは両手で顔を覆った。
「……馬鹿だ」
声に出してみると、余計に惨めだった。
通路側から足音が近づいてくる。
ユアンは顔を上げる。営倉の前に立ったのは、シンとルナマリアだった。そしてその後ろに、セラがいる。
ユアンは反射的に背筋を伸ばした。
「まさか、こっそりついてくるなんてな。すごい度胸だ」
「そこ、褒めていいところじゃないわよ」
「命令違反は非推奨です」
「非推奨どころか厳禁だからね」
「厳禁」
セラは短く繰り返した。そのやり取りを、ユアンは気まずそうに見ていた。
港湾ドックで見た時と同じだ。シンも、ルナマリアも、セラを特別扱いしているように見える。けれど今は少し違って見えた。守っているというより、同じ場所に立っている者として扱っている。
ユアンは鉄格子越しに立ち上がった。
「あの」
3人の視線が向く。
ユアンはセラを見た。
小さい。やはり小さい。14歳だと分かっていても、同年代には見えなかった。どう見ても、もっと幼い。
けれど、そのことを笑う気にはもうなれなかった。
「この間は悪かった」
シンとルナマリアが、少しだけ目を丸くした。セラだけは表情を変えない。
「謝罪ですか」
「ああ。謝罪だ」
ユアンは頷く。
「俺より年下で、ミネルバみたいなすごい艦に乗ってて、そのパイロットたちに普通に受け入れられてて……羨ましかったんだと思う」
言葉にすると、情けなかった。けれど止めなかった。
「小さいとか、子供だとか、そんなことを言ったけど、本当は俺が勝手に腹を立ててただけだ。みんなにも迷惑をかけた」
ユアンは深く頭を下げる。
「すみませんでした」
セラは数秒、ユアンを見ていた。
「謝罪を確認しました」
「……それだけかよ」
思わず言ってから、ユアンは慌てて口を閉じた。
ルナマリアが小さく笑う。
「反省してるんだ」
「してます。そのせいで、みんなに迷惑をかけたから」
ユアンは真剣に答えた。
ルナマリアの表情が少し柔らかくなる。シンも腕を組んだまま視線を逸らした。怒っていないわけではない。だが、さっきより険は薄れていた。
「そっか」
ルナマリアはそう言って、監視端末の前に立った。
「じゃあ、これ貸したげる」
「あの……これは?」
営倉の壁面端末に、ミネルバの格納庫映像が表示された。続いて、ルナマリアのザクの機体番号と、外部カメラ系統の接続表示が出る。
「私のザクのメインカメラにつながってるわ。出撃したら、この端末に映るようにしてある」
「お、おいおいおい、駄目だろそれ」
シンが即座に言った。
「ルナ、その行為は厳禁です」
「分かってるわよ。本当は駄目。でも艦長には報告してあるわ。今回だけ」
「艦長に?」
ユアンが驚いて聞き返す。
「そう。メイリンに頼んだら、すごく渋い顔されたけどね。記録用の映像を、監視端末に限定して回してもらったの。勝手に通信したり、外に流したりはできないから安心しなさい」
シンはまだ納得していない顔だった。
「それでも普通は駄目だろ」
「だから、今回だけって言ってるでしょ」
ルナマリアはユアンを見る。
「見てなさい」
「何を」
「この子の戦い」
ユアンの視線が、セラへ移る。セラは静かに見返している。
「俺が見ても、いいんですか」
「いいんじゃない。見なさい」
ルナマリアの声は、少しだけ強くなった。
「あなたはまだ、セラのこと何も知らないでしょ」
ユアンは何も言えなかった。
その通りだった。
謝ることはできた。自分が馬鹿なことをしたのも分かった。けれど、セラが本当は何者なのかまでは、まだ分かっていない。
ユアンはこの夜、それを目の当たりにすることになる。
「行くわよ、シン」
「ああ」
ルナマリアが監視区域を出ていく。シンは一度だけユアンを見た。
「次やったら、俺でも庇わないからな」
「……はい」
ユアンは素直に答えた。
シンはそれ以上言わず、ルナマリアを追って出ていった。
取り残されたセラは、しばらくユアンの顔を見ていた。
「出撃待機に戻ります」
「ああ。……見てる」
セラは短く頷いた。
「はい」
そして、営倉の前から離れていった。
ユアンは端末に映る格納庫を見た。白い機体が、静かに出撃準備を進めている。
レギナント。
その名を、ユアンは初めてちゃんと意識した。
*****
陽が落ちた。
海の果てには、まだ少しだけ明るさが残っている。紫がかった空の下で、マナド泊地の輪郭が黒く沈み始めていた。
代わりに、月が昇っていた。明るい満月だった。
雲の縁が淡く照らされ、海面には銀色の筋が伸びている。昼の煙は薄れたが、焦げた港湾施設と仮設された防衛線が、戦闘の痕を残したまま夜の中に浮かんでいた。
マナド泊地の仮設指揮所では、まだ作業が続いている。
応急管制設備。臨時の通信回線。仮設対空陣地。MS待機区域。
完全ではない。だが、使えるところまで持ってきた。
作戦本部長の男は、端末の前で各部隊の配置を確認していた。航空MS、汎用MS、陸戦部隊。主攻部隊とカーペンタリアからの増援を合わせ、泊地周辺には9個中隊規模のMS部隊が展開している。
それでも、不安は消えない。
敵が夜を待っている可能性は、最初から想定されていた。だからこそ、警戒線を広げていた。
「外縁監視、第3区画から反応」
オペレーターの声が上がる。
本部長が顔を上げた。
「数は」
「まだ確定できません。低空です。海面反射に紛れています」
表示が揺れる。
ひとつ。ふたつ。
黒い影が、月明かりの下に浮かび上がる。そして、数が増えていく。
「光学補足。シルエット照合」
別のオペレーターが息を呑んだ。
「ムラサメです。オーブ軍主力MS、ムラサメ」
IFF照合の必要はなかった。あの可変翼の影は、見間違えようがない。
「敵機数、24。2個中隊規模です!」
本部長は端末を叩くように操作し、全周波数へ警報を流した。
「総員、戦闘態勢!」
指令所に警報が鳴り響く。
マナド泊地の仮設照明が切り替わり、夜の海に赤い警告灯が走った。MS待機区域でエンジンが起動する。パイロットたちが走る。誘導員が退避し、整備員がケーブルを外す。昼間に築いたばかりの橋頭堡が、一気に戦場へ変わっていく。
ミネルバのブリッジにも、警報が届いた。
「マナド泊地外縁に敵影。ムラサメ2個中隊規模」
メイリンの声が硬くなる。
タリアは正面モニターを見た。月明かりの下、黒い機影が海上を滑ってくる。
「各機、発進準備」
「了解」
アーサーが即座に指示を飛ばす。
「インパルス、セイバー、ザク、レギナント、発進待機!」
格納庫に警報が響く。
シンがコクピットで目を開く。ルナマリアは端末に映る映像接続を確認し、短く息を吐いた。レイは静かに機体を起動させる。アスランはモニターに映るムラサメの影を見つめていた。
そして、レギナントのコクピットで、セラは淡々とシステムを起動する。
「レギナント、起動確認」
営倉の端末にも、その映像が映った。
ユアンは息を呑む。
白い機体が、格納庫の中で静かに目を開く。
月明かりの下、セレベス海南西に位置するマナド泊地で、ザフト軍主力部隊とオーブ軍先遣隊の戦闘が始まろうとしていた。