機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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71.黄昏の営倉

夕焼けが、ミネルバの艦体を赤く染めていた。

 

マナド泊地の沖合に停泊する白い艦は、昼の戦闘で浴びた熱をまだ残している。甲板では整備員が動き、格納庫ではMSの再点検が続いていた。港では仮設された管制設備と補給線が、急ぎ足で橋頭堡としての形を整えつつある。

 

その喧騒から少し離れた艦長室で、タリアは1人の小隊長と、1人の少年を迎えていた。

 

カーペンタリア基地所属、MS部隊第3中隊第2小隊長、エルザ・ヴァルナー。

 

その隣で、予備兵のユアン・レッセルが青白い顔をして立っている。背筋は伸ばしているつもりなのだろう。だが肩はこわばり、視線は床に落ちていた。

 

「この度は、大変厚かましい要請を受けていただき、感謝いたします」

 

エルザは深く頭を下げた。

 

タリアは端末から目を上げる。

 

「あなたが、任務を放棄して艦に潜り込んだ予備兵ね」

 

その声は静かだった。

 

けれど、ユアンは身を竦ませた。

 

叱責というより、事実の確認だった。だからこそ逃げ場がない。

 

「報告上は、任務放棄および無断乗艦。状況次第では脱走兵として扱われる。意味は分かっているわね」

 

ユアンの喉が動いた。

 

「……はい」

 

かすれた声だった。

 

タリアはそれ以上、すぐには責めなかった。端末に表示された資料へ視線を落とす。

 

ユアン・レッセル。15歳。フェブラリウス市第2区出身。C.E.72、志願入隊。C.E.73、部隊研修のためカーペンタリア基地配属。

 

経歴だけを見れば、特別なものはない。むしろありふれている。戦争を遠くから見て、英雄の姿を追い、自分もその列に加われると信じた少年。

 

典型的な英雄思考ね。

 

タリアは内心でそう呟いた。そして、そういう少年ほど戦場で死にやすいことも知っていた。

 

「話は聞いているわ」

 

タリアは端末を閉じる。

 

「うちの営倉を貸してほしいなんて、大胆なことを考えるわね」

「はっ。こちらの監督不行き届きです。ですが――」

「言い訳はいいわ」

 

タリアはエルザの言葉を遮った。エルザは口を閉じる。

 

「あなたがこの子を現地で切り捨てず、手続きを踏んで処分を待たせたいと思ったことは分かっている。だから受けたの」

 

タリアの視線がユアンへ向く。

 

「けれど、勘違いしないこと」

 

ユアンは顔を上げられなかった。

 

「あなたは勇敢だったわけではない。命令を破り、部隊を乱し、他人に後始末を押しつけただけよ」

 

言葉は鋭かった。

 

ユアンの肩が小さく震える。

 

「自分だけならいいと思った?」

「……いえ」

「あなたが艦内で見つからなければ、あなたの小隊は捜索に人を割かれる。見つかれば、あなたを乗せた艦にも責任が発生する。戦闘中なら、あなたの処理に誰かの手が塞がる」

 

タリアは少しだけ間を置いた。

 

「戦場で、そういう一手が人を死なせるの」

 

艦長室に沈黙が落ちた。

 

エルザは何も言わない。ユアンも答えられない。

 

「本作戦が終了するまで、あなたはミネルバの営倉で反省していなさい。その後、正式にカーペンタリア基地へ引き渡す。処分はそちらで受けることになるわ」

「……はい」

 

ユアンはようやく声を出した。

 

エルザが敬礼する。

 

「ご配慮、感謝いたします」

「配慮ではないわ。手続きよ」

 

タリアは淡々と返す。

 

「ただし、次はないと思いなさい」

「はっ」

 

エルザの返答に続き、ユアンも慌てて敬礼した。形だけは整っている。だが、その手はまだ震えていた。

 

*****

 

*

 

営倉の隅で、ユアンは膝を抱えて座り込んでいた。

 

厚い扉。簡素な寝台。壁に埋め込まれた監視端末。艦内の音は遠く、ここだけが別の場所のように静かだった。

 

脱走兵。

 

タリアに言われた言葉が、頭から離れない。

 

自分は何をしたのだろう。

 

あの女の子がやるなら、自分だってやれる。そんなことを考えていた。けれど今になると、それがどうでもいいことに思えた。

 

自分より1つ下の子供が戦場に出ている。ミネルバの連中に普通に受け入れられている。それが羨ましくて、悔しくて、だから無理をした。

 

その結果がこれだ。

 

ユアンは両手で顔を覆った。

 

「……馬鹿だ」

 

声に出してみると、余計に惨めだった。

 

通路側から足音が近づいてくる。

 

ユアンは顔を上げる。営倉の前に立ったのは、シンとルナマリアだった。そしてその後ろに、セラがいる。

 

ユアンは反射的に背筋を伸ばした。

 

「まさか、こっそりついてくるなんてな。すごい度胸だ」

「そこ、褒めていいところじゃないわよ」

「命令違反は非推奨です」

「非推奨どころか厳禁だからね」

「厳禁」

 

セラは短く繰り返した。そのやり取りを、ユアンは気まずそうに見ていた。

 

港湾ドックで見た時と同じだ。シンも、ルナマリアも、セラを特別扱いしているように見える。けれど今は少し違って見えた。守っているというより、同じ場所に立っている者として扱っている。

 

ユアンは鉄格子越しに立ち上がった。

 

「あの」

 

3人の視線が向く。

 

ユアンはセラを見た。

 

小さい。やはり小さい。14歳だと分かっていても、同年代には見えなかった。どう見ても、もっと幼い。

 

けれど、そのことを笑う気にはもうなれなかった。

 

「この間は悪かった」

 

シンとルナマリアが、少しだけ目を丸くした。セラだけは表情を変えない。

 

「謝罪ですか」

「ああ。謝罪だ」

 

ユアンは頷く。

 

「俺より年下で、ミネルバみたいなすごい艦に乗ってて、そのパイロットたちに普通に受け入れられてて……羨ましかったんだと思う」

 

言葉にすると、情けなかった。けれど止めなかった。

 

「小さいとか、子供だとか、そんなことを言ったけど、本当は俺が勝手に腹を立ててただけだ。みんなにも迷惑をかけた」

 

ユアンは深く頭を下げる。

 

「すみませんでした」

 

セラは数秒、ユアンを見ていた。

 

「謝罪を確認しました」

「……それだけかよ」

 

思わず言ってから、ユアンは慌てて口を閉じた。

 

ルナマリアが小さく笑う。

 

「反省してるんだ」

「してます。そのせいで、みんなに迷惑をかけたから」

 

ユアンは真剣に答えた。

 

ルナマリアの表情が少し柔らかくなる。シンも腕を組んだまま視線を逸らした。怒っていないわけではない。だが、さっきより険は薄れていた。

 

「そっか」

 

ルナマリアはそう言って、監視端末の前に立った。

 

「じゃあ、これ貸したげる」

「あの……これは?」

 

営倉の壁面端末に、ミネルバの格納庫映像が表示された。続いて、ルナマリアのザクの機体番号と、外部カメラ系統の接続表示が出る。

 

「私のザクのメインカメラにつながってるわ。出撃したら、この端末に映るようにしてある」

「お、おいおいおい、駄目だろそれ」

 

シンが即座に言った。

 

「ルナ、その行為は厳禁です」

「分かってるわよ。本当は駄目。でも艦長には報告してあるわ。今回だけ」

「艦長に?」

 

ユアンが驚いて聞き返す。

 

「そう。メイリンに頼んだら、すごく渋い顔されたけどね。記録用の映像を、監視端末に限定して回してもらったの。勝手に通信したり、外に流したりはできないから安心しなさい」

 

シンはまだ納得していない顔だった。

 

「それでも普通は駄目だろ」

「だから、今回だけって言ってるでしょ」

 

ルナマリアはユアンを見る。

 

「見てなさい」

「何を」

「この子の戦い」

 

ユアンの視線が、セラへ移る。セラは静かに見返している。

 

「俺が見ても、いいんですか」

「いいんじゃない。見なさい」

 

ルナマリアの声は、少しだけ強くなった。

 

「あなたはまだ、セラのこと何も知らないでしょ」

 

ユアンは何も言えなかった。

 

その通りだった。

 

謝ることはできた。自分が馬鹿なことをしたのも分かった。けれど、セラが本当は何者なのかまでは、まだ分かっていない。

 

ユアンはこの夜、それを目の当たりにすることになる。

 

「行くわよ、シン」

「ああ」

 

ルナマリアが監視区域を出ていく。シンは一度だけユアンを見た。

 

「次やったら、俺でも庇わないからな」

「……はい」

 

ユアンは素直に答えた。

 

シンはそれ以上言わず、ルナマリアを追って出ていった。

 

取り残されたセラは、しばらくユアンの顔を見ていた。

 

「出撃待機に戻ります」

「ああ。……見てる」

 

セラは短く頷いた。

 

「はい」

 

そして、営倉の前から離れていった。

 

ユアンは端末に映る格納庫を見た。白い機体が、静かに出撃準備を進めている。

 

レギナント。

 

その名を、ユアンは初めてちゃんと意識した。

 

*****

 

陽が落ちた。

 

海の果てには、まだ少しだけ明るさが残っている。紫がかった空の下で、マナド泊地の輪郭が黒く沈み始めていた。

 

代わりに、月が昇っていた。明るい満月だった。

 

雲の縁が淡く照らされ、海面には銀色の筋が伸びている。昼の煙は薄れたが、焦げた港湾施設と仮設された防衛線が、戦闘の痕を残したまま夜の中に浮かんでいた。

 

マナド泊地の仮設指揮所では、まだ作業が続いている。

 

応急管制設備。臨時の通信回線。仮設対空陣地。MS待機区域。

 

完全ではない。だが、使えるところまで持ってきた。

 

作戦本部長の男は、端末の前で各部隊の配置を確認していた。航空MS、汎用MS、陸戦部隊。主攻部隊とカーペンタリアからの増援を合わせ、泊地周辺には9個中隊規模のMS部隊が展開している。

 

それでも、不安は消えない。

 

敵が夜を待っている可能性は、最初から想定されていた。だからこそ、警戒線を広げていた。

 

「外縁監視、第3区画から反応」

 

オペレーターの声が上がる。

 

本部長が顔を上げた。

 

「数は」

「まだ確定できません。低空です。海面反射に紛れています」

 

表示が揺れる。

 

ひとつ。ふたつ。

 

黒い影が、月明かりの下に浮かび上がる。そして、数が増えていく。

 

「光学補足。シルエット照合」

 

別のオペレーターが息を呑んだ。

 

「ムラサメです。オーブ軍主力MS、ムラサメ」

 

IFF照合の必要はなかった。あの可変翼の影は、見間違えようがない。

 

「敵機数、24。2個中隊規模です!」

 

本部長は端末を叩くように操作し、全周波数へ警報を流した。

 

「総員、戦闘態勢!」

 

指令所に警報が鳴り響く。

 

マナド泊地の仮設照明が切り替わり、夜の海に赤い警告灯が走った。MS待機区域でエンジンが起動する。パイロットたちが走る。誘導員が退避し、整備員がケーブルを外す。昼間に築いたばかりの橋頭堡が、一気に戦場へ変わっていく。

 

ミネルバのブリッジにも、警報が届いた。

 

「マナド泊地外縁に敵影。ムラサメ2個中隊規模」

 

メイリンの声が硬くなる。

 

タリアは正面モニターを見た。月明かりの下、黒い機影が海上を滑ってくる。

 

「各機、発進準備」

「了解」

 

アーサーが即座に指示を飛ばす。

 

「インパルス、セイバー、ザク、レギナント、発進待機!」

 

格納庫に警報が響く。

 

シンがコクピットで目を開く。ルナマリアは端末に映る映像接続を確認し、短く息を吐いた。レイは静かに機体を起動させる。アスランはモニターに映るムラサメの影を見つめていた。

 

そして、レギナントのコクピットで、セラは淡々とシステムを起動する。

 

「レギナント、起動確認」

 

営倉の端末にも、その映像が映った。

 

ユアンは息を呑む。

 

白い機体が、格納庫の中で静かに目を開く。

 

月明かりの下、セレベス海南西に位置するマナド泊地で、ザフト軍主力部隊とオーブ軍先遣隊の戦闘が始まろうとしていた。

 

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