機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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72.月下の攻防戦

数時間前、アークエンジェルはセレベス海の外縁を航行していた。

 

昼下がりの光が、艦橋を淡く照らしている。前方モニターに映る海面は穏やかだったが、通信席で受信された暗号通信が、その空気を変えた。

 

「艦長、オーブ方面からです。マナドが……ザフトに制圧されたそうです」

「マナドが?」

「はい。いくつかの中継を挟んで届いた連絡です。発信元は伏せられていますが、オーブ国内で動いている協力者たちからのものだと思います」

 

ミリアリアの声は抑えられていた。

添付されていた港湾周辺の断片映像と艦艇の移動記録は、作り物にしては具体的すぎた。

ザフト地球方面軍がセレベス海へ進出し、マナド近郊を押さえ、仮設陣地と対空防御を急いでいる。そこまでは読み取れる。

 

カガリが一歩前に出る。

 

「オーブ軍はどうしている」

「マニラ方面の部隊が動いています。マナド奪還のために出るつもりだと。護衛艦5隻、航空母艦3隻。展開するMSは100機以上になる可能性があります」

「100機以上……」

 

それは威力偵察ではない。ザフトが築きつつある橋頭堡を、正面から叩くための戦力だった。

ノイマンが操舵席から振り返らずに言う。

 

「この動き、ザフトもオーブ軍が来ると見ているんじゃないですか。橋頭堡を作るだけなら、ここまで急いで防御を固めないでしょう」

「待ち構えている相手に、100機以上のMSを向かわせるのか」

 

カガリは奥歯を噛んだ。

オーブ軍はマナドを奪還しようとしている。ザフトは橋頭堡を守ろうとしている。どちらにも退けない理由がある。だからこそ、その先で何が起きるかは分かりきっていた。

 

「このままじゃ、本格的な戦闘になる」

 

キラは海ではなく、戦域図を見ていた。セレベス海、マナド、マニラ方面から伸びる予想進路。その中心に、赤い円で示された橋頭堡がある。

 

「ザフトは守るために撃つ。オーブ軍は奪還のために突っ込む。どちらかが止まらなければ、たぶん止まらない」

「分かっている」

 

カガリの声は低かった。

 

「ザフトが侵攻してきたなら、オーブ軍が動くのは当然だ。マナドを取り戻そうとするのも、間違ってはいない。だけど……」

 

その先は言葉にならなかった。

当然の行動が、当然のまま多くの兵を死なせる。オーブの兵も、ザフトの兵も、互いに退けなくなる。

 

マリューは少しだけ沈黙した。

アークエンジェルが出れば、ザフトからもオーブ軍からも敵と見なされる。歓迎される保証などない。下手をすれば、両方から撃たれる。それでも、ここで動かなければ間に合わない。

 

「カガリ」

 

キラが彼女を見る。

 

「行こう」

「キラ……」

「止められるかは分からない。でも、何もしないで見ていることはできない」

 

カガリはうつむきかけ、すぐに顔を上げた。

 

「あれはオーブの軍だ。オーブの兵なんだ。命令として届かなくても、私が行かなきゃいけない」

 

マリューは小さく息を吐いた。

 

「ノイマン」

「はい」

「針路をセレベス海へ。最大戦速で」

「了解。針路、セレベス海。最大戦速」

 

艦体がゆっくりと向きを変える。

ミリアリアが通信系統を切り替えながら言った。

 

「艦長、回線はこのまま受信を続けますか」

「ええ。ただし、こちらからは返さないで。位置を拾われる危険があるわ。拾える情報だけ拾って、戦域に入ってから判断します」

 

カガリは前方モニターを見つめた。そこにはまだ、戦火は映っていない。青い海と雲の影だけがある。

だが、その先でオーブの兵が戦場へ向かっている。

 

「また……私は間に合わないのか」

 

小さな呟きだった。

 

「間に合わせよう、カガリ」

 

キラの声に、カガリは振り返らなかった。ただ、拳を握りしめる。

 

「ああ。今度こそ止める。オーブの兵を、また誰かの戦争で死なせたりしない」

 

アークエンジェルは速度を上げた。白い艦は、まだ見ぬ戦場へ向かって、セレベス海を目指した。

 

*****

 

陽は沈み、月が昇りきっていた。

 

セレベス海は銀色に光っている。明るい月夜だった。だが、海上の戦場にとって、それは救いにはならない。雲の影、波の反射、港湾施設の黒い輪郭。光があるからこそ、見えないものも増える。

 

ザフトとオーブ軍の戦いは、すでに始まっていた。

先遣隊として現れたムラサメは24機。対して、マナド泊地から上がったザクファントムは3個中隊。地上からはガナーザク2個小隊が、仮設された陣地から支援砲撃を続けている。ミネルバ隊はまだ出ていない。今後来るであろう増援に備え、温存されていた。

オーブ軍の目的は明確だった。混乱と時間稼ぎ。防空の穴を開け、指揮を乱し、後続の到着まで戦場を引き延ばす。ザフト側も、それを理解している。増援が来る前に、少しでも数を減らさなければならない。

 

『左へ振れ。正面は厚い』

『低い、低いぞ。海面に食われる!』

 

ムラサメが月明かりの下で翼を傾ける。高度を落とし、海面すれすれを走り、仮設陣地の射線を引き散らそうとする。

ガナーザクの砲撃がその進路を切った。1機が急上昇する。そこへ上空のザクが回り込んだ。ビームが尾翼を裂き、機体は姿勢を崩して海へ落ちる。

 

『1機落ちた!』

『構うな、穴を開けろ!』

 

先遣隊は退かない。勝つためではなく、乱すために来ている。1機が撃たれても、別の2機が低空に滑り込み、地上砲火を引きつける。

だが、ザフトには有利な点があった。数の差。地上からの支援。そして疲労の差。オーブ軍先遣隊は、1000キロを超える距離を飛んできている。ここまで来るだけで集中力は削られていた。夜間の低空飛行では、わずかな判断遅れがそのまま死につながる。

 

『高度を戻せ、機首が沈んでる!』

『分かって――』

 

返答は途切れた。

海面に火球が1つ咲く。

 

マナド泊地の仮設指揮所では、作戦本部長が戦況表示を睨んでいた。先遣隊は削れている。だが、削り切るには時間がいる。その時間を、敵は買いに来ていた。

 

「外縁、第2警戒線に新規反応」

「数は」

「36。ムラサメ3個中隊規模。第二波です」

「さらに後方、陸側から熱源。市街地外縁です」

「残存部隊か」

「照合。マナド防衛隊のM1アストレイ、推定14機」

 

昼間に港を追われた部隊だった。泊地正面ではなく、背後から仮設陣地と補給線を叩きに来ている。

正面に第二波。背後に残存部隊。先遣隊の狙いが、そこでようやく形になった。

 

「後背防衛線、圧力上昇!」

「第3区画、応答が乱れています」

「補給線へ向かう機影あり!」

 

本部長は即断した。

 

「ミネルバへ増援要請。後背の敵を潰してもらう。それまで補給線を抜かせるな」

 

*****

 

後背防衛線では、エルザ隊が補給車列の前に出ていた。

 

仮設照明の光は足りない。倉庫の残骸とコンテナの影が、道路の両側に黒い壁を作っている。そこへ、市街地外縁からM1が降りてきた。昼間に後退した機体群だ。機体の塗装は煤け、脚部に損傷を抱えたものも混じっている。

だが、動きは鈍くなかった。

 

「前に出るな、ラルフ。ここを抜かれたら終わりだ」

『分かってるよ、姐さん!』

「公の通信で言うな」

『今それ言うかよ!』

 

ラルフのザクが道路中央に立つ。オルガンは左側の資材置き場へ回り、ミケルは補給車列の前で機体を沈めた。

エルザは敵の動きを見ていた。数は多くない。だが、正面の4機が妙に大きく回っている。こちらの視線を集め、補給線から意識を離そうとしている。

 

「オルガン、左を見ろ。正面だけ見るな」

『見えてる。あいつら、派手に動きすぎだ』

「ミケル、車列を下げろ」

『後ろが詰まってる。時間がいる』

「作れ」

 

その瞬間、右側の倉庫跡から光が走った。

伏せていたM1が、コンテナの隙間から一斉に撃った。ビームが補給車両の列をかすめ、燃料タンクを積んだトラックが横転する。炎は上がらなかった。だが道路が塞がれ、退避路が消えた。

 

『右だ!』

『伏兵か!』

 

ミケルの声が悲鳴に近くなる。

エルザは即座に機体を右へ向けた。

 

「車列を捨てろ。人員を下げる。機体で壁を作れ」

『車両は?』

「命より重い物資はない」

 

返答を待たず、エルザは前へ出た。

M1が3機、倉庫跡から飛び出してくる。1機はシールドを構え、もう1機が低く潜り、残る1機が補給車列へ銃口を向けた。ラルフがその射線へ割り込んだ。

 

『撃たせるかよ!』

 

ビームがザクの胴を焼く。ラルフ機はよろめきながらも、肩でM1を押し返した。だが次の瞬間、横から別の斬撃が入る。右腕が飛び、機体がコンテナへ叩きつけられた。

 

『ラルフ!』

『いいから下がれ! 車列を――』

 

通信がノイズに消える。

オルガンが左から援護に入った。射撃は正確だった。正面のM1の脚を撃ち抜き、敵の突進を止める。だが、それも敵の狙いだった。

 

『上、来るぞ!』

 

ミケルが叫ぶ。

夜空から、別のM1が降ってきた。コンテナの屋根を蹴り、オルガン機の背後へ落ちる。振り向く暇はなかった。ビームサーベルが背部を裂き、オルガンのザクが膝から崩れた。

 

『くそ、こんなところで――』

 

爆発は小さかった。だが通信は戻らない。

ミケルは後退しながら、作業兵たちを逃がそうとしていた。ザクの腕を広げ、伏せた兵士たちを機体の影へ入れる。

 

『走れ! 立つな、這ってでも行け!』

 

M1の銃口がそちらへ向く。

エルザは咄嗟に割り込もうとした。だが正面の敵が進路を塞ぐ。斬りつけてくる。受ける。押し返す。その一拍が遅れた。

ビームがミケル機の胸部を貫いた。

 

『姐、さ――』

 

声は途切れた。

エルザは歯を食いしばる。

 

「……第2小隊、応答しろ」

 

返事はない。赤い警告表示だけが増えていく。

敵は残り少ない。だが、こちらはもう1機だけだった。補給線の後ろでは、作業兵たちが這うようにして退避している。燃料車両を捨て、弾薬ケースを置き、ただ人だけが逃げていく。

それでいい。

 

「こちら第3中隊第2小隊、エルザ・ヴァルナー」

「後背防衛線、敵奇襲を受けた。補給車列は放棄。人員退避を優先する。繰り返す。人員退避を優先」

 

正面のM1が距離を詰める。

エルザはライフルを捨て、ヒートホークを抜いた。

 

「ラルフ、オルガン、ミケル。よくやった」

 

聞こえている者はいない。それでも言った。

M1が撃つ。エルザは避けず、機体を前へ押し出した。胸部装甲が焼ける。警告が重なる。だが、ザクは止まらない。

最後の一撃は、補給線へ抜けようとした敵の脚を断った。

 

『まだ動くのか!』

『下がれ、こいつ――』

 

敵の声が混ざる。

エルザは機体を敵に組みつかせたまま、残った推進器を吹かした。ザクとM1がもつれ、コンテナ群へ倒れ込む。金属が潰れ、火花が散った。

通信が切れる直前、短い声だけが残った。

 

「ここは抜かせない」

 

爆発が、補給線の手前で起きた。

仮設指揮所の表示から、第3中隊第2小隊の識別が消える。

 

「後背防衛線、第2小隊応答なし!」

「補給線前方で爆発。敵の進入速度が低下しています」

「人員退避、確認。車列は損耗多数」

 

作戦本部長は一瞬だけ目を閉じた。

 

「記録しろ。第2小隊は、補給線を守った」

 

その声は、すぐに次の報告に飲まれた。

 

*****

 

「こちらマナド仮設指揮所。ミネルバ、聞こえますか。後背より敵残存部隊接近。第二波との挟撃を受けています。増援を要請します」

 

ミネルバのブリッジで、タリアは正面モニターを見た。

 

「受諾します。ミネルバMS隊、発進」

 

アーサーが即座に指示を飛ばす。

 

「インパルス、セイバー、ザク、レギナント、発進!」

 

格納庫の照明が切り替わる。

シンは返答より早く機体を動かしていた。アスランはそれを止めない。

 

「シン、急げ。後背を潰す」

「分かってる!」

 

主力が来れば、戦場は総力戦になる。そうなればザフトもオーブも引けなくなる。港の外へ逃げ遅れた民間人も、補給線で動く復旧班も、巻き込まれる。

その前に終わらせる。

 

インパルスが月下の海へ飛び出した。

 

『ミネルバからMS!』

『インパルスだ、正面に出すな!』

 

叫びより速く、白と赤の機体が敵後背へ突っ込む。1機がシールドを構えた。シンは斬り結ばない。腕だけを落とし、肩で弾くようにして進路を奪った。

セイバーがその後ろを抜ける。変形した機影が弧を描き、低空から迫るM1の頭上を取った。撃墜ではなく、退路を塞ぐ位置だ。

 

「挟むぞ」

「了解」

 

短いやり取りだけで十分だった。

ルナマリアは第二波の前縁へ砲撃を入れる。直撃は少ない。だが、ムラサメの進路が乱れ、低空へ逃げる機体が減った。そこをレイが拾う。危険な射線だけを潰し、味方の前を開ける。

 

『砲撃が来る、散れ!』

『散ったら防空に食われる!』

 

敵の迷いが、そのまま隊列の乱れになった。

ミネルバ隊が後背防衛線に到着した時、そこにはすでに燃える補給車両と、倒れたザクの残骸があった。

 

「……遅かったのかよ」

 

シンの声が低くなる。

レイが即座に応じる。

 

『感情を後に回せ。残敵がいる』

「分かってる!」

 

白い機体が、炎の向こうから現れた。

レギナントだった。大きい。白い。だが、推進炎は少ない。動きだけが異常に速い。

 

『でかいぞ、当てろ!』

『照準が滑る!』

 

白い機体は直進していない。進路が折れ、次の瞬間には別の角度にいる。ドラグーンが散り、逃げ道の先を塞ぐ。敵は避けたつもりで、味方の射線へ押し出された。

 

「捕捉継続」

 

セラの声は短かった。

 

ユアンは営倉の端末を見つめていた。

映像の中で、白い機体が戦場を縫う。派手に叫ばない。勝ち誇らない。なのに、敵の動きが少しずつ狭められていく。

あの子が小さいかどうかなど、もう関係なかった。自分が勝手に羨んだ相手は、こんな場所で、こんなものを見ながら戦っていた。

画面の中で、レギナントが敵を追い詰める。セイバーが退路を塞ぎ、インパルスが前へ出る。逃げたM1は、ドラグーンに誘導されてザクの射線へ押し出された。

 

『後ろを取られた!』

 

M1が逃げた先に、セイバーがいた。アスランのビームが脚部を撃ち抜く。海側へ逃げたムラサメにはインパルスが追いつく。シンは爆発を見なかった。次の影を見る。

 

「後背、残り4」

「こっちで2機抑える」

「残りは俺がやる!」

 

インパルスが加速する。

1機が慌てて変形しようとした。間に合わない。ビームサーベルが翼を断ち、機体は回転しながら海面へ落ちた。

 

『速――』

 

声が消える。

ザフトの防衛線が息を吹き返した。地上砲火が再び正面を向く。第二波の先頭が押し返され、後背の残存部隊は散り始める。

 

仮設指揮所で、作戦本部長が拳を握った。

 

「後背の敵影、沈黙。補給線、維持」

「第二波、前進停止。外縁で再編しています」

「第3中隊第2小隊、全機応答なし」

 

間に合った。だが、失ったものは戻らない。

 

そう思えた瞬間だった。

ミネルバのブリッジで、警報が鳴る。

 

「高速接近する機影。上空、高度を取っています」

 

メイリンの声が変わった。

タリアはモニターを見る。月明かりの上を、白い光が横切った。

シンの手が、一瞬だけ止まる。

 

「……フリーダム」

 

その背後、海面近くにもうひとつの白い影が現れる。

アークエンジェル。

月下の戦場へ、白い翼が割り込んできた。

 

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