機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
数時間前、アークエンジェルはセレベス海の外縁を航行していた。
昼下がりの光が、艦橋を淡く照らしている。前方モニターに映る海面は穏やかだったが、通信席で受信された暗号通信が、その空気を変えた。
「艦長、オーブ方面からです。マナドが……ザフトに制圧されたそうです」
「マナドが?」
「はい。いくつかの中継を挟んで届いた連絡です。発信元は伏せられていますが、オーブ国内で動いている協力者たちからのものだと思います」
ミリアリアの声は抑えられていた。
添付されていた港湾周辺の断片映像と艦艇の移動記録は、作り物にしては具体的すぎた。
ザフト地球方面軍がセレベス海へ進出し、マナド近郊を押さえ、仮設陣地と対空防御を急いでいる。そこまでは読み取れる。
カガリが一歩前に出る。
「オーブ軍はどうしている」
「マニラ方面の部隊が動いています。マナド奪還のために出るつもりだと。護衛艦5隻、航空母艦3隻。展開するMSは100機以上になる可能性があります」
「100機以上……」
それは威力偵察ではない。ザフトが築きつつある橋頭堡を、正面から叩くための戦力だった。
ノイマンが操舵席から振り返らずに言う。
「この動き、ザフトもオーブ軍が来ると見ているんじゃないですか。橋頭堡を作るだけなら、ここまで急いで防御を固めないでしょう」
「待ち構えている相手に、100機以上のMSを向かわせるのか」
カガリは奥歯を噛んだ。
オーブ軍はマナドを奪還しようとしている。ザフトは橋頭堡を守ろうとしている。どちらにも退けない理由がある。だからこそ、その先で何が起きるかは分かりきっていた。
「このままじゃ、本格的な戦闘になる」
キラは海ではなく、戦域図を見ていた。セレベス海、マナド、マニラ方面から伸びる予想進路。その中心に、赤い円で示された橋頭堡がある。
「ザフトは守るために撃つ。オーブ軍は奪還のために突っ込む。どちらかが止まらなければ、たぶん止まらない」
「分かっている」
カガリの声は低かった。
「ザフトが侵攻してきたなら、オーブ軍が動くのは当然だ。マナドを取り戻そうとするのも、間違ってはいない。だけど……」
その先は言葉にならなかった。
当然の行動が、当然のまま多くの兵を死なせる。オーブの兵も、ザフトの兵も、互いに退けなくなる。
マリューは少しだけ沈黙した。
アークエンジェルが出れば、ザフトからもオーブ軍からも敵と見なされる。歓迎される保証などない。下手をすれば、両方から撃たれる。それでも、ここで動かなければ間に合わない。
「カガリ」
キラが彼女を見る。
「行こう」
「キラ……」
「止められるかは分からない。でも、何もしないで見ていることはできない」
カガリはうつむきかけ、すぐに顔を上げた。
「あれはオーブの軍だ。オーブの兵なんだ。命令として届かなくても、私が行かなきゃいけない」
マリューは小さく息を吐いた。
「ノイマン」
「はい」
「針路をセレベス海へ。最大戦速で」
「了解。針路、セレベス海。最大戦速」
艦体がゆっくりと向きを変える。
ミリアリアが通信系統を切り替えながら言った。
「艦長、回線はこのまま受信を続けますか」
「ええ。ただし、こちらからは返さないで。位置を拾われる危険があるわ。拾える情報だけ拾って、戦域に入ってから判断します」
カガリは前方モニターを見つめた。そこにはまだ、戦火は映っていない。青い海と雲の影だけがある。
だが、その先でオーブの兵が戦場へ向かっている。
「また……私は間に合わないのか」
小さな呟きだった。
「間に合わせよう、カガリ」
キラの声に、カガリは振り返らなかった。ただ、拳を握りしめる。
「ああ。今度こそ止める。オーブの兵を、また誰かの戦争で死なせたりしない」
アークエンジェルは速度を上げた。白い艦は、まだ見ぬ戦場へ向かって、セレベス海を目指した。
*****
陽は沈み、月が昇りきっていた。
セレベス海は銀色に光っている。明るい月夜だった。だが、海上の戦場にとって、それは救いにはならない。雲の影、波の反射、港湾施設の黒い輪郭。光があるからこそ、見えないものも増える。
ザフトとオーブ軍の戦いは、すでに始まっていた。
先遣隊として現れたムラサメは24機。対して、マナド泊地から上がったザクファントムは3個中隊。地上からはガナーザク2個小隊が、仮設された陣地から支援砲撃を続けている。ミネルバ隊はまだ出ていない。今後来るであろう増援に備え、温存されていた。
オーブ軍の目的は明確だった。混乱と時間稼ぎ。防空の穴を開け、指揮を乱し、後続の到着まで戦場を引き延ばす。ザフト側も、それを理解している。増援が来る前に、少しでも数を減らさなければならない。
『左へ振れ。正面は厚い』
『低い、低いぞ。海面に食われる!』
ムラサメが月明かりの下で翼を傾ける。高度を落とし、海面すれすれを走り、仮設陣地の射線を引き散らそうとする。
ガナーザクの砲撃がその進路を切った。1機が急上昇する。そこへ上空のザクが回り込んだ。ビームが尾翼を裂き、機体は姿勢を崩して海へ落ちる。
『1機落ちた!』
『構うな、穴を開けろ!』
先遣隊は退かない。勝つためではなく、乱すために来ている。1機が撃たれても、別の2機が低空に滑り込み、地上砲火を引きつける。
だが、ザフトには有利な点があった。数の差。地上からの支援。そして疲労の差。オーブ軍先遣隊は、1000キロを超える距離を飛んできている。ここまで来るだけで集中力は削られていた。夜間の低空飛行では、わずかな判断遅れがそのまま死につながる。
『高度を戻せ、機首が沈んでる!』
『分かって――』
返答は途切れた。
海面に火球が1つ咲く。
マナド泊地の仮設指揮所では、作戦本部長が戦況表示を睨んでいた。先遣隊は削れている。だが、削り切るには時間がいる。その時間を、敵は買いに来ていた。
「外縁、第2警戒線に新規反応」
「数は」
「36。ムラサメ3個中隊規模。第二波です」
「さらに後方、陸側から熱源。市街地外縁です」
「残存部隊か」
「照合。マナド防衛隊のM1アストレイ、推定14機」
昼間に港を追われた部隊だった。泊地正面ではなく、背後から仮設陣地と補給線を叩きに来ている。
正面に第二波。背後に残存部隊。先遣隊の狙いが、そこでようやく形になった。
「後背防衛線、圧力上昇!」
「第3区画、応答が乱れています」
「補給線へ向かう機影あり!」
本部長は即断した。
「ミネルバへ増援要請。後背の敵を潰してもらう。それまで補給線を抜かせるな」
*****
後背防衛線では、エルザ隊が補給車列の前に出ていた。
仮設照明の光は足りない。倉庫の残骸とコンテナの影が、道路の両側に黒い壁を作っている。そこへ、市街地外縁からM1が降りてきた。昼間に後退した機体群だ。機体の塗装は煤け、脚部に損傷を抱えたものも混じっている。
だが、動きは鈍くなかった。
「前に出るな、ラルフ。ここを抜かれたら終わりだ」
『分かってるよ、姐さん!』
「公の通信で言うな」
『今それ言うかよ!』
ラルフのザクが道路中央に立つ。オルガンは左側の資材置き場へ回り、ミケルは補給車列の前で機体を沈めた。
エルザは敵の動きを見ていた。数は多くない。だが、正面の4機が妙に大きく回っている。こちらの視線を集め、補給線から意識を離そうとしている。
「オルガン、左を見ろ。正面だけ見るな」
『見えてる。あいつら、派手に動きすぎだ』
「ミケル、車列を下げろ」
『後ろが詰まってる。時間がいる』
「作れ」
その瞬間、右側の倉庫跡から光が走った。
伏せていたM1が、コンテナの隙間から一斉に撃った。ビームが補給車両の列をかすめ、燃料タンクを積んだトラックが横転する。炎は上がらなかった。だが道路が塞がれ、退避路が消えた。
『右だ!』
『伏兵か!』
ミケルの声が悲鳴に近くなる。
エルザは即座に機体を右へ向けた。
「車列を捨てろ。人員を下げる。機体で壁を作れ」
『車両は?』
「命より重い物資はない」
返答を待たず、エルザは前へ出た。
M1が3機、倉庫跡から飛び出してくる。1機はシールドを構え、もう1機が低く潜り、残る1機が補給車列へ銃口を向けた。ラルフがその射線へ割り込んだ。
『撃たせるかよ!』
ビームがザクの胴を焼く。ラルフ機はよろめきながらも、肩でM1を押し返した。だが次の瞬間、横から別の斬撃が入る。右腕が飛び、機体がコンテナへ叩きつけられた。
『ラルフ!』
『いいから下がれ! 車列を――』
通信がノイズに消える。
オルガンが左から援護に入った。射撃は正確だった。正面のM1の脚を撃ち抜き、敵の突進を止める。だが、それも敵の狙いだった。
『上、来るぞ!』
ミケルが叫ぶ。
夜空から、別のM1が降ってきた。コンテナの屋根を蹴り、オルガン機の背後へ落ちる。振り向く暇はなかった。ビームサーベルが背部を裂き、オルガンのザクが膝から崩れた。
『くそ、こんなところで――』
爆発は小さかった。だが通信は戻らない。
ミケルは後退しながら、作業兵たちを逃がそうとしていた。ザクの腕を広げ、伏せた兵士たちを機体の影へ入れる。
『走れ! 立つな、這ってでも行け!』
M1の銃口がそちらへ向く。
エルザは咄嗟に割り込もうとした。だが正面の敵が進路を塞ぐ。斬りつけてくる。受ける。押し返す。その一拍が遅れた。
ビームがミケル機の胸部を貫いた。
『姐、さ――』
声は途切れた。
エルザは歯を食いしばる。
「……第2小隊、応答しろ」
返事はない。赤い警告表示だけが増えていく。
敵は残り少ない。だが、こちらはもう1機だけだった。補給線の後ろでは、作業兵たちが這うようにして退避している。燃料車両を捨て、弾薬ケースを置き、ただ人だけが逃げていく。
それでいい。
「こちら第3中隊第2小隊、エルザ・ヴァルナー」
「後背防衛線、敵奇襲を受けた。補給車列は放棄。人員退避を優先する。繰り返す。人員退避を優先」
正面のM1が距離を詰める。
エルザはライフルを捨て、ヒートホークを抜いた。
「ラルフ、オルガン、ミケル。よくやった」
聞こえている者はいない。それでも言った。
M1が撃つ。エルザは避けず、機体を前へ押し出した。胸部装甲が焼ける。警告が重なる。だが、ザクは止まらない。
最後の一撃は、補給線へ抜けようとした敵の脚を断った。
『まだ動くのか!』
『下がれ、こいつ――』
敵の声が混ざる。
エルザは機体を敵に組みつかせたまま、残った推進器を吹かした。ザクとM1がもつれ、コンテナ群へ倒れ込む。金属が潰れ、火花が散った。
通信が切れる直前、短い声だけが残った。
「ここは抜かせない」
爆発が、補給線の手前で起きた。
仮設指揮所の表示から、第3中隊第2小隊の識別が消える。
「後背防衛線、第2小隊応答なし!」
「補給線前方で爆発。敵の進入速度が低下しています」
「人員退避、確認。車列は損耗多数」
作戦本部長は一瞬だけ目を閉じた。
「記録しろ。第2小隊は、補給線を守った」
その声は、すぐに次の報告に飲まれた。
*****
「こちらマナド仮設指揮所。ミネルバ、聞こえますか。後背より敵残存部隊接近。第二波との挟撃を受けています。増援を要請します」
ミネルバのブリッジで、タリアは正面モニターを見た。
「受諾します。ミネルバMS隊、発進」
アーサーが即座に指示を飛ばす。
「インパルス、セイバー、ザク、レギナント、発進!」
格納庫の照明が切り替わる。
シンは返答より早く機体を動かしていた。アスランはそれを止めない。
「シン、急げ。後背を潰す」
「分かってる!」
主力が来れば、戦場は総力戦になる。そうなればザフトもオーブも引けなくなる。港の外へ逃げ遅れた民間人も、補給線で動く復旧班も、巻き込まれる。
その前に終わらせる。
インパルスが月下の海へ飛び出した。
『ミネルバからMS!』
『インパルスだ、正面に出すな!』
叫びより速く、白と赤の機体が敵後背へ突っ込む。1機がシールドを構えた。シンは斬り結ばない。腕だけを落とし、肩で弾くようにして進路を奪った。
セイバーがその後ろを抜ける。変形した機影が弧を描き、低空から迫るM1の頭上を取った。撃墜ではなく、退路を塞ぐ位置だ。
「挟むぞ」
「了解」
短いやり取りだけで十分だった。
ルナマリアは第二波の前縁へ砲撃を入れる。直撃は少ない。だが、ムラサメの進路が乱れ、低空へ逃げる機体が減った。そこをレイが拾う。危険な射線だけを潰し、味方の前を開ける。
『砲撃が来る、散れ!』
『散ったら防空に食われる!』
敵の迷いが、そのまま隊列の乱れになった。
ミネルバ隊が後背防衛線に到着した時、そこにはすでに燃える補給車両と、倒れたザクの残骸があった。
「……遅かったのかよ」
シンの声が低くなる。
レイが即座に応じる。
『感情を後に回せ。残敵がいる』
「分かってる!」
白い機体が、炎の向こうから現れた。
レギナントだった。大きい。白い。だが、推進炎は少ない。動きだけが異常に速い。
『でかいぞ、当てろ!』
『照準が滑る!』
白い機体は直進していない。進路が折れ、次の瞬間には別の角度にいる。ドラグーンが散り、逃げ道の先を塞ぐ。敵は避けたつもりで、味方の射線へ押し出された。
「捕捉継続」
セラの声は短かった。
ユアンは営倉の端末を見つめていた。
映像の中で、白い機体が戦場を縫う。派手に叫ばない。勝ち誇らない。なのに、敵の動きが少しずつ狭められていく。
あの子が小さいかどうかなど、もう関係なかった。自分が勝手に羨んだ相手は、こんな場所で、こんなものを見ながら戦っていた。
画面の中で、レギナントが敵を追い詰める。セイバーが退路を塞ぎ、インパルスが前へ出る。逃げたM1は、ドラグーンに誘導されてザクの射線へ押し出された。
『後ろを取られた!』
M1が逃げた先に、セイバーがいた。アスランのビームが脚部を撃ち抜く。海側へ逃げたムラサメにはインパルスが追いつく。シンは爆発を見なかった。次の影を見る。
「後背、残り4」
「こっちで2機抑える」
「残りは俺がやる!」
インパルスが加速する。
1機が慌てて変形しようとした。間に合わない。ビームサーベルが翼を断ち、機体は回転しながら海面へ落ちた。
『速――』
声が消える。
ザフトの防衛線が息を吹き返した。地上砲火が再び正面を向く。第二波の先頭が押し返され、後背の残存部隊は散り始める。
仮設指揮所で、作戦本部長が拳を握った。
「後背の敵影、沈黙。補給線、維持」
「第二波、前進停止。外縁で再編しています」
「第3中隊第2小隊、全機応答なし」
間に合った。だが、失ったものは戻らない。
そう思えた瞬間だった。
ミネルバのブリッジで、警報が鳴る。
「高速接近する機影。上空、高度を取っています」
メイリンの声が変わった。
タリアはモニターを見る。月明かりの上を、白い光が横切った。
シンの手が、一瞬だけ止まる。
「……フリーダム」
その背後、海面近くにもうひとつの白い影が現れる。
アークエンジェル。
月下の戦場へ、白い翼が割り込んできた。