機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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74.夜陰の種

タンホイザーの光は、敵船団の中心を撃ち抜かなかった。

 

ミネルバの艦首から放たれた陽電子の奔流は、散開しかけた護衛艦の影をかすめ、空母と戦闘艦の間に生まれた細い隙間を、夜の海ごと焼き裂いて走り抜けた。

 

直撃ではない。だが、その余波はあまりにも大きかった。

海面が白く沸き上がり、両側にいた艦の装甲が赤く焼け、艦腹の継ぎ目が歪む。

遅れて水柱が連なり、月明かりの下で、巨大な艦影がゆっくりと傾いていった。

 

「タンホイザー、直撃なし! ただし敵空母2隻、艦腹部に損傷。浸水反応、艦体傾斜を確認!」

「敵戦闘艦1隻、小破と思われます。左舷側から黒煙、速度低下!」

「敵船団、隊列崩れます。護衛艦が空母側へ寄っています!」

 

ブリッジに報告が重なった。アーサーは一瞬だけ息を詰め、それから戦術表示を見直す。

撃沈確認はない。1隻を貫いたわけでもない。

けれど、航空母艦2隻が同時に傾けば、それだけで戦場へ上げられるMSの数は変わる。

飛び立つはずだった機体は甲板上で足を止め、戻るはずだった機体は帰る場所を失う。

ミネルバの一撃は、敵船団の喉元ではなく、呼吸そのものを乱していた。

 

「空母の発着艦能力は」

「少なくとも当面は不可能です。甲板姿勢が維持できません」

「十分よ。次に来るはずだったMSを、海の上に縛った」

 

タリアの声に喜色はなかった。戦果は戦果だ。だが、傾いた空母の甲板には人がいる。命令を受け、艦を動かし、戦場に送り込まれた兵がいる。タリアはその事実を無視しない。

ただ、そこで立ち止まることもしなかった。今ここでためらえば、次に傾くのはミネルバだ。

 

ストライクルージュのコクピットで、カガリはその光を見ていた。

白く焼けた海面の向こうで、オーブ艦が傾いていく。沈んだわけではない。爆沈したわけでもない。それでも、艦橋の窓に映る炎と、甲板を走る小さな影は、彼女の胸を締めつけた。

 

『なんてことを……』

 

こぼれた声は、オープンチャンネルにかすかに乗った。

ルージュは迷うように一度高度を落とし、それからミネルバへ向けて進路を取る。攻撃態勢ではない。ビームライフルの銃口も下げている。だが、戦場のただ中で接近してくるMSを、善意だけで通す艦はない。

 

「ストライクルージュ、本艦へ接近。攻撃態勢は確認できません」

「ルナマリア、レイ。近づけすぎないで」

『了解!』

『了解』

 

ガナーザクとザクが進路上へ入った。ルナマリアは砲口を向けるが、引き金には触れない。レイはさらに外側へ回り、ルージュが強引に抜けようとすれば脚を止められる位置を取る。カガリはその2機を前に、なお通信を開いた。

 

『何ということをしたんだ! オーブの軍が、オーブの兵たちが乗っているんだぞ!』

 

その声には怒りがあった。悲鳴にも近かった。

タリアは数秒だけ黙り、メイリンへ視線を向ける。

 

「アークエンジェルへ回線を」

「はい、オープン回線に乗せます」

 

タリアは正面を見据えた。ルージュにではない。その背後にいる白い艦へ向けて、艦長としての言葉を送る。

 

「こちらはザフト軍所属艦ミネルバ。所属不明艦アークエンジェルおよびその護衛機に告ぐ。本艦には貴艦への撃沈命令が出ている。直ちに停船し、武装を解除しなさい。降伏するなら、乗員の安全は可能な限り保証します」

 

数秒の沈黙があった。

遠くではまだ、傾いた空母から黒煙が伸びている。護衛艦が空母を守ろうと寄り、前進していた艦隊の形が崩れていく。その中で、アークエンジェルから返答が返った。落ち着いた大人の女性の声だった。

 

『こちらアークエンジェル、艦長マリュー・ラミアス。申し出には感謝します。けれど、私たちは降伏できません。これ以上、戦火を広げるわけにはいかないのです』

 

「では、本艦は命令を継続します」

 

タリアはそれ以上、問答を続けなかった。

戦争を拒むという言葉は美しい。だが、その言葉を掲げた艦は今、戦場へ入り、ザフトの作戦を乱し、オーブ軍の命令系統にも別の声を重ねている。理念を裁く時間はない。彼女にできるのは、自分の艦と部下を生かすため、次の命令を出すことだけだった。

 

「機関最大。取り舵90度、目標アークエンジェル」

「機関最大! 取り舵90度、目標アークエンジェル!」

 

アーサーが復唱し、ミネルバの艦体が大きく傾く。艦首の角度が変わると、戦術表示上でアークエンジェルとの線が太く引き直された。

敵船団への追撃ではない。空母の被害確認でもない。

本来任務の目標へ、ミネルバは舵を切った。

 

「レイ、ルナマリアはオーブ軍の牽制と迎撃を継続。セイバーはストライクルージュへ接敵。アスラン、彼女を戦闘域から下げなさい」

『艦長!』

 

アスランの声が鋭く返った。タリアはその反応を予想していた。だからこそ、命令を重ねる。

 

「もう一度だけ機会を与えるわ。迷っているなら、あなたの言葉で彼女を下がらせなさい。それができないなら、ここで腹を括るしかない。あなたも、彼女も」

 

返答はすぐには来なかった。

セイバーの機影がルージュへ向きかけ、わずかに止まる。アスランが何を見ているのか、タリアには分かっていた。かつて守ろうとしたもの。今も捨てきれないもの。だが、それを抱えたまま戦場に立つなら、選ばなければならない。

 

『……了解しました』

 

セイバーが動いた。

ルナマリアとレイの間を抜け、ストライクルージュへ向かう。カガリの通信はまだ途切れていない。オーブ軍へ、ザフトへ、アークエンジェルへ、止まれと叫ぶ声が夜の海へ広がる。だが、その声が届くほど、戦場の火線は単純ではなかった。

 

*****

 

ミネルバから放たれたタンホイザーの光は、シンたちのいる空域からも見えた。

フリーダムも、それを見ていた。

白い機体の動きが、一瞬だけ止まる。カガリの声。アークエンジェルの位置。傾いたオーブ艦。ミネルバの艦首が次に向く先。ばらばらだった光景が、キラの中でひとつにつながった。

 

『カガリ!』

 

フリーダムが反転する。

アークエンジェルの方へ戻るつもりだと分かった瞬間、シンはインパルスを前へ押し出した。

 

「行かせるかよ!」

 

サーベルが白い翼の進路を塞ぐ。

フリーダムは受けた。だが、先ほどまでのように戦場全体へ目を配る余裕は薄い。戻らなければならない。その焦りが、白い機体の動きにわずかに滲んでいた。

シンはそれを見逃さず、さらに踏み込む。

 

「セラ!」

空間支配(クイーンズ・ウェブ)、範囲縮小。対象、フリーダム」

 

レギナントのドラグーンが一斉に寄った。

広い戦場を支える網ではない。たった1機を引き留めるための、狭い檻だった。

インパルスが正面を押さえ、レギナントの光が横と上を塞ぐ。フリーダムが下へ落ちれば海面すれすれに別の射線が走り、跳ね上がろうとすれば、その前にまた光が回り込む。

 

「このまま押し切る!」

 

シンが斬り込む。

フリーダムは盾で受け、火花を散らしながら海面近くへ沈んだ。落ちるように逃げた白い翼を、レギナントの光が追い越して塞ぐ。

今度は抜けきれない。

インパルスの剣先が翼をかすめ、白い装甲片が月明かりの中へ散った。

 

キラは歯を食いしばった。

アークエンジェルが遠い。カガリが戦場の中にいる。ミネルバが、あの艦へ向かっている。

ここで足を止めれば、すべてが間に合わなくなる。

そう思った瞬間、胸の奥で何かが弾けた。

音が遠ざかる。

戦場の光が、一本ずつ線になる。インパルスの刃、ドラグーンの射線、レギナントの位置、海面の反射、アークエンジェルへ戻るための道。

 

焦りは消えない。恐れも怒りもある。けれど、その奥で、冷たい何かが目を開いた。

 

次の瞬間、フリーダムが加速した。

 

「なっ!?」

 

シンのビームサーベルが空を裂く。

さっきまでそこにいたはずの白い機体は、もういない。フリーダムはインパルスの横を抜け、すれ違いざまにライフルを跳ね上げた。

ビームが走り、インパルスの背部が火花を散らす。

 

「ぐっ……!」

 

片側の推進器が焼かれ、機体が大きく流れる。

シンはすぐに立て直そうとしたが、フリーダムは追撃しなかった。落とすのではない。置き去りにする。

白い翼はそのまま、アークエンジェルへの線へ戻ろうとする。

 

「メイリン、ソードシルエット!」

『了解、ソードシルエット射出します!』

 

返答は即座だった。

ミネルバのカタパルトからソードシルエットが射出される。だが、戦場は待たない。

フリーダムはインパルスを振り切るように進路を変え、今度はレギナントへ向かった。

 

「セラ、来るぞ!」

「捕捉しています」

 

レギナントが海面を滑る。

白いスカートが開き、機体が横へ流れた。逃げた先にドラグーンが光を置く。さらに沈む。跳ねる。

白い女王は月下の海を踊るように位置を変え、フリーダムの進路を何度も切ろうとした。

 

だが、フリーダムは止まらない。

光を盾で散らし、水煙を割り、レギナントが作ったはずの隙間を、さらに細い線で抜けてくる。

さっきまで追い詰めていたはずの白い女王が、今度は追われていた。

 

「未来予測、追いつきません」

 

セラの声は静かだった。

だが、その静けさがかえって異常だった。

直掩に回るザクのコクピットで、レイはその変化を見ていた。

フリーダムは無理に突破していない。速いだけでもない。シンの踏み込みも、セラの光も、誘導に使われていない。

閉じる前の一瞬だけを選び、次の場所へ滑り込んでいる。

 

「シン、無理に追うな。今のフリーダムは誘導に乗らない」

『分かってる!』

 

分かっていない声だった。

だが、レイはそれ以上言わなかった。シンが追わなければ、フリーダムはレギナントへ届く。レギナントが抜かれれば、ミネルバへ戻る線も、アークエンジェルを追う線も崩れる。

ルナマリアはルージュの進路を押さえながら、視界の端でその追走を見ていた。

セラが逃げている。そう見えた瞬間、自分でも嫌になるほど胸が冷えた。

あの子は逃げるために飛んでいるのではない。位置を選び、敵の進路を削り、シンが戻るまでの時間を作っている。

それでも、見た目には追われていた。

 

「セラ、無茶しないでよ……!」

 

その声は、セラには届かない。

届いても、彼女は同じように答えただろう。問題ありません、と。

 

ユアンは営倉端末の前で、それを見ていた。

音声は制限され、戦術表示も簡略化されている。それでも分かる。さっきまで敵を追い詰めていた白い大型機が、今度は追われている。

セラが乗っている機体。

あの小さな少女の機体が、月下の海の上で、白い翼に迫られている。

 

「……何だよ、これ」

 

誰に向けた言葉でもなかった。

端末の隅には、後背防衛線の記録映像がまだ残っている。倒れたザクの残骸。燃える補給車両。応答のない第2小隊。

その記憶の上に、今の戦場が重なっていく。

ユアンは画面から目を逸らせなかった。

 

レギナントのコクピットで、セラは小さく息を吸った。

フリーダムがさらに近づく。ドラグーンが塞ぐ。抜けられる。レギナントが離れるより早く、白い翼はもう次の角度へ入っている。

撃っても止まらない。逃げても離れない。

通常の制御では、間に合わない。

 

「レイ、限定解除を申請」

『なに?』

「いきます」

 

セラは返答を待たなかった。

フリーダムが、ついにレギナントの懐へ入る。ビームサーベルの光が白い装甲を照らし、閉じるはずだったドラグーンの網が背後で遅れた。

逃げれば追われる。撃てば間に合わない。退けば、ミネルバへの線を開ける。

だから、レギナントは退かなかった。

 

白い女王の両手が、ゆっくりと開く。

指先の装甲がずれ、関節の奥から赤い熱がにじむ。剣ではない。銃でもない。近づいてきた白い翼を迎えるように、レギナントは両腕を広げた。

 

捕食牙爪(クイーンズ・バイト)、始動」

 

その声は、戦場の喧騒の中で、あまりにも静かに響いた。

 

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