機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
タンホイザーの光は、敵船団の中心を撃ち抜かなかった。
ミネルバの艦首から放たれた陽電子の奔流は、散開しかけた護衛艦の影をかすめ、空母と戦闘艦の間に生まれた細い隙間を、夜の海ごと焼き裂いて走り抜けた。
直撃ではない。だが、その余波はあまりにも大きかった。
海面が白く沸き上がり、両側にいた艦の装甲が赤く焼け、艦腹の継ぎ目が歪む。
遅れて水柱が連なり、月明かりの下で、巨大な艦影がゆっくりと傾いていった。
「タンホイザー、直撃なし! ただし敵空母2隻、艦腹部に損傷。浸水反応、艦体傾斜を確認!」
「敵戦闘艦1隻、小破と思われます。左舷側から黒煙、速度低下!」
「敵船団、隊列崩れます。護衛艦が空母側へ寄っています!」
ブリッジに報告が重なった。アーサーは一瞬だけ息を詰め、それから戦術表示を見直す。
撃沈確認はない。1隻を貫いたわけでもない。
けれど、航空母艦2隻が同時に傾けば、それだけで戦場へ上げられるMSの数は変わる。
飛び立つはずだった機体は甲板上で足を止め、戻るはずだった機体は帰る場所を失う。
ミネルバの一撃は、敵船団の喉元ではなく、呼吸そのものを乱していた。
「空母の発着艦能力は」
「少なくとも当面は不可能です。甲板姿勢が維持できません」
「十分よ。次に来るはずだったMSを、海の上に縛った」
タリアの声に喜色はなかった。戦果は戦果だ。だが、傾いた空母の甲板には人がいる。命令を受け、艦を動かし、戦場に送り込まれた兵がいる。タリアはその事実を無視しない。
ただ、そこで立ち止まることもしなかった。今ここでためらえば、次に傾くのはミネルバだ。
ストライクルージュのコクピットで、カガリはその光を見ていた。
白く焼けた海面の向こうで、オーブ艦が傾いていく。沈んだわけではない。爆沈したわけでもない。それでも、艦橋の窓に映る炎と、甲板を走る小さな影は、彼女の胸を締めつけた。
『なんてことを……』
こぼれた声は、オープンチャンネルにかすかに乗った。
ルージュは迷うように一度高度を落とし、それからミネルバへ向けて進路を取る。攻撃態勢ではない。ビームライフルの銃口も下げている。だが、戦場のただ中で接近してくるMSを、善意だけで通す艦はない。
「ストライクルージュ、本艦へ接近。攻撃態勢は確認できません」
「ルナマリア、レイ。近づけすぎないで」
『了解!』
『了解』
ガナーザクとザクが進路上へ入った。ルナマリアは砲口を向けるが、引き金には触れない。レイはさらに外側へ回り、ルージュが強引に抜けようとすれば脚を止められる位置を取る。カガリはその2機を前に、なお通信を開いた。
『何ということをしたんだ! オーブの軍が、オーブの兵たちが乗っているんだぞ!』
その声には怒りがあった。悲鳴にも近かった。
タリアは数秒だけ黙り、メイリンへ視線を向ける。
「アークエンジェルへ回線を」
「はい、オープン回線に乗せます」
タリアは正面を見据えた。ルージュにではない。その背後にいる白い艦へ向けて、艦長としての言葉を送る。
「こちらはザフト軍所属艦ミネルバ。所属不明艦アークエンジェルおよびその護衛機に告ぐ。本艦には貴艦への撃沈命令が出ている。直ちに停船し、武装を解除しなさい。降伏するなら、乗員の安全は可能な限り保証します」
数秒の沈黙があった。
遠くではまだ、傾いた空母から黒煙が伸びている。護衛艦が空母を守ろうと寄り、前進していた艦隊の形が崩れていく。その中で、アークエンジェルから返答が返った。落ち着いた大人の女性の声だった。
『こちらアークエンジェル、艦長マリュー・ラミアス。申し出には感謝します。けれど、私たちは降伏できません。これ以上、戦火を広げるわけにはいかないのです』
「では、本艦は命令を継続します」
タリアはそれ以上、問答を続けなかった。
戦争を拒むという言葉は美しい。だが、その言葉を掲げた艦は今、戦場へ入り、ザフトの作戦を乱し、オーブ軍の命令系統にも別の声を重ねている。理念を裁く時間はない。彼女にできるのは、自分の艦と部下を生かすため、次の命令を出すことだけだった。
「機関最大。取り舵90度、目標アークエンジェル」
「機関最大! 取り舵90度、目標アークエンジェル!」
アーサーが復唱し、ミネルバの艦体が大きく傾く。艦首の角度が変わると、戦術表示上でアークエンジェルとの線が太く引き直された。
敵船団への追撃ではない。空母の被害確認でもない。
本来任務の目標へ、ミネルバは舵を切った。
「レイ、ルナマリアはオーブ軍の牽制と迎撃を継続。セイバーはストライクルージュへ接敵。アスラン、彼女を戦闘域から下げなさい」
『艦長!』
アスランの声が鋭く返った。タリアはその反応を予想していた。だからこそ、命令を重ねる。
「もう一度だけ機会を与えるわ。迷っているなら、あなたの言葉で彼女を下がらせなさい。それができないなら、ここで腹を括るしかない。あなたも、彼女も」
返答はすぐには来なかった。
セイバーの機影がルージュへ向きかけ、わずかに止まる。アスランが何を見ているのか、タリアには分かっていた。かつて守ろうとしたもの。今も捨てきれないもの。だが、それを抱えたまま戦場に立つなら、選ばなければならない。
『……了解しました』
セイバーが動いた。
ルナマリアとレイの間を抜け、ストライクルージュへ向かう。カガリの通信はまだ途切れていない。オーブ軍へ、ザフトへ、アークエンジェルへ、止まれと叫ぶ声が夜の海へ広がる。だが、その声が届くほど、戦場の火線は単純ではなかった。
*****
ミネルバから放たれたタンホイザーの光は、シンたちのいる空域からも見えた。
フリーダムも、それを見ていた。
白い機体の動きが、一瞬だけ止まる。カガリの声。アークエンジェルの位置。傾いたオーブ艦。ミネルバの艦首が次に向く先。ばらばらだった光景が、キラの中でひとつにつながった。
『カガリ!』
フリーダムが反転する。
アークエンジェルの方へ戻るつもりだと分かった瞬間、シンはインパルスを前へ押し出した。
「行かせるかよ!」
サーベルが白い翼の進路を塞ぐ。
フリーダムは受けた。だが、先ほどまでのように戦場全体へ目を配る余裕は薄い。戻らなければならない。その焦りが、白い機体の動きにわずかに滲んでいた。
シンはそれを見逃さず、さらに踏み込む。
「セラ!」
「
レギナントのドラグーンが一斉に寄った。
広い戦場を支える網ではない。たった1機を引き留めるための、狭い檻だった。
インパルスが正面を押さえ、レギナントの光が横と上を塞ぐ。フリーダムが下へ落ちれば海面すれすれに別の射線が走り、跳ね上がろうとすれば、その前にまた光が回り込む。
「このまま押し切る!」
シンが斬り込む。
フリーダムは盾で受け、火花を散らしながら海面近くへ沈んだ。落ちるように逃げた白い翼を、レギナントの光が追い越して塞ぐ。
今度は抜けきれない。
インパルスの剣先が翼をかすめ、白い装甲片が月明かりの中へ散った。
キラは歯を食いしばった。
アークエンジェルが遠い。カガリが戦場の中にいる。ミネルバが、あの艦へ向かっている。
ここで足を止めれば、すべてが間に合わなくなる。
そう思った瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
音が遠ざかる。
戦場の光が、一本ずつ線になる。インパルスの刃、ドラグーンの射線、レギナントの位置、海面の反射、アークエンジェルへ戻るための道。
焦りは消えない。恐れも怒りもある。けれど、その奥で、冷たい何かが目を開いた。
次の瞬間、フリーダムが加速した。
「なっ!?」
シンのビームサーベルが空を裂く。
さっきまでそこにいたはずの白い機体は、もういない。フリーダムはインパルスの横を抜け、すれ違いざまにライフルを跳ね上げた。
ビームが走り、インパルスの背部が火花を散らす。
「ぐっ……!」
片側の推進器が焼かれ、機体が大きく流れる。
シンはすぐに立て直そうとしたが、フリーダムは追撃しなかった。落とすのではない。置き去りにする。
白い翼はそのまま、アークエンジェルへの線へ戻ろうとする。
「メイリン、ソードシルエット!」
『了解、ソードシルエット射出します!』
返答は即座だった。
ミネルバのカタパルトからソードシルエットが射出される。だが、戦場は待たない。
フリーダムはインパルスを振り切るように進路を変え、今度はレギナントへ向かった。
「セラ、来るぞ!」
「捕捉しています」
レギナントが海面を滑る。
白いスカートが開き、機体が横へ流れた。逃げた先にドラグーンが光を置く。さらに沈む。跳ねる。
白い女王は月下の海を踊るように位置を変え、フリーダムの進路を何度も切ろうとした。
だが、フリーダムは止まらない。
光を盾で散らし、水煙を割り、レギナントが作ったはずの隙間を、さらに細い線で抜けてくる。
さっきまで追い詰めていたはずの白い女王が、今度は追われていた。
「未来予測、追いつきません」
セラの声は静かだった。
だが、その静けさがかえって異常だった。
直掩に回るザクのコクピットで、レイはその変化を見ていた。
フリーダムは無理に突破していない。速いだけでもない。シンの踏み込みも、セラの光も、誘導に使われていない。
閉じる前の一瞬だけを選び、次の場所へ滑り込んでいる。
「シン、無理に追うな。今のフリーダムは誘導に乗らない」
『分かってる!』
分かっていない声だった。
だが、レイはそれ以上言わなかった。シンが追わなければ、フリーダムはレギナントへ届く。レギナントが抜かれれば、ミネルバへ戻る線も、アークエンジェルを追う線も崩れる。
ルナマリアはルージュの進路を押さえながら、視界の端でその追走を見ていた。
セラが逃げている。そう見えた瞬間、自分でも嫌になるほど胸が冷えた。
あの子は逃げるために飛んでいるのではない。位置を選び、敵の進路を削り、シンが戻るまでの時間を作っている。
それでも、見た目には追われていた。
「セラ、無茶しないでよ……!」
その声は、セラには届かない。
届いても、彼女は同じように答えただろう。問題ありません、と。
ユアンは営倉端末の前で、それを見ていた。
音声は制限され、戦術表示も簡略化されている。それでも分かる。さっきまで敵を追い詰めていた白い大型機が、今度は追われている。
セラが乗っている機体。
あの小さな少女の機体が、月下の海の上で、白い翼に迫られている。
「……何だよ、これ」
誰に向けた言葉でもなかった。
端末の隅には、後背防衛線の記録映像がまだ残っている。倒れたザクの残骸。燃える補給車両。応答のない第2小隊。
その記憶の上に、今の戦場が重なっていく。
ユアンは画面から目を逸らせなかった。
レギナントのコクピットで、セラは小さく息を吸った。
フリーダムがさらに近づく。ドラグーンが塞ぐ。抜けられる。レギナントが離れるより早く、白い翼はもう次の角度へ入っている。
撃っても止まらない。逃げても離れない。
通常の制御では、間に合わない。
「レイ、限定解除を申請」
『なに?』
「いきます」
セラは返答を待たなかった。
フリーダムが、ついにレギナントの懐へ入る。ビームサーベルの光が白い装甲を照らし、閉じるはずだったドラグーンの網が背後で遅れた。
逃げれば追われる。撃てば間に合わない。退けば、ミネルバへの線を開ける。
だから、レギナントは退かなかった。
白い女王の両手が、ゆっくりと開く。
指先の装甲がずれ、関節の奥から赤い熱がにじむ。剣ではない。銃でもない。近づいてきた白い翼を迎えるように、レギナントは両腕を広げた。
「
その声は、戦場の喧騒の中で、あまりにも静かに響いた。