機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
フリーダムの背後に、レギナントがいた。
満月の光を受けたスカート装甲が、海面すれすれで揺れる。開いた両手のヒートクローは赤く灯り、フリーダムの背へ伸びていた。
だが、フリーダムは止まらない。
右手のサーベルが返る。
握られた刃が逆手に変わり、そのまま自らの背へ振り上げられた。
レギナントが身を引く。
赤い爪がフリーダムの背をかすめ、装甲に焼けた線を残す。振り上げられた刃はそのすぐ前を抜け、月明かりの中に光の跡を引いた。
次の瞬間、フリーダムが反転した。
翼が水煙を叩き、機体が縦に回る。返った勢いのまま、サーベルが上から落ちてくる。
レギナントはその回転に乗らない。逆へ滑った。スカート装甲が海面を裂き、落ちてくる刃の外側を抜ける。
また、背後へ。
フリーダムも追う。
2本のサーベルが左右から走り、レギナントの進む先を斬った。セラは止まらない。レギナントが沈み、サーベルの下をくぐる。赤い爪がフリーダムの腰へ伸びる。
フリーダムが身を返す。
爪は空を切り、代わりにサーベルの光がレギナントの肩を焼いた。
「くそっ……!」
シンは歯を食いしばる。
インパルスは追いついていた。だが、入れない。
2機は近すぎた。
背後を取り、取られ、斬り返し、潜り込み、また背後へ回る。そこへ割り込めば、味方ごと斬る。
フリーダムの翼が開く。
上へ逃げるのではない。反転するための一瞬だった。
片方のサーベルがレギナントの進路を払い、もう片方のサーベルがその退き先へ走る。
レギナントは退かない。
機体が海面近くへ沈み、刃と刃の間を抜ける。スカート装甲の端が水煙を裂き、赤い爪がフリーダムの背へもう一度迫った。
フリーダムの腰が捻れる。
ビームサーベルが背後へ振られ、レギナントの指先を弾いた。赤い光が散り、白い指の表面が焼ける。
それでも、セラは距離を離さない。
フリーダムが振り向くたびに、レギナントはその外へ滑る。
レギナントが背後へ回るたびに、フリーダムは翼と刃で追い払う。
月下の海で、2つの影が何度も入れ替わった。
『シン、無理に入らないで!』
ルナマリアの声が回線に飛び込む。
「分かってる! けど、あれじゃ……!」
シンは言い切れなかった。
割り込めば、セラの動きを止める。あるいは、フリーダムの二刀に巻き込まれる。
追いついているのに、届かない。
届いているのに、手を出せない。
その間にも、レギナントの装甲には赤い傷が増えていく。
サーベルが肩を焼く。
翼が掠め、スカート装甲の縁を削る。
それでも、赤い爪はフリーダムの背を追い続けていた。
フリーダムが一瞬だけ上へ抜けた。
レギナントも追う。
だが、その上昇の先でフリーダムが急反転する。2本のサーベルが交差し、月明かりを裂く十字が落ちてきた。
レギナントの両腕が開く。
刃が腕部装甲を焼いた。
だが、赤い爪がその光の内側へ入る。ヒートクローの指先が、フリーダムのサーベルを持つ手元へ迫った。
『くっ……!』
キラが機体を捻る。
翼が水煙を叩き、フリーダムは爪から逃れた。だが、逃げた先にはレギナントの影がある。
また背後へ。
シンは、思わず息を呑んだ。
フリーダムが逃げ切れない。
だが、レギナントも掴み切れない。
互いの装甲が、月下で削れ続けていた。
「
セラの声が、静かに響いた。
レギナントの周囲に散っていたドラグーンが動く。
1基、2基、さらに外側から光が寄る。
フリーダムだけではない。
レギナント自身もろとも、2機を丸く囲んでいく。
『なっ……!?』
キラの声に、焦りが混じった。
その一瞬に、レギナントが入った。
フリーダムの二刀が振り下ろされるより早く、レギナントの腕が翼の根元へ絡む。ヒートクローが開き、赤い指先が装甲の縁へ食い込んだ。
フリーダムが暴れる。
翼が水煙を叩き、片方のサーベルがレギナントの背を焼く。
もう片方のサーベルが肩へ走る。
装甲が赤く灼け、薄い破片が海へ落ちた。
セラは離さない。
『しまっ……!?』
ドラグーンが一斉に光った。
「セラ!」
シンの声が飛ぶ。
2機を包んだまま、細いビームが降り注いだ。
海面が爆ぜ、月明かりが煙に飲まれる。フリーダムの翼が火花を散らし、レギナントの表面が灰色に焼けていく。
メイリンが悲鳴を上げた。
「セラ!」
ブリッジのモニターが白く染まる。
光が重なり、煙が巻き上がり、2機の影がその中で揺れた。撃っているのはレギナントのドラグーンだった。だが、包囲の中心にいるのはフリーダムだけではない。
「セラ、やめて……!」
届かない声だった。
それでも、メイリンは叫ばずにはいられなかった。
タリアは一瞬、唇を噛む。
命令を出すには遅すぎる。止めるには、もっと遅い。
レギナントのドラグーンはすでに、自らの主もろともフリーダムを光の檻に閉じ込めている。
シンは動けなかった。
突っ込めば、あの光の中へ入ることになる。セラを助けるどころか、インパルスまで巻き込まれる。
目の前で、ただ見ているしかない。
「くそっ……!」
その声は、誰に向けたものでもなかった。
やがて、光が止んだ。
煙が、月明かりの下でゆっくりと薄れていく。
最初に見えたのは、レギナントだった。
白い表面は灰色に焼け、細かな亀裂が皮膜の上を走っている。だが、機体そのものは崩れていない。スカート装甲はまだ展開を保ち、ドラグーンも周囲に浮いている。
焼けた表面が、ところどころで薄い光沢を取り戻しかけていた。
その向こうに、フリーダムがいた。
ビームライフルはない。
シールドも失われている。
腰部レール砲は沈黙し、背部の収束ビーム砲も両側とも動かない。
残っているのは、両手に握られたビームサーベルだけだった。
「これで、武装はほぼ無効化しました」
セラの声は、いつも通り平坦だった。
『君は一体……何を……!』
キラの声に、苦しさが滲む。
まさか、自分ごと撃ってくるなんて。
信じられなかった。
レギナントのヒートクローが、ゆっくりと開く。
フリーダムはそこから逃れるように後退した。
翼が大きく広がる。だが、さっきまでの鋭さはない。失われた武装の残骸が、機体の周囲でわずかに火花を散らしている。
それでも、フリーダムは落ちていない。
フリーダムはレギナントから離れ、アークエンジェルへ向かう。
「待てっ!!」
シンが追おうとして、すぐに視線を戻した。
レギナントの姿が、どうしても目に入る。
「シン、追ってください」
「でもさ!」
「シンなら撃墜可能」
その言葉は、命令ではなかった。
判断だった。
シンは歯を食いしばった。
フリーダムを追わなければならない。
だが、レギナントから目が離せなかった。
「……お前は」
「私は、帰投します」
静かな声だった。
「……分かった。無理するなよ」
インパルスが加速する。
フリーダムを追って、月下の空を裂いていく。
レギナントのメインカメラが、その背中を見送った。
シンは一度も振り返らなかった。
振り返れば、戻ってしまうと分かっていた。
遠くで、フリーダムがアークエンジェルへ向かっていく。
そのさらに先で、傾いた空母の黒い輪郭が、黒煙を引きながら夜明け前の海に浮かんでいた。
セラは、浅く息を吸った。
空気が、うまく肺に入らない。
レギナントはまだ飛んでいる。
機体そのものは崩れていない。
スカート装甲は展開を維持している。
ドラグーンも、まだ反応している。
帰投は可能。
そう判断したはずだった。
けれど、操縦桿に置いた指先が、わずかに震えた。
「帰投……します」
声が、思ったより小さく出た。
警告表示がひとつ増える。
接続深度異常。
特殊制御負荷限界。
神経信号の遅延。
赤い文字が、視界の端に並んでいく。
セラは、それらを順に読んだ。
読むことはできる。
意味も分かる。
対処手順も、頭の中にある。
けれど、身体が動かない。
フリーダムは落ちていない。
シンは追っている。
アークエンジェルは離脱しようとしている。
ミネルバはまだ戦闘中。
自分は、帰投しなければならない。
情報は並んでいる。
優先順位も分かっている。
なのに、胸の奥だけが、命令に従わなかった。
痛みではない。
警告でもない。
損傷箇所として表示されない。
それでも、そこが苦しい。
セラは瞬きをした。
一度。
二度。
モニターの海が滲んだ。
すぐに補正が入る。だが、滲んでいたのは画面ではなかった。
「……メイリン」
呼んでから、返事がないことに気づく。
通信を開いたのか、開いていないのかも分からない。
分からないまま、セラはもう一度、息を吸った。
メイリンを心配させないこと。
無理をしないこと。
ミネルバへ戻ること。
覚えている。
全部、覚えている。
なのに、できていない。
フリーダムを落とせなかった。
ミネルバへすぐに帰れなかった。
シンを戻らせることもできなかった。
メイリンを、また心配させる。
失敗。
未達成。
要修正。
そう処理すればいいはずだった。
けれど、違った。
これは、報告では足りない。
「ミッションは……」
声が震えた。
セラはそれを、自分のものだとすぐには認識できなかった。
操縦桿を握る指に力が入る。入れたつもりだった。だが、指先はまた小さく震えた。
「また、失敗……」
そこまで言って、言葉が止まる。
失敗したなら、次の手順を出せばいい。
損傷したなら、修復すればいい。
命令に届かなかったなら、再実行すればいい。
そう教えられてきた。
そうすればよかった。
けれど、メイリンの顔が浮かんだ。
眉を寄せた顔。
怒っているようで、泣きそうな顔。
「無理しないで」と言った声。
その声を思い出した瞬間、胸の奥の苦しさが、少しだけ形を変えた。
セラは、それに名前を持っていなかった。
ただ、言わなければならない言葉だけは、そこにあった。
「……ごめんなさい」
かすれた声だった。
通信に乗ったのか。
コクピットの中だけで消えたのか。
セラには分からない。
ただ、その言葉を言ったあとも、胸の奥の苦しさは消えなかった。
レギナントは高度を落とす。
灰色に焼けた機体が、夜明け前の海岸線へ向かっていく。
岩場が見えた。
海面から突き出した黒い岩の群れ。戦場の火線から少しだけ外れた場所だった。
セラはレギナントをそこへ向ける。
スカート装甲が薄く開き、慣性を逃がす。灰色の機体が水煙を引きながら降りていく。
着地の衝撃が、機体を通して身体に返った。
小さく、息が詰まる。
それでもレギナントは倒れなかった。片膝をつくように岩場へ降り、スカート装甲を広げたまま静止する。
モニターの向こうで、遠くの海が燃えていた。
ミネルバの砲火。
アークエンジェルの対空火器。
その間を、インパルスとフリーダムの光が走っている。
セラは操縦桿に指を置いたまま、空を見上げた。
水平線の向こうに、薄い光が滲んでいた。
夜が終わろうとしている。
けれど、戦場はまだ終わっていない。
「帰らないと……」
言葉は、命令ではなかった。
報告でもなかった。
ただ、戻りたいと思った。
ミネルバへ。
メイリンのいる場所へ。
シンが振り返らずに進んだ、その背中へ応えるために。
けれど、レギナントはすぐには動かなかった。
灰色に焼けた機体は、夜明け前の岩場で静かに膝をついている。
警告表示の赤だけが、視界の端で増えていった。
遠くで、戦火が揺れていた。
その向こうで、黎明の光が海を薄く染め始めていた。
土曜日(6/20)、日曜日(6/21)は投稿をお休みします。