機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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76.黎明のレギナント

フリーダムの背後に、レギナントがいた。

 

満月の光を受けたスカート装甲が、海面すれすれで揺れる。開いた両手のヒートクローは赤く灯り、フリーダムの背へ伸びていた。

 

だが、フリーダムは止まらない。

 

右手のサーベルが返る。

握られた刃が逆手に変わり、そのまま自らの背へ振り上げられた。

 

レギナントが身を引く。

赤い爪がフリーダムの背をかすめ、装甲に焼けた線を残す。振り上げられた刃はそのすぐ前を抜け、月明かりの中に光の跡を引いた。

 

次の瞬間、フリーダムが反転した。

 

翼が水煙を叩き、機体が縦に回る。返った勢いのまま、サーベルが上から落ちてくる。

レギナントはその回転に乗らない。逆へ滑った。スカート装甲が海面を裂き、落ちてくる刃の外側を抜ける。

 

また、背後へ。

 

フリーダムも追う。

2本のサーベルが左右から走り、レギナントの進む先を斬った。セラは止まらない。レギナントが沈み、サーベルの下をくぐる。赤い爪がフリーダムの腰へ伸びる。

 

フリーダムが身を返す。

爪は空を切り、代わりにサーベルの光がレギナントの肩を焼いた。

 

「くそっ……!」

 

シンは歯を食いしばる。

インパルスは追いついていた。だが、入れない。

 

2機は近すぎた。

背後を取り、取られ、斬り返し、潜り込み、また背後へ回る。そこへ割り込めば、味方ごと斬る。

 

フリーダムの翼が開く。

上へ逃げるのではない。反転するための一瞬だった。

片方のサーベルがレギナントの進路を払い、もう片方のサーベルがその退き先へ走る。

 

レギナントは退かない。

機体が海面近くへ沈み、刃と刃の間を抜ける。スカート装甲の端が水煙を裂き、赤い爪がフリーダムの背へもう一度迫った。

 

フリーダムの腰が捻れる。

ビームサーベルが背後へ振られ、レギナントの指先を弾いた。赤い光が散り、白い指の表面が焼ける。

 

それでも、セラは距離を離さない。

 

フリーダムが振り向くたびに、レギナントはその外へ滑る。

レギナントが背後へ回るたびに、フリーダムは翼と刃で追い払う。

月下の海で、2つの影が何度も入れ替わった。

 

『シン、無理に入らないで!』

 

ルナマリアの声が回線に飛び込む。

 

「分かってる! けど、あれじゃ……!」

 

シンは言い切れなかった。

割り込めば、セラの動きを止める。あるいは、フリーダムの二刀に巻き込まれる。

追いついているのに、届かない。

届いているのに、手を出せない。

 

その間にも、レギナントの装甲には赤い傷が増えていく。

サーベルが肩を焼く。

翼が掠め、スカート装甲の縁を削る。

それでも、赤い爪はフリーダムの背を追い続けていた。

 

フリーダムが一瞬だけ上へ抜けた。

レギナントも追う。

だが、その上昇の先でフリーダムが急反転する。2本のサーベルが交差し、月明かりを裂く十字が落ちてきた。

 

レギナントの両腕が開く。

 

刃が腕部装甲を焼いた。

だが、赤い爪がその光の内側へ入る。ヒートクローの指先が、フリーダムのサーベルを持つ手元へ迫った。

 

『くっ……!』

 

キラが機体を捻る。

翼が水煙を叩き、フリーダムは爪から逃れた。だが、逃げた先にはレギナントの影がある。

 

また背後へ。

 

シンは、思わず息を呑んだ。

フリーダムが逃げ切れない。

だが、レギナントも掴み切れない。

 

互いの装甲が、月下で削れ続けていた。

 

空間支配(クイーンズ・ウェブ)再展開」

 

セラの声が、静かに響いた。

 

レギナントの周囲に散っていたドラグーンが動く。

1基、2基、さらに外側から光が寄る。

フリーダムだけではない。

レギナント自身もろとも、2機を丸く囲んでいく。

 

『なっ……!?』

 

キラの声に、焦りが混じった。

 

その一瞬に、レギナントが入った。

 

フリーダムの二刀が振り下ろされるより早く、レギナントの腕が翼の根元へ絡む。ヒートクローが開き、赤い指先が装甲の縁へ食い込んだ。

 

フリーダムが暴れる。

翼が水煙を叩き、片方のサーベルがレギナントの背を焼く。

もう片方のサーベルが肩へ走る。

装甲が赤く灼け、薄い破片が海へ落ちた。

 

セラは離さない。

 

『しまっ……!?』

 

ドラグーンが一斉に光った。

 

「セラ!」

 

シンの声が飛ぶ。

 

2機を包んだまま、細いビームが降り注いだ。

海面が爆ぜ、月明かりが煙に飲まれる。フリーダムの翼が火花を散らし、レギナントの表面が灰色に焼けていく。

 

メイリンが悲鳴を上げた。

 

「セラ!」

 

ブリッジのモニターが白く染まる。

光が重なり、煙が巻き上がり、2機の影がその中で揺れた。撃っているのはレギナントのドラグーンだった。だが、包囲の中心にいるのはフリーダムだけではない。

 

「セラ、やめて……!」

 

届かない声だった。

それでも、メイリンは叫ばずにはいられなかった。

 

タリアは一瞬、唇を噛む。

命令を出すには遅すぎる。止めるには、もっと遅い。

レギナントのドラグーンはすでに、自らの主もろともフリーダムを光の檻に閉じ込めている。

 

シンは動けなかった。

突っ込めば、あの光の中へ入ることになる。セラを助けるどころか、インパルスまで巻き込まれる。

目の前で、ただ見ているしかない。

 

「くそっ……!」

 

その声は、誰に向けたものでもなかった。

 

やがて、光が止んだ。

煙が、月明かりの下でゆっくりと薄れていく。

 

最初に見えたのは、レギナントだった。

 

白い表面は灰色に焼け、細かな亀裂が皮膜の上を走っている。だが、機体そのものは崩れていない。スカート装甲はまだ展開を保ち、ドラグーンも周囲に浮いている。

焼けた表面が、ところどころで薄い光沢を取り戻しかけていた。

 

その向こうに、フリーダムがいた。

 

ビームライフルはない。

シールドも失われている。

腰部レール砲は沈黙し、背部の収束ビーム砲も両側とも動かない。

 

残っているのは、両手に握られたビームサーベルだけだった。

 

「これで、武装はほぼ無効化しました」

 

セラの声は、いつも通り平坦だった。

 

『君は一体……何を……!』

 

キラの声に、苦しさが滲む。

まさか、自分ごと撃ってくるなんて。

信じられなかった。

 

レギナントのヒートクローが、ゆっくりと開く。

フリーダムはそこから逃れるように後退した。

翼が大きく広がる。だが、さっきまでの鋭さはない。失われた武装の残骸が、機体の周囲でわずかに火花を散らしている。

 

それでも、フリーダムは落ちていない。

 

フリーダムはレギナントから離れ、アークエンジェルへ向かう。

 

「待てっ!!」

 

シンが追おうとして、すぐに視線を戻した。

レギナントの姿が、どうしても目に入る。

 

「シン、追ってください」

 

「でもさ!」

 

「シンなら撃墜可能」

 

その言葉は、命令ではなかった。

判断だった。

 

シンは歯を食いしばった。

フリーダムを追わなければならない。

だが、レギナントから目が離せなかった。

 

「……お前は」

 

「私は、帰投します」

 

静かな声だった。

 

「……分かった。無理するなよ」

 

インパルスが加速する。

フリーダムを追って、月下の空を裂いていく。

 

レギナントのメインカメラが、その背中を見送った。

シンは一度も振り返らなかった。

振り返れば、戻ってしまうと分かっていた。

 

遠くで、フリーダムがアークエンジェルへ向かっていく。

そのさらに先で、傾いた空母の黒い輪郭が、黒煙を引きながら夜明け前の海に浮かんでいた。

 

セラは、浅く息を吸った。

 

空気が、うまく肺に入らない。

 

レギナントはまだ飛んでいる。

機体そのものは崩れていない。

スカート装甲は展開を維持している。

ドラグーンも、まだ反応している。

 

帰投は可能。

 

そう判断したはずだった。

 

けれど、操縦桿に置いた指先が、わずかに震えた。

 

「帰投……します」

 

声が、思ったより小さく出た。

 

警告表示がひとつ増える。

接続深度異常。

特殊制御負荷限界。

神経信号の遅延。

赤い文字が、視界の端に並んでいく。

 

セラは、それらを順に読んだ。

読むことはできる。

意味も分かる。

対処手順も、頭の中にある。

 

けれど、身体が動かない。

 

フリーダムは落ちていない。

シンは追っている。

アークエンジェルは離脱しようとしている。

ミネルバはまだ戦闘中。

自分は、帰投しなければならない。

 

情報は並んでいる。

優先順位も分かっている。

 

なのに、胸の奥だけが、命令に従わなかった。

 

痛みではない。

警告でもない。

損傷箇所として表示されない。

 

それでも、そこが苦しい。

 

セラは瞬きをした。

一度。

二度。

 

モニターの海が滲んだ。

すぐに補正が入る。だが、滲んでいたのは画面ではなかった。

 

「……メイリン」

 

呼んでから、返事がないことに気づく。

通信を開いたのか、開いていないのかも分からない。

分からないまま、セラはもう一度、息を吸った。

 

メイリンを心配させないこと。

無理をしないこと。

ミネルバへ戻ること。

 

覚えている。

全部、覚えている。

 

なのに、できていない。

 

フリーダムを落とせなかった。

ミネルバへすぐに帰れなかった。

シンを戻らせることもできなかった。

メイリンを、また心配させる。

 

失敗。

未達成。

要修正。

 

そう処理すればいいはずだった。

 

けれど、違った。

 

これは、報告では足りない。

 

「ミッションは……」

 

声が震えた。

 

セラはそれを、自分のものだとすぐには認識できなかった。

操縦桿を握る指に力が入る。入れたつもりだった。だが、指先はまた小さく震えた。

 

「また、失敗……」

 

そこまで言って、言葉が止まる。

 

失敗したなら、次の手順を出せばいい。

損傷したなら、修復すればいい。

命令に届かなかったなら、再実行すればいい。

 

そう教えられてきた。

そうすればよかった。

 

けれど、メイリンの顔が浮かんだ。

眉を寄せた顔。

怒っているようで、泣きそうな顔。

「無理しないで」と言った声。

 

その声を思い出した瞬間、胸の奥の苦しさが、少しだけ形を変えた。

 

セラは、それに名前を持っていなかった。

 

ただ、言わなければならない言葉だけは、そこにあった。

 

「……ごめんなさい」

 

かすれた声だった。

 

通信に乗ったのか。

コクピットの中だけで消えたのか。

セラには分からない。

 

ただ、その言葉を言ったあとも、胸の奥の苦しさは消えなかった。

 

レギナントは高度を落とす。

灰色に焼けた機体が、夜明け前の海岸線へ向かっていく。

 

岩場が見えた。

海面から突き出した黒い岩の群れ。戦場の火線から少しだけ外れた場所だった。

 

セラはレギナントをそこへ向ける。

スカート装甲が薄く開き、慣性を逃がす。灰色の機体が水煙を引きながら降りていく。

 

着地の衝撃が、機体を通して身体に返った。

 

小さく、息が詰まる。

それでもレギナントは倒れなかった。片膝をつくように岩場へ降り、スカート装甲を広げたまま静止する。

 

モニターの向こうで、遠くの海が燃えていた。

ミネルバの砲火。

アークエンジェルの対空火器。

その間を、インパルスとフリーダムの光が走っている。

 

セラは操縦桿に指を置いたまま、空を見上げた。

 

水平線の向こうに、薄い光が滲んでいた。

 

夜が終わろうとしている。

けれど、戦場はまだ終わっていない。

 

「帰らないと……」

 

言葉は、命令ではなかった。

報告でもなかった。

 

ただ、戻りたいと思った。

 

ミネルバへ。

メイリンのいる場所へ。

シンが振り返らずに進んだ、その背中へ応えるために。

 

けれど、レギナントはすぐには動かなかった。

灰色に焼けた機体は、夜明け前の岩場で静かに膝をついている。

 

警告表示の赤だけが、視界の端で増えていった。

 

遠くで、戦火が揺れていた。

その向こうで、黎明の光が海を薄く染め始めていた。

 

 




土曜日(6/20)、日曜日(6/21)は投稿をお休みします。
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