機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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78.不還点

警報音が、コクピットの中で鳴り続けていた。

 

赤い表示が視界の端で重なっている。機体各部の損傷、ドラグーン接続の途絶、神経負荷の上昇、姿勢制御の低下。読めているはずの文字が、途中から意味を失っていく。

 

セラは操縦桿に指を置いたまま、浅く息をした。肺に空気が入りにくく、瞼が重い。意識が暗い方へ落ちかけるたび、警報音だけが薄く耳へ戻ってきた。

 

その奥で、声が聞こえた。

 

『おい、だいじょうぶか!』

 

オープンチャンネルで誰かが呼んでいる。

 

セラはゆっくりと目を開けた。

 

ぼやけたモニターに、赤い機体が映っている。ストライクルージュ。夜明け前の海上を飛び、岩場の上空をかすめるように旋回していた。

 

その後ろに、ムラサメが2機。

 

ビームが走り、ルージュは機体をひねってかわす。追うムラサメは距離を詰め切らず、左右から火線を置いて進路を削っていた。ルージュのライフルが一度だけムラサメを追いかけるが、発射されないまま機体は次の回避へ流れる。

 

セラの視界で、敵性反応だけが赤く残った。

 

「……敵機、捕捉」

 

かすれた声が、コクピットに落ちる。

 

周囲に散っていたドラグーンが、ゆっくりと光を取り戻した。反応したのは5基。残り3基は応答しない。海に沈んだのか、破壊されたのか、接続が切れたのか。判定はできなかった。

 

セラは指を動かす。

 

5基のドラグーンが岩場の上空へ浮かび上がり、ルージュを追うムラサメの前方と左右へ散っていく。2機のムラサメは次の射撃姿勢に入りかけ、機首をわずかに揺らした。

 

ドラグーンは撃たないまま、砲口の光をムラサメの進路へ向ける。

 

1機が短く撃った。光はドラグーンの横を抜け、岩場から離れた海面を叩く。それ以上は踏み込まず、2機のムラサメは旋回してルージュから距離を取っていった。

 

セラは、それを最後まで確認できなかった。

 

視界の赤い警告表示が滲む。操縦桿に置いていた指から力が抜け、呼びかける声だけが遠く残った。

 

セラの意識は、そのまま暗く沈んだ。

 

*****

 

ミネルバが、アークエンジェルを追っていた。

 

前方の白い艦はミネルバの砲撃をかわしながら、海上を離れていく。トリスタンの照準が敵艦後部へ重なり、パルジファルが進路の先を押さえるように向けられるたび、アークエンジェルは高度と舵をずらして光の線をかわした。

 

「トリスタン、敵艦機関部を狙って。パルジファルは進路前方、逃げ道を塞いで」

 

タリアの声は低く、静かだった。

 

「トリスタン、目標敵艦機関部! パルジファル、敵艦進路前方!」

 

アーサーが復唱する。

 

ミネルバの砲火が、夜明け前の空を裂いた。アークエンジェルは対空火器を撃ち返し、直撃するはずだった光を迎撃で散らしながら、進路前方に落ちる砲撃を避けて機体を滑らせる。

 

その近くで、インパルスがフリーダムを追っていた。

 

フリーダムの武装はほとんど失われている。それでも機体はまだ落ちていない。青い翼が低空を走り、アークエンジェルへ向かう。シンは退かず、その背を追い続けていた。

 

「敵艦、なお回避!」

 

「次弾、照準修正。進路を――」

 

タリアが言いかけた時、ブリッジにカガリの声が響いた。

 

『こちらアークエンジェル所属、カガリ・ユラ・アスハ。ミネルバ、応答せよ』

 

タリアはすぐには応えない。

 

アークエンジェルは前方にいる。フリーダムもまだ落ちていない。敵側の機体からの呼びかけに応じるために、追撃の手を緩めるわけにはいかなかった。

 

『現在、貴艦に所属している少女を保護している。生命反応が薄い。すぐに攻撃を中止してこちらに来てくれ!』

 

「セラ!?」

 

メイリンは反射的に叫び、すぐにタリアを見た。

 

この戦場で『少女』。

その言葉が誰を指すのか、疑う余地はなかった。

そして『生命反応が薄い』という意味も。

 

艦長なら、すぐに艦を戻してくれる。セラを助けに行くと、そう言ってくれる。メイリンはそう思った。

 

けれど、タリアは答えない。

 

ブリッジに、数秒の沈黙が落ちた。

 

タリアは通信画面を見据えている。アークエンジェルを追っている。フリーダムを追っている。敵艦を止められるかもしれないところまで来ている。分かっていても、すぐには命令を出せなかった。

 

『ミネルバ! 聞いているのか!』

 

カガリの声が響く。

 

その時、別の声が静かに割り込んでくる。

 

『敵の情報を鵜呑みにしない方がいい』

 

レイだった。

 

その声は冷静だった。あまりにも冷静だった。

 

「え……?」

 

メイリンは、一瞬、意味が分からないという顔をした。

 

敵の情報。

 

確かにそうだ。ストライクルージュはアークエンジェル側の機体だ。通信だけで艦の判断を変えるわけにはいかない。

 

メイリンは通信席の縁を握りしめる。

 

「でも……」

 

声は、そこで止まった。

 

言い返したい言葉はいくつもある。けれど、どれも軍人としての答えにはならない。メイリンは唇を噛み、もう一度タリアへ顔を向ける。お願いするように、縋るように。

 

タリアは口を開いた。

 

『こちらザフト軍所属艦、ミネルバ艦長、タリア・グラディス。貴機が保護しているという少女が、本艦所属である証拠がない』

 

その言葉と同時に、タリアの手が、指揮席の肘掛けを強く握った。

 

「艦長!」

 

メイリンの顔から血の気が引いた。

 

タリアが分かっていないわけではない。ブリッジにいる誰もが、分かっている。それでも、艦長はそう言わなければならなかった。

 

『今はそんなことを言ってる場合か! 白い大型MSに乗っていた女の子だ! 貴艦のパイロットなんだろう!』

 

白い大型MS。

 

その言葉で、沈黙が壊れた。

 

「艦長、インパルスが勝手に進路を変えています!」

 

アーサーが叫ぶ。

 

タリアは一瞬だけ目を閉じ、すぐに開き、薄く笑みを浮かべた。

 

「勝手ではありません。私が許可しました」

 

「えっ、あ、はい!」

 

アーサーが慌てて姿勢を正す。

 

タリアは通信へ向き直った。

 

『……了解した。詳しい座標を求む』

 

すぐにカガリから座標情報が送られてきた。

 

「メイリン」

 

「……はい!」

 

メイリンが座標データを受信する。指先はまだ震えていたが、それでも止まらなかった。

 

メインモニターに、海岸線近くの座標が重なる。

 

「回頭。レギナントの座標へ向かいます」

 

「回頭、レギナント座標へ!」

 

アーサーの復唱とともに、ミネルバの艦首がアークエンジェルから離れていく。

 

*****

 

インパルスが最初に到着する。

 

追撃していたフリーダムのことなど忘れ、シンは岩場へ向かう。機体が低空から降り、脚部が岩を砕いた。水しぶきが上がり、インパルスは荒い制動のまま片膝をつく。

 

ハッチが開いた。

 

「セラ!」

 

シンは外へ飛び出す。

 

岩場の奥に、レギナントが膝をついている。白かった機体は灰色に焼け、装甲の表面には細かな亀裂が走っていた。スカート装甲は広がったまま動かず、周囲には5基のドラグーンだけが薄い光を保って浮いている。

 

胸部ハッチが開いていた。

 

レギナントの隣には、ストライクルージュがいる。

ルージュのハッチも開いていた。その足元では、機体から降りたカガリが、開いたコクピットブロックから少女を抱き出していた。

 

シンは駆け寄ろうとして、足を止める。

 

カガリ。

 

以前、ミネルバの中で自分が彼女へ浴びせた言葉が、一瞬だけ頭をよぎった。八つ当たりのような怒り。止められなかった言葉。忘れたわけではない。

 

だが、カガリはそんなことなど覚えていないように、シンへ顔を上げた。

 

「お前か! この子はミネルバのパイロットで間違いないか!」

 

「……あ、ああ! セラだ!」

 

「呼吸が浅い。急いで処置しないと……!」

 

カガリの腕の中で、セラの身体は力を失っている。ヘルメット越しでも顔色が悪いのが分かり、肩だけがわずかに上下していた。

 

それが呼吸なのだと、シンは遅れて理解する。

 

「セラ、聞こえるか!」

 

「……生存を確認」

 

小さな声が返った。

 

「セラ!」

 

「……シン」

 

セラの手が、ゆっくりと動く。

 

覚束ない指先がヘルメットのロックに触れる。うまく外せない。シンが手を伸ばしかけるより早く、カガリが支え、ロックを外した。

 

ヘルメットが外れる。

 

セラは、深く息を吸った。

 

それでも呼吸は浅い。だが、さっきよりは確かに空気が入っているように見えた。

 

「……生体電池を消費しすぎました。活動再開まで3時間の休息が必要と推定」

 

シンの表情から、安堵が一瞬だけ消えた。

 

「お前、何言って……生体電池ってどういう」

 

「つまり、疲れました」

 

その一言で、シンは腰から地面へ落ちるように座り込んだ。

 

「何だよそれ……驚かせるなよ」

 

「驚く」

 

「ああ、死ぬんじゃないかと思ったぜ」

 

「生きてます」

 

安堵と呆れが、同時に胸へ来た。

 

シンは思わず笑う。笑うしかなかった。

 

息が抜けて、肩から力が落ちる。フリーダムを追っていたことも、アークエンジェルがまだ逃げていることも、その瞬間だけ遠くなった。

 

セラは生きている。

 

それだけで、身体の奥に詰まっていたものが崩れた。

 

だが、笑っていない者がいた。

 

カガリだった。

 

彼女は、腕の中のセラを見ている。ヘルメットが外れた顔を、まるで幽霊でも見たように。

 

「おい……この子は、なんだ……?」

 

シンは顔を上げた。

 

「何って、セラだよ。ミネルバの――」

 

「そうじゃない!」

 

カガリの声が震えた。

 

セラも、カガリを見返していた。

 

その意図が分からない。なぜ自分を見て、そんな顔をするのか。セラの表情に、その問いだけが薄く浮かんでいた。

 

カガリはシンへ顔を向ける。

 

「何で、この子はラクスと同じ顔なんだ!」

 

言葉が落ちた。

 

シンは、何も言えなかった。

 

セラも、答えなかった。

 

岩場には、波の音だけが響いている。

 

遠くではまだ砲火が揺れていた。夜は終わりかけているのに、戦場はまだ終わっていない。

 

その中で、カガリの腕に抱かれた少女の顔だけが、朝の光を受けて白く浮かび上がっていた。

 

 

 

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