機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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80.蜘蛛の糸

カーペンタリア基地の司令部には、戦闘の熱がまだ残っていた。

 

大型スクリーンにはマナド周辺の戦況図が映し出されている。港湾部、補給線、オーブ軍の後退予想線。淡い光で重ねられたそれらの上に、損耗報告と補給計画が次々と追加されていく。数字は勝利を示していた。だが、その数字の裏には、戻らなかった機体と戻らなかった兵がいる。

タリアは司令部の中央に立ち、基地司令と向かい合っていた。

 

「ご苦労だった、グラディス艦長。ミネルバの働きは見事だった」

 

基地司令の声には疲労が混じっている。それでも、言葉ははっきりしていた。

 

「アークエンジェルを退け、フリーダムの武装をほぼ封じた。あの機体をあそこまで追い込んだだけでも、十分な戦果だ」

「撃墜には至っていません」

 

タリアは静かに返した。

 

「それでもだ。マナドに橋頭堡を築けた意味は大きい。少なくとも、こちらの作戦行動を一方的に妨害される状況は崩せた」

 

同席していた幕僚たちが頷く。

戦果としては、確かに大きい。マナドは落ち、オーブ軍は後退した。アークエンジェルもフリーダムも、これ以上の介入を続けられなかった。

だが、タリアの表情は晴れない。

アークエンジェルは沈んでいない。フリーダムも落ちていない。そして何より、ストライクルージュのパイロットにセラの顔を見られた。あの場で起きたことは、戦果報告の数字よりも厄介な火種として残っている。

基地司令はタリアの沈黙を追及しなかった。端末を操作し、別の資料を開く。

 

「ミネルバはしばらく補給と応急整備に専念してくれ。艦も機体も無理をさせた。次の命令が下るまでは、状態を戻すことを優先する」

「了解しました」

「それと、もうひとつある」

 

司令の声音が変わった。

スクリーンの一部が切り替わり、ひとりの予備兵の記録が表示される。

ユアン・レッセル。

その名前を見て、タリアの眉がわずかに動いた。

 

「例の予備兵の件だ。本来なら、エルザ隊が監督を引き継ぐ予定だった。だが、エルザ隊はマナドで全滅した。受け入れ先も、直接の監督役も失われている」

 

画面には部隊一覧が並んでいた。いくつもの名前が赤く塗られている。

タリアは、その赤を見つめた。

戦場では、部隊が消えることがある。頭では分かっている。だが、そこにいた人間がまとめて記号へ変わる瞬間は、いつも嫌な重さがあった。

 

「彼の処分は」

「記録だけ見れば、懲戒処分、あるいは予備兵資格の取り消しが妥当だろう。任地放棄、命令違反、独断行動。弁護できる材料は少ない」

「でしょうね」

「ただ、基地(うち)の中隊長からの申し出でね。本人には反省の兆しがあると」

 

タリアはすぐには答えなかった。

反省。

便利な言葉だと思う。口にすれば、それだけで何かが戻るように聞こえる。けれど、戦場では違う。反省している兵が、次の戦場で同じ選択をしない保証はない。特に、英雄になりたがる少年は危うい。自分がやらなければいけないと思い込み、命令より目の前の感情を選ぶ。

その種の危うさを、タリアはすでにひとり抱えている。

基地司令は資料を閉じた。

 

「基地側としては、完全に切り捨てる前に、再教育の機会を与えたい。もしミネルバ側に受け入れる余地があるなら、ユアンを臨時に転属させられないか」

「ミネルバに、ですか」

「正式な配属でなくていい。監督付きの臨時措置だ。本人が望み、君が管理可能と判断するなら、こちらとしては助かる」

 

タリアは難しい顔をした。

ユアンがセラに向けた言葉。任地を離れ、勝手についてきた事実。営倉で反省していたという報告。それらを並べても、すぐに答えは出ない。

 

「即答はできません」

「当然だ」

「直接関わった者たちの評価を聞きます。本人の意思も確認してください。そのうえで判断します」

 

タリアは敬礼し、司令部を後にする。通路へ出ると、窓の外にカーペンタリアの海が見えた。青く、明るく、戦闘報告書とは無関係に穏やかだった。

勝ったはずの戦いの後で、また厄介な問題がひとつ増えた。

タリアは小さく息を吐き、ミネルバへ戻った。

 

*****

 

ミネルバに戻ったタリアは、アーサーとともに小さなブリーフィングルームへ向かった。

 

呼び出されたのは、シン、ルナマリア、レイ、そしてメイリンだった。

セラはいない。レギナントの確認と、医務室での経過観察に回されている。ユアンの話を、セラ本人の前でするつもりはタリアにはなかった。

 

「ユアン・レッセルの件よ」

 

タリアが切り出すと、シンが分かりやすく顔をしかめた。

 

「基地司令部から、彼をミネルバへ臨時に転属させられないかと打診があったわ。受け入れるとしても、栄転ではない。再教育と監督を兼ねた措置になる」

 

アーサーが端末を開く。

 

「問題があれば即座に基地へ戻す。それが前提です。皆さんには、直接関わった者として意見を聞かせてもらいたい」

 

シンは腕を組んだ。

 

「まあ……いいんじゃないですか」

 

タリアが目を細める。

 

「軽いわね」

「いや、軽くはないですけど。あいつ、反省はしてるみたいだったし。前みたいに調子乗ってる感じじゃなかったです」

「反省していればいいの?」

「そういうわけじゃないです。でも、このまま終わりっていうのも、違う気がします」

 

言いながら、シンは視線を外した。

ルナマリアも肩をすくめる。

 

「あたしも似た感じです。やったことは悪いですけど、監督付きなら様子見でもいいんじゃないですか。あのまま基地で処分待ちっていうのも、なんだか」

「なんだか、で決める話ではないわ」

「分かってます。でも、反省してるならもう一回くらいは、って思っただけです」

 

ルナマリアは少しだけ口を尖らせた。

 

「命令違反の事実は消えません」

 

レイが静かに言った。

その視線は、ユアンではなくシンへ向いていた。シンは一瞬だけ顔をしかめたが反論しなかった。

 

「反省しているようには見えます。ですが、次も同じことをしない保証にはなりません。問題はあります」

「じゃあ反対なの」

 

タリアが尋ねると、レイは少しだけ間を置いた。

 

「条件付きなら、様子を見る余地はあります。監督を明確にし、問題があれば即座に戻す。それなら検討可能かと」

「堅いなあ、レイは」

 

ルナマリアが苦笑する。

 

「事実を言っているだけだ」

 

そのやり取りのあと、タリアはメイリンへ視線を向けた。

 

「メイリン、あなたは」

 

メイリンは少しだけ肩を揺らした。呼ばれることは分かっていたはずなのに、すぐには答えが出てこないようだった。

 

「……私は」

 

一度、視線を落とす。

 

「反省しているという話は聞いています。営倉での様子も前とは違うって聞きました」

 

声は大きくない。けれど、そこで終わる気配はなかった。

 

「でも、私は賛成できません」

 

シンが何か言いかけ、ルナマリアが目だけで止めた。

メイリンはゆっくり続ける。

 

「あの時、あの子がセラに言ったことを、私は見てました。セラがどう受け取ったのかは分かりません。セラは、そういうことをうまく言えないから」

 

膝の上の指が、小さく握られる。

 

「だから、なかったことみたいにはしたくありません」

 

部屋の空気が少しだけ重くなった。

 

「転属を認めるなら、セラとは距離を置かせてほしいです。少なくとも、しばらくは。近くに置くのは、私は嫌です」

 

最後の言葉だけ、感情がにじんだ。

ルナマリアが静かに息を吐く。

 

「メイリン」

「分かってる。感情的になってるのは、分かってる」

 

メイリンは小さく首を振った。

 

「でも、嫌なの」

 

それ以上は言わなかった。

タリアはメイリンを見つめ、ゆっくり頷く。

 

「分かったわ。十分よ」

 

シンとルナマリアは賛成寄り。レイは条件付きの様子見。メイリンは、静かな反対。

どの意見にも理由があった。だからこそ、タリアはすぐに答えを出せなかった。

 

「今日はここまで。結論はこちらで出します」

 

4人は敬礼し、部屋を出ていく。

最後にメイリンが出ていく背中を見ながら、タリアは内心で小さく呟いた。

これは、無理そうね。

 

*****

 

ユアンは、港湾部の波止場に座っていた。

 

青く澄んだ海と空を、何をするでもなく眺めている。基地の中では補給と整備の音が絶えないのに、波止場の端だけは妙に静かだった。

頭の中には、つい先ほど第三中隊長から聞かされた言葉が残っている。

部隊は全滅した。

お前はこのままなら懲戒退役になる。

それを聞いた時、ユアンは足元が沈んでいくように感じた。怒りは出てこなかった。反論もできなかった。そうなるだけのことを、自分はしたのだと思った。

だが、中隊長はそこで終わらせなかった。

ミネルバへの転属を司令部に提案してきた。どうなるかは、ミネルバとお前のやる気次第だ。

ミネルバに行けるかもしれない。

その言葉が、胸の中でずっと揺れている。

行きたいと思う。けれど、仲間たちはもういない。部隊のみんながいなくなったこのタイミングで、自分だけがあの艦に乗る。それを喜んでいいのか分からない。

海風が吹いた。

ユアンが顔を上げた時、白い影が視界に入った。

 

白い大きな帽子をかぶり、白いワンピースを着ている。セラだった。

陽の光を受けた布が、風に合わせて小さく揺れていた。帽子の縁から落ちた影の下で、白い頬と薄い色の髪が柔らかく光って見える。

一瞬、周囲の音が遠のいた。

戦場でも、営倉の端末越しでもない。目の前にいるのは、ただ海辺を歩いてきたひとりの少女だった。

それなのに、まぶしかった。

セラは何も言わない。

ユアンもすぐには言葉が出ない。

白い光の中でまっすぐこちらを見ている。前にも、こんなふうに見られたことがあった。初めて会った日のことだ。あの時も、ユアンは何を言えばいいのか分からなくなった。

 

「……戦ってるところ、見たよ」

 

ようやく出た声は、自分でも驚くほど頼りなかった。

セラは黙ってユアンを見る。

 

「営倉の中で。最初、白い機体が横切ったんだ。海の上を、すごい速さで」

 

言いながら、ユアンの中で映像が戻ってくる。

夜の海。砲火。煙。そこを白い機体が滑るように抜けていった。大きなスカートのような装甲を広げ、いくつもの小さな翼を周囲に散らしている。最初は、何が起きているのか分からなかった。ただ、白いものが戦場の上を通り過ぎたことだけが目に残った。

それから、光が走った。

白い機体の周りから、細いビームが何度も放たれる。けれど、すべてが敵を貫いているわけではない。撃っているのに、当たっていないようにも見えた。

 

「最初は、外してるのかと思った。ドラグーンも、全部が直撃してるわけじゃなかったし」

「命中を主目的としていません」

 

セラが答えた。

 

「え」

「敵機の動きを止めるために使用しました」

 

ユアンは眉を寄せる。

思い返す。逃げようとした機体の前に光が走る。方向を変えると、別の射線がそこにあった。完全に撃ち落としているわけではない。だが、相手の動きは止まり、そこへ味方の攻撃が入っていた。

 

「……なるほど。当てるんじゃなくて、敵の動きを止めたのか」

「はい」

「その隙に、味方が攻撃した」

「はい」

 

ユアンは少しだけ納得しかけて、また首をひねった。

 

「でも、なんでわざわざそんなことをするんだ。自分で撃ち落とせばいいじゃないか。あれだけ動けるなら」

 

セラはすぐには答えなかった。その沈黙が、ユアンには少しだけ長く感じた。

 

「役割が違います」

「役割」

「はい」

 

それ以上の説明はない。

ユアンは分かったような、分からないような顔になる。

 

「……射撃が下手というわけじゃなかったのか」

「はい」

 

セラはただ答えた。

フリーダムが現れてからは、もっと分からなくなった。あり得ない動きで逃げるレギナントに、フリーダムが食いついてくる。赤い爪が光り、サーベルとぶつかる。あの小さな子が、その中で戦っている。

本当にあの子が、あの中にいるのだと思った。小さいとか、子供だとか、そんな言葉で見ていた自分が、急に恥ずかしくなった。

そう考えると、ユアンはまた胸の奥が熱くなるのを感じた。

よく分からない。けれど、すごいと思った。戦っていた白い機体も、目の前で淡々と答える白い少女も、どちらも自分には遠く見える。なのに、今は手を伸ばせば届きそうな距離にいる。

かわいいと思った。

強いと思った。

そこから先は、言葉にならなかった。

 

「そういえば」

 

ユアンは気まずさをごまかすように口を開く。

 

「俺、名乗ってなかった。ユアン。ユアン・レッセル。君は?」

「わたしは、セラです」

 

名前を返されただけだった。

それだけなのに、ユアンは一瞬、次の言葉を失った。

セラはその顔を見ていた。

 

「ユアンは怒ってるのですか」

「え?」

「それとも笑ってるのです」

「いや、それはどういう」

「何かに怯えてるのですか」

 

ユアンは眉を寄せる。

 

「何を言ってるんだ」

「わかりません」

「わかんないのに聞いたのかよ」

「はい」

 

ユアンは言い返せなくなった。

怒っているのか。笑っているのか。怯えてるか。どれも違う気がするし、どれも少しだけ合っている気もする。自分でも分からないものを、セラに分かるはずがない。

なのに、見られている。

胸の奥のぐちゃぐちゃしたものを、名前のないまま触られたような気がした。

その時だった。

 

「セラ!」

 

メイリンの声が飛んできた。

ユアンが振り向くより早く、メイリンが駆け寄ってくる。表情は硬い。さっき艦内で、セラとは距離を置かせてほしいと言った相手が、よりによってセラの目の前にいる。

その少し後ろで、ルナマリアが足を止めた。

ユアンとセラを見比べ、目を細める。

 

「あらあら。やるじゃない」

 

メイリンの肩が跳ねた。

 

「お姉ちゃん!」

「まだ何も言ってないわよ」

「言いました!」

「言ったけど」

「言いました!!」

 

メイリンはいつもより少しだけ早口だった。セラの腕を取る手に力が入る。

 

「行こう、セラ」

「はい」

 

セラは抵抗しなかった。

ただ、引かれながらもユアンを見ていた。

メイリンはその視線に気づき、さらに表情を固くする。セラは何も分かっていないのかもしれない。聞かれたから答えただけなのかもしれない。けれど、ユアンの方を見続けている。それが、メイリンにはとてもよくないものに見えた。

 

「もう行くよ」

 

メイリンは少し強めにセラを引いた。

セラは歩きながら、もう一度だけユアンを見る。

ユアンは波止場に残される。

白い帽子と白いワンピースが、メイリンに引かれて遠ざかっていく。その後ろで、ルナマリアがこちらを見て、困ったような、面白がっているような顔をしていた。

海と空は、変わらず青い。

けれどユアンの中で、ミネルバという言葉だけが、さっきよりもはっきりした形を持ち始めていた。

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