機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
カーペンタリア基地の司令部には、戦闘の熱がまだ残っていた。
大型スクリーンにはマナド周辺の戦況図が映し出されている。港湾部、補給線、オーブ軍の後退予想線。淡い光で重ねられたそれらの上に、損耗報告と補給計画が次々と追加されていく。数字は勝利を示していた。だが、その数字の裏には、戻らなかった機体と戻らなかった兵がいる。
タリアは司令部の中央に立ち、基地司令と向かい合っていた。
「ご苦労だった、グラディス艦長。ミネルバの働きは見事だった」
基地司令の声には疲労が混じっている。それでも、言葉ははっきりしていた。
「アークエンジェルを退け、フリーダムの武装をほぼ封じた。あの機体をあそこまで追い込んだだけでも、十分な戦果だ」
「撃墜には至っていません」
タリアは静かに返した。
「それでもだ。マナドに橋頭堡を築けた意味は大きい。少なくとも、こちらの作戦行動を一方的に妨害される状況は崩せた」
同席していた幕僚たちが頷く。
戦果としては、確かに大きい。マナドは落ち、オーブ軍は後退した。アークエンジェルもフリーダムも、これ以上の介入を続けられなかった。
だが、タリアの表情は晴れない。
アークエンジェルは沈んでいない。フリーダムも落ちていない。そして何より、ストライクルージュのパイロットにセラの顔を見られた。あの場で起きたことは、戦果報告の数字よりも厄介な火種として残っている。
基地司令はタリアの沈黙を追及しなかった。端末を操作し、別の資料を開く。
「ミネルバはしばらく補給と応急整備に専念してくれ。艦も機体も無理をさせた。次の命令が下るまでは、状態を戻すことを優先する」
「了解しました」
「それと、もうひとつある」
司令の声音が変わった。
スクリーンの一部が切り替わり、ひとりの予備兵の記録が表示される。
ユアン・レッセル。
その名前を見て、タリアの眉がわずかに動いた。
「例の予備兵の件だ。本来なら、エルザ隊が監督を引き継ぐ予定だった。だが、エルザ隊はマナドで全滅した。受け入れ先も、直接の監督役も失われている」
画面には部隊一覧が並んでいた。いくつもの名前が赤く塗られている。
タリアは、その赤を見つめた。
戦場では、部隊が消えることがある。頭では分かっている。だが、そこにいた人間がまとめて記号へ変わる瞬間は、いつも嫌な重さがあった。
「彼の処分は」
「記録だけ見れば、懲戒処分、あるいは予備兵資格の取り消しが妥当だろう。任地放棄、命令違反、独断行動。弁護できる材料は少ない」
「でしょうね」
「ただ、
タリアはすぐには答えなかった。
反省。
便利な言葉だと思う。口にすれば、それだけで何かが戻るように聞こえる。けれど、戦場では違う。反省している兵が、次の戦場で同じ選択をしない保証はない。特に、英雄になりたがる少年は危うい。自分がやらなければいけないと思い込み、命令より目の前の感情を選ぶ。
その種の危うさを、タリアはすでにひとり抱えている。
基地司令は資料を閉じた。
「基地側としては、完全に切り捨てる前に、再教育の機会を与えたい。もしミネルバ側に受け入れる余地があるなら、ユアンを臨時に転属させられないか」
「ミネルバに、ですか」
「正式な配属でなくていい。監督付きの臨時措置だ。本人が望み、君が管理可能と判断するなら、こちらとしては助かる」
タリアは難しい顔をした。
ユアンがセラに向けた言葉。任地を離れ、勝手についてきた事実。営倉で反省していたという報告。それらを並べても、すぐに答えは出ない。
「即答はできません」
「当然だ」
「直接関わった者たちの評価を聞きます。本人の意思も確認してください。そのうえで判断します」
タリアは敬礼し、司令部を後にする。通路へ出ると、窓の外にカーペンタリアの海が見えた。青く、明るく、戦闘報告書とは無関係に穏やかだった。
勝ったはずの戦いの後で、また厄介な問題がひとつ増えた。
タリアは小さく息を吐き、ミネルバへ戻った。
*****
ミネルバに戻ったタリアは、アーサーとともに小さなブリーフィングルームへ向かった。
呼び出されたのは、シン、ルナマリア、レイ、そしてメイリンだった。
セラはいない。レギナントの確認と、医務室での経過観察に回されている。ユアンの話を、セラ本人の前でするつもりはタリアにはなかった。
「ユアン・レッセルの件よ」
タリアが切り出すと、シンが分かりやすく顔をしかめた。
「基地司令部から、彼をミネルバへ臨時に転属させられないかと打診があったわ。受け入れるとしても、栄転ではない。再教育と監督を兼ねた措置になる」
アーサーが端末を開く。
「問題があれば即座に基地へ戻す。それが前提です。皆さんには、直接関わった者として意見を聞かせてもらいたい」
シンは腕を組んだ。
「まあ……いいんじゃないですか」
タリアが目を細める。
「軽いわね」
「いや、軽くはないですけど。あいつ、反省はしてるみたいだったし。前みたいに調子乗ってる感じじゃなかったです」
「反省していればいいの?」
「そういうわけじゃないです。でも、このまま終わりっていうのも、違う気がします」
言いながら、シンは視線を外した。
ルナマリアも肩をすくめる。
「あたしも似た感じです。やったことは悪いですけど、監督付きなら様子見でもいいんじゃないですか。あのまま基地で処分待ちっていうのも、なんだか」
「なんだか、で決める話ではないわ」
「分かってます。でも、反省してるならもう一回くらいは、って思っただけです」
ルナマリアは少しだけ口を尖らせた。
「命令違反の事実は消えません」
レイが静かに言った。
その視線は、ユアンではなくシンへ向いていた。シンは一瞬だけ顔をしかめたが反論しなかった。
「反省しているようには見えます。ですが、次も同じことをしない保証にはなりません。問題はあります」
「じゃあ反対なの」
タリアが尋ねると、レイは少しだけ間を置いた。
「条件付きなら、様子を見る余地はあります。監督を明確にし、問題があれば即座に戻す。それなら検討可能かと」
「堅いなあ、レイは」
ルナマリアが苦笑する。
「事実を言っているだけだ」
そのやり取りのあと、タリアはメイリンへ視線を向けた。
「メイリン、あなたは」
メイリンは少しだけ肩を揺らした。呼ばれることは分かっていたはずなのに、すぐには答えが出てこないようだった。
「……私は」
一度、視線を落とす。
「反省しているという話は聞いています。営倉での様子も前とは違うって聞きました」
声は大きくない。けれど、そこで終わる気配はなかった。
「でも、私は賛成できません」
シンが何か言いかけ、ルナマリアが目だけで止めた。
メイリンはゆっくり続ける。
「あの時、あの子がセラに言ったことを、私は見てました。セラがどう受け取ったのかは分かりません。セラは、そういうことをうまく言えないから」
膝の上の指が、小さく握られる。
「だから、なかったことみたいにはしたくありません」
部屋の空気が少しだけ重くなった。
「転属を認めるなら、セラとは距離を置かせてほしいです。少なくとも、しばらくは。近くに置くのは、私は嫌です」
最後の言葉だけ、感情がにじんだ。
ルナマリアが静かに息を吐く。
「メイリン」
「分かってる。感情的になってるのは、分かってる」
メイリンは小さく首を振った。
「でも、嫌なの」
それ以上は言わなかった。
タリアはメイリンを見つめ、ゆっくり頷く。
「分かったわ。十分よ」
シンとルナマリアは賛成寄り。レイは条件付きの様子見。メイリンは、静かな反対。
どの意見にも理由があった。だからこそ、タリアはすぐに答えを出せなかった。
「今日はここまで。結論はこちらで出します」
4人は敬礼し、部屋を出ていく。
最後にメイリンが出ていく背中を見ながら、タリアは内心で小さく呟いた。
これは、無理そうね。
*****
ユアンは、港湾部の波止場に座っていた。
青く澄んだ海と空を、何をするでもなく眺めている。基地の中では補給と整備の音が絶えないのに、波止場の端だけは妙に静かだった。
頭の中には、つい先ほど第三中隊長から聞かされた言葉が残っている。
部隊は全滅した。
お前はこのままなら懲戒退役になる。
それを聞いた時、ユアンは足元が沈んでいくように感じた。怒りは出てこなかった。反論もできなかった。そうなるだけのことを、自分はしたのだと思った。
だが、中隊長はそこで終わらせなかった。
ミネルバへの転属を司令部に提案してきた。どうなるかは、ミネルバとお前のやる気次第だ。
ミネルバに行けるかもしれない。
その言葉が、胸の中でずっと揺れている。
行きたいと思う。けれど、仲間たちはもういない。部隊のみんながいなくなったこのタイミングで、自分だけがあの艦に乗る。それを喜んでいいのか分からない。
海風が吹いた。
ユアンが顔を上げた時、白い影が視界に入った。
白い大きな帽子をかぶり、白いワンピースを着ている。セラだった。
陽の光を受けた布が、風に合わせて小さく揺れていた。帽子の縁から落ちた影の下で、白い頬と薄い色の髪が柔らかく光って見える。
一瞬、周囲の音が遠のいた。
戦場でも、営倉の端末越しでもない。目の前にいるのは、ただ海辺を歩いてきたひとりの少女だった。
それなのに、まぶしかった。
セラは何も言わない。
ユアンもすぐには言葉が出ない。
白い光の中でまっすぐこちらを見ている。前にも、こんなふうに見られたことがあった。初めて会った日のことだ。あの時も、ユアンは何を言えばいいのか分からなくなった。
「……戦ってるところ、見たよ」
ようやく出た声は、自分でも驚くほど頼りなかった。
セラは黙ってユアンを見る。
「営倉の中で。最初、白い機体が横切ったんだ。海の上を、すごい速さで」
言いながら、ユアンの中で映像が戻ってくる。
夜の海。砲火。煙。そこを白い機体が滑るように抜けていった。大きなスカートのような装甲を広げ、いくつもの小さな翼を周囲に散らしている。最初は、何が起きているのか分からなかった。ただ、白いものが戦場の上を通り過ぎたことだけが目に残った。
それから、光が走った。
白い機体の周りから、細いビームが何度も放たれる。けれど、すべてが敵を貫いているわけではない。撃っているのに、当たっていないようにも見えた。
「最初は、外してるのかと思った。ドラグーンも、全部が直撃してるわけじゃなかったし」
「命中を主目的としていません」
セラが答えた。
「え」
「敵機の動きを止めるために使用しました」
ユアンは眉を寄せる。
思い返す。逃げようとした機体の前に光が走る。方向を変えると、別の射線がそこにあった。完全に撃ち落としているわけではない。だが、相手の動きは止まり、そこへ味方の攻撃が入っていた。
「……なるほど。当てるんじゃなくて、敵の動きを止めたのか」
「はい」
「その隙に、味方が攻撃した」
「はい」
ユアンは少しだけ納得しかけて、また首をひねった。
「でも、なんでわざわざそんなことをするんだ。自分で撃ち落とせばいいじゃないか。あれだけ動けるなら」
セラはすぐには答えなかった。その沈黙が、ユアンには少しだけ長く感じた。
「役割が違います」
「役割」
「はい」
それ以上の説明はない。
ユアンは分かったような、分からないような顔になる。
「……射撃が下手というわけじゃなかったのか」
「はい」
セラはただ答えた。
フリーダムが現れてからは、もっと分からなくなった。あり得ない動きで逃げるレギナントに、フリーダムが食いついてくる。赤い爪が光り、サーベルとぶつかる。あの小さな子が、その中で戦っている。
本当にあの子が、あの中にいるのだと思った。小さいとか、子供だとか、そんな言葉で見ていた自分が、急に恥ずかしくなった。
そう考えると、ユアンはまた胸の奥が熱くなるのを感じた。
よく分からない。けれど、すごいと思った。戦っていた白い機体も、目の前で淡々と答える白い少女も、どちらも自分には遠く見える。なのに、今は手を伸ばせば届きそうな距離にいる。
かわいいと思った。
強いと思った。
そこから先は、言葉にならなかった。
「そういえば」
ユアンは気まずさをごまかすように口を開く。
「俺、名乗ってなかった。ユアン。ユアン・レッセル。君は?」
「わたしは、セラです」
名前を返されただけだった。
それだけなのに、ユアンは一瞬、次の言葉を失った。
セラはその顔を見ていた。
「ユアンは怒ってるのですか」
「え?」
「それとも笑ってるのです」
「いや、それはどういう」
「何かに怯えてるのですか」
ユアンは眉を寄せる。
「何を言ってるんだ」
「わかりません」
「わかんないのに聞いたのかよ」
「はい」
ユアンは言い返せなくなった。
怒っているのか。笑っているのか。怯えてるか。どれも違う気がするし、どれも少しだけ合っている気もする。自分でも分からないものを、セラに分かるはずがない。
なのに、見られている。
胸の奥のぐちゃぐちゃしたものを、名前のないまま触られたような気がした。
その時だった。
「セラ!」
メイリンの声が飛んできた。
ユアンが振り向くより早く、メイリンが駆け寄ってくる。表情は硬い。さっき艦内で、セラとは距離を置かせてほしいと言った相手が、よりによってセラの目の前にいる。
その少し後ろで、ルナマリアが足を止めた。
ユアンとセラを見比べ、目を細める。
「あらあら。やるじゃない」
メイリンの肩が跳ねた。
「お姉ちゃん!」
「まだ何も言ってないわよ」
「言いました!」
「言ったけど」
「言いました!!」
メイリンはいつもより少しだけ早口だった。セラの腕を取る手に力が入る。
「行こう、セラ」
「はい」
セラは抵抗しなかった。
ただ、引かれながらもユアンを見ていた。
メイリンはその視線に気づき、さらに表情を固くする。セラは何も分かっていないのかもしれない。聞かれたから答えただけなのかもしれない。けれど、ユアンの方を見続けている。それが、メイリンにはとてもよくないものに見えた。
「もう行くよ」
メイリンは少し強めにセラを引いた。
セラは歩きながら、もう一度だけユアンを見る。
ユアンは波止場に残される。
白い帽子と白いワンピースが、メイリンに引かれて遠ざかっていく。その後ろで、ルナマリアがこちらを見て、困ったような、面白がっているような顔をしていた。
海と空は、変わらず青い。
けれどユアンの中で、ミネルバという言葉だけが、さっきよりもはっきりした形を持ち始めていた。