機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
マーシャル諸島西、高度27,000m。
ミネルバは現在、ウェーク島に向けて高度を上げていた。
艦内はすでに第2戦闘配備に移行している。
格納庫内は喧騒に満ちていた。
インパルス、セイバー、そしてレギナントの周囲で、整備班たちが機体の最終確認を進めている。固定具が外され、端末の表示が切り替わり、作業員の声が金属の床を渡っていく。
今回の作戦は、レギナント単体による高高度からの降下。
そして、基地上空の強行偵察だ。
基地に攻撃を仕掛けるわけではない。
だが、それは戦闘にならない保証にはならない。
そんな緊張感が、格納庫の空気を硬くしていた。
レギナントのコクピット。
セラは普段通り、その中で出撃待機していた。
出撃前の緊張はない。
まるで家で宿題をこなす普通の少女のように、淡々としていた。
そこへ、ヴィーノが顔を出す。
「セラ、出撃準備できてるか?」
「はい」
「そうか。じゃあ、もう一つだけ確認したいから降りてきてくれ」
セラはコクピットから出る。
足場へ降りると、ヨウランが待っていた。
「セラ、新装備の最終確認をするぞ」
「はい」
ヴィーノが端末を切り替える。
「設置式電磁パルス発生装置。搭載数は8基。射出位置はスカート装甲内側の兵装ラック。使用条件は地表または構造物への設置」
ヨウランが、そこで妙に得意げな顔をした。
「そして愛称は、電気ネズミ君だ」
セラは数秒、ヨウランを見た。
「電気ネズミ君」
「そこは覚えなくていい……」
ヴィーノが苦笑する。
「これは空中じゃ使えない。地面か壁に打ち込んで、そこに置いてくる装備だ。しかも味方識別なんて気の利いたものはない」
「味方識別なし」
「そうだ。敵にも味方にも効く。近すぎればレギナント自身にも影響がある。ドラグーンにも、通信にもな」
「乱戦での使用は不適切」
「そういうこと」
ヴィーノは端末を閉じかけ、念を押すように言った。
「今日の任務は偵察だ。使うために持っていくんじゃない。必要になった時の保険だ」
「保険」
「そう。だから、基本は使わない」
「了解しました」
「何の話してるんだ」
3人が振り返ると、シンとアスランが歩いてきていた。
二人も今は待機命令を受けている。
「新装備の説明中」
「新装備?」
シンが興味深げに、レギナントのスカート内側へ顔を向ける。
「おっと、覗き込み禁止だぞ。スケベ」
「なんでだよ!」
「女王様のスカートを覗こうなんてスケベだろう」
「スケベ」
「いや、そこは覚えなくていいから……」
シンがセラを見て、顔をしかめる。
ヴィーノが笑いをこらえながら言う。
「まあ、今はまだ企業秘密だ。データも十分に取れてないからな」
アスランは少し考えてから、レギナントのスカート装甲を見る。
「設置型か」
「簡単に当てないでくださいよ、アスランさん」
残念そうな顔をするヨウランに、アスランは少しだけ気まずそうに口を閉じた。
シンはその横で、レギナントを見上げていた。
軽口を挟む余裕はあっても、表情は硬い。
「本当にセラだけを行かせるんですか」
「ああ。レギナントの機動力なら、難しいことじゃない」
アスランが答える。
「偵察だったら、インパルスかセイバーで援護に出た方が」
「今回は逃げ切れることが最優先だ。俺たちが出れば、それこそ戦闘になるかもしれない」
シンはまだ言い足りない顔をした。
だが、言葉を飲み込む。
分かっていないわけではない。
分かっているから、余計に苛立っている。
セラは二人を見ていた。
「シンは待機」
「ああ、分かってる」
「アスランも待機」
「ああ」
「レギナントが先行します」
その言い方があまりにも作業的で、シンは眉を寄せた。
「ちゃんと帰ってこいよ」
セラは瞬きをした。
「帰投します」
「そうじゃなくて……いや、それでいい。とにかく、無理はするな」
アスランも続ける。
「撮影が終わったらすぐに離脱だ。敵を倒す必要はない」
「敵を倒す必要はない」
「ああ。情報を持ち帰ることが任務だ」
「情報を持ち帰る」
「そして、お前も戻る」
セラは少しだけ黙った。
「私も戻る」
「そうだ」
アスランは頷いた。
「それで、任務完了だ」
セラは短く頷く。
「了解しました」
その時、艦内に出撃命令が下った。
『レギナント、出撃シークエンスに入ってください』
メイリンの声だ。
心なしか、声が硬い。
シンがもう一度、セラを見る。
「セラ、気をつけろよ」
「はい」
セラはレギナントへ戻る。
アスランとシンの視線を背に、コクピットへ乗り込んだ。
「レギナント、発進シークエンス開始」
ハッチが閉じる。
通信が開いた。
『レギナント、進路クリア。出撃してください。……帰ってきて』
管制席のメイリンは、不安そうにレギナントを見送っていた。
「出撃します」
白い機体が、カタパルトへ滑り出す。
これは、戦うための出撃ではない。
帰ってくるための出撃だ。
*****
「高度30,000m。降下開始ポイントに到達」
メイリンの声が、艦橋に響いた。
セラの眼前には、群青の空が広がっていた。
地上の喧騒など届くことのない、無音の世界。
下を向けば、水平線の彼方まで青一色の海と、季節特有の入道雲が見える。
その真下に、ウェーク島があった。
作戦の目標地点。
「セラ、降下開始を許可します」
タリアが告げる。
「降下開始」
セラの声は変わらなかった。
次の瞬間、レギナントが機首を下げる。
白い機体が、空を落ちる。
滑るのではない。
降りるのでもない。
まっすぐ、地表へ突き刺さるように高度を失いながら加速していく。
艦橋の高度表示が、音を立てるような勢いで減り始めた。
「速い……」
アーサーが思わず呟く。
シンは画面を睨んだまま、拳を握っていた。
アスランも黙っている。表情は動かない。けれど、視線は速度表示から離れなかった。
警告音が鳴る。
『降下率、危険域』
『降下角、規定値超過』
「警告、出ています!」
メイリンの声が硬くなった。
「セラ、問題ない?」
タリアが問う。
「継続可能。許容範囲内」
返答は静かだった。
その静けさだけが、艦橋の焦りから浮いている。
「許容範囲って……本当にかよ」
シンが低く言った。
画面の中で、白い機体は止まらない。
27,000……25,000……22,000……。
雲へ向かって落ちていく。高度表示が削られていく。数字が減るたびに、艦橋の空気まで下へ引きずられていくようだった。
「機体反応は乱れていない。まだ制御はできている」
アスランが言う。
「だからって、見てて平気なわけないだろ」
シンは画面から目を離さない。
怒っているというより、今にも飛び出しそうな自分を押さえている顔だった。
「高度20,000m」
メイリンが読み上げた。
声の最後が、わずかに揺れる。
雲が近づく。
レギナントの機体表面に、薄い光の筋が走る。空気を裂き、熱を抱え、白い影がさらに加速していく。
新しい警告が、管制画面に重なった。
『外装表面温度、上昇』
『熱負荷、規定値接近』
「表面温度、上がっています」
メイリンの指が端末の上で一瞬止まった。
すぐに動かす。
止まっている場合ではない。
「セラ、温度警告が出てる。無理はしないで」
「問題ありません。許容範囲内」
また同じ返答だった。
「それしか言わないのかよ……」
シンの声に焦りが混じる。
タリアは画面を見つめたまま、声を落とした。
「セラ、任務は偵察よ。機体を失ってまで続ける必要はない」
「はい」
メイリンが小さく息を吸った。
安心したかった。
けれど、レギナントはまだ落ち続けている。
少しでも気を抜けば制御を失い、水面に叩きつけられる。
ここでウェーク島の基地が、ようやく反応した。
対空レーダーの照射波が跳ね上がり、通信帯域が一斉にざわつく。警戒信号。識別照会。迎撃準備。
基地全体が、白い落下物を敵として認識し始める。
「敵基地、警報発令を確認」
「予定通りよ」
タリアは言う。
予定通り。
その言葉は正しい。
だが、正しいだけでは艦橋の緊張は薄れない。
「高度10,000m」
メイリンの読み上げが、少し早くなる。
『対地接近警報』
『回避上昇を推奨』
赤い文字がコクピットの端に並ぶ。
セラは視線だけを動かした。
「警告、不要」
表示が縮小される。
「不要って……」
メイリンの声が漏れた。
通信に乗せるつもりはなかったのだろう。
レギナントは雲を突き破った。
白い機体の前に、海が広がる。
滑走路が伸びる。格納庫群が形を持つ。基地の照明が点となり、線となり、急速に大きくなる。
「これ、警報だけ見れば墜落コースですよ」
アーサーの声が上ずった。
冗談にしようとしたのかもしれない。
けれど、誰も笑わなかった。
「警報だけならね」
タリアは返す。
その声は落ち着いていた。
落ち着かせていた。
シンが一歩、モニターへ近づく。
「本当に止まれるんだよな」
アスランは答えない。
その横顔も硬く、高度計を見続けている。
「高度5,000m」
警告音が重なった。
『対地接近警報』
『降下率、危険域』
同時に、地上では基地の対空砲座が旋回を始める。
照準が白い機体を追う。まだ追いついていない。だが、追いつこうとしている。
地表が近い。
数字以上に近く見える。
メイリンは唇を噛んだ。
あと数秒で目標高度。だが、その数秒を通り過ぎれば地面に激突する。
「高度1,000m」
警告音が、一段高く鳴った。
『対地接近警報』
『
「セラ!」
メイリンの声が、報告ではなく名前になった。
次の瞬間、レギナントの落下が止まった。
「撮影高度、到達」
真下へ続く未来などなかったように、白い機体の軌道が水平へと曲がる。
そしてそのまま、平然と基地上空を旋回し始めた。
艦橋のモニター上で、速度ベクトルが折れた。
「止まった……」
アーサーが呟く。
「いえ、水平飛行に移っています」
メイリンが疲れ切った声で返す。
レギナントの動きを見て、理解するまでに、一瞬だけ時間が必要だった。
シンは息を吐くことも忘れていた。
アスランの手が、知らず端末の縁を強く握っている。
「今の、普通なら機体がバラバラになりますよ」
アーサーの声は、今度こそ冗談ではなかった。
「普通ならね」
タリアは短く返す。
だが、その手が椅子の肘掛けを強く握っていることに、アーサーだけが気づいた。
レギナントは何事もなかったように、基地の外周へ沿って流れていく。
白い機体は砕けることなく、落下の勢いをそのまま基地の空へ滑らせた。
ただ、落ちる速さのまま、次の任務へ移っていた。
「撮影開始」