機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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84.沈黙の航路

ウェーク島での強行偵察を終え、ミネルバはすでに基地の警戒圏を離れていた。

 

艦は現在、アラスカ方面へ向けて北上している。

本来の任務は、アークエンジェルの追跡と、地球上に展開しているザフト軍への支援だ。ウェーク島で得た情報は暗号化され、本国への報告準備に入っている。だが、それでミネルバの任務が止まるわけではない。

 

艦長室のモニターには、太平洋と周辺海域の戦況図が広げられていた。

 

「やはり、あり得るとしたらギリシャ方面でしょうか」

 

アーサーが端末を操作しながら言う。

 

「地中海方面は戦線が複雑です。市街地も近く、連合とザフトの衝突も多い。アークエンジェルが現れる動機としては、十分考えられます」

「そうね」

 

タリアは否定しなかった。

アークエンジェルの行き先はある程度絞られる。戦火の広がる場所、民間被害が出そうな場所、あるいはオーブに関わる火種がある場所。そうした場所に姿を現す傾向がある。

 

その意味では、地中海方面は候補として外せない。

 

だが、問題はそこへ至るまでの道だった。

 

「しかし、そうなるとルートが……」

 

アーサーの声が少し重くなる。

 

今のミネルバは太平洋上にいる。

西へ進めばオーブの勢力圏があり、東へ進めば西太平洋連合の警戒網がある。このまま北上し、北極海を経由してヨーロッパ方面へ向かう経路もあるが、その途中に十分な補給や修理が可能な友軍拠点はほとんどない。

 

敵と遭遇しないことを期待して長距離を進む。

それは、ミネルバという独立した艦には避けたい選択だった。

 

その時、扉の呼び出し音が鳴った。

 

「入りなさい」

 

扉が開き、メイリンがセラを伴って入ってくる。

 

「艦長、セラを連れてきました」

「ご苦労様。少し待っていて」

 

メイリンは壁際へ下がる。

セラはタリアの前まで進み、いつものように小さく姿勢を正した。

 

「偵察任務、完了しました」

「ご苦労様。ちゃんと無事に帰ってきたのね」

「はい」

 

抑揚のない返事だった。

けれど、今はそれが一番喜ばしい。タリアはそう思う。

 

この子はいつも、艦のために必要以上の無茶をする。

本人にその自覚があるのかは、まだ分からない。

 

「それにしても、いい画像を撮ってきてくれたな。大手柄だ」

 

アーサーが端末を掲げた。

そこには、ウェーク島基地の解析画像が並んでいる。

 

「基地全体を一枚に収めた上で、対空兵器の配置、地形の起伏、格納庫から滑走路までの導線まで押さえてある。短い滞空時間で、ここまで撮れるとは思いませんでした」

「敵機が格納庫から出た瞬間を狙った手際も見事だったわ」

 

タリアも画面を見る。

格納庫前で撃破されたウィンダム。その残骸が出撃路を塞ぎ、後続の展開を遅らせている。

偵察中の偶然にしては、あまりに都合が良すぎた。

 

メイリンも同じ画像を見ていた。

銃弾とミサイルが飛び交う中で、これだけ鮮明な画像を撮っている。機体を避けさせ、速度を保ち、必要な場所へカメラを向ける。その全部を、セラは同時にやっていたことになる。

 

驚きしかない。

それなのに、ほんの一瞬だけ。

 

カメラの角度を考えながら飛んでいるセラを想像して、少し可愛いと思ってしまった。

 

メイリンは慌ててその考えをしまい込む。

今はそういう場面ではない。

 

「なぜ、あの状況でここまで撮影対象を選べたの」

 

タリアが尋ねた。

責める声ではない。純粋な確認だった。

 

セラは少しだけ画面を見る。

 

「戦術的、戦略的な観点から、攻撃対象と重要拠点を選びました」

「今後、戦闘になることを考えて?」

「はい」

 

淡々とした返答に、アーサーの口が半ば開いたまま止まる。

 

だが、タリアには心当たりがあった。

まだセラがセラという名を持たず、ミネルバの乗員ですらなかった頃。艦橋に連れてこられた少女が、最初に口にしたのは、敵機の配置から割り出した戦力分析だった。

 

この子は、そういうものを見ている。

人が見落とす配置や導線を、最初から情報として拾っている。

 

タリアは少しだけ考えた。

 

「では、セラ。私見で構わないわ」

「はい」

「次にアークエンジェルが現れるとしたら、どこが戦場になると考える?」

 

アーサーが慌てて顔を上げる。

 

「か、艦長。それは、この子に責任を負わせすぎでは」

「私見でいいと言ったでしょう。作戦決定ではないわ」

 

タリアの声は静かだった。

行き先を決めるための根拠が欲しいわけではない。セラが何を見て、何を除外するのか。それを見てみたかった。

 

セラはモニター上の地図を見つめる。

少しの沈黙。

 

「以前の戦闘では、アークエンジェルはセレベス海の南側に出現」

 

セラが口を開く。

 

「西はスラバヤ方面の連合勢力。北西から北はマニラ方面。南東はカーペンタリア基地の警戒圏」

「それって……ほとんど囲まれているのでは」

 

アーサーが端末上でそれぞれの位置を確認する。

線を引くほどに、逃走方向が削れていく。

 

「アークエンジェルは、水中を潜航して移動していると推測」

「ええ。これまでの行動から見ても、その可能性は高いわ」

「潜航状態の継続は困難。換気、排熱、推進効率。長時間完全に隠れ続けることは不自然」

 

セラの言葉は一定だった。

感情はない。

ただ、条件を並べている。

 

「空中へ出れば、各勢力の警戒網に捕捉される可能性あり。低空飛行は可能、でも燃料消費が大きい。水上航行の方が効率的」

「では、どこへ出ると考えるの」

 

タリアが問う。

 

「北東が妥当」

 

セラはすぐに答えた。

 

「北東へ抜ければ太平洋へ離脱が可能。ただし、そのまま海域を進めばパラオ、グアム周辺の監視がある」

「だから、別の道を選ぶ……」

 

アーサーが呟く。

セラは頷いた。

 

「マリアナ海溝沿いの深海域。そこで警戒網を避けながら北上するのが、最もリスクが低い」

「マリアナ海溝沿い……」

 

アーサーは端末に線を引いた。

マナド方面から北東へ。

パラオ、グアムの警戒圏を避けるように、外洋へ。

マリアナ海溝沿いに北上する線。

 

ただの仮説だったはずの線が、画面の上で逃げ道の形を取り始める。

海は広い。

だが、セラが条件を置くたびに、その広さは少しずつ削られていった。

 

アーサーの表情が変わった。

 

「か、艦長……これ」

 

タリアは黙って画面を見ていた。

セラの言葉に矛盾があるか。

距離は足りるか。

補給地点はあるか。

途中で隠れる場所はあるか。

アークエンジェルが戦闘を避けながら進むなら、どの程度の速度で、どこに出るか。

 

数秒後、タリアは顔を上げた。

 

「メイリン、周辺海域の水上航跡を再検索」

「はい」

「低空熱源、排熱痕、通信沈黙域も重ねて。アーサー、警戒態勢を一段上げます。対空だけでなく、対水上監視を厚くして」

「了解しました」

 

アーサーは慌てて端末を抱え直す。

 

「本当に、この近くにいる可能性が……」

「いると決めつける必要はないわ」

 

タリアは短く言った。

 

「でも、いないと決めつける理由もない」

 

メイリンが艦橋へ戻る。

セラは静かにモニターを見ていた。

 

そこに引かれた一本の線。

それは、まだ見えない白い艦の逃げ道だった。

 

*****

 

それから数時間、ミネルバの艦橋は静かな緊張に包まれていた。

 

戦闘配備ではない。だが、通常航行とも違う。

索敵班は水上レーダーと光学観測を広げ、通信班は周辺海域の沈黙域を拾い直している。メイリンは航跡、排熱痕、低空熱源の痕跡を重ね、セラが示した推定航路の周辺を洗い直していた。

 

海は広い。

だが、条件を重ねれば、海にも線が浮かぶ。

 

「該当なし。第3区画、再検索に回します」

「低空熱源なし」

「水上反応、民間船舶2。航路登録と一致」

 

報告が淡々と積み上がっていく。

アーサーは艦長席の横で、端末を何度も見直していた。

 

「やはり、そう簡単には……」

「続けて」

 

タリアは短く命じる。

焦りは見せない。

だが、視線はモニターから離れていなかった。

 

艦橋の大型モニターには、セラが示した推定航路が細い線で表示されている。

その周囲に、索敵範囲が幾重にも重ねられていた。

 

セラは艦橋の後方に立っていた。

呼ばれたわけではない。だが、タリアは退室を命じなかった。

本人も、そこにいる理由を説明しない。

 

ただ、モニターを見ている。

 

「セラ」

 

シンが小声で呼んだ。

いつの間にか、艦橋入口の近くに立っていた。

 

「本当にいると思うのか」

「可能性はあります」

「それ、どれくらいだよ」

「数値化は困難」

「そういう返事だと思ったよ」

 

シンは小さく息を吐いた。

それでも、艦橋を出ようとはしなかった。

 

誰も大きな声では話さなかった。

見つからない報告だけが積み上がるたびに、セラが示した線はただの仮説へ戻っていく。

それでもタリアは検索を止めなかった。

 

メイリンの指が止まったのは、その直後だった。

 

「待ってください」

 

声が、少しだけ硬くなる。

 

「第7区画、海面反射に乱れがあります」

「民間船舶ではなくて?」

 

タリアが問う。

 

「航路登録なし。熱源は薄いです。ただ……水面の波形が不自然です」

 

メイリンは画面を拡大する。

月明かりを受けた海面の映像に、細い乱れが残っていた。

 

大きな船が通った後のような、けれど通常の航跡とは違う線。

一定の幅を保ちながら、途中で消え、少し離れた場所にまた現れている。

 

アーサーが身を乗り出した。

 

「潜航と水上航行を切り替えている……?」

「可能性があります。排熱痕も重ねます」

 

メイリンが別のデータを重ねる。

海面の乱れの近くに、ごく薄い熱の筋が重なった。

 

一瞬だけ、艦橋の空気が変わる。

 

「推定航路と照合」

 

タリアの声は低かった。

 

メイリンが操作する。

セラが示した線。

マナドから北東へ抜け、マリアナ海溝沿いに北上する仮想航路。

その線の上に、海面の乱れがほぼ重なった。

 

「一致率、高いです」

 

メイリンが息を呑む。

 

「大型艦の航跡と推定。ただし、通常の艦艇とは一致しません」

 

アーサーの顔から、いつもの軽さが消えていた。

 

「アークエンジェル……」

 

誰も、すぐには否定しなかった。

断定するにはまだ早い。

だが、無視するには十分すぎる。

 

シンが一歩、前へ出る。

 

モニター上には、細い航跡が伸びている。

海面に残された、かすかな痕跡。

その先にはまだ、何も映っていない。

 

けれど、その線は確かに北へ向かっていた。

 

シンはモニターを睨んだ。

 

「この先に……あいつらがいる」

 

艦橋の誰もが、その言葉を聞いていた。

ミネルバはまだ、白い艦影を捉えていない。

 

だが、逃げ道の端を掴んだ。

 

 

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