機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
ウェーク島での強行偵察を終え、ミネルバはすでに基地の警戒圏を離れていた。
艦は現在、アラスカ方面へ向けて北上している。
本来の任務は、アークエンジェルの追跡と、地球上に展開しているザフト軍への支援だ。ウェーク島で得た情報は暗号化され、本国への報告準備に入っている。だが、それでミネルバの任務が止まるわけではない。
艦長室のモニターには、太平洋と周辺海域の戦況図が広げられていた。
「やはり、あり得るとしたらギリシャ方面でしょうか」
アーサーが端末を操作しながら言う。
「地中海方面は戦線が複雑です。市街地も近く、連合とザフトの衝突も多い。アークエンジェルが現れる動機としては、十分考えられます」
「そうね」
タリアは否定しなかった。
アークエンジェルの行き先はある程度絞られる。戦火の広がる場所、民間被害が出そうな場所、あるいはオーブに関わる火種がある場所。そうした場所に姿を現す傾向がある。
その意味では、地中海方面は候補として外せない。
だが、問題はそこへ至るまでの道だった。
「しかし、そうなるとルートが……」
アーサーの声が少し重くなる。
今のミネルバは太平洋上にいる。
西へ進めばオーブの勢力圏があり、東へ進めば西太平洋連合の警戒網がある。このまま北上し、北極海を経由してヨーロッパ方面へ向かう経路もあるが、その途中に十分な補給や修理が可能な友軍拠点はほとんどない。
敵と遭遇しないことを期待して長距離を進む。
それは、ミネルバという独立した艦には避けたい選択だった。
その時、扉の呼び出し音が鳴った。
「入りなさい」
扉が開き、メイリンがセラを伴って入ってくる。
「艦長、セラを連れてきました」
「ご苦労様。少し待っていて」
メイリンは壁際へ下がる。
セラはタリアの前まで進み、いつものように小さく姿勢を正した。
「偵察任務、完了しました」
「ご苦労様。ちゃんと無事に帰ってきたのね」
「はい」
抑揚のない返事だった。
けれど、今はそれが一番喜ばしい。タリアはそう思う。
この子はいつも、艦のために必要以上の無茶をする。
本人にその自覚があるのかは、まだ分からない。
「それにしても、いい画像を撮ってきてくれたな。大手柄だ」
アーサーが端末を掲げた。
そこには、ウェーク島基地の解析画像が並んでいる。
「基地全体を一枚に収めた上で、対空兵器の配置、地形の起伏、格納庫から滑走路までの導線まで押さえてある。短い滞空時間で、ここまで撮れるとは思いませんでした」
「敵機が格納庫から出た瞬間を狙った手際も見事だったわ」
タリアも画面を見る。
格納庫前で撃破されたウィンダム。その残骸が出撃路を塞ぎ、後続の展開を遅らせている。
偵察中の偶然にしては、あまりに都合が良すぎた。
メイリンも同じ画像を見ていた。
銃弾とミサイルが飛び交う中で、これだけ鮮明な画像を撮っている。機体を避けさせ、速度を保ち、必要な場所へカメラを向ける。その全部を、セラは同時にやっていたことになる。
驚きしかない。
それなのに、ほんの一瞬だけ。
カメラの角度を考えながら飛んでいるセラを想像して、少し可愛いと思ってしまった。
メイリンは慌ててその考えをしまい込む。
今はそういう場面ではない。
「なぜ、あの状況でここまで撮影対象を選べたの」
タリアが尋ねた。
責める声ではない。純粋な確認だった。
セラは少しだけ画面を見る。
「戦術的、戦略的な観点から、攻撃対象と重要拠点を選びました」
「今後、戦闘になることを考えて?」
「はい」
淡々とした返答に、アーサーの口が半ば開いたまま止まる。
だが、タリアには心当たりがあった。
まだセラがセラという名を持たず、ミネルバの乗員ですらなかった頃。艦橋に連れてこられた少女が、最初に口にしたのは、敵機の配置から割り出した戦力分析だった。
この子は、そういうものを見ている。
人が見落とす配置や導線を、最初から情報として拾っている。
タリアは少しだけ考えた。
「では、セラ。私見で構わないわ」
「はい」
「次にアークエンジェルが現れるとしたら、どこが戦場になると考える?」
アーサーが慌てて顔を上げる。
「か、艦長。それは、この子に責任を負わせすぎでは」
「私見でいいと言ったでしょう。作戦決定ではないわ」
タリアの声は静かだった。
行き先を決めるための根拠が欲しいわけではない。セラが何を見て、何を除外するのか。それを見てみたかった。
セラはモニター上の地図を見つめる。
少しの沈黙。
「以前の戦闘では、アークエンジェルはセレベス海の南側に出現」
セラが口を開く。
「西はスラバヤ方面の連合勢力。北西から北はマニラ方面。南東はカーペンタリア基地の警戒圏」
「それって……ほとんど囲まれているのでは」
アーサーが端末上でそれぞれの位置を確認する。
線を引くほどに、逃走方向が削れていく。
「アークエンジェルは、水中を潜航して移動していると推測」
「ええ。これまでの行動から見ても、その可能性は高いわ」
「潜航状態の継続は困難。換気、排熱、推進効率。長時間完全に隠れ続けることは不自然」
セラの言葉は一定だった。
感情はない。
ただ、条件を並べている。
「空中へ出れば、各勢力の警戒網に捕捉される可能性あり。低空飛行は可能、でも燃料消費が大きい。水上航行の方が効率的」
「では、どこへ出ると考えるの」
タリアが問う。
「北東が妥当」
セラはすぐに答えた。
「北東へ抜ければ太平洋へ離脱が可能。ただし、そのまま海域を進めばパラオ、グアム周辺の監視がある」
「だから、別の道を選ぶ……」
アーサーが呟く。
セラは頷いた。
「マリアナ海溝沿いの深海域。そこで警戒網を避けながら北上するのが、最もリスクが低い」
「マリアナ海溝沿い……」
アーサーは端末に線を引いた。
マナド方面から北東へ。
パラオ、グアムの警戒圏を避けるように、外洋へ。
マリアナ海溝沿いに北上する線。
ただの仮説だったはずの線が、画面の上で逃げ道の形を取り始める。
海は広い。
だが、セラが条件を置くたびに、その広さは少しずつ削られていった。
アーサーの表情が変わった。
「か、艦長……これ」
タリアは黙って画面を見ていた。
セラの言葉に矛盾があるか。
距離は足りるか。
補給地点はあるか。
途中で隠れる場所はあるか。
アークエンジェルが戦闘を避けながら進むなら、どの程度の速度で、どこに出るか。
数秒後、タリアは顔を上げた。
「メイリン、周辺海域の水上航跡を再検索」
「はい」
「低空熱源、排熱痕、通信沈黙域も重ねて。アーサー、警戒態勢を一段上げます。対空だけでなく、対水上監視を厚くして」
「了解しました」
アーサーは慌てて端末を抱え直す。
「本当に、この近くにいる可能性が……」
「いると決めつける必要はないわ」
タリアは短く言った。
「でも、いないと決めつける理由もない」
メイリンが艦橋へ戻る。
セラは静かにモニターを見ていた。
そこに引かれた一本の線。
それは、まだ見えない白い艦の逃げ道だった。
*****
それから数時間、ミネルバの艦橋は静かな緊張に包まれていた。
戦闘配備ではない。だが、通常航行とも違う。
索敵班は水上レーダーと光学観測を広げ、通信班は周辺海域の沈黙域を拾い直している。メイリンは航跡、排熱痕、低空熱源の痕跡を重ね、セラが示した推定航路の周辺を洗い直していた。
海は広い。
だが、条件を重ねれば、海にも線が浮かぶ。
「該当なし。第3区画、再検索に回します」
「低空熱源なし」
「水上反応、民間船舶2。航路登録と一致」
報告が淡々と積み上がっていく。
アーサーは艦長席の横で、端末を何度も見直していた。
「やはり、そう簡単には……」
「続けて」
タリアは短く命じる。
焦りは見せない。
だが、視線はモニターから離れていなかった。
艦橋の大型モニターには、セラが示した推定航路が細い線で表示されている。
その周囲に、索敵範囲が幾重にも重ねられていた。
セラは艦橋の後方に立っていた。
呼ばれたわけではない。だが、タリアは退室を命じなかった。
本人も、そこにいる理由を説明しない。
ただ、モニターを見ている。
「セラ」
シンが小声で呼んだ。
いつの間にか、艦橋入口の近くに立っていた。
「本当にいると思うのか」
「可能性はあります」
「それ、どれくらいだよ」
「数値化は困難」
「そういう返事だと思ったよ」
シンは小さく息を吐いた。
それでも、艦橋を出ようとはしなかった。
誰も大きな声では話さなかった。
見つからない報告だけが積み上がるたびに、セラが示した線はただの仮説へ戻っていく。
それでもタリアは検索を止めなかった。
メイリンの指が止まったのは、その直後だった。
「待ってください」
声が、少しだけ硬くなる。
「第7区画、海面反射に乱れがあります」
「民間船舶ではなくて?」
タリアが問う。
「航路登録なし。熱源は薄いです。ただ……水面の波形が不自然です」
メイリンは画面を拡大する。
月明かりを受けた海面の映像に、細い乱れが残っていた。
大きな船が通った後のような、けれど通常の航跡とは違う線。
一定の幅を保ちながら、途中で消え、少し離れた場所にまた現れている。
アーサーが身を乗り出した。
「潜航と水上航行を切り替えている……?」
「可能性があります。排熱痕も重ねます」
メイリンが別のデータを重ねる。
海面の乱れの近くに、ごく薄い熱の筋が重なった。
一瞬だけ、艦橋の空気が変わる。
「推定航路と照合」
タリアの声は低かった。
メイリンが操作する。
セラが示した線。
マナドから北東へ抜け、マリアナ海溝沿いに北上する仮想航路。
その線の上に、海面の乱れがほぼ重なった。
「一致率、高いです」
メイリンが息を呑む。
「大型艦の航跡と推定。ただし、通常の艦艇とは一致しません」
アーサーの顔から、いつもの軽さが消えていた。
「アークエンジェル……」
誰も、すぐには否定しなかった。
断定するにはまだ早い。
だが、無視するには十分すぎる。
シンが一歩、前へ出る。
モニター上には、細い航跡が伸びている。
海面に残された、かすかな痕跡。
その先にはまだ、何も映っていない。
けれど、その線は確かに北へ向かっていた。
シンはモニターを睨んだ。
「この先に……あいつらがいる」
艦橋の誰もが、その言葉を聞いていた。
ミネルバはまだ、白い艦影を捉えていない。
だが、逃げ道の端を掴んだ。