機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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85.天使、墜つ前に

アークエンジェルのブリッジは、静かだった。

 

正面モニターには、果ての見えない海が映っている。

波は穏やかで、空は薄く曇っていた。戦場から遠く離れた場所にいるように見える。だが、その静けさが安全を意味しないことを、この艦の誰もが知っていた。

 

マナドでの戦闘に介入してから、もう10日近くが経とうとしている。

 

キラはモニターの海を見つめたまま、手を強く握っていた。

表情は硬い。怒りというより、悔しさに近いものがそこにあった。

 

マナドでの戦いは、順調とは言えなかった。

むしろ、思うようには何1つ運ばなかったと言うべきだった。

 

オーブ軍を止めたかった。

戦闘を広げたくなかった。

あの場所で、これ以上の犠牲を出したくなかった。

 

だが、戦場にはミネルバがいた。

ザフトの精鋭艦。

そこから飛び出してきたインパルス。そして、あの白い機体。

 

2機の乱入によって、戦闘を止めるどころか、アークエンジェルは最後まで追い回されることになった。

フリーダムも無傷では済まなかった。

 

キラの目がさらに険しくなる。

 

インパルスは強かった。

シン・アスカというパイロットの動きには、怒りと執念が混じっていた。以前よりも鋭く、迷いなく、こちらを落とすために踏み込んできた。

 

それでも、アークエンジェルが危機に晒された瞬間、キラは集中を深めた。

守らなければならないものがある。

そう思えば、体は動いた。判断もできた。

結果として、インパルスを退けることはできた。

 

だが、問題はその後だった。

 

白い機体。

 

レギナントと呼ばれていた、あのMS。

フリーダムがそれを無力化しようと迫った瞬間、キラは強烈な違和感を覚えた。

 

まともに組み合ってはいけない。

 

直感がそう告げていた。

だが、下がることはできなかった。下がろうとすれば先に入られる。進もうとすれば、もうそこにはいない。こちらのビームサーベルの軌道を読まれたというよりも、動き出す前の選択そのものを先に潰されているようだった。

 

焦りが募る。

焦りは判断を鈍らせる。

 

最後に、白い機体は自らを盾にするようにして攻撃を仕掛けてきた。

あれが本当に自己犠牲だったのか、キラには分からない。

ただ、その時のキラには、あの機体に強い覚悟があるように見えた。

 

自分にも、覚悟はあったはずだった。

守るために戦っている。

そのつもりだった。

 

それなのに、あの白いMSには届かなかった。

 

「キラ君」

 

背後から声がかかる。

キラが振り返ると、マリュー・ラミアスが近づいてきていた。

 

「先日からずっと深刻な顔をしているけど、大丈夫?」

「すみません。心配をかけて」

「いいのよ。マナドのこと?」

「……はい。また、思い出していました」

 

マリューはキラの横に立ち、同じようにモニターを見る。

 

「無理もないわ。フリーダムも、あんな状態になるなんて」

 

格納庫では、応急修理が続けられている。

フリーダム本体の損傷は致命的ではない。関節、推進系、機体制御は何とか維持できている。だが、兵装の多くは失われた。

 

ビームライフルとシールドは、艦内の予備で補充できた。

しかし、腰部レール砲はまだ使用不能。背部ウィングの収束ビーム砲も展開できないままだ。フリーダムは動ける。だが、本来の火力を発揮できる状態ではなかった。

 

「ひとまず、島に戻れば修理も補給も受けられます。それまでの辛抱です」

「そうね」

 

マリューは頷いた。

だが、その表情から心配は消えなかった。

 

「あなたも心配だけど……カガリもね」

「……はい」

 

キラの声が少し沈む。

 

マナドでの戦闘から戻って以来、カガリは自室に籠もりがちだった。

食事の場に出てきても、ほとんど話さない。出されたものに手をつけることも少なく、ずっと俯いたまま、何かを考え込んでいる。

 

無理もないと、キラたちは思っていた。

 

目の前で、愛するオーブの兵たちが戦っていた。

止めようとした言葉は届かなかった。

そのまま戦闘は広がり、最後にはミネルバの主砲によって多くの犠牲者が出た。

 

カガリが傷つかないはずがない。

だから、マリューもキラも、無理に問い詰めることはしなかった。

 

けれど、キラにはそれだけではないようにも見えていた。

カガリは、何かを抱えている。

戦場で見た何かを、まだ言葉にできずにいる。

 

「もう少し時間を置いて、落ち着いたら話をするわ」

 

マリューが静かに言う。

 

「今は無理に聞き出すより、本人が話せる時を待った方がいいと思う」

「そうですね」

 

キラは頷く。

ラクスはもう、この艦にはいない。宇宙へ上がり、自分たちとは別の場所で動いている。

だからこそ、カガリが抱えているものに気づいていても、すぐに誰かが受け止められるわけではなかった。

 

「ただ、カガリもこのままでは――」

 

マリューが言いかけた、その瞬間だった。

 

艦が大きく揺れた。

 

床が軋み、ブリッジの照明が一瞬だけ乱れる。

警報音が鳴り、モニターの海面に白い水柱が立ち上がった。

 

「上空より砲撃、至近弾!」

 

ミリアリアの声が、ブリッジに響く。

 

「敵です! 上空に艦影!」

 

「回避運動!」

マリューが即座に命じる。

「急速潜航、急いで!」

 

ノイマンの手が操舵盤を叩く。

 

「了解! 急速潜航!」

 

アークエンジェルの艦体が海面を割り、深く沈み込もうとする。

その頭上、雲の切れ間から、巨大な影が降りてくる。

 

ミネルバだった。

 

キラはモニターを見上げる。

さっきまで見えなかった追跡者が、もうそこにいた。

 

「ミネルバ……!」

 

その名を口にした瞬間、次の砲撃が海面を裂いた。

 

*****

 

アークエンジェルのブリッジに砲撃の警報が響く、少し前。

 

「シン・アスカ、インパルス、出撃します!」

「アスラン、セイバー、出る」

「セラ、レギナント、出撃します」

 

インパルスがカタパルトを蹴り、セイバーがそれに続く。

白いレギナントは、2機の後方から滑るように空へ出た。

 

さらに、ミネルバの甲板上へザクが2機、展開する。

 

「ルナマリア、ザク、出ます!」

「レイ・ザ・バレル、ザク、出る」

 

ルナマリア機とレイ機が、艦上から射線を取る位置へ移動した。

 

タリアの通信が、各機へ入る。

 

『インパルス、セイバーが先行。レギナントは2機を援護。ルナマリア、レイはフリーダムに備えて』

「了解!」

 

シンの返事は勢いがあった。

その声に、だが以前のような飛び出す程ではない。

 

まだアークエンジェルの姿は見えていない。

だが、その先にいると分かっただけで、戦場の空気は変わっていた。

 

「レギナント、単機先行での一撃離脱を申請」

『だめよ』

 

タリアの返答は早かった。

 

「今なら対象の足止めが可能。2機が到着した状態では使用できない戦術です」

 

艦橋に短い沈黙が落ちる。

 

アーサーがタリアを見る。

メイリンも、通信表示に目を向けたまま手を止めた。

 

タリアはモニター上の距離表示を見る。

推定航跡。アークエンジェルの予測位置。こちらのMS隊の速度。

そして、レギナントの機動力。

 

数秒後、タリアは口を開いた。

 

『いいわ。その作戦の成否にかかわらず、必ず離脱すること』

「了解」

 

レギナントが2機の前へ出る。

 

『セラ!』

 

シンの声が通信に割り込む。

 

『無茶するなよ』

「成否にかかわらず離脱します」

 

答えは短かった。

シンは一瞬だけ黙り、それから息を吐くように返す。

 

「……分かった」

 

続いて、アスランの声が入った。

 

『こちらは速度を落とす。必要な時間は』

「数秒で足ります」

『了解した。進路を開ける』

 

インパルスとセイバーが、わずかに速度を落とした。

その前方で、レギナントだけが加速姿勢へ移る。

 

白い機体のスカート装甲が開き、推進光が細く伸びた。

 

次の瞬間、加速する。

 

空気が裂けた。

 

白い影が、海面すれすれへ向けて落ちていく。

飛ぶというより、滑るというより、射出された刃のように一直線に前へ出る。

 

「は、速すぎるぞ……!」

「俺たちでも追いつけない!」

 

シンの声が遠ざかる。

アスランの反応も、通信の向こうへ置き去りになっていく。

 

レギナントはすでに小さくなっていた。

ミネルバの索敵線の先、アークエンジェルがいると推定される海域へ向かって、単機で突き進んでいく。

 

「艦長、主砲射程に到達します」

 

メイリンが振り返る。

 

タリアは頷いた。

 

「トリスタン、目標アークエンジェル推定位置」

「トリスタン、目標アークエンジェル推定位置!」

 

アーサーが復唱する。

 

青白いビームが海面を裂き、遠方へ突き刺さる。

水柱が立ち上がり、遅れて爆音が空へ広がった。

 

「命中なし!」

「撃ち続けて」

 

タリアは冷静に命じる。

 

ビームの雨が、アークエンジェルの進路上へ落ちていく。

水柱が並ぶ。

その下を、レギナントはさらに低く潜り込むように抜けていった。

 

海面の乱れ。

薄い排熱痕。

潜航を始めようとしている大型艦の位置。

 

セラはそれらを見ていた。

 

「対象、潜航開始」

 

アークエンジェルの艦首が、海面を割り始める。

白い飛沫が甲板を覆い、艦体が深く沈もうとする。

 

その直上を、白い影が横切った。

 

CIWSが反応する。

光弾が空へばら撒かれ、海面を叩き、白い水柱を細かく跳ね上げた。

だが、レギナントは射線の隙間を滑るように抜ける。

 

撃たれる前に位置を変える。

撃たれた時には、もうそこにはいない。

 

「電気ネズミ君、散布」

 

スカート装甲の内側から、小型の装置が8つ、弾かれるように放たれた。

それらはレギナントの速度を受けたまま、アークエンジェルの甲板と周囲の海面へ散っていく。

 

爆発ではない。

閃光もない。

 

ただ、艦を包むように、小さな端末が瞬いた。

 

「起動」

 

次の瞬間、アークエンジェルの周辺で、通信帯域が白くざらついた。

 

*****

 

アークエンジェルのブリッジに、異常警報が一斉に鳴り響いた。

 

「潜航制御系に異常!」

「艦外センサー、反応不安定!」

「近接防御火器、照準系ダウン!」

「バラスト制御、一部応答ありません!」

 

報告が次々と飛ぶ。

そのどれもが、今のアークエンジェルにとっては致命的だった。

 

艦は潜航に移ろうとしていた。

だが、潜る途中で制御を失えば、姿勢を崩す。バラスト制御が乱れれば、浮上も沈降も思うようにいかなくなる。センサーが死ねば、海中で自分の位置すら正確に掴めない。

 

マリューは歯を食いしばった。

 

「潜航中止! 浮上姿勢を維持!」

「了解、潜航中止!」

 

ノイマンが操舵を切る。

アークエンジェルの艦体が、強引に海面へ戻されていく。

 

「敵MS、高速で離脱!」

「今のは……何をされたんだ!」

 

ブリッジに混乱が走る。

ミリアリアが必死にデータを拾うが、表示は乱れたままだった。

 

「詳細不明! でも、周辺に何かを散布されました!」

「妨害装置か……!」

 

マリューは状況を飲み込む。

ミネルバは、こちらが潜ることを読んでいた。

そして、潜れなくした。

 

ならば、次に来るのは追撃だ。

 

ブリッジの扉が開く。

 

「僕が出ます」

 

キラだった。

マリューが振り返る。

 

「キラ君、フリーダムはまだ万全じゃないわ」

「分かっています。でも、今出ないとアークエンジェルが狙い撃ちにされます」

「でも――」

「時間を稼ぎます。逃げるための時間を」

 

キラの声は静かだった。

だが、その目はもう決めている。

 

フリーダムは傷ついている。

腰部レール砲は使えない。

背部ウィングの収束ビーム砲も展開できない。

それでも、この艦を守るために出せる最大戦力は、まだフリーダムだった。

 

マリューは一瞬だけ目を閉じる。

 

止める言葉は、見つからなかった。

 

「……フリーダム、出撃を許可します。無理はしないで」

「はい」

 

キラが踵を返そうとした時、別の声がした。

 

「私も出る」

 

カガリだった。

 

ブリッジの入口に立つ彼女の顔は、まだ青ざめていた。

けれど、その目だけは、さっきまでの沈黙とは違っていた。

 

マリューが眉を寄せる。

 

「カガリ」

「分かってる。ルージュで出る。今のアークエンジェルを守るには、機体が1つでも必要だ」

「でも、あなたは――」

「艦長」

 

カガリが真剣な眼差しでマリューの目を見る。

 

「出撃許可を」

 

マリューは言葉を失う。

今は戦闘中だ。

カガリを止めたい気持ちと、出さなければ艦が危ないという現実がぶつかる。

 

キラがカガリを見る。

 

「カガリ、無理はしないで」

「それはお前もだ、キラ」

 

短いやり取りだった。

だが、それだけで十分だった。

 

マリューは艦長席へ向き直る。

 

「ストライクルージュ、出撃を許可します。キラ君、カガリ、アークエンジェルを守って」

「はい」

「ああ!」

 

格納庫へ向かって、2人が走る。

 

ブリッジでは、再び警報が鳴った。

 

「上空、MS接近! インパルス、セイバー、続いてレギナント!」

「ザク2機、ミネルバ甲板上で射撃位置!」

 

マリューは前方モニターを睨む。

 

潜ることはできない。

逃げ切るには、時間が必要だった。

 

「艦を立て直すまで、何としても持ちこたえるわ」

 

潜れないアークエンジェルを守るため、傷ついたフリーダムと赤いルージュが空へ上がろうとしていた。

 

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