機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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当初12時に予約投稿した内容が、初期案のものだったため、13時に再投稿しました。


86.エンジェルダウン

フリーダムが空へ上がった。

 

白い翼は、まだ本来の形ではなかった。

背部の砲は沈黙したまま、腰のレール砲も開かない。手にしたビームライフルと盾だけが、今のフリーダムに残された主な武装だった。

 

それでも、その機体が海上に姿を見せた瞬間、戦場の空気が変わった。

 

アークエンジェルの前に立つ白いMS。

傷つき、武装を欠き、それでもまだ、誰かを守るために出てくる機体。

 

シンはインパルスのコクピットで、正面モニターを睨んだ。

 

あの機体。

あの白い翼。

ステラを奪った機体。

ミネルバの前に何度も立ちはだかった機体。

 

そして今も、アークエンジェルを守るために前へ出てくる。

 

通信を開く。

 

「セラ」

 

短く呼ぶと、すぐに返答があった。

 

『はい』

「あいつは、俺にやらせてくれ」

 

少しの沈黙。

 

『フリーダムへの直接介入を保留』

「頼む」

『了解』

 

それだけだった。

だが、それで十分だった。

 

シンは操縦桿を握り直す。

レギナントが入れば、もっと確実に追い込める。セラのドラグーンがあれば、フリーダムの逃げ道を削れる。

 

それでも、ここだけは譲れなかった。

 

アスランの声が続く。

 

『セラ、ルージュの方は俺が止める。撃墜はしないでくれ』

『了解。ルージュへの介入も一時保留』

 

セイバーの眼前にはアークエンジェルを守ろうと、ミネルバ前に立ち塞がるルージュが見えた。

 

「カガリ!」

 

セイバーがその前に入る。

2機の赤いMSが、海上で向かい合う。

 

『どけ、アスラン!』

「行かせられない!」

『どけ!』

「前に出れば、ミネルバから撃たれる! ……俺からもだ!」

 

カガリは答えず、ルージュを右へ振った。

セイバーも同時に機体を横へ流す。

ビームライフルの銃口は向けない。

だが、進路だけは正確に塞いでいた。

 

『私は、アークエンジェルを守らなきゃならない!』

『君が落ちれば、守れるものまで失う!』

『それでも、何もしないで見ていられるか!』

 

ルージュが上昇する。

セイバーが変形し、その上を取った。

赤い機体の影が月明かりを横切り、ルージュの進路へ斜めに落ちる。

 

カガリは機体を沈めた。

セイバーの下を抜け、海面すれすれへ降りる。

そしてそのまま、ミネルバの砲線の下へ潜り込む。

 

アスランは追った。

 

セイバーのビームが海面を叩く。

水柱がルージュの前に立ち、視界と進路を同時に塞いだ。

 

『アスラン!』

『下がれ、カガリ!』

 

カガリは歯を食いしばり、機体を反転させる。

アークエンジェルに迫るミネルバに取り付くこともできない。

 

その遠くでは、フリーダムとインパルスが交差した。

 

*****

 

ビームライフルの光が、海面を裂く。

インパルスはそれを横に避け、逆にライフルを撃ち返した。

フリーダムの盾が前へ出る。光が盾に弾け、赤く焼けた跡が残った。

 

キラはすぐに機体を引く。

だが、引いた先へインパルスが踏み込んでいた。

 

『インパルス!』

 

キラの声が通信に混じる。

 

『やめろ! 僕たちを狙っても意味はない!』

「そっちにはなくても、こっちにはあるんだよ!」

 

インパルスのビームサーベルが抜かれる。

フリーダムもサーベルを展開した。

 

白と青の光がぶつかった。

 

火花が散る。

海面が近い。2機の影が波を削り、白い飛沫が翼の下を流れていく。

 

フリーダムの動きは速かった。

火力を失っていても、キラの反応は鈍っていない。インパルスの踏み込みを受け、かわし、すぐに反撃の刃を返す。

 

シンはそれをぎりぎりで受けた。

装甲のすぐ横を光が抜ける。

警告音が鳴る。

 

それでも下がらない。

 

「くそっ!」

 

インパルスがライフルを構える。

フリーダムは盾を傾けると、同時にサーベルを振るった。

光がインパルスのライフルをかすめ、銃身の先が弾け飛ぶ。

 

シンは壊れたライフルを捨てた。

 

次の射撃が来る。

その直前、インパルスが分離した。

 

上半身と下半身の間を、白い光が通り過ぎる。

海面に着弾し、大きな水柱が上がった。

 

キラの目がわずかに見開かれる。

 

インパルスの胴体が再び噛み合う。

次の瞬間、シンはフリーダムの懐にいた。

 

「速い……!」

 

フリーダムが盾を上げる。

インパルスのサーベルがそこへぶつかり、焼けた盾の表面を削った。

火花が散り、赤い装甲片が海へ落ちる。

 

キラは押し返さない。

盾で受け、機体をずらし、サーベルを返す。

 

インパルスの肩装甲が裂けた。

白い破片が舞う。

 

「まだっ!」

 

シンが叫ぶ。

 

怒りはある。

胸の奥で燃えているものは、消えていない。

 

それでも、感情に乱れはない。

フリーダムの刃、そして背後のアークエンジェルを見る。

キラがあの艦を背にして戦っている。

 

だったら、そこを狙えばいい。

インパルスが後退する。

追おうとしたフリーダムの背後で、アークエンジェルへ向かうビームが海を走った。

 

ミネルバの砲撃。

キラは反射的に振り返る。

フリーダムがアークエンジェルの前へ入った。

 

盾が再び光を受ける。

焼けた盾が大きく歪み、表面が黒く焦げた。

 

シンはその一瞬を逃さなかった。

 

「メイリン!」

 

回線に、メイリンの声が入る。

 

『ソードシルエット、射出位置です!』

「出してくれ!」

『ソードシルエット、射出!』

 

ミネルバから射出された赤い影が、空を走る。

 

インパルスが上昇する。

フリーダムがそれを追う。

だが、焼けた盾が重く、反応がわずかに遅れた。

 

キラは反射的に盾を手放した。

焦げた盾が、海へ落ちていく。

同時に2本目のサーベルを引き出した。

 

2つの光が開く。

 

インパルスがソードシルエットを受ける。

背に赤い翼が広がり、長い対艦刀が手に収まった。

 

2機が同時に加速した。

 

フリーダムの2刀が、左右からインパルスを挟む。

インパルスは対艦刀で1本を受け、もう1本を肩でかわした。

刃が肩をかすめ、装甲が散る。

 

シンは踏み込む。

キラも引かない。

 

白い翼と赤い翼が、海面すれすれで絡み合った。

光がぶつかるたびに、波が爆ぜる。

フリーダムのサーベルがインパルスの腕を焼き、インパルスの対艦刀がフリーダムの胸元をかすめた。

 

互いの装甲に傷が増えていく。

 

『こんな無意味な戦いを続けて!』

 

キラの声が荒くなる。

 

『ザフトも地球連合も、結局は戦争を繰り返してるじゃないか!』

「俺たちはそれを終わらせるために戦ってるんだ!」

 

シンの声が、それを叩き返す。

 

「お前たちが来ても、戦場は止まらない! 無意味に続いていくだけだ!」

 

シンの声も震えていた。

けれど、機体は乱れなかった。

 

「その下で震えてる人たちのことなんか、見てもいないくせに!」

『それは君たちだって同じことだろう!』

 

フリーダムの右のサーベルが振り下ろされる。

インパルスは機体を沈めた。

刃は頭上をかすめ、アンテナの端を焼き飛ばす。

 

そのままインパルスは分離した。

 

上半身と下半身が、2つの影に分かれる。

キラの左のサーベルが、そこへ突き込まれた。

 

光は、何もない隙間を貫いた。

 

一瞬、フリーダムの動きが止まる。

 

キラはそれが誘いだと気づいた。

気づいた時には、もう遅かった。

 

インパルスの上半身が、横から戻った。

赤い対艦刀の切っ先が、フリーダムの真正面にあった。

 

「これでぇぇぇっ!」

 

キラが機体を引こうとする。

白い翼が大きく広がる。

 

だが、背後にはアークエンジェルがある。

退く幅は、ほんの少しだけ足りなかった。

対艦刀が、フリーダムの機体を貫いた。

 

音が消えた。

 

シンは操縦桿を握ったまま、目を見開いた。

赤い刃が白い装甲の中へ深く食い込んでいる。フリーダムの翼が、広がったまま止まっていた。

 

キラの声は聞こえない。

 

フリーダムのサーベルが揺れる。

片方の光が消えた。

もう片方も、細く震えながら薄れていく。

 

白い翼の端から火花が散った。

背部の装甲が裂け、内部から赤い光が漏れる。

 

それでも、爆発はすぐには来なかった。

 

ただ、フリーダムが沈黙していた。

 

『キラ!』

 

カガリの叫びが、回線に混じる。

 

その声が戻ってきた瞬間、世界の音も戻った。

 

フリーダムの胴体下部から光が噴き出す。

次の瞬間、爆炎が白い翼を包んだ。

 

海面が赤く染まる。

白い装甲片が飛び散り、焦げた翼の一部が回転しながら落ちていく。

 

シンは息を呑んだ。

 

目の前で、フリーダムが爆発していた。

 

*****

 

「フリーダム、反応低下!」

 

アークエンジェルのブリッジに、ミリアリアの悲鳴に近い声が響いた。

 

「キラ君!」

 

マリューが立ち上がる。

だが、モニターは煙と火の色に埋まっている。

フリーダムの位置表示が乱れ、次の瞬間、途切れた。

 

カガリの叫びが、別回線から混じる。

 

『キラ! キラぁっ!』

 

マリューは奥歯を噛みしめる。

答えたい。指示を出したい。救助を命じたい。

 

だが、艦内に別の警報が重なった。

 

「敵艦、主砲照準!」

「回避、間に合いません!」

 

ノイマンが舵を切る。

アークエンジェルの艦体が、傷ついた巨体を無理に捻った。

 

潜航はできない。

センサーは乱れたまま。

バラスト制御も完全には戻っていない。

 

逃げるには遅すぎた。

 

海上のミネルバが、砲口をこちらへ向けている。

 

青白い光が、水平線の向こうから伸びた。

 

アークエンジェルの艦腹で、光が爆ぜた。

艦内が大きく傾き、ブリッジの床が跳ねる。

照明が消え、赤い非常灯だけが残った。

 

「左舷被弾!」

「第3、第4ブロック浸水!」

「機関出力低下!」

「火災、艦尾側で拡大!」

 

報告が重なる。

誰かが倒れ、誰かが手すりにしがみつく。

モニターには、炎が映っていた。

 

白い艦体の横腹から黒煙が噴き上がり、海水が裂け目へ吸い込まれていく。

艦が傾いている。

戻せない。

 

マリューは手すりを掴み、身を起こした。

 

フリーダムの反応は戻らない。

潜れない。

逃げ切れない。

このままなら、艦ごと海へ沈む。

 

一瞬だけ、目を閉じた。

 

それから、前を向く。

 

「総員退艦!」

 

声は、ブリッジ全体に通った。

 

「急いで! 動ける者は負傷者を連れて! 救命艇、ポッド、使えるものは全部使って!」

「艦長……!」

「早く!」

 

その命令が何を意味するのか、誰もが分かっていた。

アークエンジェルは、もう持たない。

 

艦内各所で隔壁が閉じ、避難警報が響く。

脱出用の小艇が開放され、救命ポッドの射出音が水音に混じった。

炎は艦腹を舐め、白い装甲を黒く染めていく。

 

さらに爆発が起きた。

 

艦尾側から光が噴き出し、海面が大きく持ち上がる。

黒煙と水蒸気が重なり、白い艦影がその奥へ傾いていく。

 

艦首が波に沈む。

折れた装甲が海へ落ちる。

艦橋の輪郭が、黒煙と海霧に呑まれて見えなくなった。

 

そこに残ったのは、燃える破片と、広がっていく波だけだった。

 

*****

 

「キラ……!」

 

カガリの叫びが、ルージュのコクピットに響いた。

 

フリーダムが爆炎に消えた。

その直後、アークエンジェルが撃たれた。

白い艦が傾き、煙と水柱の向こうへ沈んでいく。

 

カガリはルージュを前へ出そうとした。

 

だが、セイバーがまだ前にいた。

その横を、レギナントの白い影が横切る。

ドラグーンの光がルージュの鼻先をかすめ、海面に細い爆発を刻んだ。

 

「どけ、どいてくれ!」

 

アスランがカガリの行く手を遮る。

 

「キラが! アークエンジェルが!」

『カガリ!』

 

ルージュの警告音が鳴る。

推進剤の残量も、装甲の損傷も、もう余裕はない。

 

レギナントは撃ってこない。

だが、進める場所を残していない。

 

右へ抜ければ、ドラグーンが線を引く。

上へ逃れれば、セイバーが前へ出る。

下へ潜ろうとすれば、白い機体が先に回り込む。

 

殺す気はない。

それは分かる。

 

だからこそ、なおさら逃げられない。

 

「あの子まで……!」

 

カガリは奥歯を噛みしめた。

 

ラクスと同じ顔の少女。

名を呼ばれていた。

セラ。

 

あの少女が、今はアスランと並んで、自分を行かせないようにしている。

 

「頼む、行かせてくれ……!」

 

声は、怒鳴り声ではなかった。

ほとんど、懇願に近かった。

 

「アスラン、指示を要請」

「……もう十分だ。帰投しよう」

「了解」

 

もう一度だけ、煙の向こうを見る。

そこには、フリーダムも、アークエンジェルも見えなかった。

 

ただ黒煙だけが、海の上に広がっていた。

 

「……っ!」

 

ルージュが反転する。

低く海面へ落ちるように、戦場の端へ向かって離脱していった。

 

アスランは追わなかった。

セラも撃たなかった。

 

ただ、白いレギナントのセンサーだけが、赤い機体の離れていく軌跡を静かに追っていた。

 

『ストライクルージュ、戦闘空域を離脱』

 

セラの声が、ミネルバへ届く。

 

『撃墜の保留は継続』

 

アスランは、何も言わなかった。

セイバーのカメラは、黒煙の上がる海を見ていた。

 

*****

 

ミネルバのブリッジでは、誰もすぐには声を出さなかった。

 

モニターには、煙の上がる海が映っている。

先ほどまでそこにいた白い艦は、もう見えない。

 

勝った。

そう言える結果だった。

 

だが、艦橋に歓声はなかった。

 

メイリンが震える声で報告する。

 

「フリーダム、反応消失」

 

その声が、自分のものではないように聞こえた。

さっきまで、そこにいた機体。

シンが追い、セラが譲り、皆が見ていた白い機体。

その反応が、もう画面にない。

 

続いて、アーサーが画面を確認する。

 

「アークエンジェル、艦体反応消失。大型熱源、沈降中……撃沈と推定」

 

言い終えてから、アーサーは口を閉じた。

 

いつものように声を上げることはできなかった。

モニターに残る黒煙は、勝利の形には見えなかった。

 

タリアはしばらく黙っていた。

 

敵艦は沈んだ。

フリーダムも落ちた。

作戦目標は達成された。

 

それでも、海面に散る炎は、ただの戦果には見えない。

 

「ストライクルージュは」

「戦闘空域を離脱。追跡は困難です」

「深追いはしないで。MS隊を収容します」

 

タリアは前方モニターを見たまま命じた。

 

「作戦終了。警戒を継続」

 

その声で、艦橋がようやく動き出す。

 

インパルスのコクピットで、シンは荒い息を吐いていた。

 

手が震えている。

操縦桿を握る指に、まだ力が入りすぎている。

 

モニターの向こうには、煙る海だけが広がっていた。

 

フリーダムは、もう映らない。

 

シンは拳を握った。

 

勝った。

 

勝ったはずだった。

 

ステラの仇を討った。

ミネルバを守った。

アークエンジェルを止めた。

 

そう並べれば、答えは出る。

なのに、胸の奥に残った熱は、少しも冷めなかった。

 

「……終わったのかよ」

 

呟きは、誰にも届かなかった。

 

遠くで、白いレギナントが旋回する。

その装甲に、海から上がる黒煙が薄く映っていた。

 

セラは何も言わない。

ただ、黒煙と、離れていく赤い機体の軌跡と、反応を失った白い機体の座標を記録していた。

 

頭上の太陽は海を鮮やかに青く照らしている。

それでも、そこに広がる光は、少しも明るく見えなかった。

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