機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
フリーダムが空へ上がった。
白い翼は、まだ本来の形ではなかった。
背部の砲は沈黙したまま、腰のレール砲も開かない。手にしたビームライフルと盾だけが、今のフリーダムに残された主な武装だった。
それでも、その機体が海上に姿を見せた瞬間、戦場の空気が変わった。
アークエンジェルの前に立つ白いMS。
傷つき、武装を欠き、それでもまだ、誰かを守るために出てくる機体。
シンはインパルスのコクピットで、正面モニターを睨んだ。
あの機体。
あの白い翼。
ステラを奪った機体。
ミネルバの前に何度も立ちはだかった機体。
そして今も、アークエンジェルを守るために前へ出てくる。
通信を開く。
「セラ」
短く呼ぶと、すぐに返答があった。
『はい』
「あいつは、俺にやらせてくれ」
少しの沈黙。
『フリーダムへの直接介入を保留』
「頼む」
『了解』
それだけだった。
だが、それで十分だった。
シンは操縦桿を握り直す。
レギナントが入れば、もっと確実に追い込める。セラのドラグーンがあれば、フリーダムの逃げ道を削れる。
それでも、ここだけは譲れなかった。
アスランの声が続く。
『セラ、ルージュの方は俺が止める。撃墜はしないでくれ』
『了解。ルージュへの介入も一時保留』
セイバーの眼前にはアークエンジェルを守ろうと、ミネルバ前に立ち塞がるルージュが見えた。
「カガリ!」
セイバーがその前に入る。
2機の赤いMSが、海上で向かい合う。
『どけ、アスラン!』
「行かせられない!」
『どけ!』
「前に出れば、ミネルバから撃たれる! ……俺からもだ!」
カガリは答えず、ルージュを右へ振った。
セイバーも同時に機体を横へ流す。
ビームライフルの銃口は向けない。
だが、進路だけは正確に塞いでいた。
『私は、アークエンジェルを守らなきゃならない!』
『君が落ちれば、守れるものまで失う!』
『それでも、何もしないで見ていられるか!』
ルージュが上昇する。
セイバーが変形し、その上を取った。
赤い機体の影が月明かりを横切り、ルージュの進路へ斜めに落ちる。
カガリは機体を沈めた。
セイバーの下を抜け、海面すれすれへ降りる。
そしてそのまま、ミネルバの砲線の下へ潜り込む。
アスランは追った。
セイバーのビームが海面を叩く。
水柱がルージュの前に立ち、視界と進路を同時に塞いだ。
『アスラン!』
『下がれ、カガリ!』
カガリは歯を食いしばり、機体を反転させる。
アークエンジェルに迫るミネルバに取り付くこともできない。
その遠くでは、フリーダムとインパルスが交差した。
*****
ビームライフルの光が、海面を裂く。
インパルスはそれを横に避け、逆にライフルを撃ち返した。
フリーダムの盾が前へ出る。光が盾に弾け、赤く焼けた跡が残った。
キラはすぐに機体を引く。
だが、引いた先へインパルスが踏み込んでいた。
『インパルス!』
キラの声が通信に混じる。
『やめろ! 僕たちを狙っても意味はない!』
「そっちにはなくても、こっちにはあるんだよ!」
インパルスのビームサーベルが抜かれる。
フリーダムもサーベルを展開した。
白と青の光がぶつかった。
火花が散る。
海面が近い。2機の影が波を削り、白い飛沫が翼の下を流れていく。
フリーダムの動きは速かった。
火力を失っていても、キラの反応は鈍っていない。インパルスの踏み込みを受け、かわし、すぐに反撃の刃を返す。
シンはそれをぎりぎりで受けた。
装甲のすぐ横を光が抜ける。
警告音が鳴る。
それでも下がらない。
「くそっ!」
インパルスがライフルを構える。
フリーダムは盾を傾けると、同時にサーベルを振るった。
光がインパルスのライフルをかすめ、銃身の先が弾け飛ぶ。
シンは壊れたライフルを捨てた。
次の射撃が来る。
その直前、インパルスが分離した。
上半身と下半身の間を、白い光が通り過ぎる。
海面に着弾し、大きな水柱が上がった。
キラの目がわずかに見開かれる。
インパルスの胴体が再び噛み合う。
次の瞬間、シンはフリーダムの懐にいた。
「速い……!」
フリーダムが盾を上げる。
インパルスのサーベルがそこへぶつかり、焼けた盾の表面を削った。
火花が散り、赤い装甲片が海へ落ちる。
キラは押し返さない。
盾で受け、機体をずらし、サーベルを返す。
インパルスの肩装甲が裂けた。
白い破片が舞う。
「まだっ!」
シンが叫ぶ。
怒りはある。
胸の奥で燃えているものは、消えていない。
それでも、感情に乱れはない。
フリーダムの刃、そして背後のアークエンジェルを見る。
キラがあの艦を背にして戦っている。
だったら、そこを狙えばいい。
インパルスが後退する。
追おうとしたフリーダムの背後で、アークエンジェルへ向かうビームが海を走った。
ミネルバの砲撃。
キラは反射的に振り返る。
フリーダムがアークエンジェルの前へ入った。
盾が再び光を受ける。
焼けた盾が大きく歪み、表面が黒く焦げた。
シンはその一瞬を逃さなかった。
「メイリン!」
回線に、メイリンの声が入る。
『ソードシルエット、射出位置です!』
「出してくれ!」
『ソードシルエット、射出!』
ミネルバから射出された赤い影が、空を走る。
インパルスが上昇する。
フリーダムがそれを追う。
だが、焼けた盾が重く、反応がわずかに遅れた。
キラは反射的に盾を手放した。
焦げた盾が、海へ落ちていく。
同時に2本目のサーベルを引き出した。
2つの光が開く。
インパルスがソードシルエットを受ける。
背に赤い翼が広がり、長い対艦刀が手に収まった。
2機が同時に加速した。
フリーダムの2刀が、左右からインパルスを挟む。
インパルスは対艦刀で1本を受け、もう1本を肩でかわした。
刃が肩をかすめ、装甲が散る。
シンは踏み込む。
キラも引かない。
白い翼と赤い翼が、海面すれすれで絡み合った。
光がぶつかるたびに、波が爆ぜる。
フリーダムのサーベルがインパルスの腕を焼き、インパルスの対艦刀がフリーダムの胸元をかすめた。
互いの装甲に傷が増えていく。
『こんな無意味な戦いを続けて!』
キラの声が荒くなる。
『ザフトも地球連合も、結局は戦争を繰り返してるじゃないか!』
「俺たちはそれを終わらせるために戦ってるんだ!」
シンの声が、それを叩き返す。
「お前たちが来ても、戦場は止まらない! 無意味に続いていくだけだ!」
シンの声も震えていた。
けれど、機体は乱れなかった。
「その下で震えてる人たちのことなんか、見てもいないくせに!」
『それは君たちだって同じことだろう!』
フリーダムの右のサーベルが振り下ろされる。
インパルスは機体を沈めた。
刃は頭上をかすめ、アンテナの端を焼き飛ばす。
そのままインパルスは分離した。
上半身と下半身が、2つの影に分かれる。
キラの左のサーベルが、そこへ突き込まれた。
光は、何もない隙間を貫いた。
一瞬、フリーダムの動きが止まる。
キラはそれが誘いだと気づいた。
気づいた時には、もう遅かった。
インパルスの上半身が、横から戻った。
赤い対艦刀の切っ先が、フリーダムの真正面にあった。
「これでぇぇぇっ!」
キラが機体を引こうとする。
白い翼が大きく広がる。
だが、背後にはアークエンジェルがある。
退く幅は、ほんの少しだけ足りなかった。
対艦刀が、フリーダムの機体を貫いた。
音が消えた。
シンは操縦桿を握ったまま、目を見開いた。
赤い刃が白い装甲の中へ深く食い込んでいる。フリーダムの翼が、広がったまま止まっていた。
キラの声は聞こえない。
フリーダムのサーベルが揺れる。
片方の光が消えた。
もう片方も、細く震えながら薄れていく。
白い翼の端から火花が散った。
背部の装甲が裂け、内部から赤い光が漏れる。
それでも、爆発はすぐには来なかった。
ただ、フリーダムが沈黙していた。
『キラ!』
カガリの叫びが、回線に混じる。
その声が戻ってきた瞬間、世界の音も戻った。
フリーダムの胴体下部から光が噴き出す。
次の瞬間、爆炎が白い翼を包んだ。
海面が赤く染まる。
白い装甲片が飛び散り、焦げた翼の一部が回転しながら落ちていく。
シンは息を呑んだ。
目の前で、フリーダムが爆発していた。
*****
「フリーダム、反応低下!」
アークエンジェルのブリッジに、ミリアリアの悲鳴に近い声が響いた。
「キラ君!」
マリューが立ち上がる。
だが、モニターは煙と火の色に埋まっている。
フリーダムの位置表示が乱れ、次の瞬間、途切れた。
カガリの叫びが、別回線から混じる。
『キラ! キラぁっ!』
マリューは奥歯を噛みしめる。
答えたい。指示を出したい。救助を命じたい。
だが、艦内に別の警報が重なった。
「敵艦、主砲照準!」
「回避、間に合いません!」
ノイマンが舵を切る。
アークエンジェルの艦体が、傷ついた巨体を無理に捻った。
潜航はできない。
センサーは乱れたまま。
バラスト制御も完全には戻っていない。
逃げるには遅すぎた。
海上のミネルバが、砲口をこちらへ向けている。
青白い光が、水平線の向こうから伸びた。
アークエンジェルの艦腹で、光が爆ぜた。
艦内が大きく傾き、ブリッジの床が跳ねる。
照明が消え、赤い非常灯だけが残った。
「左舷被弾!」
「第3、第4ブロック浸水!」
「機関出力低下!」
「火災、艦尾側で拡大!」
報告が重なる。
誰かが倒れ、誰かが手すりにしがみつく。
モニターには、炎が映っていた。
白い艦体の横腹から黒煙が噴き上がり、海水が裂け目へ吸い込まれていく。
艦が傾いている。
戻せない。
マリューは手すりを掴み、身を起こした。
フリーダムの反応は戻らない。
潜れない。
逃げ切れない。
このままなら、艦ごと海へ沈む。
一瞬だけ、目を閉じた。
それから、前を向く。
「総員退艦!」
声は、ブリッジ全体に通った。
「急いで! 動ける者は負傷者を連れて! 救命艇、ポッド、使えるものは全部使って!」
「艦長……!」
「早く!」
その命令が何を意味するのか、誰もが分かっていた。
アークエンジェルは、もう持たない。
艦内各所で隔壁が閉じ、避難警報が響く。
脱出用の小艇が開放され、救命ポッドの射出音が水音に混じった。
炎は艦腹を舐め、白い装甲を黒く染めていく。
さらに爆発が起きた。
艦尾側から光が噴き出し、海面が大きく持ち上がる。
黒煙と水蒸気が重なり、白い艦影がその奥へ傾いていく。
艦首が波に沈む。
折れた装甲が海へ落ちる。
艦橋の輪郭が、黒煙と海霧に呑まれて見えなくなった。
そこに残ったのは、燃える破片と、広がっていく波だけだった。
*****
「キラ……!」
カガリの叫びが、ルージュのコクピットに響いた。
フリーダムが爆炎に消えた。
その直後、アークエンジェルが撃たれた。
白い艦が傾き、煙と水柱の向こうへ沈んでいく。
カガリはルージュを前へ出そうとした。
だが、セイバーがまだ前にいた。
その横を、レギナントの白い影が横切る。
ドラグーンの光がルージュの鼻先をかすめ、海面に細い爆発を刻んだ。
「どけ、どいてくれ!」
アスランがカガリの行く手を遮る。
「キラが! アークエンジェルが!」
『カガリ!』
ルージュの警告音が鳴る。
推進剤の残量も、装甲の損傷も、もう余裕はない。
レギナントは撃ってこない。
だが、進める場所を残していない。
右へ抜ければ、ドラグーンが線を引く。
上へ逃れれば、セイバーが前へ出る。
下へ潜ろうとすれば、白い機体が先に回り込む。
殺す気はない。
それは分かる。
だからこそ、なおさら逃げられない。
「あの子まで……!」
カガリは奥歯を噛みしめた。
ラクスと同じ顔の少女。
名を呼ばれていた。
セラ。
あの少女が、今はアスランと並んで、自分を行かせないようにしている。
「頼む、行かせてくれ……!」
声は、怒鳴り声ではなかった。
ほとんど、懇願に近かった。
「アスラン、指示を要請」
「……もう十分だ。帰投しよう」
「了解」
もう一度だけ、煙の向こうを見る。
そこには、フリーダムも、アークエンジェルも見えなかった。
ただ黒煙だけが、海の上に広がっていた。
「……っ!」
ルージュが反転する。
低く海面へ落ちるように、戦場の端へ向かって離脱していった。
アスランは追わなかった。
セラも撃たなかった。
ただ、白いレギナントのセンサーだけが、赤い機体の離れていく軌跡を静かに追っていた。
『ストライクルージュ、戦闘空域を離脱』
セラの声が、ミネルバへ届く。
『撃墜の保留は継続』
アスランは、何も言わなかった。
セイバーのカメラは、黒煙の上がる海を見ていた。
*****
ミネルバのブリッジでは、誰もすぐには声を出さなかった。
モニターには、煙の上がる海が映っている。
先ほどまでそこにいた白い艦は、もう見えない。
勝った。
そう言える結果だった。
だが、艦橋に歓声はなかった。
メイリンが震える声で報告する。
「フリーダム、反応消失」
その声が、自分のものではないように聞こえた。
さっきまで、そこにいた機体。
シンが追い、セラが譲り、皆が見ていた白い機体。
その反応が、もう画面にない。
続いて、アーサーが画面を確認する。
「アークエンジェル、艦体反応消失。大型熱源、沈降中……撃沈と推定」
言い終えてから、アーサーは口を閉じた。
いつものように声を上げることはできなかった。
モニターに残る黒煙は、勝利の形には見えなかった。
タリアはしばらく黙っていた。
敵艦は沈んだ。
フリーダムも落ちた。
作戦目標は達成された。
それでも、海面に散る炎は、ただの戦果には見えない。
「ストライクルージュは」
「戦闘空域を離脱。追跡は困難です」
「深追いはしないで。MS隊を収容します」
タリアは前方モニターを見たまま命じた。
「作戦終了。警戒を継続」
その声で、艦橋がようやく動き出す。
インパルスのコクピットで、シンは荒い息を吐いていた。
手が震えている。
操縦桿を握る指に、まだ力が入りすぎている。
モニターの向こうには、煙る海だけが広がっていた。
フリーダムは、もう映らない。
シンは拳を握った。
勝った。
勝ったはずだった。
ステラの仇を討った。
ミネルバを守った。
アークエンジェルを止めた。
そう並べれば、答えは出る。
なのに、胸の奥に残った熱は、少しも冷めなかった。
「……終わったのかよ」
呟きは、誰にも届かなかった。
遠くで、白いレギナントが旋回する。
その装甲に、海から上がる黒煙が薄く映っていた。
セラは何も言わない。
ただ、黒煙と、離れていく赤い機体の軌跡と、反応を失った白い機体の座標を記録していた。
頭上の太陽は海を鮮やかに青く照らしている。
それでも、そこに広がる光は、少しも明るく見えなかった。