機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
戦いが終わったミネルバの艦内には、歓声と静寂が同時にあった。
格納庫では整備員たちが戻ってきた機体を迎え、補給区画では誰かが肩を叩き合っていた。艦橋にも、任務達成の安堵が広がっている。アークエンジェル撃沈推定。フリーダム撃破。長くミネルバの前に立ちはだかっていた敵に、ようやく終止符を打ったのだ。
タリアも、アーサーも、言葉には出さないまま小さく息をついていた。
メイリンも同じだった。緊張で固まっていた指が、ようやく端末から離れる。帰投するMSの信号を確認しながら、胸の奥で何度も思った。
おめでとう。
ありがとう。
シンにも、アスランにも、セラにも、ルナマリアにも、レイにも。
皆にそう言いたかった。
けれど、戻ってきたパイロットたちの顔は、歓声とは少し違っていた。
*****
談話室の隅で、シンはぼんやりと窓の外を見ていた。
海の向こうに、夕日が沈みかけている。赤い光が水面に伸び、艦内の窓にも淡く映っていた。戦闘の煙はもう見えない。それでも、シンの目にはまだ黒い海が残っている。
ステラの仇を討った。
何度もミネルバの前に立ちはだかったフリーダムを倒した。
あの白い翼を落とせば、もっと胸が晴れると思っていた。
けれど、残ったのは妙な重さだけだった。
怒りが消えたわけではない。悲しみが終わったわけでもない。ただ、行き場を失った熱だけが、胸の奥で冷えずに残っている。
「任務達成、おめでとうございます」
声をかけられ、シンは顔を上げた。
ユアンが立っていた。
以前のような、根拠のない勢いはない。背筋を伸ばし、少し緊張した顔で、けれど真っ直ぐにこちらを見ている。
「ああ、ありがとう」
シンの返事は、自分でも驚くほど薄かった。
ユアンは少し首を傾げる。
「……らしくないですね」
「そうかもな。今日は、少し疲れた」
その時、別の足音が近づいてきた。
「何、燃え尽きてるのよ」
ルナマリアだった。
ユアンは反射的に背筋を伸ばす。
「先日は、お世話になりました」
「はいはい。じゃあ、そのついでにコーヒー2つお願い」
「了解しました」
ユアンが少しぎこちなく頷き、給茶機の方へ向かう。
ルナマリアはシンの隣に腰を下ろした。
「で、どうしたのよ。あっ、『……別に』とは言わせないからね」
「……言わせろよ。頭ん中、まとまってないんだよ」
先を取られたシンは、恨めしそうにルナマリアを見た。
彼女は何も言わず、ただ待っている。
沈黙のあと、シンはようやく口を開いた。
「俺、ずっと戦争が憎かったんだ。父さんと母さんと、マユを奪った戦争が。何もできなかった自分が嫌で、理想だけ言って何も守れなかった国も嫌いでさ」
「うん」
「で、フリーダムと戦ってる時に、あのパイロットに言われた。何度も繰り返し戦争を起こしてばかりだって。頭に来て言い返したんだ。その下で震えてる人たちのことなんか、見てもいないくせにって」
「……うん」
「でも、それってさ」
シンは夕日の方へ目を戻した。
「俺たちにも言えるんだよな」
ルナマリアはすぐには答えなかった。
シンも答えを求めていたわけではない。
自分たちも、結局は戦争を始めた誰かの上で動いているだけなのかもしれない。
戦場でどれだけ勝っても、始めた連中が止める気にならなければ、戦争は終わらないのかもしれない。
そう思うと、勝ったはずの胸の中が、急に空っぽになった。
「けど」
背後から声がした。
コーヒーを持ったユアンだった。
両手にカップを持ったまま、彼は少し迷って、それでも続ける。
「俺たちは……軍人です。兵士です。戦うためだけに、戦ってるわけじゃないと思います」
シンとルナマリアが振り返る。
「俺は、それを忘れて、勝手に前へ出ました。だから今は、そう思います。そこにいる人たちを、仲間を、守るべき場所を守るために戦うんだって」
言い終えると、ユアンの顔が少し赤くなった。
言いすぎたと思ったのか、カップをテーブルに置く手がわずかに硬い。
シンはしばらく彼を見ていた。
それから、小さく笑った。
「まずいな。俺、そんなことも忘れてたのか」
「わたしも、ちょっと刺さったかも」
ルナマリアも笑う。
「ありがとうな。おかげで少し、頭ん中すっきりした」
「そうねぇ。これはメイリンにも言っておかないと。すごい成長ぶりだって」
「そんな、俺はまだ、ここにいる皆から学んでいる立場です。これからもよろしくお願いします」
ユアンは深く頭を下げた。
それから、緊張した顔のまま談話室を出ていく。扉が閉じる直前、その耳が少し赤いのが見えた。
シンはカップを手に取り、息を吐く。
「……あいつ、本当に変わったな」
「あんたもね」
「そうかよ」
「そうよ」
ルナマリアはコーヒーを一口飲み、窓の外を見た。
夕日はまだ沈みきっていない。
勝利の残響は、艦のあちこちに残っている。
けれど、その音はもう、歓声だけではなかった。
*****
同じ頃、アスランは格納庫の端でセイバーを見上げていた。
装甲の損傷は浅い。
だが、操縦桿を握っていた手だけが、まだ重かった。
カガリに向けて銃口を向けた。
前に出ればミネルバから撃たれるからと。自分も撃つと告げた。その判断は間違っていなかったはずだ。
それでも、最後に聞いた「頼む、行かせてくれ」という声が、耳から離れない。
それに気になることはもう一つ。
キラのことだ。
フリーダムは落ちた。
爆炎の中に消え、その後の信号は途絶えたままだ。
生きているのか、海の底に沈んだのか、それすら分からない。
おれは守ったのか。
それとも奪ったのか。
カガリを止めた自分の手が、今はキラへ伸びる道まで塞いだように思えた。
アスランには、まだ答えが出せなかった。
「アスラン」
「セラ」
アスランが振り向くとセラが目を向けている。
「悲しそうに見えます」
「…いや、そんなことはない」
アスランから何かを感じ取ったのか、セラは素直にそれを口にした。
アスランはやや気まずそうにはぐらかす。
それでもセラの視線は変わらない。いつまでも刺さり続ける視線に耐え切れず、アスランも応えるしかなかった。
「俺もまだまだ未熟だったということだ。軍人としても俺個人としても」
言葉に出すと、案外スッキリ自分の中に入り込む。
そう。自分がまだ未熟だということだ。責任と感情の整理をつけられていない。
これまでシンに厳しく当たっていたが、自分も人のことは言えないなと自嘲する。
「アスランは十分に指揮を執ってると評価します」
そんなアスランの考えを知ってか知らずか、セラは即答する。
「アスランは、シンが孤立しないようによく見てます。MSの特性も理解しています。ルナやレイの指示も的確です」
「だが、こんなに心が揺れてしまっていては、まだまだって実感するよ。軍人としても、俺個人としても」
「それは甘えというものです」
背後から、別の声がした。
レイだった。
ザクの整備区画からこちらへ歩いてくる。表情はいつも通り静かだったが、声は少しだけ硬い。
「あなたは指揮官です。迷うなとは言いません。だが、迷いを理由に判断を曇らせるなら、それは甘えです」
アスランは言い返すことなく次の言葉を待つ。
「俺は議長の命令に従い、ミネルバの任務を果たすためにここにいる。あなたにも、あなたの立場があるはずです」
「ハッキリ言うんだな。結局、俺は今も揺れてる。戦うことの理由に」
「理由がなければ、戦えませんか」
レイの問いは鋭かった。
「……分からない」
「ミネルバを守るためではないのですか」
セラが、アスランに問いかけた。
「それは……もちろん、それはある。」
「そうですか」
セラは短く頷いた。
そういうとセラは今度はレイを見た。
「レイは」
「……もちろん、ミネルバを守るのも戦う理由だ」
「はい」
二人を交互に見たあと、目を伏せる。
「私もミネルバを守ってます」
なんとなく二人はセラの言おうとしてることが分かった気がした。
どんな理由があっても、この艦を守るために戦うのは変わりないのだと。
アスランは苦笑しかけて、すぐに表情を戻した。
答えが出たわけではない。
カガリの声も、キラの消息も、胸の奥に残ったままだ。
それでも、次に出る時、自分が何を守らなければならないのか。
少なくとも、その一点だけは見失えない。
レイは何も言わず、セラを見る。
セラもまた、淡々とレイを見返していた。
格納庫の奥で、整備灯だけが静かに明滅していた。