機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
アークエンジェルとの戦いを終えて、1週間が経とうとしていた。
ミネルバは今、本国からの指令を受け、月勢力圏へと針路を取っている。
艦の左右には、ナスカ級アスピダとティホスが並んでいた。
その後方には、ローラシア級6隻が続いている。
作戦群の通常MS戦力は、48機に達していた。
「アスピダ、ティホスより通信です」
メイリンの声に、タリアが顔を上げる。
「回して」
「了解しました」
メインモニターの一部が切り替わり、2つの艦橋が並んで映し出された。
どちらの艦長も、すでに戦闘前の硬い顔をしている。
『こちらアスピダ。本作戦では、我々が中央を受け持つ。ミネルバには左翼寄りの遊撃を頼みたい』
『ティホスはアスピダの後方につく。ローラシア級各艦との連携はこちらで見る』
タリアは短く頷いた。
「了解しました。ミネルバ隊は先行展開させます。必要があれば、突破口はこちらで開きます」
『頼もしいな。噂の白い機体も出すのか』
「必要ならば」
『なら、こちらも遅れは取れんな』
アスピダの艦長が、わずかに口元を緩めた。
ティホスの艦長は、モニター越しに淡々と続ける。
『敵の防衛線は月面側に寄っている。こちらが距離を詰めすぎれば、支援火力を受ける可能性がある』
「承知しています。先走るつもりはありません」
『ならばいい。本作戦、互いに全力を尽くそう』
形式的な言葉だった。
それでも、艦長同士が直接声を交わすだけで、艦橋の空気は変わる。
これは、ミネルバ単艦の戦いではない。
複数の艦とMS部隊が連動する、月方面での大規模作戦だった。
「ミネルバも、貴艦隊と連携して任務を遂行します」
タリアの返答に、2人の艦長が頷く。
通信はそこで切れた。
作戦目的は明確だった。
月周辺に展開されているロゴス勢力の排除。
そして、月面付近に形成された防衛線の突破である。
その奥には、ロゴス系企業の拠点と見られる施設が存在している。
事前の調査報告によれば、敵も相応の戦力を保有しているらしい。
ダガーL、ウィンダムを中心とした機動部隊。
基地防衛用の艦艇。
月面側からの支援火力。
それ以上の情報は、まだない。
だからこそ、慎重に進む必要があった。
油断はできない。
だが、気負う必要もない。
こちらにはミネルバがある。
インパルスがあり、セイバーがあり、レギナントもいる。
そして今回は、ミネルバだけではない。
「月方面作戦群との合流予定は」
「およそ15分後です」
「そう。では、第2戦闘配備に移行」
「第2戦闘配備!」
警報が鳴り、艦内が同時に動き出す。
整備班が格納庫で各機の最終確認に入る。
MSデッキでは、固定アームが外され、発進準備に入った機体のセンサーが次々と灯っていく。
「シン、聞こえるか」
アスランの声が入る。
「聞こえてます」
「今回は艦隊戦だ。突出しすぎるな」
「分かってます。進路を開けばいいんですよね」
「ああ。撃墜数はいらない。ミネルバと友軍の道を作れ」
「了解」
別の回線で、セラの声が重なる。
「レギナント、接続安定。小判ちゃん4号、応答正常」
「セラ、状況判断は任せる。ただし、無理はするな」
「了解」
返答はいつも通り短い。
だが、メイリンはその声を聞いて、少しだけ息をついた。
第2戦闘配備の警報が、艦内の空気を変えていく。
*****
月の輪郭が、モニターの端に映り始めた。
白く、冷たい光を返す球体。
その周辺に、ザフトの識別信号が点在している。
「月方面作戦群、確認。前方宙域に展開中」
「現地部隊から、合流許可信号」
「返信を。ミネルバは作戦群左翼寄りに進入。アスピダ、ティホスは中央寄り。ローラシア級は後方に」
「了解」
タリアの指示に、艦橋が即座に応じる。
作戦群の隊列は、すでに月面側を向いていた。
ただし、まだ戦闘隊形ではない。
各艦は間隔を取り、MS隊も艦隊前方へ散開を始めている。
敵の迎撃を受ける前に、互いの動ける空間を確保しておくためだった。
「MS隊、前方展開を開始」
「通常部隊3中隊、前衛へ移動。残りは後衛および艦隊直衛」
「ミネルバ隊は」
「インパルス、セイバー、レギナントを先行配置。ガナーザク、ザクファントムは後詰めに」
タリアは短く頷いた。
「それでいいわ。先頭に出すのは、突破と状況判断に対応できる機体だけ。ルナマリアとレイは、前線が動いた後で効く」
「了解」
メイリンが通信を繋ぐ。
「ミネルバ隊、配置変更です。インパルス、セイバー、レギナントは前方。ガナーザク、ザクファントムは後詰め」
「了解。インパルス、前へ出る」
「セイバー、位置を取る」
「レギナント、前方展開」
「後詰めね。了解」
「こちらも了解した」
それぞれの返答が、短く回線に流れる。
ミネルバの前方で、インパルスが機体を押し出した。
セイバーがそのやや斜め後ろに続く。
レギナントは白い装甲を静かに光らせながら、前線の少し上を取った。
その後方で、ガナーザクウォーリアとザクファントムが距離を保つ。
前へ出すぎず、後ろへ下がりすぎない位置。
そこは、前線が崩れた時にも、押し込む時にも動ける場所だった。
月方面作戦群のMS隊も、それぞれの位置へ散っていく。
ザクウォーリアとザクファントム。
本来の緑を基調としたその機体は、宇宙仕様によって群青色に塗り替えられている。
まだ戦場の匂いは漂ってはいない。
だが、配置そのものが、すでに戦闘の始まりだった。
その後方に、1機だけ目立つザクファントムがいる。
白い装甲に水色の差し色。
両肩にはビームガトリング砲が備えられ、大型ビームアックスを両手に持つ。
隊長機らしい派手な配色だった。
だが、その機体は作戦群全体を率いる立場にはない。
あくまで4機小隊の先頭に立つ、1機のザクファントムにすぎなかった。
それでも、目立つものは目立つ。
ルナマリアは、モニターの端にその機影を捉えた。
一度だけ見る。
それだけで十分だった。
知っている機体だった。
知っている相手でもあった。
だからこそ、今は見なかったことにした。
「ルナマリア」
「分かってます。後詰めでしょ」
アスランに言われる前に、ルナマリアは答えた。
「前が動いたら、わたしが穴を埋めるわ」
「ああ。頼む」
「了解」
ルナマリアは砲身の状態を確認し、視線を正面へ戻した。
モニターの端の白と水色は、意識の外へ追いやる。
今は作戦中だ。
余計なことに構っている場合ではない。
*****
白と水色のザクファントムのコクピットで、アグネス・ギーベンラートは唇を尖らせていた。
「納得いかないわね」
前方には、通常部隊3中隊が広がっている。
そのさらに先には、ミネルバ隊のインパルス、セイバー。
後ろには艦隊直衛と予備戦力。
アグネス小隊は、その後衛側に置かれていた。
先頭ではない。
前衛ですらない。
それが気に入らなかった。
「この配置、わたしの機体を見て決めたのかしら」
「隊長の機体を見たからこそ、後ろなんだと思います」
「どういう意味よ」
「最初に出して消耗させるより、突破口で使いたいってことです。隊長なら、そういう扱いになります」
「……まあ、分かってるじゃない」
僚機の返答に、アグネスは少しだけ機嫌を直した。
彼女の小隊は、彼女の扱いに慣れている。
ただ宥めるのではない。
持ち上げるところは持ち上げる。
そして、前へ出すべきではない時は、理由をつけて止める。
その距離感が、アグネスの勢いを小隊の武器に変えていた。
「でも、後衛は後衛でしょう」
「温存です」
「聞こえはいいわね」
「実際、そうです。隊長の突撃力を無駄撃ちさせない配置です」
「そう言われると、悪くはないけど」
「隊長が出る時は、こちらも合わせます。だから今は、前衛の動きを見ましょう」
「……仕方ないわね」
アグネスは鼻を鳴らす。
だが、機体を勝手に前へ出すことはしなかった。
少なくとも、今は。
彼女の視線が、ミネルバ隊の並びへ移る。
インパルス。
セイバー。
ガナーザク。
ザクファントム。
そして、白い大型機。
その機影を認識した瞬間、アグネスの指が操縦桿の上で止まった。
「あ、あれも、いるじゃない……」
声の調子が、わずかに変わった。
「どうしたんですか」
「……なんでもないわ」
「なんか前衛と距離が離れてる気がするんですが」
「き、気のせいよ!」
「了解。まあ間合いを広めに取ります」
僚機の1機が、自然な動きでアグネス機の横へ入る。
もう1機が後方を押さえ、最後の1機が反対側に位置を取った。
小隊全体が、わずかにレギナントから離れる。
それは逃げる動きではない。
隊形の調整。
作戦前の位置取り。
少なくとも、外から見ればそう見えた。
「……別に、避けてるわけじゃないから」
「もちろんです」
「何よ、その即答」
「隊長の判断を信頼しています」
「そういう言い方をされると、怒りにくいじゃない」
アグネスは小さく息を吐き、正面の表示を切り替えた。
だが、モニターの端にレギナントの反応がある限り、視線はそちらへ引っ張られる。
白い機体。
巨大なシルエット。
戦場を閉じるように置かれる、あの赤い線。
思い出したくない感覚が、指先に残る。
「隊長」
「分かってるわよ。作戦中に余計なことはしない」
「助かります」
「ただし、あれがこっちに寄ってきたら、距離は取るわ」
「了解。小隊として隊長の間合いを維持します」
「だから、その言い方」
アグネスは文句を言いながらも、否定はしなかった。
その時、別の機影が目に入る。
後詰めに配置された、赤いガナーザクウォーリア。
ルナマリアの機体だった。
「……あの子も後ろなのね」
「ミネルバの赤いガナーザクウォーリアですか。確か、隊長と同期なんですよね」
「別に。見えただけよ」
「通信を繋ぎますか」
「繋がないわよ。作戦前でしょう」
「了解」
「それに、こっちから声をかける理由もないし」
アグネスはそう言いながら、視線だけを一度、ルナマリア機へ向けた。
同格。
少なくとも、本人はそう見ている相手だった。
だが、今はそこへ意識を割く場面ではない。
前へ出る機会を探す方が先だった。
「前衛3中隊が接敵したら、隙は出るわ」
「隊長」
「分かってる。命令違反をするとは言ってない」
「言ってはいませんね」
「含みのある返事をしない」
「隊長の判断を信頼しています」
「便利な言葉ね、それ」
小隊の3機は、アグネス機の周囲を固めたまま、前方を向いている。
彼らは知っていた。
アグネスが前へ出たがることを。
そして、実際に前へ出れば、誰よりも目立つことを。
月光のワルキューレ。
確かに実力はある彼女だが、広報部から見れば、体のいい広告塔である。
本人はこの二つ名を気に入ってはいたが、戦場ではそんなもの意味を持たない。
パーソナルカラーは飾りではない。
戦場で目を引くということは、敵の視線を集めるということでもある。
アグネスはそんなこと考えてもいない。
むしろ、当然のように受け止める。
だからこそ、小隊は彼女を支える。
持ち上げ、整え、止める時は止める。
そして、出る時は一緒に出る。
「隊長」
「今度は何」
「出番は来ます」
「……当然よ」
アグネスは大型ビームアックスを握る機体の両手を、わずかに締めた。
「その時は、遅れないで」
「はい」
「隊長に続きます」
「いつものように」
その返答に、アグネスはようやく満足したように笑った。
*****
ミネルバ艦橋では、各部隊の展開状況が次々と更新されていた。
「友軍前衛、3中隊展開完了」
「後衛部隊、艦隊直衛位置へ移動中」
「ミネルバ隊、指定位置へ到達」
「月方面作戦群より、作戦開始予定時刻の同期要請」
メイリンが報告を読み上げる。
タリアはモニターに映る配置図を確認した。
先頭には、ミネルバ隊。
その左右に、友軍3中隊。
後方には、後詰めと艦隊直衛。
各艦はまだ砲戦距離に入っていないが、いつでも前進できる間隔を保っている。
「同期を許可。各艦に通達。敵防衛線の反応が確定するまで、先走らないように」
「了解」
タリアの声は静かだった。
だが、艦橋の空気は少しずつ硬くなっている。
月面付近に、ロゴスの防衛線がある。
敵がこちらを見逃すはずはない。
接触は、時間の問題だった。
「前方遠距離に熱源反応」
「敵?」
「判別不能。月面側から複数。まだ距離があります」
「映像は」
「出せません。反応のみです」
タリアは数秒だけ考えた。
「第1戦闘配備へ移行」
「第1戦闘配備!」
警報が、再び艦内に響いた。
MS隊の配置図が、戦闘用の表示へ切り替わる。
各機の推進剤残量、武装状態、相対位置。
すべてが艦橋のモニターに並ぶ。
シンはインパルスの中で、前方を睨んだ。
「来るなら、来い」
ルナマリアは後方で、砲身の固定を確認する。
レイは無言で、前線の隙間を見ていた。
アスランは各機の位置を確認しながら、通信回線を開いたままにする。
セラはレギナントの中で、ドラグーンの待機座標を更新した。
月が、視界の奥にあった。
白く、遠く、冷たい。
そこへ向かって、ザフトの艦隊が進んでいく。
まだ、砲火はない。
まだ、敵影も見えない。
だが、作戦はすでに始まっていた。
廃コロニーのデブリ帯を、特殊戦艦オルフェウスが進んでいた。
艦橋は薄暗い。
照明は最低限に落とされ、モニターの青白い光だけが、乗員の顔を浮かび上がらせている。
「艦長。ガブリエル基地より緊急通信です。ザフト艦隊接近、増援を要請しています」
オペレーターの報告に、艦長は大きな反応を示さなかった。
「そうか」
「どうしますか」
「以前、こちらも増援を回してもらった借りがある。行かないわけにはいくまい」
かつて、ミネルバ追跡のために部隊を寄こしてもらった。
その借りを返すという言い方は、建前でもあった。
ガブリエル基地を失えば、月方面での足場が崩れる。
それは、オルフェウスにとっても都合が悪い。
「それなら」
背後から声がした。
艦長は振り向かず、耳だけを傾ける。
「宇宙仕様に仕上げた、あれの実証実験も兼ねましょう」
レックス・スターリング。
この艦の研究主任であり、軍事的な指揮権こそ持たないものの、実質的にはオルフェウスの運用計画を握っている男だった。
「まだ調整中ではなかったか」
「実戦以上の調整環境はありません」
「相変わらずだな」
「敵には、レギナントがいます。あちらの反応を見るにも、ちょうどいい」
艦長はしばらく黙った。
やがて、短く息を吐く。
「……いいだろう。監督役としてNo.2も同行させろ」
「よろしいのですか」
「さすがに、帰る場所を潰されては困る」
レックスは薄く笑みを浮かべた。
「では、そのように」
艦長は視線をメインモニターへ戻した。
デブリの影が、艦の前方をゆっくりと流れていく。
その奥で、出撃準備を示す小さな光が灯り始めていた。