機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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09.名前のない少女

艦長室の扉が閉まった。

 

重い金属音が、室内に小さく響く。

L-31は警備兵に促されるまま、用意された椅子へ腰を下ろした。

 

向かい側には、タリア・グラディス。

その隣にアーサー。

少し離れた位置には、アスランが立っている。

 

室内の空気は静かだった。

作戦会議の前にも似ている。

だが、そこにある緊張の質は少し違っていた。

 

目の前にいるのは、先日までミネルバ隊と交戦していた敵パイロット。

同時に、医務室で保護された幼い少女でもある。

 

そのどちらとして扱うべきなのか。

まだ誰も、答えを出せていなかった。

 

L-31は表情を変えない。

手錠を掛けられた両手を膝の上に置き、ただ静かに座っている。

 

怯えも、反抗もない。

まるで、次の指示を待っているだけのようだった。

 

タリアは、机の上に置いていた資料を閉じる。

そして、少しだけ声を柔らかくした。

 

「医務室での生活はどうだった?」

 

L-31は一瞬だけ考えた。

 

「問題ありません」

「そう」

 

タリアは頷く。

 

「食事は口に合ったかしら」

 

今度は、少し長い沈黙があった。

質問の意味を整理しているようにも見える。

 

やがて、L-31は答えた。

 

「栄養摂取に支障はありません」

 

アーサーの眉が、小さく動いた。

タリアは表情を変えない。

 

「好きな食べ物は?」

 

再び、沈黙。

 

「不明です」

「不明?」

「好き嫌いについて、十分な知識がありません」

 

室内が静かになる。

 

アスランは黙ったまま、L-31を見ていた。

彼女は、嘘をついているようには見えない。

質問を拒んでいるようにも見えない。

 

ただ、本当に分からないのだ。

 

タリアは、少しだけ角度を変えた。

 

「医務室では退屈だったんじゃない?」

「退屈?」

 

L-31が、わずかに首を傾げる。

 

「暇だったか、という意味よ」

 

また数秒の間。

 

「待機状態でした」

 

会話が、わずかに噛み合わない。

 

だが、本人は真剣に答えている。

からかっているわけでも、反抗しているわけでもない。

 

アーサーは困ったように口元を引き結んだ。

タリアはその様子を、注意深く観察していた。

 

訓練された兵士の受け答えにも見える。

命令に従い、必要なことだけを返す。

余計な感情を挟まない。

 

だが、それとも違う。

 

兵士なら、命令の奥に感情が残る。

緊張も、不満も、恐怖も、誇りも。

どれほど押し殺しても、人間の揺れは完全には消えない。

 

目の前の少女からは、その揺れが見えなかった。

 

「何か欲しいものはある?」

 

タリアは、試すように聞いた。

 

L-31は即座には答えなかった。

 

「質問の意図が理解できません」

「本でもいいし、お菓子でもいい。医務室で必要なものがあれば、という意味よ」

「必要な物資は支給されています」

 

即答だった。

 

欲しいもの。

好きなもの。

退屈な時間。

気に入った食事。

 

そういう概念そのものが、彼女の中ではうまく結びついていないようだった。

 

タリアは小さく息を吐く。

 

ここまでで、十分だった。

 

この少女は警戒しているのではない。

心を閉ざしているのでもない。

そういう会話の前提を、そもそも持っていない。

 

アスランも、同じ違和感を覚えているようだった。

表情は変えない。

だが、視線だけは動かない。

 

まるで、機械と会話しているような感覚。

 

しかし、目の前にいるのは機械ではない。

細い肩をした、幼い少女だった。

 

タリアは姿勢を正した。

 

「それじゃ、少し真面目な話をしましょう」

「了解しました」

 

L-31は、短く答えた。

 

「所属は?」

「研究所所属です」

 

即答だった。

 

アーサーが端末に記録を取る。

 

「その研究所の名称は?」

 

L-31は答えた。

タリアにも、アーサーにも、聞き覚えのない名称だった。

 

隠そうとする様子はない。

むしろ、隠すという発想そのものが存在しないように見える。

 

タリアは次の質問へ移った。

 

「あなたの名前は?」

 

L-31は、まっすぐにタリアを見る。

 

「ありません」

 

室内の空気が止まった。

 

「……名前がないの?」

 

タリアが問い返す。

 

「識別番号はL-31です」

 

アーサーが顔を上げる。

アスランも、わずかに目を細めた。

 

名前ではない。

コードネームでもない。

識別番号。

 

資料上では、対象パイロットの識別番号として確認されていた。

それでも、本人の口から「名前はない」と告げられると、重さが違った。

 

彼女は、自分に名前がないことを疑問に思っていない。

不足だとも、不幸だとも考えていない。

 

ただ、登録情報を答えているだけだった。

 

タリアは、少し間を置いてから頷いた。

 

「……そう」

 

それ以上、その件を追及しなかった。

 

今、問い詰めても意味はない。

目の前の少女は、名前がない理由を悲劇として語ることができない。

おそらく、そういうものとして与えられていない。

 

タリアは、次の質問へ移る。

 

「輸送艦の任務は?」

「対象物資と機密資料の移送です」

「あなたの任務は?」

「対象艦の防衛、および追跡戦力の阻止です」

「ミネルバを撃破する命令は受けていた?」

「受けていません」

「では、なぜ攻撃したの?」

「接近阻止のためです」

 

返答は簡潔だった。

余計な言葉はない。

聞かれたことにのみ答え、感情を挟まない。

 

捕虜としては、理想的ですらあった。

嘘を吐かない。

取り乱さない。

無駄に抵抗しない。

 

だが、話が進むほど、室内の違和感は大きくなっていった。

 

これは従順さではない。

忠誠とも違う。

恐怖で口を閉ざしているわけでもない。

 

彼女は、自分の状況を説明している。

ただそれだけだった。

 

やがて、タリアは少し声を落とした。

 

「その研究所では、何をしていたの?」

 

L-31は、初めて少しだけ考えた。

質問の意図を整理しているように、視線がわずかに下がる。

 

そして、答えた。

 

「人格形成研究です」

 

タリアの手が止まった。

 

アーサーの端末を打つ音も消える。

アスランが、わずかに眉を寄せた。

 

「人格形成研究?」

 

タリアが繰り返す。

 

「はい」

 

L-31は頷く。

 

「私は被験体でした」

 

その声に、震えはなかった。

恥じる様子もない。

苦しむ様子もない。

 

ただ、事実を述べている。

 

アーサーが何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。

 

被験体。

 

その言葉を、目の前の少女は自分自身に向けて使った。

まるで所属や役職を答えるように。

何の違和感もなく。

 

タリアは静かにL-31を見つめた。

 

医務室での生活は問題ない。

食事は栄養摂取。

退屈は待機状態。

欲しいものはない。

名前はない。

識別番号はL-31。

研究所では、人格形成研究の被験体。

 

一つ一つの答えが、彼女の輪郭を作っていく。

そしてその輪郭は、普通の少女からどんどん遠ざかっていった。

 

タリアは、机の上の資料へ視線を落とす。

 

未知のMS。

ラクス・クラインに酷似した容姿。

感情の乏しい受け答え。

そして、人格形成研究。

 

材料は揃い始めている。

だが、結論を急ぐには危険すぎた。

 

「……分かりました」

 

タリアは静かに言った。

 

「今日は、ここで一度区切ります」

「了解しました」

 

L-31は、何の疑問も挟まず頷く。

 

タリアはアーサーへ視線を送った。

 

「医務室へ戻して。警備は継続」

「はい」

 

アーサーが立ち上がる。

警備兵が扉の外から入室し、L-31の横についた。

 

L-31は促されるまま立ち上がる。

椅子を引く音だけが、やけに大きく聞こえた。

 

扉へ向かう途中、アスランの視線が彼女に向けられる。

 

L-31も一度だけ、アスランを見た。

 

そこに、何の感情も浮かばない。

警戒も、興味も、怯えもない。

 

ただ、そこにいる人物を確認しただけ。

 

そしてL-31は、警備兵に連れられて艦長室を出ていった。

 

扉が閉まる。

 

残された室内に、重い沈黙が落ちた。

 

名前がない。

好きなものも、欲しいものも分からない。

自分を被験体だと答える。

 

それだけで、十分すぎるほど異常だった。

 

タリアは机の上で手を組み、目を伏せる。

 

この件は、想像していたよりも深い。

そしておそらく、今聞いたことはまだ入口にすぎない。

 

そんな予感だけが、艦長室の空気をさらに重くしていた。

 

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