機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
「No.2を確認。撤退を勧告」
セラの声が、ミネルバ隊の回線に流れた。
タリアは、その言い方に一瞬だけ違和感を覚えた。
推奨ではなく勧告。
セラがそこまで強い言葉を選ぶ理由を、艦橋の誰もすぐには理解できなかった。
だが、それを理解するのに、時間はかからなかった。
「デブリ帯方向の反応、さらに接近。小型反応12、大型反応1」
「敵防衛線後列と合流します」
「映像を出して」
メイリンが操作すると、メインモニターの一部に粗い映像が映し出された。
デブリの影から現れたのは、薄い機体だった。
人型というより、平たい魚影に近い。
背部に張り出した大きな装甲と、尾のように伸びた細い構造物が、宇宙の暗がりを滑っている。
それが12機。
3つの小隊に分かれ、敵防衛線の後方へ散開していく。
そしてその後ろには黒を基調とした大型MS。
目算でもレギナントよりも一回り大きい。
「何だ、あれは」
「通常のダガーLでもウィンダムでもない」
アスランの声が低くなる。
「大型機はネメシス。No.2の搭乗機。小型機は不明。ミュルミドンの宇宙仕様と推測」
セラが淡々と口にする。
「ネメシス? No.2?」
シンが問い返す。
「ネメシスはレギナントの上位機。 No.2は私の交配予定者。Lシリーズの戦闘特化タイプ」
「は……?」
今、とてつもない情報が、平然と回線に投げ込まれた気がした。
しかし、問い返す間もなく、敵から攻撃が来た。
不明機群は、ザフト前衛の進路を塞ぐように広がり、そして尾部から細い有線端末を射出する。
端末は敵味方の間にばら撒かれ、次々と緑色の線を描いた。
何本もの緑の光が、格子のように宙域を横切っていく。
それは、レギナントの赤い線に似ていた。
空間を区切り、進路を制限し、相手を特定の場所へ追い込むもの。
ただし、その緑の線はレギナントのそれよりも荒く、殺意がはっきりしていた。
「……
ルナマリアが呟く。
友軍のザクウォーリアが、後退しようとして緑の線に触れた。
「離れろ!」
誰かが叫ぶ。
だが、遅かった。
線に触れた瞬間、有線端末の先からビームが走った。
ザクウォーリアの胴体を貫き、機体が爆発する。
「友軍機、撃墜!」
「敵不明機、本体からも砲撃!」
「前衛、混乱しています!」
緑の線を避けようとしたザクファントムが、今度は不明機本体が備える背部ビーム砲に撃たれた。
別の機体は線を避けるために進路を変え、そこをダガーLに狙われる。
押していたはずの戦線が、一気に崩れた。
「前衛部隊、後退。無理に押し込まないで」
「了解」
「後衛部隊は援護。敵不明機のレーザー網に触れさせないように。各艦、回収のためのラインは空けて」
「前衛、後退開始します」
タリアの指示が飛ぶ。
だが、敵は待ってくれない。
緑の線が進路を切り、不明機本体の砲撃が後退する機体を追う。
そこへ、ダガーLとウィンダムが前へ出た。
敵は混乱したザフト前衛を逃がす気がなかった。
「くそっ、なんだよあれ!」
シンはインパルスを前へ出した。
後退しようとする友軍機の背後を、ウィンダムが狙っている。
そのままなら撃たれる。
シンは正面の敵を牽制しながら、緑の線の先を見た。
レーザーの先には、必ず端末がある。
セラとのシミュレーションで、何度も叩き込まれたことだった。
「レーザー1本くらいなら、防げる!」
インパルスはあえて緑の線の近くへ出る。
不明機の有線端末が反応し、ビームが飛んだ。
シンは盾で受け、衝撃に機体を流しながら、発射元の端末を見つける。
「そこか!」
インパルスのビームライフルが、有線ドラグーンを撃ち抜いた。
緑の線が一本消え、後退していた友軍機の前に細い通路が開く。
「今のうちに下がれ!」
『助かった!』
別の線が伸びる。
今度はインパルスを狙っていた。
シンは線そのものを避けるのではなく、その線を作っている端末を探す。
撃たれる前に潰す。
潰せないなら、撃たせる角度をずらす。
セラとの訓練で覚えた戦い方が、ここで生きていた。
「シン、右を空けるな」
アスランが割り込む。
ダガーLがインパルスの側面を狙っていた。
セイバーがその進路を横から押さえる。
アスランの射撃がダガーLの前方を切り、敵機は足を止めざるを得なくなった。
そこへ友軍機が後方へと滑り込む。
「後退する味方を狙わせるな」
「了解!」
ルナマリアのガナーザクウォーリアが、後方から砲撃する。
ウィンダムが友軍機を追おうとした瞬間、赤いビームがその進路を塞いだ。
撃墜には届かない。
それでも敵は足を止め、友軍機はその間に後退する。
「下がってください。そこにいると撃たれます」
『すまない、助かった』
レイのザクファントムも別角度から射撃を入れる。
彼の狙いは撃墜ではなく、追撃の射線を消すことだった。
敵が前へ出ようとするたびに、アスラン、ルナマリア、レイがそれを削り、シンが緑の線の発生源を潰していく。
崩れかけた前線を、ミネルバ隊だけが辛うじて支えていた。
その上方で、レギナントが動く。
不明機が背部のビーム砲をミネルバ隊へ向ける。
セラはそれを見て、ドラグーンを走らせた。
赤い線が緑の線を横切り、不明機の背面砲へ集中する。
「敵背面砲を排除」
ドラグーンの射撃が、不明機の背部砲を撃ち抜いた。
一門が爆ぜる。
だが、不明機は止まらない。
残った砲が向きを変え、新たな目標へと攻撃を再開する。
「数が多い」
「一機ずつ潰していては間に合わない」
アスランの声が硬くなる。
その時、開いたままの回線に別の声が割り込んだ。
『L-31。そこで何をしている』
シン達と大して変わらない少年の声。
セラの指が止まった。
『あの日、撃墜されて壊れたか』
黒い大型機からの通信だった。
低く、落ち着いた声。
怒っているわけでも、嘲っているわけでもない。
ただ、部品の状態を確認するような声だった。
「……No.2」
セラの声が、わずかに硬くなる。
メイリンは、その変化を聞き逃さなかった。
いつもの平坦な声に近い。
けれど、同じではない。
ほんの少しだけ、震えているように聞こえた。
「セラ」
メイリンが呼ぶ。
セラは答えない。
代わりに、No.2へ返した。
「私は捕虜となり、所属が書き換えられました」
『所属か。お前はそれを理由にするのか』
「現在の命令系統に従っています」
『お前が抜けたことで、こちらの稼働率が上がっている。それは容認できない』
「Lシリーズは消耗品。撃墜の可能性は常に考慮するべきです」
その一言で、黒い大型機の動きが変わった。
敵後列の不明機が左右へ散り、中央に道が開く。
その奥から、ネメシスが前へ出た。
黒い装甲。
低く広がった外殻。
周囲の星明かりを呑み込むような巨体。
「大型反応、加速」
「セラ、下がれ」
アスランが叫ぶ。
ネメシスは、レギナントへ向かった。
赤い線が進路を塞ぐ。
レギナントのドラグーンが撃つ。
だが、ネメシスは止まらない。
『それだけの理由で任務放棄可能という
「既に私は新しい任務を遂行中。現在はそちらが最優先」
ビームが黒い装甲に触れ、赤い光に弾かれた。
「効いてない…」
ルナマリアが息を呑む。
セラはレギナントを後退させる。
ただ逃げるのではない。
ドラグーンで牽制し、赤い線で進路を絞り、レギナントの高機動で間合いを外す。
だが、ネメシスは振り切れなかった。
レギナントが右へ抜ければ、ネメシスはその先へ回り込む。
上へ逃げれば、上昇角度を読むように追いついてくる。
赤い線で道を閉じても、ネメシスはその切れ目を見つけ、最短で距離を詰めてくる。
「何で当たらない」
「読まれているのか」
シンがインパルスを向けた。
「セラ、今行く」
「ネメシスに接近するのは危険」
「そんなこと言ってる場合かよ!」
ネメシスがさらに近づく。
その間にも、セラは小型の装置を戦場に散らしていた。
追われながら、逃げながら、ネメシスの進路に薄く撒いていたもの。
距離が詰まった瞬間、セラが小さく呟く。
「電気ネズミ君、起動」
ネメシスの周囲で、いくつもの小さな反応が弾けた。
音はない。
だが、黒い巨体の動きが一瞬だけ鈍る。
設置式電磁パルス発生装置が、まとめて作動したのだ。
「止まった!」
シンが飛び込む。
インパルスがネメシスへ斬りかかった。
その後ろから、アグネス隊も前へ出る。
「今ならいけるわ!」
「隊長、相手が」
「分かってる。だから今行くのよ!」
アグネスのザクが大型ビームアックスを構え、僚機3機もその左右に続いた。
セラの罠でネメシスが鈍った今なら、押し込める。
アグネスはそう判断した。
だが、ネメシスの回復は早かった。
「
No.2の声が響く。
黒い機体の背部スラスターと腰部装甲が開き、4本の補助アームが展開された。
それぞれの手にビームナイフが灯る。
2本の主腕。
4本の補助腕。
合わせて6本の腕。
ネメシスの姿が、大型の土蜘蛛のように変わった。
インパルスが斬りかかる。
ネメシスは補助アームで刃を受け、主腕でインパルスを弾き返した。
シンの機体が後方へ飛ばされる。
「シン!」
ルナマリアが叫ぶ。
次に捕まったのは、アグネスだった。
アグネス機が回避しようとする前に、ネメシスの補助アームが伸びる。
腕を掴まれ、脚を押さえ込まれ、胴体まで固定された。
大型ビームアックスを振ろうにも、機体そのものが動かない。
「離しなさいよ!」
アグネスの声が裏返る。
「隊長!」
「隊長を離せ!」
僚機3機が一斉に撃った。
ビームライフルの光がネメシスへ集中する。
しかし、赤鏡層に覆われた装甲はそれを受け止め、表面に赤い光を滑らせただけだった。
「効いてない」
「撃ち続けろ!」
「隊長を助ける!」
射撃で止められないと判断した3機は、なおもネメシスへ向かった。
アグネスを引きはがすために、距離を詰める。
だが、戦場にはネメシスだけがいるわけではなかった。
魚影の機体が、背面砲を向ける。
緑の線が、アグネス隊の僚機の進路を囲んだ。
彼らがネメシスへ近づこうとすれば、その線に触れる。
避ければ、砲撃の射線に入る。
「避けなさい!」
アグネスが叫ぶ。
ビームが走った。
1機目が爆発する。
続いて2機目。
最後の1機は、それでもネメシスへ向かおうとした。
「隊長!」
その機体も、不明機の砲撃に呑まれた。
アグネスの周囲から、味方の識別反応が消える。
「嘘……」
アグネスの顔から血の気が引いた。
ネメシスの腹部に光が集まる。
拘束されたアグネス機へ、砲口が向けられていた。
身動きは取れない。
盾もない。
逃げ場もない。
「アグネス!」
ルナマリアの声が響く。
その瞬間、レギナントがネメシスへ体当たりした。
白い巨体が黒い機体にぶつかり、拘束の一部を引き剥がす。
アグネス機が弾き出され、辛うじて砲口から外れた。
「離脱を勧告」
「な、何よ……助けたつもり」
アグネスの声は震えていた。
セラは答えない。
レギナントはそのまま反転し、赤く染まったヒートクローを構えた。
「
白い機体が、黒い機体へ襲いかかる。
近接戦闘に入ったレギナントは強かった。
巨体が一気に間合いを潰し、ヒートクローがネメシスの補助アームを捉える。
一本が砕け、続けてもう一本が赤い爪に裂かれた。
「通った」
「セラ、そのまま!」
シンが体勢を立て直しながら叫ぶ。
だが、No.2は崩れない。
残った補助アームがレギナントの腕を止め、主腕のビームナイフが白い装甲を叩く。
白鏡層は致命傷を避ける。
それでも、衝撃までは消せない。
レギナントが押し込む。
ネメシスが逸らす。
レギナントが掴もうとする。
ネメシスがその前に外す。
セラの攻撃は鋭かった。
補助アームを砕き、装甲を削り、ネメシスの進路を何度も止めた。
だが、決定打にならない。
ネメシスは、セラの動きを読んでいる。
どこへ踏み込むか。
どの角度から爪を出すか。
どのタイミングで動きが鈍るか。
黒い機体は、すべてを知っているように受け流した。
セラの攻撃の激しさで、シンは近寄れず声を上げた。
「セラ、下がれ!」
「まだ可能」
レギナントの動きが、わずかに鈍った。
ほんの一瞬。
けれど、No.2はそれを逃さない。
『そろそろ電池切れか。続けると命に関わるぞ』
その言葉が、回線に流れた。
艦橋が静まり返る。
「電池……」
「どういう意味」
ルナマリアが呟く。
メイリンは答えられない。
タリアもすぐには指示を出せなかった。
セラだけが、何も言わなかった。
レギナントはなおもネメシスへ向かう。
ヒートクローが赤く光る。
だが、その動きは先ほどより遅い。
ネメシスの主腕がレギナントの胴を押さえ、残った補助アームが肩と腕を固定した。
それはただの物理的な拘束ではなかった。
黒い機体から、見えない信号が流れ込む。
レギナントの接続核が異常を拾った。
セラの神経へ、外部から別の位相が割り込む。
「接続、干渉」
「セラ!」
メイリンが叫ぶ。
セラの体が、コクピットの中で小さく仰け反った。
「あ、ああああっ……!」
これまで聞いたことのない声が通信越しに聞こえてきた。
レギナントの白い機体が、一瞬だけ痙攣した。
展開していたドラグーンがばらばらに揺れ、赤い線が消える。
シンがインパルスを動かす。
「セラを離せ!」
インパルスがネメシスへ向かう。
だが、不明機の緑の線が進路を塞いだ。
ルナマリアがそれを撃とうとする。
レイが援護する。
アスランが指示を飛ばす。
それでも、間に合わない。
レギナントの動きが止まった。
白い機体は、ネメシスに掴まれたまま沈黙する。
コクピットから、セラの声は戻らない。
No.2の声だけが、静かに響いた。
『捕獲完了』