機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
『捕獲完了』
その声が、シンの耳に届いた。
同時に、メイリンの悲鳴が回線を揺らす。
アスランも、ルナマリアも、レイも、何かを叫んでいた。
だが、シンには届かなかった。
目の前には、レギナントを抱えたネメシスがいる。
黒い巨体に掴まれた白い機体は、もう動かない。
それが、人食いの化け物にも、姫を攫う魔物にも見えた。
「……ふざけんな!」
シンの中で何かが弾けた。
視界の奥が、熱を持つ。
音が遠ざかる。
代わりに、敵の動きだけが異様なほど鮮明になった。
「メイリン! ソードシルエット!」
「……え」
「早くしろ!」
「は、はい! ソードシルエット、射出します!」
返事を待たず、インパルスがネメシスへ飛び込んだ。
ネメシスは、最初の一撃に反応しなかった。
ビームサーベルでは赤鏡層を抜けない。
No.2はそう判断していた。
だがそんなことはシンもわかっている。
そして赤鏡層の特性も、対抗策もセラから聞いていた。
インパルスはビームサーベルをネメシスの右脇へ押し当て、そのまま機体ごと食い込ませた。
赤鏡層が熱を逃がすより早く、同じ場所に熱が集中する。
表面を滑るはずの光が、逃げ場を失って右側面に焼き付いた。
『右側面、熱負荷上昇』
No.2の声が冷ややかに響く。
しかし、ネメシスはレギナントを抱えた姿勢のままでは、インパルスを処理できない。
拘束に使っていた腕が邪魔になり、6本の腕を戦闘用に使えない。
シンはその隙を逃さなかった。
「ビームが効かないからって、いい気になるな!」
胸部CIWSが至近距離で火を噴く。
弾丸は赤鏡層を貫いたわけではない。
だが、熱で歪んだ右側面に集中して叩き込まれ、装甲表面を削り、センサーの一部を潰した。
ネメシスの腕が動く。
レギナントを抱えたままでは間に合わない。
『捕獲姿勢は困難。脅威対象をインパルスへ変更』
黒い巨体が、レギナントを手放した。
放り捨てられたレギナントが、宙に流れる。
シンはすぐにそちらへ向かおうとした。
だが、ネメシスがその前に立つ。
6本の腕が、今度はすべてインパルスへ向けられていた。
『バンパイアに援護を命令』
『了解』
不明機――バンパイアが反応する。
緑の線がインパルスの進路を塞ぎ、背面砲がシンを狙った。
「くそっ!」
セラはすぐそこにいる。
それなのに、火力がインパルスに集中して近づけなかった。
その時、セイバーが横から飛び込んでくる。
アスランの射撃がバンパイアの照準を散らし、緑の線の重なりを崩した。
遅れて、ルナマリアのオルトロスがその隙間を撃ち抜いた。
レイのミサイルが、インパルスを狙っていた有線ドラグーンを次々と弾き飛ばす。
「シン、セラはどうなったの!?」
「分からない! けど、このままじゃ!」
シンが叫ぶのと同時に、ソードシルエットが接近する。
インパルスが換装を受け取り、二本の対艦刀を展開した。
『増援確認。各機警戒。戦闘継続が困難の場合は後退を許可』
ネメシスの声に、バンパイアたちが一斉に配置を変える。
敵の圧力が、さらに増した。
その時、タリアから通信が入ってきた。
「ミネルバ隊、レギナントを奪還する。敵不明機を突破しなさい」
「了解。絶対に助ける」
シンだけではなかった。
アスランも、ルナマリアも、レイも、同じ方向を見ていた。
*****
「メイリン、セラの状態は」
「脈拍異常。呼吸も浅くなっています」
タリアは艦隊戦を維持しながら、ミネルバ隊とレギナントの状況を同時に見ていた。
幸い、前衛と後衛の後退は完了し、崩れかけた戦線は一時的に膠着へ戻りつつある。
「損傷機の回収を急いで。応急修理後、再出撃可能な機体から戻す」
「はい!」
アーサーがすぐに各艦へ指示を回す。
多数の戦闘艦を率いている利が、ここでようやく形になっていた。
被弾した機体は無理に踏み止まらせず後退させ、応急修理を済ませた機体から順に戦列へ戻す。
数に頼るのではなく、数を回すことで戦力低下を最小限に抑えていた。
「数にものを言わせれば勝てるほど、脆くはないのよ。ザフトは」
タリアの声が、艦橋の空気を引き締める。
その横で、メイリンはレギナントの状態を見ていた。
セラの意識反応は戻らない。
それなのに、レギナント側の神経接続パルスは異常な値を示している。
「なんで…。セラの意識がないはずなのに、まだ信号を要求してる」
メイリンの顔が青ざめる。
「違う。受け取ってるんじゃない。無理やり吸い出そうとしてる……」
それが、セラを弱らせている原因だった。
「それなら」
メイリンの指が高速で動き出す。
端末を叩く音が艦橋内に響いた。
「メイリン?」
タリアが呼ぶ。
しかし、メイリンは答えなかった。
答えれば、その間にもセラが削られていく気がした。
「これで……!」
最後のキーを叩く。
レギナントの制御系の出力が、ゆっくりと落ちていく。
機体そのものを止めたわけではない。
だが、セラから無理に信号を吸い出していた流れは、細くなった。
「何をしたの、メイリン」
「神経接続系の出力を落としました。機体は弱くなります。でも――」
メイリンはモニターから目を離さない。
「これで、セラは助かるかもしれません」
*****
バンパイアの緑の線が、インパルスの進路を何度も塞ぐ。
シンが避ければ、背面砲がそこを狙う。
対艦刀を構えたインパルスは強い。
だが、レギナントへ向かうには、バンパイアの網とネメシスの腕を同時に抜けなければならなかった。
セイバーが先に入る。
アスランはバンパイアを落とすのではなく、照準を散らすように撃った。
敵がシンを狙う線を一瞬でも外せば、それでいい。
ルナマリアのオルトロスが、その一瞬を撃ち抜く。
レイのミサイルが有線ドラグーンを叩き落とす。
3人が作った細い隙間へ、シンが突っ込んだ。
「そこをどけ!」
ソードインパルスがネメシスへ斬りかかった。
補助アームが刃を受け流し、主腕がインパルスの姿勢を崩そうとする。
シンはそれを読んで踏み込み、対艦刀を振り抜いた。
補助アームの1本が弾かれ、もう1本の動きが止まる。
それでも、ネメシスはまだ崩れない。
背部ユニットから、4基のドラグーンが射出された。
各ドラグーンから短いビームナイフが飛び出てくる。
それは、インパルスを囲み、斬り込むための近距離兵装だった。
「ドラグーンまで格闘仕様なのかよ!」
四方から刃が来る。
正面には6本腕のネメシス。
周囲にはバンパイアの緑の線。
「くそっ!」
シンは対艦刀を振るい、ネメシスの腕を押し返した。
一本一本なら、力で負けていないのに。
シンにはドラグーンの動きも、ネメシスの動きも全て見えている。それなのに。
体が追いつかない。
インパルスが動いた先にドラグーンが、躱した先にビームサーベルが、防いだ脇を狙ってビームナイフが斬りかかってくる。
正面にネメシスのビームサーベルが。
左右には補助アームのビームナイフが。
外側からはドラグーンが。
それぞれがインパルスを狙っていた。
「シン、下がれ!」
アスランが援護に入ろうとする。
だが、バンパイアの背面砲がセイバーの進路を切った。
アスランが回避した先に、別の緑の線が重なる。
ルナマリアがオルトロスを撃つ。
その一射はシンへ迫るドラグーンを弾いたが、次の瞬間、ウィンダムの牽制射撃がザクを押し戻した。
レイのミサイルがバンパイアの有線端末を砕く。
しかし、砕いた端から別の線が前へ出る。
ミネルバ隊は互いを援護しているはずなのに、少しずつ距離を引き離されていた。
「囲まれてる……!」
ルナマリアの声が強張る。
ネメシスの腕が、インパルスを捉えた。
対艦刀で受け止める。
だが、次の腕が来る。
さらに別の刃が、肩口を狙って滑り込む。
「このっ!」
シンは強引に機体をひねり、紙一重で抜けた。
しかし、その回避すらNo.2は読んでいた。
ネメシスの膝が、インパルスの腹部を打つ。
衝撃で視界が揺れる。
『反応速度は高い。だが、行動選択が単純』
No.2の声が、静かに流れた。
「黙れ!」
シンが叫び、再び斬り込む。
だが、今度は届かない。
届く前に止められる。
止められた先で、また別の腕が待っている。
No.2は、シンの動きに追いついていた。
シンの次の動作に移る前に、その先に腕を置いている。
インパルスが押し戻される。
セイバーも、ルナマリアとレイのザクも、バンパイアの網に足を取られて前へ出られない。
4機が、同じ宙域に閉じ込められようとしていた。
その時、レギナントのコクピット内で、セラの瞼がわずかに震える。
意識に戻った、とは言い切れない。
吸い出されていた信号の流れが細くなったことで、意識がわずかに浮かび上がっただけだった。
途切れかけていた視界の中に、ネメシスに押し込まれるインパルスが映ってきた。
「……シン」
それが目に映った瞬間。レギナントが再び息を吹き返す。
ネメシスの背後で沈黙していた白い機体が動く。
その次の瞬間、レギナントは黒い巨体の背後へ飛びかかった。
「……
掠れた声が、回線に漏れた。
レギナントの両腕がゆっくりと開き、ヒートクローが赤く染まっていく。
ネメシスが振り向くより早く、レギナントは黒い巨体の背へ取りついていた。
灼熱のヒートクローが背部スラスターの外装へ深く食い込む。
ネメシスが身を捻る。
だが、その動きの先には、もうレギナントがいた。
逃げようとする方向を塞ぎ、腕を振ろうとする角度に爪を置き、推力で引き剥がそうとする背中をさらに抉る。
次にどこへ動くかを知っているように。
近距離用のビーム刃が、白い機体へ四方から斬りかかった。
肩を裂く。
脚を貫く。
装甲片が散り、白鏡層が火花を散らす。
それでも、レギナントは止まらない。
避けようともしなかった。
防ごうともしなかった。
刺さった刃ごと機体を押し込み、赤い爪で黒い装甲を掴み直す。
ヒートクローが、背部装甲を剥ぐ。
もう片方の爪が、補助アームの基部へ食い込む。
シン達が今まで見てきた、あの光景。
白い女王が、黒い蜘蛛を貪っていた。
「セラ!」
シンが叫ぶ。
返事はない。
回線から聞こえるのは、荒い呼吸と、声にならない呻きだけだった。
それでもレギナントは、ただネメシスだけを喰らい続ける。
次々と破壊されるネメシスの外装。
だが時間は長く続かなかった。
ヒートクローの赤が揺らぎ、レギナントの動きが途切れる。
白い機体はネメシスから離れ、そのまま力を失ったように漂った。
だがその時、ザフト前衛が接近し、ミネルバ隊の退路が開く。
バンパイアの網は辛うじて維持されているが、ほとんどのドラグーンが落とされたことで、前ほど深くは食い込めない。
レギナントの奪取は失敗し、ネメシスもインパルスとレギナントの挟撃を受けた。
『捕獲継続不能。各機、後退』
No.2の声が流れる。
防衛隊が戦線を下げ、バンパイアたちも僅かな緑の線を引きながら後退していく。
ネメシスは最後までインパルスから視線を外さず、黒い巨体を敵後列へ戻した。
残されたのは、沈黙したレギナントとミネルバ隊だった。
「セラ、セラ! 聞こえる!」
ルナマリアが何度も呼ぶ。
応答はない。
全てを燃やし尽くしたように、機体は動かなくなっていた。
「セラ! 返事しろ!」
シンは歯を食いしばり、インパルスをレギナントへ寄せた。
アスランはすぐに後退の指示を出す。
「ミネルバへ戻る。セラを収容する」
誰も反対しなかった。
ミネルバ隊は、白い機体を守るように囲みながら、戦線を離脱した。