機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
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レギナントが、ミネルバの格納庫へ戻ってきた。
白い機体は、味方機に支えられるようにして収容ラインへ滑り込む。
いつものように自力で着艦したわけではない。
両腕は力を失ったように垂れ、ドラグーンも収納されないまま、機体の周囲で不規則に揺れていた。
「レギナント、優先収容!」
「誘導員、退避ラインを空けろ!」
「機体固定急げ! 医療班、前へ!」
格納庫の空気が一気に騒がしくなる。
整備員たちが固定アームを走らせ、白い巨体を受け止める。
機体がわずかに揺れるたび、床に振動が伝わった。
焦げた装甲の匂いと、冷却剤の白い蒸気が混ざる。
「コクピットハッチ開放準備!」
「外部ロック確認!」
「ヴィーノ、ヨウラン、行け!」
「了解!」
ヴィーノとヨウランが工具を抱えて走った。
いつもの軽口はない。
二人とも、レギナントの損傷よりも、その中にいる少女の状態を気にしていた。
「セラ! 聞こえるか!」
「今開けるからな!」
外部ロックを解除しようとした、その時だった。
内側から、かすかな作動音がした。
「え」
ヨウランが顔を上げる。
コクピットハッチが、わずかに開いた。
隙間から漏れた空気が、白い蒸気のように吐き出される。
その奥で、小さな影が動いた。
「セラ?」
ハッチが開ききるより早く、セラが自分で外へ出ようとしていた。
片手を縁にかけ、もう片方の手で体を支える。
だが、その動きはひどく遅い。
「お、おい、無理すんな!」
ヴィーノが駆け寄る。
セラは一歩だけ踏み出した。
その足が、タラップに触れる。
次の瞬間、膝が崩れた。
「セラ!」
ヴィーノとヨウランが左右から支える。
二人が受け止めなければ、そのままタラップから落ちていた。
「降機……完了」
「完了じゃねえよ! 全然完了してねえ!」
ヨウランが叫ぶ。
二人に支えられながら、セラはゆっくりと降ろされる。
体に力が入っていない。
ヘルメット越しにも、呼吸が浅く乱れているのが分かった。
医療班がストレッチャーを押して駆けつける。
「ヘルメット外して! 慎重に!」
「首を動かさないで!」
ヴィーノが固定具を外し、ヨウランがヘルメットを支える。
ゆっくりと取り外された下から、汗で濡れたセラの顔が現れた。
普段の無表情は、そこにはなかった。
目は半分しか開いておらず、焦点も定まらない。
額にも首筋にも汗が浮き、唇は乾いている。
苦しげに呼吸するたび、胸が小さく上下した。
「意識はある?」
「……あります」
「名前は言える?」
「L-31。現在識別名、セラ」
「よし、いいわ。喋らなくていいから」
医療班の女性がモニター端末をセラの腕へ当てる。
数値が表示された瞬間、彼女の顔色が変わった。
「血圧240。脈拍も異常値です!」
「神経接続の反動ね。降圧、急いで。遮断薬も準備!」
「……頭痛が痛いです」
「あたりまえでしょう! 今あなた、体の中が全部非常警報なの!」
セラはその言葉を理解したのか、わずかに目を瞬かせた。
だが、それ以上は声にならない。
「酸素入れて。点滴ライン確保」
「はい!」
「意識レベルを見続けて。急に落ちるかもしれない」
「了解!」
手早く酸素マスクが当てられ、腕に点滴がつながれる。
セラは一度だけレギナントの方へ目を向けた。
「機体は……」
「今は機体の心配をしない!」
「レギナントの状態確認を」
「しなくていい!」
女医の声が格納庫に響いた。
「あなたの状態確認が先!」
セラは答えなかった。
答えようとして、呼吸が乱れたのかもしれない。
酸素マスクの内側で、短い息が曇る。
医療班はセラをストレッチャーに乗せ、固定ベルトをかける。
ヴィーノとヨウランは、手を離すのをためらった。
それでも、医療班に促されて一歩下がる。
「医務室へ運ぶ! 道を空けて!」
「はい!」
ストレッチャーが格納庫を走り出す。
セラの白い髪が、揺れる酸素マスクの紐に触れていた。
その後ろで、レギナントは沈黙したまま固定アームに支えられていた。
*****
入れ違うように、ミネルバ隊が戻ってきた。
インパルス、セイバー、ガナーザクウォーリア、レイのザクファントム。
どの機体も無傷ではなかった。
だが、格納庫に降りた四人が最初に見たのは、自分たちの機体ではない。
固定されたレギナントだった。
「セラは」
シンが駆け寄る。
ヴィーノとヨウランは、整備用の手袋を外しながら顔を見合わせた。
答えに迷ったわけではない。
どう言えばいいのか分からなかった。
「意識はあった」
ヴィーノが言った。
「でも、大丈夫とは言えない」
ヨウランも頷く。
「自分で出ようとしてた。でも、すぐ崩れた。医療班が連れてったよ」
「医務室か」
「ああ」
シンはすぐに走り出そうとした。
だが、通路の入口で待っていた別の医療班が、それを止める。
「今は入れません」
「なんでだよ」
「処置中です。面会できる状態じゃありません」
「少し見るだけでも」
「駄目です」
シンの声が荒くなる。
アスランが肩を掴んだ。
「シン」
「でも」
「今行っても邪魔になる」
それは正論だった。
だが、正論で怒りや焦りが消えるわけではない。
ルナマリアは唇を噛んでいた。
レイは黙って医務室へ続く通路を見ている。
誰も、すぐにはその場を離れられなかった。
やがてアスランが小さく息を吐く。
「まず、機体の降機手続きを済ませる。報告も必要だ」
「そんなの、後で」
「後にできるものと、できないものがある」
シンは何か言い返そうとした。
けれど、言葉は出なかった。
結局、四人は格納庫脇の待機区画へ移動した。
医務室の前に行くことも許されず、だからといって休める気分にもなれない。
壁際のベンチに腰を下ろしても、誰も体の力を抜けなかった。
「……あれ、何だったの」
最初に口を開いたのは、ルナマリアだった。
誰に向けた言葉でもなかった。
けれど、全員が何を指しているのか分かっていた。
緑の線。
魚影のような機体。
こちらの進路を切り、逃げ道を塞ぎ、援護しようとするたびに射線を重ねてきた敵。
「No.2が、バンパイアに援護を命令、と言っていた」
レイが言う。
「おそらく、あの不明機のことだろう」
「バンパイア……」
ルナマリアが眉を寄せる。
「名前まで嫌な感じね」
「性能も嫌な機体だった」
アスランが低く言った。
「単機で押してくる機体じゃない。線で進路を切って、砲撃で動きを縛る。あれに囲まれれば、どんな機体でも動けなくなる」
シンは拳を握った。
「実際、動けなかった」
その声には、怒りよりも悔しさが滲んでいた。
「俺はセラのところへ行こうとした。けど、何度も止められた。線を潰しても、次が出る。避ければ砲撃が来る。抜けたと思ったら、ネメシスがいた」
「シンだけじゃないわ」
ルナマリアが小さく言う。
「私も撃った。レイも撃った。アスランさんも。でも届かなかった」
「届く前に分断された」
レイが静かに訂正した。
「敵は、こちらが援護できないように動いていた。指揮機体であるネメシスを自由に動かすために、追随機が周囲を閉じる。恐らく、レギナントを捕獲するための布陣だ」
「捕獲……」
ルナマリアの声が細くなる。
その言葉を口にしただけで、黒い巨体に掴まれたレギナントの姿がよみがえった。
白い機体が動かなくなり、セラの声が途切れた瞬間。
シンは奥歯を噛んだ。
「あいつ、セラを連れて行く気だったのか」
「そうだ」
アスランが言う。
「撃破ではなく捕獲。だから、こちらを殺し切るよりも、近づけさせないことを優先していた」
「それで、あの強さかよ」
シンは吐き捨てるように言った。
「ネメシスも、バンパイアも、全部セラを捕まえるために動いてたってことだろ」
「おそらくな」
アスランの返答は重かった。
しばらく、整備音だけが聞こえた。
「……でもさ、最後に動いたのは、セラだった」
ルナマリアがぽつりと言った。
誰もすぐには答えなかった。
沈黙していたはずのレギナントが動いた。
声にならない呼吸の中で、セラはもう一度あの名を口にした。
そして、ネメシスの背へ喰らいついた。
「あれがなかったら」
ルナマリアは言葉を切る。
その先を言いたくなかった。
だから、シンが代わりに言う。
「俺たち、やられてたかもな。セラを助けに行ったはずなのに、最後はまた、あいつに助けられたんだよな」
誰も否定しなかった。
レイも、アスランも、ルナマリアも。
全員が分かっていた。
自分たちは戦った。
援護もした。
レギナントを奪還するために動いた。
それでも、最後にネメシスを止めたのは、瀕死のセラだった。
「……レギナントは戻った」
レイが言った。
「だが、結果だけを見れば、奪還には成功している」
「それでも、セラはあんな状態だ」
シンの声が低くなる。
レイは、それ以上言わなかった。
No.2が言ったこと。
戦闘中に聞こえてしまった言葉。
セラが何を背負っていたのか。
忘れられるはずがない。
けれど今は、そこへ踏み込めなかった。
少なくとも、セラが目を覚ますまでは。
セラ自身の口から聞くまでは。
「……医務室、入れるようになったら教えてくれるよな」
シンが言う。
アスランが頷いた。
「ああ」
「すぐ行く」
「分かっている」
会話はそこで止まった。
待機区画に、遠くの整備音だけが響いていた。
*****
セラは、医務室のベッドに寝かされていた。
格納庫での慌ただしさは、もう遠い。
酸素マスクは外されている。
だが、腕には点滴がつながれ、胸元にはモニター用の端子が貼られていた。
数値は、安定値の端にかろうじて収まっていた。
危険域ではない。
けれど、安心できるほどでもない。
女医はモニターを確認しながら、小さく息を吐いた。
「まったく。毎回毎回、派手な戻り方をしてくれるわね」
セラは目を開けていた。
天井を見ている。
意識はある。
だが、まだ体はほとんど動かない。
「現在時刻」
「時間を気にする状態じゃないわ」
「作戦状況」
「聞いても答えません」
「レギナントの状態」
「それも後」
女医は容赦なく切った。
「今あなたが知るべきなのは、自分がしばらく絶対安静ということだけ」
「了解」
「本当に分かってる?」
「言語情報としては」
「そういうところよ」
女医が呆れたように眉を寄せる。
その時、医務室の扉が開いた。
メイリンが立っていた。
顔色は悪い。
走ってきたのか、少し息が上がっている。
だが、格納庫の時のように取り乱してはいなかった。
「入っても、いいですか」
女医はメイリンを見て、それからセラを見る。
セラは無言でメイリンの方へ顔を向けた。
「少しだけよ」
「はい」
「興奮させない。長く話さない。泣きつかない」
「……はい」
メイリンは小さく頷いた。
女医はまだ何か言いたげだったが、結局、肩をすくめる。
「五分だけ」
そう言って、医務室を出ていった。
扉が閉まる。
二人きりになる。
メイリンは、すぐには近づかなかった。
ベッドの横に立ったまま、何も言わない。
セラもまた、しばらく黙っていた。
先に口を開いたのは、セラだった。
「ミッションは、また達成できなかった可能性があります」
メイリンの指が、わずかに震えた。
「レギナントは奪取されませんでした。ただし、敵機の撃破には至らず、ミネルバ隊にも負荷をかけました。私は――」
「違う」
メイリンの声が、静かに遮った。
セラは言葉を止める。
「違う、セラ。そういう話をしに来たんじゃない」
メイリンはベッドの横に歩み寄った。
目の下が赤い。
泣いた後だった。
「聞きたいことがあるの」
セラは瞬きをする。
「回答可能な範囲であれば」
「戦闘中、レギナントの神経接続パルスが切れなかった」
メイリンの声は震えていた。
それでも、言葉は止めなかった。
「セラの応答が途切れていたのに、レギナント側はずっと信号を要求し続けてた。あれは、操縦信号じゃなかった」
「はい」
「はい、じゃない」
メイリンの声が少し強くなる。
「あのままだったら、セラは死んでたかもしれない」
「可能性はあります」
「可能性じゃない。私は見たの。レギナントがセラから無理やり信号を吸い出そうとしてるのを」
セラは黙った。
その沈黙は、否定ではなかった。
メイリンは唇を噛む。
「No.2が言ってた。電池切れって」
「はい」
「何なの、それ」
セラはしばらく答えなかった。
医務室の機器が、小さな電子音を刻む。
点滴の管を通る液が、ゆっくりと落ちていく。
やがて、セラは口を開いた。
「レギナントの特殊制御を成立させるための中核系です」
「特殊制御って」
「慣性制御。高負荷機動。ドラグーン制御。
「それを動かすための電源?」
「電源、制御変換、神経接続の複合系です」
メイリンは眉を寄せる。
「分かるように言って」
「レギナントは、通常の操縦だけでは性能を発揮できません」
「それは知ってる。普通のMSじゃないのは分かってる」
「私は、基本的な操縦技術しか持っていません」
「え」
メイリンが息を止めた。
セラは淡々と続ける。
「通常のMS操作において、私はシン、アスラン、ルナマリア、レイに劣ります。機体制御、射撃技術、高負荷機動への身体耐性、いずれも訓練量が不足しています」
「でも、セラはあんなに動ける」
「それは、レギナントが神経接続で私の意思と反応を直接読み取り、機体制御へ変換しているためです」
「意思と反応を、直接……」
「通常の操縦よりも早く、機体へ命令を渡します。ドラグーンも同様です。手動で制御しているわけではありません」
「それが神経接続」
「はい」
メイリンはモニターを見る。
表示されている数値は、もう先ほどほど激しくはない。
それでも、完全には落ち着いていなかった。
「じゃあ、生体電池というのは」
「神経接続を通して、私の神経信号を機体側の制御資源へ変換する装置です。でも高機動時の慣性処理、
「だから、セラから吸い取るの?」
「はい」
メイリンの顔から、血の気が引いた。
「そんなの、電池じゃない…」
「名称は便宜上のものです」
「そういう意味じゃない」
メイリンは声を押し殺す。
「それは、セラの体を使ってるってことでしょう?」
「はい」
「命を削ってるってことでしょう?」
「運用限界を超過した場合は」
「今日はそれ、超えてたじゃない」
セラは答えない。
メイリンは、それを肯定と受け取った。
「生体電池が残っている間は、レギナント側のセルが処理を肩代わりするんだよね」
「はい」
「でも切れたら」
「搭乗者側の神経系を代替経路として使用します」
「それが、あの時起きてたこと」
「はい」
メイリンの手が震える。
怒りなのか、恐怖なのか、自分でも分からなかった。
「セラは、それを知ってたの?」
「はい」
「いつから」
「
「どうして言わなかったの」
「これが通常の仕様です」
メイリンは、一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
「通常って……死ぬかもしれない仕組みが、通常なの?」
「運用限界を超過した場合です」
「だから今日は、超えてたじゃない!」
セラは、そこで目を伏せた。
「はい」
「そういうのは、通常って言わない!」
メイリンの声が跳ねた。
セラがわずかに目を見開く。
メイリンはすぐに唇を噛んだ。
大声を出せば、セラの体に負担をかける。
分かっている。
でも、抑えきれなかった。
「私はオペレーターで、セラの友達で、セラのこといっぱい見てきたのに……それなのに、何も知らなかった」
友達。
その言葉は、セラの中でうまく分類できなかった。
メイリンは命名者で、通信担当で、いつでもそばにいる人だった。
だが、それを友達と呼ぶのかは分からない。
「メイリンは、メイリンです」
「うん」
「メイリンは、私の友達」
「うん」
「友達とは、情報を共有するもの」
「うん」
今度の声は、震わせながら言った。
「友達が、死ぬかもしれないことを、知らなくていいわけないでしょ」
医務室が静かになる。
セラはメイリンを見ていた。
その表情は薄い。
だが、わずかに困惑しているように見えた。
「死ぬことは、想定内です」
「そんなこと言わないで」
「Lシリーズは消耗を前提とした運用個体です」
「やめて、おねがい」
メイリンは首を振った。
「それ以上、言わないで」
セラは口を閉じる。
メイリンは深く息を吸った。
泣きだしそうになるの堪える。
「神経接続はもう、使わせない」
その言葉に、セラの目がはっきりと動いた。
これまでにないハッキリとした表情でメイリンを見る。
「それは困ります」
即答だった。
「レギナントの性能が低下します。私は通常操縦では有用性が大きく下がります」
「有用性の話じゃない」
「有用性の話です」
「違う。セラの命の話をしてるの」
「命は、有用性を維持するために必要です」
メイリンは息を呑んだ。
同じ言葉を使っているのに、二人が見ているものはまるで違っていた。
メイリンにとって命は、守るべきものだった。
セラにとって命は、機能を維持するための条件だった。
その差が、医務室のわずかな距離よりも遠く感じられた。
セラは、点滴のつながれた手をわずかに動かす。
力は入っていない。
それでも、メイリンの袖を掴もうとしていた。
「次は、もっと上手くやります」
「セラ」
「接続時間を短縮します。
「そういう話じゃない」
「使えます」
乾いた声が、少しだけ震えた。
「私は、まだ使えます」
メイリンは何も言えなかった。
セラの手は、メイリンの袖には届かない。
それでも、セラは動かそうとする。
「だから、外さないでください」