機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
内容が別の回に指し替わっていたため、23時ごろに本来の内容に差し替えを行いました。
ご迷惑をおかけしました。
月面作戦が終わった翌日。
ミネルバの格納庫は、いつもより一段と騒がしかった。
戦闘による機体補修作業で、朝から整備員の声が飛び交っている。
出撃したMSは、どれも少なからず傷を負っていた。
インパルスは肩部装甲を外され、ソードシルエットの接続部を点検されている。
ガナーザクウォーリアは右腕の関節部を開かれ、ザクファントムもスラスター周辺の焼けを確認されていた。
「そっち、まだ通電させるな」
「関節の反応が遅い。駆動系まで見ろ」
「損傷の確認急げ。予備装甲を回せるか聞いてこい」
その奥で、レギナントは固定され収められていた。
白い装甲には、細い傷がいくつも走っている。
肩、腰、脚部、そして背部。
ネメシスのビーム刃とドラグーンが残した痕は、遠目にも分かった。
整備班は、いつものように機体へ手を伸ばしている。
だが、その手つきには慎重さがあった。
壊れているからではない。
どこまで触れていいのか、まだ誰にも分かっていないからだった。
「表面装甲の焼けは確認できる。内部は」
「分からん。普通のMSみたいに開けて済む構造じゃない」
「昨日、こいつが戻ってこなかったら、ミネルバ隊も危なかったんだろ」
「だからこそ困るんだよ。直せる場所と、触れない場所の区別がつかん」
誰かが小さく息を吐いた。
レギナントは戻ってきた。
セラも戻ってきた。
それは確かに、ミネルバにとって大きな救いだった。
けれど、その救いが何によって支払われたのか。
格納庫の誰も、まだ知らなかった。
ミネルバを中心とする艦隊は、月面作戦を終え、艦隊再編のための合流宙域へ向かっていた。
前線でもあり、補給線の節目でもある大型コロニー群。
そこへ到着すれば、作戦参加艦はそれぞれの任務へ戻り、損傷の大きい艦は後方へ回される予定になっている。
作戦結果は上々だった。
敵月面基地は壊滅的な損害を受け、しばらくの間、こちらの脅威となることはない。
ザフト側も無傷ではなかったが、作戦目標は達成された。
だからこそ、艦内にはわずかな安堵感があった。
少なくとも、この作戦には勝った。
その実感が、疲労とともに乗員たちの間へ広がっている。
だが、ミネルバ隊の空気だけは、少し違っていた。
「医務室、今なら入れるって」
ルナマリアが言った。
シンはすぐに立ち上がった。
アスランとレイも、ほとんど同時に視線を上げる。
「セラ、目は覚めてるのか」
「詳しくは聞いてない。でも、短時間なら面会できるって」
その言葉だけで十分だった。
*****
四人は格納庫を出て、医務室へ向かった。
通路を歩く足取りは速い。
だが、誰も走らない。
昨日、医療班に止められた時の記憶が、まだ残っていた。
医務室へ続く角を曲がったところで、シンはメイリンを見つけた。
「メイリン」
呼ぶと、メイリンの肩が小さく跳ねた。
彼女は振り返りかけて、すぐに視線を逸らす。
「……ごめん。私、艦橋に戻らないと」
「セラのところ行くんじゃないのか」
「うん。でも、今は」
メイリンはそこで言葉を切った。
それから、逃げるように通路の向こうへ歩いていく。
シンは眉をひそめた。
「なんだよ、あれ」
「今は、そっとしておいてあげて」
ルナマリアが小さく言う。
「何か知ってるのか」
「昨日、医務室でセラと話したみたい」
「喧嘩でもしたのか」
「喧嘩じゃないと思う。でも、今のメイリンは、どう話せばいいか分からないんだと思う」
シンは納得できない顔をした。
だが、ルナマリアの表情を見て、それ以上は聞かなかった。
医務室の前に着く。
シンが一度息を吸い、扉を叩いた。
「入っていいですか」
「短時間だけよ」
中から女医の声が返った。
扉が開く。
セラはベッドに寝かされていた。
腕には点滴がつながれ、胸元にはモニター用の端子が貼られている。
酸素マスクは外されていたが、顔色はまだ白い。
それでも、彼女は目を開けていた。
四人が入ると、セラはゆっくりと顔を向ける。
「戦闘終了を確認しました」
最初の一言がそれだった。
シンは一瞬だけ固まった。
それから、肩から力が抜ける。
「……お前なあ」
「いや。いつも通りすぎて、ちょっと安心した」
ルナマリアが目元を押さえた。
「ほんと、心配したんだから」
「心配」
「そうよ。昨日あなたが倒れた時、みんな心配したの」
セラは、少しだけ瞬きをした。
その言葉を確認するように。
「ごめんなさい」
「ちゃんと言えるようになったわね。でも本当に気を付けてよね」
「はい」
女医はそのやり取りを見て、呆れたように息を吐いた。
「一応、命に別状はないわ。ただし絶対安静。昨日の数値を考えれば、今日話せてるだけで十分おかしいの」
「異常に血圧が高かったと聞きました」
アスランが言う。
「高かったなんてもんじゃないわ。自律神経が跳ね上がってた。薬で落ち着いてはいるけど、また変に興奮させたら追い出すからね」
「分かりました」
女医は四人を見回し、それからセラを見た。
「あまり質問攻めにしない。セラも答えようとしすぎない」
「了解しました」
「その返事が一番信用できないのよ」
セラは、少しだけ目を伏せた。
「善処します」
「善処じゃなくて実行」
そう言い残し、女医は少し離れた机へ移った。
完全に席を外したわけではない。
何かあればすぐに口を挟むつもりなのだろう。
シンたちはベッドの周囲に立った。
「作戦はどうなりましたか」
セラが先に尋ねる。
「その前にセラ。昨日は助かった」
アスランが静かに言った。
セラは顔を向ける。
「助かった」
「ああ。お前がネメシスを止めてくれなければ、俺たちは包囲から抜けられなかった」
「バンパイアの包囲も、ネメシスも、こっちだけじゃ押し切られてた」
ルナマリアが続ける。
「悔しいけど、あの時セラがあのままだったら、私たち全員危なかったと思う」
シンは、少し遅れて口を開いた。
「俺だけでは、お前を助けられなかった。あいつを止められなかった」
その声には、感謝と悔しさが混じっていた。
セラは四人の顔を順に見る。
「作戦行動として、必要でした」
「それでも助かったんだよ」
シンが言う。
「ありがとう、セラ」
セラはしばらく黙っていた。
感謝。
その言葉を処理するように、まばたきを一度する。
「受領しました」
「受領って」
ルナマリアが困ったように笑いかけた。
だが、すぐにその笑みは消えた。
シンが一歩前に出る。
「でも、無理しすぎだ」
「必要な行動を選択しました」
「必要でも、あれは無理だろ」
「無理」
セラは短く繰り返した。
「そうだ。お前だけが負担を負うことはないんだ。俺たちにも頼れよ」
「頼る」
「そう。全部一人でやろうとするなってこと」
セラは答えなかった。
言葉の意味を探しているようだった。
アスランが少し間を置いて、話題を戻す。
「作戦は成功した。敵月面基地は、しばらく機能しない」
「敵戦力の再編可能性は」
「ゼロではないが、すぐには無理だ。今回の作戦目的は達成している」
セラは静かに頷いた。
「ネメシスとNo.2は」
「撤退したよ。倒せたわけじゃない。でも追い払った。お前もレギナントも奪われなかった」
シンが答える。
セラは、わずかに視線を落とした。
「そうですか」
「そうだよ。全部、何とかした」
シンの声には、少しだけ力が入っていた。
自分に言い聞かせているようでもあった。
アスランが、少しだけ表情を引き締める。
「セラ。話せる範囲でいい。ネメシスについて教えてほしい」
女医が視線を上げた。
シンもルナマリアも、レイも、表情を引き締める。
セラはしばらく黙り、呼吸を一度整えてから話し始めた。
「ネメシスは、レギナントと同じ思想で作られた神経接続型MSです」
「同じ思想?」
「搭乗者の神経信号を、機体制御へ直接変換します」
「レギナントの上位機と言っていたな」
「はい。戦闘能力は、レギナントを上回ります」
その言葉で、空気が少し重くなる。
「武装は」
「近接戦闘に特化。主腕2本、補助アーム4本。ドラグーン4基。全身に赤鏡層を装着。通常のビーム兵器は基本的に無効」
「実弾ならどうだ」
レイが問う。
「有効性はあります。ただし、通常MSで命中させるのは困難」
「理由は」
「ネメシスの機動性と、No.2の予測能力によるもの。照準、偏差、回避進路の予測、それらを合わせる前に位置を変えられます」
シンが苦い顔をした。
「昨日のあれか」
「はい。No.2は、相手の行動選択を先読みします」
「ほとんど予知だな」
「予知ではありません。高精度の推測です」
「やられる側からしたら同じだろ」
セラは否定しなかった。
「そこまで」
女医の声が割って入った。
「詳しい話は、艦長への報告でまとめなさい。今ここで全部答えさせる状態じゃないわ」
「……了解しました」
セラは短く答えた。
*****
医務室の扉の外で、メイリンは足を止めていた。
中の様子だけ確かめて、すぐに艦橋へ戻るつもりだった。
けれど、通り過ぎることができなかった。
そのまま立ち尽くしているうちに、聞こえてしまった。
ありがとう、セラ。
シンの声だった。
その言葉は、メイリンの胸に重く残った。
みんなは感謝している。
助けられたと分かっている。
けれど、その感謝の代償を、まだ知らない。
逃げたままではいられなかった。
医務室の扉が開く。
全員が振り返ると、メイリンが立っていた。
彼女は中にいる全員を見て、一瞬だけ目を伏せた。
それでも、逃げなかった。
「メイリン」
ルナマリアが呼ぶ。
メイリンは小さく頷き、ゆっくりとベッドへ近づいた。
セラの横に立ち、点滴のつながれていない方の手をそっと握る。
「セラ」
セラは、メイリンを見る。
「昨日は、ごめん」
「ごめん」
「うん。言いすぎたと思う」
「言いすぎた」
セラは、言葉をそのまま返す。
責めているのではない。
意味を確かめているだけだった。
メイリンは唇を噛んだ。
「でも、言ったことを取り消したいわけじゃないの」
セラは答えない。
メイリンは、握った手に少しだけ力を込めた。
「私だけじゃ、もう分からなくなった。だから、みんなにも聞いてほしい」
シンが眉を寄せる。
「何の話だよ」
「昨日、セラから聞いたこと」
メイリンの声は震えていた。
それでも、彼女は逃げなかった。
「セラのこと。レギナントのこと」
セラは、静かにメイリンを見ていた。
止めない。
説明を求めることもしない。
メイリンは、昨日セラから聞いたことを話した。
レギナントの神経接続には、生体電池系という技術が使われていること。
その残量が尽きた場合、機体はセラ自身の神経信号を無理やり引き出そうとすること。
それはセラの体に大きな負担となること。
そして、同じことを繰り返せば、いずれ命に関わること。
セラはこれまで、その危険を理解した上で、使っていたこと。
話し終えるまで、誰も口を挟まなかった。
医務室の中に、モニターの小さな電子音だけが響く。
最初に声を出したのは、シンだった。
「……そんなの、出撃させていいわけないだろ」
怒っていた。
だが、その怒りはセラへ向いているようで、そうではなかった。
昨日、ネメシスに押し込まれた自分へ。
レギナントを守れなかった自分へ。
そして、そんな仕組みを当たり前のように使わせていたものすべてへ向いていた。
「昨日だって、あれを使わなきゃ俺たちが危なかった。でも、だからって……」
シンは言葉を切った。
続きが出てこなかった。
ルナマリアが、メイリンの隣に立つ。
「セラが助けてくれたのは分かってる。すごく助かった。だから、ありがとうって思ってる」
そこで、彼女は一度息を吸った。
「でも、その代わりにセラが壊れるなら、そんなの嫌よ」
「壊れる」
セラが短く繰り返す。
「そうよ。体を壊すってこと。死ぬかもしれないってこと」
「死亡可能性はあります」
「そうやって普通に言わないで」
ルナマリアの声が、少しだけ強くなる。
セラは黙った。
アスランは腕を組み、目を伏せていた。
出すべきではない。
休ませるべきだ。
その言葉は、すぐそこまで出かかっていた。
だが、昨日の戦場がまだ目の奥に残っている。
ネメシス。
バンパイア。
そしてNo.2。
レギナントなしで、次も止められるのか。
誰も、すぐには答えられなかった。
「現実問題として」
アスランが静かに言った。
「レギナントは、ミネルバ隊の中で最も特殊な戦力だ。昨日も、セラがいなければ包囲を抜けられなかった可能性が高い」
「……アンタは!」
シンが低く唸った。
「分かっている。だからこそ、簡単に出すとも、出さないとも言えない」
レイはずっと黙っていた。
視線はセラではなく、モニターの数値に向いている。
「生体電池系の残量を把握する手段は」
レイが問う。
メイリンが答える。
「完全には、まだです。昨日も危険域に入ってからでないと分かりませんでした」
「制限は」
「かけられると思います。ただ、特殊制御を落とせば、レギナントの性能も落ちます」
「つまり、機体性能とセラの安全が連動している」
「……はい」
レイはそれ以上言わなかった。
視線は、まだモニターの数値に向いている。
メイリンも、セラの手を握ったまま口を閉ざした。
女医が椅子から立ち上がった。
「医師としては、賛同できません」
全員の視線が女医へ向く。
「昨日の状態を見た限り、同じことを繰り返せば、いつ取り返しがつかなくなってもおかしくない。血圧や脈拍だけの問題じゃないわ。あれ以上、本人の神経を機体側へ引きずり出すなら、体が耐えられる保証なんてない」
「出撃禁止にできますか」
メイリンが尋ねる。
女医は苦い顔をした。
「医療上の意見としては止めるべき。でも、私に作戦判断の権限はないの」
「そんな……」
その言葉で、空気がさらに重くなった。
メイリンはセラの手を握ったまま俯いている。
「私は、止めたい」
小さな声だった。
「セラを止めたい。でも、昨日の戦闘を見たら、止めていいのか分からない。セラがいなかったら、みんなが危なかったのも分かってる」
メイリンの手が震える。
「でも、セラが死ぬかもしれないって分かってて、次もお願いするなんて、できない」
誰もすぐには答えなかった。
その沈黙の中で、セラが口を開いた。
「やります」
短い声だった。
医務室の空気が止まる。
シンがセラを見る。
ルナマリアも、アスランも、レイも。
メイリンは、握っていた手に力を込めた。
「セラ」
「必要なら、やります」
「そういう話じゃない」
メイリンの声が震える。
「そういう話です」
セラは淡々と言った。
「レギナントが必要なら、出撃します」
「命に関わるかもしれないのよ」
「はい」
「分かってるの」
「理解しています」
メイリンの指に、思わず力が入った。
セラの手は、驚くほど細かった。
その手で、また操縦桿を握るつもりなのだ。
シンが拳を握る。
「なんでだよ」
「必要だからです」
「お前が死ぬかもしれないんだぞ」
「はい」
「はいじゃない」
シンの声が荒くなる。
だが、セラは怯まない。
ただ、静かにシンを見ている。
「シン」
アスランが制した。
「ここで怒鳴っても、セラには届かない」
「じゃあどうすればいいんだよ」
「決めるべき人間に報告する」
アスランはセラから視線を外し、メイリンと女医を見た。
「これは、俺たちだけで決めていい話じゃない。艦長に報告して、指示を仰ぐべきだ」
「艦長は今、作戦後の残務処理中よ」
ルナマリアが言う。
「今すぐ会えなくても、報告は必要だ。医療情報、機体仕様、出撃時の危険性。全部まとめて上げる」
「私も行く」
メイリンが言った。
ルナマリアが彼女を見る。
「メイリン」
「私が聞いた話だから。私が、言わないと」
声は揺れていた。
それでも、目は伏せなかった。
女医が頷く。
「医療所見は私が書くわ。数値も添える。あれを見れば、普通の出撃疲労で済む話じゃないと分かるはずよ」
レイが静かに言った。
「レギナントの出撃制限を設定する場合、戦術上の代替案も必要になる」
「それも含めて艦長に上げる」
アスランが答える。
「決めるのは艦長だ。俺たちは、判断材料を隠さない」
隠さない。
メイリンは、その言葉を胸の中で繰り返した。
昨日、セラの口から聞いた「友達」という言葉が、少し遅れて戻ってくる。
知らないままでいることは、もうできなかった。
メイリンはセラの手を握ったまま、静かに頷いた。
セラは目を伏せていた。
メイリンに握られたまま、その指先は動かなかった。
シンは何か言おうとして、結局言えなかった。
医務室の中に、モニターの電子音だけが残る。
セラは、ゆっくりと顔を上げる。
「やります」
同じ言葉だけが、もう一度、医務室に落ちた。
誰も、すぐには否定できなかった。