機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~ 作:割戸三葉
少しだけ、時は遡る。
ミネルバの艦橋では、通常航行へ移ったあとの確認作業が続いていた。
月周辺を離れ、艦はL5へ向かう航路に乗っている。
戦闘配備は解除されていたが、先の作戦で受けた損傷確認と航路上の警戒で、艦橋の空気はまだ緩みきっていなかった。
通信席のメイリンが、ふいに顔を上げた。
「艦長! 救難信号を受信!」
その声に、艦橋の空気が変わる。
タリアは即座に振り向いた。
「読み上げて」
「ナスカ級アスピダからです。『現在ロゴス機動兵器と交戦中。戦闘継続が困難な状態。至急救援を求む』とのことです」
アスピダ。
その名に、アーサーがわずかに表情を強張らせた。
月面作戦で共に戦った駆逐艦だった。ミネルバより一足先に、プラント本国へ向かっていたはずの艦だ。
その艦が、航路の途中で攻撃を受けている。
タリアは一瞬だけ表示を確認し、判断を下した。
「第一戦闘配備。最大戦力で救援に向かいます。アスピダにも通達を。敵戦力の情報を聞き出して」
「はい!」
メイリンはすぐに艦内通信へ切り替えた。
その指先に迷いはなかった。
「第一戦闘配備。第一戦闘配備。パイロットは搭乗機へ。各員、所定の配置についてください」
警報が鳴る。
赤い表示が艦橋の端末を染め、艦内の空気が一気に戦闘へ切り替わっていく。
整備区画、通路、パイロット待機室。船の内側に散っていた人員が、それぞれの場所へ走り出す。
アーサーが、救難信号の解析結果を見ながら口を開いた。
「月面基地の残党でしょうか」
「そこだけじゃないでしょうね」
タリアは正面モニターを見る。
救難信号の発信位置は、アスピダの航行予定線から大きく外れてはいない。
だが、奇襲を受けたのなら話は別だった。
「駆逐艦とはいえ、MSだけで簡単に落とせる戦力ではないわ」
「それなら……」
「嫌な予感がするわね」
タリアの声は静かだった。
その静けさが、艦橋の緊張をさらに深くした。
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ナスカ級駆逐艦アスピダの戦闘宙域には、すでに無数の光跡が走っていた。
艦の外装には被弾痕が刻まれ、姿勢制御の噴射が断続的に揺れている。
周囲を飛ぶ味方機は、ザク1機だけだった。
アグネスの機体である。
本来なら、ガナーウィザードかブレイズウィザードに換装するべき状況だった。
艦を守るなら火力がいる。敵を押し返すなら制圧力がいる。
だが、奇襲を受けたアスピダに、その時間は残されていなかった。
アグネスは、いつものスラッシュウィザードのまま飛び出していた。
単機で艦を守るには、あまりにも分が悪い装備だった。
敵はダガーLが6機、ウィンダムが3機。
さらにその後方を、所属不明機が12機、薄く弧を描くように飛び回っている。
バンパイア。
先の戦闘でミネルバ隊を苦しめた機体と同じものだった。
アグネスは敵の射線をかいくぐり、艦へ迫るダガーLに斬りかかろうとした。
だが、その前にウィンダムのビームが進路を塞ぐ。
反射的に機体を捻る。掠めた光が肩部装甲を削り、警告がコクピットに鳴った。
「邪魔……!」
踏み込めない。
斬れる距離まで入れば、別の角度から撃たれる。
相手を追えば、艦から離される。
戻ろうとすれば、バンパイアの機動に視線を奪われる。
それに気づいていることが、何より腹立たしかった。
自分は翻弄されている。
敵の動きに誘われ、守るべき艦から少しずつ引き剥がされている。
分かっているのに、止められない。
アグネスは操縦桿を握り直した。
正面のダガーLに狙いをつける。だが、トリガーを引く直前、別方向からの警告が鳴った。
機体をずらす。撃てない。届かない。次の瞬間には、狙った敵が射程の外へ逃げている。
僚機がいれば、あの角度を塞げた。
誰かが一瞬でも牽制してくれれば、前へ出られた。
いつもなら、当然のように埋まっていた隙間が、今はどこにもない。
それを考えた瞬間、胸の奥に熱いものがこみ上げた。
なぜ誰もいないのか。
なぜ自分だけが、こんなところで支えなければならないのか。
その怒りが理不尽だと、アグネス自身も分かっていた。
それでも、誰かにぶつけなければ、持ちこたえられない。
バンパイアの1機が急降下する。
アグネスは咄嗟に回避したが、追撃のビームが脚部を掠めた。
装甲片が散る。機体の応答がわずかに鈍る。
警告音が増えた。
その音が、自分の内側を削っていくようだった。
機体が損傷するたびに、まだ動けるという自信が薄くなる。
敵は倒せていない。艦は守り切れていない。自分はここにいるのに、何もできていない。
「ふざけないでよ……!」
声は怒りの形をしていた。
けれど、その奥には恐怖があった。
このまま削られ続けたら、機体より先に自分が折れる。
そう思ってしまったことが、アグネスには耐えられなかった。
その時、ダガーLの1機が横合いから撃ち抜かれた。
爆光が走る。
アグネスの視界の端を、インパルスが高速で抜けていった。
『アスピダ、こちらミネルバ隊。これより援護に入る!』
シンの声が通信に乗る。
続いて、セイバーのビームがウィンダムを捉え、敵機が火球へ変わった。
『ザクが艦から引き離されている。まず退路を作る』
レイの声は冷静だった。
その間にも、ルナマリア機がアグネスの前へ出ようとしたダガーLへ牽制を入れる。
『なんでそんな装備で出てるの』
ルナマリアの声だった。
平坦で、ぶっきらぼうで、余計な気遣いがない。
その言い方に、アグネスの苛立ちが跳ねた。
「時間がなかったのよ! 見れば分かるでしょ!」
『分かるから言ってるの。艦に戻って換装しなさい』
「簡単に言わないで!」
返した声は、思った以上に荒かった。
だが、ルナマリアはそれ以上言い返さなかった。
『ルナマリア、追い込むな。今は退路の確保が先だ』
『分かってます』
アスランの指示に、ルナマリアが短く返す。
レイの声が、改めて割り込んだ。
『アグネス。今の装備では艦防衛に向かない。戻って換装しろ』
「……分かってるわよ!」
アグネスは唇を噛んだ。
助けられた。退くしかない。どちらも事実だった。
その事実が、悔しさをさらに濃くする。
『シン、前に出すぎるな。アスピダから敵を剥がすだけでいい』
『分かってる! けど、こいつら……!』
『追うな。誘導されるぞ』
アスランの声が、シンの動きを押さえる。
インパルスは前へ出かけた機体を切り返し、アスピダへ向かう敵影を優先して撃った。
ザクはアスピダへ向けて後退した。
インパルスとセイバー、ルナマリア機とレイ機が、その退路を塞がせないように敵を落としていく。
ミネルバ隊の動きは速かった。
アグネスが何度も届かなかった敵に、彼らの攻撃が届いていく。
自分が追えば誘われた敵を、彼らは追わずに押さえている。
自分が空けてしまった隙間を、彼らは当然のように埋めていた。
「……っ」
アグネスは声にならない息を漏らした。
安心ではない。
助かったことよりも、助けられなければ戻れなかった自分への怒りが先に来た。
やがて、戦闘宙域の奥から、新たな反応が広がった。
バンパイア12機が、ミネルバ隊の接近に合わせるように配置を変える。
『来るぞ』
アスランの声が通信に乗る。
『通常MSを先に落とせ。バンパイアの攻撃は俺とシンで受け流す。アスピダから離されるな』
『俺もですか?』
『お前が一番反応できる。だが深追いするな』
『了解!』
シンが応じる。
インパルスが前へ出た。セイバーがその横を押さえ、敵の軌道を切る。
『ルナマリア、レイ、通常MSを頼む』
『了解』
『了解。アグネス機の収容まで、敵の接近を抑える』
戦場は、アスピダを中心に再び組み直されていった。
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ミネルバ艦橋。
敵戦力の情報が揃うにつれ、空気は重くなっていた。
ダガーL、ウィンダム。それだけなら、ミネルバ隊で押し返せる。
だが、問題はその背後にいる所属不明機だった。
メイリンが端末を見つめたまま、声を低くする。
「敵機、バンパイアと照合一致。数は12。1個中隊規模です」
「やはり来たか……」
アーサーが小さく呟く。
タリアは正面モニターから目を離さなかった。
「各機の損傷は」
「インパルス、セイバー、ルナマリア機、レイ機、いずれも戦闘継続可能。アグネス機はアスピダへ後退中です。ただ、アスピダの迎撃火器が落ちています」
「敵は艦を狙っているわね」
「はい。バンパイアはまだ直接突入していませんが、通常MSを盾にして距離を詰めています」
艦橋の誰もが、すぐには言葉を返さなかった。
先の作戦で、ミネルバ隊を戦線崩壊寸前まで追い込んだ相手だ。
レギナントと似た戦術を取りながら、より攻撃に寄せた武装を持つ機体。
その存在が、傷ついたアスピダの周囲を飛んでいる。
通信回線から、シンの声が入った。
『艦長、こいつらは俺たちでやります』
「状況は」
『数は多いです。でも、アスランさんが抑えてくれれば、通常MSは落とせます』
『無理はするな。だが、今はそれしかない』
アスランの声が続く。
落ち着いてはいるが、余裕があるわけではなかった。
アーサーが、控えめに口を開いた。
「艦長。レギナントを出しますか」
その言葉に、メイリンが反射的に振り返った。
何かを言いかける。だが、声にはならなかった。
艦長席の前で感情をぶつけるべきではない。そう理解していても、表情までは隠しきれない。
通信回線の向こうで、シンが即座に反応した。
『セラは出さなくていい』
『同感です。今の段階で出す必要はありません』
レイが静かに続ける。
『セラを出したら、また無理をするでしょ。あの子、止まらないんだから』
ルナマリアの声には苛立ちが混じっていた。
それは敵に向けたものではなく、セラを戦場に置かざるを得ない状況への怒りだった。
『艦長、まだ俺たちで支えられます』
アスランが言う。
言葉は慎重だった。
絶対とは言わない。だが、簡単にレギナントへ頼るべきではないという意思は、はっきりしていた。
セラを必要としていない、という意味ではない。
むしろ、その力を誰もが知っている。
知っているからこそ、頼ればまた傷つけることになる。
タリアは黙って聞いていた。
モニターには、アスピダの損傷状況が表示されている。
推進系の一部に異常。迎撃火器の反応低下。周辺には、まだ敵機が残っている。
「メイリン、アスピダの収容準備状況は」
「アグネス機の帰投準備中。ただし、艦自体の被弾が続けば換装作業に支障が出ます」
「時間はないわね」
この程度なら、自分たちだけで何とかなる。
そう言いたい気持ちは、タリアにも分かる。
だが、この戦域にいるのはミネルバだけではなかった。
奇襲を受けた駆逐艦が、今も攻撃を受け続けている。
守る対象がある以上、余力を残したまま判断を誤ることはできない。
タリアは、わずかに目を閉じた。
「レギナントを戦闘配備」
メイリンの肩が小さく揺れる。
シンの息を呑む気配が、通信越しに伝わった。
『艦長!』
シンの声が強くなる。
タリアはそれを遮らず、続けた。
「ただし、第二戦闘配備。出撃命令は必要になれば追って通達します」
『……待機だけ、ですか』
「ええ。今はまだ、出撃命令ではないわ」
短い沈黙が落ちた。
それでも、メイリンは艦内通信を開いた。
声だけは、オペレーターとして整えている。
「レギナント第二戦闘配備。出撃命令は別命まで待機してください」
通達が艦内へ流れる。
その言葉は、医務区画にも、格納庫にも届く。
通信回線の向こうで、シンが不満を隠さない声を漏らした。
『艦長、それは……』
「セラを出したくないなら、そうさせないように奮闘しなさい」
タリアの声は冷静だった。
突き放しているわけではない。
だが、甘い言葉でもなかった。
『……了解。やります』
シンの返答が変わる。
怒りは残っている。だが、その向きが定まった。
『ルナ、レイ、通常MSを急いで片づけるぞ』
『分かってる!』
『了解した』
アスランの声が、最後に重なった。
『無理に撃墜を狙うな。アスピダを守る。セラを出させないためにも、ここで崩れるな』
『了解!』
艦橋のメインモニターには、アスピダを囲む敵影が映っている。
救援は始まったばかりだった。