機動戦士ガンダムSEED DESTINY ~空白の少女~   作:割戸三葉

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96.俺たちのプライド

少しだけ、時は遡る。

 

ミネルバの艦橋では、通常航行へ移ったあとの確認作業が続いていた。

月周辺を離れ、艦はL5へ向かう航路に乗っている。

戦闘配備は解除されていたが、先の作戦で受けた損傷確認と航路上の警戒で、艦橋の空気はまだ緩みきっていなかった。

 

通信席のメイリンが、ふいに顔を上げた。

 

「艦長! 救難信号を受信!」

 

その声に、艦橋の空気が変わる。

タリアは即座に振り向いた。

 

「読み上げて」

 

「ナスカ級アスピダからです。『現在ロゴス機動兵器と交戦中。戦闘継続が困難な状態。至急救援を求む』とのことです」

 

アスピダ。

 

その名に、アーサーがわずかに表情を強張らせた。

月面作戦で共に戦った駆逐艦だった。ミネルバより一足先に、プラント本国へ向かっていたはずの艦だ。

その艦が、航路の途中で攻撃を受けている。

 

タリアは一瞬だけ表示を確認し、判断を下した。

 

「第一戦闘配備。最大戦力で救援に向かいます。アスピダにも通達を。敵戦力の情報を聞き出して」

「はい!」

 

メイリンはすぐに艦内通信へ切り替えた。

その指先に迷いはなかった。

 

「第一戦闘配備。第一戦闘配備。パイロットは搭乗機へ。各員、所定の配置についてください」

 

警報が鳴る。

赤い表示が艦橋の端末を染め、艦内の空気が一気に戦闘へ切り替わっていく。

整備区画、通路、パイロット待機室。船の内側に散っていた人員が、それぞれの場所へ走り出す。

 

アーサーが、救難信号の解析結果を見ながら口を開いた。

 

「月面基地の残党でしょうか」

「そこだけじゃないでしょうね」

 

タリアは正面モニターを見る。

救難信号の発信位置は、アスピダの航行予定線から大きく外れてはいない。

だが、奇襲を受けたのなら話は別だった。

 

「駆逐艦とはいえ、MSだけで簡単に落とせる戦力ではないわ」

「それなら……」

「嫌な予感がするわね」

 

タリアの声は静かだった。

その静けさが、艦橋の緊張をさらに深くした。

 

---

 

ナスカ級駆逐艦アスピダの戦闘宙域には、すでに無数の光跡が走っていた。

 

艦の外装には被弾痕が刻まれ、姿勢制御の噴射が断続的に揺れている。

周囲を飛ぶ味方機は、ザク1機だけだった。

アグネスの機体である。

 

本来なら、ガナーウィザードかブレイズウィザードに換装するべき状況だった。

艦を守るなら火力がいる。敵を押し返すなら制圧力がいる。

だが、奇襲を受けたアスピダに、その時間は残されていなかった。

 

アグネスは、いつものスラッシュウィザードのまま飛び出していた。

単機で艦を守るには、あまりにも分が悪い装備だった。

 

敵はダガーLが6機、ウィンダムが3機。

さらにその後方を、所属不明機が12機、薄く弧を描くように飛び回っている。

バンパイア。

先の戦闘でミネルバ隊を苦しめた機体と同じものだった。

 

アグネスは敵の射線をかいくぐり、艦へ迫るダガーLに斬りかかろうとした。

だが、その前にウィンダムのビームが進路を塞ぐ。

反射的に機体を捻る。掠めた光が肩部装甲を削り、警告がコクピットに鳴った。

 

「邪魔……!」

 

踏み込めない。

斬れる距離まで入れば、別の角度から撃たれる。

相手を追えば、艦から離される。

戻ろうとすれば、バンパイアの機動に視線を奪われる。

 

それに気づいていることが、何より腹立たしかった。

 

自分は翻弄されている。

敵の動きに誘われ、守るべき艦から少しずつ引き剥がされている。

分かっているのに、止められない。

 

アグネスは操縦桿を握り直した。

正面のダガーLに狙いをつける。だが、トリガーを引く直前、別方向からの警告が鳴った。

機体をずらす。撃てない。届かない。次の瞬間には、狙った敵が射程の外へ逃げている。

 

僚機がいれば、あの角度を塞げた。

誰かが一瞬でも牽制してくれれば、前へ出られた。

いつもなら、当然のように埋まっていた隙間が、今はどこにもない。

 

それを考えた瞬間、胸の奥に熱いものがこみ上げた。

 

なぜ誰もいないのか。

なぜ自分だけが、こんなところで支えなければならないのか。

その怒りが理不尽だと、アグネス自身も分かっていた。

それでも、誰かにぶつけなければ、持ちこたえられない。

 

バンパイアの1機が急降下する。

アグネスは咄嗟に回避したが、追撃のビームが脚部を掠めた。

装甲片が散る。機体の応答がわずかに鈍る。

 

警告音が増えた。

 

その音が、自分の内側を削っていくようだった。

機体が損傷するたびに、まだ動けるという自信が薄くなる。

敵は倒せていない。艦は守り切れていない。自分はここにいるのに、何もできていない。

 

「ふざけないでよ……!」

 

声は怒りの形をしていた。

けれど、その奥には恐怖があった。

このまま削られ続けたら、機体より先に自分が折れる。

そう思ってしまったことが、アグネスには耐えられなかった。

 

その時、ダガーLの1機が横合いから撃ち抜かれた。

 

爆光が走る。

アグネスの視界の端を、インパルスが高速で抜けていった。

 

『アスピダ、こちらミネルバ隊。これより援護に入る!』

 

シンの声が通信に乗る。

続いて、セイバーのビームがウィンダムを捉え、敵機が火球へ変わった。

 

『ザクが艦から引き離されている。まず退路を作る』

 

レイの声は冷静だった。

その間にも、ルナマリア機がアグネスの前へ出ようとしたダガーLへ牽制を入れる。

 

『なんでそんな装備で出てるの』

 

ルナマリアの声だった。

平坦で、ぶっきらぼうで、余計な気遣いがない。

その言い方に、アグネスの苛立ちが跳ねた。

 

「時間がなかったのよ! 見れば分かるでしょ!」

『分かるから言ってるの。艦に戻って換装しなさい』

「簡単に言わないで!」

 

返した声は、思った以上に荒かった。

だが、ルナマリアはそれ以上言い返さなかった。

 

『ルナマリア、追い込むな。今は退路の確保が先だ』

『分かってます』

 

アスランの指示に、ルナマリアが短く返す。

 

レイの声が、改めて割り込んだ。

 

『アグネス。今の装備では艦防衛に向かない。戻って換装しろ』

「……分かってるわよ!」

 

アグネスは唇を噛んだ。

助けられた。退くしかない。どちらも事実だった。

その事実が、悔しさをさらに濃くする。

 

『シン、前に出すぎるな。アスピダから敵を剥がすだけでいい』

『分かってる! けど、こいつら……!』

『追うな。誘導されるぞ』

 

アスランの声が、シンの動きを押さえる。

インパルスは前へ出かけた機体を切り返し、アスピダへ向かう敵影を優先して撃った。

 

ザクはアスピダへ向けて後退した。

インパルスとセイバー、ルナマリア機とレイ機が、その退路を塞がせないように敵を落としていく。

ミネルバ隊の動きは速かった。

アグネスが何度も届かなかった敵に、彼らの攻撃が届いていく。

 

自分が追えば誘われた敵を、彼らは追わずに押さえている。

自分が空けてしまった隙間を、彼らは当然のように埋めていた。

 

「……っ」

 

アグネスは声にならない息を漏らした。

安心ではない。

助かったことよりも、助けられなければ戻れなかった自分への怒りが先に来た。

 

やがて、戦闘宙域の奥から、新たな反応が広がった。

バンパイア12機が、ミネルバ隊の接近に合わせるように配置を変える。

 

『来るぞ』

 

アスランの声が通信に乗る。

 

『通常MSを先に落とせ。バンパイアの攻撃は俺とシンで受け流す。アスピダから離されるな』

『俺もですか?』

『お前が一番反応できる。だが深追いするな』

『了解!』

 

シンが応じる。

インパルスが前へ出た。セイバーがその横を押さえ、敵の軌道を切る。

 

『ルナマリア、レイ、通常MSを頼む』

『了解』

『了解。アグネス機の収容まで、敵の接近を抑える』

 

戦場は、アスピダを中心に再び組み直されていった。

 

---

 

ミネルバ艦橋。

 

敵戦力の情報が揃うにつれ、空気は重くなっていた。

ダガーL、ウィンダム。それだけなら、ミネルバ隊で押し返せる。

だが、問題はその背後にいる所属不明機だった。

 

メイリンが端末を見つめたまま、声を低くする。

 

「敵機、バンパイアと照合一致。数は12。1個中隊規模です」

「やはり来たか……」

 

アーサーが小さく呟く。

タリアは正面モニターから目を離さなかった。

 

「各機の損傷は」

「インパルス、セイバー、ルナマリア機、レイ機、いずれも戦闘継続可能。アグネス機はアスピダへ後退中です。ただ、アスピダの迎撃火器が落ちています」

「敵は艦を狙っているわね」

「はい。バンパイアはまだ直接突入していませんが、通常MSを盾にして距離を詰めています」

 

艦橋の誰もが、すぐには言葉を返さなかった。

先の作戦で、ミネルバ隊を戦線崩壊寸前まで追い込んだ相手だ。

レギナントと似た戦術を取りながら、より攻撃に寄せた武装を持つ機体。

その存在が、傷ついたアスピダの周囲を飛んでいる。

 

通信回線から、シンの声が入った。

 

『艦長、こいつらは俺たちでやります』

「状況は」

『数は多いです。でも、アスランさんが抑えてくれれば、通常MSは落とせます』

『無理はするな。だが、今はそれしかない』

 

アスランの声が続く。

落ち着いてはいるが、余裕があるわけではなかった。

 

アーサーが、控えめに口を開いた。

 

「艦長。レギナントを出しますか」

 

その言葉に、メイリンが反射的に振り返った。

何かを言いかける。だが、声にはならなかった。

艦長席の前で感情をぶつけるべきではない。そう理解していても、表情までは隠しきれない。

 

通信回線の向こうで、シンが即座に反応した。

 

『セラは出さなくていい』

『同感です。今の段階で出す必要はありません』

 

レイが静かに続ける。

 

『セラを出したら、また無理をするでしょ。あの子、止まらないんだから』

 

ルナマリアの声には苛立ちが混じっていた。

それは敵に向けたものではなく、セラを戦場に置かざるを得ない状況への怒りだった。

 

『艦長、まだ俺たちで支えられます』

 

アスランが言う。

言葉は慎重だった。

絶対とは言わない。だが、簡単にレギナントへ頼るべきではないという意思は、はっきりしていた。

 

セラを必要としていない、という意味ではない。

むしろ、その力を誰もが知っている。

知っているからこそ、頼ればまた傷つけることになる。

 

タリアは黙って聞いていた。

モニターには、アスピダの損傷状況が表示されている。

推進系の一部に異常。迎撃火器の反応低下。周辺には、まだ敵機が残っている。

 

「メイリン、アスピダの収容準備状況は」

「アグネス機の帰投準備中。ただし、艦自体の被弾が続けば換装作業に支障が出ます」

「時間はないわね」

 

この程度なら、自分たちだけで何とかなる。

そう言いたい気持ちは、タリアにも分かる。

 

だが、この戦域にいるのはミネルバだけではなかった。

奇襲を受けた駆逐艦が、今も攻撃を受け続けている。

守る対象がある以上、余力を残したまま判断を誤ることはできない。

 

タリアは、わずかに目を閉じた。

 

「レギナントを戦闘配備」

 

メイリンの肩が小さく揺れる。

シンの息を呑む気配が、通信越しに伝わった。

 

『艦長!』

 

シンの声が強くなる。

タリアはそれを遮らず、続けた。

 

「ただし、第二戦闘配備。出撃命令は必要になれば追って通達します」

『……待機だけ、ですか』

「ええ。今はまだ、出撃命令ではないわ」

 

短い沈黙が落ちた。

それでも、メイリンは艦内通信を開いた。

声だけは、オペレーターとして整えている。

 

「レギナント第二戦闘配備。出撃命令は別命まで待機してください」

 

通達が艦内へ流れる。

その言葉は、医務区画にも、格納庫にも届く。

 

通信回線の向こうで、シンが不満を隠さない声を漏らした。

 

『艦長、それは……』

「セラを出したくないなら、そうさせないように奮闘しなさい」

 

タリアの声は冷静だった。

突き放しているわけではない。

だが、甘い言葉でもなかった。

 

『……了解。やります』

 

シンの返答が変わる。

怒りは残っている。だが、その向きが定まった。

 

『ルナ、レイ、通常MSを急いで片づけるぞ』

『分かってる!』

『了解した』

 

アスランの声が、最後に重なった。

 

『無理に撃墜を狙うな。アスピダを守る。セラを出させないためにも、ここで崩れるな』

『了解!』

 

艦橋のメインモニターには、アスピダを囲む敵影が映っている。

救援は始まったばかりだった。

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