西暦2090年の現代において、家事とはHAR(ホーム・オートメーション・ロボット)が行う行為であり、人々はその煩わしさから開放されていた。
四葉の分家である椎葉家においてもそれは例外ではなく、四葉の里にある椎葉家の自宅にも一体設置されていた。掃除、洗濯、料理に裁縫と家事と名のつく事は大体の事が出来る高性能ロボットである。
HARが用意してくれたおやつのどら焼きをそばに置き、自ら淹れたお茶を僕の手にも合う小さな湯呑みに用意してくれたのは、僕の父である椎葉家当主、椎葉 英嗣(しいば ひでつぐ)であった。
「お役目、ご苦労であったな。詳細は知らぬが、あの葉山殿からの申請とあれば無得にはできぬ。よく務めを果たしてくれたと、とても感謝してくれていたぞ。これは、ささやかだが私からのご褒美だ。よく頑張ったな、阿頼耶」
「はい、ありがとうございます。父上。いただきます」
そう言って、どら焼きを一口食べて甘くなった口を温かいお茶で流す。カテキンの優しい渋みが口の中に広がり、徐々に甘さを感じる。父上は忙しい為こうしたご褒美の機会などでたまにしか淹れてくれないが、大変茶を入れるのがとてもお上手なのである。
どら焼きも、甘すぎず何度でも食べたくなる絶妙な甘さのあんこが非常に美味しい。父上の好物であるが故に食べる機会が多かったが故に、いつの間にか自分にとってもこれらは好物になっていた。
「……しかし、最近の阿頼耶は少し頑張り過ぎなのではないか?例の研究でも、聞けば結構な無理をしていたようではないか。確かに、見せてもらったあの力は確かに画期的なものではあるが……それで阿頼耶が倒れでもしては元も子もないぞ」
「はい……ご心配をおかけして申し訳ありません、父上」
「と、すまぬな。せっかくのご褒美の場であるというのに、コレでは説教のようではないか。だがな、私からすれば阿頼耶が無事に育ってくれることが、何よりも代えがたい事なのだ。急く必要などない。阿頼耶の歩む速度で、ゆっくり大人になれば良いさ」
そう言って、父上は僕の頭に手を置いた。固く、力強いはずのその手で優しく、優しく手を置いた。父上は厳かな方だ。しかしお祖父様__四葉英作の顔にそっくりだというその鋭い目つきから勘違いされがちであるが、僕や年の離れた兄である秀俊(ヒデトシ)兄さんに対して、厳しくも愛情深く接してくれる良き父であるのだ。
僕にとって自慢の父親だ。
その関係性が本来は父ではなく兄だとしても、僕は父さんと言い続けるつもりだ。僕を父親として守ってくれて、愛情を注いでくれたのは英嗣父さんただ一人なのだから……
我は汝、汝は我……
汝、元よりある絆を貴き物と確信したり。
汝、刑死者のアルカナの力を見出した事をここに告げん。
汝らの旅路に幸多からん事を……
「……ん?」
「どうした、阿頼耶?」
「ええっと、今ペルソナの数が増えたかもしれないなって感じまして」
「なんと……?!いや、原理を考えれば、あり得ないことでは無いのか。ペルソナとは、他者と接する際に人が誰しもが被る人格の仮面であったか。ならば、誰かと接する事で今回のように増えるのも道理ではあろう」
「どうでしょう。僕もまだ【ペルソナ能力】に関しては何が出来て、何が出来ないのか研究途中で把握し切れていないので、こんな風に自然に増えたと感じる事自体初めてです」
「……そうか。ならば、阿頼耶自身の自分の直感を信じる事だ。秀俊の超能力もそうやって自分で磨き上げて行ったからな。励めよ、阿頼耶」
「はい、父上!」
僕の名前は椎葉 阿頼耶。椎葉家の末息子。
本当に、そうであれば良かったのにといつも思っている。父上は、僕がまだそれに気がついていないと思っているかもしれない。だから、父上が本当の僕の出自を明かしてくれるその日までは、気がついてないふりをするつもりだ。
一人の淑女が、椅子に座りながら研究資料の束を読み進めている。現代において紙媒体は時代遅れとされる産物であるが、第四研究所の機密資料となれば防諜の観点からそれが選ばれる事も当たり前のことでもあった。
淑女__四葉真夜は読み終えた研究資料を従者の一人に渡し、目の前で燃やして処分させた。場合によっては、現代魔法の定義を塗り替えかねない研究成果の詳細が書かれた資料である。万一でさえ、それが他所に持ち出される可能性を出す訳にはいかなかった。最後の一片まで燃え尽きるのを確認した真夜は、執事長の葉山との話し始めた。
「【ペルソナ】……自らの心の大海から人類の集合的無意識へと介入し、その中から神や悪魔等の伝承に伝わる存在に当たる人格の仮面を被り、その力を使役する降霊術ですか。このような力を、あの子が……」
「ええ。聞けば元より生来から持っていた魔法が、そういった力を持った系統外の精神干渉魔法であったそうでして。それを知った研究員たちが企画した実験を元に、彼自身が主導で動いて第四研の凍結されていた元々の研究を再開させるように動いたとのことです」
凍結されていた元々の研究。その言葉に、真夜は眉を顰めた。
「まって、それってもしかして」
「ええ。魔法師を生み出す為の研究を始める前の時代の【認知訶学】にも関連する物の一つであります。晩年の英作様が私費を投じてまで再び研究を進めようとしていた物ですな」
「……あの子とは、ゆっくり対話する機会を設ける必要がありそうですね。スケジュールの調整をしましょう。葉山さん、椎葉家に一報をお願いしますね」
「かしこまりました」
葉山が連絡の為にとその場を離れると、真夜は椅子に深く座り直し、深く思考の世界へと入った。
「……叔父様の晩年の研究か。なぜあのような研究を行っていたのか、今でさえ想像がつかないのだけれど……あなたと会えばその謎が少しは分かるようになるのかしら?阿頼耶君……?」
翌日、僕は御当主様に招集を受けていた。
普通に会話するだけであるならば電話での対話で済む筈であるが、今回は直接足を運ぶようにと支持を受けた為、今僕は椎葉の家から四葉本邸に向かう為に運ばれている最中だ。
四葉本邸は防衛のために四葉の里の中でも特に結界や幻術などが多重に施された先に存在しており、行き先を知らぬ者がたどり着くなど不可能な構造となっている。それ故に、招集を受けた者は目隠しで顔を隠した上で手引の方により運ばれることとなっている。
「……着いたぞ」
「運んでくれてありがとうございました。目隠しはもう取っても良いですか?」
「構わん。御当主様はこの扉の先だ。多少の準備は構わんだろうが……あまり待たすことの無いようにな」
「はい……そうだ、先日も運んでくれてありがとうございました。いつもお疲れ様です」
「……なんの事かな?では、失礼する」
確認を取り、目隠しを外す。すると既に手引の方は去ったのか周囲には誰もおらず、自分一人が大きな扉の前に立たされていた。
扉にノックをすると、葉山さんの声が聞こえてきた。
「お待ちしておりました。どうぞお入りください」
「それでは失礼します」
扉を開けて、中に入ると部屋の中心で座る御当主様__真夜様と執事長の葉山さんが待っていた。
「久しぶりですね、阿頼耶君。前に会った時よりも少し背が伸びて大きくなったんじゃないかしら」
「お久しぶりです、御当主様。はい、まだまだ成長期ですから!もっと大きくなりたいですね」
実際には僕は数日前に真夜様の顔を見ているが、あれに関しては真夜様にもご内密にと葉山さんから指示を受けている。あんな悪夢の事なんて思い出さない方が良いだろうと思うので少々騙すようで心苦しいが、そういう体で話を進めた。
「さて、親睦を深めるのも良いけれど、今回呼び出したのはその為では無いわ。早速だけど本題に移させて貰おうかしら。阿頼耶君、君が主導になって研究を勧めていると報告にあった例の研究についてだけれども__なぜあの研究について詳しく知っていたのかしら?」
そう言うと、一瞬のうちに穏やかな雰囲気は消え去り、四葉家当主として、否、四葉 真夜としてよく知られている姿で僕に疑問を問いかけた。
言い逃れは許さないと、冷たい圧力が部屋に充満するように錯覚した。
「……そうですね。始まりは、自分の持つ魔法について研鑽しようと第四研究所内でそれまでの四葉家やその分家の者達が持っていた固有の魔法について調べていたときの事でした。電子化されていない紙媒体の資料を探していた時に、戸棚の上に置かれていた本が崩れて落ちてきてしまったんです」
その時はまだあのお役目を受けてすぐの時だった。悪夢に苛まれる小さな真夜様を守ろうとして戦ったものの、夢の中の世界では通常の魔法の通りが極端に悪く、全く歯が立たない状況が続いていた。
なので、もしかしたら他の魔法よりは通じるかもしれないと思い、攻撃性のある精神干渉魔法の類を習得できないかと父に無理を言って第四研究所の資料を見させてもらうようにお願いしたのである。
幸いにも秀俊兄さんの超能力を鍛える際にお世話になっていた縁があった為、連絡はすぐについた。結果として、溜め込んではいるものの整理が及んでいない資料の整理整頓を手伝う事を条件に、僕は研究所内で資料を見る事を許されたのであった。無論、あまり重要性の高い資料に関しては見せられないとの話だったが。
「それで、落ちてきた資料を片付けようとして拾ったたんですが……一冊だけ、魔法関連とは別の資料が紛れ込んでいたんです。タイトルは『認知訶学による精神治療の為の応用研究』という本でした。著者は……確か、丸喜拓人でしたっけ。本筋とは離れてる本だとは思ったのですが、なんとなく気になってその本を読んでみたんです」
「……続けて頂戴」
「はい、その本を読んでみるとですね、なんとまだ魔法が一般化されてなかった頃に書かれた古い本であったにも関わらず、人の精神に干渉するための方法としてのプロセスとして、人の集合的無意識を経由する事で、その前の浅い領域である他者の個人的無意識に干渉する事ができるのでは無いかと言う形での研究の結果が細かく書かれていたんです」
あの本を見つけたときは驚愕したものである。もしかしたらあの本の著者は今で言う古式魔法師か強力なEPS能力を持った超能力者だったのかもしれない。一瞬インチキ本の類ではないかと疑ったものの、それにしては真に迫り過ぎていた。
「第四研究所の研究者の方にその本について知っている方が居ないか聞いてみた所、古参の研究員の方が、第四研究所がまだ国営になる前の民間研究施設だった頃に行われていた研究について纏めた本だと言われました。著者の丸喜拓人という方は、その時の研究所の局長だった方だそうです」
こんな研究を民間で行っていたのでは、都合が良いと政府に買い上げられるのも無理はないと納得してしまったものであった。
「それに付随して、国営になった際に成果を出さなければならなくなった事で魔法師の開発に追われて本来の研究テーマが一旦凍結されてしまったと聞いたんです。僕が、第四研究所本来の研究について詳しくなったのはそれが理由ですね」
「……それで、君はあの研究について良く知っていたのね。全く、なんの因果なのかしら……」
「……えっと?」
「気にしないで頂戴。少なくとも、私が警戒していた線からは外れた理由だったから……ごめんなさいね、脅したりして」
「いえ、それで御当主様の不安を払えたのであれば幸いです。ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした」
そう言って僕は真夜様に頭を下げた。すると、真夜様はその頭に手を乗せて、頭を撫でてくれた。
「阿頼耶君は素直ないい子ね……よろしい。そういう事ならば、私は四葉家当主として、その研究に関してはこのまま続行する事を許可しましょう」
「!? あっ、ありがとうございます、御当主様!!」
「ただし。機材を使った集合的無意識への接続は当面の間禁止とする事。これが条件ですわ。資料を見させてもらいましたが、アレは阿頼耶君への負荷が高いようですし……その負荷が改善されるよう機材の改良を第四研に言いつけておきますわ」
真夜様はにっこりと笑ってそういった。笑っているが、目が笑っていないように見える……どうやら少々無理を重ねていたのは既にバレているようだ。
いくら適性があるとはいえ、人一人の精神で人類どころか地球上の生物全ての意識が繋がっている可能性すらある集合的無意識に繋がって負荷がかからない訳が無い。それこそ初回はあのフィレモンへの名乗りが失敗していたら、おそらく僕の精神は確実に持って行かれていたと思われる。そういう意味では、僕は間違いなく幸運だったのだろう。
2回目以降はそれなりに慣れたので無理さえしなければ問題なく現実に帰ってこれる確信があったが、得られた成果はジャックランタンともう一体ペルソナを得れた事くらいで肝心要の老賢者……フィレモンには会うことができず、正直割には合わなかった。
研究員の方々は貴重な比較用データが取れたと大変喜んでいたが、僕個人としては命がけできつい割に、得られるものが少ない実験だったので正直真夜様の提案はとてもありがたい話であった。
「……さて、小難しいお話はここまでにしましょう。せっかくこちらに来たのですから、お昼くらいはこちらで食べていきなさいな。家の料理人に腕を振るわせますわよ、阿頼耶君?」
「はい。是非ともご一緒させていただきます!!」
(ふふ……叔父様。阿頼耶君は、元気に育っておりますよ。顔立ちは良く似ているのに、どうしてこうも可愛らしいのかしらね……)
そうして真夜は阿頼耶を見て、今は亡き先代当主__四葉英作の冥福を祈った。
彼の本当の名前は四葉 阿頼耶。四葉英作の、末息子だ。
真夜は彼が四葉英作の忘れ形見である事を知る、数少ない者の一人であった。
ペルソナ図鑑
愚者【ファントム】
骨のような色の白いヒビ割れた仮面と、優美な衣装を身に着けた異形の怪物。四肢を持ち、二足歩行で動くという点は人間のようであるが、まるで球体関節人形のように作られた関節部や鋭利な爪、ヒビ割れた仮面の隙間から見える恐ろしい牙や異様に窪んで見える眼球部等の恐ろしい怪人としての要素が強い事から怪物として見る者に恐怖を与える姿をしている。
正式名は【ファントム・ジ・オペラ】またの名をオペラ座の怪人。世界的に有名な同名の歌劇に登場する主要人物。
顔面の皮膚が壊死し、まるで骸骨のような醜い顔で産まれてしまったことから生みの親からでさえ愛されることなくオペラ座という歌劇場の近くの下水道に捨てられ、その歌声を聞きながら地上に顔を出す事なく育った。
皮肉な事に美しい歌声を聞いて育った彼の作曲と歌声の腕前は芸術的なほど高かった。ある日、彼は新人コーラスガールであったクリスティーヌを見つけ、恋に落ちてしまう。しかし顔を晒せない彼は、物陰からその歌声と自ら作曲した曲を披露する音楽の天使として応援する事で、クリスティーヌを一流の歌手へと導いた。
しかし、クリスティーヌは故郷の幼馴染であるラウルに恋をしており、彼らは相思相愛の仲であった。そのことに怒り狂ったファントムは、オペラ座に火を放ち、その混乱の隙にクリスティーヌを攫ってしまう。
そうしてファントムはクリスティーヌに自らの妻になることを強要する。クリスティーヌはそのことに嫌悪感さえ持っていたものの同時に、音楽の天使としてここまで自分を支えてくれたこの怪人の孤独な魂をどうにか救ってやりたいという思いがあった。
ふとした拍子に、その機会は訪れる。ファントムが着けていた仮面が外れてしまい、その下にあった怪物のような素顔をクリスティーヌに晒してしまったのだ。その事に苦しみ、クリスティーヌにさえ拒否しようとしたファントムの顔に、クリスティーヌは愛情を持ってキスをした。それが嘘偽りではないことを証明する為に、骸骨のような顔に2度、口づけをしたのだ。
それによって、ファントムは救われた。絶対に愛されないと思いこんでいた醜い自分の顔に2度も、口づけをしてくれた事によって、狂乱に陥っていた孤独な男の魂は救われ、正気に戻ったのだ。
それにより、ファントムはそれまでの執着を捨て去り、死ぬまで二度と顔を出さないと誓い、怪人は闇の世界へと去っていった。
それから長い年月が立ち、クリスティーヌの死後も怪人は彼女の事を愛し続け、その墓標に赤き薔薇を送り続けたという。
四葉 阿頼耶の始まりのペルソナ。ふとしたことで知ってしまった自身の出生に悩み、苦しんだ事がきっかけで得てしまった、彼の心の仮面の一つである。