姉であるのだから、当然、妹よりも先に生まれている。
ヴァレリアはエレンよりも四歳年上だ。
つまりは四年も前に生を受けた。
母はスペイン
父は……最低の父親はイギリス
結婚したにも
家族として暮らした記憶すら稀薄だ。
いや、もしかしたら、
物心ついた頃には
彼女が生まれて間も無くして不意に雲隠れした。
然るべき手順があったワケでもなく、両者話し合いの末に合意したワケでもないようだ。
自分達、
唯一の肉親である母からは疎まれた。
実際のところは、客引きに悪影響を及ぼした事が原因だろう。
当然だ。
それでも虐待や飢えへと晒される環境に無かったのは、底辺にこびりついた母性が家庭愛を求めたからであろうか……。
やがて
老いれば次第に稼げなくなる。
その時の
反抗心ではない。
保身だ。
暴力に訴えれば、次第に相手は組み敷かれる。
アタシは
思い通りにはならない。
ろくすっぽ家にも戻らぬ
生きる前には、総てが免罪だ……この
数年後に母が失踪すると申し訳程度の枷も失せた。
行動幅に遠慮は要らなくなる。
ますます
愛用の得物が代名詞とばかりに物を言った。
呼び掛けた覚えは無い。
勝手に群がった。
好きにしろ。
どうでもいい。
気が付けば、クソガキ共による
ますます名が知れる。
預かり知らぬ所で
大人の
狙われた事もある。
勢力抗争に発展した事もある。
どうでもいい。
その日の〝生〟を……。
そんな日々の中で、
彼女を捜し訪ねて来た。
最低の父親──胸クソが悪くなる再会だった。
おとなしく引き取られる事とした。
慕情ではない。
悪意だ。
聞けば、現在は領軍直轄の高職に就いているという。
だから乗った。
財産を
復讐だ。
積年の復讐だ。
母親の無念を……苦労を……辛酸を……オマエの厚顔に刻みつけてやる。
遥かエジプトくんだりまで連れて行かれれば、頭の悪そうなガキが出迎えた。
異母姉妹という事らしい。
つまりは〝妹〟だ。
「おねえちゃんなの?」
「……悪いかよ」
すっ
世間知らずの温室育ち。
ぬくぬくとした
アタシが〝明日死ぬかもしれない掃き溜め〟で
そして、同時に確信した。
この家を乗っ取るには
とはいえ、長期計画にはなる。
成人するまでは……。
もっとも、それを上等として引き取られた。
復讐!
復讐だ!
いつの間にやら……ではあるが、ヴァレリアの
自覚は無い。
当初は復讐目的が根底であった。
分からない。
だがしかし、確実に思い当たる
いつでも慕ってくれた。
いつでも甘えてくれた。
最初は
それでも懲りずについてくる。
無邪気に寄り添ってくる。
いつしか
泣いていれば、血相変えて駆けつけるようになった。
困った素振りを感受すれば、自然体で相乗りしてやった。
放っておけない。
そして、不思議と穏やかな気持ちになっている。
ただひとつ言えるのは、
もうひとつ、大きく心境の変化をもたらしたのは『考古学』であろう。
最初は父親から
強い反発心を
家に置いてもらえなくなれば〈計画〉が
奇妙な事だが、エレンといる時には失念し、この男と向き合うと再燃した。
強く、色濃く。
それはともかくとして『考古学』の個人教授には従事した。
不本意を押し隠した御機嫌取りでしかない。
馬鹿馬鹿しい、いまさら故人の素性を掘り返して何になる──そう軽視しつつも。
知ったところで史実は変わらない。
この〈
父親の高圧的講義に当てられるのは腹立たしかったが、目的意識の前に呑んで机へと着く。そうでもなければ、ブッ飛ばすところだ。
ある程度、自分自身で立ち回れるようになった
だが、例えクソ野郎からの〈知識〉であっても貰えるものは貰っておく──
そう腹に据えながら、黙々と知識を
十代
これまで
そうなると、どういうワケか面白く感じ始めた。
とりわけ自分自身が妄想した〝可能性〟が現実と符合すれば、それはますます好奇心を助長する。
遺された
完成図と有るのは、目の前に仕上がった〝現実〟だけだ。
しかしながら
そうした〈IF〉が高揚を誘発した。
得意とするのは、やや斜め上からの俯瞰視に導き出す奇論だ。
定石的考古学からは外れた独自論であり、ともすれば荒唐無稽な妄想と自虐さえ噛む。
が、
旧暦ならいざ知らず現在は
吸血鬼や獣人が〝常識〟とばかりに大手を降っている現世魔界で、旧暦の〝常識〟に縛られる旧態依然な
総ての可能性は〈IF〉であり、その〈IF〉が
仮に〈クレオパトラ〉が〝隣国ミタンニからの血統〟であろうとも〝宇宙人〟であろうともたいした差は無い。
空想癖と紙一重な
さりながら、父親はヴァレリアの奇論を徹底的な否定に廃した。とりつく島も無い。
その冷遇が、ますます火を付ける。
上等だ。
だが、やがては……やがてはテメェの鼻を空かしてやる。
根に張った積年の反抗心は、いつしか〈考古学者〉たるプライドと転化していた。
無自覚にも……。
父親との不和が決定的な断裂と走ったのは、ヴァレリアが十七歳の頃となる。
引き金は些細な発見であった。
独学の最中、資料を本棚から取っただけだ。
日頃考察しないマイナーな事柄であったから、その資料も手に取った事など無かった──その
頭よりも高い位置から引き出すと、その拍子にはらりと
封筒だ。
どうやら件の資料本に挟んであったらしい。
軽い好奇心から開いて見た。
見るべきではなかった。
軟化に鎮静していた復讐心が沸々と甦る。
心中に再燃した始めた憎炎の
亡き母からの手紙であった。
「……どういう事だ」
父の部屋を乱暴に叩き開けると、ヴァレリアは重暗い声音で
相変わらず室内は貧弱な光源に仄暗く、雑多に積み置かれた資料本の古紙臭がオイルランプの油臭と撹拌に漂い、その独特な異臭は慣れを要する不快感を奏でる。
その奥に有る卓に動くは研究に本の虫と丸くなる背。
浴びせられる言葉に関心すら傾けず、淡白な応対だけが返ってくる。
「軽々しく入るなと言ってあるはずだが? お前には個人教授の時間を割いてある。これ以上、私の貴重な研究時間を奪うな」
「……
ズカズカと怒り心頭の闊歩に聖域を踏み荒した!
だが、当の父親に狼狽の色は無い。
困惑も無ければ、
ただ冷ややかな観察視……それだけだ。
「
「あぁ?」
「合理的
「テ……んメェ!」
「もう一度だけ確認しておこう。
「
「……ああ、
「こいつには書いてあった──テメェが約束通り迎えに来る日を待ち続けている──ってな! 何年も……何年もだ! なのに、テメェは迎えに来なかった! それどころか手紙の返事すらよこしてねぇ! 雲隠れに音信不通だ!」
「
「ああっ?」
「確かに『頃合いが見定まり次第迎えに行く』とは言ったな……だが〝約束〟は〝
「正当ぶってんじゃねぇ! 捨てておきながら!」
辛うじて抑え込む!
怒りを!
激情を!
対して、アンドリューには自責も
ただ、ひたすらに淡白……。
ヴァレリア
静かに拘束の細腕を払ったアンドリューは、解放の
仕切り直しの珈琲を
「
「アタシが……おふくろが、どんな人生を過ごしていたか分かってるのか! 来る日も……来る日も!」
「よくやった……とは感心しておるよ。
「
沈黙──いや、ともすれば反目か。
長年心底に眠らせていた互いの確執が、此処に来て牙を向き合わせていた。
「……
「
「遊びだったって言うのか! アタシのおふくろは!」
「頭の回転が早い点には
「ふざけんな! テメエの道具じゃねえ! アタシ等、
「だが、時として人生は
よくも語れる……当の
罪悪感も愛情も無く……。
「帰国後、やがて〝エレン〟が産まれた。件の
「テ……メェ……」
心境に吹く荒涼。
敵意めいた憎炎は相変わらず猛り盛るも、反して氷原の
何故?
その困惑が木枯しと凪ぎ狂う。
だが、無自覚を自覚させられた。
いつしか芽生えていたのやもしれぬ──親子としての情が。
心の何処かで期待していたのやもしれぬ──確執の雪解けを。
個人教授の時間を経て……。
それが
形はどうあれ〈家庭〉を……〈家族〉を得たのだと……。
総てが幻想であった。
総てが虚影であった。
そして、総てが愚かしかった。
「風の噂によって──というよりも私には、ある程度の〈諜報〉の
「……アタシが率先していたワケじゃねぇ。勝手に群がった」
「どちらでもいい。肝心なのは、オマエが
「な……に?」
「その才は
「テメェは……テメェは!」
「私とて、寄る年波には勝てんという事だ。デスクワークは構わんが、そろそろ現地調査はキツくなっている」
ようやく覚った──この男が、何故、
何故『考古学』の英才教育を強いたのか。
自分の意のままに操れる代行を欲していたに過ぎない。
結局、コイツも
親子の情ではない!
「ああ、それから……この間の『エジプト神信仰とミタンニ滅亡との因果関係』だがな」
「それはアタシの!」
そう、それは此処最近ヴァレリアが考察に没頭していた独自論文!
再三、アンドリューが
剣もほろろに!
「奇論ではあるが着眼は面白い。だから、私が
「盗んだのか! アタシの論文を!」
「人聞きの悪い事を言うな。
「テメェ!」
向けられる
「これからも
「ふざけ……やがって!」
「私を失望させるなよ。
「……クソ野郎が!」
改めて心に刻み込む!
コイツは……この男は……この
そして、家から出て行った。
荒れ狂う感情に乗せてジャックナイフでブッ刺してやろうかとも思った。
そもそも
ここで悪意を実行すれば、当初の計画通りだ。
あのクソ野郎が路頭に迷う様を想像すれば、多少は溜飲が下がるというもの。
ザマァマロ、クソ野郎!
アタシとおふくろが味わった底辺の辛酸を
だが、こんなもんじゃねえ!
こんなもんじゃねえぞ!
アタシの
もっとだ!
もっと!
もっと徹底的に
過熱に高揚する黒い赤炎!
が、それは思い止まった。
ギリギリのラインで理性を歯止めに呼び覚ましたのは、脳裏を
アルターナ
エレンも路頭に迷わせるという事だ。
儚くも愛苦しい〈妹〉を……。
あの
そうなれば、きっと生きていけない。
この箱庭から出されれば…………。
だから、決めた──アタシが掃き溜めへ戻ればいい。
そもそも、アタシは
そう自分に言い聞かせる事で
それは、果たして自己弁護であったのであろうか。
「姉さん! 行かないで!」
思い詰めた
ここで引き返せば、あとはズルズルと飼い殺しの人生と堕ちる──それが確信できる正念場の
「……じゃあな」
それが精一杯の手向け。
肩越しに捧げた
腰砕けに泣き崩れる愛しい悲しみを、ずっと忘れる事など出来やしない。
そして、罪悪感は咬み続けるであろう。
アタシは妹を捨てた。
最愛の妹を…………。
性分であった。
何処をどう走ったのか覚えてはいない。
何処へ向かおうとしているかも定かにない。
思考が疲労感に包まれるまで、ヴァレリアのオートバイは激走した。
頃合い──
紫煙を追えば
巨大な黄眼は
「……クソッタレ」
八つ当たりめいた
撫で過ぎる夜風が氷針と刺した。
いや、慣れていた。
………そう思っていた。
………
なのに何故、こうも虚しさが染みる?
家族などいない。
最初から……。
無自覚に零れる
それが〈答〉である事をヴァレリアは知らない……
最初は復讐目的であった。
悪意であった。
嗚呼、そうだ──エレンだ。
アイツだけは
アタシの〈家族〉は、アイツだけだ……。
アタシの〈愛する家族〉は……。
アタシの〈愛〉は…………。
──そうか……貴様も〝
(誰だ?)
見渡す限り赤く
ともすれば、不可視の空気とて赤に思える。
それが茫洋と広がっていた。
足場は無い。
水の滞留に浮くかのように……無重力に
心地好い。
不気味な異様環境に在りながらも……。
(……何処にいる?)
探る。
ややあって直感が方向を定めた。
それを道標として足を進める。
赤は胎動に呑む──。