曇天もどきの陽が明けた。
現状は
だから、クソうざったい相方にも拘束されずに済む。
ヴァレリアは貴重なオフタイムを満喫がてらにカイロの街を
明確な目的は無かったが〝何かしらのヒント〟は欲しい。
「黄金の羽根……ねぇ?」
皆目見当がつかない。
が、
「エレンは〈マァトの羽毛〉と結論していたが……アタシも同感だ。おそらく、そいつで間違いねぇだろう。だが、
そう
(
悶々とした思索。
出口どころか眼前の路面すら闇に溶け込む謎。
そして懸念材料は、
「
あの〈
が、あるはずがない。
この異形怪物が
旧暦──それも紀元前の古代エジプトに伝わっているはずがない。
だから、誰にも言わずに胸の内へと仕舞い込んだ。
そう、あるはずがない。
そうした諸々の謎が彼女の気持ちを五里霧中に惑わす。
そして、この不可解な謎が集約された〈女〉は、はたして
(まぁ解らない以上、そいつは
それでも、こうして動いていれば
能動的な進展誘発である。
得た情報は取捨選択すればいい。
大通りには諸々の店も歓待を開いていたが、負けず劣らずで露店商も雑多に構えている。食料素材や小物品、それから口先三寸の占いや嘘八百な神託屋など様々だ。
馴染みの果実露店を見つけると「よぉ」とフランクな挨拶を向けて無造作に
「おや、久しぶりだねぇ? ヴァレリアちゃん?」
「婆さん、いい加減〝ちゃん〟やめろ。もうガキじゃねぇ」
「こんな小さい頃から知っているからねぇ? イッヒッヒッ……」
果実露店の〝マティナ婆さん〟は顔馴染みだ。
数少ない
「にしても、よく続くなぁ?
「ボチボチね……日銭ぐらいは稼げているよ」
「ふぅん?」
構えた店と露店商の雑多混在──それは語らずとも格差の実態でもあった。
「店、構えたいトコだろうな」
「正式に店を構えるには〈ギリシア勇軍〉への申請と認可が必要だからねぇ……あたしゃ〈信仰〉を捨てる気はないよ」
領地支配勢力〈ギリシア勇軍〉から課せられた税は
前者は主従的社会構図を自覚に刷り込むべく
早い話が〈踏み絵〉だ。
信仰対象が〈エジプト神〉でも〈イスラム教〉でも関係無い。
そして〈オリンポス神〉を畏敬崇拝させる。
そうやって求心力を高めるのだ。
永劫の現世魔界で〈
この軍門に下った者は優遇的処置に預かれ、その具体的な特権のひとつが〝公式出店権利〟であった。
逆に屈せぬ者は、眼前の実態のように非合法な出店に稼ぎを得るしかない。
こうした格差は配給品等にも影響を刺した。
そして、根底的な人権の扱いにも……。
「表向きだけでも折れりゃいいだろう? そうした店は
「折れたら終わるのさ……本当の〈信仰〉ってのは、そういうものだよ」
「婆さんは〈イスラム教〉じゃなくて〈エジプト神信仰〉だったよな? 旧暦でも、かなり珍しいぜ?」
「おや、そうかね? イッヒッヒッ……」
旧暦中世紀以降、エジプトに於ける宗教は〈イスラム教〉が主流となる。土着の〈エジプト神信仰〉が宗教と機能したのは古代までだ。
「ところで、ヴァレリアちゃん? 今日は
本題を切り込まれて、ヴァレリアの抑揚がスゥと重味に鎮まる。
「……〈マァトの羽根〉」
「ふむ?」
「王家埋葬品として、ソイツが存在したという記録は?」
「あたしの知るところ無いかねぇ? あくまでも〈マァトの羽毛〉は神話上のアイテムで
「ふぅん?」
この婆さんは〈専門家〉ではないものの、土着民俗という面で〈エジプト神話〉に精通していた。
学術的にはアマい知識ではあるが、時として民俗流布の観点から考古学研究者すら知り得ぬ牧歌情報を呈してくる事もある。
だから、ヴァレリアは時々行き詰まると訪れた。
父すら知り得ぬ彼女だけのパイプだ。
知恵袋というヤツである。
「どうしてだい?」
「いや……」
言い掛けて淀みに呑んだ。
説明しない方がいい──直感が、そう告げる。
確信も無い〈女の勘〉だ。
「仮に……
「現物を作って……かい? わざわざ?」
「ああ」素っ気なく林檎を
「あたし自身に……かい?」
「とは限らない」
「そうさね……」往来に思考を逃した後、ややあってマティナ婆は紡いだ。「
寂しくも優しい
いや、
死に別れた実娘──。
流れ者の獣人に喰われた娘──。
無惨にも喰い散らかされた娘──。
回顧話には聞いている。
子供の頃から……。
(クソッタレた時代だよ……この〈
胸クソが悪くなる。
浅い
「その時は、たぶん〝ありったけの愛情〟を込めるよ。少しでも〝いいところ〟へ行けますように……ってね。そのためだけに作ったような物だからね……その〈マァトの羽根〉は」
「愛情……か」
いまひとつ
正直〈親子愛〉というものには実感が涌かない。
母とは幼少期に死別し、父親はクソ野郎だ。
だが、もしも……。
もしも自分自身に〈愛情〉が眠るとすれば、それは……。
「サンキュ。また来るわ」
「あまり無茶するんじゃないよ? エレンちゃんが心配するから」
「わかったよ」背中に聞き流して手を振る。「婆さんも、あまり派手に盗むなよ? 農家にゃ死活問題だ」
レストラン〈アスーダ〉──。
鮮明
ヴァレリア……エレン……クリス……そして、イムリス……。
そして、
「ネフェルティティの隠し子?」
姉の突飛な発想には、さすがのエレンも珍しく頓狂な顔を浮かべるしかない。
「アタシは、そう見ているけどね」
ヴァレリアは平然と肉料理を頬張る。
件の
「誰だよ?」と、隣席で疑問符を浮かべるクリス。
この無知ぶりには、さすがのヴァレリアも苦虫に思うのだ──これで、よくも初面識に「よう! オマエ有能だな? 俺と組もうぜ?」などと相方申請に出れたものだ。きっとコイツの脳筋はスポンジ構造に違いない。
殺気めいた
「簡潔に言えば、第十八王朝の
「ちょちょちょっと待て? ツタンカーメンの母で……その妻の母? って事は……ツタンカーメンは近親婚じゃねぇか?」
「そうなりますね」
動揺に呑まれるクリスとは対照的に、イムリスは肩を
「珍しかねぇよ。旧暦の歴史には、有力者が家系の血筋を色濃く残すべく近親婚をする政略なんかザラだ。古代文明ともなれば尚の事だろうさ」
「いや、そうかもだけどよォ」
「もっとも、この辺りは
「ですね。例えば〝ツタンカーメンの義母に過ぎない〟という説も
「ああ。ざっと挙げるなら〝メリトアテン〟〝メケタトン〟〝アンケセンパーテン〟〝ネフェルネフェルアテン・タシェリト〟〝ネフェルネフェルレ〟〝セテペンレ〟……全部、子女だ。この内〝アンケセンパーテン〟は、後の〝アンケセナーメン〟だな。国宗が〈アテン信仰〉から〈アメン信仰〉へと復権された際に改名した」
「そして、ツタンカーメン……ですか」
「ずいぶんと子沢山だな?」
クリスの驚嘆が肯定の後押しにも思えればこそ、孤高の考古学者は
「
一方でエレンは熟考へと浸りながらも
「けれど、ヴァレリア姉さん? ネフェルティティは聡明で誠実な人間性だったはずよ? 夫である〝アクエンアテン〟へも献身的に夫婦愛を捧げていた。貞節だってあったはず」
「オマエ、
「それは……そうだけれど」
「じゃあ、判ったモンじゃねえさ」ドライな正論を吐いてシガレットに火を付ける。「
乾いた達観を
「姉さんが断定する理由は?」
「件の
「しかし、高位であれば王族でなくとも可能性があるのでは? 例えば有力的な神官とか?」と、イムリス。
「まぁな。だが少なくとも、今回の件は第十八王朝──それもツタンカーメン政権時代前後を背景に敷いている。そして〝王家絡み〟という背景も……な。
ヴァレリアが名を呟いた途端、隣席の食器がガシャンと
落とす視線は皿を見つめながらも料理へと見入っているワケでもない。
こんな険しい表情は、つるむヴァレリアにしても初めて見る。
「どうした?」
相棒の呼び掛けに
「あ……ああ、いや……ソイツの名前なら、俺でさえ聞き覚えがあるな……とな? ハハッ」
「ふぅん?」
この脳筋にしては珍しい事もあるもんだ──と、内心
「この
「そうね。そして、仮説としては〝アクエンアテンとネフェルティティの共同偽名〟というものもあるわ」
「実弟説もな」
「謎多き人物ですね」と、片眉吊り上げにおどけるイムリス。
「まぁな。だが、少なくとも
「けれど、姉さん? 仮に〝スメンクカーラー〟が実在した人物として……それが姉さんの否定仮説となる根拠は?」
「まずは消去法だ。重要な
「ちょっと待って? それじゃ
「だな。そして、第十八王朝年代の高位に限定するならば、必然的に前王権〝アクエンアテン政権〟か〝ネフェルティティ政権〟の息は残留的に掛かる。
紫煙の
「んでもって、コイツはエラく忌避されている」
「確かに、そういう風にわたしも見たけど……」
いまひとつ煮えきらない妹を見て、ヴァレリアは
エレンから預かった貴重な考察資料だ。
「理由は、この
「わたし達の先入観って事は?」
「まぁ、無くは無い。そこで〝名前が削られている〟って事実だ。この両要素を
「どうして、そこまで?」
「さてね。王族の恥部か……
ヴァレリアの眉間が苦々しさを
もしかしたら……いや、おそらく重ねているのだろう。
父親と訣別した
「ですが、ヴァレリア? アンケセナーメンではなく、ネフェルティティの子とする根拠は?」
イムリスの沈着な追求に自嘲的な
「
「悪いけど不確定要素が多過ぎるわよ。現状、総てが姉さんの仮説に過ぎない」
「だから何だ? 切り捨てる? ハッ! そんなんで〈真相〉に辿り着けるかよ? 少しでもキナ臭いなら考察材料の
カルカデ
「発見は〈ツタンカーメンの王墓〉だったよな? 何処で?」
「〈王の間〉よ。その
「隠し部屋……ねぇ?」
淡白な態度に情報を
それを見れば、大方
だからこそ、彼女を
何事にも縛られない無鉄砲さには手を焼くが、それでも正解だ。
この女に
何事も無く
数メートル手前で停車すれば、家屋に灯りは付いていない。
(当然と言えば当然だが、
とはいえ、そうそうゆっくりもしていられない。
現時刻は午後八時手前。
そろそろ相手も博物館を出たであろうし、そうなれば帰宅タイミングも解らない。
顔を会わせるのは御免だ。
「じゃ、行くわ」
「……うん」
「シケたツラすんな? この案件が片付くまでは、毎晩顔会わせんだから」
「片付いたら?」
「そ……それは……」
気まずい沈黙に支配される。
場の重さから逃避するかのように、ヴァレリアはシガレットを取り出して一服蒸かした。
ややあって
「あの……ね? 姉さん?」
「あん?」
「姉さんも加わったら、どうかな? 発掘調査隊……」
「……冗談よせよ」抑えられぬ不快感を深い紫煙に乗せる。「あのクソヤロウの下に敷かれる気は無いね」
「父さんには会わせないようにする! 姉さんが加わったのもバレないように裏工作するから!」
「
「姉さん……」
「アタシはアタシで勝手にやらせてもらう」
エレンの消沈は重い。
分かっていた事だ。
姉は〈自分〉を殺せない。
そういう性分である。
あまりにも不器用で……それでも、真っ直ぐな生き方しか出来ない。
さりとも拒絶の
気高い
寄り添うだけで白百合は傷付く。