正直、オリンポス神信望者にとって〈エジプト考古学博物館〉は居心地のいい場所ではない。
とりわけ、この〈考古発掘品解析研究室〉という
所狭しと陳列された発掘品は、総て〈エジプト神〉の息が掛かった
しかしながら時代を越えた高貴な息吹は、まるで四方八方から呪怨に観察されているかのような錯覚すら覚えさせる。ともすれば、仇敵の隙を
さりとも、メディアは〈ギリシア勇軍〉の幹部である。
肩書きが〈魔女〉とはいえ、彼女もまた〈勇者〉の端くれだ。
オリンポス神に選ばれし身なればこそ、
「久しぶりね? 何年ぶりかしら?」
「十八年ぶりだ」
朗々とした魔女の抑揚に反して、アンドリュー・アルターナは変わらぬ憮然で答える。
樫卓を挟んでの再会は、
「この前に会ったのはスペインだったわよね。まさか領地エジプトで再会するなんてね」
「わざわざ昔話へと浸る
既知の観察視が探りあう。
ぞんざいな歓待に
「件の〈
「それは命令かね?」
「御望みとあらば」
睨み据える値踏みを涼しく流しつつ、メディアは卓上のクッキーをしれっとひとつまみ。
「いいだろう。そもそも
「あら、嬉しい優待だこと」
メディアは
安い皮肉だ。
(少なくとも、彼は私達〈ギリシア勇軍〉を快く思ってはいない。けれど、それは〈エジプト神〉に義理立てたものでもない。理由は至極単純──つまり
その障害となろうものならば、例え〈エジプト神〉であっても敵視するであろう。
彼の瞳にギラつき宿るものが、
が、同じ〝知識探求者〟としては判らぬではない。
(探究者という者は、
メディアは
この男〝アンドリュー・アルターナ〟も、
いくら
その彼女を前にしても、まったく物怖じする様子が無いのだから
「アレが何かは
「確か〈ツタンカーメンの王墓〉から発掘された……と、聞いたけれど?」
「うむ。だから〈第十八王朝
「内容は?」
「解析中と言ったが?」
「解っている範囲でいいわ」
「……何故だ?」
「何が?」
「何故、そこまで固執する? 考古発掘品の〈
「ええ、至極有益な情報よ──敵を知る
「
「不服?」
「いいや。私にしてみれば解析研究に没頭させてさえ貰えればいい。その土壌として、此処〈エジプト考古学博物館〉は
正直、内心感嘆した。
あまりにも貪欲な探究欲にして、あまりにも鋭敏な観察眼である。
微かにゾッとさせる正視。
改めて危険な男にも思えた。
「いいわ。本来は他言無用の極秘事項だけれど……既知の
「交渉成立……か」
「あ、ところで──」
「何だ?」
「──
邪教徒集団〈
馴染みの酒場〈ザリーフ〉にて、ヴァレリアは解答を模索していた。
イスラム教は禁酒戒律であるから、見据える客層はイスラム教徒以外となる。
無論、ヴァレリアも常連だ。
うらぶれた路地裏にひっそりと構えた小規模な店。外観からは健在か潰れたかも定かに無く、ともすれば
が、逆に人目に着かないからこそ、キナ臭い話題を交わすには丁度良い。
「コイツが〈マァトの羽根〉って事は断定できた……アイツら自身が、そう呼んだんだからな」
醒めた観察眼で見定めつつ、ワイングラスの湖面を慌てさせる。
「が、
そこは依然として解らない。
「意味が無いはずはない。そんな酔狂をするはずがない。わざわざ〝隠し埋葬〟としていたんだからな。少なくとも、ヤツラが欲しがるだけの価値があるのは確実だ」
「なぁ?」ジョッキの生ビールを
カウンターでの隣席。尚の事、密談に適している。
「さて……ね」
覇気無く
「妹の申し出は理に叶っていたぜ?」
「だろうね。ベターな案だ」
「じゃあ、何で?」
何故、
ヴァレリア自身にも分からない。
にも
分からない。
分からないが──「女の勘」──
根拠は無い。
さりとも先の襲撃を振り返れば、奇しくも正解であったと言えるのであろう。
結果論とはいえ……。
「マァトの羽根……死者の良心……ねぇ?」
赤の湖面に写る表情は、釈然としない黙想に曇りを
絡まる紐を丁寧に解きほぐしてみる。
と、この何気ない呟きが、失念していた盲点を再自覚させた。
「……
ようやく炙り出せた!
違和感の正体を!
「あ? 何がだよ?」
「ようやく解った! ずっと
「どういう意味だ?」
「いいか? この〈マァトの羽根〉ってのは、あくまでも〝概念的要素〟に過ぎない! 現物化する必要は無い! そして、コイツは
「そうなのか? だとすりゃあ……何でだ?」
少しはテメェで考えろ! この脳筋!
そうは思いつつも、ヴァレリアにしても明答は浮かばない。
ここまでだ。
「ふむ?」
再び刻まれる黙考。
「……
「ヤツラ? 〈
「ああ」
「欲しいからだろ?」
この脳筋!
「この〈マァトの羽根〉ってのは、万人共有アイテムじゃねえ。さっきも言ったが、対象個人の〈良心〉を具象化した意味合いになる。つまり、コイツは
「へぇ? じゃあ、何でだ?」
脳筋!
「
「それって何だよ?」
どこまで脳筋だ!
「妥当に考えるならば『財宝的価値』か『歴史的価値』──だが、これらとは考え難い。ヤツラの根は、あくまでも〝エジプト神への狂信〟であり、求めるのは金銭的利潤じゃねぇ。もっと信仰めいた価値のはずだ。ともすれば〈マァト〉自体への崇敬や、
「だから、結局のところ
「……呪具性」
「呪具?」
「盲信教団って事は〈オカルティズム〉だ。元来、古代エジプトってのは驚嘆的先進文化であると同時に〈オカルティズム〉が根深い──ミイラ作りの概念にしろな。必ずと言っていいほど背景には〈神〉や〈魂〉への畏敬概念がある」
「って事は、つまり……」
「ああ」と、改めて黄金羽根へと関心を注ぐ。「
眩さは妖しさに見えた。
思いがけない個人的訪問のせいで今日はゴタついた。
到底、通常スケジュールでは遅れを取り戻す事は難しい。
だから、アンドリュー・アルターナは
いつ終わるやも知れぬ消化量を憂慮し、娘の早期帰宅を認めた。
自分
もちろん助手は欠いたが、退館時間ギリギリまでは
研究室は相変わらず時間旅行のセピアに呼吸し、所狭しと居座る発掘品が好奇の視線を注ぐ。
そんな異質環境にて
件の
「……〈
「
休憩がてらに椅子へと沈む。
仰ぎ眺める傘電球に浅い疲労感を投じつつも、好奇心依存の考察は
「だが、
とはいえ、彼の本分はエジプト考古学者だ。
その視点をブレさせる事など無い。
求めるは〈真実〉のみ。
仮に、そのような史実常識を
「しかし、
虚空に
「はたして何者であろうか? 王族
黙考を巡らせる。
歴史に呼ばれたかのように意識を逃せば、こちらをジッと見つめる彫像と目が合った。
腰丈
「
この女神の前身は雌獅子女神〈セクメト〉──人間達の不敬を罰するべく〈太陽神ラー〉によって生み落とされた。
意識は疲労感にたゆとうままに、柄でもない回顧へと逃避する。
「
かつて、あの〈魔女〉から授けられた代物だ。
聞けば〈
以来、片時も外した事は無かった。
自分の主義ではない。
安い神頼みはしない主義だ。
あの〈魔女〉から「片時も肌身離さず持っていろ」と……。
はたして、どんな意味があるのかは知らないが、取引の交換条件なのだから仕方無い。
と、部屋の片隅に
いつの間にやら……だ。
毎度の事ながら……。
「……
背後とはいえ、その特異な存在感は見ずして何者かを覚らせた。
「まだ進展は無いぞ」
重い腰を上げて
疲労感蓄積もあって歓迎
さりながら、この横柄な態度は言わずして語るのだ──両者の
漆黒獣面の使者であった。
バステトは眺め続けた。
日頃から拘束紛いの補佐活動に従事するエレンにとって、別行動の自由を与えられるのは貴重な出来事だ。
父が
という事は、父なりに進展の
いずれにせよ久々のフリータイムを得た。
「……部屋片付けでもしようかな?」
自室を見渡し呟く。
取り立てて散らかってはいない。
むしろ性分から整理整頓されていた。
が、いざこうしてみると暇を持て余しもする。
姉を呼んでの御茶会もいいが、どうせ来ない──父との鉢合わせを忌避して。
かといって滞っていた家事は手際よくこなしたから、ますます
だから、逃避的な選択に落ち着いた。
本棚の並び替えに、机上書類の整理。化粧台の鏡面を拭き、ベッドの
テキパキとした手順に働けば部屋は、ますます
と、ベッド脇のキャビネットに違和感を感受する。
「うん?」
下段収納が微かに開いていた。
「おかしいわね? 最近は使っていないけれど?」
開けてみる。
そこに押し詰められていた品々を視認したエレンは、軽い困惑に
「え? 何これ?」
眩き金色を照り返す彫像品の数々──古代エジプトに関連した歴史遺品であった。
身に覚えが無い。
買った覚えも無い。
かといって、博物館から持ち帰った品でも無い。
皆、初見だ。
「こんな物が……何で?」
早鐘を
「ホルスにバステト……セト……セベクすら有る」
どれもこれも名だたる〈エジプト神〉だ。
それを意匠として作られている。
「何? 何なの?
得体知れない焦燥が強まる。
何故、このような品々が自分の部屋に有るのか?
いや、それ以前に、そもそも
「見て解る。到底、安物や
となれば有力な
そうとしか思えない
「まさか……盗品?」
「だ……
父ではない。
立場的に発掘品への権限は自由自在だ。
盗み隠す意味など無い。
「まさか、イムリス?」
連鎖的に思い浮かんだ近辺者は彼だった。
しかし──「いいえ、有り得ない。彼の実直さは知っているもの。何よりも、彼は〈エジプト考古学〉には関心が薄い。アルターナ家の使用人という特異な立場上、軽く携わってしまうだけ」──
そして、不可解な点もあった。
「わたし自身が不在の際には部屋の鍵を掛けてある。それに何故、
キャビネットはベッドと壁の狭間に据えてある。
しかも、その最下段収納に隠してあった。
エレンですら、そこを使う際には面倒臭いので最近は使用していない。
仮に引き摺り出そうものなら、ベッド上のシーツやタオルケットはグチャグチャだ。
「なのに、取り立てて荒らされた形跡も無い……」
不可解である。
そして、疑わしき品々の中に埋もれていた存在感が、彼女を
「え?」
ある──それだけは──
「こ……これは……アヌビス?」
間違いない!
あの〈夢〉の中で見た物だ!
血の池から摘まみ拾った物だ!
殺戮の代償と奪い取った物だ!
「う……そ? な……何で?」
ワナワナと震える呆然。
思考放棄をしたくとも、それを許さぬ現実。
「嘘よ……嘘嘘嘘嘘嘘!」
混乱に
狂ったかのように拒絶を吐き散らす!
──まだだ……。
「え?」
ゾッとした!
突然、
背後から──頭上から──隣から──何処からか定かにない位置から、しかし、いずれの方向とも取れる位置から!
──まだ〈オシリス〉がある……。
「だ……誰!」
慄然と呼ばれるままに立ち上がり、警戒滑りに周囲を見渡した!
……誰もいない。
幻聴などではない!
女の声であった。
暗い