神経そのものがぶちぶちと引き千切られる感じ、と表現したらいいだろうか。千切れてるなら無理して伝えなくてもいいのにその神経が律儀に伝えてくるのは、灼けた金鎚で頭蓋骨を叩き割られて、熱の塊と化したそれを脳に直接押し付けられるような……痛み、とは言いたくないわね。そんな表現じゃ生温い。
ぶっちゃけて言えば、死ぬかと思ったわ。
……死んだけど。
この古手梨花、死んだ回数はそれこそ思い出せないくらいだけど、死の間際まで覚えていることはこれまでなかった。古びた日記帳の破り捨てられたページみたいに、死の直前の記憶は消し飛んでしまうのが常だったのだ。忘れてしまうといってもその世界での私にとっては現実に死を体感するのだから、怖くないわけでもないんだけど。
ともかく、その妙な仕組みのせいでずっと私を殺した犯人がわからなくて、不便なものだと思ったことは何度もあるけど……いまになってわかった。
あれってたぶん、自己防衛本能のなせる業だった。あるいは神の慈悲かもしれない。
なにしろ本当に気が狂いそうな体験だった。死ぬほど痛いって表現はよく聞くけど、本当の死ぬほどの痛みを覚えているなんてロクなもんじゃない。
首尾良くオヤシロ様こと羽入がいつものように私の意識をホームランして時間の壁越えの大アーチを決め、こうして無事に過去の自分の身体に叩き込まれたわけだが……、おなかのあたりをさすってみて、まったくの無傷であることを確かめてもなお、じんじんと痛み続けているような錯覚がある。
鷹野め……。
麻酔もなしでおなかにメスを入れられただけならまだ耐えもしよう、その切れ目を両手で広げて『中に誰もいませんよごっこ』はされるわ、はらわたを引きずり出されて結び目を作られて『これがホントの腸々結びよね、うふふ』とかまわりの山狗が困った顔で愛想笑いするしかないようなお寒いギャグはかまされるわ、ああもう思い出したくない記憶を失え自分!……と、それはそれとして。
こうして記憶を保持したまま無事に戻った以上、気になるのは残り時間。
前回の世界でついに私を殺し続けた黒幕、鷹野三四を突き止めたのはいいけれど、彼女を告発するにはそれなりの時間と証拠、それに協力者が必要になる。私と羽入の力は徐々に衰えてきていて、前回もかなり短かったから……最悪、今回は綿流しまで1週間を切っていることも覚悟せざるを得ない。
もし時間が足りなければ、強硬手段……鷹野をこの私の手で殺すことさえ視野に入れなければならないだろう。人殺しなんてあまりやりたくはないが、私にとって私自身の命とそれをつけ狙う鷹野の命、どっちが重いかなんて言うまでもないことだ。
そこまでの覚悟をしなければならないのも、理由はまったく同じ。
もはや次のループができるかどうかわからないところまで私たちは衰えているのだ。
だからこれが最後のチャンスだと考えて行動するしかない。
どんな手段を使っても、絶対に……生き残る!
「……さて、と」
布団の中で横になったままで視線を左右に走らせると、見慣れた防災倉庫の2階だ。
柱には日めくりがかかってるはずだけど、真夜中なのだろう、暗くて読み取れない。
立ち上がればいいことなのだが、まだおなかが痛んでいて身体を動かすのが億劫なので羽入に聞くことにした。
「羽入! ……羽入、いないの?」
隣で寝ている気配のする沙都子を起こさないように小声で呼びかけるが、応答なし。
はて。
あのダメ神、どこで油を売ってるのかしら。私が時を遡って新しい世界に来ると、たいてい一番真っ先に目にするのは羽入の間抜け面なんだけど。
「羽入! こら、羽入! 出てきなさい!」
沙都子が起きてきたら誤魔化せばいいやと、開き直って声をあげる。
……返ってきたのは、ぞっとするような沈黙だった。
まさか、あの子。どっかで迷子にでもなってないでしょうね……。
案の定というべきか、羽入より先に私の声に反応したのはすぐ隣で寝ていた沙都子のほうだった。
「……う~ん。梨花ぁ~、夜中に騒ぐのは近所迷惑なのです」
神社の近所に民家はないけど、隣で寝ているぶんには確かに迷惑かもしれない。
「み、み~、ごめんなので……、す?」
あ、あれ?
沙都子ならあのでたらめな丁寧口調で「感心しませんわよ」とかになるはずでは……。
語尾が「なのです」で喋るたわけたヤツを、私は二人しか知らない。
言うまでもないことだが、一人は私、猫をかぶっているときの古手梨花。
もう一人はその私のたわけた口調のオリジナルとでもいうべき、存在自体がたわけたダメ神、羽入その人だ。
おそるおそる首を90度ばかり横に向けると、特徴的な色の髪をした羽入が眠そうに目をこすりながら身体を起こすところだった。
「は、羽入……なにのんきに寝てんのよ!?」
しかもご丁寧にパジャマなんか着てるし!
一応言っておくと、普段の羽入は私以外の誰の目にも見えないのをいいことに肩まわりから二の腕にかけてを露出した奇天烈な巫女服を着た姿で現れるのだ。通称横乳巫女服。
「ふぁあ、あぅ……夜は寝るのが普通なのです。梨花」
「じゃなくて! 羽入、今は何年何月何日!? きりきり答えなさい!」
怒鳴りつけてやったら、羽入はいかにも何言ってんだコイツと言いたげに面倒そうな顔をして私を見下ろす。
「梨花、寝ぼけるのにもほどがあるのです……5月の1日です」
「えっ……」
意外な数字が飛び出した。どうせ6月のどこかだろうと覚悟していたのに、5月?
「もう2日かもしれないのですが……あぅぅ」
うつらうつらと船を漕ぎながら続ける羽入。
その平和そうな様子は思わず蹴り飛ばしたくなるけど、言われてみれば私にかかっているのはいつもの夏布団ではない。私の体感時間でここ1~2年くらいは初夏の気候ばかりだったので、やけに涼しい気がするし……。
不幸中の幸い、とでもいうのか。
どうやら、予想以上に時間を確保できたのは間違いないらしい。
私と羽入の底力というヤツだろうか。原因はわからないけど、強硬手段に訴えなくていいのは、正直ありがたい……ふふん、鷹野。どうやら命拾いしたようね!
「明日がお休みだからって、夜更かしはいけないのです。おやすみなさいです、梨花」
それだけ言うと、羽入は糸が切れたみたいにぱたりと後ろに倒れて目を閉じる。
その幸せそうな様子に、違和感を覚えた。
「ま、待ちなさい羽入! 沙都子は、沙都子はどうしたのよ!?」
なんで本来沙都子が寝ている布団にコイツが寝ているのだ。
まったく理解できない。
「あぅ……?」
目を開けようともせず、さっきよりもあからさまにわけわからんという表情をする羽入。
「沙都子は沙都子のお家にいるに決まってますのです……すぴゅるるる」
「……!?」
今度こそ眠気も幻の痛みも吹き飛んだ。
私のほうこそわけがわからない。まだ6月にもならないというのに叔父が、北条鉄平が帰ってきたとでも言うのか!?
そんな世界は知らない。
私は慌てて起き上がり、羽入のかぶっている布団を剥いで胸倉をつかみ、ぶんぶんと前後左右に揺さぶった。
「あぅあぅあぅあぅ!? な、なにをするのです、やめるのです、梨花ぁ~!?」
「寝ぼけんな! あんたも神様のはしくれなら、この世界のなにがどうなってるのかわかりやすく説明しなさい、今すぐ!」
羽入は目を丸くして、面食らったような顔をする。
「か、神様? この世界? あぅあぅ、梨花が、梨花がおかしくなったのです! 小学生のくせに中二病発症なのです!」
「おかしいのはあんたよ! これが最後の世界なんだから、もっとしゃっきりしなさ……あ、あれ……?」
おかしい。
私って、羽入を……触れたんだっけ……?
もちろん答えは否。
触れるなら、こいつを黙らせるのにいちいちキムチなんて持ち出さない。れなぱんほどの速度も切れ味もないが、こんなへたれ神ごとき、りかぱん一発で十分だ。
「あぅう、梨花……、梨花こそしっかりしてほしいのです。最後に残った家族の梨花まで正気を失って入院なんてことになったら、僕は今度こそひとりぼっちなのですよ……」
涙目で私を見つめる羽入は、これ以上ないくらい真顔でそんなことを言った。
……家族?
そりゃ、羽入は私にとって家族と言えなくもないけど……。
私はどこか虚ろな気持ちで暗い部屋の中を見渡して、壁にかかった制服を見つける。
私と沙都子の制服が仲良く並んでいるはずのそこには、沙都子の緑色のワンピースのかわりに見慣れないブレザーの制服がかけられていた。
視線を落とせば、本棚の上の写真立てには家族の写真。
お父さんとお母さん、それに、笑顔で並んだ私と……羽入の姿があった。
「羽入……」
胸倉を掴んだままで、呆然としながら呟く。
「……羽入にとって、私は……古手梨花は、『何』なの?」
その馬鹿げた問いに、羽入は強い意志をこめた瞳で私を見つめながら答えた。
「そんなの、決まっているのです。たったひとりの、大切な……『妹』なのです」
笑い出したい気分だった。
決死の覚悟を持って鷹野におなかを裂かれるという責め苦に耐えきった私は、最後の世界に挑むまでもなく……突破してしまったのだ、昭和58年6月という名の不破の迷宮を。
だって、この世界には羽入がいる。
神様じゃなくて、人間の『古手羽入』が。
八代続けて第一子が女児ならば、その子はオヤシロ様の生まれ変わりとなる。
まるで笑い話だ。
オヤシロ様本人が、姿と魂をそのままに生まれ変わったイレギュラーな世界。
この世界で古手家の次女である私はお役御免。
だって……鷹野に殺されるのは私じゃなくて、姉の羽入になるんだもの!
幾多の世界で父と母を見捨てたように、このたよりない姉を見捨てれば私は生き残れる。
必要なのは、羽入を切り捨てる覚悟だけだ。
傍観者をやめると誓ったオヤシロ様の羽入が最後に遺してくれたプレゼントは、確実に私が生き延びることのできる、『自分が身代わりになる』という奇跡!
「梨花……?」
黙りこんだ私を心配そうに見つめる羽入。
……ふざけんな。
許せるものか。そんな茶番、見過ごせるわけがない。
この世界が本当に最後の最後であることは確信できた。オヤシロ様ではなくなった羽入にもう一度私をループさせることなどできるわけがない。
そんな馬鹿げた最後の切り札を切っておきながら、自分の記憶はすぽぽーんと飛ばして最後の世界に私をひとりぼっちで放り出してくれたあの特大バカのつくお人よしを、たった一人で死なせるような真似ができるとでも思ったのか。
「羽入、この馬鹿!」
「あぅ!?」
思わず、私は羽入を抱きしめていた。
確かな体温と柔らかな感触。
羽入はいま、生きてここにいる。
誰よりも昭和58年6月の先の未来を願ってやまなかったくせに、私の未来と引き換えに自分の未来を差し出した結果がこれだ。
「死なないで、羽入……いえ、絶対に、死なせない!」
私の決意をこめた言葉に羽入は、きょとんとしながらも姉と呼ぶに相応しい、優しげな微笑みを浮かべて私を抱き返した。
「当たり前なのです、梨花。僕は、お姉さんなのですから。梨花をひとりぼっちになんかしないのですよ」
それから、ちょっと口を尖らせた。
「……でも、姉に向かって馬鹿はひどいのですよ。もっと姉を敬え、なのです!」
それを聞いて思わず噴きだしてしまった私を、いったい誰が責められるだろう。
こいつは羽入だ。
間違いなく、あの馬鹿だ。