ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第9話 その名は土下座衛門

……夢見が悪かったのか、寝汗が酷かった。

 

それで朝から湯に浸かったから目は醒めたけど、気分はちっとも晴れない。

 

湯上がりの髪をバスタオルで挟むようにして丁寧に水分を抜きながら、昨日のダム現場でのレナとのぞっとするような会話を思い起こす。あのあとレナは冗談だといって笑い、私も調子を合わせたけど……それを素直に信じられるほど空気の読めない私でもない。

 

例え、それが冗談だったとしても……レナは私を責めているのだ。

 

園崎の次期頭首たる私なら、次の祟りを北条の叔父と叔母に決めることができるはず。それをする覚悟さえ私にあれば悟史と沙都子が救えるのに、何故しないのか、と。

 

 

 

……雛見沢の事情を知らないレナの、単純な買いかぶりとは言えない。

 

もちろん現頭首でない私に殺しを命じる権限などない。

 

それどころか、北条家の村八分を解くような真似だってできやしない。

 

それでも……なりふり構わなければ、婆っちゃに逆らう覚悟さえあれば。

 

園崎を少なからず動かすことは……できるのだ。

 

考えたことがないわけじゃない。

 

私は園崎魅音の名をこの身に刻まれたその日から、課せられた責任の重さも、そして身の丈も知り尽くしている。

 

こうしている今も、悟史が笑顔で撫でてくれるときも、沙都子の泣き出しそうな瞳を見るときも、心中で叫ぶ声がある。

 

救え。救え。救え。救え。救え。救えっ……!

 

それを押しとどめている力があるとしたら、ただひとつ。

 

この私は、『園崎魅音』の名に相応しくないという想いだ。

 

詩音、いや……本物の魅音なら、きっと悟史や沙都子のためにすぐにでも動くだろう。

 

そう考えてしまう自分こそが、双子の片割れ、『いらないほう』の詩音。

 

私が本気で『魅音』として振る舞ったそのとき、この名を、園崎の巨大な力を背負うことを余儀なくされる。もう二度と甘ったれの詩音には戻れない。

 

そんなことが、本当に私に、まがい物の私にできるだろうか?

 

「……おねぇ……」

 

膝を抱えて呟いた瞬間、廊下で電話が鳴った。

 

思わずびくりとして、顔を隠すように頭に乗せていたバスタオルがばさりと畳の上に落ちる。この期に及んでも甘ったれな『詩音』に、ほとほと愛想が尽きそうになる。

 

……電話のベルは、鳴りやまない。

 

仕方ない……目をこすって立ち上がると、軽く咳払いをしながら廊下に出た。

 

次期頭首たる私の仕事は、婆っちゃの取り次ぎ、いわば秘書のようなもの。重要な用件なら婆っちゃに伝えなければいけないし、それほどでもないことなら適切な指示を下さなければいけない。

 

どちらであっても、13の小娘そのままの弱々しい声ではとても対応しきれない。

 

必要と慣れというのは偉大だ。

 

中身が追いついていなくても、園崎魅音としての顔と声だけは身につけているのだ。

 

……一抹の不安は、レナや悟史からの電話ではないか、ということ。

 

いまの気分でレナとは話したくないし、悟史と話したら弱音を吐いてしまいそうだ。

 

ひとつ深呼吸して、心の準備をしてから……受話器をとった。

 

「はい、園崎です」

 

『……もしもし。おはようございます。……魅音さんですか? ご無沙汰しています、葛西です』

 

葛西さん。お父さんの懐刀で、そろそろ組の重鎮と言ってもいい立場の人だ。くぐった修羅場は数知れず、泣く子も黙る興宮の顔役……なんだけど、私にとっては小さな頃からいろいろと面倒みてもらったおじさんという印象のほうが強い。

 

「おはようございます、葛西さん。……ご用件は」

 

『少しお待ちいただけますか?……今、電話を替わります』

 

用件を聞き出す前に、電話を替わられてしまう。

 

次に受話器から流れてきた声に、私は正直面食らった。

 

『もしもし? くっくっくっく! 私が誰だかわかります?』

 

それは、……ついさっきまで私が一番話したいと思っていた相手、いまは妹の詩音を名乗っている双子の姉の声だったのだ。

 

ややこしいから便宜上詩音と呼ぼう、その詩音は中学にあがると同時に遠く離れた街の全寮制の女子校に押し込まれているはずだった。里帰りの許可が出ているのは正月だけで、ここ数ヶ月は顔を合わせていない。

 

……その詩音がどうして葛西さんのところにいて私に電話をかけてきたかというと、驚いたことに学園を脱走してきたらしい。高い塀に囲まれた監獄みたいな学園からの大脱走……胸躍るような冒険譚を聞いて、私が思ったのはたったひとつ。

 

やっぱり、姉こそが『本物』だということだった。

 

意気地なしの私だったら、きっと高校卒業まで学園で飼い殺しにされていただろうけど、この背の鬼を受け継ぐはずだった本物の魅音を、狭い檻に閉じこめておけるわけがない。

 

ちょっと悔しいけど、いつだって姉は……私にとってのヒーローだった。

 

だから、詩音が興宮に潜伏すると聞いて協力を約束するのに躊躇いはなかった。

 

詩音が堂々と外を出歩くためには、魅音を名乗るしかない。

 

その間は私が姿を隠せばいい。昔から入れ替わって立場を交換して遊ぶことの多かった私たちには、いまさら難しいことではない。私は今だって魅音の顔をした詩音であり、姉は詩音の顔をしていてもいつでも魅音に戻ることができる。背中の鬼を見られさえしなければ、私たちを区別することなど誰にもできない。

 

「そりゃー悟史だよ、悟史」

 

数日後、時間を作って買い出しに出かけた詩音から電話がかかってきた。

 

いつでも心の底から入れ替われる私たちだけど、当然テレパシーとか便利なことができるわけではないので経験したことや環境情報は必要に応じて記憶を共有する必要がある。

 

興宮で短時間うろちょろする程度なら私の親しい知り合いに出会うことはあるまいとたかをくくってクラスメイトのことを伝えておかなかったのはちょっとしたミスだった。

 

『悟史って……北条悟史? どっちが?』

 

小さい頃主に魅音として行動していた詩音になら悟史やレナや羽入と遊んだ記憶が残っているかと思ったけど、やっぱり詩音のほうも覚えてはいないらしかった。

 

「どっちがって、どういうことさ?」

 

『えぇとね、最初に助けに入ってくれたのはこう、おとなしそうな子で……後から来たのはなにか生意気そうな奴だったのよ。後から来た方も私のこと園崎って呼んでたから、知り合いなんでしょ?』

 

はて。クラスの子たちならたいてい委員長とか魅音さんって呼ぶんだけどな。

 

生意気そうな奴……、あ。

 

「それってさ、転校生かも」

 

『転校生?』

 

「前原圭一って奴。この前東京から越してきたんだよ。羽入たちのとこで居候してる」

 

どうやらこれが正解だったらしい。詩音は悟史が後からきたそいつのことを圭一と呼んでいたのを思い出した。

 

詳しい話を聞いてみると、経緯はこうだ。

 

詩音は不注意から(怪しいもんだ)歩道に不法駐車されていたバイクを倒してしまった。

 

その持ち主らしい3人組に路地裏に連れ込まれて、絡まれた。……土地の者なら絶対にやらかさないミスだ、よりにもよって園崎魅音に絡むなんて。

 

泣き真似などしつつ余裕で時間を稼いでいた詩音だけど、助けに入ってきたのはなんともたよりなさそうな少年が一人。それがどうも悟史で、……ま、その印象は正しい。

 

詩音の言では気迫で3人組に勝ってたというけど、にわかには信じがたい。まぁ頑固とか強情とかって言葉は当てはまるけど、およそ喧嘩慣れした奴じゃないから。

 

その真偽はともかくとして、悟史が3人に殴られはじめたときにもう一人が現れた。

 

そいつは悟史とは逆に情けない様子でへこへこと頭を下げつつ、『うちの姉が失礼しまして申し訳ありません、どうか勘弁していただけませんか』とか言い出して……誰が姉だよ。

 

あまりの情けなさと次から次へよく回る舌に呆れてその場の誰もがそいつに注目し……そこへパトカーの近づいてくる音がしたらしい。そうしたら一転、その少年は強気になって『この場所は通報しておいた。さぁ、来るなら来いよ!』などと言い出した。

 

3人組は慌ててその場を撤退、バイクを起こして逃げていったらしいんだけど……少年によれば実際には不審なバイクが路上にあって盗難車かもしれないと通報したのだそうで、目の前で逃げていくバイクの3人組をパトカーが追いかけるのは当然のなりゆきだった。

 

……へこへこしてたのはパトカーが来るまでの時間稼ぎってことか。

 

いきなり態度の変わったそいつは詩音と悟史に毒づきながらその場を立ち去ったそうだ。

 

「ふむ、間違いなさそうだね」

 

土地の者なら園崎の娘が絡まれているところにわざわざ警察を呼んだりしない。

 

雛見沢の人間を集めれば済む話だ。人数が揃う前に悟史が助けに入ったのは度を越したお人好しだから仕方ないけど、転校生ならそのへんの事情は知らないわけだ。

 

普段私たちには対しては無関心を決め込んでいるだけに、助けに入ったことそのものは意外といえなくもない。……いや、そもそも梨花ちゃんを東京で助けたのが縁で居候してるんだし、案外根本的には悪い奴じゃないのかもしれない。

 

『ふーん……どっちかっていうと、向こうが北条の息子みたいなイメージだったけど』

 

詩音がそう言うのも無理はない。ダム戦争を戦った私たちには、少なからず『北条』に対してマイナスのイメージがある。相手が強いとみればへこへこして、そのくせ国家権力なんてものを味方につけたら急に態度が大きくなる……そういう転校生を、北条の息子だと思いたくなるのは人情というものだ。

 

「北条の親はともかくさ、悟史はいい奴だよ。妹の沙都子も、……いまはちょっと調子落としちゃってるけど、なかなか面白い奴だしね」

 

そう言ったら、詩音も悟史については納得してくれたらしい。

 

まぁ、余計なお世話とはいえ助けられて悪印象をもつはずもないか。

 

『……悟史くんに、前原圭一か。一応助けられたことにはなってるし、お姉からお礼を言っておいてください』

 

「ちぇ~、悟史はともかく転校生にお礼を言うのは気がすすまないけどね……」

 

嫌味たっぷりな顔が思い浮かんでしまうのが癪だ。

 

『お姉、いい機会だからクラスメイトのことも教えてください。これから先も、どこで会うかわかんないし……』

 

「あ、そうだね。えーと、羽入とか梨花ちゃんとかは詩音もよく知ってるよね。あんまり知らなさそうなのはその二人と沙都子と、あとレナかなぁ……」

 

不思議と、詳しく話すべき相手は転校生を除けば部活メンバーに限定される。

 

部活についても話したんだけど、内容にはてんで興味がなさそうだった。ただ、その理由……沙都子を取り巻く環境と、それをあの転校生が考えたというのが気になるらしい。

 

『そいつと、沙都子や悟史くんは仲がいいわけじゃないんですよね?』

 

「うん。あいつは無愛想だからね。仲がいいのは一緒に住んでる羽入と梨花ちゃん、あとレナは不思議と嫌ってないなぁ……レナも、都会での生活が長かったせいかもね」

 

『ふ~ん、でも……特に仲がいいわけでもないお姉と悟史くんを助けるために、わざわざ出てきたわけですよね?』

 

そう、そこが意外な一面だ。

 

体育の時間を見る限り運動神経も並だし、喧嘩に自信があるようには思えない。

 

梨花ちゃんの信頼を得るだけあって頭は回るけど、それは厄介事が起きても切り抜ける能力であって、厄介ごとに首をつっこむ理由にはならない。

 

『ちょっと面白いね。……お姉、その転校生と部活メンバーのことはこれからも報告よろしく。場合によっては、一日くらい入れ替わって様子を見に行きたいくらいなんで』

 

マンションの隠れ家に閉じこもる生活に早くも退屈しているのか、詩音はそんなことを言い出した。まぁ昔から詩音は面白そうだと思えば放っておけない性格で、ダム戦争でもさんざん私の姿で引っかき回してくれた。おかげで何度警察のお世話になったことか……。

 

まぁそういう厄介な姉がある意味では大好きな私としては特に異論もなく、次の入れ替わりの日取りなどいくつかの打ち合わせをすませるとその日の電話を終えた。

 

「やーやー転校生、おっはよぅ!」

 

教室に入るなり、朝っぱらから参考書を開いている転校生の背中をどついてやったら、うるさそうに顔を上げた。

 

「いやいや、昨日はお世話になったねー。全日本土下座選手権優勝に輝きそうな年季の入った匠の業、おじさん堪能させてもらったよ~」

 

嫌味の先制攻撃を仕掛けたら、愛想のカケラもない無表情か不機嫌な顔がデフォルトのこいつにしては珍しく、にやりと唇を歪めてみせる。

 

「は、ご冗談を。アジア泣き真似グランプリの敢闘賞に入れそうな園崎先輩にはかないません」

 

……こいつ、詩音が泣き真似してる時点から見てたってことか。

 

まぁ110番してくる余裕があったくらいだから不思議ではない。

 

でも女の子が泣いてたらとっとと助けろよ! 

 

私じゃないけどさ!

 

そのうえ泣いてもいないけどさ!

 

「園崎先輩だなんて水くさい、魅音って呼んでくれていいんだよ~? おじさんも親しみをこめて、あんたのこと土下座衛門か圭ちゃんの好きなほうで呼んであげるから!」

 

これは昨日詩音に言われたことだ。転校生転校生じゃ呼びにくいから、適当なあだ名つけて呼んじゃえってことで。考えてみたら、レナも転校生だしね。

 

「……センスが最悪だな」

 

こいつじゃなくても、憮然とした顔になるのも無理はない。……いや、センス云々は詩音に言ってよね。

 

「二者択一、異議は認めない。いいね、土下座衛門?」

 

「少なくともそっちはやめろ」

 

それだけ言って、ぷいっと参考書に戻る。

 

……ふむ、まぁ圭ちゃんでいいか。呼んでればそのうち慣れてくるだろう。

 

で、もう一人。

 

こっちはこっちで本を読んでいたけど、席の近くまで行ったら顔を上げた。

 

「おはよう、魅音。昨日は災難だったね」

 

「あ、うん。……あはは、まぁあのくらい、ホントはおじさんにとっちゃちょろいもんなんだけどね~! こう、空気投げですぽぽぽーん☆って!」

 

おどけてそう言ったら、悟史はすこしきょとんとした表情になった。

 

……あれあれ?

 

でもすぐにいつもどおりの柔和な表情に戻り、

 

「そうだね、そのほうが魅音らしいかな」

 

うぅ……、こいつはどうやら転、じゃなかった圭ちゃんと違って、私(じゃなくてホントは詩音)がほんとに泣きそうだったとでも信じているらしい。

 

普段女っぽく振る舞わないようにしている私としては、それはそれでばつが悪い。

 

……うー、詩音のせいで災難ばっかりだ!

 

「ったく、そーゆー態度はよくないよ。こっちはそれなりに恩義も感じて、バイト先見つけて来てあげたんだからさ」

 

「ホント?……ありがとう、魅音」

 

明るい表情でお礼を言う悟史に、こっちもすこし機嫌が直る。

 

……でも。

 

教室のどこからか、物言いたげな視線が背中に突き刺さっているのを感じていた。

 

その視線の主は、たぶん……。

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