先の見えない暗闇の中、私はひとり立ち尽くしていた。
自分がどこにいるのか、どこへ向かえばいいのか……全くわからない。
でも、どこか遠くから呼びかけられている感覚があった。
いかなくちゃ。
胸で逸る気持ちと、その声に圧されるようにしてとにかく進もうと足を踏み出したとき、
「……!」
背後に気配を感じて振り向く。
そこに、圭一くんがいた。
私に背中を向けた彼は、傷だらけの拳を握りしめて、前を向くと……ゆっくりと闇の中へと歩き出す。
圭一くん。
ついていこうと踵を返そうとして……、足が動かないことに気づいた。そっちは私の向かうべき場所じゃないと本能的に知っているみたいだった。
見ていることしかできない私をおいて歩き続ける圭一くんの背中が、見る間に遠くなる。
「……圭一くん!」
もう二度と彼に会えないような気がして、叫ぶ。
その先に彼を行かせてはいけないと、直感で思う。
私のいちばん大切なひと。
私はまだ弱すぎるから、彼をなくしたら生きていけない。
その必死の想いが届いたのか、彼は薄闇の向こう側で足を止めて……肩越しに私のほうを振り向いた。
表情はよく見えないけど……口元はかすかに微笑んでいるようだった。
唇が、小さく動く。
読唇術なんて習った覚えはないけど、いつも見ている圭一くんだったからか、意味はわかった。
『……大丈夫。俺にまかせろ』
それはとっても安心できる魔法の言葉だったはずなのに、……どうしてだろう、ざわざわと胸が騒ぐ。
このまま圭一くんを見送っちゃいけない。
なのに彼はまた前へと向き直り、闇の向こうへ歩き出す。
「圭一くん、圭一くん、圭一くぅん……っ!」
私の足は動かない。
彼を追いかけなきゃいけないのに……!
駄目、行かないで、そっちに行っちゃダメ……!
「けいいちくんっ……!」
瞬間、目の前が白く染まる。
「……!」
針を突き立てられたみたいにきりきりと目の奥が痛む。
その針の正体が光だと気づいて、目を細めて入りこむ光量を調整する。
ぼんやりと白い空間に浮かび上がる影が像を結んで、清潔そうな天井と柔らかな色合いのカーテンが視界に映る。
どこだろう……、ここは。
見慣れた前原家の客間でないのは確かだけど……。
「……ッ……!」
ずきん、と。
目の痛みがひいていくのと同時に、頭に痛みが響く。
痛みそのものは鈍いけど、視界がぐにゃりと歪む。
頭の芯を無遠慮に指でえぐられるような感覚だった。
ずきん。ずきん、ずきん……。
「ぅ、あ……」
じわじわと頭の一部が熱を帯びる感じがあった。
目に入る光景がぐるぐると回っているような錯覚。
なにが起きたのかわからなくて、ぎゅっと目を閉じる。
呻いていたら、人の気配が近づいてきた。
「……レナちゃん? 目が覚めたのね!」
この声は……三四さん?
薄目をあけたら、メイド服の三四さんが私を覗き込む姿勢で輝くような笑みを浮かべていた。
「ぇ……? あの、私……」
「よかった……本当に、よかったわ……」
私の手を握って、三四さんは目に涙さえ浮かべていた。
……状況がわからない。
三四さんがこの格好ということは、ここは入江診療所で、おそらく病室のベッドに寝かされている……?
ずきん。ずきん。
ここに至るまでの記憶を呼び起こそうと、痛む頭を必死で働かせる。……なぜか、ずいぶん長い夢を見ていたみたい。
フラッシュバックしたのは、不愉快な女の顔。
振り下ろされた金庫、暗転する視界、動かない身体。
ずきん。
「……!」
ようやく記憶がつながった。
私はあの女に殴られて、意識を失った。
最後の意識であの女とお父さんの会話を聞いていた限り、私はそのままダム現場に運ばれ、足を滑らせて転げ落ちて死んだ……ということにされるはずだった。
そしたらお父さんは保険金を受け取って、これまでどおりあの女に貢ぎ……いや、吸い取られ続ける、と。
そういうシナリオだったはず。
でも、私は生きている。
頭に怪我をしているから、とても無事とは言えないけど。
ずきん。ずきん、ずきん。
……あれ? なんだかおかしい。
私があの女の立場なら、いくらひどい怪我だったとしてもそのまま放置なんかしたりしない。
ちょっとやそっとでは見つからないように埋めてしまうか確実に息の根を止めておくはずだ……。
私がこうして生きているということは、手遅れになる前に誰かに発見されたということになるが……。
あの狡猾な性悪女がそんなミスを犯すだろうか……?
ずきん。
「……ぅ」
「まだ痛みがあるみたいね。一時は本当に危なかったわ。みんな、心配したんだから」
手を握ったまま、三四さんは暖かい眼差しを私に向ける。
「お父さんと圭一さんに、感謝しないとね」
「え……?」
三四さんは、横になったままの私の頬をそっと撫でながら事の経緯を話してくれた。
ダム現場に運ばれた私は、本当に殺される寸前だった。
あの女とお父さんが揉めているところへ現れたのは、北条鉄平……一年前、私を殴った沙都子ちゃんの叔父だった。
どうやらもともとあの女とつながっていたらしい。
順調にお父さんを騙せていれば、タイミングを見計らってあの男が出てきて『俺の女に手を出したな』とかなんとか言ってうちの財産を根こそぎ奪うつもりだったのだろう。
私にとってみれば絶望的な状況。
そこへ現れたのが、圭一くんだったらしい。
圭一くんは大立ち回りの末に北条鉄平をノックアウトし、私を救い出してくれた。
それから私は病院に運ばれて、何日も意識が戻らないまま眠り続けていたらしい。
「……そう、ですか」
話を聞き終えたところで、小さく息をつく。
経緯を知って、私がかなりまずい状況に置かれていることもすぐさま理解できた。
ずきん。ずきん。
ここは入江診療所、つまり敵中にいるということ。
私はここを退院しない限り、入江機関の手中で監視されて身動きできない……詩ぃちゃんにとっては、人質にされているも同然なのだ。
目の前の三四さん、部活メンバーでもある彼女が敵だとはいまだに信じ難いし、私を心配してくれていたことは私の目から見ても嘘だとは思えない。
でも……油断するな。
魅ぃちゃんを取り戻すためには、一瞬の隙も許されない。
「あ……、そうだわ、お父さんを呼んでくるわね」
三四さんは恥ずかしそうに目元を拭いながら、そそくさと病室を出ていく。
私はずきずきと痛みを訴える頭を押さえながら、ゆっくりと身体を起こした。三四さんの話によればまだしばらくは安静にしていないといけないらしい。
衝撃を受けたのが脳だから、へたに動き回ってどこかの血管が破れるようなことがあれば大事になりかねない、と。
その理屈はよくわかるけど……正直今は、もどかしい。
ようやく入江機関の内情や、彼らの狙いについても絞れてきたところだったというのに……。
「礼奈っ!」
その大声とドアを開ける騒々しい音が頭にずきりと響く。
苛立ちを覚えながら視線をあげると、……病室の入り口にお父さんと、一歩遅れて三四さんが立っていた。
「お父さん、毎日様子を見に来てくださってたのよ。今朝も早くから見えて……あまり眠れていないようだったから空いてる病室で仮眠をとってもらっていたの」
優しい声音でそう説明して、三四さんは私に何事かを促すような微笑みを残してドアを閉める。
お父さんは私のベッドの傍らまで来て、足を止めた。
ぼろぼろとその頬を、涙が伝う。
「……礼奈。よかった。目が覚めて、よかったよ」
私はあのまま死んでしまってもおかしくなかった。
そうしたらお父さんはどうなったのだろう?
「すまなかった……許してくれ、礼奈。私が馬鹿だった。目が醒めたよ。あんな女に騙されて、とんでもないことをするところだった……一生後悔を、」
「……ないで」
病室の空気を、私の声がナイフのように切り裂いた。
「え……?」
喋りかけていたお父さんには、聞こえなかったのだろう。
ぽかんとして私を見下ろしている。
私は無機質な感情をこめて視線を返す。
「礼奈って、呼ばないで」
「……な、なにを」
「私は、もうあなたの“礼奈”じゃない」
二年前、お母さんに言った言葉の繰り返しのようだった。
「圭一くんの“レナ”。あなたに礼奈なんて呼ばれるだけで吐き気がする。いまさら許してくれなんて、虫が良すぎると思わないの?……恥知らず!」
ずきん。
奥歯を噛みしめながら、睨み据える。
お父さんは、ぶつけられた悪意に戸惑い、蒼白になる。
「自分のしたことがどういうことかわかってる? 自分の娘を、殺そうとしたんだよ? あんな女と一緒になって、保険金目当てで……私、全部、聞こえてたんだから」
「……ッ!」
打ちのめされたように、よろめく。
両手で頭を抱えて、後じさる。
「いまさら反省したような顔をしてみせたって、そんなので私が騙されるなんて思わないで。私は許さない。あなたのしたことを、許さない!」
ずきん、ずきん。
吐き捨てるように言い募り……、視線をそらす。
顔も見たくない、と言うように。
「れ、礼……」
助けを求めるような声音。
「呼ばないでって、言ってるでしょ」
私はそちらを振り向きもせずに遮ってそう言った。
「私、あの家に戻りたくない。あなたと同じ空気を吸っているだけでも苦痛だから。ずっと圭一くんの家にいる」
言葉のナイフで、切り刻んでいく。
加減するだけの余裕なんて、私にあるわけがなかった。
「わ、私は……」
声が震えていた。
それ以上言葉が出てこないのだろう、立ち尽くすばかり。
病室に沈黙が降りる。
ずきん。ずきん。ずきん。
頭が痛む。
痛みのあまり、目の前のシーツが滲んで見える。
はやく終わりにしてしまおう。
重いため息を静かに吐き出して、私は顔を上げた。
「もう……、来ないで」
その言葉は鋭い矢となってお父さんを貫いた。
「見舞いなんていらないし、できれば私の目に入る場所にいないでほしい。ここから……雛見沢からも出ていって」
なにも、返す言葉はないようだった。
私は病室のドアを指さして、最後の一言を放つ。
「……はやく、消えて」
お父さんはすっかり憔悴した顔で、のろのろとその言葉に従ってドアに向かい……がくりと肩を落とす。
「すまない……」
かすれた声でそれだけ呟くとドアを開け放って飛び出していこうとして……不意にその場で足を止める。
ここからでは、表情は見えない。
ただ……しばしの沈黙があったあと、廊下を足早に去っていく足音が聞こえていた。
ずきん。ずきん。ずきん、ずきん。
……痛かった。
頭じゃなく、胸が痛む。
本当はわかっている。
お父さんは、心の弱い人だけど……それでも、最後の最後であの女よりも私を選んでくれたのだと、三四さんの話を聞いてわかっていた。
それがお父さんの精一杯なんだってわかってる。
あそこまで言わなければよかった、そう後悔しているのは私のほうだった。
これで、お父さんとの仲直りはきっと途方もなく長い時間を必要とすることになるだろう。
でも……これでいいんだ。
私たちはこれから、お父さんには想像さえつかないような危険の中に飛び込んでいくことになる。
そのとき、私にとって大切な家族であるお父さんが雛見沢にいたら……きっと、存分に戦えない。
心配をかけるのも、私が心配するのも嫌だった。
だから切り捨てた。
ああ言えば、お父さんはきっと抜け殻のようになって……しばらくは雛見沢に近づけさえしないだろう。
ずきずきと自分でえぐった傷口が痛むけれど……。
それでも私はお父さんを、守れたんだ。
「……レナ」
開け放たれたままのドアから、声がかかる。
「あ……」
そこにいたのは、……圭一くんと、詩ぃちゃんだった。
圭一くんは拳を固め、目を細めて私を見ていた。
詩ぃちゃんは涙ぐんで、肩を小さく震わせていた。
嫌なところ、見られちゃったな……。
ずきん、と痛いけれど……でも、別の感情もこみ上げる。
また、会えた。
私の大切なひとたちに。
もう二度と会えないかも知れないと思った人たちに。
それが嬉しくて、ぎゅっとシーツを握りしめる。
「レナ……!」
圭一くんが、ベッドの傍らまで来て手を伸ばす。
撫でようとしたのか、私の頭に触れる直前で巻かれた包帯に弾かれたかのように指を止めた。
あまり頭に触れるのはよくない、とそう思ったのだろう。
かわりに残りの手も伸ばして、座ったままの私を引き寄せると……ふわり、と抱きしめてくれた。
「……つらい思いをさせて、ごめんな」
耳元で、絞り出すような言葉。
じんじんと、そこにこめられた熱が伝わる気がした。
圭一くんは……わかってくれている。
私の押し殺した悲鳴、自ら傷つけた傷の痛みを。
「圭一くん……」
私の居場所を残しておいてくれて、ありがとう。
ほら、あなたの腕の中にいる。
それだけで、私は……こんなにも幸せになれるから。
泣かないよ。
傷ついても、壊れそうでも、立ち上がれるなら大丈夫。
みんなのために……私は、戦える。
「ありがと、圭一くん」
ここにいてくれて、私を助けにきてくれて。
「……ありがとう」
泣いている暇なんて、もうどこにもない。
乗り越えよう……この痛みを。
すこし、圭一くんから身体を離して……キスを求めようと目を閉じかけて、気づく。
圭一くんの肩越しに、詩ぃちゃんが見えた。
「……あ、いや、えっと」
ふらふらと視線をさまよわせて、どうしたものかと戸惑う仕草を見せる詩ぃちゃんの様子に、すこし頬が緩む。
ごめんね、詩ぃちゃん。
すこし惜しいと思いながらも、圭一くんの胸にそっと手を添えてその身体を押しやりながら微笑んだ。
「えへ……心配、かけちゃったね」
小さく舌を出してみせたら、詩ぃちゃんはわずかに安堵の表情を浮かべて肩をすくめた。
「まぁーったくだよ。こんだけみんなを心配させといて、目の前でいちゃつかれちゃたまんないってーの!」
……そっか。
詩ぃちゃんの口調がいつもの『魅ぃちゃん』を演じているときのそれであることに気づいて頷く。
ここは敵地。
どこで聞かれているかもわからないから、気をつけないとダメってことだね。
「魅ぃちゃ~ん、せっかく感動の再会シーンなんだから、今日くらい見て見ぬふりをしてほしいな。ほしいな!」
おどけてむくれてみせたら、こっちの了解が伝わったのか詩ぃちゃんは笑いながら圭一くんとは反対側に回り込んで私の身体をきゅっと抱きしめた。
「じゃあ私も、感動の再会♪」
「……あは、そうだね☆」
その柔らかな抱擁に、幸せな気持ちが加速する。
大好きな圭一くんと親友の詩ぃちゃんがいてくれて本当によかったと、心からそう思う。
私の幸せな日々はまだここにあると、信じられる。
「レナ、まだあんまり動いちゃいけないんでしょ。ほら、寝てな寝てな。ホントにみんな心配してたんだからね」
詩ぃちゃんはそう言って笑いながら私の身体をもとどおりベッドに横たえてくれた。
忘れていた頭の痛みが続いていることに気がついて頷く。
「そ、そうだぜ。今日は俺たち二人だけだけど、みんなも何度も見舞いにきてたんだからな」
丸椅子に腰を下ろした圭一くんが、私が生きている温度を確かめるみたいに私の手を自分の両手で包み込む。
「うん……レナ、幸せかも」
「そうだよ~。でもほんと、目が覚めてほっとしたよ」
詩ぃちゃんがお布団をかけ直してくれた。
「今日も起きてなかったら、やむなく圭ちゃんに王子様をしてもらおうかと思ってたんだよ~?」
「王子様ぁ?」
「そりゃ~アレだよ、眠り姫の特効薬ってやつ?」
くっくっく、と含み笑いをする詩ぃちゃんに、圭一くんはようやく合点がいったという顔をした。
「そんなの効果なかったぜ」
「試したんかい!」
びし、とツッコミを入れる詩ぃちゃん。
……圭一くんの場合、本気で試していそうだから困る。
さっきは雰囲気に流されそうになっちゃったけど、考えてみたら歯磨きとかしてないし、寝てる間にキスされるのはちょっとイヤかもしれない……。
「そんなこといつの間にしたのさ、油断も隙もないね~」
「うん、一昨日着替えさせたときにな☆」
聞き捨てならない圭一くんの言葉に、思わず目を丸くしてしまう私だった。
「どどど、どーゆーことかなっ?」
「いや落ち着け。羽入にパジャマの替えを託されたから、こう、布団の下でな?」
「……はぅ!?」
さらりとおなかに違和感。
圭一くんの片手がいつの間にかお布団の下に突っ込まれていて、私のおなかの素肌を撫でていた。
いつの間にパジャマのボタンを外したのか、本気でお聞きしてみたくなる。
「見てないから安心しろ、レナ!」
そう言って布団から出した手でサムズアップしたときにはパジャマのボタンはもう一番上まではまっていた。
「圭一くんて、ときどき謎の特技を使うよね……」
泣きそうになりながらぼやくと、詩ぃちゃんも頭痛をこらえるような仕草をして深々と頷いた。
「うん、同感……」
どうやら彼女も何かしら心当たりがあるらしい。
圭一くんはよくわからんという表情で首をかしげている。
「レナ、いつも恥ずかしいから目つぶってって言うだろ。だから見ないようにしてるのに、なんなんだよ……?」
不審に思うポイントが、見事にズレていた。
はあ……、元気だったら有無を言わせずレナぱんでノックアウトしているところなんだけど。
「……困った人がいるよぅ」
「……強く生きようね、レナ」
詩ぃちゃんと二人、手を取り合って泣くしかなかった。
でも……。
認めたくはないけど、圭一くんの変態っぷりのおかげで、すこしだけいつもの私たちを取り戻せた気がする。
それからしばらく二人と話した。
私が一週間ほど休んでいる間、学校で特に変わったことはないらしい。部活も私が復帰するまではお休みにしてくれているそうで、すこし物足りないという様子だ。
「ま、しっかり治して元気になりなよ、レナ」
「そうだぜ。レナの復活、楽しみにしてるからな」
面会時間の終わりを三四さんが告げにきたのを合図にして二人が席を立った。すこし寂しいな、と思う。
「あはは、そんな顔しな~い。明日も来るからさ!」
詩ぃちゃんはそう言って、入り口で待っている三四さんのほうに向かった。
「レナのこと、お願いしますね」
「ええ、任せて。明日はみんなでいらっしゃいな」
そんな会話を聞くともなしに、圭一くんはそっと私の上にかがみこんだ。
「レナ……、また来るからな」
優しい声で囁く。
「……ぇ?」
そっ、と私のおでこに唇で触れる。
そして、愛おしそうな笑みを浮かべながら体を起こした。
「は、ぅ……」
顔が赤くなるのを感じて、布団を鼻の上まで引き上げた。
詩ぃちゃんや三四さんは気づかなかったみたいだけど……大胆すぎるよ、もう……。
……あれ?
「じゃーね!」
「おやすみ、レナ」
「……うん。また明日ね」
二人が手を振って病室を出ていくと、ひとり残される。
ばいばい、二人とも。
明日お見舞いにきてくれるまでは……、ひとり。
お父さんはもう来ないだろう。
親子だから、お父さんの行動パターンはだいたいわかる。
たぶん二、三日はなにも考えられずに呆然と過ごして……結局悩みながら、しばらく雛見沢を離れるはずだ。
家族を傷つけたことは悲しいけど、時間さえあればいつかは元通りになれると信じるしかない。
ずきん。ずきん。
三四さんや監督は様子を見に来てくれるだろうけど……、彼らをどこまで信用していいかはわからない。
もしかしたら、私のいるこの診療所の地下に魅ぃちゃんが捕らえられているかもしれない。
……いまは、それを確かめることもできない。
まずは身体を治さないと。
ずきん。
とにかく、ひとつ確認すべきことがある。
私はのろのろと手を動かして、枕の下を探った。
さっき詩ぃちゃんが私を寝かせてくれたとき……枕の下に小さくて白い、たぶんメモ用紙みたいなものを突っ込んだらしい気配があった。
おそらく私が頼んであった件の報告だろう。
盗聴されているかもしれないここでは、そんな方法でしか遣り取りできないので、ある程度予想はついていた。
「……やっぱり」
でも、枕の下にはなにもない。
ちらっとだけど、ベッドを離れていく圭一くんの手の中に白いものが見えたような気がする。
さっきおでこにキスしてくれたときに、さりげなくメモを抜き取っていったんだと思う。
……どうして?
ただの好奇心か、なにか理由があったのか……。
圭一くんの意図がつかめない。
考えてもわからないので、そのまま目を閉じる。
地下にいるかもしれない魅ぃちゃんの息遣いが、あるいは悲鳴が……聞こえないかと、耳を澄ます。
悪夢なんて、ちっとも怖くない。
怖いのは……悪夢みたいな、この現実だった。