ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第107話 ジャンボでお願いします

圭一と梨花を適当にからかって、僕は本家に向かった。

 

あの二人は結構怖がりだったりするので面白い。

 

「……ただいま」

 

めったに使わない鍵で本家の玄関を開ける。

 

なんのことはない。

 

定期的にしておかなければいけないのは、本家の窓を開けて部屋に風を通したり、畳の上を軽く掃いておくことだ。

 

人が住んでいない家というのは空気が澱みやすい。

 

さすがに歴史のある家だからそれなりに広いので、お掃除も一人では大変だった。

 

本当は梨花を連れてくればいいのだけど……あの子は目を離すと手を抜くので、二度手間になることも多い。

 

「……あぅ」

 

本棚の埃を拭いていたら、ちょっと懐かしいものを見つけてしまう。

 

アルバム……父様と母様、僕に梨花。この古手家で家族四人で暮らしていた頃の。

 

こういうのをお掃除の合間に見つけるのはまずいとわかっているのだけれど、ちょっとだけと自分に言い訳をしながら開いてしまう。

 

「ふふ……、梨花は相変わらずですね」

 

写真の中の小さな梨花は八割がた仏頂面をしている。

 

いつも自分の置かれた環境にどこか戸惑っているような、不思議な空気を漂わせていた。

 

我が妹ながら、ちっちゃな頃からそれはそれは生意気で、姉を姉とも思わず『羽入、なんであんたが姉なのよ』などとわけのわからない言いがかりをつけてくる子だった。

 

たまに蹴りも入った。

 

そのたびに僕はあぅあぅ言わされていたのだけど、梨花を嫌いになったことは一度もない。

 

他人の前では『にぱ~☆』とか愛想を振りまいてみたり、皮肉のつもりなのか僕の口調を真似てみせたりする梨花ではあるが、実は頼りなくて甘えんぼうな可愛い子だ。

 

オヤシロさまの生まれ変わりと称されるこの僕を差し置いて不思議な予言を披露したり母様や大人たちを出し抜いてみせながらも、たまに不安そうな様子をみせる。

 

そういうときに抱きしめてあげると、口ではなんだかんだ言いながらもほっとしたように身を寄せてくる、素直じゃないけどとても可愛らしい妹。

 

二年前、両親が死んだときは……まるでそれすらも知っていたかのように、無表情に無感情に振舞ってみせたけど、いつもその手を握っていた僕は知っている。

 

あの子は悲しんでいないわけではない、どうにもできずに両親を救えなかった自分を責めていたのだと。

 

梨花は梨花自身が思うより……とても優しい子だった。

 

「父様、母様……梨花はとても元気になりましたのです。優しくて、強い子に育ってくれたのです」

 

写真の中で穏やかな笑顔を見せる両親。

 

二人は本当の意味でまわりと打ち解けようとしない梨花のことを心配していた。

 

その梨花がずいぶんと子供らしい素の笑顔を見せてくれるようになって、我が儘ばかり言うようになったのは圭一がいることと無関係ではないだろう。

 

以前の、変に悟りきったような態度をとる梨花と比べればそれは好ましい変化だった。

 

「あの子の笑顔を、どうか……守ってあげてください」

 

入江に告げられた研究終了の期限。

 

それまでに村の皆は、梨花や沙都子、圭一やレナたちは、症候群という病魔から本当に救われるのか。

 

そして去年は片手落ちに終わりながらも僕たちを一敗地にまみれさせた“崇り”と呼ばれる怪事件。

 

その本来ならば結びつかないはずの二つの糸が複雑に絡み合って、僕の胸中にどうしようもなく不吉な予感を沸きあがらせていく。

 

でも……それはきっと、絶望を意味しない。

 

何故なら、僕たちには圭一がいる。

 

そして、彼を中心としてこの一年という時間をかけて強く強く編み上げてきた絆がある。

 

その絆が奏で出すのは希望の歌だと僕は信じている。

 

神ならぬこの身には、永遠など要らない。

 

僕たちは絶望と希望の狭間で傷つき、打ちのめされるかもしれない。大切な何かを失うかもしれない。

 

たとえその先に待つのが過酷な日々であっても……僕たちが戦ったという事実は決して消せない。

 

それこそが何よりも尊い、不滅の真実になる。

 

……それでも、願うなら。

 

梨花には、その先の幸せな日々を送ってほしい。

 

「……あぅ。時間をかけてしまいました」

 

ぱたんとアルバムを閉じて、表面の埃を布で拭き取る。

 

これを前原家に持ち帰るのはすこし躊躇う。

 

幼少の頃を圭一に見られるのは、僕も梨花も恥ずかしい。

 

いずれ……もっと大人になってから、にしよう。

 

「その日が来るって……信じてるのです」

 

その幸福な時間を思い描きながら、元通り棚に戻した。

 

ちらりと時計を見ると、

 

「もうこんな時間ですか……」

 

ほんとは防災倉庫も片付けておきたかったけど、そろそろ遅い時間になりそうだ。

 

今日のところは切り上げよう。

 

お掃除道具を片付け本家の鍵をかけると、すっかり薄暗くなった小道をゆっくりと降りる。

 

「ピッチャーびびってる、へいへいへいっ♪」

 

歌いながら今日は圭一とどのへんを歩こうかな、と考えていたら古手神社の石段の前に人影が見えた。

 

「……あぅ?」

 

うずくまって膝を抱えた、小さな小さな影。

 

すこし近寄ってみると、それは女の子だった。

 

年の頃は五歳か六歳というところか、ちょっとおしゃれな外出着を身につけた少女。

 

髪は片側で束ねて、ぴょこんと元気よく飛び出している。

 

でも今は不安そうに泣き腫らした目であたりを見回して、時折ひっくひっくとしゃくりあげる。

 

奇妙なのは、彼女の顔に全く見覚えがないことだった。

 

僕は雛見沢からほとんど離れないぶん、この村の住民なら一人残らず知り尽くしている自信がある。

 

とすれば、興宮の子だろうか……?

 

でもこの時間にこの年頃の子がひとりで雛見沢にいるのはさすがに考えにくい。

 

……とりあえず、迷子なのは間違いがなさそうだ。

 

「こんばんは。どうしたのですか?」

 

怖がらせないようにゆっくりと歩み寄り、彼女の前でしゃがみこむ。

 

「……だれ?」

 

よく躾けられているのだろう、上目遣いの顔にはわずかな警戒の色が含まれていた。

 

「僕は羽入といいますのです。この階段をのぼったところにある神社の子なのですよ」

 

「は、にゅ……はぬ~?」

 

あぅ……小さな子には発音しにくい名前だろうか?

 

「羽入、なのです。よろしくです」

 

笑顔で辛抱強く彼女の判断が終わるのを待つ。

 

その目がすこし希望で縁取られる。

 

「あのね……ママ、いないの」

 

ぽつりと消え入りそうな声で彼女が言った。

 

この雛見沢で迷子とは珍しい。

 

休日を利用してドライブにでもやって来た親子連れというところだろうか?

 

まったく自慢ではないけど雛見沢にはバスも電車も通っていない上に、村の中には舗装された道路もない。

 

民宿などの観光客向けの設備もろくに整っていないから、観光客が来ることそのものが珍しい。

 

一応観光案内所があることはあるが、ダム戦争のときに泥縄で作ったものだからそれほど宣伝をしているわけでもなく、実質的には開店休業状態だ。

 

「母様とはぐれてしまったのですか……」

 

「ははさまじゃないもん。ママだもん」

 

ぐっと小さな両拳を握って反論する。

 

その勝気さがどこか小さな頃の梨花を思い出させて、軽く頬が緩む。

 

「では、ママを探さないといけませんね。僕が神社の神様にかわってお手伝いするのです……ええと、お名前は?」

 

「みゆき」

 

おずおずと答える。

 

「可愛い名前なのです。きっとウィキペディア級の物知りさんになれるのですよ」

 

「……よくわかんない」

 

そこはわからなくて問題ない。

 

「お年はいくつなのですか?」

 

「いつつ」

 

ぱっと手を広げてみせる。

 

「五つですか。みゆきは賢いのです」

 

三つくらいだと大変だけど、五つならいろいろと手がかりがもらえそうだ。

 

「えへへ……」

 

褒められて嬉しそうに微笑むみゆきに、

 

「みゆき、お母さんの名前は言えますか?」

 

「おかーさん?……えっと、ゆきえ!」

 

なるほど、母親はゆきえ、と……。

 

やっぱり聞いたことのない名前だ。

 

「みゆきのおうちは、どっちかわかりますか?」

 

「あっち!」

 

びっ、と元気よくあさっての方向を指差す。

 

……これは質問が悪かったかもしれない。あぅ。

 

「今日はどうやってここにきましたか?」

 

「おくるま! ママといっしょ!」

 

さっきまでは泣いていたのに、話しているうちにどんどん元気な様子になっていく。

 

もともと活発な子なんだろう。

 

「あ、でも……さいしょは、でんしゃ」

 

すこし自信なさげな様子で言う。

 

「電車? それはずいぶんと遠くから来たのですね」

 

「うん!」

 

電車に乗って来たということは、少なくとも興宮の子ではないということがわかる。

 

それに電車から車に乗り換えたのだから、興宮から雛見沢まではタクシーか、あるいはレンタカーということか。

 

「あのね、はやいの! しんかんせん! ごおーって!」

 

興奮した様子で、どんなに速いかを伝えようと身振り手振りをするのだけど……。

 

「新幹線ですか!? あぅ、凄いのです……僕は新幹線に乗ったことないのですよ」

 

「みゆきはね、2かいめだよっ!」

 

ふっふーんと威張って胸を張る姿が可愛い。

 

「あぅう……僕の、負けなのです……」

 

女王感染者として研究対象になってからはもちろん、それ以前でさえも僕の最大おでかけ範囲は穀倉だった。

 

東京に二度も行っている梨花が羨ましくてしょうがない。

 

「びくとりぃっ♪」

 

拳を突き上げて勝利の雄叫びをあげるみゆきにも、当然ながら完敗だった。

 

が……新幹線となると、興宮の子ではないとかそんなレベルの話ではなくなってしまった。

 

新幹線なら名古屋で在来線に乗り換えているだろうから、相当遠くから来ていることは確実だ。

 

「あぅ、みゆき。ママがどこかに行ったのはお昼ですか? 暗くなってからですか?」

 

「ママ、どこにも行かないよ?」

 

ちょっと聞いた内容が複雑すぎたのだろうか、首を傾げて不思議そうな顔をする。

 

「えっと……ママがいなくて困ってるんですよね?」

 

「うん。ママ、どこにいるかわかんないの」

 

「なら、ママはどこかに行っているのですよね?」

 

「ううん。ママ、おうちにいるよ?」

 

「あぅあぅあぅ……」

 

こ、困った……。さっぱりわからない。

 

言葉が通じない人たちとのコミュニケーションは慣れっこだと思っていたが、これは思った以上に難しい。

 

まああの人たちは通じないというよりも、通じているのにこちらの言い分を無視してくれるだけなので、あまり参考にならないのかもしれない。

 

「はぬ~……?」

 

僕が困っているのが伝わったのか、すこし不安そうな顔で見上げながら僕のスカートをぎゅっと引っ張る。

 

「あぅ、だ、大丈夫ですよ。僕におまかせなのです!」

 

根拠なく請け合って、みゆきの手を握った。

 

ちょっと賭けにはなるが、みゆきの口ぶりからするとここで待っているように言われたわけではなさそうだ。

 

となれば、ゆきえのほうもみゆきを探しているに違いないから、ここにいるよりも人の多い場所へ連れて行くのが得策だと思う。

 

「商店街で、みゆきのママを見た人がいないか村のみんなに聞いてみるのです!」

 

「おー、じみちなききこみだね!」

 

地道な聞き込みって……5歳にして、どこでそんな言葉を覚えたのだろう。やはり、テレビドラマの影響だろうか。

 

「それなのです、地道な聞き込みです!」

 

「なのですー!」

 

みゆきちゃんは、本当に元気な女の子だった。

 

 

 

 

「あんれ羽入様。圭一さんとのお子さんかね?」

 

やれめでたし、とか言い出されるのはもう何回目だろう。

 

「あぅ、違うのです。この子はみゆきと言いまして、母親はゆきえといって別にいるのですよ」

 

「ほうほう……さすがは羽入様やんね、圭一さんがほかの女に産ませた子の面倒までみなさるとはぁ!」

 

だからこの子が圭一の子だという仮定がまず無茶だと思うのだけど……それだと、圭一が8つのときの子ということになってしまう……ないない、それはないです。

 

「この子はどうも迷子のようなのです。迷子を探している観光客の女性とか、見かけなかったですか?」

 

ようやく本題に辿り着いてそう尋ねたのだが、

 

「いやあ、知らんねぇ……観光のお客さんが来なすったら村の衆が噂しとるんじゃないかねぇ」

 

それはそうだ。

 

めったに観光客が来ないからこそ、村の中で見かけない人が歩いていたらそこそこに噂されるし、買い物客を通じて商店街に伝わっていてもおかしくない。

 

雛見沢での噂の伝播速度は僕もよく知っていた。

 

「それなら、タクシーかレンタカーを見かけたという人はいませんのですか?」

 

「ああ! それやったら、昼前に牧野んとこのせがれが来とったんね。すぐ街に戻っていったちゅう話だけんど」

 

牧野という家はいくつかあるが、分家のひとつの長男が興宮の園崎タクシーに就職していたはずだ。

 

なるほど、雛見沢にはタクシーで来たということか。

 

レンタカーよりは見つけやすいからこれは有り難い。

 

「ちょっと電話をお借りしますのです」

 

「はあ、どんぞどんぞ」

 

受話器を手にして、足元のみゆきに声をかける。

 

「みゆき、すこし待っていてほしいのです」

 

「くるしゅーない、よきにはからえー」

 

……なんてノリのいい幼子。

 

園崎タクシーに電話をかけて用件を伝え、無線で牧野と連絡をとってもらう。その結果、

 

『牧野は確かに、昼前にそれらしき親子を古手神社前まで乗せたと申しております。お子様だけ降りたということはないそうです』

 

「あぅ、わかりましたのです。それで、母親の特徴は」

 

『えぇえぇ、それも聞きました。帽子をかぶってましたが長い三つ編みの、それはお綺麗な若奥様だったと』

 

服装についても牧野が覚えていた範囲で聞き出し、お礼を告げて電話を切る。

 

みゆきの話ではいまひとつ要領を得なかったけど、これでどうやら情報は揃ってきた。

 

母様の容姿、そして昼前に興宮駅前から古手神社までタクシーでみゆきと一緒に移動した、と。

 

問題はどうしてみゆきだけを置いて古手神社から移動したのか……ということ。

 

これは新しい情報をもとにもう一度、みゆきに詳しい話を聞くべきかもしれない。

 

商店街が店じまいを始める中、僕はみゆきを廃線のバス待合所のベンチに案内した。

 

「みゆき、もう一度教えて欲しいのです。お昼にお車で神社に着いたあと、ママはどうしたのですか?」

 

「えっとね、えっと……おててをつないでね、かいだんをうんしょうんしょってのぼったの。ママ、ここはかみさまのおにわなんだよっていってた!」

 

おや……?

 

だとすると、一度は神社を見物しているということか。

 

「それから、てんぼーだいっていうとこにいったの!」

 

「展望台ですか……それは良い景色だったでしょうね」

 

「うん! すっごくきれいだった!」

 

目をきらきらさせながら元気いっぱいに頷く。

 

「みろ、ひとがごみのよーだ!ってわらったの!」

 

……みゆき、やっぱりテレビっ子なのですね。

 

「人をゴミというのはあまり感心しませんけど、それはいいです。そのあとは、どこへ行きましたか?」

 

「えっと、かいだんをまた、うんしょうんしょっておりておうちにいったよ!」

 

「……おうち?」

 

どういう意味だろう。

 

おうち……なにかの建物ということだろうか。

 

神社の近くに、観光客が入れるような公共の建物があっただろうか……?

 

「うん。おうち! それでね、ママはちょっとすることがあるから、おうちのなかであそんでてねって。おうちからでちゃダメだよって」

 

「……あぅ?」

 

言っている意味がまたわからなくなった。

 

「あの、みゆき」

 

「なぁに、はぬ~?」

 

「ママに『おうち』から出ないように言われていたのに、何故みゆきは神社の前にいたのですか?」

 

とりあえず明らかにおかしいと思う点を指摘したらみゆきは『ヤベ、余計な事言っちまったよ』とでも言いたげな顔をしてから、そっぽを向いて口笛を吹き始める。

 

……吹けてないけど。全然吹けてないけど。

 

「ママの言いつけを守らずにその『おうち』から出かけて帰り道がわからなくなった……ということなのですか?」

 

すこしジト目になりつつ確認したら、みゆきはびっと三本指を立ててこう言った。

 

「みゆき、しゃんしゃい。なんにもわかんない!」

 

「サバ読むな幼女、なのです!」

 

自分の不手際を適当に誤魔化そうとするあたり、幼い日の我が妹にそっくりだった。

 

ともかく、そういうことならみゆきのママは、『おうち』から動いていないことになるだろう。

 

いや、さすがにこの時間だからいないことに気づき、心配して探し回ってるということもありえるけど……。

 

いつみゆきが戻ってくるかわからないから、逆にその場から動けずに困っていることもあり得る。

 

「……ふぅ。園崎の力を借りることにしますか」

 

家に帰って魅音に電話すればみゆきのママがいるであろう『おうち』とやらを割り出すのも簡単だろう。

 

最初からそうすればよかった……。

 

自分の未熟を痛感しつつもみゆきの手を引いて前原屋敷に帰る途中で、みゆきが急に声をあげた。

 

「あっ! おうち!」

 

「……あぅ?」

 

目をいっぱいに見開いて指さすほうを見てみれば、別荘地の入り口に立つ真新しい民家。

 

なんだろう、とても嫌な予感がする。

 

「あの、みゆき……お名前、全部言えますか?」

 

「あかさかみゆき!」

 

……そ、それを最初から言って欲しかった。

 

なるほど、赤坂の家には灯かりがついている。

 

中に人がいるということだ。

 

すこし前に内装関係の業者が来ていたのは知ってるけど、もう完成していたんだろうか。

 

「はぬ~、はぬ~! だっこ~!」

 

駆け足で玄関までいったと思ったら、背伸びしながら呼び鈴に指を伸ばし、それでも届かずに僕を呼んでくる。

 

梨花もそうだけど元気過ぎるのも考えものかもしれない。

 

さぞかし赤坂やみゆきのママも苦労しているのだろうな、と思いながらその身を抱え上げ呼び鈴を押させてあげる。

 

「わーいわーい☆ ぴんぽーん♪」

 

「あぅう……」

 

5歳児とはいえ、非力な僕にはちょっと重かった。

 

でもそれを口にするほどに空気読めない僕ではない。

 

呼び鈴が都会的な電子音を立てると、玄関の扉の向こうからすぐにばたばたと廊下を駆ける足音が響いてきた。

 

よほどみゆきの身を案じていたのだろう。

 

母親というのはいつの世もそうでなければ……としみじみ思っている僕の眼前で扉が勢いよく開き、三つ編みの女性が顔を出す。

 

「みゆきちゃんっ!?」

 

心配のあまり泣きそうな顔をしたその女性は、扉の勢いに目を丸くして硬直しているみゆきに飛びついて抱きすくめると安堵の声を漏らした。

 

「よかった……よかったよぅ……いきなりいなくなってるから、どうしちゃったのかと思ったよ……!」

 

ほとんど泣き声になっているものだから、みゆきのほうもくしゃっと顔を歪める。

 

「ママ……、ごめんなさい。ごめんなさぁい!」

 

「いいよいいよ、私の不注意だから! でも、勝手に出ていくのはもうやめてね? すっごく心配したんだから!」

 

ひとしきりそうして再会を喜び合ってから、彼女はようやくみゆきの後ろにいる僕に気がついて顔を上げる。

 

「あ、送ってくれてありがとうござ……うぁ!?」

 

「……あぅ。うぁ、じゃないのです」

 

じっとりとした視線を向けてしまうのも止むを得まい。

 

「赤坂の新居で何をしているのですか、魅音?」

 

そう、髪型こそはまるで見慣れない三つ編みだったけど、その顔を見間違えるはずもない。

 

「は、羽入……あ、あははははは!」

 

「笑ってごまかせることとそうでないことがあるのです。いったいどうして……いえ、いつの間に!」

 

みゆきの肩に手を置いて、厳しい顔で魅音を見る。

 

「圭一との子をこしらえていたのですかッ!?」

 

数年ばかり先を越されてしまって涙目な僕の糾弾に、魅音は一瞬ぽかんとした顔をみせる。それから、

 

「な、ななな、なんでおじさんが圭ちゃんと!?」

 

と慌てた様子で叫んだ。

 

「なんでって……ほかに相手がいるのですか? この子がママと呼んでいる以上、どう考えても……あぅ?」

 

はて、みゆきの歳がどう考えても計算が合わない。

 

それに確か、みゆきは母親の名をゆきえだと言っていたはずだけど……?

 

「みゆき、ママはゆきえではないのですか?」

 

「ちがうよ、ママはママだよ。おかーさんがゆきえだよ」

 

「あぅあぅ? ママとおかーさんが別にいるのですか?」

 

な、なにやら混乱してきた。

 

みゆき、あなたの言ってることがわかりません。

 

「おかーさんはおそらにいるからあえないけど、いつでもみゆきをみまもってくれてるんだよってパパがいってた。ママはおねーちゃんだけどパパとけっこんするからママ」

 

「みみみ、みゆきちゃんっ!」

 

なにやら幼女の口を押さえる魅音だったが、タイミングが遅すぎる上に絵面が怪しいのでやめておいたほうがいいとオヤシロさまのワンポイントアドバイス。

 

でも、みゆきはわりとめげないタフな幼女だったらしく、口を押さえられてもけろっとしている。

 

「もがもが。ママ、ひとじちごっこ?」

 

「うへへ、こいつの命が惜しければ三億円と逃走用の車を用意しろ……ってそうじゃなーいっ!?」

 

「魅音、子供に変な遊びを教えるのは感心しないのです」

 

それはいいとして………………ええとつまり?

 

みゆきの『おかーさん』、ゆきえは亡くなっていて苗字とこの家から推測するにパパというのは赤坂で、その赤坂と再婚する予定なので魅音がママ?

 

なるほど、それならわかりやすい……ってあぅう!?

 

「み、みみみ、魅音! 圭一がはっきりしないからって、いきなり大人の男と所帯をもつとは斜め上過ぎですッ!」

 

どうしてこう僕のまわりには、いろいろと順序を踏まずにあさっての方向へ全力疾走する人ばかりなのかと本気で悩む。

 

「だ、だから、圭ちゃんは関係なくってね……」

 

困り果てた顔で言い訳をひねり出そうとする魅音がつけているエプロンを、くいくいとみゆきちゃんが引っ張る。

 

「ママ、おなかすいたー」

 

なんですかこの将来が楽しみなマイペース大王は。

 

「あ、うん……。とにかく羽入、今度あらためて説明するから、今日のことは忘れて!」

 

「忘れろと言われましても……衝撃的過ぎるのです」

 

困惑するのはこっちも同じだ。

 

さらに魅音を問いただそうとしたものの、魅音は僕の肩をぐっと掴んで目を見ながら呟く。

 

「今夜、おじさんと羽入は出会わなかった……今夜、おじさんと羽入は出会わなかった……今夜、おじさんと羽入は出会わなかった……」

 

何故か鷹野を思い出させる謎の洗脳ワードを唱える魅音。

 

「あぅあぅあぅ……魅音を、犯人なのです……」

 

「や、それはなんか違うから」

 

魅音はこほんと咳払いをしつつみゆきの手を引いて玄関の中に入りこむと、

 

「このドアが閉まったら、今日みゆきちゃんや私に会ったことは全部忘れる。いいね、羽入?」

 

そういえば、なんでもできる魅音は催眠術もできるんだと自慢していたようないないような。

 

「あぅあぅ……今度シュークリームをジャンボで4つほどおごってくれるならそれでいいのです……」

 

「うわせこっ! わかったよ、それでいいよっ!」

 

哀しげに投げやりなことを言いながら魅音が扉を閉める。

 

「はぬ~、ばいば~い☆」

 

みゆきが笑顔で手を振るのを最後に、ばたんと音を立てて赤坂家の玄関が閉ざされる。

 

取り残された僕は呆然と立ち尽くす他なかった。

 

なんだったんだろう、いったい。

 

釈然としないまま我が家への道を歩き出しつつ、腕組みをする僕だった。

 

「あぅ……なんだかよくわかりませんが、どうせならデザートフェスタのチケットを用意させたほうがよかったかもしれないです」

 

とりあえずジャンボシューに免じて、梨花たちに話すのはまた今度ということにしておこう。

 

でも、やっぱりわけがわからない。

 

「圭一のことはもういいのでしょうか……?」

 

恋敵が一人脱落したのなら、それはそれで喜んでいいことのはずなのだけれど……。

 

どうも、なにか行き違いがあるような気がしてならない。

 

 

「……まぁ、今度本人に聞いてみますのです☆」

 

 

洗脳? 催眠? なんのことです?




<雑談>

おかえり魅ぃちゃん。
あと美雪のキャラについては絆とかは知りませんが、
魅音の悪影響があるので気にしない方向でひとつ。
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