ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第118話 対象K

17時11分、目標Kを再捕捉。

 

 

発見者は雲雀13。

 

雲雀13は赤坂衛邸調査中、現地に仕掛けられていた侵入者捕獲用設置物により拘束され、一時的な行動不能状態に置かれる。

 

雲雀11、雲雀12はこれを救出しようとしたが、現場に下校中のRが接近したためやむなく潜伏。

 

R、雲雀13に声をかけられ一瞥するものの停止及び救出の意志はなく、拳による局部への攻撃を敢行。

 

雲雀13はこれを防御し、Rはそのまま通過、前原伊知郎邸へ帰宅。

 

なお、攻撃の際Rは「絆パンチ」と発声するが意味不明。

 

雲雀11、雲雀12は再度雲雀13の救出を試みるが、直後に赤坂衛邸より調査対象Aが外出。

 

5秒にわたる慎重な討議の結果、雲雀13の放置を決定。

 

 

「……5秒は、早過ぎないかしら」

 

「ま、いてもあんまり役に立たないやつですんで」

 

 

雲雀11及び雲雀12は調査対象Aの追跡を開始、本部を通じて支援を要請。

 

前原伊知郎邸よりRがスポーツバッグを手に外出、雲雀13の臀部に対して再度攻撃を行う。Rの凶暴性を確認するが、既知の事項なので詳述は避ける。

 

この際「サイコクラッシャー」と発声するがやはり意味不明。雲雀13への身体的ダメージは軽微に終わる。

 

Rはそのまま村道を西へ進行。

 

 

「この後、Rは診療所へ見舞いに訪れています」

 

「……まあ、梨花ちゃんらしい行動よね」

 

「はあ、いつものことですな」

 

 

赤坂衛邸より調査対象Aの長女と見られる少女が外出、雲雀13を発見。以下Mと呼称する。

 

Mは雲雀13を観察、雲雀13が退去を要請すると「闇の書の餌にしてやる」と発言、赤坂家収納庫へ移動。

 

 

「闇の書ってなんのことよ?」

 

「三佐のほうが専門のような気がしますん」

 

「無名祭祀書や金枝篇じゃあるまいし……知らないわ」

 

 

収納庫内部を捜索の後、幼児用ゲートボール器具を携行して雲雀13の前に再び現れる。行動の意味不明。

 

Mは「ラケーテン・ハンマー」と発声しながら回転しつつ凶器による攻撃を行おうとしたが、直前に前日より前原伊知郎邸に滞在中のSがその場に通りかかり、攻撃を阻止。

 

以前報告にあったとおりSは雲雀13と二度にわたり接触し交友関係にあるため、救出を意図した行動と思われる。

 

 

「交友関係っていうのは言い過ぎじゃない?」

 

「なら、あとで知人に訂正しておきますん」

 

「そうして。沙都子ちゃんも人が良すぎるのよね……」

 

 

雲雀13はSに現状の説明を要求され、話術による撹乱を試みるが失敗。やむなく、当該設置物に捕獲された経緯と、R及びMによる度重なる襲撃について説明。

 

再度収納庫に向かったMが現場に戻り、如雨露及びゴム製ボールにより雲雀13への攻撃を試みるが、これもSが未然に阻止、反撃してMを逃走に追い込む。

 

S、逃走しようとしたMを捕獲、雲雀13に襲撃を謝罪させようと説得するが、雲雀13が不法侵入の結果その状態となったことを指摘され、言葉に詰まる。

 

 

「……たぶん、沙都子ちゃんが仕掛けたのよねこれ」

 

「……根拠はありませんが、たぶん」

 

 

Sが雲雀13の拘束を解除、落下時に雲雀13は頸椎部に衝撃を受け一瞬意識が飛びかけたもののすぐに回復、何故かMにより変質者との誹りを受ける。理由は不明。

 

雲雀13、その場でS及びMと懇談。

 

会話の中で重要と思われた情報については以下のとおり。

 

 

1)Sの妄想的傾向があまりにも顕著であること。

 

2)Sの人柄及び将来性は嫁として一考の余地あり。

 

3)Mは精神的貴族に属する。「雛見王」を自称。

 

 

「なにが言いたいやらさっぱりですんね」

 

「あとでこいつ呼んで。誰が嫁にやるものですか」

 

 

Sが会話を切り上げ、前原伊知郎邸に向かおうとした直後、林の中より目標Kが飛び出し、拳による突撃を敢行するが雲雀13がこれを防御。

 

Sが目標を視認し、前原圭一と特定。

 

 

「よりにもよって沙都子ちゃんの前に現れるなんて……」

 

「残りの雲雀が前原邸の監視とA追跡中のタイミングです、女王感染者が襲われなかっただけマシですんね」

 

 

Kは一見して全身に打撲傷、擦過傷の痕跡が認められたが、雛見沢症候群の発症によるものかどうかは断定できず。

 

極度の興奮状態及び錯乱状態にあることは疑いの余地がなく、絶叫とともに再度攻撃を強行。

 

攻撃方法は助走から空中で回転をくわえての拳による打撃。

 

かねてよりダム現場での戦闘訓練を望遠監視していた班の報告どおり。

 

 

「空中で回転って意味あるの? 無理のある動きでしょ」

 

「無理っちゅうか、無駄ですな。監視班からは『衝撃のファーストブリット』と呼称したいと申請が出てますん」

 

「そのまんまじゃない。もうすこしひねるように伝えて」

 

「同感です」

 

 

第一撃、ついで着地直後の逆腕による第二撃を雲雀13はいずれもブロック。

 

Sが制止の声を上げるが、雲雀13は退避を命じて反撃。

 

飛び回し蹴りでKを攻撃し、地面を這わせる。

 

 

「ちょっと……、こんな大技、大丈夫なの?」

 

「この新米、半端に拳法だかをかじってるそうでして……つい、足が出たんでしょうな」

 

「『つい』で作戦を潰されちゃたまらないわよ。郭公の小言を貴方が受け付けてくれるならいいけど」

 

「うへっ、そいつぁご勘弁を」

 

 

S及びMが前原伊知郎邸に逃走。

 

雲雀13はそのままKの一時拘束を試みるも、Kは林に向かって転進、廃材を利用して作成したと思われる即席の投げ槍を投擲して攻撃、雲雀13が回避した隙を突いて北西へ逃走した。

 

なおアルミ製パイプから作成した槍の先端は鋭利に加工されており、Kに殺傷の意図があったこと、アルミを加工できる程度の工具または刃物を所持している可能性がある。

 

 

「隠しておいた武器を利用する程度の冷静さは残ってるのね……」

 

「武器の材料からみて、昨夜はダム現場かその付近に潜伏していた可能性が高いですな」

 

「あの場所は厄介なのよね……訓練用のトラップが紛れてるから暗視装置があっても夜間は迂闊に歩けないし……」

 

 

雲雀13より本部へK発見の連絡。

 

本部は雲雀13への追跡継続と、捜索中の白鷺と18時に交代予定だった鶯全隊員に出動を指示。

 

17時29分、Kの逃走した地区に展開した鶯4及び鶯5より、Kをダム建設現場内で発見したとの報告あり。

 

潜伏場所に近づいた鶯5が壁にたてかけられていた複数の鋼材が倒れてきたことで下敷きになる。その鋼材が押し倒したアルミ缶より油状の液体が溢れてきたところへライターが投げ込まれ、数秒の間を置いて着火。

 

燃え広がる速度が遅かったため、かろうじて鶯4は鶯5を救出して退避に成功したが、鶯5は全身に4箇所の打撲、右足首の骨に異常が見られる。

 

また、両者ともその場に発生した有毒ガスによるものと思われる中毒症状があり、捜索から離脱を指示。

 

鶯1及び2が現場へピックアップに向かう。

 

 

「かなり容赦のない手を使ってきてるわね……」

 

「最初に逃がしたのが痛いですな。冷静になる時間を与えれば、地の利は小僧のほうにありますんね」

 

 

鶯6から鶯9が建設現場内に到着、二手に分かれて挟撃を指示。

 

数分後に鶯8及び鶯9がKを発見、慎重に距離を詰めるが事務所内に逃げ込まれる。

 

鶯8が入り口付近の設置物を回避して侵入、事務所内階段に潜んでいたKと小競り合いになる。

 

ここでもKは手製の槍を使い、狭い階段内ではKに接近できず。

 

鶯6及び鶯7が建物外部階段よりまわりこむが、槍を放棄して二階へ逃げ込んできたKが、二階に用意していた斧を手に、窓を破って外部階段中程に着地。

 

斧を振り回すKに追い詰められ鶯6は老朽化していた手すりに体重をかけたことで転落、軽傷を負う。

 

鶯7は発砲許可を求めるが本部はこれを却下。

 

 

「撃てるわけないでしょう、慌てすぎよ」

 

「斧を振り回す狂人を前にしちゃあ慌てるでしょうな」

 

 

鶯8及び鶯9が内部階段より二階に現れ、ドアの施錠を解除しようとしたことでKは階段を駆け下り逃走。

 

すでに建設現場内に入り込んでいた鶯10から鶯13がKを発見するが、Kは四人に斧を投擲して威嚇、積んであった土嚢に駈け上りフェンスを乗り越える。

 

追跡しようとした四人は、フェンスの外からの槍による牽制を受けてフェンス登攀を断念。出口にまわりこもうとしている間にKはその場から逃走していた。

 

 

「子供一人に引っかき回されて、情けないわね……」

 

「ゲリラ戦ってぇのはそういうもんです。相手の用意した戦場に突っ込む時点で、戦力比は十対一でも不足。まして今回は、こっちに本気で捕まえる気がないときてる」

 

「……言いたいことはわかるけどね」

 

 

17時53分、雲雀13よりKを再度発見の報告。

 

ダム現場奥の一隅にて、疲労した様子で座っているKを捕獲する好機との意見だが、本部は距離を置いて監視を続けるように指示。

 

18時02分、態勢を立て直した鶯6名が暗視装置を装備の上、雲雀13より監視を引き継ぎ。

 

現在までKに目立った動きはなし。

 

なお、赤坂家監視に戻るよう指示した雲雀13より、前原伊知郎邸へ食事をしに来るようSに誘われたため一時離脱したいとの申請あり。本部の指示を待つ。

 

 

報告は、それで終わり。

 

「……はあ。沙都子ちゃんが誘ったんじゃしょうがないわね。私もこれから診療所の仕事を片づけて前原家に向かうから、Kについては余計なことを言わないように指示しておきなさい」

 

「了解です、三佐。……白鷺は引き上げさせましたんで、半分は待機して0時以降鶯と交代。残りの半分は園崎家の監視にあたらせます」

 

白鷺は朝から圭一さんの捜索をしてたのに、まだ監視をさせるつもりとは……小此木も部下の使い方が荒っぽいわね。

 

「任せるわ。園崎家に向かう組には、あとで差し入れをしてあげなさい。雲雀も、適当なところで鳳と交代させてちょうだい。……そういえば、Aはいま何をしてるのかしら?」

 

「15分前に興宮の雀荘に入って以後は、動きがありませんや」

 

雀荘か……、やはり赤坂が何かを企んで雛見沢にやってきているというのは考えすぎかもしれない。

 

その場合、現職の公安捜査官が雛見沢でいったい何を遊んでいるのかという問題も出てくるのだが。

 

「あと、その後M……赤坂美雪ちゃんはどうしたの?」

 

「雲雀によれば、前原屋敷からは誰も出ていません。羽入さんとアホの子がもうすぐ帰宅するはずです」

 

無理もないけど、山狗内部でもアホの子呼ばわりされてる梨花ちゃんがなにか哀れでならないわね……。

 

「わかったわ。それじゃ小此木、ここはよろしくね」

 

身体の芯に、しこりのように重い疲労が蓄積していることを感じながらも席を外す。

 

「郭公にはこちらで目標捕捉の報告をしておいても?」

 

「ええ。ようやくクライアントの要望どおりの軌道に乗ったものね……それでもお小言があるようなら、高級乳酸菌飲料一年分でも送ってあげなさい」

 

軽口を叩きながら地下をあとにする。

 

やらなければいけないことを頭の中で整理しながら、今日は何時間眠れるだろうかと計算するが……溜息がでるばかりだ。

 

……とはいえ。

 

始まってしまった以上、もはや後にはひけない。

 

自分の目的のために、全力で戦わなければ。

 

それこそが、自分の意志でサイコロを6に変えるということなのだから。

 

 

 

 

「ああ、鷹野さん……その後、どうですか」

 

地上に出たところで入江所長に出くわした。

 

「……いまのところ、成果なしですわ。建設現場跡で小火があったようなので、何か関係があるかもしれないということで鶯が付近を調べにいってます」

 

診療所のスタッフには、地下について何も知らない人員もわずかに存在するし、入院患者たちに聞かれてもまずいから互いに小声で早口になる。

 

まだ彼に混乱を引き起こしてもらわなければいけない作戦の都合上、所長に再捕捉の事実を告げるわけにはいかないから誤魔化したい私にとっては、それは好都合だった。

 

「そうですか……村の皆さんも捜索してくれてますが、彼の発症が事実ならあまり出会わせたくはありません。ご苦労おかけしますが、引き続き全力であたってください」

 

「ええ、もちろんです」

 

一礼して所長の横を通り過ぎ、ロッカールームへ向かおうとしたところでふと足を止める。

 

羽入ちゃんと梨花ちゃんが帰宅する頃、ということはレナちゃんは病室でひとりきりか……。

 

圭一さんの行方不明もおそらくは梨花ちゃんたちから聞き知っているだろうし、一人になって不安を感じていることだろう。

 

食事が終わる頃には眠れるように、痛み止めを持っていってあげようか。

 

そう思い立って、メイド服のままで二階の病室へ向かう。

 

「黄昏て メイドの頬に 茜さす……ううむ」

 

廊下の窓際でそろそろ暗くなりはじめた空を睨んで腕を組み、メイド俳句をひねっているらしいおじいさんに病室で食事をとるように注意して、一番奥の病室へ。

 

「レナちゃん、入ってもいい?」

 

ノックをして返事を確認してからドアを開ける。

 

「三四さん……」

 

すこし思い詰めた表情のレナちゃんが小首をかしげて私を見る。食事のトレーは、半分も減っていなかった。

 

やっぱり、圭一さんの行方不明を聞いて消沈しているのだろう。

 

「あまり食欲がないのね。……だめよ。もうすぐ退院だからって栄養はきちんととらないと」

 

「そう……、ですよね」

 

彼女の視線はどこか虚ろで、膝の上で握りしめた拳をじっと見つめているかのようだった。

 

すこし息を整えるかのように間を置いて、レナちゃんは意を決したように口を開いた。

 

「どうして圭一くん、いなくなっちゃったんでしょう」

 

彼女にしてみれば、いろいろと考えてしまうところか。

 

彼の日常そのものに、原因らしい原因は見あたらない。

 

両親と離れて暮らしているとはいっても、レナちゃんや古手姉妹といった家族に囲まれ楽しそうに過ごしている。

 

村の中ではさすがに新参者にあたるけれど、すでに村の人気者になっているくらいなので、そこに不満があるとも思えない。

 

もちろん学校で孤立しているわけもなく、部活メンバーを中心に友達は多い。所長やジロウさんを含めた大人の友達も多少。

 

私もその部類に入るのかもしれない。

 

……でも、まったく問題がないかといえばそうでもない。

 

彼自身に問題がなくとも、レナちゃんを含めた仲間の問題には何度も首を突っ込んできたからだ。

 

沙都子ちゃんの件はもちろん感謝しているし、レナちゃんが父親の問題に巻き込まれたときも、彼のおかげで助かったときは正直ほっとした。

 

でも……、それらは、本当に彼が望んだことだろうか?

 

この村で平和に暮らせればそれでいいはずの圭一さんが、あれほどまでに血を流し心を削りながら戦ってきた。

 

仲間を大切に思うからこそ、望まぬ戦いに飛び込んだ。

 

その傷がいまになって痛みだし、限界を超えてしまったのではないか……と彼女が心配してしまうのは、当事者の一人として当然の思考だと思う。

 

「……大丈夫よ、レナちゃん」

 

そっ、と彼女の手に手を重ねてそう言った。

 

それが心にもない言葉だったのか、それとも。

 

「圭一さんなら、きっと帰ってきてくれるから」

 

……それこそが、心の底からの言葉だったのか。

 

レナちゃんはしばし私の目をじっと見上げていた。

 

時々、怖くなる。

 

どこか青みがかった印象のある、この子の澄んだ瞳は……全てを見透かすような色をしているから。

 

たぶん、なにも隠し事をしていなければその色はとても好ましい、綺麗な宝石のような輝きでしかないのだろう。

 

後ろめたい想いのある人間だけが……この子を苦手と感じる。

 

最初は言うまでもなく、私もそうだった。

 

でも、どうしてだろう。

 

親しく付き合ううちに、いつの間にか苦手ではなくなっていた。

 

それは、きっと……彼女の、竜宮レナという少女の、清浄な心のありかたを知ったから。

 

怒りんぼと自称する彼女がその瞳に怒りの色を宿すときは、いつだって自分のために怒るのではない。

 

大切な誰かのため、あるいは相手のために怒るだけ。

 

そういう子だと知れば、恐れる必要はない。

 

……ないのだ、本来なら。

 

いまの私はどうだろう。

 

圭一さんを陥れ、彼女の愛する雛見沢を危機に陥れようとしている鷹野三四の目は……全てを見透かす彼女の目に、どんなふうに映っているのだろう?

 

ぞくり……と冷たいものが背筋を走り抜けた。

 

「……へんだね。三四さん」

 

緩やかに、少女の唇が弧を描く。

 

「嘘なのに、嘘じゃない……」

 

言葉の意味がわからずに戸惑う。

 

まっすぐな感性から導き出された言葉は、わたしの存在を咀嚼しているかのようだった。

 

「三四さんも、圭一くんのこと……好きなのかな」

 

瞳に吸い込まれるような錯覚。

 

目が離せない。

 

だから視界の端で彼女の手が滑らかに動いても、まったく反応できなかった。

 

「……、ぇ……?」

 

レナちゃんの瞳に、いや、顔に一瞬、影が落ちた。

 

その直後、がつん、と頭頂部に衝撃を受けて……ぐらり、と身体が揺れる。

 

ベッドの上に自分が突っ伏していくのを感じながらその衝撃が痛みだったのだと、ようやく気づいた。

 

レナちゃんはベッドから立ち上がると、窓の外の薄闇を背景に立ち、額の上からガーゼを引き剥がす。

 

「ごめんね、三四さん……」

 

くすくすと、忍び笑いが薄暗い病室を満たす。

 

するりとパジャマを脱ぎ捨てて下着姿になった彼女が、私の横にある何かから白い、布のようなものを取り上げる。

 

……白いワンピース。

 

彼女のお気に入り、休日に見かけたことのある装い。

 

その服に袖を通し、ご丁寧に帽子やブーツまで身につける。

 

「レナ、圭一くんがお見舞いに来てくれないと、寂しくて死んじゃいそうなの」

 

それらを取り出したのは全て……いま、重い金属音とともに私の頭に落ちたもの、盥の中からだった。

 

沙都子ちゃんが病室に仕掛けた悪戯に近いトラップ。

 

なんだかんだで撤去しないままずっとそこに仕掛けられていたその盥の中に、レナちゃんはいつの間にか外出着を用意していた。

 

「……だから、退院させてもらうね?」

 

そんなこと、できるわけが……と言おうとしたけど、声が出せなかった。

 

頭部へのダメージのせいではない、彼女のまとう怜悧な空気の前に圧倒されている。

 

彼女が最後に盥から取り出したもの……ただの盥に、私を打ち倒すだけの重量を与えていたそれは、ある意味で予想どおりのモノだった。

 

 

肉厚の鉈。

 

 

彼女の愛用の……、武器、だ。

 

いや……凶器、というのが正しい。

 

「レナ、圭一くんがどうして消えたのか考えたの」

 

ぎらりと、刃が月の光を湛えて……彼女の笑みを闇の中に浮かび上がらせた。

 

「でも、理由なんてひとつもなかった……なら、」

 

すぅっと振り上げられるそれを、他人事のように見つめる。

 

「消えたんじゃない、消されたんだよね……?」

 

実感が沸かない。

 

自分がここで死ぬかもしれないという、震えがない。

 

それは彼女に本当は殺意がないからなのか。

 

……あるいは、裏切り者にはそれがお似合いの結末だと自分でも思っているからなのか。

 

くすくすくす、耳朶を奮わせる忍び笑い。

 

「三四さんたちに! この診療所の人たちに!」

 

それはすでに、囁くような声ではなくなっていた。

 

ようやく、震えがきた。

 

でもそれは、身体の震えではなくて……心の震えだった。

 

 

ごめんなさい、みんな。

 

 

おじいちゃん、ごめんなさい。

 

 

圭一さん、ごめんなさい。

 

 

沙都子ちゃん……ごめんなさい。

 

 

その沸き上がってくる感情を、否定したかった。

 

私の意志は、こんなことでくじけてしまうわけがないと。

 

諦めることは、神への敗北を意味する。

 

「残念だったね、三四さん?」

 

でも……まるでその想いさえも見透かしたように、竜宮レナは、酷薄に笑った。

 

 

「レナはね、枠の外にいるの……最初から!」

 

 

そうだ。

 

どんなに強固な意志でサイコロを6にして叩きつけようが、神にとっては問題にならなかった。

 

この子でさえ、容易に7を出してみせるのだから。

 

それはありえない数、枠の外。

 

診療所にただ一人残され、いざというときには人質になるだろうと思われていた彼女が、もっとも恐ろしい存在だったなんて。

 

 

……でも。

 

 

負けるのか?

 

ここで負けてもいいのか?

 

そんな生半可な覚悟で、裏切りを選択したのか?

 

そうじゃない。

 

もう心の奥から、謝罪の声など沸き上がってはこない。

 

負けないと決めた。

 

これ以上奪わせないと決めた。

 

その相手が、枠の外からやってくる理不尽であっても。

 

守りたいものを守るために……、

 

 

弱さを捨てろ、鷹野三四……!

 

 

タイミングをはかり、弛緩していた筋肉に力をためて……鉈が振り下ろされる瞬間を待つ。

 

いまの私の全力はたかが知れているが、集中すれば一回よけることはできるはず。

 

そうしてナースコールに飛びつけたなら……状況は変わる。

 

通常と違う押し方をすれば、地下への非常信号になるように細工はされている。

 

いくらこの子が部活メンバー最強のカードだといっても、地下につめている鳳、そして小此木を相手に逃げ切れるものか。

 

私を殺す余裕など与えない。

 

生き延びて……私は、私の意志を貫くのだから。

 

 

……が、鉈は振り下ろされなかった。

 

 

かわりに降ってきたのは、小さな笑み。

 

「いいよ、押しても。……レナには、そんな目をした人は殺せないもん」

 

手を掲げて、鉈をくるりと手の中で回転させる。

 

そして私に背を向けると、

 

 

「あっはははははははは!」

 

 

鉈を突き出しながら、窓を突き破って空へ躍り出た。

 

砕かれたガラスの破片が光を反射いて散る。

 

蒼い月の浮かぶ空へ白い衣を纏った彼女が舞い降りていく様は、まるで……

 

 

破壊を司る天使のようだった。

 

 

とっさに飛びついて押し込んだナースコールは、宴の始まりを告げるファンファーレ。

 

竜宮レナは今、狂騒の夜へと解き放たれたのだ。




<雑談>

そういえば、このハーメルンってサイトはなんか当時あった個人サイトとかブログとか「Web拍手機能」がないんですよね...どうにか実装してくれないものか...(切実)
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