ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第122話 風雲!ダム現場

ダム現場へ続く道の途中で、私と悟史くんは葛西さんの車を降りた。

 

「……ここで、よろしいので?」

 

「小火騒ぎが本当なら、圭一くんは山狗に囲まれてる可能性があります。葛西さんには逃げるときのためにここで車を確保しておいてもらわないといけませんから」

 

ダム現場に直接つけた場合、この車まで山狗の攻撃対象になってしまう恐れがある。

 

圭一くんが怪我している可能性もあるし、いざというとき速やかに撤退できる手段は残しておきたかった。

 

「この場所でも山狗が狙ってくることもありえますから、気をつけてくださいね」

 

そう言ったら葛西さんは唇の端をふっと緩めて、

 

「無論です。それほど迂闊ではありませんよ」

 

私たちでは想像もつかないような修羅場を潜り抜けてきた葛西さんには余計なお世話だったか。

 

「あ、……それと、ライターをお持ちですか?」

 

「? こちらでよろしければ」

 

手渡されたライターをすこしいじって、着火したまま投げられそうかどうか確かめる。

 

「そのタイプなら大丈夫だよ。……あれを使うんだね」

 

悟史くんの確認するような言葉に軽く頷く。

 

「使わなくて済めばいいんだけど、……無理だと思う」

 

私には、ひとつの予測があった。

 

診療所に残っていた戦力を全部私に差し向けなかった彼らの意図、園崎家を出たときには消えていた監視の山狗。

 

その意味するところは……戦力の集中。

 

おそらくはこの先で、ひとつの山場が待っている。

 

山狗はすでに圭一くんの所在を突き止めていて、そこに踏み込もうとする私を狙ってくるはずだ。

 

私は診療所を脱走しているのだから、殺しても消しても彼らにとってなにも問題はない。

 

報告書には『危険な兆候のある発症者を処理しました』と記述して終わりだろう。

 

彼らが圭一くんを泳がせている本当の理由まではわからないけど、山狗をこの雛見沢で自由に動かすための布石であるところまでは理解できる。

 

彼らが……いや、その背後にいる者が、圭一くんを儀式の生贄に選んだのだ。

 

ひとりぼっちの圭一くんをこのまま放置すれば、いつかは限界を超える。

 

梨花ちゃんの『予言』によれば、雛見沢症候群の末期症状によって首を掻き毟って死ぬことになるそうだ。

 

……じくり、と手首が疼く。

 

私は、それに限りなく近い状態を経験しているのだ。

 

皮膚の奥を汚らしい蛆虫が這い回るあのぞっとする感触。

 

あれが首筋だったら間違いなく……梨花ちゃんが言うとおりの末路をたどるだろう。

 

だから、放っておけない。

 

圭一くんの限界は今日かもしれない、明日かもしれない。

 

彼らの残酷なショーのために、圭一くんをそんな目に遭わせるわけにはいかない。……絶対に。

 

ならば、選択肢はほかにない。

 

私は命を狙われているとわかっていても、この戦場からは逃げられない。

 

なんとしてでも圭一くんのもとに辿り着いて、連れ戻すか……最悪でも、合流してそばにいてあげたい。

 

「悟史くん、どうしても来るならひとつだけ約束して」

 

「……なに?」

 

金属バットを手にした悟史くんは静かな表情で私を見る。

 

「私が動けなくなったとき、囲まれて逃げられなくなったときは、私を置いて逃げること」

 

悟史くんは、現時点では彼らのターゲットに入ってない。

 

行方不明になっていない上に鷹野さんの家族でもあるからやむをえない場合以外、殺すわけにはいかない。

 

死亡させるべき私とは条件が違う。

 

「……わかった。約束するよ、レナ」

 

彼がしっかりと頷いたのを見てとると、私は鉈を握り締めて夜の林道へと踏み出した。

 

悟史くんの足音が後ろからついてくる。

 

「お気をつけて」

 

葛西さんの声が背中にかかり、私は肩越しに振り向いて小さく頭を下げた。

 

胸の内で、家族やこの場にいない仲間にもそっと別れの言葉を継げる。

 

みんな……、もう会えなくなったら、ごめんね。

 

 

 

 

途中の数百メートル、襲撃はなかった。

 

本能か、それとも直感なのか。

 

通いなれたダム現場に足を踏み入れた瞬間から、ぴりぴりと肌を刺す空気があった。

 

私が一歩進むたびに、周囲の闇の中に押し殺した息遣いが増えた気がして足が重くなる感覚。

 

ようやく怖れていたものを実感する。

 

私は……竜宮レナはいま、死線を越えようとしている。

 

この場所は、私を殺したい人でいっぱいだ。

 

次の瞬間にも引き金が引かれ、闇に浮かび上がった私の白い姿を誰かが狙い撃つかもしれない。

 

それを察知した本能は、いますぐにここから逃げろと叫び続けているが……黙殺する。

 

じわりと背中を満たしていく冷たい汗も、これ以上一歩も進みたくないと竦み上がる足も……私を止められない。

 

 

圭一くんに、会いたい。

 

 

私の恋は、この甘く苦い疼きはこの場所から始まった。

 

心を閉ざしていたガラス窓を圭一くんが叩き割って、手を差し伸べてくれたその瞬間に恋に落ちた。

 

だから逃げない。

 

あの日あの時から、竜宮レナの命の意味は決まっている。

 

圭一くんを失う以上に怖いものなど知らない。

 

彼を見捨てようとする本能など殺せ。

 

ここにいるのは殺人鬼。

 

弱い自分を殺し続ける、恋に狂った殺人鬼だ。

 

「ふふっ」

 

くん、とゴミの上で軽くステップ、身体が半回転した。

 

きょとんとする私と悟史くんの間、私が半秒前にいた位置をワイヤー付きの電極が通り過ぎていく。

 

「あははは……」

 

とん、両足で軽く跳躍。

 

足元に電極が突き刺さったのを見ながら、鉈を大きく振って空中で身体の重心を変える。

 

広げた腕の数センチ下、脇腹をワイヤーが抜けていく。

 

着地と同時に振り下ろした鉈が突き出していた戸板を叩き割り、それが空中で盾となって電極を防いでくれた。

 

「あははははははははは!」

 

矢継ぎ早に四発、ほぼ同時に放たれたその攻撃は私の身体に触れられさえしなかった。

 

風を切り裂く音、空気の灼ける匂い、肌に伝わる気流。

 

全ての感覚が鋭敏に研ぎ澄まされて、見えない死神の手を実力をもって打ち払えと命令する。

 

身を沈めたのは一瞬、私の足は空を駆けるかのようにゴミの上を飛び渡り、数メートルの距離を瞬時に詰めていた。

 

あの電気銃の弱点は明らかだ。

 

有線式であるがゆえにごく短距離でしか使えず、いったん発射されればワイヤーで隠れている場所も特定される。

 

そして単発式だから……、

 

「甘いよ!」

 

私が着地したトタン板の逆側がシーソーのように真上に跳ね上がり、ゴミ山の向こうにいた数人の山狗の目から私の姿を一瞬覆い隠す。

 

私が飛び出してくるのを待ち構えていた第二波の放った電極が二発、その表面に突き刺さって虚しく弾かれる。

 

その間に板の上をまっすぐ走り抜けた私は両足で跳び、鉈を一閃してまだ発射していない電気銃を手にした残り二人の山狗の腕を、骨を折る強さで続けざまに打ち据えながら背後へと抜けていた。

 

「速い……!」

 

言いかけた一人の足を振り向きざまに容赦なく鉈で払い、倒れてきたところへ膝を一撃。

 

「がは……っ」

 

発射していない電気銃をもった最後の一人がろくに狙いもせずに引き金を引こうとする直前、身体を振って別の山狗の背後に回り、左の拳で後頭部を強打して頭蓋を揺らす。

 

「あははははは!」

 

ぐらついている間に全身で体当たり、その背中をさらに別の山狗のほうに突き飛ばす。

 

「うわっ!」

 

完全にバランスを崩して、仲間を巻き込んで倒れていく。

 

「ガキがぁッ!」

 

こっちも体当たりで崩れた体勢を立て直している間に、横からなぎ払われる拳に容赦なく鉈をはね上げる。

 

激突。

 

鉈の峰が、相手の二の腕を見事に迎撃した。

 

ぐぎ、と金属が骨まで食い込む感触が手に伝わってくるが構わず懐に入り込み、指を立てて固めた拳で鼻を撃った。

 

「ッ!?」

 

が、それで意識を奪いきれなかったのか、朦朧としたまま無意識の行動なのか、片腕を掴まれてとっさには振りほどくことができない。

 

動きの止まった私に、最後の電気銃が向けられる。

 

心臓が鷲掴みにされるような、瞬間的な焦り。

 

右手の鉈を投げて間に合うか?

 

いや、と思った瞬間、鈍い打撃音。

 

電気銃を構えた山狗が背後から突き倒されるように地面へと転がった。

 

「大丈夫、レナ!?」

 

金属バットを手にした悟史くんが、そこにたっていた。

 

「ありがと!」

 

その間に、私の腕に絡みついた指の一本を逆に曲げてへし折り、私は脱出を果たしていた。

 

が、今の状況で動きが止まりっぱなしなのは……、

 

「野郎!」

 

致命的だった。

 

背後からの声に振り返る前に、背筋と後頭部にがつんという重い衝撃。

 

鉄パイプかなにかで殴られた、と感じながらも身体は勝手に反撃、鉈を振り回して男の即頭部を打つ。

 

「ぎっ……!」

 

反射的な行動で手加減ができなかった。

 

もうすこしでも強ければ頭蓋骨を打ち砕くか、首の骨を折ってしまいかねないほどの痛撃に、その山狗は白目を剥いて地面に落ちていく。

 

背中がじんじんと伝えてくる苦痛、喉か鼻の奥で鉄錆のような匂いがしていたが、構っている暇は無い。

 

敵は残り三人、うち一人は悟史くんを取り押さえようと向かっていってる。

 

二人なら……なんとか!

 

近い方の一人めがけ鉈を振るったが、ぎん、という金属音とともに重い手応えが走る。

 

「!」

 

私と対峙した二人は、それぞれ片手に伸縮式の特殊警棒を手にしていた。

 

鈍器としては、リーチでバットに劣り、重量と威力では鉈に劣る武器だと一見してわかる。

 

だが……、その分取り回しは容易だし、大の男の筋力なら片手による一撃でも、充分に私のやわな肉を撃ち骨を砕くことができるだろう。

 

事実、さきほど背中と後頭部に受けた打撃の余韻は、まだ私の身体にこびりついている。

 

じんじん痛む背中と、かすかな視界の変調、ごくかすかな耳鳴り、鼻孔の奥につんと詰まるような息苦しさ。

 

どれも……さきほどまでの私が最大の武器にしていた動きと知覚の鋭敏さ、その両方を阻害する。

 

「左だ、同時にかかる!」

 

二人が私の視界の右と左へステップを踏む。

 

ゴミ山を背にして後ろへまわりこませない位置取りをしながらも、焦燥感は消せない。

 

もはや武器を手にしていることによる私の有利は消えかけていることを自覚する。もとのリーチ差を補っていた鉈と特殊警棒では、せいぜい互角でしかない。

 

「いくぞ!」

 

その声を合図に、二人が同時に踏み込んでくる。

 

……ならば、残された私のアドバンテージをめいっぱいに利用するしかない!

 

大きく両腕を広げて踏み込み、間合いを詰める。

 

「ふっ!」

 

大きく息を吐きながら、右の男が特殊警棒を振り下ろしてくる。

 

狙いは私の頭。

 

直撃すれば、今度は金庫どころではすまないだろう。

 

確実に頭蓋骨陥没、即死も免れない。

 

その特殊警棒がまとった空気抵抗、気流の波さえもはっきりと見てとれるほどに集中して、両手を前後逆に振った。

 

高速で身体が90度ターンする。

 

眼前数センチまで迫った警棒が、前髪をかすめながら抜けて耳元で風を切る音をさせていく。

 

そのまま回転に身を任せ、完全に背中を向けていた。

 

「なっ!」

 

がん、と火花が散った。

 

左の男の視界の外、回転した私の右手に握られたままの鉈の重い斬撃が、左から叩きつけられたのだ。

 

後方回転斬り。

 

後ろ回し蹴りと同じこと、高速で身体を回転させることにより攻撃の軌道とタイミングを読ませない奇襲。

 

圭一くんが拳での突撃に回転を絡めるようになったことで模擬戦で意外と苦戦させられた私が身につけた技だ。

 

そしてとっさに警棒で弾いたものの、予期せぬ攻撃を受けて完全に態勢を崩した左の男めがけて、ブーツが走る。

 

「う!」

 

大きく開脚し、身体の片側に重心を残しながらも残りの足を滑らせて相手の軸足を蹴って突き倒す足払い。

 

倒れてくる男の下を潜り抜けるように右の男の射程内に踏み込み、構え直した鉈を振る。

 

がつんと真正面からぶつかった鉈と警棒が動きを止める。

 

瞬時に両手で鉈を握りしめ、つばぜりあいに移行する。

 

「ぐっうぅぅぅ!」

 

「うぅぅっ……!」

 

ぐら、と肩が落ちかけて力の流れを変えられてしまう。

 

のしかかるような姿勢で、体重までかけてこられては、全身の筋肉が悲鳴をあげるのも当然だった。

 

そう、私の身体は……嫌になるほど華奢だった。

 

圭一くんは気づいてなかったけど、単純な筋力という意味では、彼はとっくに私の上をいっている。

 

この一年でせいぜい2~3センチしか身長の伸びなかった私に対して、彼は10センチ近く伸びている。

 

ましてや、もともと女の子と違って男の子は鍛えた分だけちゃんと筋肉がつく仕組みになっている。

 

彼がいまだに逆立ち腕立て伏せができないと嘆くのも当然のことで、鍛えたぶんだけ両腕が支えるべき彼自身の体重が増えているのだ。

 

私が自分の体重を支えきれるのは、私自身が彼よりもずっと軽いから、という単純な事実にほかならない。

 

そして格闘戦において……筋力と体重は恐るべき武器だ。

 

圭一くんよりも大きな大人の男性に、子供の女である私が力比べで勝てる道理などどこにもありはしないのだ。

 

だからこそ、私は鉈の重量を利用し、スピードにたより、一撃で戦闘力を奪えるように急所を撃ち骨を打ち砕く。

 

そういう戦い方でなければ、私には勝ち目がないと知っているからだ。

 

このままでは……勝てない!

 

身動きのとれない状態で私は賭けに出るしかなかった。

 

「うっ!?」

 

鉈を諦めて手放すと同時、バックステップで警棒の攻撃範囲を出る。山狗は突然のことに勢い余ってつんのめった。

 

その機を逃さず後方の地面をとらえた足を踏み込み、全身をバネのように沈み込ませる。

 

「……破ッ!」

 

叫びとともに、筋肉にためこんだ力を開放した。

 

その足元に踏み込むのに一歩、二歩目で地面を蹴り、私の体重全てを衝撃に転じて……空を衝き上げる!

 

べきり、とひしゃげるような破砕音とともに……私の膝が男の顔面を撃ち、身体ごと吹き飛ばしていた。

 

きわめて限定的な位置関係からしか使いようのない飛び膝蹴りなど、彼らの学んできた軍隊格闘術の常識の外だったのだろう。

 

これ以上ない奇襲をまともに受けて、彼は沈むしかない。

 

「はぁッ、はッ、ふぅ……ッ!」

 

とはいえ、頭蓋骨というのは硬い。膝とはいえ、まともにぶつければこちらも痛みがないわけではなかった。

 

身体のあちこちが痛み、軋んでいる。

 

肺は酸素がたりないと呻いているし、酷使された全身の筋肉はすでにピークを越え重くなりはじめている。

 

どうにか地面に落ちた鉈を拾い上げ、呼吸を整えながらも悟史くんの救援に向かおうとしたところで……私は、全く別の方向へ跳躍するしかなかった。

 

花火のような音が数回、続けざまに響いた。

 

私の後ろ髪のあたりが、ざわりと冷たい感覚を伝えてきたのはその音を聞いてからだ。

 

手近な物陰に飛び込んで、奥歯をぎっと噛みしめる。

 

銃……!?

 

この暗闇の中で、味方も付近に倒れている今の状況で拳銃を撃ってくるというのは……考えなかったわけではないが驚くしかない。

 

ということはつまり……詩ぃちゃんが言っていたとおり。

 

悟史くんはともかく、彼らは私を殺せる。

 

そして殺すつもりの人数と装備を調えてきたということ。

 

「あはは……まいっちゃうね。レナ大人気」

 

苦しい息の下で減らず口を叩きながら、身体が萎縮してしまって動けなくなる前にと物陰から飛び出す。

 

敵の数が自分たちよりも多い以上、もっとも怖いのは被弾することではない。

 

いや、もちろん被弾すればそれで一巻の終わりだが、それを恐れて物陰に立てこもったままでは、相手に自由に動くことを許すということ。

 

包囲されることこそ、この場では敗北につながる。

 

また、何発か……破裂音が響く。

 

そのうちのひとつは駆ける私の足元のゴミに当たって跳ねたらしいのがわかった。

 

まずい……まずい、まずい……。

 

ホームグラウンドのこの場所だからこそ、私は闇の中でも走り回れる。

 

実際、目隠しをして走り回れるように訓練もしてきた。

 

だけど、彼らは間違いなく……この闇の中で私の姿を捕捉している。そうでなければ発砲できないだろう。

 

相手にとって有利すぎるこの状況を作り出しているのは、彼らの顔を覆っている暗視装置によるものだ。

 

夜間、明かりのないこの場所で彼らと戦うことを想定したとき一番難しいのはそれだと詩ぃちゃんが言った。

 

彼らが電気銃による捕獲を諦めて銃を持ち出した時点で、飛び道具もなく、闇の中に潜む狩人の姿を見通すすべのない私は狩られる獲物でしかなくなってしまう。

 

ときにゴミを飛び越え、ときには横に跳びはねて、彼らの銃の射線に入らないように動きながら、私はスカートのポケットからライターを取り出していた。

 

「もうすぐ……あと、十メートル!」

 

そのたった十メートルがいまの私には絶望的な距離であることを承知していた。

 

逆転の秘策はある。

 

追ってきている山狗の人数がいまの半分なら、たぶん辿り着ける自信はあった。

 

でも……山狗がこの作戦、私を狩り殺すために用意した戦力は少なく見積もっても二十人以上。

 

最初の電気銃の数人を接近戦で潰してもまだ、私を追い詰める余裕は充分すぎるほどにあったのだ。

 

「あと、五メートル……っ!」

 

葛西さんのライターを片手で点火しようとした、そのときだった。何分の一かであっても、そちらに注意がいってしまったのが悪かったのだろう。

 

ブーツの靴底が、足元のゴミを踏み損ねてずるりと滑る。

 

がくんと崩れかけたバランスを反射的に戻そうとして間違いに気づく。

 

こんな見通しのいい場所で、動きを止めちゃダメ……!

 

錯覚だろうか……、ばん、という破裂音が、ひときわクリアに聞こえた気がした。

 

「ッ!」

 

一瞬、視界が赤に染まった気がする。

 

それもたぶん錯覚。

 

火を直接押しつけられたかのように二の腕の神経が苦痛を伝える。

 

たぶん、かすめただけだった。

 

それでも、私の腕の肉を数センチかそこらえぐりとっていくには充分すぎて、たったそれだけのことで、

 

 

私の手は、希望の灯を手放してしまっていた。

 

 

葛西さんのライターは着火したままゴミの山の中に転がっていき、すぐに見えなくなる。

 

そして私は、腕を押さえながら物陰に飛び込むしかない。

 

……辿り着けなかった。

 

あとほんのすぐそこ。

 

逆転の大仕掛けまでたったの数メートルだっていうのに、もはや打つ手がない。

 

追ってきている数人はすぐにこの場所を取り囲み、適当に何発かあてて私を弱らせてから捕まえるか……まだ予備の電気銃があるなら、それで最初から気絶させるか。

 

絶望的な状況。

 

でも。

 

「……諦めて、たまるか」

 

そう、だって……圭一くんはきっと、諦めてない。

 

なら……圭一くんのレナだって、諦めない。

 

ライターの落ちたあたりに視線を走らせ、一か八か銃弾の雨の中を捜しに戻る決意を固める。

 

まだ、負けたわけじゃないんだ……!

 

でも踏み出そうとするよりも早く、異変は起こった。

 

視界の隅に、オレンジの光が立ち上がる。

 

私の目的地……ただの廃材の山に偽装された、計算のもとに組み上げられたファイアストームのやぐら。

 

たっぷりと油を染みこませ、普段は雨に当たらないような細工までほどこされたその構造物が今、私の数メートル先で炎に包まれていた。

 

瞬く間に火の手はまわり、その内部に巧妙にセットされた『弾体』にも火がついたらしい。

 

たちまち、数十条の光がほとんど水平に飛び出した。

 

「なんだっ!?」

 

「攻撃か!」

 

「くそ、ホワイトアウト……!?」

 

そう、それはまさに『攻撃』だった。

 

敵が軍隊だとわかってから詩ぃちゃんがプランを練り、具体的な事情を知らないまま協力した沙都子ちゃんの技術が可能にした、ふたりの合作とでもいうべき罠。

 

数本が円筒状に束ねられ、火薬にもちょっぴりの細工を施して推進力を高めたロケット花火の群れ。

 

それだけならば、ただ驚く程度で終わるちょっと派手な悪戯でしかない。

 

でも、放たれたそれが一定の速度に達すると円筒の内側におさめられた、落下傘花火のそれを改造したドラッグシュートが展開される。

 

それは速度にブレーキをかけると同時に、結びつけられた釣り針が同じく円筒の内側に押し込められていたナイロンを引き裂いて内容物……廃油を空中でばらまく。

 

それはロケット花火の後方に吹き上げる炎によって点火、半径数メートルを炎に包む、凶悪な『兵器』だ。

 

沙都子ちゃん特製、『ナパーム花火』。

 

「うわぁあッ!?」

 

「ほ、炎が!」

 

「ノクトビジョンがイカレやがった!」

 

混乱の声。

 

当然だろう、炎はそれだけでも人間の判断力を奪う。

 

その上突然出現した炎で、光量補正の機能を持つ暗視装置は一時的に使用不能となる。

 

そして、詩ぃちゃんが悪ノリして『インフェルノ』と名付けたこの罠が恐ろしいのは、これからだった。

 

ナパーム花火の射程内にはわざと燃えやすいゴミや油の詰まった容器を集めてあり、炎はどんどん燃え広がる。

 

その上……、

 

「な、なんだ……!?」

 

「ぎゃああ!?」

 

「囲まれてるぞ! 逃げろ!」

 

いくつかのナパーム花火は、ほかの小型のファイアストームのやぐらに飛び込み、新たな炎を燃え上がらせ、そこからもナパーム花火が数十発、ばらまかれる仕組みなのだ。

 

最終的には数年に渡る不法投棄で積み上げられたゴミ山、その数割を巻き込んだ大規模な火災を巻き起こす。

 

さすがにここまでの大きな炎は村人の注意を引くし、屋外とはいってもさまざまな有毒ガスも発生するから、この場に長居することはできなくなる。

 

この場所で山狗に追い詰められたときにその場をリセットさせるための最終兵器。へたをすれば数人単位で死者さえ出しかねない、最悪のトラップだった。

 

こんなものを知らずに作らされていたと知ったら、沙都子ちゃんは驚き、そして怒るんじゃないかな。

 

自分は人殺しのトラップなんて作りたくない、なんて。

 

でもね……沙都子ちゃん。

 

銃で撃たれた腕を押さえている指の隙間から、血が滲んでいるのを見ながら思う。

 

 

「……これはもう、戦争なんだよ」

 

 

彼らと私たち、どちらが生き残るか。そういう戦争。

 

私たちの最終的な目的は彼らを殺すことじゃない。

 

でも、彼らは確実に……最低でも私たちの何人かを殺そうとしてくるのだから、黙って殺されないためには最大限の努力をするしかない。

 

殺したくない。

 

でも、戦うことから逃げたくもない。

 

逃げるということは……雛見沢を見捨てることだから。

 

自分の居場所が欲しいなら、最後まで足掻く。

 

それが、戦うということだから。

 

「そうだよね……、圭一くん」

 

私の視線の先、ごうごうと逆巻く真っ赤な炎をあげるファイアストームを背景に、傷だらけの人影が立っていた。

 

私の一番会いたかった人。

 

撒き散らされる火の粉と、炎が生み出す気流の中にひとり立つ、嵐の申し子。

 

山狗たちを殺してしまうかもしれないと知りながら、それでも自らの手でその罠に点火した、雛見沢の守り手。

 

らんらんと炎に映える瞳を私に向けているのが……、

 

 

圭一くんだった。

 

 

私はよろめきながら立ち上がり、彼のほうへと歩み寄る。

 

「圭一くん……レナだよ。迎えに来たよ」

 

そう呼びかけても、彼のまなざしに揺れるものはない。

 

熱のこもらない視線だった。

 

擦り切れている……、そう感じた。

 

ああ。

 

詩ぃちゃんは正しかった。

 

圭一くんは、雛見沢症候群を発症している。

 

彼の心は悪夢と現実の狭間を行き来し、もう、誰が味方で誰が敵なのか分からなくなりかけているのだ。

 

それはきっと、彼に恐ろしい負荷をかけているはず。

 

彼自身、雛見沢症候群を知っているのだから。

 

目の前の、敵かもしれない誰かは味方かもしれない。

 

味方に見えても、自分と雛見沢を脅かす敵かもしれない。

 

その可能性を承知しながら、誰かを守ることこそが本分の彼が山狗と戦い、何人かは傷つけてきたのだろう。

 

守るべき人かもしれない誰かを傷つけるという恐怖。

 

それは誰よりも圭一くんの精神を傷つけ、摩耗させた。

 

「レナのこと……、わかるかな。……かな?」

 

鉈をその場に落として、……両手を広げる。

 

一歩、また一歩。

 

近づくたびに圭一くんの表情が強張り、手にしていた武器……錆びたバットを握りしめる手に力をこめさせる。

 

それがわかっていながらも……足は止まらなかった。

 

圭一くんが悲しんでるとき、傷ついてるとき、苦しんでいるとき……私は彼のそばにいたい。抱きしめてあげたい。

 

だって、誰よりも……。

 

圭一くんが、それを私にしてくれたんだから。

 

「圭一くん、お願い。レナのこと……」

 

ゆっくりと振り上げられるバット。

 

 

「信じて」

 

 

スローモーションで振り下ろされるそれは、いつかどこかの世界で見た破滅へと続く光景だった。

 

あのときも圭一くんは、……いまと同じ。

 

怯えと、悲しみの入り交じった顔をしていた。

 

でも、届くから。

 

きっと今度は、圭一くんはわかってくれる。

 

そう信じているから……私は、目を閉じて、もう一歩。

 

 

がぁん、と世界を閉ざすみたいな音が耳朶を打つ。

 

 

「……え?」

 

私の身に衝撃がなかったことを訝しく思いながら、そっと目蓋を押し上げてみる。

 

そこには、白い背中があった。

 

両手でバットを構えた、学生服の白い背中。

 

その肩越しに、圭一くんが同じようにバットを構えているのが見える。

 

あれ……?

 

すこしだけ……笑ってる?

 

「……圭一」

 

圭一くんの振り下ろした一撃を自らのバットで弾いた悟史くんが、笑みを浮かべながら油断なくじりじりと間合いを詰めていく。

 

「僕は去年のあの夜から、君のようになりたいって思って生きてきた。いつか誰かのために、全力で戦える前原圭一のようになりたいって……!」

 

「うぉおっ……!」

 

圭一くんのほうが、先に踏み込んで横なぎに払う。

 

悟史くんも応じて、真正面からバットを叩きつけた。

 

 

鈍色の火花が散った。

 

 

火の粉の降り注ぐ中で、ふたりは飛び離れ、鏡映しのようにバットを構えて対峙する。

 

「でも、違ったな。違ったんだ」

 

悟史くんの低い一撃を打ち落とし、返す刃で顔面を狙いにいく圭一くん。

 

でも悟史くんはすでに蹴りを放ち、圭一くんの腹部をえぐるように突き離していた。

 

「があッ……!」

 

地面を転がる圭一くんを追いながら、悟史くんが吠える。

 

 

「僕は北条悟史だッ!」

 

 

どがん、と音を立ててバットの先端が地面を撃った。

 

頭の横の地面にめりこんだバットを無視して、圭一くんは悟史くんを見上げていた。

 

不敵に笑みを浮かべて、悟史くんは静かに告げる。

 

「最初から、前原圭一になる必要なんかなかった。僕は、僕のなりたいような北条悟史になることが……僕を引き戻してくれた圭一へ返すべき、唯一の答えだった」

 

倒れたまま足を狙って振るった圭一くんの攻撃から、跳び離れて距離をとる。

 

その間に圭一くんのほうも、逆方向へと転がりながら身体をひねって立ち上がっていた。

 

「だから、前原圭一。僕の仲間を傷つけるなら……たとえ君でも、この北条悟史の敵だって言わせてもらう!」

 

その決意を誇るように、バットをかざす。

 

一年前、圭一くんが悟史くんを止めるために手にしていた金属バットだ。

 

雛見沢ファイターズの北条悟史が、苦悩と努力の汗や涙を刻みつけて振るい続けてきた、愛用のバット。

 

「あのときの言葉を返させてもらうよ、圭一……!」

 

二人が同時に、前に飛び出す。

 

「があぁああああっ!」

 

真上から叩きつける圭一くんの一撃は、

 

「うわぁああああッ!」

 

水平に振りかぶった悟史くんの一撃で、

 

 

弾かれ、その手から……錆びたバットは消えていた。

 

 

鈍いオレンジの光を弾きながら、圭一くんのバットが炎の中へ吸い込まれて消える。

 

悟史くんは確信に満ちた笑顔と、強い瞳で告げる。

 

「僕の仲間を想う気持ちをこめたこのバットが……そんな薄汚いバットなんかに、負けるわけがない、ってね」

 

それを見返す、炎に照らされた圭一くんは……、

 

 

やっぱり絶対に……笑っていた。




<雑談>

ダム現場の死闘、序盤戦です。

神楽舞完結後、次に読みたい作品は?

  • 神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
  • ひぐらし短編集
  • ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)
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