ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第123話 マッチョマッチョこんにちは

圭一は一見して、酷い有様だった。

 

今月の衣替えでおろしたばかりのワイシャツはもう煤けた灰色と茶色が混ざった微妙すぎる色合いになっているし、あちこちが裂けたり千切れたりしている。

 

学生ズボンのほうも似たようなもので、一週間くらい山の中を彷徨った遭難者ルックという新しいファッションだと説明されれば納得してしまいそうだ。

 

ささくれた半袖の先に伸びる腕はあちこちに打ち身や擦り傷だらけで、肘から先は包帯に覆われている。

 

圭一は訓練のとき拳を保護するためのバンデージ用として常に持ち歩いているが、あちこち血がにじんでいるから、怪我をしてもいるのだろう。

 

土気色の顔にも青痣や腫れ、乾いた血の痕に引っ掻き傷。

 

血走った白目の中にぎょろりとした光を感じさせない瞳。

 

切れた唇から乱れた呼吸が漏れる。

 

……そして、その首。

 

首筋に、腕と同じく血のにじむ包帯が巻かれていた。

 

梨花ちゃんのやけに詳細な予言を思い出す。

 

雛見沢症候群の末期症状。

 

その限界を超えた者は、自らの爪で首を掻き毟って死ぬ。

 

圭一にも……その初期症状が現れている、のか?

 

「情けないな、圭一……」

 

絞り出すように言った。

 

不様な親友に、お前は不様だと突きつける言葉。

 

「……ってろよ……」

 

低い声だった。

 

僕の一撃でバットを失った圭一は、ぎりりと指の骨を軋ませながら、拳を固める。

 

まるで照準するように、鋭さだけを帯びた視線に沿わせてゆっくりと突き出すように構えて……左手を添える。

 

いまやあの拳は、圭一にとって最大の武器。

 

僕はかつて思い知った。

 

リーチでもない、重さでもない、鋭利さでもない。

 

『固さ』こそが武器になることがある。

 

物理的な硬度でさえない、意志の固さが武器になるのだ。

 

叔父の暴力で意識は奪われても、意志は奪えなかった。

 

僕のバットで拳の骨は砕けても、意志は砕けなかった。

 

その拳の中に握りしめた気高い決意を打ち砕けるものなどこの世のどこにも存在しない。

 

認めるよ、圭一。

 

その拳は絶対無敵、最強無比の弾丸だ。

 

 

でも。

 

 

そこに握りしめられたのは誇り高い意志、仲間への想いのはずなのに……。

 

「それを仲間に向けて、どうすんだよ前原圭一ッ!」

 

叫びながら、駆け出した。

 

「っがぁああッ!」

 

袈裟懸けに振るった僕のバットを、迎え撃つ圭一。

 

「!」

 

圭一は右腕にそえていた左手を突き上げ、正面からバットの先端を受け止める。

 

一年前のような真芯でこそないものの、遠心力のかかった先端が当たったというのに……まるで岩でも殴ったような手応えだった。

 

「ッ!」

 

武器を相手に戦うためだろう、包帯の内側に鉄板かなにかを仕込んであるらしい。

 

衝撃全てを吸収してくれるわけではないが、僕のバットの一撃は骨にまでは通らない!

 

「ッらぁ!」

 

同時に肩の後ろまで引き絞った右の鉄拳が、放たれた矢のように僕の顔面めがけて繰り出される。

 

とっさに叩きつけたバットを引く勢いでわずかに身体をずらし、顔の真ん中への直撃を避けたものの……、

 

「う、わ……!?」

 

鉄の塊が頬を吹き抜けていき、かすめた頬骨に鈍い痛み。

 

ひきつった皮膚が熱を帯び、僕の上体をぐらつかせる。

 

ざわりと全身を襲ったのはたぶん、本能の警告だ。

 

目の前の男の拳がまともに当たれば、命が危ない、と。

 

僕も訓練で何度かレナの拳は受けた。

 

もちろん急所は外してくれたけど、目にも留まらない速さの打撃は鋭くて、顔面に直撃すれば鼻血じゃすまないだろうなと恐ろしくなった。

 

でも、それとこれとでは根本的に違う。

 

深い踏み込みと、バンデージに覆われて固められた拳から打ち出される鉄槌のごとき一撃は、僕の頭蓋を砕いてなお突き進む。

 

圭一の拳も無事では済まないかもしれないが、それは圭一の拳ひとつと引き換えに僕が死ぬということ。

 

親友を無事に、そして正気に戻すことが勝利条件である僕にとっては、なんとも割に合わない取引だ。

 

「……くっ!」

 

「!」

 

態勢が崩れて転びかけた状態から、圭一の足を蹴った反動であえてその場を転がって距離をとる。

 

単純な話……、いまの一撃で僕に勝算がなくなった。

 

殺意の塊となって拳を叩きつけてくる圭一を、殺さずに止めるというのは、いまこの場では相当に難しい。

 

バットを落としただけで済む問題ではなかったのだ。

 

「くっ……、レナ! 一旦離れるんだ!」

 

僕は立ち上がると、突っ立っていたレナの手を引いてその場を駆け出す。

 

「で、でも……!」

 

圭一はバットを受け止めた左腕を押さえながらこちらを見ていたが、すぐに追ってくることはしなかった。

 

あちこちに炎と煙の立ち昇る中を駆け抜け、ゴミ山の陰に来たところで、レナが僕の手を振りほどいた。

 

「離して! 圭一くんのところにいかなきゃ!」

 

「レナ! いまの圭一はまずい、次の機会を待つんだ!」

 

圭一は疑心暗鬼と攻撃衝動の塊になっている。

 

さっきのように不用意に近付いていけば、今度こそレナが殺されるかもしれない。

 

「……それでも」

 

レナの青みがかった瞳が、その場の炎を映して揺らめく。

 

「それでも……、私は圭一くんのそばにいる」

 

迷いなど、欠片もなかった。

 

レナは、もうとっくの昔に決めてしまっているんだ。

 

一年前のあの日からみんなの中心に立って、沙都子の心を救うために雛見沢ひとつさえ背負ってみせた前原圭一。

 

その圭一を守ることこそが自分の役割だと決めている。

 

そんな彼女に、千の言葉を尽くしても圭一を見捨てて逃げることなど納得させられるわけがない。

 

圭一の限界が近いのは、僕も知っていることだった。

 

「っ……、伏せて!」

 

レナが叫びとともに僕を突き飛ばす。

 

「!?」

 

その場に響いた破裂音は、さきほど山狗たちがレナを追いかけていったときに聞いたものだった。

 

銃声、だ。

 

「……レナ!」

 

はっとして顔を上げれば、スクラップの山に背を預けて脇腹を押さえたレナが僕の背後をぎらりと睨んでいた。

 

「クク……、聞いちゃあいたが、本物だな。あいつらじゃてこずるわけだなぁ、おい」

 

背後を振り返れば、ゴミ山の上に立っていたのはそろいの作業着を着た山狗の一人。

 

やや長めの髪を頭の後ろで束ね、彫りの深い精悍な顔つきをした男だった。

 

「……!」

 

拳銃を手にしてはいたが、レナにも僕にも向けていない。

 

その理由はすぐにわかった。

 

切迫したこの場面で当然引き金にかかっているべき人差し指が真っ赤に染まっていた。

 

レナはこの男に気づいた瞬間、僕を突き飛ばすと同時にリストバンドに仕込んでいる金属片を放ったのだろう。

 

五メートルもないようなこの間合いで、レナの正確無比な投擲が的を外すわけがなかった。

 

それでも間に合わずに撃たれたが、脇腹をかすめただけで済んだらしい。

 

「ちぃっと痛ぇが……こっちならどうにかなるか」

 

残りの指で銃を腰のホルスターにおさめると、拳を固めて凄絶な笑みを浮かべてみせる。

 

僕にさえわかる。

 

この男は危険だ。本物の戦場で、殺し合いを経験してきたような種類の人間だ。

 

いくらレナが強い女の子だといっても、素手同士でまともにやりあって勝てるような相手でないことは明らかだ。

 

リーチが違う、攻撃の重さが違う、肉体の頑強さが違う。

 

レナに鉈があればそれでも対抗はできるかもしれないが、さっきレナは圭一を説得するためにあの場に鉈を落としてきてしまっている。

 

なら……決まってる。

 

「レナ、圭一のところへ」

 

立ち上がって、バットを構えながら言った。

 

「……ここは僕が引き受ける」

 

背中を向けて言い切った。

 

死亡フラグなのはわかっている。

 

この男は、いままでの山狗ほど甘くはない。

 

僕を殺したところで、笑って『ちょっとした手違いで』と済ませるような人間だ。

 

「ダメだよ……、私を見捨てて逃げる約束だよ?」

 

背後で呻きながらレナがそう言ったけど、僕は笑った。

 

笑うしかない。

 

目の前には勝てそうもない敵。

 

泣いて命乞いをしようが、見逃してはもらえまい。

 

背中を向けて逃げるわけにはいかない理由もある。

 

なら……男が浮かべていい表情なんて、ひとつしかない。

 

「ごめん。あれ、嘘だった」

 

できる限り軽い口ぶりに聞こえるようにそう言った。

 

レナが短い沈黙のあとで、くすりと笑う。

 

「……圭一くんも悟史くんも、嘘つきだよ」

 

ははっ、とこちらも乾いた笑いを返す。

 

死んでも守らなきゃいけない約束だってある。

 

でも……仲間を見捨てるような馬鹿げた約束なら、この先何度だって破ってやろう。

 

「……別れは済んだか? 小僧」

 

僕と同じ地面に降り立ち、男は片目を閉じ、にぃっ……と唇の端を歪めてみせる。

 

この場に相応しくない、愛嬌のある笑顔が逆に怖かった。

 

相手が僕のような年端のいかない子供であっても、目の前に立ち塞がるなら笑って殺せる人物なのだとわかる。

 

質問しながらも、答えをいつまでも待ってはくれない。

 

次の瞬間にも踏み出してくるだろう予感がある。

 

「早く行って、レナ!」

 

叫び、踏み込みながらバットを振り上げた瞬間に。

 

それが間違いだったと悟る。

 

ほんの一息で、男は僕の目の前、バットの間合いの内側に踏み込んで猛禽類のような笑みを浮かべていた。

 

「!」

 

視界がまわる。

 

何が起きたのかわからないが、自分の身体が空を舞っているとだけ認識する。

 

ぬるりとした感覚が口の中にあふれ、内臓が押し潰されたのではないかと思うくらいに身体の中で鋭い痛みが暴れまわっている。

 

地面を転がりながら、バットを手放さなかったのは奇跡だとぼんやり考えていた。

 

夜空と地面が目の前で何度か往復したあと、胸が地面に打ち付けられて呼吸が止まるかと思った。

 

「ッ……ぅあぁあ……!」

 

それでようやく、体中を駆け巡る狂ったような激痛にのたうちまわるだけの余裕ができた。

 

「さぁて、何発目まで生きているかな?」

 

朗らかな声でかけられたのは、絶望的な言葉だった。

 

「立てよ小僧。寝てたら首を踏み折るぜ」

 

まるで死刑宣告だ。

 

もう一度立ち上がって、いまのような打撃を受けてみろと言っているのだ、この男は。

 

顔面に……たぶんジャブを一発、それだけで歯が折れた。

 

そして逆の拳で、腹に一撃。

 

なけなしの腹筋は千切れそうなくらいだし、内臓だってどこまで無事か怪しいものだ。

 

たったの二発でこの有様だっていうのに、立ち上がればもう一度、どんな攻撃が来るかもわからない。

 

だからといって、立たなければ首を折られるらしい。

 

ああそうですか。

 

つまり、……僕はここで死ねと。

 

こいつは、それ以外ないんだと言いたいらしい。

 

「……ふざッ、ける……な……!」

 

視線で射殺せるものなら、いますぐこいつを殺してやる。

 

そういう気持ちをこめてそいつを見据えながら、口の中でごりごりと邪魔くさい奥歯を地面に吐き捨てた。

 

「ふ……ぅ、ぐ!」

 

金属バットを杖がわりに……よろめきながらも、立った。

 

全身が重い。

 

自分の体重を支えるだけの力が、両足に残ってない。

 

それでも、膝はつけない。

 

痺れてしまっていた手の握力を無理矢理に引き戻し、愛用のバットをきつく握り締める。

 

口に残った血の味をまとめて飲み込み、吐き気の不快感もこいつのせいだと決め付けて男に視線を叩きつける。

 

「くっくく……どうやら北条の小僧っ子にも、あの鬼と同じ血が流れてるらしいなぁ、死ぬのが怖くねぇのか?」

 

なにを言ってるんだ、こいつは。

 

バットを正眼に構えながら、瞳に力をこめた。

 

「……教えてやるよ。僕たち部活メンバーは、負けたときのことなんか考えない。……何故かって?」

 

笑った。

 

口の中が痛くても、笑ってみせた。

 

 

「勝てばいいからだッ!」

 

 

間合いの外で、右手のバットを振り上げる。

 

「ハッ、正論だ!」

 

馬鹿にした笑いとともに踏み込もうとした男の眼前、白い影が躍り……男は反射的に足を止めていた。

 

「!?」

 

理解できないだろう。

 

目に映ったその物体が何を意味するのか。

 

「これが本来の……」

 

左手を添えて、振りぬいた。

 

至近距離だ。

 

ほとんど零距離といってもいい。僕が片手で放ち、地面でバウンドさせて跳ね返った硬球に、バットを叩きつける。

 

最高の手ごたえ、……真芯でとらえた。

 

快音が響く。

 

「使い方だあッ!」

 

まるで威力の減衰もなく、かわしようもない速度と角度で男の顔面に叩きつけられる硬球。

 

「がは!?」

 

たった一度きりの奇襲が、完璧に決まる。

 

背中から後ろに倒れていく男。

 

どしゃりと、大の字で地面に落ちて動かない。

 

バットで追い撃ちをかけるべきかどうか一瞬悩んで、踏みとどまった。

 

油断なくバットを構えたまま、低い声で告げる。

 

「……立てよ中年。寝てたら脳天をかち割るぞ」

 

ささやかな復讐だった。

 

その選択はどうやら正解だったようで、足を大きく振り上げた男はその反動で跳ね起きると、即座に構えをとった。

 

左目の上、割れた額から流れ落ちる血の雫を舌で舐めながら肉食獣のように笑った。

 

「いまのはちぃっとばかし驚いたぜ。一撃の威力としてもたいしたもんだ。……が、人ひとり殺すにゃ不足だな」

 

喉の奥から響くような笑い方だった。

 

「ま、慌てて追い撃ちを仕掛けなかったのはいい判断だ。無力化するほどのダメージでない以上、実力差のある相手にゃ反撃を喰らうのがオチだからな」

 

バットの先を軽く揺らして、僕は小さく鼻を鳴らす。

 

「そんな賢い判断じゃない」

 

会話ですこし休めたせいか、身体の重さが抜けていた。

 

「あんたが待ってくれたから、待ってやっただけだよ」

 

「は!」

 

今度の男の笑いの中には、馬鹿にした調子はなかった。

 

本気で面白がるような声音だ。

 

「惜しいな。十年も鍛えりゃ、モノになるだろうに!」

 

その声と同時に、踏み出してくる。

 

「……!」

 

後ろに一歩。

 

男の鋭い回し蹴り、その風圧が僕の前髪を揺らす。

 

さがるのが一瞬遅かったら、首ごとヘシ折られていた。

 

だが、それで終わりではなかった。

 

「!?」

 

空中で蹴り足が止まる。

 

それも一瞬、僕の腹めがけて急角度の蹴りが迫った。

 

「うああッ!」

 

僕も黙ってみていたわけじゃなかった。

 

蹴り足が止まった瞬間に僕も踏み込んで、男の顔面めがけてバットを叩きつけていた。

 

がつんという重い手応えが返ってくるのと、腹をえぐるような蹴撃で身体が浮くのは同時だった。

 

男は僕の一撃を腕でガードした。

 

圭一のように鉄板を入れているわけではなく、ただ筋肉の厚みと硬さだけで、金属バットの一撃に耐え切った。

 

それはもちろん、僕が蹴りを受けて最後の最後で体重を乗せきれなかったせいもあるだろう。

 

そして男の蹴りも、僕の攻撃に対応するために威力が落ちていたおかげで……背中からゴミの山に叩きつけられても僕は意識を保っていることができた。

 

「ぐ……っ!」

 

衝撃に一瞬目を閉じてしまった不覚を悔やみながらバットを構えて前に出ようとしたところで……がくん、と膝が落ちていた。まるで糸が切れたように。

 

二度の腹筋への打撃。

 

最初のが直撃だっただけに、限界を超えていたのだ。

 

立っていられるだけの余力は、僕の身体には残ってない。

 

「くそ!」

 

低い軌道で、横薙ぎにバットを振るう。

 

さすがに苦し紛れ、最後に脛にでも喰らいついてやろうというやぶれかぶれに過ぎない。

 

「……へっ!」

 

追撃しようとした男は、危ういところで踏みとどまる。

 

いや……、止まらない!

 

ステップしたままバットをやり過ごしたところで、跳ぶ。

 

その予備動作だけで、素人の僕にもわかった。

 

飛び回し蹴り。

 

あいにくバットを両手で握り締めている僕に、頭部を防御する余裕はまったく残されていなかった。

 

迫り来る衝撃を知りながら、僕は目を閉じない。

 

せめて最後の一瞬まで目を見開き、男の心胆を射抜いてやろうと……視線に力をこめる。

 

が、僕を襲ったのは予想外の方向からの打撃だった。

 

「ッ……!?」

 

男の一撃よりも早く背後から無遠慮に蹴倒され、地面に突っ伏すしかなかった。

 

頭上を、僕を殺すはずだった旋風が吹きぬけていく。

 

「なにぃ……!?」

 

とどめの大技を空振りしながらも、男は着地と同時に後ろへ跳んで間合いを開いたのがわかる。

 

僕の背後に立つ人物が、落ち着いた足取りで前に出た。

 

レナ?……違う、これはレナのブーツじゃない。

 

足だけしか見えていなかったその人物を見上げる。

 

長い足をジーンズに包み、見慣れた色合いの長い髪を三つ編みにした女性。

 

誰……だ……?

 

「よく頑張ったね、悟史」

 

澱みの欠片も見当たらない、快活な少女の声だった。

 

毎日聞いている声と同じはずなのに、どこか異なる色合いを帯びた、よく通る、張りのある声。

 

「ま、さか……!」

 

力の入らない両腕を突っ張って上体を起こし、渾身の力をこめて顔をあげる。

 

肩越しにみせる笑顔、この状況をさえ面白がっているその顔には……嫌というくらい見覚えがあった。

 

目の奥に湧き上がる、熱い予兆。

 

間違いない、絶対に間違いない……目の前にいるのは、

 

 

 

「モハメドアヴドゥルッ!」

 

 

 

僕の叫びに、魅音は勢いよくずっこけた。

 

「違ぁーうっ!? 私はマッチョな占い師じゃない!」

 

いや、涙目で言わなくてもわかってるよ……。

 

「思わぬ再会を果たした嬉しさと驚きのあまり、ぽろっと出ちゃった照れ隠しのギャグじゃないか」

 

「……うぅ。ちょっぴり心の準備はできてたつもりだったけど、なんかくじけそうだよおじさん……」

 

心なしか肩を落としながら男に向き直る。

 

このいじりやすさから見ても、明らかに詩音じゃない。

 

どうしてここに魅音がいるんだろう。

 

魅音は診療所の地下に監禁されて、毎日毎日夜なべをして手縫いのメイド服を量産させられているともっぱらの噂だったんだけどなあ……。

 

「いや、さすがにそこまではな」

 

男は、真面目な顔でそれはないと手を振ってくれた。

 

「……さっきまでシリアスだったのに、なんでおじさんが登場した途端二人ともリラックスしてるわけ?」

 

はっ、そういえば……!

 

「魅音にはその場の空気を変えてしまう、園崎家の頭首としての資質が備わってるんじゃ……!?」

 

「おもろい方向に空気が変わってどうすんのさ!?」

 

ああ、常識人のツッコミは気持ちいいなあ。

 

と、男が咳払いをして空気を戻そうと試みる。

 

「……へっへ。一年ぶりってわけか。ようやく会えたな、『本物』の園崎のお嬢……!」

 

にぃ、と僕とやり合っていたときの倍も楽しげな笑みを浮かべる。それは多分、この男が魅音を認めている証……!

 

魅音もそれに応じて薄く笑い、

 

「こっちは別に会いたくなかったけどね、三下。ちょっと私が雛見沢を留守にしてる間に、ずいぶん好き勝手に引っ掻きまわしてくれたみたいじゃない?」

 

長身の男を見下ろすかのように腕組みをして胸をそらす。

 

「いや、引っ掻きまわしたのは主に圭一」

 

「……あーいや、そうとも聞いてるけどね」

 

僕の横槍に深々と溜息をつきながらも、すぐ表情を正す。

 

男も油断なく構えを取りながら、

 

「いままでどこにいたのか知らねぇが、遅いご帰還だったようだな。出遅れもいいところだぜ、お嬢……!」

 

はっ、と笑い飛ばす魅音。

 

「遅れて出るのが切り札の醍醐味さ。あんたみたいな三下相手のゲームじゃあ、ハンデのひとつもくれてやらなきゃ興醒めするだけだね……かかってきな」

 

そう言って、さきほどまでの自然体からふわりと流れるような動作で構えを見せる。

 

さきほどまでの立ち合いで神経が研ぎ澄まされているのだろうか、およそ武術なんかに縁のない僕にもわかる。

 

魅音のそれは、一分の隙もない構えだった。

 

「ほぉ……ずいぶんな自信だな、お嬢。一対一で勝てるつもりか? そっちの小僧はとっくに限界だぜ」

 

男も余裕をみせたが、そこにまた横槍が入った。

 

「一人?……あんたの目は節穴みたいね、小此木」

 

魅音の脇から現れたのは、……なにやら木槌のような棒のような、変な得物を肩にかついだ梨花ちゃんだった。

 

「二対一で不足だとは言わせないわよ」

 

棒を巧みに操ってくるくると手首のまわりで回転させつつ後方へ回し、ぴたりと脇へたばさんで構える。

 

その妙に熟練した棒さばきを見て、小此木と呼ばれた男は眉をひそめた。

 

「いたのかよ……小さくて見えなかった」

 

「小さいって胸か! 胸のことかコンチキショー!」

 

誰もそんなこと言ってないのにがーっと吠える。

 

小さいけど態度と迫力だけは大きいのが恐ろしい。

 

と、梨花ちゃんは優雅な仕草で長い髪を払い、

 

「こう見えても私、羽入に言わせればもうじきAAAに手が届きそうなのよ……着痩せするタイプなのよ私!」

 

くわっ、と目を見開いて自慢げに言い放った。

 

「……え……?」

 

みんな不思議そうな目を向ける。

 

するとますます梨花ちゃんは愉快そうに胸を張って、

 

「意外でしょ? 意外よね? うふふ、AAAっていえばAの3倍でしょ? 魔力でいえばバカ魔力クラスよ? これはもう将来が楽しみでしょうがないわッ!」

 

思わず、僕と小此木は目をそらした。

 

羽入ちゃん……! 羽入ちゃん……っ!

 

君の類いまれなる優しさが胸に痛いよ……!

 

でもお願いだから最愛の妹に真実を教えてあげようよ!

 

やばいよ、涙ちょちょぎれそうだよ……!?

 

「梨花ちゃんさ、AAAってトップとアンダーが、」

 

「ぼ、僕も援護ぐらいはできるぞ! 三対一だ!!」

 

空気を全く読まずに正しい指摘をしようとした魅音の言葉にかぶせるように、死力を尽くして立ち上がる僕だ。

 

「たった三人で勝てるつもりか! なめるなよ小僧!!」

 

小此木も涙を拭いながら、大声で応じてくれた。

 

……意外に、ちょっぴりいい人なのかもしれない。

 

そう、真実はときとして人を傷つける刃となるんだ。

 

梨花ちゃんは、まだ未来に夢を見てもいい年頃だ……!

 

「ふん……魅音、話はあとよ」

 

すこし釈然としない表情ながら話を打ち切る梨花ちゃん。

 

「……ま、いっか。今、言ってる場合じゃないもんね」

 

魅音ももう一度構えて、三人が三方から小此木を囲む。

 

小此木は隙らしい隙も見せぬままぐるりと僕たち三人を見回して、ククッと喉の奥で笑った。

 

「まさか久々の戦場で、相対するのが年端もいかねぇガキばかりだとはな……笑わせやがるッ!」

 

だん、と地面を蹴って……まるで地を這うような低さで踏み込み、伸び上がりざまに魅音に拳を放つ!

 

さきほど僕がやられたのはこれか、と端から見てようやく認識する。

 

「ふっ!」

 

が、そのレナにも匹敵しそうな速さのジャブを、魅音はむしろ緩やかに流れるような動きで上にいなす。

 

逆の手で襟をつかみにいくが、それは小此木の左手で打ち払われ、小此木は逆に上に流れていた拳を魅音の死角、頭上から打ち下ろそうとしてくる。

 

「だだ甘ぇのよ!」

 

が、横合いから振り上げられた棒がカミソリのように鋭い軌跡で小此木の喉を狙って繰り出されていた。

 

「ちぃ……!」

 

舌打ちとともに攻撃を中断し、一歩横へ逃れるしかない。

 

が、その先で僕が金属バットを振り上げて迎え撃つ。

 

「うわあッ!」

 

コントで多少時間を稼いでくれたおかげですこしは痛みも引いていたけど、あと何回振れるかはわからない。

 

渾身の力をこめて振り下ろしたものの、それは空間を裂くだけで、小此木は斜めに踏み込んで僕の横に滑り込む。

 

そのまま走った拳が鼻面を叩いて、僕は後ろに突き倒されたが……そこに駆け込んだ梨花ちゃんが、くるりと頭上で回転させた棒の先、打突部で小此木のこめかみを一撃!

 

「軽いぜ……!」

 

瞬間顔を歪めさせはしたものの、梨花ちゃんの腕力では武器があっても有効打とならないのは確実。

 

だが梨花ちゃんは、反動で引いた棒をさらに手の中でくるりと回して両手で握り、柄の先を鳩尾に叩き込む。

 

「ぐ……ふ!」

 

よろめきながらも畳みかけられる前に後ろへ逃れつつ小此木の振った片足が、無造作な前蹴りとなって梨花ちゃんの細い身体に叩きつけられた。

 

「きゃ!」

 

後ろに吹き飛んだ梨花ちゃんを追い越すようにして、魅音が小此木の懐に突き進み、両手を瞬時に叩きこむ!

 

「ごっ!?」

 

重ね当て、というのだろうか。

 

突き当てた掌の上から、さらに踏み込みながら掌打を叩きつけ、その衝撃力をもって小此木を弾き飛ばす。

 

かろうじて二歩で踏みとどまりながらも、上半身は背後のゴミ山に打ちつけて小此木が呻く。

 

「なんだこりゃあ……、小娘の使うような技かよ」

 

ぐらり、とそのまま前に沈むかと思われたが、つんのめる勢いさえ利用して再び間合いを詰めた。

 

「!」

 

大ぶりの拳を振りかぶったのを見て瞬時に反応し、魅音が上段に構えを切り換えた瞬間だった。

 

「ほぉあッ!」

 

踏み込みの足を軸として、身体の体勢を大きく崩しながら下方の死角から叩きつける蹴り。

 

「うぁっ!?」

 

倍もの太さをもつ足に両足を刈られて魅音が体勢を崩す。

 

そこへ、地面を叩いて上体を起こした小此木の肘がまるで牙のように鋭く襲いかかった。

 

がつん、と骨と骨が激突して、額から血を流しながら魅音が後方へと吹き飛ぶ。

 

「まだまだぁあ!」

 

容赦なく畳みかけようというのか、魅音を追いかけようとした小此木だったが、地面すれすれを切り裂くような速度で振り切られた棒をかわすためにたたらを踏んだ。

 

「やらせるかって……!」

 

まるで手品師がステッキを操るかのように軽やかな動きで棒を引き戻した梨花ちゃんは、小此木に追いすがって空中へ跳び、喉をめがけて棒の先端を突き出した。

 

「足りてねぇな!」

 

転びかけた体勢でありながら素早い反応で自分に迫る先端を引っ掴み、小此木は手にした梨花ちゃんごとその棒を振り上げた。

 

「んなっ!?」

 

「梨花ちゃんっ!」

 

どうにか背中をスクラップから引き剥がして駆けつけようとしたけど、肝心なときに足に力が入らない。

 

度重なるダメージが、深刻すぎた。

 

「くぅ!」

 

このまま棒を掴んでいては地面に叩きつけられると判断したのだろう、梨花ちゃんは空中で棒を手放した。

 

でも結果がたいして変わらないのは誰の目にも明らかだ。

 

梨花ちゃんの軽すぎる体は跳ねとんだまま、ナパーム花火が作り出した炎の中へと突っ込んでいく。

 

「そんなっ……!」

 

ようやく立ち上がった魅音が叫ぶが、間に合わない。

 

梨花ちゃんが空中で歯を食いしばるのが見えた。

 

それはこの場に燃える炎よりも熱く激しい……不屈の炎。

 

彼女は、炎に呑み込まれる直前に、叫んだ。

 

 

「けいいちっ……!」

 

 

まるでその名が、彼女を呑み込もうとする絶対の運命さえ打ち破り、全ての邪悪を退ける呪文であるかのように。

 

彼女は小さな予言者だった。

 

望まぬ運命の鎖に絡め取られた僕たち全員を救うために、一か八かの賭けに出た心優しき巫女。

 

少女が望んだのは、運命を覆すただ一人の英雄だった。

 

……だから、その呼び声に。

 

「梨花ぁッ!」

 

応えない英雄など、いるはずがない。

 

炎に背中を焼かれるような位置へ飛び込んできた圭一が、梨花ちゃんの小さな身体を抱き止めていた。

 

最初はその大きな目を見開いて、次に花咲くような笑顔を浮かべて、彼女は自分をかき抱く英雄を見つめた。

 

「圭一っ……!」

 

英雄の傷だらけの顔に、まだ翳りは落ちている。

 

それでも、とっさに……圭一は、彼女へと手を伸ばした。

 

混濁と疑心の闇の中、垣間見えたものに反応した。

 

だからまだ希望はある。

 

絶対にある。

 

「圭一くん、よけてっ!」

 

金属音。

 

炎を回り込んだ山狗が、動きの止まった圭一めがけて振り下ろした特殊警棒を、頭上から躍り込んできたレナの鉈が素早く打ち払った。

 

圭一はレナの警告の声に反応したのか、それとも本能的に危機を察したのか、金属音と同時に飛びさすって、地面に梨花ちゃんを下ろしていた。

 

「下がってろ、梨花。こいつらは……」

 

圭一の暗く澱んだ瞳がとらえているのは、僕なのか、魅音なのか……それとも小此木なのか。

 

「……俺がブッ潰す!」

 

咆哮とともに拳を構える。

 

明らかに……事態は切迫していた。

 

圭一とレナに追いすがってきたらしい山狗の数人がここに集まり、僕たちを取り囲もうとしていた。

 

「むぅ……ここがいわゆる正念場、だね」

 

僕も杖代わりに身体を支えていたバットを立てる。

 

「もうすこし時間を稼ぎたかったけど……」

 

魅音が長く息を吐き出して構えをとる。

 

「ここまできて負けられるかってのよ」

 

圭一の隣で、武器になるものを捜す梨花ちゃん。

 

「そこの指揮官さんは、レナが押さえるね」

 

鋭い目つきで小此木を見据えて、鉈を横に薙ぐレナ。

 

「ククク……ッ、活きのいいガキどもだ!」

 

小此木は、愉快そうに笑いながら腰の後ろから抜いた特殊警棒を伸ばして迎撃態勢をとった。

 

 

火の粉が雪のごとく降り注ぎ、燃え広がる炎で昼間のように照らし出された夜のダム現場の一隅。

 

活劇に幕が下ろされようとしているのを……この場にいる誰もが、感じ始めていた。




<雑談>

ダム現場の死闘、中盤戦です。

<コメレス>

たくさんの感想をいただきましてありがとうございます。
いただいた感想で富竹フラッシュ!な気分の作者です。

神楽舞完結後、次に読みたい作品は?

  • 神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
  • ひぐらし短編集
  • ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)
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