ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第124話 シリアスに定評のあるレナ

まったく、男の子というのは度し難い。

 

度し難い馬鹿だ。

 

わたしを庇うように立った悟史くんの背中を見ながら内心で思ったのは、そんな失礼な感想だった。

 

自分は嘘をついてまで私を見捨てたりしないくせに、いまこうして、私には自分を見捨てていけと言っている。

 

あの指揮官風の山狗は、ひと目でわかるほどに格が違う。

 

その気になれば、悟史くんの命の灯が尽きるまでに三分とかからないだろう。

 

つまりそれは、私に自分を見捨てていけということ。

 

できるわけがない、と。

 

そう言うべきだったのかもしれない。

 

私が彼を庇って戦うほうが、まだマシなのかもしれない。

 

でも、私は。

 

「早く行って、レナ!」

 

悟史くんの叫びと同時に、踵を返して駆け出していた。

 

男の子というのは本当に馬鹿だ。

 

その馬鹿が、本当にくだらない理由で自分の心の向くままに馬鹿をやろうとしているのなら、それは止められない。

 

意地なんかよりも命のほうが大事だとか、そんな当たり前の言葉で止まるわけがない。

 

誰よりも馬鹿な男の子に本気で惚れ込んでしまった私には悟史くんを止める権利なんて最初からないから……どんなに心配でも、この場を彼に任せるしかなかった。

 

「!」

 

でも私の行く手に、三人の山狗が立ちふさがる。

 

もともと私たちを分断するためにさっきの指揮官がこの場を任せていたんだろう。

 

一瞬、迷う。

 

まっすぐに抜けられれば、さっき圭一くんと別れた場所はすぐそこだ。強行突破すべきか……?

 

でも、足が止まる。

 

彼らは揃いの特殊警棒を手にしていた。

 

対して、いまの私は愛用の鉈を失っている。

 

素手同士でも大人三人はやや分が悪いというのに、相手に武器があり、そして私にはない。

 

打撃と二度の銃撃を受けて、針のような苦痛と鉛のように重い身体の疲労がじわじわと全身の神経を侵してもいる。

 

はっきりいって、状況は最悪だと言ってもよかった。

 

「投降しろ。命だけは助けてや、」

 

「嘘だッ!」

 

的外れな降伏勧告を、最後まで言い終える暇すら与えずに咆哮で遮る。

 

そんなのはわかりきったこと。

 

私は診療所脱出からこのダム現場まで、何人もの山狗たちを戦線離脱させる程度に負傷させてきた。

 

命だけは奪わないように手加減を心がけてきたが、当たりどころによっては二度と歩けない人だっているだろう。

 

ここまでやっておいて山狗に捕まったとき、なお命が保証されるなんて虫のいいことは考えてもいない。

 

この場で殺されるならまだいいほうだ。

 

復讐とばかりに別の危険だって考えられるし、最終的には人質に使われて、見せしめとばかりに仲間の目の前で殺されておしまいだろう。

 

すでに、そういう戦いになっている。

 

いまだに私がそれを理解しないのんきな女子中学生のままでいるとでも思っていたのだろうか?

 

「……仕方ない。取り押さえろ!」

 

私の叫びに応えたのは、ぞっとするくらいに冷徹な声だ。

 

ならばこちらも、それなりの覚悟を決める。

 

素手だけで彼ら三人を地に這わせるなら、私にも手加減をする余裕はない。

 

目をえぐり喉を突いてでも、最速で安全を確保、

 

「獲ったッ!」

 

駆け出そうとした一瞬だった。

 

背後から衝撃とともになにかが覆いかぶさってきて、私の身体はあっさりと地面になぎ倒される。

 

がつんと顔面が地面に叩きつけられて一瞬視界がぶれる。

 

視界の外、忍び寄っていた別の男に気づかなかった。

 

度重なるダメージで鈍っていた自分の五感を信じすぎた。

 

それが敗因だ。

 

「……ぅくッ!」

 

抵抗するべく身体を起こそうとしたが、無駄だった。

 

大柄な男一人の体重をはねのける筋力など私にはない。

 

「ふざけるなッ、ガキが!」

 

髪を掴まれ、地面に顔面を再度打ち付けられる。

 

前方にいた三人も私を取り囲む気配。

 

「手こずらせやがって!」

 

悲鳴、いや嗚咽さえあげそうになった。

 

脇腹に蹴り。

 

ついさっき銃弾がかすめて真っ赤に染まっていたその場所にブーツのつま先が叩きつけられたのだ。

 

「……! ……ッ!」

 

あまりの痛みに意識が飛びそうになり身体をよじるけど、男二人が左右の腕をがっちりと押さえ込んでるから、全く身動きができなかった。

 

「ぁ……あぁあ……ッ」

 

目の前の視界が歪んでぼやけるのは、頭を打ったせいかと思っていたけど……ようやく気づいた。

 

私が、泣いているという事実。

 

「いまさらベソかいてごめんなさいか、あぁ!?」

 

「望みどおりぶち殺してやるよ、バケモノがッ!」

 

苦痛。恐怖。絶望。失意。自責。後悔。悲嘆。

 

そんなごちゃ混ぜな感情が頭を駆け巡って、みっともなくすすり泣きそうになる、その衝動を押し殺す。

 

「…………ッ」

 

どうしてもひとつだけ……、捨てられないものがある。

 

どんな苦境に陥っても、忘れてはいけないものがある。

 

それは、誇りだ。

 

ここにいるのはただの竜宮レナじゃない。

 

泣き叫ぶのは礼奈でもレナでも、とっくに捨ててしまった知らない私に任せよう。

 

私は……ここにいるのは、圭一くんのレナ。

 

無駄な抵抗を、無駄だと認めないことこそが……圭一くんのために私ができることだった。

 

泣きながら、涙を拭うすべもないまま、首をめぐらせる。

 

腕を押さえている男の顔を睨み……口をすぼめて吹く。

 

さっき顔面を叩きつけられたときに折れた歯を、男の眼にありったけの勢いで叩きこんだ。

 

「が!?」

 

男が眼を押さえて腰を浮かせた瞬間、腕を引き抜いて逆側の男の顔を突く。

 

「なぁッ!?」

 

さすがに見えない位置なので眼にはあたらなかったが、目の前で同僚が眼を潰された直後だ、顔に指を当てられて覿面にうろたえる。

 

その隙に全身をひねって背中側の男の喉に爪を伸ばす。

 

「抵抗するな!」

 

恫喝の声と同時に、顔面、左目に拳が叩きこまれた。

 

「グ……、ッ」

 

息が漏れる。

 

でも、苦痛の声などあげてやるものか。

 

最後の一瞬まで、私は圭一くんにもう一度会うための努力はやめない。とっくに、そう決めている……!

 

もう一度右腕を引き抜こうとしたが、動かない。

 

「こいつ狂ってやがる、発症してるんだ!」

 

「もう殺そうぜ、何をするかわからん!」

 

そう叫びあう山狗たちの向こうで、たったいま私に目をやられた男が、憤怒の形相で拳銃を抜くのが見えた。

 

冷たい銃口が、震えながら私の顔に向けられる。

 

……まだだ。

 

まだ、終わらない。

 

あんなに震えていてはこの距離でも当たるとは限らない。

 

撃った直後にでも半秒隙を見せてみろ……、今度は、その喉を食い破ってやる……!

 

頭の中で喧しく鳴り響く警報を、全力で無視する。

 

「死ね……っ!」

 

諦めない、絶対に諦めてなんかやらない……ッ!

 

引き金にかけられた指に力がこめられていくのが、やけにゆっくりと見えて……、

 

 

「お前が死ね!」

 

 

がつんと側頭部を殴られた男が、真横に倒れていった。

 

いままで男のいた位置に立っていたのは……、

 

「り……、梨花ちゃん?」

 

正直……この場にはちょっと不釣合いな、予想外の救援。

 

いまの男は不意打ちで頭をやられたせいか、無事なほうの眼で白目を剥いているが、それでもほかに三人いる。

 

戦力差は私のとき以上に歴然としているのに、梨花ちゃんときたら格下の相手であるかのようにあっさりと男たちを無視してわたしの顔を見た。

 

そしてなんとも不機嫌な表情で手にしていた……ええと、ゲートボールのスティックだろうか、それを構える。

 

「……よくもうちの可愛い姉をいじめてくれたわね」

 

ぎりっ、と奥歯が鳴るくらいに噛み締めて殺気を放つ。

 

「あの世で後悔させてやるわ、駄犬が……ッ!」

 

幼い顔の中の大きな黒い瞳、そこに私でさえ寒気を覚えるほどの底冷えする殺意が宿っていた。

 

圧倒的有利な状況にもかかわらず、男たちが息を呑む。

 

その一瞬が、彼らには致命的だった。

 

「ぅがっ!?」

 

足を押さえていた一人が、突然後頭部に膝蹴りを喰らって地面を転がる。

 

「!?」

 

私の背中の男が振り向いたときには、梨花ちゃんのスティックによる強襲が横からこめかみを撃ち抜き、短い悲鳴とともに立ち上がったところへ何者かに急所を蹴り上げられる。

 

「ぐがぁ……ッ!」

 

悶絶しながら膝をつきかけたものの、その顎先を蹴り上げられて背後へと倒れこんだ。

 

その男に圧し掛かられて、最後の一人が慌てたように後ずさる。まるで信じられないものを見るような視線。

 

「……な、なんで、あの鬼がここに……ッ!?」

 

怯えきった視線をたどった先にいた顔は……、

 

「詩ぃ……ちゃん……?」

 

そう呟きながらも、直感的に違うと感じた。

 

違和感がある。

 

詩ぃちゃんは私の親友で、この一年ずっと一緒に過ごして来たから、だからこそ見間違いようもないのだ。

 

詩ぃちゃんでないのなら、目の前にいる詩ぃちゃんと同じ顔をした女の子は誰か、なんて考えるまでもない……。

 

「魅ぃちゃん……、なの……?」

 

でも、これは、本当に本当だろうか。

 

私の都合のいい夢じゃないのか。

 

一年前に消えたはずの彼女が、私の心無い言葉で間違えた方向へ奮起して敗れて、崇りに消される破目になったはずの彼女が、まさか私の危機に現れるなんて……!?

 

「レナ……遅れちゃったね。ゴメン」

 

ちらりと短く、けれど優しさと心痛を帯びた視線を投げる三つ編みの少女の声には、暖かく懐かしい響きがあった。

 

「でも大丈夫。今度は負けない」

 

確かな自信を感じさせる笑みを浮かべ、男に視線を戻す。

 

この場にそぐわない、落ち着いた声音。

 

「園崎家次期頭首……、ううん、違うな。我が雛見沢分校の誇る一騎当千の部活メンバーを束ねる部長、園崎魅音が帰ってきたからには……あんたらの好きにはさせない」

 

「ま、待て……待て待て待て……ッ!?」

 

狼狽した声をあげながら、足をもつれさせつつ逃げようとする男だったが、三つ編みの少女はあっけなく踏み込むと同時に相手の手をとり、無造作に足を払っていた。

 

「げッ!」

 

腕を折られると同時に地面に顔面から叩きつけられて呻く男だったけど、その後頭部へ即座にハンマーっぽい武器がなんの容赦もなく振り下ろされる。

 

ぐしゃ、と音がして男の顔が地面にめりこんでいた。

 

「私に一人くらい残しておきなさいよ。つまんない」

 

とどめの一撃を振り下ろした梨花ちゃんが、おやつをとられてとってもご不満とでも言いたげな顔で睨み付けると、

 

「ご、ごめん……なんで怒られてんのおじさん」

 

魅ぃちゃんとおぼしき三つ編みの少女は微妙に納得のいかない様子で口を尖らせながらも謝った。

 

酷い話だけど、その表情で完全に確信する。

 

 

「魅ぃちゃん!」

 

 

ずいぶん大声だったのか、一瞬目を見開いて私を見た彼女はふわっと顔を綻ばせて、

 

「……あは」

 

私の目の前にしゃがみこむ。

 

「ただいま、レナ。詩音のこと、支えてくれてたんだって聞いたよ……ありがとね」

 

私の身体に両腕をまわして、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 

「ぁ……」

 

おんなじだ、と思った。

 

似ているようで全然違う、詩ぃちゃんと魅ぃちゃん。

 

でも……抱きしめてくれるときの包み込むような優しさと暖かさは、本当にそっくりだった。

 

「……ぉ、おかえりなさいっ!」

 

ようやくそう言ったけど、涙声でひどいことになった。

 

魅ぃちゃんは、なんだかくすぐったそうに笑って私を解放すると頭にぽん、と手を置いた。

 

「ひっどい顔してるよ、レナ! せっかく親友同士の再会だってのに、そんなんじゃ感動三割引きだね」

 

なにもかもを許すというようにウィンクして、あっさりと私が喉の奥に詰まらせているつかえを溶かしてくれる。

 

あの日、魅ぃちゃんを手酷く傷つけた私を、なんの躊躇もなく親友と呼んでくれた。

 

そしてそのことが、何故か私にとっても自然に思えた。

 

私の知らないたくさんの世界、いまじゃないどこかで魅ぃちゃんと多くの時間を共有して笑ったり泣いたり、ときにはやっぱり傷つけ合った自分がいた気がする。

 

うん、思い出せる。

 

彼女も確かに、私の……親友だった。

 

「ひどい顔って……魅ぃちゃんがひっどいよ」

 

こっちもわざとおどけて、ぶーぶーとむくれてみせるけど口の中が痛んで、あんまり可愛くできなかったかも。

 

確かに酷い顔をしてるんだろう。

 

顔面を地面に叩きつけられたり拳を受けたのだから。

 

「はははっ。……あ、レナ一人なの? 圭ちゃんは?」

 

笑っていた魅ぃちゃんの顔が、一抹の真剣さを帯びた。

 

「えっと……ね」

 

悟史くんと一緒にこの場所に圭一くんを捜しに来て山狗に襲われたこと、なんとか逃げ切ってこの罠を発動した圭一くんに会えたけど彼が発症していたこと、そして悟史くんが指揮官風の男と戦っていることを手短に話す。

 

「……あいつか。レナ、ここで待ってて!」

 

魅ぃちゃんは立ち上がると、私の教えたほう、悟史くんのいるほうに向かって駆け出していった。

 

残ったのは梨花ちゃんで、倒れたままの山狗の頭を踏みながら気に入らないという顔だった。

 

「レナがこんな目に遭ってたってのに、圭一の馬鹿は何をやってるのよ! 乙女のピンチに駆けつけるのが主人公の存在価値ってもんでしょーが!」

 

がるる、と唸りそうな勢いだ。

 

山狗の頭をぐりぐり踏んでいるのはまあいいとして、この場合圭一くんを責めるのは酷だと思うんだけど。

 

そう主張したら、梨花ちゃんは怖い目つきで私を見た。

 

「理屈とかどうでもいいの、レナ。あの馬鹿はヒーローを気取りたくてこの一年無茶やってきたんでしょうが!」

 

……ああ。

 

やっぱりこの子も圭一くんのことが大好きなんだな、って実感する。みんな、圭一くんのことをよく見てる。

 

「だったらここで来ないでいつ来るのよ! 今回はレナに免じて許すとしても、次もダメならヒーロー失格ね!」

 

ふん、と鼻を鳴らした梨花ちゃんは小さく笑う。

 

「……ま、しょせん圭一。遅刻くらいでちょうどいいか」

 

『……圭一では仕方ありませんですよ。にぱ~☆』

 

その顔が、いつかどこかの笑顔と重なる。

 

全然違う笑顔なのに、そこにこめられた感情は同じ。

 

「さて、と」

 

梨花ちゃんは肩をすくめると、ぱっと長い髪を流しながら魅ぃちゃんの向かったほうへと走り出す。

 

「梨花ちゃん!?」

 

「ちょっと手伝ってくるー!」

 

ぱたぱたと走り去る彼女はまるで近所に遊びにいくような気軽さで、修羅場へと向かっていった。

 

……それはそうか、と息をついた。

 

彼女はああ見えても、一年前には棒きれひとつで鉈を手にした私と対峙し、すこしの間だとはいってもその技巧だけで私の攻めをしのいでみせた強者だ。

 

力を逃がし、受け流し、踏み込みで相手の間合いを外す。

 

その熟練した棒さばきや歩法は、鍛錬と、そしてなにより修羅場をくぐった実戦経験がなければ身に付かないもの。

 

どこでそれを彼女が身につけたのかはわからないが、そういう彼女を打ち崩すために、あの短い時間で私もその技術を吸収しなければならなかった。

 

それは圭一くんとの模擬戦で一年を経て私の確かな技術となり、ここまでの山狗との戦いでずいぶんと助けになってくれたと自覚している。

 

詩ぃちゃん、悟史くん、魅ぃちゃん、梨花ちゃん……。

 

私はこの夜だけでも、たくさんの人に助けられているんだなあ、と胸の中にほのかな実感があった。

 

「……よし」

 

ぎゅっと拳を握りしめ、あちこち痛みを訴える身体に鞭を打つように立ち上がった。

 

ここで立ち止まっている場合じゃなかった。

 

圭一くんのところへいかなきゃ。

 

今度こそ、彼を……取り戻す!

 

よろめく足取りで炎と煙が風に揺れるダム現場を駆けて、さっきの場所……ファイアストームの前に出た。

 

圭一くんは、そこにいた。

 

「うぁあああッ!」

 

回転しながらの裏拳、それを腕でガードして止めた山狗が後ろへ下がる。

 

同時にもうひとりが踏み込んで警棒を肩めがけて振り下ろしてくるのを腕の鉄板で受け止めると、挟み撃ちを嫌って転がるように立ち位置を変えていた。

 

「……?」

 

山狗の攻撃は、私に対するものとは違っていた。

 

圭一くんを本気で倒そうとするものではない、命中しても多少の怪我で済むような場所を狙い、いわば足止めに徹している気配があった。

 

「ッ!」

 

ぎりっと噛みしめた奥歯に、苦痛と戦慄が走る。

 

直感した。

 

山狗の目的にとって……、圭一くんは利用価値がある。

 

だからまだ、殺さない。

 

あんなふうに圭一くんを苦しめ、仲間思いの彼を疑心暗鬼の淵に立たせ、そして最後に無惨な結末を用意することで自分たちの目的を果たそうとしている……!

 

許せない。

 

憤怒と、そして新たな闘志が身体の奥に沸き上がる。

 

走れ、竜宮レナ……!

 

「圭一くんっ!」

 

戦いの場へと駆け込んできた私に、圭一くんはぎっと振り向いたけど、そこにあったのは警戒と憎悪だった。

 

「ぬぁあッ!」

 

地を蹴り、拳を振りかざして突っ込んでくる圭一くんの姿は痛ましくて……ますます怒りを覚えさせるものだった。

 

私は繰り出される拳に合わせて身体を沈ませると滑り込むように圭一くんの足元を蹴り払い、彼が転がるのと反対側で素早く立ち上がった。

 

「……ッ、竜宮レナ!」

 

この状況下で現れた私を認識した山狗が、背後から警棒で殴りかかってくるが……私は背中に回した腕でそれを軽く弾き止めていた。

 

「な……!」

 

その腕の先には、たったいま地面から拾い上げた愛用の鉈がある。どうみても無防備な背中に攻撃したはずの山狗が驚きに立ち尽くす一瞬で勝負は決まっていた。

 

振り向きざまに鉈を返して、上腕に一撃。

 

骨が砕けるのを感じながら反動で戻ってきた鉈の勢いを殺すことなく逆回転して両手に持ち換え、逆サイドから膝を砕きながら下半身を薙ぎ払い、一瞬で地面に這わせた。

 

「……あと一人!」

 

残りの一人が駆けつける。

 

今度は、いまの相手ほど簡単ではなかった。

 

剣道かなにかをやっているのだろうか、特殊警棒を小刻みに振るって巧みにこちらの鉈の軌道を封じ、隙あらば私の身体めがけて打ち込もうとしてくる。

 

「く……ッ!」

 

火花を散らせながら私はわずかに後退する。

 

相手の警棒の先端は見えている。

 

霞んで見えるほどの速度ではあったが、私に見えない速さであったなら、すでに私は打ち倒されていただろう。

 

だが、いまの私にはダメージが累積しており、スタミナもほとんど残っていない。

 

集中力を維持できているのが奇跡のようなものだ。

 

 

「……レ、ナ……?」

 

 

そこで、耳に飛び込んできたのは、圭一くんの声だった。

 

あやうく、鉈を持つ手が緩んでしまいそうだった。

 

もう一度圭一くんに名前を呼んでもらえることが、こんなに嬉しいだなんて……!

 

「敵……、じゃ、ないのか……?」

 

目の前で山狗と打ち合う私の姿に、圭一くんが戸惑ってるのが……その声だけでもありありとわかる。

 

表情は見なくてもわかる。

 

私たちには、そういう絆がある。

 

「敵じゃないよ、圭一くんっ!」

 

叫びながら、必死で鉈を振るった。

 

泣きそうな声だと、自分でもわかる。

 

視界もわずかに、揺らいでいた。

 

痛みのせいなのか、今夜の私は本当に泣き虫で困る。

 

「レナだよ! レナは、圭一くんのレナ!」

 

その叫びとともに、自分の中の回転数をあげる。

 

腕も痛い、背中も痛い、顔も痛い、脇腹もずきずきする。

 

「レナはいつだって、圭一くんの味方なんだからっ!」

 

それでも、全身の筋肉という筋肉を酷使して鉈を振るう。

 

空中で弾けて散る火花の数が、加速度的に多くなる。

 

「う、ぉ……!?」

 

山狗も必死で警棒を操るが、得物の重量で勝る私の速度が増すたびに彼の負担は大きくなるばかりだった。

 

ついに片腕で振るうことをあきらめ、両腕で構えたものの打ち込みの速度そのものは格段に落ちて、もはや防戦一方になっている。

 

「はぁあぁああ……ッ!」

 

もっと速く。もっと重く。もっと鋭く。

 

秒間に二撃、あるいは三撃。

 

踏み込み、回り込み、剣戟を打ち鳴らす鋼刃のダンス。

 

「思い出して、圭一くんっ!」

 

十数撃続けて組み立てた連打で相手の構えを徐々に上方に向けさせた上で、最後に真下から大振りの斬撃をすくいあげるように放っていた。

 

「ぅあッ!?」

 

これまでの鈍器としての使い方ではなく、鉈の重厚な刃が自分のほうを向いているのを目にして山狗は慌ててそれを受け止めようとしたが、遅すぎる。

 

甲高い音とともに、警棒が弾かれる。

 

私は振り抜いた鉈をそのまままっすぐに振り下ろし、峰のほうで相手の鎖骨を打ち砕いた。

 

「ぐが……、っ……」

 

どさり、とその場に倒れ落ちる山狗。

 

私は構えを解いて荒い息をつきながら、圭一くんのほうに向き直った。

 

「圭一、くん……お、願い……」

 

身体が重い。酸素が足りてない。血も足りないかも。

 

でも、一番足りないのは……。

 

「信じ、て……」

 

歩み寄ろうとして、膝ががくんと落ちそうになる。

 

あれ……?

 

足がもつれて、そのまま地面に沈みそうになる。

 

……もう限界?

 

迫ってくる地面、それでも視線だけは圭一くんに向けようとして……全身が包まれた。

 

「けいいち、くん……?」

 

この一年で鍛え上げられた筋肉に覆われて、ずっと逞しくなった圭一くんの腕の中に、私は包まれていた。

 

「レナ、なんだよな……?」

 

私を抱きしめながら、信じられないというように圭一くんが静かな声で呟いていた。

 

「そう、だよ……レナ、だよ、圭一くん……」

 

まだ息を切らせながらも、頬が緩むのを感じた。

 

一番足りてないなにかが……あっさりと埋まっていく。

 

圭一くんだ。

 

私にはきっと、圭一くんが足りてなかった。

 

「レナ……! 本物の、敵じゃないレナ!」

 

泣き出しそうな顔をした圭一くんが、私の顔をまじまじと見つめて……安堵した笑顔を見せてくれた。

 

「あは、は……、ひどいよ、圭一くん……」

 

私の顔にも、はっきりと笑顔が浮かぶ。

 

「レナ……、圭一くんの、敵だったことなんて、ないよ」

 

なんとなくわかる。

 

これはきっと、ひとかけらの奇跡。

 

まだ完全に元通りの圭一くんじゃないけど、すくなくとも私のことを圭一くんは信じてくれた。

 

それは梨花ちゃんと羽入ちゃんが私にしてくれたことで、いつか圭一くんも、同じことをしてくれたんだ。

 

私はようやく、そのときのお返しができたということ。

 

「そう、だよな……そんなこと、わかってたはずなのに」

 

どのくらい、そうして抱き合っていただろうか。

 

一分? それとも十分?

 

もっと、短かったかもしれない。長かったかもしれない。

 

時間の感覚を忘れてしまうくらいに、そして疲れも苦痛も吹き飛んでしまうくらいに……幸せな時間だった。

 

「……圭一くん」

 

「なんだ……?」

 

彼の瞳を見つめて言った。

 

「梨花ちゃんや魅ぃちゃん、悟史くんたちがね……山狗と戦ってるの。レナと一緒に、来てくれる……?」

 

すこし、彼の瞳が揺れる。

 

でも、と言いかけて言葉を呑み込んだのがわかる。

 

いまの彼には、誰を信じていいのかわからない。

 

世界が全部ひっくり返ってしまったみたいに、思考の中で敵と味方が入り乱れているのがわかる。

 

どうにか私のことは信じてくれたけど、今はそれだけだ。

 

だから躊躇う。

 

躊躇って当然だ。

 

「………………わかった」

 

なのに、頷いてくれた。

 

「レナを一人で行かせられないからな。敵は……」

 

ぎゅっと眉を寄せて目を閉じ、頭を反らして深呼吸。

 

それは、彼がなにかを決断するときの癖だ。

 

「……山狗、でいいんだよな」

 

「うん」

 

迷いなく、頷く。

 

「なら、行こう。話はあとで……聞かせてくれ」

 

私の身体を支えるようにしてゆっくりと立ち上がり、圭一くんは行くべき方向を睨んで迷いを振り捨てた。

 

その横顔を見て……どきりと身体の奥が跳ねた。

 

場違いな恋心が、自分の足で立つ力を与えてくれる。

 

じわりと満たされていく、私という器。

 

あふれそうになるそれを押しとどめて、笑顔を向ける。

 

「うん……行こっ、圭一くん!」

 

「……おう」

 

まるでそれは、なにげないいつもの朝のよう。

 

玄関を出て、学校への道を行くときみたいに。

 

軽い足取りで、ごく自然に一歩を踏み出せた。

 

 

今宵の舞台も、終幕まであとわずか。

 

蒼い月と紅の炎に照らされて、私たちは歩き出す。

 

 

向かう先は、戦場だった。




<雑談>

ダム現場の死闘、中盤戦・裏です。

神楽舞完結後、次に読みたい作品は?

  • 神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
  • ひぐらし短編集
  • ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)
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