『もしもし、魅音ちゃんかい!?』
公由のお爺ちゃんの声は随分と焦っていた。
「ええ、私です。何かありましたか?」
頭首代行の声で答えると、いくぶん落ち着きを取り戻してダム現場近辺の村人から火の手があがっているという連絡がいくつも入ってきていることを話してくれた。
「わかりました。興宮消防への連絡は私が。すぐに消防団を召集して、防災倉庫の下に車を回すように連絡網で指示を。積み込みができた車から現場に向かわせてください」
『しかし、消防団も全員は……』
「連絡のつく人だけで構いません。あの場所では焼け石に水でしょうし、現場は煙もひどいでしょうから、周囲の山林に延焼しないようにだけ気をつけてください」
『わ、わかったよ。すぐに消防団を向かわせる!』
それだけで、電話はいったん切れた。
受話器を置いて、伝え聞いた情報を119番に回す。
本家で食事をとっていた青年団の面々もほとんどは消防団とかぶるので、状況を伝えて食事が終わり次第現場に急行するように指示した。
待機中の組員も、半数は同行して手伝わせる。
「もし不審人物がいたら拘束しておいて。武器を使ってくる場合は、少々荒っぽくしていいから」
「お嬢、そりゃ放火犯ってことですか?」
「その可能性もあるね。相手が素人に見えても油断はしないように。それから、あとで警察に渡すからやり過ぎないように注意して。特に、銃はNGね」
「応ぉう!」
組員たちが出て行くと、軽く息をつく。
レナか圭ちゃんがあのトラップを起動させたってことは、山狗のほうもかなり本気でレナたちを殺しにきたってことになる。
生きて動けさえすれば、脱出ルートは複数用意してある。
一見八方塞がりの袋小路に見えても、ある一点を突破さえすれば建設現場内や川に逃げ込めるように仕掛けたのだ。
心配があるとするなら、もう動けなくなって相討ち覚悟で発動した場合か、発動後に囲まれたりして逃げられないという状況くらいのもの。
でも、……それはないだろう。
レナや圭ちゃんはほかの部活メンバーに比べると場当たり的な思考の持ち主だけど、それだけに勝負勘は人一倍だし正念場でのしぶとさも随一だ。
二人ならきっと、乗り越えられる。
むしろ危ないのは悟史くんのような気もするが……まあ、彼も運のよさだけは特筆に値するし、大丈夫だろう。
頭では割り切れる、割り切れるけど……心は別だった。
「みんな、無事でいて……」
縁側の柱に額を押し付けて、駆け出したい衝動を抑える。
本当ならレナと一緒に行きたかったけど、いまの私は魅音の役割をこなさなければいけない。
村にとっての有事があったときにはリーダーとして指示を下し、私たちの戦いにおいても後方にいて、必要なときに必要な増援を手配するほうが私一人の戦力よりも有効だ。
そうわかってはいるが……、いまはその立場が疎ましい。
「本来、それが私なんだよね……」
こんなに重くて不自由な枷を、あの優しい妹に背負わせてしまっていた。
それは誰よりも人を思いやるあの子に何度、なにもできない無力を嘆かせ、悔し涙を流させたのだろう。
あの日の暴走、そしてあの子が崇りで失踪するはめになったのは……この重圧故だといまは理解できる。
大きな力と権限を持つ『園崎魅音』でありながら、『園崎魅音』であるがために何もしてあげられない。
それなのに気安くあの子から『何もしない』という最善の選択肢を奪って、急き立てたのはこの私だ……!
噛んだ唇が切れそうになったが、庭に落ちる雨音を耳にして顔をあげる。
「雨……」
消防団にとっては恵みの雨だろう。
ひょっとしたらそもそもあの場所の盛大なファイアストームが生み出した雲なのかもしれないが、ともかくこれで消防がたどりつくころには火勢は弱まるはず。
「お嬢、お電話です!」
組員の声で、電話の前に戻る。
公由のお爺ちゃんからだろうか……?
「もしもし、お電話かわりました」
『私です。悟史さんたちを確保しました。山間を回って、谷河内方面から前原家までお送りします』
葛西だった。車載の自動車電話からだろう。
山狗の盗聴は気になるところだが、向こうも少ない戦力をあの場所に集中して投入した直後だ、いまさら前原屋敷で葛西たちを待ち伏せできるほどの余力はないだろう。
それよりも、ひとつ気になることがあった。
「その言い方だと、悟史くんは無事なんですね? それでレナと圭ちゃんは……?」
葛西は刹那の沈黙のあとではっきりと言った。
『お二方とは現場ではぐれてしまったそうです』
「なっ……!?」
ある程度予想していたこととはいえ、衝撃は小さくない。
もともと行方不明だった圭ちゃんに加え、レナまでが炎の中に消えてしまったというのは……かなりの痛手だ。
『怪我人も多いですし、消防団と鉢合わせてもいけませんので退避を優先しました』
悔しいが、葛西の判断はこれ以上もなく的確だ。
消えた二人が、もっともあの場所をよく把握しているのだから……捜索に時間をとるのは無駄でしかない。
「そうですか……、ん、けが人が多い?」
妙な言い方が引っかかったが、雑音がひどかった。
自動車電話も山の奥では通じにくくなるのが当然だから、これは仕方ないといえば仕方ないのだ。
「わかった。私もそっちへ行くから」
……消防団のほうも、しばらくは消防との協力態勢で連絡がつかないだろう。
一応組員にその場の電話連絡を任せて、なにかあれば前原家に連絡を入れるように伝え、車で別荘地前に送らせる。
ダム現場のほうも一段落したなら、私がここにいる意味も薄くなったと思っていいはずだ。
炎に包まれたダム現場で何があったのか。
これから山狗と戦う上でより重要なその情報を得るため、私は前原屋敷に向かった。
……はずだったのに。
「げふぅ……」
「み、魅音さん、しっかりっ!」
なんでその前原屋敷の玄関先で死にかけて、沙都子に介抱されているのだろうか。
「えーい、はなせ! はなさんか、はぬー!」
「駄目なのです、魅音が死んでしまうのです!」
目の前では、5歳くらいの幼女、赤坂刑事の娘さんとやらが羽入にしがみつかれてばたばたしている。
この幼女こそが、二度に渡るロケットアタックで私を瀕死に追い込んだ、惨劇の主人公である。
「ママをあまくみるな……! このていどでしぬほどやわにはできておらんわー!」
何故か、この幼女は私をママと呼んでいる。
さっぱりわけがわからないし、これ以上同じ衝撃を喰らえばいくら私でも死んでしまう。
とにかく説得しなければと、あちこち痛いのを我慢しつつ立ち上がった。
「くぅ……お願い、話を……」
「ママがたった! ママがたったー!」
私ゃクララじゃないっての。
「カウント9.5でたった! いや、みせますなぁ~」
あんたのママはどこのボクサーか。
「だ、大丈夫ですの?」
「うん、なんとかね……」
幼女の頭が直撃した鳩尾をさすりながら、沙都子にかろうじて笑顔を返してみせる。
「どういうことですの? なんで美雪さんが、魅音さんをママだなんて……」
「それはこっちが聞きたいよ……」
あんな大きな子供がいるわけない。
「ええと……その、ママは中学3年生、とかそういう」
「ないない」
沙都子のありえない妄想に苦笑してきっぱり否定すると、
「……ですわよね……」
なぜかずぅぅぅぅんと落ち込む沙都子だった。
いったいなにがあったんだろう。
心に傷を負っているように見えるんだけど……?
「…………、魅音ちゃんが来たなら、ひとまずは安心ね。私は診療所に戻らなくちゃいけないから、これで……」
と、間抜けな遣り取りをしている私たちに適当なことを言いながら鷹野さんが玄関を出て行こうとするけれど、
「よければもうすこしいてもらえます? いま連絡がありまして、ダム現場で火事があって……葛西が怪我人をここに運びこむって言ってましたから」
「え?……だったら、診療所に……」
「診療所はどうも手いっぱいらしいんで、応急手当でいいからよろしくお願いします」
いまの状況でここに鷹野さんがいるのは好都合だった。
山狗にとっても、ダム現場であの大掛かりな罠に巻き込まれたのは大きな痛手だろう。
消防団に、消防、警察……次々と駆けつけるそれらを始末するわけにもいかないし、負傷者を連れて退避するだけで精一杯のはずだ。
その混乱の中、名目上の指揮官かもしれないが事実上山狗の行動に責任を持つ鷹野さんが戻らない。
場合によっては、鷹野さんをこちらの手の内に確保しておくことで……彼らのお姉というカードを相殺できる!
「……そ、そう。わかったわ」
すこし動揺しながらも、鷹野さんが頷いたそのときだ。
「ありがとうござ……ッ!?」
寄りかかっていた玄関のドアが急に引かれて、思いっきりバランスを崩して背中から倒れる。
がちん、と後頭部が叩きつけられて星が散った。
「のぉおお~ッ!?」
あまりの痛さにのたうちまわる私を、不意打ちでドアを開けやがった不届き者が気まずそうな顔で覗き込む。
「……あるぇ~? なにやってんの、詩音」
「ぐぐ……、お姉のせいでしょーがッ!?」
と噛み付くような勢いで怒鳴りつけてから、自分で自分がおかしくなったのか、それとも今ので魂が抜けて死後の世界にでもいるのかと本気で疑う。
「……お姉……、ですか?」
ぽかんとしたまま、勝手に口をついた言葉。
なんでこの人ここにいるんだろう。
一年間、お姉を助け出そうと頑張ってきたのに。
お姉を助け出すために、山狗と戦う覚悟だってしたのに。
どうしていま、ここに立って私を覗き込んでるんだろう?
「あはは……、ただい、」
「みみみみ、魅音さんが二人ッ!?」
たぶんただいまと言おうとしたんだろうけど、私と同じくあんぐり口をあけていた沙都子が仰天の叫びをあげる。
「あぅあぅあぅ、どうして魅音がもう一人!?」
羽入、あんたは双子だって知ってるでしょーが……。
そしてもう一人。
お姉をびっと指差した幼女が、憤然と言い放つ。
「ママのにせものー!」
「な、なんで私のほうー!?」
なにやらショックを受けたらしく頭を抱えるお姉だった。
幼女は、くっくっく、とお姉そっくりな笑みを浮かべながら腕組みをして言った。
「ママがふたりいたら、つよそうなほうがほんものさ!」
「なにその超理論!?」
「みゆきのママは、きょーぼーです」
ぐぬぬと悔しそうなお姉は、私に振り返ると息を荒げて、
「円満な家庭生活のために血を分けた妹を抹殺しなければならないとは……詩音、不甲斐無い姉を許してね……!」
「なに物騒なこと言ってんですかー!?」
さすがに冗談だと思うけどなんだか目に本気の殺意が宿っていたようないなかったような気がするので慌てて立つ。
「みゆきのママけっていせん! れでぃー、ふぁいっ!」
何故か心底愉快そうな幼女が右手をあげて叫んだ瞬間、
「だからお前はアホなのよぉっ!」
私たちの間を走り抜けていった梨花ちゃんが幼女にドロップキックを放ち、幼女は真後ろの羽入に激突して、羽入はなすすべもなく吹き飛んで廊下を転がっていった。
「あぅあぅあぅ……いたいのれすぅ」
あ、生きてる。
一方、ダメージを羽入が肩代わりしてくれたせいで大してこたえなかったらしい幼女は拳を震わせて、
「くぅ……やっぱりいちばん強いのはこいつか。こんな、こんなちんちくりんをママだとみとめていいのか!?」
いや……それは、認めちゃだめでしょうよ。
「かくなるうえは、みゆきが……きぃやぁあーっ!?」
ぐっと顔をあげた途端、幼女が真顔で悲鳴をあげる。
「忘れたか小娘。私はガンダムより強……ふおぅ」
「ひっ!?」
幼女が悲鳴をあげたくなるのも無理はない。よろめいた梨花ちゃんは、顔面が血で真っ赤に染まっていた。
「や、やばいわ鷹野。血が足りない。レバニラひとつ!」
「そこでレバニラを注文するのがはかりしれないというか梨花ちゃんらしいけど……こっちへいらっしゃい」
さすがに見かねた様子で梨花ちゃんを支える鷹野さんだ。
「……け、決着はまた今度にしよう詩音」
お姉は梨花ちゃんのアホさに毒気を抜かれたようにそう言いながら幼女のほうへと向かい、
「美雪ちゃん、遅くなってごめんね。寂しくなかった?」
なんだか親しげに微笑みながら頭を撫でる。
「さみしかったけど、おねーちゃんたちがあそんでくれたから、へーきだったよ! みゆき、いいこにしてた!」
さっきまでのアホっぷりはどこへやら、満面の笑みでお姉に抱きつく幼女だった。
「そっかそっか。うん、美雪ちゃんはいい子だ!」
そして沙都子のほうへと振り返り、
「沙都子、遊んでくれてありがとね!」
「……いえ、なんだかよくわかりませんけど、どちらかといえば私たちが遊ばれていたような気がしますわ」
事態についていけないながらも沙都子がそう答える。
「あははは、そりゃーねえ! 美雪ちゃんには未来の部長として、いまから英才教育をほどこしてるからねっ!」
「3ねんでぜんこくのねらえるチームにしてみせます!」
胸を張るお姉&美雪ちゃん。
えぇと……。
私もなんだかわからないけど、その教育方針は多分根本的なところで間違ってる気がしますよ、お姉……。
「たのもしいやらおそろしいやら複雑な気分ですわ……」
「同感です、沙都子……」
なんとなく二人してその場にへたりこんだところへ、葛西に肩を借りた悟史くんがやってくる。
「ただいま詩音。アヴドゥルやった?」
痛そうに顔をしかめながらも、何故か明るくそんなことを聞いてくる悟史くんだった。
「……やりませんし、知りません」
「そっか……むぅ。残念だなぁ」
私に何を期待しているんでしょうか、この人は。
「お疲れ様です、詩音さん」
葛西がどこか面白がるように唇の端を歪めて言ったのが、皮肉のようにしか聞こえなかった。
「えぇと、魅音さんの双子の妹さんが詩音さんで……去年からわたくしたちと一緒にいらしたのは詩音さんのほう、ということですの?」
前原家のリビング。
すっかり混乱した様子の沙都子が念を押すように問う。
「そういうことです。騙していてごめんなさい、沙都子」
素直に頭を下げる。
鷹野さんの膝を枕に寝ている、包帯を頭に巻いた元祖アホ幼女が愉快そうににやにやしているのが視界の隅に入ってちょっとムカついた。
「いえ、謝られることでは……ないように思いますけど。その……魅音さん?」
「うん?」
美雪ちゃんを膝に乗せたお姉が、小首を傾げる。
「一年前の綿流しの日に、わたくしの首を絞めようとした叔母から、助けてくださったのは……魅音さんですの?」
それは沙都子の口からはじめて語られる、あの夜の記憶。
「……おぼろげにしか覚えていなくて申し訳ないんですけれど、魅音さん、か、詩音さんがわたくしを助けに来てくださったように思いますの……」
間違っていたらどうしよう、という怖れが、ありありと顔に出ていた。
お姉はなにかを思い出すように短く目を閉じてから、
「……うん。それ、私」
小さくそう答えた。
「あ、でも叔母を殺したのは私じゃないよ。別の連中っていうか……事故に近い、かな」
「事故?……に、近いというのがよくわかりませんわね。それに、別の連中っていったい……」
情報量の少ない沙都子に見当がつかないのも当然だった。
「まぁ……、この一年で私が調べたことをぶっちゃけて話すとね、雛見沢の裏側に山狗って呼ばれてる連中がいる。そいつらは……入江診療所の手下なの」
「えっ……」
そこで沙都子の視線が鷹野さんに泳ぎ、羽入はあぅあぅと困ったような表情を浮かべていた。
鷹野さんは……どこか観念したような、どちらかといえば穏やかな無表情を保っていた。
「ど、どういうことですの? 診療所がどうして……」
「あそこはただの診療所じゃないんだ。雛見沢の風土病を研究する国の機関でね。基本的にはその風土病を治すための研究をしてるから、別に悪の組織ってわけじゃない」
そう言いながらも、お姉が鷹野さんに向ける視線はどこか鋭さを帯びたものだった。
「問題なのは、その病気の性質なんだよね。精神病に近いのかな。症状が進むと誰も信じられなくなって、殺されるかもしれないって思い始めるようになる」
「あぅ、魅音……!」
羽入の制止はすこし遅かった。
目を見開いた沙都子は、一瞬の後、どこか陰のある表情で俯いて……しかしすぐに、顔をあげた。
「わたくしもその病気に……かかってますのね?」
その目には、確かな闘志があった。
それを見てどこか満足そうに頷いたお姉は、
「そうだと思う。一年前は、私もすこしまずいところまでいってたかもしれないね。とにかく、怖いのはこの病気にかかると疑うあまり人を殺してしまいかねないってこと」
沙都子が、痛みを覚えたように胸の真ん中にぎゅっと拳をおしつけて息を呑む。
かつて吊り橋で圭ちゃんと羽入を殺しかけ、綿流しの夜に叔父夫妻を殺そうと計画した。それを沙都子がどこまで覚えているのかわからないが……全部忘れたわけではない。
「そしてこの村の人は、みんな潜在的にこの病気にかかっていて……精神的に追い詰められれば、誰でも人を殺してしまいかねないってわけ」
だから昔は鬼の棲む村なんて呼ばれたのかもね、とどこか軽い調子でお姉は付け加えた。
「普通に暮らしてるぶんには善良な村の人たちが、なにかのきっかけで殺人鬼になりかねない。そんな病気の存在をおおっぴらに言って回れると思う?」
沙都子はすこし考えてから首を振った。
「わたくしでしたら、秘密にしておきたいですわ」
この子の聡明さは驚異的といってもよかった。
驚くべき理解力で、お姉が示したヒントから答えを導く。
「だね。その病気と、診療所が研究機関であることを秘密にしておくための手段……それが山狗ってわけ」
「そこがよくわかりませんわね……その山狗さんとやらがどうやって秘密を守るんですの?」
それに答えたのは、お姉ではなかった。
「秘密を知った人や、病気が進行しすぎて手がつけられなくなった人を……殺すか、あるいは隠すか」
梨花ちゃんだった。
その言葉にひっと息を呑む沙都子。
「その意味では、私たちはもう、山狗に殺されるべき対象ってことになるわね。……鷹野?」
自分の真上の鷹野さんに薄い笑みを向ける。
たまに真面目な顔をしたときのこの子はずっと年上のようにも思えてしまうから不思議だった。
鷹野さんは、ちらりと沙都子の顔を見ようとして……ぶつかった視線を横に流す。
「そう……ね。機密保持の観点からいえば、放置しておくことはできないでしょうね」
しばし、沈黙がリビングを支配する。
「ま、鷹野がそれを山狗に言おうが言うまいが、あんまり結果は変わらないわ。すくなくとも私たちは、とっくの昔に山狗と交戦状態に入ってるわけだからね」
梨花ちゃんの言葉に、沙都子はややあって頷いた。
「梨花たちがなにごとか悪さをしているのは、なんとなく気づいてましてよ。春先に作ったトラップなんか、遊びのためとは思えませんでしたもの……あっ!?」
さすがに気づいたようだ。
「ダム現場の火事って、まさかあれを使ったんですの?」
「ご名答です、沙都子。多少こちらでアレンジを加えたり沙都子が冗談めかして言ってた連鎖発動も仕掛けちゃったりしましたんで、予定よりちょ~っと派手ですけどね」
沙都子は不服半分、不満半分という複雑な顔をした。
前者は間接的にとはいえ殺傷力のある自分のトラップを勝手に実戦で使われてしまったことで、後者はその発動の場面に自分が立ち会えなかったのを惜しんでいるのだろう。
「じゃあ……圭一さんも、今は?」
「うん。ダム現場で会った圭一は、最初はレナにも攻撃を仕掛けてきたからね。でも、レナがなにをしたのかわからないけど、最後は元の圭一になって戦ってくれてた」
その悟史くんの穏やかな言葉に、鷹野さんがはっと息を呑むのがわかった。
「……本当に?」
「ええ、本当よ鷹野。急性発症……でないにせよ、発症を引き起こすほうの薬を圭一に投与したんでしょ? 残念、あてが外れたわね」
皮肉たっぷりに梨花ちゃんが言う。
「発症を引き起こすほうの、薬……!?」
さすがに愕然とする沙都子。
それは私や悟史くんたちも似たようなものだった。
思わずみんなの視線が、鷹野さんに集中する。
「……研究のお金が出ているのは防衛庁だからね。研究の全部が全部、治療のためじゃないことはわかってた。でも圭ちゃんの暴走にそれが使われてたとはね……」
お姉の言葉に、鷹野さんは目を伏せる。
「どこでそれに気づいたのかしら……?」
「忘れたの? 私はオヤシロさまの巫女よ……この雛見沢で、私にわからないことなんてないわ、鷹野」
その横柄な言い草でようやく気づいた。
梨花ちゃんが言ってた、綿流しの夜に崇りそのものという死に方をするはずだった富竹のおじさま。
そこに使われたのが発症薬なら、今回の圭ちゃんの理由が見当たらない暴走にも、それが関わっていて当然だ。
この幼女、言動はアホそのもののくせに、決して頭は悪くない……!
「それじゃ、まさか……」
「いまさら両親のことを蒸し返すつもりはないわ。羽入も薄々は気づいてたでしょ?」
梨花ちゃんは身体を起こしながら、包帯で乱れた長い髪を邪魔そうに背中に払い落とす。
「……あぅ。そうかもしれない、とは思ってました」
羽入が膝の上で小さな拳をきゅっと握り締める。
「ほかに父様や母様をどうにかする理由と能力を持つ人が雛見沢にはいませんのです……。研究に協力しないと言う母様を止められなかった、僕の罪です」
震える声でそう言う姉を一瞥もせずに鼻を鳴らす。
「なんでもかんでも自分の責任だと思い込むのはあんたの悪い癖ね、羽入……。だったら、最初からそうなることを知っていてお母さんを止めなかった私のほうが罪深いわ」
肩をすくめながら息をつく横顔は、同性の私から見ても妖艶な雰囲気を帯びていた。
「……知って、いたのですか?」
「残念ながらね。研究のことさえ秘密にされていた当時の私には、それこそなにもできなかったでしょうけど」
まるで他人事のように突き放した言い方だったけど……、その黒い瞳に浮かんでいるのは、紛れもなく他人事などではありえない、深い哀切の色だった。
「誰も悪くなかった、なんて綺麗ごとは言わないわ。研究を続けるためにお父さんやお母さんを切り捨てる決断をした鷹野も悪い、止めなかった羽入や私も悪い」
「……あぅ」
反論の言葉はなかった。
ふ、とほろ苦い笑みを浮かべて鷹野さんを見る。
そして……そっと手を伸ばして、その手に重ねた。
「その罪は一緒に背負いましょう。これから償っていけばいいわ……お父さんもお母さんも、それを望んでるはず」
「梨花ちゃん……」
鷹野さんがようやく伏せていた目を開いて……梨花ちゃんを正面から見つめる。
「そこまで知っていたということは……去年は、私と山狗を利用しようとした、と思っていいのね……?」
搾り出すようなその声に、梨花ちゃんは目を細めて、くすくすと耳に障る笑い方をした。
「そうよ、鷹野。あなたの嗜虐心と罪悪感につけこんで、沙都子を救うためあなたに山狗を動かさせたのは私。子供にいいように操られ、踊らされた感想はどう……?」
まるで悪魔のような冷笑を浮かべてそう言った。
「ほ、本当ですの、梨花……?」
沙都子の声に梨花ちゃんはにやりと不敵な笑みで答えた。
「鷹野と山狗が殺してくれれば、仲間は誰も手を汚さなくてすむと思ったからね。私たちの両親を殺したように」
それは魔女の告解だった。
いまにも狂ったように笑いだしそうだった梨花ちゃんに、
「嘘ですわね」
醒めた言葉が叩きつけられる。
私にはぐらり、と梨花ちゃんが揺れたように見えた。
でも梨花ちゃんはさっきと同じ姿でその言葉を発した沙都子を見返して小さな唇を開く。
「……嘘……?」
「いまの言葉がなによりの証拠ですわ。梨花」
言葉のナイフが、梨花ちゃんの胸に突き刺さる。
「三四さんが梨花の思惑通りにそれを実行して、なにもかもがうまくいっていたのだとしても……梨花はそれを三四さんに押し付けるつもりなんかなかった」
「なにを……」
「いつか、いまと同じように自分が操っていたと明かし、三四さんが犯したはずの罪を梨花自身が背負うつもりだったのでしょう?……梨花こそ、それは悪い癖ですわね」
梨花ちゃんが、ぐっと言葉に詰まるのがわかった。
それから小さく笑い、ソファに軽くもたれる。
「沙都子にはかなわないわ。……そういうことかも、ね」
その微苦笑は、魔女のものではなくなっていた。
歳相応でこそなくとも、ただの疲れた少女の顔だった。
「……勝手に、私の罪まで背負わないでちょうだい」
哀しげに呟きながら、鷹野さんが梨花ちゃんの小さな手を逆に包み込む。
「少なくとも私は、圭一さんを陥れて、あなたたちを見捨てようとした。……いえ、今もそうする側に立っている。誰のものでもない、私の意志でね」
その言葉を吟味するように沈思黙考していた梨花ちゃんだったが、なにかに気づいた様子で視線に刃の鋭さを含ませて鷹野さんに問う。
「鷹野……あのときの約束は、破っていないわね?」
鷹野さんが、あっと小さく声をあげかけて口をつぐむ。
全てを見透かされたように苦しげな表情になるのが、傍目からでも手に取るようにわかった。
「答えなくていいわ、いまのでわかった」
「……本当に、魔女みたいな子ね」
叱られた子供のようにしゅんとなる鷹野さん。
「どういうことです?」
こっちはわけがわからないので梨花ちゃんに聞いてみた。
「そうだよ、そっちだけわかったつもりにならないでよ」
お姉も同調してくれる。
「あぅあぅ……僕は、なんとなくわかりましたのです」
羽入が眉を八の字にしながら穏やかに笑う。
「……わたくしも、わかりましたわ」
こちらは傷ついたような声音で沙都子。
「僕も。家族として暮らしてきたのは、伊達じゃないよ」
悟史くんまで吊った腕をもてあました様子でそう言った。
「ええ。……それもまた、ひとつの選択かと」
ずっと黙って控えていた葛西まで頷いていた。
「あ、あるぇ~?」
「……わかってないの、私たちだけ?」
ひきつりながら言うと梨花ちゃんがくすくす笑って、
「さすが、姉妹そろって空気を読めないことで……」
「だいじょぶだよママ、にせママ。みゆきもわからん!」
ああああ、美雪ちゃんにまで気を遣われましたよ!?
必死で脳をぐーるぐる回転させ、お姉と双子のアイコンタクトを交わす私だけど、
『どう、お姉!?』
きゅぴーん。
『だめ、全然!』
ぴきゅーん。
……案の定というべきか、さっぱりわからなかった。
いやなところで、この子と私は双子なんだなと実感する。
「降参?」
意地悪な問いに、私とお姉はそろってそっぽを向きながら口笛を吹いてみせた。
やれやれと髪をかきあげた梨花ちゃんは、何故だかすこしだけ自慢げに胸をそらしながら鷹野さんを見る。
「……鷹野はね、以前、私と約束したのよ。何があっても最後まで、沙都子の味方でいてあげてくれるって」
それは答えではなく、ヒントだった。
私とお姉も顔を見合わせ、同時に答えにたどりつく。
「……そういうことでしたか」
「つまり……、山狗の勝ちに賭けたってこと」
正解、と梨花ちゃんが微笑みながら頷く。
山狗の指揮官であり、部活メンバーでもある鷹野さん。
彼女の勝利条件はきっと、沙都子の生存だった。
五年目の崇り。
その行き着く先がどういうものなのかは知らないが、こうしていま圭ちゃんを暴走させ、山狗が動いている以上そこには誰かの思惑がある。
梨花ちゃんの言うように羽入の死かもしれないし、診療所の秘密を探る私やレナたちを始末することかもしれない。
とにかくそこには少なからぬ死が予定されていて、それが山狗の背後にいる誰かにとっての勝利条件。
その中には当然、沙都子も含まれる怖れがあった。
だから彼女は取引をしたのだ。
誰を殺すのも構わない、ただ一人だけ救う権利をくれと。
ほかの全てのチップを投げ打って、沙都子の命を勝ち取るために山狗側が勝利するほうに賭けたのだ。
なるほど、それは最善の選択だ。
山狗の指揮官であり、その実力と装備を知る彼女にとってたった数人の子供がそれに勝つなどとは計算できない。
そちらに賭ければ、沙都子は間違いなく死ぬ。
すくなくとも……、そのときの彼女はそう思ったのだ。
もちろん、黒幕が約束を守るとは限らない。
勝利したからといって、守られない可能性のほうが高い。
そんなことは百も承知で、それでもなんとかして沙都子を救いたかった。その取引だけをたよりに知恵を尽くした。
確定的な死よりは、たった1%でも生きる可能性を。
秘密を知る鷹野さん自身だって黒幕に消されるかもしれないけれど、そうなってもきっと彼女はなんとかして沙都子だけは逃がそうと足掻いただろう。
それは、間違った努力かもしれない。
沙都子が喜ぶ結末ではないのかもしれない。
でも。
……子を思う母の選択として、当然のものだった。
山狗という脅威を知りながら、羽入の身を思って研究への協力を断った古手姉妹の母親の選択と、全く同じだった。
そこに賢い理屈などいらない。
まだ巣立てない我が子を、自らの身と心を捨てて巨大な敵から守ろうと必死に足掻く姿を笑えるものなど……世界のどこにも、いるわけがない。
「……でも、鷹野。いいのかしら?」
梨花ちゃんはあくまでも優雅な仕草で立ち上がり、どこまでも不遜に腕を組みながら笑ってみせた。
「勝つのは圭一と、私たちよ」
その不敵な勝利宣言を、鷹野さんは沈黙で受け止める。
「圭一は、あなたの投与した発症薬でレベル5寸前まで行きながらも、ちゃんと私たちを助けにきてくれた」
突きつけるのは、事実。
「レナは山狗をなぎ倒して診療所から脱走し、魅音は赤坂という味方を連れてこの雛見沢に帰還した」
そして、希望という名のカードだった。
「そして詩音や沙都子の仕掛けたあのトラップ。私の見たところでは、まともに動ける山狗はもう半分も残ってないでしょうね……こんなこと、ひとつでも予想できた?」
できるわけがない。
絶望的な状況下、誰もが満身創痍で、それでもまだ山狗に勝つためにいくつもの策をめぐらしている私たち。
敵は手強い。希望の灯は揺らいで消えそうだ。
でも、私たちの胸にある炎、不屈の炎は誰にも消せない。
「賭けなさい。部活メンバーと……、前原圭一の名に」
梨花ちゃんは手を差し伸べていた。
「雛見沢の英雄、口先の魔術師、非凡なる凡人。そして、運命さえもひっくり返す稀代の大嘘つき」
それはどれも、正しく圭ちゃんをあらわす言葉だった。
「……そんな嘘つきを信じろと?」
鷹野さんが唇を歪める。
でも、梨花ちゃんは寸毫たりとも揺るがない。
「ええ、そうよ。本当の嘘つきってね、どんな荒唐無稽な嘘だって本当に変えてしまう詐欺師のことを言うのよ」
ただ不敵な笑みを崩さぬまま、そう言ってのけた。
「誰も望んでいないような、気に食わない『本当』にも、誰も救うことのない哀しいだけの『嘘』にも……私たちはずっと苦しめられてきた。でもね」
苦難を乗り越え、傷つき疲れ果てた魔女の笑み。
でもそれは、闇の中に導く星を見つけた者の笑顔だった。
「どこかの誰かの都合で振り回されるのはもうおしまい。今回は振り回すのが私で、好き勝手に暴れるのが私たち。なにが本当で、なにが嘘なのかは……私たちが決める」
何故か、わかってしまう。
これはきっと……古手梨花にしかできない笑みなのだ。
そしてその魔女は確信している。
前原圭一という名の大嘘つきが仕掛けた冴えたイカサマ。
嘘にまみれた、けれど胸のすくような大勝利を。
「百年負け続けたって、最後に勝って笑うのは私たちよ」
だから、その手はただ……まっすぐに差し伸べられる。
<雑談>
なにこの全編会話パート。
神楽舞完結後、次に読みたい作品は?
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神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
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ひぐらし短編集
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ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)