ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第128話 ロジックじゃないです

それはどうしようもなく、奇妙な光景に思えた。

 

必死で逃げ続けて、屈しかけた豪雨の夜も。

 

研究を面罵され、踏みにじられた失意の夜も。

 

あれほどに求めながら差し伸べられなかった救いの手が、私に向かって差し出されていた。

 

目の前のそれを、自分がどれほど狂おしく求めていたのかを思い知らされて……涙に咽びながらその手をとってしまう寸前で……思いとどまる。

 

確かにそれは、なによりも私が欲していたものだ。

 

打算も理屈も抜きに、私の味方だと言ってくれる誰か。

 

友人でもいい、恋人でもいい、家族でもいい。

 

ただ人間として、私を必要としてくれる暖かい場所。

 

おじいちゃんや小泉先生が亡くなったときに、永遠に失くしてしまったと思っていたもの。

 

心から欲しながら、それでいて他人を受け容れない自分が悪いのだと知っていても、目的のために心は孤高であろうとする自分の生き方を呪ってきた。

 

 

でも……それでも、いま、この手をとってはいけない。

 

 

「……悪いけど、それでもあなたたちに勝算はないわ」

 

声が震えないように気をつけて、そう言い放つ。

 

「ダム現場でなにがあったかは知らないけど……それでもあなたたちに小此木は倒せなかったでしょう?」

 

梨花ちゃんは、手を下ろさずにじっと私を見つめ返す。

 

「当然よ。いまは戦闘向きじゃない山狗の指揮官に据えられてクサッてるけど、そんなに甘い男じゃないわ」

 

小此木の経歴は一部しか知らされていないが、それだけを見てもあれは本物の戦闘屋だ。

 

普段はおちゃらけているように見えても本物の戦場、生き死にの修羅場を、幾度となく潜り抜けてきた経験と実績の持ち主なのだ。

 

ずっと以前、人を殺したことがあるのかと聞いてみた。

 

答えは「数えるのが面倒になってやめちまう程度には」。

 

あまりにも平然として笑って答えたので、余計に背筋が寒くなったのを覚えている。

 

銃火の飛び交う戦場を駆け抜ける兵隊稼業も、素手で標的の首を折るような裏の仕事もこなしてきた本物の人殺し。

 

レナちゃんの宿す天賦の才や、魅音ちゃん、詩音ちゃんの常人離れした有能さをもってすれば、山狗の一般隊員には対抗できても不思議ではない。

 

もともと彼らは隠蔽工作を本業として配置されている。

 

形ばかりの戦闘訓練しか受けていないから、素人相手で数を頼みにすればともかく、殺し合いの場では役に立たない連中だと小此木自身がよく嘆いている。

 

実際、一番マシだと言って小此木が直接指揮していた鳳が去年は魅音ちゃんひとりに翻弄され、脱走したレナちゃんは見るも鮮やかに数人を打ち倒した。

 

そして小此木が自身が現場で指揮をとり三十人近い山狗を投入したダム現場の一戦の結果をみても明白。

 

怪我を負いながらも、この子たちが戻ってきたところからみれば相当に苦戦していることはうかがえる。

 

だがそれでも、小此木が敗れることは想像しがたい。

 

たとえ山狗が全滅して残ったのが小此木たった一人でも、この場にいる全員を死体にしてしまえるだけの圧倒的な力の差が厳然と存在している。

 

そして、終末作戦を推し進める意志は巨大で苛烈だ。

 

事態の推移にもよるが最悪の場合、山狗とは錬度も装備も全く違う戦闘を本務とする番犬部隊さえ投入されかねないのだから、脅威の規模が違いすぎる。

 

沙都子ちゃんの生存という私の絶対条件を満たすためにはやはり……、この手をとるわけにはいかない。

 

「……ふん。私の圭一がどうやったらあんなバトルマニアごときに負けられるのか教えてほしいくらいだけど」

 

手を差し出さず見つめ返す私に、梨花ちゃんは笑う。

 

「それが鷹野の選択なら、それでいいわ。そのかわり」

 

当然、だろう。

 

私の背後、出口を塞ぐように立った葛西さんが何を意味するのかわからないほどに私は愚鈍ではない。

 

情報源、人質、いくらでも私の使い道はある。

 

敵中で孤立した状態の私を、拘束しない理由はなかった。

 

梨花ちゃんはにやりと子供らしからぬ笑みを浮かべて、

 

「……あんたが負けたら、罰ゲーム覚悟しなさいよ?」

 

などと告げた。

 

一瞬、ぽかんとする。

 

「それ……だけ?」

 

「だけってなによ。魅音も戻ってきたことだし、とびきり過激な衣装を用意させるわよ?」

 

いや、そうじゃなくて……。

 

「捕まえないの? 縛って転がすとか……」

 

そう聞いてみたが、梨花ちゃんはむしろ引き気味に、

 

「あんたそーいうプレイが趣味なの? どちらかといえばSだと思ってたんだけど……」

 

「ちょ、そんなこと言ってないでしょ!? だから、私を捕虜として扱うんじゃないのって……」

 

思わず沙都子ちゃんとの付き合いを控えさせたくなる台詞を遮って当然の理屈を並べるのだが、

 

「それじゃ面白くないじゃない。山狗側につくと決めて全力で戦うのもよし、向こうがヤバくなったらこっちに寝返るのもよし。沙都子のために戦うって決めたんでしょ?」

 

「それは、そうだけど……」

 

ただでさえ低い勝ち目をさらに低くするつもりだろうか。

 

さすがに呆れた目で見てしまうのだが、梨花ちゃんはない胸を大きく反らしてふんと鼻を鳴らしてみせた。

 

「勝ちゃあいいのよ」

 

いかにも部活メンバーらしい、シンプルな答え。

 

「診療所に戻るなら、小此木に言っておきなさい。私たちを本気で相手にするなら、近くの基地に増援要請でもしておいたほうがいいってね」

 

「ま、それでも負ける気はありませんけど」

 

梨花ちゃんの言葉に、詩音ちゃんまでが笑って豪語する。

 

さすがに増援要請などできるわけがない。

 

できるわけないけど……いったいなんだ、この自信は。

 

唖然とさせられると同時に、笑い出したくなっている自分に気づいていた。

 

「……なにか秘策でもあるのかしら?」

 

揶揄するようにそう言ってみたら、詩音ちゃんはにやりとしながら小さく肩をすくめる。

 

「ないわけはないですねー。とりあえず敵に回るのなら、具体的には教えてあげませんけどー?」

 

「あっははは、そりゃそーだ。こっちはこっちで作戦会議するからさ、鷹野さんも診療所で小此木とかって人と今後の方針でも練り直したほうがよくない?」

 

魅音ちゃんがまるでこれから部活の相談をするとでも言いたげな軽い口調でそう言った。

 

……本気で、私を無事に診療所へ帰すつもりらしい。

 

「ふふ、……そうね。そうさせてもらうわ」

 

ちょっとだけ。

 

ほんのちょっとだけ、さきほどの絶望的な計算を見直してもいいかもしれないと思えた。

 

L5寸前から帰還したらしい圭一さんや、一人で鳳を翻弄した上に一年も姿を隠しおおせた魅音ちゃんの存在は梨花ちゃんに指摘されるまでもなくイレギュラーだ。

 

相手が難攻不落の小此木であっても……もしかしたら、と思わせるだけの何かがこの子たちにはある。

 

状況が見えずに余裕をかましているだけならばともかく、明らかに死線をくぐってきて、なおもこうして笑っているのだから、まったく末恐ろしい子たちだ。

 

可笑しくて、つい表情が緩んでしまう。

 

「……くすくす。ほんとに、もう」

 

村ごと殺してしまうのが惜しくなってしまうくらいに、私の仲間たちはなんと心強いのだろう。

 

小此木、それに郭公。

 

この田舎の子供たちは、二千人を虐殺しようっていう貴方たちの大陰謀に、知恵と勇気だけで本気で勝つつもりよ?

 

それって、とても胸のすく話だとは思わない……?

 

「あの……三四さん。多分、わかっていると思いますけど一応言わせてくださいまし」

 

と、沙都子ちゃんが深刻そうな顔でそう口を開いた。

 

「えぇ、なに?」

 

思わず軽い調子で返してしまった自分に驚く。

 

「わたくしは、ここにいる皆さんや、圭一さんやレナさんが亡くなってしまうなんて絶対にイヤですわ。そんなの、生き残ってもちっとも嬉しくありませんもの」

 

沙都子ちゃんの言葉は、まさにわかりきっていることだ。

 

私だって、できることなら沙都子ちゃんの未来には、この素晴らしく頼もしい仲間たちがいてほしい。

 

もちろん、沙都子ちゃんの友人としてだけでなく……私にとってもかけがえのない友人でもある。

 

それでも……、私の答えは決まっている。

 

「たとえ全世界を引き換えにしても……沙都子ちゃんには生きていてほしい、としか言えないわ。それが私の選んだ道だから。……軽蔑してもいいわ、ごめんなさいね」

 

はっきりとそう言ったら、沙都子ちゃんは泣きそうな顔でふるふると首を横に振った。

 

「謝ることなんてありませんわ。そこまで思ってくださるなんて……むしろ感謝すべきだと思いますもの」

 

哀切、あるいは歓喜なのか……その声は震えていた。

 

でも……その感謝こそ必要ない。

 

この子は、愛されて当然の強さと優しさをもっている。

 

なのに、去年までは環境に恵まれずに生きてきた。

 

けれどいまは仲間たちが、そして自惚れるなら私がいる。

 

私のしていることは、この子から再び笑顔を奪ってしまう結果になるのかもしれない。

 

でも……そのときは、そのときだ。

 

絶対に取り戻す。

 

沙都子ちゃんがもう一度笑えるようになるまで、どんな努力も惜しむつもりはない。

 

それだけのものを、私はこの子に貰っている。

 

その性質上予算増の要求をしやすい兵器研究を犠牲にして治療薬の研究に没頭し、にもかかわらずそれが遅々として進まないことに苛立ちながらも投げ出さなかった。

 

それは、幼いこの子に課せられた重い十字架、一生再発を恐れながら生きていかなければいけないという重荷をその肩から下ろしてあげたいがためだ。

 

そしてそれを通じて、わかったことがある。

 

おじいちゃんはかつて私に、神になりなさいという言葉を遺してくれた。

 

後世に名を、あるいは成果や偉業を遺しなさいと。

 

自分の至れなかった先に至りなさいと。

 

私はその言葉を実践するためにこれまで不断の努力を続けてきたつもりだが、肝心なところがわかっていなかった。

 

あの言葉は、おじいちゃんと私のしてきた研究、その成果を後世に遺せなんて、矮小な意味では決してなかった。

 

それはもっと、崇高なものだった。

 

私が人として生きた証を、この世に残せる人になれ。

 

そのために身を尽くせと……そう言っていたのだ。

 

ならば私にとっての生きた証は、決まっている。

 

かつておじいちゃんが私をどん底から救って、高潔な道をまっすぐに指してくれたように、沙都子ちゃんに未来と、愛された記憶を受け継いでほしかった。

 

そして沙都子ちゃんがいつかその想いを誰かに手渡してくれたなら、それが私がこの世に存在した確かな証になる。

 

必要なのは、名声ではなかった。

 

誰かに認めてもらうことではなかった。

 

おじいちゃんからそれを正しく受け継いでいれば、すぐに気づいたはずなのに、いままで気づけずにいたこと。

 

それをもう一度見つめなおさせてくれたのは彼女だ。

 

一番最初は、幼い頃の不幸だった私を、不幸な彼女の姿に重ねているだけだった。

 

けれど彼女が私と違う強さを持ち、だからこそ皆に愛されるのだと気づいて……私が感じたのは、誇らしさだった。

 

悔しさや寂しさがなかったとは言わない。

 

でも、なによりも誇らしかった。

 

それはもう彼女が自分の過去の投影ではなく、私にとって大切な『家族』になっていたことを意味する。

 

「……沙都子ちゃん、無事でいてね」

 

微笑みながら、立ち上がった。

 

「無茶はしないで。絶対に、どうにかしてみせるから」

 

「それは……こっちの台詞ですわ」

 

涙目で私を見上げるこの子に、出来る限りのことを。

 

そっとその柔らかな髪を撫でて、顔が綻ぶ。

 

それだけで充分だ。

 

どんな死地をくぐり、人でなしと誹られるのも怖くない。

 

この子のために、鬼になれるだけの覚悟があった。

 

「わたくし、負けませんわ」

 

ぎゅっと眉を寄せて、沙都子ちゃんはそう言い切った。

 

「わたくしも皆さんも、もちろん三四さんも生き残って、最後にみんなで笑える未来が絶対にあると信じますわ」

 

だから私の用意する不本意な道などいらない、と。

 

瞳に気高い決意をにじませるから、本当に嬉しくなる。

 

おそらく……雛見沢症候群の克服に必要なのは、なによりその信じる力なのだから。

 

自分を脅かす者に怯えて、排除することで安寧を計る。

 

それが疑心であり、暗鬼を呼ぶ。

 

人を信じ、手を取り合えるならば、それがきっと特効薬。

 

そう考えれば……沙都子ちゃんを引き戻した『彼』が自ら堕ちた疑心の淵から舞い戻ったのも、不思議ではない。

 

「私もそういう未来を願うわ。心から」

 

これも私の、嘘偽りのない本心だ。

 

思えばこの一年は、とても充実したものだった。

 

あの病室で沙都子ちゃんの心に巣くう闇と対峙した日々。

 

それをまるで喜劇のようなやり方で打ち破った圭一さんがいて……決して諦めることなく沙都子ちゃんに手を伸ばし続けた、部活メンバーのみんながいた。

 

その部活メンバーに誘われ、私も彼らの一員に加わった。

 

まるで遠い記憶の彼方、両親が生きていて仲のいい友達と無邪気に笑い合えたあの日のように暖かな時間を得た。

 

私を変えてくれた沙都子ちゃんが大好きだ。

 

沙都子ちゃんを救ってくれた圭一さんが大好きだ。

 

快く私を仲間に迎え入れてくれた詩音ちゃんが、私の真実を知りながらも信じてくれた梨花ちゃんや羽入ちゃんが、笑顔を向けてくれるレナちゃんや悟史くんが大好きだ。

 

治療薬の研究を熱心に手伝ってくれる入江所長とだって、以前よりも親しい友人のような付き合いができている。

 

あまり変わらないのは研究に没頭しがちな私を気に懸けて以前から外に連れ出してくれていたジロウさんくらいか。

 

それらひとつひとつが、大切な日常のかけらだった。

 

私の心を構成する、かけがえのないピース。

 

冷たい雨の中で泣いていた田無美代子ではない。

 

荒れ狂う風の中で肩肘を張っていた高野美代子でもない。

 

そう、ほかの誰でもない。

 

雛見沢に生きる、鷹野三四が……私は、心から大好きだ。

 

以前は雛見沢が嫌いだった。

 

余所者をうさんくさげに遠巻きに見て、奇怪な因習や陰惨な歴史があちこちに転がった、感染者たちの棲む寒村。

 

心の奥にこびりついていた忌まわしい記憶を呼び起こすこの村が嫌いで、その暗部を読み解こうと躍起になった。

 

でも、それは結局私が俯いていただけだ。

 

下を向いていれば、綺麗なものは見えてこない。

 

そのきっかけをくれたのはジロウさんが連れ出してくれた野鳥撮影であり、……そして、もうひとつ。

 

あの運動会の日。

 

私を必要だと言って圭一さんの差し伸べてくれた手、今日の梨花ちゃんの差し出した手と同じくらい嬉しかったその手をとって、腕の中で運ばれながら見上げた……あの高い高い空の色だった。

 

 

多分、私はあの日の空を一生忘れない。

 

 

不覚にも涙があふれそうになって目を閉じてしまったが、それでも鮮やかに記憶に焼き付いて思い出せる。

 

束の間の至福の中で、夢見たのだ。

 

あのとき、誰かがこうして手を差し伸べてくれたなら。

 

こんなふうに自分を陰鬱な雨雲の下から力強く運び去ってくれたなら……私は間違えなかったかもしれない、と。

 

だから認めよう。

 

私の願う理想は、沙都子ちゃんが笑っている未来。

 

そのまわりに、私の大好きなみんながいる未来なのだ。

 

「せいぜいあなたたちが、勝てることを祈ってるわ」

 

「当然よ。そんときは、いつでも寝返りOKだからね」

 

梨花ちゃんが悪党じみた笑い方をする。

 

「ま、罰ゲームは甘んじて受けてもらうけどねぇ~」

 

魅音ちゃんの言葉にも、苦笑する。

 

ちょっと恥ずかしい思いをするだけでこの裏切りを許してくれるというのなら、……いや、この絶望的な状況を打破してくれるというなら、本当に安いものだと思う。

 

「全身黒タイツで練り歩かせるってのはどうですかお姉」

 

「その線なら、某怪盗風レオタードも捨てがたいねぇ~」

 

「法被にバニーガールだよ。綿流しに来てもらうんだ!」

 

「フリフリでミニスカの魔法少女よ、これは譲れないわ」

 

「あぅ、脇の開いた斬新な巫女服が頭をよぎるのです!」

 

「猫耳首輪に体操服くらいで許してあげてくださいませ」

 

「よくわからないけど、ぜんぶやってもらえばよくね?」

 

美雪ちゃんの言葉におぉ……と感嘆の声があがる。

 

膝を打った魅音ちゃんが、

 

「うん、美雪ちゃんのナイスな意見を採用だね!」

 

元気よく宣言した。

 

……ちょ、ちょっと早まったかしら……?

 

「いや~、これはますます負けられなくなったわね!」

 

じゅるりと涎を拭うアホ幼女から、必死で目をそらす私。

 

「あとで圭一とレナにも希望を聞いて追加するのです!」

 

あぅあぅと嬉しそうな羽入ちゃんも自重してお願い。

 

雛見沢に名だたる変態さんとかぁいいものハンターの希望がいったいどんなものになるか……考えたくもない。

 

がくぶるにゃーにゃー。

 

まず負けないとわかっているのに、そしてできることなら負けたいとさえ思っているのに……なんだか負けたときの支払いの過酷さが異常なことになっていた。

 

「ととと、とにかく! 私は診療所に戻るわねっ!」

 

これ以上ここにいては余計に恐ろしいことになりそうだ。

 

三十六計逃げるにしかず。

 

背後でくすくすとかくけけけとか不穏な笑い声が聞こえるのはわざと無視して、そのまま前原屋敷を出る。

 

玄関から一歩出て、

 

「あ……、雨」

 

外は雨が降っていた。

 

そういえばそうだったと思い出しながら、行方をくらましたらしい圭一さんとレナちゃんはどこか屋根のある場所で休めているのだろうかと心配してしまう自分に苦笑する。

 

自分で彼らを追い詰めておいて、いまさら風邪をひいていないかと心配する自分の、あまりに平和すぎる思考。

 

ひょっとしたら、今日のダム現場の一戦を乗り越えたことよりも、L5から帰還したことよりも、これこそ圭一さんが起こした奇跡の証明なのではないかと思ってしまう。

 

「惨劇も悲劇も、全部喜劇に変えてしまうつもり……?」

 

あのどこか余裕綽々な部活メンバーを見れば明白だ。

 

私の悲壮な決意も覚悟も……あの人は、きっと笑い飛ばす。

 

その快活な笑顔を思い浮かべるだけで……なにか胸の奥が暖かくなるのを感じて、ふっと頬が緩む。

 

「さ、急がないと」

 

門の前に停めた自分の車に向かって、雨の中を駆け出す。

 

 

頬にあたる雨の雫は……、ちっとも冷たくはなかった。

 

 

 

 

診療所はひどい有様だった。

 

「うぅう……やつは、やつは悪魔の子だ……!」

 

「バケモノが来る……竜宮レナが……ッ!」

 

「なんで、どうしてあの鬼が……痛ぅぅぅ……!」

 

地下の保安区画の床は怪我をして手当を待つ山狗だらけ。

 

傷を押さえて血走った目で呻き、あるいは部活メンバーに呪いの言葉を吐いている者も多い。

 

よほど恐ろしい目に遭ったのだろう。

 

大の大人、まがりなりにも自衛隊員が、たった数人の小中学生に蹴散らされて恐怖に震えている姿は滑稽だった。

 

なるほど、これはもう悲劇を通り越して喜劇ね……。

 

「ああ、鷹野さん……戻ってくれて助かります。こちらはご覧のとおりの有様でして……」

 

所長やほかの研究スタッフまで駆り出されて応急処置にあたっている様子だった。

 

「怪我の重いものから応急処置をして、鹿骨や穀倉方面の救急病院に搬送させています。煙を吸い込んでいまだに意識の戻らない者や、骨に後遺症が出そうな者も……」

 

そう言って表情を曇らせる。

 

「あの二人が、これほどまで頑強な抵抗をするとは……。正直、驚かされました」

 

所長にはこれらの怪我を負わせ、ダム現場を炎に包んだのは全て発症した圭一さんと、脱走したレナちゃんの仕業ということになっているのだろう。

 

それにしても。

 

前原家での部活メンバーが和気藹々として私の罰ゲームを話し合っているのに比べると、この悲惨さはなんだ。

 

さすがにこれほどの落差を見せつけられると、ちょっぴり本気で圭一さんたちが勝ちそうに思えて来てしまう。

 

「状況把握が終わり次第、すぐお手伝いしますわ。小此木は戻ってまして?」

 

「指揮所に詰めてますよ」

 

所長にお礼を言って保安区画の一隅、モニタールームへと足を伸ばす。

 

何人かのオペレータと、頭に包帯を巻いた小此木が村内や興宮に散った残り少ない無事な山狗と連絡をとっていた。

 

『……鳳1、興宮署には二人の情報は入ってません』

 

『おおろ……、園崎家にその後、動きはありま……』

 

『……とり1、電話工作班からも報告はなし……』

 

『鳳1、……現場の不明者、最後の1名を収容確認……』

 

外が雨のせいなのか、どれも報告は雑音が酷かった。

 

「誰だぁあ、今さりげなく大ロリ1って言ったヤツぁ!」

 

小此木はどうでもいいところをツッコんでいた。

 

「……小此木、おつかれさま。どんな様子?」

 

「あぁ、三佐。見てのとおり酷いもんです。どうにか現場で動けなくなってた連中は回収できたんですが、派手になりすぎましたわ……さっきから電話が鳴りっぱなしで」

 

ひひひ、と受話器があがった東京へのホットラインを横目で見る。郭公、つまり例のフィクサー、野村さんとやらは相当にご立腹だろう。

 

……すこし、いい気味だと思ってしまう。

 

どれだけ現場の怠慢をなじろうが、泣き言に過ぎない。

 

よりにもよって圭一さんを餌に使うような作戦を立てて、レナちゃんや部活メンバーを本気にさせたのは彼女自身。

 

このしっぺ返しは、私にとっては痛快なものだった。

 

「よりにもよって銃を使った痕跡を消す暇もなく、消防にまで出張られたんじゃ揉み消すのも無理でしょうなあ」

 

「そうね。あの場で何らかの抗争があったことは、今夜の事実として警察の記録に残ってしまう……間違いなくね」

 

機密保持を目的とする部隊が、公の目に明らかな痕跡を残してしまうなど失態もいいところだ。

 

こうしてみると、あのダム現場火災という一手は乱暴なように見えても確実にこちらの痛手となっている。

 

「S号関連でなにかでっちあげられないか、検討させてますが……あの場所に大石刑事がいたことを考えるとそれも難しいところですな」

 

興宮署の暴力団対策課ともつながりが深く、S号、つまり園崎家・園崎組関連の事件に関しては専門家といっていい大石刑事が事態の中心に近い場所にいる。

 

見え透いたでっちあげは簡単に叩き潰されるだろう。

 

「こりゃあ、郭公も黙ってはいないでしょうな。さっきの電話では草の根わけても竜宮レナと前原圭一を探し出して殺すように、とのお達しです」

 

やれやれだぜ、とばかりに肩をすくめてみせる。

 

「レナちゃんはともかく、Kのほうは綿流しまで泳がせておくつもりじゃなかったかしら?」

 

「死体を収容して『現在捜索中』ってことにすれば山狗を動かす理由にはなるから構わないってんで。スマートじゃありませんが、正論ですな」

 

もっともなことを言いながらも、小此木は面白がるような笑みを張り付かせていた。

 

「……クライアントの命令なら仕方ないわね。そろそろ、痺れを切らしそうね。彼女も」

 

腕組みをして、こちらも薄い笑みで返す。

 

「はは、そうでしょうな。……山狗が動いても所長や二尉に疑われない素地はできてます。確保の人員は新たに選出しておきますん」

 

自分の計画が失敗続きで業を煮やした彼女が次にとる手段はある程度予想の範囲内だ。

 

つまり……、対象H、古手羽入の拉致。

 

ここまでの騒ぎになってしまえば、もはや平穏無事に綿流しを迎えることなど彼女にとってはまったく意味がない。

 

となれば早々に終末作戦の最重要カードである羽入ちゃんの身柄を押さえておき、滅菌作戦の予定期日直前に死体を出すというのが確実な一手ということになるだろう。

 

「そうしてちょうだい。引き続き二人の捜索と園崎家、前原家の監視体制を……って人数が足りないわね」

 

「手当が終わればどうにか半分は残りそうですんで、鳳と雲雀の2チームに早急に再編します。なんとか明日の夕刻までには監視体制も復活させます」

 

そう言ってから、ククッと喉の奥を鳴らした。

 

「……大したガキどもですな、三佐」

 

とんとん、と自分の包帯を指でつつく。

 

「子供と侮れば、次は負けるわよ……。遊びが過ぎるのは悪い癖じゃない?」

 

「十年……いや、五年早くあの小娘どもが生まれてれば、遊ぶ余裕はなかったでしょうな。男に生まれてれば、でも構いませんが」

 

小此木が言っているのはどうやらレナちゃんや魅音ちゃんのことらしい。

 

梨花ちゃんの言うとおり、こいつは戦闘狂ということか。

 

苛立ちか、ほかの何かだろうか。

 

「……忠告するわ、小此木」

 

私はあえて言わなくてもいいことを、口走っていた。

 

「確かに個として破格のレナちゃんも、圧倒的な力量と園崎のバックを持つ園崎姉妹も手強い相手でしょう。でも、ここ一番で怖いのは……前原圭一よ」

 

小此木は眉をひそめる。

 

彼の感覚では、そう強いわけではない圭一さんを警戒しろという意味がわからないのだろう。

 

いつでも殺せる、そういう相手には興味がない。

 

あからさまな男だ。

 

「どこまで追い詰めても、どれほどの力の差があろうとも最後の最後、有り得ないような逆転勝利をもぎ取るのが、彼の役割……甘く見ていると、足元をすくわれるわよ?」

 

「……そりゃまた、ずいぶんと誇大広告ですな。ありゃあハリボテですよ。今日の最後……、ヤツが本物なら勝負はとっくについてた」

 

どういう状況だったのかは知らないが、小此木はこう言いたいのだろう。

 

圭一さんに本物の覚悟があれば、自分は死んでいたと。

 

とどめを刺す機会があったのに刺さなかった。

 

彼にその覚悟がなかったからこうして生きて戻っている、前原圭一は紛い物に過ぎない……と。

 

何故だろう……、笑みが浮かぶのをこらえきれない。

 

「小此木。彼はあなたを殺したりしなくても勝てるから、殺さなかっただけよ。あなたが考えているよりも……私の圭一さんはずっと上をいっている。覚えておきなさい」

 

ぽかんと口をあけてこちらを見る小此木。

 

その間抜け面を見てふふんと胸を張る私だったが、オペレータをしている部下たちが小声でひそひそと、

 

「……おい、いま、私の圭一さんって言った?」

 

「言った言った、俺にもそう聞こえた」

 

「トミーよぉ……世界は、俺たちに優しくねぇよな……」

 

「ホテルの一件、二尉に黙っててよかったな……」

 

などと囁き合うものだから、思わず赤面してしまう。

 

ジロウさんの名前がそこで出てくるのは無理もないけど、何も約束を交わしたような仲ではないから理不尽といえば理不尽のような……ああ、もうどうでもいい!

 

「あなたたち、ホント仕事しなさいよっ!?」

 

ぶんぶん手を振り回しながらそう叫んだ。

 

「へぇい!」「おっす!」「らじゃ!」「いぇあ!」

 

その様子を見て、小此木が忍び笑いを漏らす。

 

なによ、と殺意をこめた視線で問えば、

 

「三佐……だいぶ、お熱があるようで。医者の不養生ってやつが一番怖いですな」

 

処置なしとばかりに首を振りながらそう言われた。

 

「余計なお世話よっ!?」

 

部活メンバーも部活メンバーだが、こいつらも大概だ。

 

 

……くすん。

 

なんで私、どこいってもいじられてるのかしら……?




<雑談>

原作でトミーとたかのんが急接近したのは小泉急死で心細くなってたたかのんを
トミーが支えてあげて以降ではないかと仮説を立ててみる作者です。
このお話ではその時期には沙都子や部活メンバーが元気づけてますので、
実はまわりが見るほど恋人同士にはなりきれていなかったという真相がですね。
だからそういうことをちゃんと行間で語らなきゃ駄目でしょと以前から(ry

神楽舞完結後、次に読みたい作品は?

  • 神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
  • ひぐらし短編集
  • ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)
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