「あぅ……」
目蓋の隙間から、朝の光。
「さぁさ、羽入さんも梨花も、お目覚めあそばせ!」
耳を突き抜ける沙都子の声と、カーテンを引く音。
……朝、だ。
ずいぶんと長く眠っていたような……?
「あぅあぅ……沙都子、おはようです」
「羽入さんも梨花も、とんだ寝ぼすけさんですわね」
呆れた笑顔の沙都子が眩しかった。
「はやくなさいませ。朝ごはんを食べ損ないますわよ」
なんだかとても長かったような気のする一日と、それにも負けないくらいに長い長い一夜が終わって、雛見沢は朝を迎えていた。
ダム現場の火災は『不法投棄現場で不審火?』という不穏な見出しで朝刊のローカル面を賑わせていた。
圭一は相変わらず帰ってこなくて、レナとともにダム現場から姿を消してしまったまま。
……梨花によれば、ダム現場で出会った圭一は思ったよりもぴんぴんしていたそうだけど、本当に無事なのだろうか。
心配の種が倍になってしまっただけに、気になる。
「オヤシロさま、どうか圭一とレナをお守りください」
あと、……もうひとつ。
「僕たちがまた出会えるように、縁をお結びください」
どちらかといえば、こっちがオヤシロさまの専門だ。
専門、なのだけれど……。
「あぅ……」
でも祀る者として本音を言わせてもらえるなら、もうすこし頼りになる神様であってほしいと願う。
これ以上物騒なことはいらないのだ、雛見沢には……。
「秘密結社の特殊部隊と戦う田舎の少年少女とか、どこの冒険小説のお話なのですか……あぅあぅ」
平和な雛見沢の裏側で進行していたという詩音たちと鷹野たちの情報戦、五年目の崇りをめぐる丁々発止の駆け引きの数々を、僕はそれこそ唐突に知らされることとなった。
昭和五十八年の六月に、なにかがあるとは思っていた。
けれどもそれがまさかこんな形で、しかも僕とは無関係に進行しているなんて、なにもかもが理不尽すぎる。
「……なにぶつぶつ言ってんのよ?」
眠そうな声。
頭に包帯を巻いた妹が、胡乱な目で僕を見つめていた。
聞けば、山狗に警棒で数回ばかりどつかれたのだという。
僕の大事な妹になんてことを……という当然の怒りも沸くのだが、驚くべきは梨花の頭蓋骨の頑丈さと、梨花自身も二人だか三人だかの山狗を殴り倒したのだそうで。
警棒で殴った奴は口に鉄パイプを突っ込んでやった、その状態で鉄パイプを一発蹴ってやればよかった、などと呵呵大笑している妹を見ていると、なんというか。
僕を護衛していたのは、ちんまい女子小学生にノックアウトされる特殊部隊なのだなあとか余計な考えも頭をよぎるわけで……。
「僕の知らないところで妹が荒事に適応してしまった件について、オヤシロさまに物申したいと思っただけです」
言いたいことはほかにもいろいろとあるが、とりあえずそう言ってみたら、梨花はふふんと鼻を鳴らした。
「にぱ~☆とか言ってるだけじゃ運命は変えられないのよ羽入。いまどきの幼女はラヴ&ヴァイオレンスが基本よ」
無闇に誇らしげな梨花だった。
「じつにいやな基本なのです……」
きっとレナと違って、梨花の頭蓋骨とお脳の間にはそれはそれは広大な空間があったので、衝撃が伝わることなく無事だったに違いないと確信を深め、
「なんか失礼なことを考えてる顔ね」
「あぅ!?……そ、そんなことは全然……」
慌てる僕を真顔で見つめる梨花。
「羽入にだって、ハリケーンミキサーがあるじゃない!」
なにを勘違いしたのか僕を励まそうとしているらしいけど、僕はそんな一千万パワーな必殺技を編みだした覚えは全くないので、誹謗中傷はやめていただきたい。
「僕はラヴだけあればいいのです……乙女的に考えて」
「ラヴ100%かよ! 圭一は幸せ者だよちくしょう!」
朝から無闇に吠えるその元気さ。
梨花、ひょっとして頭の包帯は飾りですか?
「あぅ……もちろん梨花もレナも、愛してるのですよ」
頭そのものも飾りだったらどうしようと考えつつそう言ったら、
「なっ!?」
愕然とする梨花。
「……いつの間にか羽入によるハーレムルートに突入していたなんて、気づかなかった……ッ! それがアリなら、私が主人公ポジションになっていれば……じゅるり!」
「あぅ、そういう意味では……!?」
なんだか最近、どんどん妹との間に心の距離というか思考の溝ができていくのを感じている僕だ。
だからといって歩み寄りたくもないのが本音だけれど。
「おはよう、二人とも。ご飯すぐ用意できるわ」
昨夜、梨花の差し出した手を拒んで袂を分かったはずの鷹野が普通にエプロン姿で朝のキッチンに立っていた。
柔らかな笑顔で声をかけられてしまって困惑するが、
「おはよ鷹野。今日も爽やかに暴れ牛ね」
「……その、邪魔な障害物を見るような視線はやめてね」
梨花は普通に(?)挨拶を返しているので余計に混乱するしかない僕だ。
「山狗はどうだったのよ。怪我人いっぱいで大変でしょ」
見損ねたナイターの結果を聞くみたいな、軽い口調。
「おかげさまでね。元気なのは小此木ばかりよ」
さすがに情けなさそうな様子で肩をすぼめる。
すると梨花は嫌そうな顔を隠しもせずに、
「爽やかな朝の食卓であの単細胞バトルマニアのこってりした顔を思い出させないでちょうだい、鷹野」
などと吐き捨てた。自分で話題をふったくせに……。
沙都子は梨花の身勝手さに慄きつつ、
「そ、それ以前の問題だと思いますわ……」
「あぅあぅ……沙都子に同感なのです」
山狗が敵、というのは僕にとって衝撃的だった。
頭のどこかでは納得しながらも、いままで護衛だと思ってきた相手が自分たちを狙っているというのは……やっぱりあまりにも信じ難い。
でも山狗と部活メンバーのどちらを信じるかと問われれば答えは決まっているし、山狗の指揮官である鷹野自身が、その事実を認めたのだから信じざるを得ない。
昨夜の話し合いで詩音が言うことには、現時点では相当に僕たちにとって有利な進行になっているはずだという。
診療所の地下研究区画に囚われの身の上だと思っていた魅音は赤坂(と美雪)を連れていつの間にか帰還してるし、圭一とレナもダム現場から姿を消したのは山狗の手に落ちたというタイミングではなかった、というのだ。
となれば、山狗の手の内にあって人質になり得るのは、せいぜい入江くらいのもの。
しかもその入江は名目上機関の最高責任者であるため、彼を不用意に消したり殺したりすれば、富竹や調査部から山狗が疑いの目を向けられることは必定。
そうして彼らが手をこまねいている間にも、ダム火災現場に残された戦いの痕跡は大石たち警察が調べ上げ、各方面から手を伸ばして山狗を締め上げるだろう。
山狗は秘密の部隊だ。
入江機関の存在を秘密にするための部隊なのだから当然といえば当然至極だが、この場合はその秘密であるという点が最大の弱みとなる。
秘密の部隊が存在する証拠をほのめかすことで、山狗の上にいる存在、要するに秘密結社『東京』や防衛庁に対して取引を持ちかけることができるからだ。
山狗の存在、ひいては入江機関の研究を公にされたくなければ、こちらの言うことを聞け……と圧力がかけられる。
それをかける手段は、公安の赤坂と、詩音たちに促されて調査を開始しているであろう調査部の富竹が握っている。
富竹の調査や警察の捜査がある程度の段階まで達した時点で僕たちの勝利は確定し、山狗と入江機関は諸手をあげるほかなくなるのだ。
いまや僕たちは時間稼ぎに徹してさえいれば勝てる勝負。
逆に山狗の立場からすると、黙っていれば負けが決まってしまうのだから、早急に手を打たなければいけない。
考えられるのは、圭一やレナを探し出して新たなカードにすることで僕たちを逆に脅迫する手段。
あるいは、彼らを追い詰めている側の中心人物である部活メンバーの何人か、あるいは全員を抹殺することで事態の収拾をはかる。
有力なのはそのあたりだが、こうした駆け引きを得手とする園崎姉妹に言わせれば、打つべき手はまだまだある。
裏切りの可能性を承知しているならば、鷹野を切り捨てて僕たちに対する人質にするというのもありえる。
また、鷹野の執着する沙都子を拉致することにより、裏切りの抑制と、そして沙都子を鷹野と僕たち両者に対しての人質にするという一挙両得を狙うのも充分に考えられる。
さらに彼らの最終目標が(梨花の予言によれば)僕の殺害であるということなら、女王感染者である僕をこの段階で拘束する、最終手段に走る展開も考慮しているらしい。
……まったく厄介で、ややこしい話だ。
昨夜は情報交換だけでも目が回りそうだった。
「今日はなめこ汁なのね。あさりも美味しかったのに」
お味噌汁を啜る梨花が片目を閉じて言う。
「……殻まで食べちゃう子がいるから……」
鷹野がなぜか恨みがましそうな目で僕を見ていた。
「あはは、いくらなんでも殻なんて……」
昨日は園崎家にいた悟史が笑い飛ばそうとするが、梨花がくわっと目を見開いて力強く言った。
「もと悪魔超人のラフファイトを舐めるんじゃねぇー!」
「ら、裸婦ファイトだって……!?」
梨花の気迫にがくぶるとした様子の悟史は悟史で、まったく別のことを考えている気がする……。
「朝から不埒な想像はやめるのです、悟史」
くわっ、と自重せよ下郎……な鋭い視線を向ける僕。
「め、目が赤い……!?」
……みんなで怯えた顔をするのはやめてほしいです。
「本当に車で送らなくても大丈夫?」
「あのね……、山狗を警戒してんのに、鷹野に車で送ってもらってどーするのよ?」
梨花のツッコミに、玄関まで見送りに来た鷹野があら、と自分の言っていることのおかしさに気づいて苦笑する。
彼女も微妙な立場なのはわかるが、いまだに僕たちと敵対しているという実感に欠けているのではないかと思う。
「それもそうね。こういうのもなにかおかしいけど……、気を付けていってらしゃいね」
「いってきますですわ!」
「いってきますのです」
「はは、いってきまーす」
今日の登校は四人で、だった。
いつものレナのかわりに沙都子がいて、圭一のかわりには悟史がいるから、人数は同じ。
でも、いつものような賑やかさは……やっぱり望めない。
その空気は人が少ないからではなく、結局のところ圭一とレナの不在そのものが引き起こしているのだ。
「山狗、襲ってくるかな?」
どうだろう。その気になれば子供四人を拉致するくらいは簡単にやってのけそうだが……。
「ま、四人でいる限りはないわね。昨日ので向こうも余裕はないんでしょうし、鷹野の迂闊な発言が証拠になるわ」
「あぅ?」
首をかしげる僕だけど、沙都子はわかったようで、
「通学路を歩いてるわたくしたちを襲う計画があるなら、車で送っていくなんて不確定要素を言い出すわけがないと言いたいんですのね」
……なるほど。
山狗の強さというのは集団の強みだと聞いた。
計画的に包囲し、計画通りに事をすませる。
そういう自分の流れに乗せてしまうから強いのだと。
だから逆に、計画外の要素を持ち込まれるのを嫌う。
「残念だなぁ。懲りずに山狗が出てきたら僕の金属バットが光って唸るのに」
メイド服の悟史が笑いながら金属バットを構えるのだが、片腕を包帯で吊りながら言っても説得力はなかった。
「いまのにーにーなら、わたくしのほうがマシですわ」
溜息混じりで妹にそう言われて、むぅと唸る悟史だ。
「大丈夫、沙都子は私が守るから!」
むーんとモップの柄を構えるのは梨花。
護身用とはいえ、なんの言い訳もなく武器を持ち歩くのは小中学生としてどうかと思う……。
「梨花だって怪我人でしょうに」
「ふ。こんなのは怪我のうちに入らないわ。園崎や公由と同じく、古手にも鬼の血は流れてるんだからね」
言い伝えでは確かにそうなっているが、それだと僕までが同類のように思われてしまうのでやめて貰いたい。
と、詩音との待ち合わせ場所まで来て、沙都子が思い出したように伝言を口にする。
「み……詩音さんは、今日もお休みだそうですわ」
朝方、電話があったらしい。
例によって圭一と、それに診療所から逃げ出したレナも捜索しなければならないのだ。
今日からは警察も手伝ってくれるらしいが、青年団も警察も半分はダム現場の後かたづけに回るというので、人手はいくらあっても足りないだろう。
「ま、大丈夫だと思うわ。今日からは『園崎魅音』が二人いるんだもの。詩音の負担も減るでしょ」
そう、本物の魅音と、この一年魅音を名乗っていた詩音。
園崎姉妹が双子だというのはもちろん僕も知っていたが、年少の頃は揃って興宮で過ごしていることが多かったし、逆に僕はめったに興宮に出なかったので印象は薄かった。
園崎本家で顔を合わせるのは頭首の跡を継ぐ魅音ばかりで、双子の両方と同時に顔を合わせる機会などほとんどない。
だから僕は一年もの間、見抜けずにいたのだ。
決して、注意力が足りないというわけではない。
……背中の鬼がないのさえ気づかなかったのかと問われてあぅあぅしてしまったのは内緒だけど。
と、とにかく。
魅音と詩音はあのあと二人で話し合って、なにやら同じ顔でほくそ笑んでいたので、かなり性の悪い策を練っているのではないかと思う。
この雛見沢で悪企みをさせたら、園崎の血を色濃く引いたあの姉妹にかなうものはいないだろう。
くわばらくわばら、なのです。
「美雪は母に似ず、元気だけが取り柄の立派なアホの子に育ってほしいものです」
「……社会的には、それもどーかと思いますけれど」
「……というよりも、その二つしか選択肢がないんだね」
北条兄妹が、てれてれと前を歩く梨花と、園崎姉妹を思い浮かべて比較しながら年少者の行く末に思いをはせる。
「むぅ……、恐ろしい未来予想図が浮かんだよ」
蒼白になりながら告げる悟史。
「次代の雛見沢を担うのは、園崎美雪……とか」
『しょくんは、ひなみおーのまえにいるのだ!』
……最強のアホの子が、雛見沢の歴史を紡ぐ!?
それは、オヤシロ様的にもスーパーピンチかもしれない。
想像すればするほどそんな未来は……、未来は……、
「みんなの笑顔がキラキラ……キラキラキラキラ……☆」
思わず目が虚ろになるのもやむをえない。
「は、羽入? かえってきて、羽入っ!?」
慌てた様子の梨花に揺さぶられて、抜けかけていた僕の魂が無事に身体へと戻ってきた。
村民みんながアホなコントを繰り広げ、僕と沙都子だけが常識人としてツッコミ続け衰弱死する。
そんな未来はいらない。
「それは……恐ろしいですわね。わたくしだけでは、とてもツッコミきれませんわ」
いま、さりげなく沙都子にボケ側認定されましたか……?
「日頃の行いって、大切ですわね」
「あぅ」
それを言われるとつらいのです。
「まぁ、魅音さんはこちら側かもしれませんから……」
魅音は昨夜、詩音からこの一年の間に雛見沢で起こった出来事を語られるうちに、どんどん乾いた表情になっていった挙句、最後には壁に向かって体育座りをしていた。
『衛さん、どうしよう……汚されちゃった。私の雛見沢が汚されちゃったよぅ……』
聞くものの心を揺さぶるような、物悲しく切々とした声でそんなことをぶつぶつ言ってたっけ。
確かに魅音はどちらかというと常識人に分類されるけど、おそらく彼女の教育でああなったのであろう美雪を見ている限り、その本質は充分にアホだと思う僕だ。
そうすると、純粋なツッコミ役は本当に沙都子しか残っていないということに……?
「……皆様の、期待と憐憫に満ちたあたたかなまなざしが胸に痛くて、大変なことになってますわ……」
同じ結論に至ったらしい梨花と悟史までもが僕と同じ種類の視線を向けたので、沙都子はさらに疲れた様子だった。
「いやぁ、でも未来を語れるっていうのはいいよね!」
誤魔化すみたいに、朗らかな笑顔をこぼす悟史。
「……そうよね」
梨花も頷いた。
「あぅあぅ……」
村を丸ごと滅ぼそうとしかねない山狗との大勝負。
圭一とレナは行方不明で、梨花たちも傷だらけ。
明日をも知れない身でありながら、僕たちは笑っている。
ある意味で……それはすでに、勝利しているのだ。
心を削り、仲間を引き裂こうとする惨劇に、この一年で僕たちが積み上げてきたものが打ち勝っている証明。
誰も絶望などしない。
どんな惨劇にも屈しない。
その強さは、いまの僕たちの誇りだった。
教室は、いつもよりも空席が目立っていた。
圭一やレナ、魅音(詩音)がいないのだから当然といえば当然だが、下級生の子たちも数人休んでいるのは、相次ぐ行方不明者や連日の捜索、ダム現場の消火活動などの騒動が子どもたちの生活にも影響を及ぼしているのだろうか。
「きりーつ、れい!」
委員長代行として号令をかけると、午前の授業が終わる。
さざめきながら皆が持参したお弁当を机に出し、それぞれのグループ別に集まろうとしていたところへ、教室の戸口あたりで騒ぐ声があった。
なんだろうと振り向けば、そこに……ありえない光景が、待っていた。
「みんな~、きりつきりーつ☆」
見慣れた鉈を手にして、教室から出ようとしていた下級生たちを押し戻しているのは……、
「なんで鉈もってドヤ顔してんの圭一ッ!?」
梨花のツッコミのとおり、紛れもなく圭一だった。
学校に置いてあったのだろうジャージを着ているが、頭と首筋、それに両手に痛々しく包帯が巻かれていて、変わり果てた姿だといって差し支えない。
殴られた痕だろうか、顔には青痣や腫れた様子もある。
「この分校は俺が占拠しちゃうぜぇー☆」
おどけているのか本気でトチ狂っているのか判断に苦しむハイテンションでありながら、数日ぶりに見る想い人は、とても疲れ切った旅人のようだった。
「……けいいちぃぃ~! あぅ!?」
思わず駆け寄ろうとした僕は、そこらの椅子やら机やらに引っかかって床めがけ突っ込み、転がりながらも圭一の足元に滑り込んでいた。
「あぅあぅあぅ……!」
目が回りつつも、しっかと圭一の足を抱え込む。
「のわっ!?」
とっさのことに反応が遅れた圭一は当然バランスを崩し、僕を巻き込んでその場に倒れこんだ。
「ででッ!……ひぇ!?」
ろくな受身もとれないまま床に突っ伏したあげく、慌てて横に転がると、一秒前まで圭一の頭があった場所に、倒れた拍子に手放した鉈が落ちてきて、ざっくりと突き刺さった。
「あ……あッぶねぇぇぇぇ!!」
顔面蒼白になって叫ぶ。
「あぅあぅ……、圭一。刃物を扱うときは、細心の注意を払うべしとオヤシロさまのワンポイントアドバイスです」
「……羽入よ。刃物を持ってる人間に飛びつくほうも細心の注意を払うべしとオヤシロさまに伝えてはくれまいか」
なぜだか不満そうな顔で返す圭一である。
でもとにかく……、
「圭一……やっと会えましたのです……」
無事、とは言い難い姿ではあっても……圭一にまた会えた。
それだけで、胸が熱くなる……朝のお祈りが聞いたのだろうか。
オヤシロさま、珍しくいい仕事をしますのです……!
そこへ、どこか呆れた表情でやってきた沙都子と梨花。
「なにをやらかしてますの、人騒がせな……」
「圭一、なんでれなちっくに学校占拠なわけ?」
……???
どうして学校占拠が“れなちっく”なのか、よくわからない。
「む! 近付くんじゃねぇえ!」
ばっと跳ね起きた圭一は、いきなり僕を抱きかかえると威嚇するような叫びをあげた。
目を見開いて足を止める梨花たちに、
「それ以上近付くと、羽入のおなかをこの場でもふるッ!」
「あぅっ!?」
世にも恐ろしい脅迫を口にする。
「……それが何よ」
「ぇ……、な、なにって」
冷然と言い放つ梨花に、圭一は焦り気味の口調で続けた。
「いいのかよ!? スイーツ(笑)三昧な食生活によって作られたお前の姉のおなかが、どれほど罪深いぷにぷにっぷりかを赤裸々に知られてもいいってのかよ……!」
こ、公衆の面前で何ということを……!?
「ぷ、ぷにぷにではないのです! まったくそんな事実はありませんが梨花! 姉のためを思うなら、ここはおとなしく要求に従ってほしいのです!」
涙目の僕も加勢したことで、梨花は小さく舌打ちする。
「……一応、要求を言ってみなさい」
僕の大切な妹は何故、加害者と被害者の両方を殲滅したくてたまらない……とでも言いたげな、冷ややかかつ凶悪極まりない視線を投げてくるのでしょうか。
「弁当を二つよこせ。それからレナのリコーダ……じゃなかった、監督をいますぐここに呼べ!」
レナの鉈まで持ち出したり、僕を人質にとって悪魔の如き脅迫を突きつけたわりには圭一の要求はささやかなものだと言ってよかった。
「おなかがすいているのですか、圭一?」
「いや全然」
僕の角を見ながら『これをしゃぶるとどんな味がするんだろう……どきどき☆』と食欲旺盛な表情で答えるのは是非やめてほしいです……。
「お、お弁当は分けてさしあげますから、さらなる境地に足を踏みいれるのはおやめなさいまし!」
沙都子が慌てて要求を呑み、お弁当を差し出してくる。
それを大事そうに手元に引き寄せつつ、
「よぅし、だったら次は監督を呼べ!」
「お呼びですか」
背後の掃除用具入れの扉ががちゃりと開いて、白衣に身を包んだ入江が出現する。
「のわっ!?……ど、どこから出てくるんだよ」
さすがに圭一も驚きつつ、黒板の前まで後退する。
「いまさらそのような愚問を。沙都子ちゃんあるところに入江京介の影ありです」
爽やかに眼鏡を光らせながら言った入江だったが、すぐにその表情は険しいものに変わる。
「……本当のところは、今日は学校医としての仕事がある日だったので、部活の時間になったら颯爽と登場しようと早朝からこのロッカーに潜んでいたのですがね」
「いや、仕事があるなら保健室にきてくれよ……」
圭一が僕の頭の上でげんなりとしていた。
つまり圭一は圭一で、今日は入江が学校に訪れる日であることを計算の上で朝から学校に潜入し、保健室のどこかで入江が来るのを待ち構えていたのだろう。
ところが昼になっても入江が現れないので痺れを切らして教室に出てきたというわけだ。
とりあえず、午後の体育で女子が着替えに入る前に入江が潜伏場所から出てきてくれてよかったと思うしかない。
「……それで、いったい私に何の用ですか」
真剣な声音で問う。
入江にしてみれば、いまの圭一は雛見沢症候群を発症している疑いの濃い上に、村を騒がせている失踪者でもある。
自分を探してここに現れたという圭一に対し警戒するのは当然の反応だといえた。
圭一は床に刺さっていた鉈を拾い上げると、それをまっすぐに入江に向ける。
「質問は無しだ。俺と一緒に来てもらう」
有無を言わせない、強硬な口調。
その理由は、すぐに思い至る。
「あぅ……まさか」
見れば梨花も僕と同じ結論に至ったのだろう、小さく舌打ちしながら腕組みをする。
「圭一。……レナの容態が、よくないのですか」
「…………」
圭一は答えない。
レナの鉈を持っているところからみてレナとはぐれたわけではなさそうだし、圭一は自分の怪我だけなら山狗に発見される危険を冒してまでこんなことはしないだろう。
……とすれば、医者である入江が必要な理由はひとつ。
「レナさんが……圭一さん、どうなんですの!?」
沙都子の心配そうな声に、視線をそらす。
「答える必要はない。……来てくれ、監督」
圭一はそう言いながら僕を解放すると、離れぎわにそっと僕の髪を撫でていった。
ごめん、と。
わずかな仕草だけで、そこにこめられた想いが伝わる。
いまの圭一の背中は……とても小さく見えた。
事態は切迫している。
彼の負う荷は、大きすぎて重過ぎる。
発症しかけていたという危機を乗り越えてなお、レナの命や部活メンバー、ひいては雛見沢の安全も脅かされ続けているといっていい。
その身と心を削りながらなお、この人は自らの負った荷を投げ出すことなど考えてもいないのだ……。
「……わかりました」
わずかな迷いを滲ませつつも入江は頷いた。
入江からすれば、刃物を手にした圭一が重度発症の域から脱しているかどうかは半信半疑というところだろうし、自身の身柄を山狗に対する人質とされる危険もある。
それでも入江は根っからの医者、レナが危ないと聞いては見過ごせるような人間ではなかった。
「入江……レナを助けて」
梨花の言葉に、乾いた笑みを返す。
「ええ、全力を尽くしますよ。そこまで無事に辿り着ければいいんですが、ね……」
窓の外にちらりと視線を投げた。
つまり……山狗の監視がいる、ということ。
入江はどちらに転がってもおかしくないカードだし、この学校には僕を含めた部活メンバーもいるのだから、少ない人員を割いて山狗が見張っているのは不思議ではない。
彼らを出し抜いて校庭の入り口に停めてある入江の車まで行き、さらにはその追跡を振り切ってレナの隠れている場所を目指す。
……口で言うほど簡単なことではないのは明白だった。
「悟史」
圭一はゆっくりと親友に視線を投げた。
「……俺とレナが戻るまで、みんなのことを頼む」
「うん、任せて」
最後まで聞くこともなく、力強く頷く。
「って魅音たちに伝えてくれ」
「僕に頼もうよっ!?」
ツッコミながらも、悟史はぐっと親指を立てる。
そして圭一は鉈を大きく振りかぶって、
「さぁて、第3ラウンドといこうか……ッ!?」
叫びとともに教室の窓を叩き割る。
それは、新たな闘争の火蓋だった。
すぐにその意図を察した入江が、開いている窓から慌てたようなそぶりで飛び出す。
あたかも狂人に追われ、助けを求めるかのように。
わけがわからず見守っていた下級生たちが悲鳴をあげる中、圭一は僕たちに一瞥を残すと、自分も窓から飛び出した。
「待ちやがれッ!」
その背中を見つめて、切に祈る。
圭一の、入江の、レナの……そして、皆の無事を。
しろしめす社の神に奉げよう。
立ち塞がるのは、崇りという名の不破の惨劇。
打ち祓うべく、血風に乱れ舞うのは風雲児。
かつて地にまみれ、敗れ続けた鬼たちの踊る、
空前にして絶後、痛快至極たる復讐劇を……!
<雑談>
最近、またひぐらしのSSを新しく作ってるんですよね。
プロットだけはほぼ完成してるんですけど、まあ、それを投稿するのはいつになるやら……。
あ、神楽舞ほど長くはないです(笑)
今思うと、よくこれだけの長さの作品を作れたなと自分でも思います。
新作はそこまで長い作品にはならない予定ですが、その分、一話一話というか、全体として密度の濃い話にするつもりです。
まだまだ先の話になるかもしれませんが、気長にお待ちいただければと思います!
神楽舞完結後、次に読みたい作品は?
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神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
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ひぐらし短編集
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ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)