ひぐらしのなく頃に~神楽舞   作:晃晃

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第130話 アンリミテッドミラクルワークス

「待ちやがれッ!」

 

監督を追って飛び出し、校庭の砂利の上に着地する。

 

……!

 

ぎしり、と両足、そして脇腹に鋭く深い痛みが走るが悲鳴をあげることも動きを止めることも許されない。

 

歯を食いしばってその苦痛を噛み殺し、地面を蹴った。

 

その一歩ごとに視界の端が歪む感覚。

 

おそらくは雛見沢症候群を発症しかけていたのだろう昨夜まではほとんど気にならなかったが……俺が俺を取り戻すのと同時に、その恩恵は失われていた。

 

「くッ……」

 

走りながら、喉の奥で喘ぐ。

 

……嗤えよ、前原圭一。

 

お前には、正常な痛みを感じる暇も余裕もいらない。

 

嘘に鎧われた英雄は、自らの苦痛など省みない。

 

運命だとか陰謀だとかご大層な名前で呼ばれる『敵』の顔面をブン殴る拳さえあれば、それでいい。

 

ほかになにも、いらないんだ。

 

「くく……は……ッ、はははッ!」

 

ひりついた喉から放つ、乾いた笑い声。

 

それは、営林署の敷地の入り口に停められた監督の車の前に滑り込んできた、白いワゴン車を目にしてのものだった。

 

完全に停まる前に側面のドアがスライドして開き、作業服の山狗が二人、警棒片手に飛び出してくる。

 

これが笑わずにいられるだろうか?

 

いま、山狗の実働部隊はレナに蹴散らされて戦力半減。

 

それを証明するかのように、セオリーどおりなら5~6人は乗っているはずのワゴンに残るのは運転手ともう一人だけだ。

 

そこまで余裕のない連中が、満身創痍の中学生一人を相手に貴重な戦力を繰り出してくる。

 

しかも、本来なら隠密性に重きを置く奴等がこの真っ昼間に、学校の教室から見られてしまいかねない距離だというのに、その姿を晒してまで俺を確保しに来ている。

 

「ブザマだなぁ、えぇおいッ!?」

 

笑うしかない。

 

こいつら一人一人を見れば、間違いなく俺よりも強い。

 

格闘技術も体格も、まるっきり負けている。

 

そのうえ人数だって、実際に動ける人間だけでも部活メンバーの数倍はいたはずだ。

 

そんなやつらをここまで追い詰め、必死にさせているのは単なるガキの集団だってんだから、笑うしかないだろ?

 

「はッ!」

 

振り下ろされる特殊警棒に対して足を止めると同時、頭と肩をかばうように腕をかざす。

 

「ッ……!」

 

鈍い金属音とともに腕のバンテージで固定した鉄板を衝撃が突き抜け、筋肉と骨とが軋む。

 

その衝撃に耐えるべく力をこめるだけで、脇腹がきりきりと引き絞られるような痛みを脳髄に叩きこんでくる。

 

くそ、うるせえっての……!

 

目の前の山狗を突き放すべく拳を固めた瞬間、

 

「……がッ!?」

 

もう一人が腹に強烈な蹴りを叩き込んできた。

 

なすすべもなく身体が浮くのを感じ、宙を掻く……!

 

このまま飛べば背中から落ちて、立ち上がる余裕もなく組み伏せられる。

 

それを避けるなら、……覚悟を決めろ、前原圭一!

 

自身による叱咤に腹を括るのと同時か、それとも一瞬早くか、振り下ろした足の靴裏が地面を噛み、その衝撃でさらに増大する激痛を無視して体をひねる。

 

「……なっ!?」

 

警棒を振り下ろした側の山狗が組み伏せるべくまっすぐにタックルを仕掛けた先に、俺はもういなかった。

 

無理な体勢から地面を蹴って身体を反転させつつ、右半身から砂利の上に落ちる。

 

「ぎぃ……!」

 

小此木の野郎に蹴られた脇腹が地面に叩きつけられたが、泣き言を言ってる場合じゃない。

 

「らぁあっ!」

 

膝と腕で地面を叩いて即座に立ち上がり、蹴ってきたほうの山狗めがけて突っ込みながら拳を振りかぶる。

 

「生意気なっ!」

 

手にした警棒を水平に払って間合いに入らせまいとするのだが、まだ認識が甘いと言わざるを得ない。

 

逆の肩にその警棒による打撃をまともに受けながらも、俺は拳を振りぬいていた。

 

「ぐ……!」

 

バンテージが巻かれた拳は鈍器となって山狗の顔面を打ち抜き、血の華が舞った。

 

……ようするに、こいつらには覚悟が足りない。

 

覚悟を決めて突っ込んでくる人間の動きを牽制したいなら生半可に振っただけの警棒では駄目だ。

 

その一撃で叩き伏せるくらいの重さが必要なのだ。

 

「この……!」

 

拳から来る反動であちこち痛みが返ってくるものの、こちらも動きを止めている暇はない。

 

複数を相手にする以上、動きを止めればさっき蹴りを入れられたのと同じ末路をたどることになる。

 

「おらぁっ!」

 

とっさに腕を引きながら横にステップした俺めがけ、タックルをかわされたほうの山狗が警棒を叩きつけてくる。

 

先端が肩をかすめていくものの、ダメージは表面だけだ。

 

鈍器は扱いやすいかわりに、ヒッティングポイントがずれると威力は激減する。

 

この一年の間レナの鉈にさんざん殴られ続けた俺が言うのだから、間違いない……!

 

「ははははっ!」

 

それでようやく左手にレナの鉈を持ったままだったことを思い出して、振り回す。

 

「うぉ!」

 

風を切り裂くような一閃。

 

第二撃を放つべく踏み込もうとしてきた山狗の足がそれでとまった。

 

これが、刃物の強みだ。

 

鈍器と違って空間に『面』を描くことができるから、間合いをとるための牽制にはこちらのほうが向いている。

 

ガキが左手で振り回している気の抜けたような斬撃でさえ、うかつにその『面』に触れればダメージは大きいのだ。

 

「くそ……!」

 

山狗はおそらく、武器を手にした人間を制圧する訓練を受けている。もしも俺の手にあるのが金属バットなら、多少のダメージを覚悟して飛び込んでこれただろう。

 

だがそれでも、モノが刃物であれば、やはり慎重になる。

 

「怖いだろ、なぁ? ナントカに刃物ってヤツか!?」

 

俺の嘲笑には答えない。

 

膠着状態を嫌って二人が左右に分かれようとするが、俺は鉈を振り回しながら斜めにステップを踏み、二人を自分の前方に置く。

 

円の動きでまわりこませず、一定の距離をとる。

 

「二人じゃダメだろ、そりゃ? もう一人か二人必要だって」

 

一歩下がりながら、ワゴンの予備人員が出るべきかどうかと躊躇しているのを視界に入れて牽制する。

 

まるっきり心の準備ができていない素人相手なら二人でも拘束はできるだろう。

 

だがこれだけの広い空間があり、同じ素人でも山狗が集団戦法を基本としていることを理解している俺には、二人ではダメだ。

 

「臨機応変にいけって言われなかったか? そんなんじゃあのおっさんにぶっ飛ばされるぜ?」

 

「く……、小僧……!」

 

この無駄口も、戦術のひとつ。

 

喋ることで自分が冷静さを取り戻すのと同時に、挑発によって敵の思考力を低下させる。

 

俺がレナとの訓練で得た最大の成果は、この戦いの思考法なのだ。

 

常に想定したのは、実戦だった。

 

刃物や鈍器、飛び道具を持った相手とどう戦うか。

 

複数の相手に囲まれたらどうするか。

 

怪我などで身体の一部が動かないときはどう対処するか。

 

自分にとって不利な状況でどう振る舞えばいいか、それを徹底的に考え続けてきたのだ。

 

「付き合ってらんねぇなっ!」

 

「……!」

 

監督のいるほうへ走るべく踵を返すふりをして、体を回転させる。同時に鉈を右手に持ち替え、峰のほうを思い切り振り回して斜めに叩きつけた。

 

「う……!?」

 

背を向けたのを好機と見て踏み込んできた山狗が、意外な動きに足を止めたために、膝を狙った一撃は空振り。

 

……くそ。

 

これがレナのスピードなら、俺の倍は速い回転で、山狗は何が起こったのか分かる前に膝を砕かれて倒れただろう。

 

得物が同じだからといって、レナと同じことができるとは限らないという……単純な事実を忘れていた。

 

慌てて体勢を立て直し、振りぬいてしまった鉈を構え直そうとするが遅い。

 

「ガキがっ!」

 

隙を見つけた山狗が振るった警棒が俺のこめかみをしたたかに撃ち、目の前で火花が散ると同時、視界がぶつんと真っ暗になる。

 

それでも俺は冷静に、それが反射的な動作で自分が目を閉じてしまったからだと判断する余裕があった。

 

ここで大事なのは、動きを止めないこと……!

 

格闘戦では、一発でも有効打が入れば続く二撃、三撃を浴びてしまうことが多々ある。

 

動きが止まり、体勢が崩れ、呼吸が乱れる。

 

その結果は当然至極、好き放題に打たせるだけ……!

 

ダメージを受けたことは仕方ない。後悔など無意味だし、反省はあとでいくらでもすればいい。

 

レフェリーが止めに入ってくれない実戦でなによりも重要なのは、敵に次の攻撃の機会を与えず、いかに素早く立ち直れるかということ……!

 

ふらつき倒れかけた姿勢から、地面を強く蹴って転がる。

 

すこしでも山狗から距離をとるために。

 

もはやおなじみとなりつつある全身の苦痛を黙殺、立ち上がるために地面を叩いた腕を突っ張り、同時に目潰しのための砂利を掴む準備をする……、間に合えよ……!

 

「ッ!?」

 

目を開けるが、追撃はなかった。

 

山狗たちはさっきの場所から動いていなかった。

 

……木偶じゃあるまいし、いくらなんでも鈍すぎるだろ?

 

そう思ったのはいささか失礼だったらしい。

 

「……ったく、世話の焼けるヒーローよね」

 

「まったくですわ。もうすこし優雅に戦えませんこと?」

 

俺と山狗どもの間には、ふたつの小さな人影が立ち塞がっていた。

 

モップの柄を器用にくるくると回転させる梨花と、どこから取り出したのか両手の指の間にロケット花火を構えた沙都子だった。

 

「二人とも、さが……」

 

「だが断る!」

 

最後まで言わせず、梨花が突撃する。

 

「Rっ!」

 

山狗の片方がそれを迎え撃とうと警棒を振りかぶったが、梨花は棒を地面すれすれに走らせて山狗の脛を狙う。

 

「く!」

 

弁慶の泣き所を打たれるくらいならと、とっさに跳んでかわすしかない。

 

梨花はそれを見透かしていたかのように棒の先端を地面に叩きつけ、反動で跳ね上がった棒に片手を添えてさらに加速させる。

 

「ぁぐっ!?」

 

山狗が着地と同時に棒の先端による鋭いアッパーカットを受けてよろめいたところへ、振りぬいた棒を反転させながらさらに前に踏み込む。

 

「……くぅ!」

 

逆の先端が金的を打つ寸前で山狗が膝を閉じ、食い止めた。そうなるとびくとも動かず、梨花の手からあっさりと棒が奪われる。

 

「あっ……」

 

小さな悲鳴をあげた梨花は、無防備なまま山狗の懐に飛び込んでしまっていた。

 

「もらっ……げッ?!」

 

覆いかぶさるように至近距離の梨花を捕まえようとした瞬間、山狗が悲鳴をあげる。

 

「にぱー☆」

 

梨花はいつの間に手にしたのか、スプレーらしきものを男の目の前に突きつけていた。

 

「ヒャッハー、汚物は消毒だっ!」

 

「ぎゃあああああ、目が、目があああッ!?」

 

容赦なく目を直撃されて顔面を押さえた途端、男の足が緩んだのをみはからった梨花が棒をひょいと膝で持ち上げ。てこの原理で急所を撃つ。

 

「ぐぎッ!」

 

今度こそ直撃を食らって、山狗は前のめりに倒れていく。

 

……なんとも見事な手際だった。

 

「ホーミングロケット花火、実戦仕様ですわ!」

 

その声に目を移せば、沙都子の投げたロケット花火の群れが甲高い音をあげながらもう一人の山狗めがけて殺到するところだった。

 

「こ、こんなオモチャでっ……!」

 

山狗はそのまま突っ込もうとする。

 

たしかに、ロケット花火が飛んできたところで大の男が慌てる必要はまったくないはずだ。当たっても痛いというほどではないし、せいぜい運が悪ければ火傷する程度。

 

……それがただのロケット花火で、放ったのが沙都子でなければ、なんの脅威にもならない。

 

「甘く見られたものですわね……!」

 

にやりと八重歯を見せて笑った沙都子の両手が優雅に広げられ、白い指先がまるで指揮者のように繊細に踊る。

 

「な……!?」

 

山狗はようやく気づく。沙都子と自分の間に、幾重にも伸びる『線』に。

 

別にワイヤーでもピアノ線でもない、ロケット花火に結び付けられたそれは単なる釣り糸にすぎなかったが……、

 

「うぉわっ!」

 

沙都子の指先の赴くままに誘導され、複雑な軌道を描いて行き過ぎたロケット花火によって空中に描き出されたその線が、男の手足に絡みついていた。

 

「ぐ!」

 

走り出そうとした不自然な姿勢のまま、受身もとれずに顔面から地面に突っ伏す山狗。

 

「く……小細工を……」

 

「三四さんから聞いていませんの? 一騎当千の部活メンバーをただの子どもと侮ると……」

 

沙都子は冷酷な声音で言いながら取り出した爆竹の束に火をつけ、地面に転がったまま糸をほどこうともがく山狗の眼前に投げ落とす。

 

「……お高くつきましてよ?」

 

冷笑を含んだ声、目と鼻の先でたちまち短くなる導火線。

 

「ひいぃぃぃいぃッ!?」

 

かろうじて寸前で目を閉じたところへ、マシンガンのように連続する破裂音が響き渡る。

 

「ひ……ひぃ……、こ、この……程度……」

 

うっすらと涙さえ浮かべながらまだ強がる山狗に、

 

「減らず口はおやめなさいませ。さもないと、今度はお口のなかをお掃除してさしあげましてよ?」

 

「ぅ……っ!?」

 

怯えたように慌てて口を閉じた山狗に、勝ち誇って高笑いする沙都子。

 

こ……怖ぇえ……。

 

と、思っていたら沙都子はこちらを振り向いた。

 

「圭一さん、なにをぼーっとしてますの。行くならさっさと行きませんと、日が暮れてしまいますわよー?」

 

「お、おう……」

 

気の抜けた返事をする俺にためいきひとつ、残りの山狗を相手にするべく梨花といっしょにワゴンに向かっていく。

 

いまさらといえばいまさらだが……、やっぱり部活メンバーは一筋縄ではいかない連中だった。

 

薄々思ってたことではあるが、部内では俺ってかなり弱いほうに入るんじゃなかろうか……?

 

「圭一」

 

その声に振り向くと、おそらく俺と最下位争いをするのではないかと思われるツノ付き巫女さんが立っていた。

 

「忘れ物です」

 

羽入がそう言って差し出したのは、さっき俺が羽入を盾に要求した弁当だった。

 

しまった……。

 

教室を飛び出すときに忘れていたらしい。

 

「あ、あぁ……サンキュ」

 

受け取った俺に、羽入は気遣わしげな目を向ける。

 

言いたいことはいろいろあるのだろう。

 

当然だと思う。

 

それが俺の意志によるものではないにしても、突然失踪したと思ったら次に現れたときは雛見沢症候群を発症していて、さらにはダム現場での攻防戦。

 

診療所の研究内容を知らされている羽入だからこそ、余計に心配させてしまっただろう。

 

羽入の心情は、痛いほどわかる。

 

でも……わかったところで、俺は止まれないのだ。

 

山狗は俺を崇りの標的に選び、俺の助けになろうとして診療所を脱走したレナも排除すべき障害と目している。

 

最低限、いま進行中の山狗の作戦を叩き潰さない限り……俺やレナは、羽入たちと一緒にいられない。

 

だから物言いたげに見つめる羽入から目をそらして背を向けようとしたとき、

 

 

「……いってらっしゃい、圭一」

 

 

羽入は柔らかく微笑んで……、それだけを告げた。

 

何を言っても俺を困らせるとわかっているから、なにも問わず、引き止めることもしない。

 

ただいつものように送り出すことで、そこに帰る場所が確かにあるのだと教えてくれている。

 

その優しさが嬉しくて……身を切られるよりも、つらい。

 

だって、これは、嘘になるかもしれない。

 

誰に言われるまでもなく、俺自身が知っている。

 

雛見沢に襲い来る災厄、それを止めるために全ての努力を尽くしているが……それが成ったとして、その先の未来に俺が生きている可能性なんて、限りなく低い。

 

最後の戦いの中で小康状態の症候群が再発して、自分の喉を引き裂いて果てるのか、それとは無関係に撃ち殺されるか殴り殺されて終わるのか。

 

そうでなくとも俺の身体にはもうあちこちガタが来ていて、どうにか戦えているのが既に奇跡のようなものだ。

 

大事なのは……俺が、それを選んだということ。

 

生半可な決意じゃなく、魂に刻みつけた。

 

俺の描いた途方もない嘘を真実に変えるために必要なら、俺は自分の命を必要なだけ削りとって使うと。

 

自己犠牲なんてもので奇跡は起きない、そんなことはわかっている。俺なんかの命に、奇跡と引き換えにする価値がないのもよく知ってる。

 

自己満足だなんて言うのはもっと見当違いだ。俺は聖人でも君子でもない、死にたくないし幸せに生きたい。みんなを守れれば満足かって、死んだら不満に決まってるだろ。

 

ただ、みんなの力で起こす奇跡、逆転劇に足りないチップがあるなら……それを埋めるのが俺の役割だというだけ。

 

一年前、梨花と出会う前の俺は、無気力で厭みな小僧で、ここへ来るまで何も持っていなかった。

 

雛見沢で過ごした一年で、俺はたくさんのものを得た。

 

からっぽだった俺をいま満たしている大切なものは、全部が全部、雛見沢の皆がくれたものだ。

 

この身体が、雛見沢でできているなら。

 

雛見沢を守るために『雛見沢の前原圭一』の命を使うのは、当たり前のことじゃないか?

 

嘘だらけの俺には、皆に返せるものなんて他にない。

 

これは、『義務』だ。

 

途方もない嘘をついてこのかけがえのない一年という時間を得た前原圭一が支払うべき、……当然の代価。

 

だから俺は、また嘘をつく。

 

 

「あぁ……いってきます」

 

 

背を向けたまま、こみあげてくるなにかを必死で押し殺し……水平に伸ばした腕の先、親指を立てた。

 

 

力強く、不敵に、何度でも……嘘をつく。

 

 

 

 

梨花と沙都子がワゴンの山狗たちの相手をしてくれている間に、俺は鉈と弁当を手に、監督の車に乗り込む。

 

「悪いけど、言うとおりに走ってもらうぜ」

 

運転席の監督は、目の前に突きつけられた鉈の刃をちらりと一瞥したが、その表情に怯えや焦りはなかった。

 

「……わかりました。できる限り飛ばしますので、指示はおはやめにお願いします」

 

そう言って、いきなり車をスタートさせる。

 

急発進のあまりシートに身体が押し付けられたが、いまはありがたかった。

 

バックミラーにぽつんとこちらを見送る羽入の小さな姿を見つけたものの、すぐに距離が開いたので表情までは見なくてすんだからだ。

 

「……くそ、対応が早いな」

 

同じバックミラーの中で、山狗のワゴンが砂利を派手に撒き散らしながら走り出すのが見える。

 

開きっぱなしの運転席のドアから、妨害を試みたらしい梨花が蹴り出されてころころと転がり、それを受け止めた沙都子の追撃のトラップがワゴンのボディをへこませる。

 

……梨花のやつも、無茶ばっかりしやがるな。怪我してないといいけど……。

 

とにかく、教室で窓を割ってみせたことで知恵先生はおそらく今回の事態を警察へ通報してくれるはずだ。

 

刃物を持った失踪中の少年が教室で暴れた、という事実ですくなくとも一両日中くらいは教室の子どもたちに警察が張り付いてくれるかもしれない。

 

そうなれば、梨花たちは安全に帰宅できる……。

 

「前原さん」

 

ドアミラーで後方確認をしつつ、旧村道に車を乗せながら監督が声をかける。

 

「……レナさんの件はともかく、あなたの行動には不可解なことが多過ぎます。話せることだけでもいい、私に話してはみてくれませんか」

 

言い分はごもっともだ。

 

医者として大人として客観的に見たなら、俺のやっていることはあまりにも滅茶苦茶すぎる。

 

……だが、それを言うならこちらも同じ。

 

「俺に言わせれば、目の前で子どもがあんな連中とやり合ってるのに、止めに入るどころか警察も呼ぼうとしない監督の行動のほうが不可解ってことになりますね」

 

「……それは」

 

表情が沈む。

 

「監督と腹の探りあいをする気はないんです。そもそも、監督にしてみれば重度発症の疑いのある俺が何を言っても信じるのは難しいかもしれませんけどね」

 

「……! まさかとは思いましたが、……羽入ちゃんからなにか聞いているんですか?」

 

監督は、思った以上に事態の裏側を知らないらしい。

 

「あー、すくなくとも羽入じゃないです。俺が知ってるのは入江診療所が雛見沢症候群って病気を研究してるってことと、機密保持と発症者確保のために山狗がいるってことくらいですね」

 

女王感染者が死ぬと集団発症……という話については出さないことにしておく。考えればわかることだろうが、それで情報源が鷹野さんだと確定される怖れもある。

 

「なんで山狗が俺を狙ってきたのか、については正直よくわかってません」

 

結果的に発症していたとはいっても、客観で考える限り、俺の行動が決定的におかしくなったのは山狗という脅威が表面化してからだ。

 

発症が先か山狗が先か、水掛け論になりそうだ。

 

「たしかに追われてからはすこしトチ狂ってたらしいですけど……発症の兆候とかを見つけられたのかな」

 

「……そう報告を受けています。あなたたちと親しい鷹野さんなら、わずかな兆候に気づけてもおかしくはない」

 

なるほど、それなら理屈は一応通る。

 

思い返せば、疑心暗鬼というほどではないが……俺自身の思考がおかしかった部分は思い当たるのだ。

 

専門家である鷹野さんがちょっとした異常から俺に発症の疑いがあることを認めて、やむなく山狗による確保に踏みきった……という流れか。

 

鷹野さんも気休め程度だとは言っていたけど、例のHなんとかいう予防薬は結局効果がなかったらしい。

 

「……けど、山狗には他にも何か事情があると思います」

 

「どういうことですか?」

 

「簡単ですよ。昨日のダム現場の件は聞いてますよね?」

 

そう言ったら、監督は顔をしかめた。

 

「ええ……、発症したあなたと、レナさんが過激に抵抗し、最後には危険なトラップまで持ち出されて大誤算だったと聞いてます。山狗は怪我人だらけです」

 

監督が疲れた顔をしているのは、その負傷者たちの手当に追われたせいだろう。

 

山狗に関してはザマミロとしか思えないが、結果として監督や鷹野さんに迷惑をかけたのは不本意だった。

 

「……そこに悟史や魅音、梨花たちもいたことは聞いてますか?」

 

「え……? そういえば、悟史くんも梨花さんも怪我をしていたような……」

 

「これから診てもらうわけですが、レナは銃で撃たれてます。危険な発症者を射殺って判断はありえるとしてもずいぶん早いし、まさか悟史や梨花まで発症してることになってますか?」

 

ハンドルを握る監督の表情から警戒の色が薄れ、とってかわったのは困惑だった。

 

山狗が発症者と判断した者を放置しておくのは考えにくいし、発症者でない相手に姿を晒すのは機密保持のために相手を殺害しなければならないから、最終手段のはず。

 

鷹野さんに聞いた話の範囲から山狗の行動原理を推測する限り……、いまの山狗の行動はあまりにも不自然だ。

 

「……!」

 

きしり、と。

 

頭の奥の奥に、氷のように冷たい感覚がさしこまれる。

 

それは、余りにも鋭利な確信。

 

山狗が機密保持を最優先にしない理由に思い当たった。

 

奇しくも、ダム現場を炎に包んだあのトラップにも似た乱暴で大胆すぎる思考だが……、ほかに考えにくいのも事実だ。

 

誰に姿を見られようが、構わないのだ。

 

山狗にとっては、昨夜の血戦さえも修正可能な些末事。

 

 

もうすぐ目撃者全員の口を封じることができるのだから。

 

 

全てを押し流し、有耶無耶にできる手段が奴等には存在する。これは鷹野さんが以前に示唆していたとおり。

 

そしてそれが既に予定に組み込まれているから、ここまで余裕ぶっていられるのだ……!

 

「うっ!?」

 

ばぁん、という破裂音とともに車ががくんと揺れ、一気に横に流れる。

 

とっさに視線を投げると、ワゴン車がすでに十数メートルの距離に迫り、助手席の窓から半身を出した山狗の手にはサブマシンガンらしき銃器が握られていた。

 

昼日中、どこに村人の目があるかわからない追撃戦でいきなり銃を持ち出してくる暴挙……それも、診療所の最高責任者である監督の車に易々と射撃許可が下りる。

 

それは俺の確信を、絶対へと押し上げる。

 

「面白ぇ……!」

 

坂の斜面をなすすべもなく駆け落ちる車の中。

 

俺は羽入との散歩で完璧に網羅した雛見沢の地形を頭の中に呼び起こし、この場所からレナのもとへと至る逃走ルートを構築しながら、ダッシュボードに拳を叩きつけた。

 

軋む拳の中に、ありったけの怒りを握り締めて嗤う。

 

「……買ったぜ、その喧嘩ぁあ……ッ!」

 

そっちがそのつもりなら、ここから先に手加減は無しだ。

 

チップ全部叩きつけても、そのチンケな陰謀……、

 

 

木っ端微塵に、ブッ潰してやる……!




<雑談>

なんか圭一のターン久しぶりすぎです。

神楽舞完結後、次に読みたい作品は?

  • 神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
  • ひぐらし短編集
  • ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)
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