気がついたら、地面に横倒しになっていた。
なにが起きたのかわからない。
手足が動いてくれなくて、感覚も鈍い。
電気系のトラップなんて仕掛けた覚えはないのに……。
「沙都子!」
にーにーの焦燥を含んだ声と足音が近付いてくる。
同時に、なにかの発射音と視界の隅に伸びるワイヤー。
ああ、と理解する。
おそらくあれは、昨夜の話し合いの際に山狗の装備として教えられたテイザーだ。詩音さんお得意のスタンガンを飛び道具にしたような武器だと聞いていた。
なるほど、私はその初撃を受けて無力化されたらしい。
でも不幸中の幸いといえばいいのか、身体が痺れて動きがとれないだけで、意識までは奪われなかったようだ。
にーにーが私を抱き起こし、
「沙都子、聞こえる? なにか反応してくれ!」
かろうじて動きそうなのは、目蓋だけだった。
まとわりつくようなだるさを堪え、続けて三回目蓋を閉じてみせる。
「……よかった。動ける……感じじゃないね」
「悟史! 沙都子は無事!?」
壁際に飛び込んだらしい梨花と短い遣り取りを交わし、私の無事を伝えるにーにー。
けれど、事態はまったく好転していない。
ここからでは人数まで確認できないけど、山狗はどうやら複数いるらしく、ろくな遮蔽のないこの場にいてはどう考えても危ない。
前原家の中に逃げ込めればいいのだけど、あいにく仕掛けた私でも解除に五分ばかりかかるトラップ網が作動中だ。
「……くそ! 逃げるよ沙都子!」
不利な状況に悪態をつきながらも、にーにーはなんとか片腕で私を抱え上げようと悪戦苦闘する。
梨花が奮闘して囮を務めてくれている間に私を連れて逃げるつもりなのだろうけれど、残念ながらその行動は無謀としか言えない状況だった。
片腕が折れているにーにーが逃げるには私を捨て置くのがベストだし、そうでないなら足でもつかんで引きずってくれるほうが良かった。
そうしなかったにーにーに感謝すべきではあるけど、そうしたとしても、おそらくは助からない。
「あぅ!?」
案の定、美雪さんを連れてガレージのほうに逃げた羽入さんの悲鳴が聞こえる。
やっぱり……山狗部隊が得意とするのは、昨夜の魅音さんたちの話からすれば包囲戦術。
動ける人数が少なくなったとはいっても、私たちに比べればまだまだ頭数がいるのだから、一方向だけから襲ってきたなら退路を断っているのは当然だ。
「うわ!」
にーにーの叫びとともに、ふわりと身体が宙を舞った。
見れば、にーにーの肩に電極が命中している。
山狗は囮を気取ってちょこまかと動く梨花よりも、私を抱えて動きの鈍いにーにーを優先的に撃ったのだ。
「ふ……ぅッ!」
背中から地面に叩きつけられて小さく声が漏れる。
満足に手足の動かない今の状態ではろくな受身もとれず、後頭部を思い切り地面にぶつけてしまった。
「悟史、沙都子ッ!」
助けにくるつもりだろうか、梨花の切迫した叫び。
まずい。まずい。まずい。まずい……!
私とにーにーはノックアウトされ、もともと無力な羽入さんと美雪さんも捕まるのは時間の問題だ。
唯一の戦力は、技術こそは立派だが非力な梨花だけ。
その梨花とてダム現場での激闘で負った怪我は決して軽くないし、そもそも無傷だったとしても、この状況で一人で山狗を撃退できたらそれこそリリカルマジカルだ。
「~~~ッ……!」
私さえ初撃を食らっていなければ……!
なんて失態……この私が、足手まといになるなんて。
この場所ならば、いくらでも対抗しようがあるのだ。
侵入者撃退用のトラップを応用して山狗の一人や二人は叩き伏せることも可能だし、発動済みの場所から前原家に逃げ込めば、半日程度なら立て篭もれる準備はできている。
「クソガキがッ!」
山狗らしき男の叫びとともに、重い打撃音。
悲鳴こそなかったものの、小さな喘ぎや武器だったモップの柄が地面に転がる音から、梨花がやられたのだと知る。
「梨花ぁ!」
羽入さんの叫びは悲痛だった。
私だって、叫ぶことができる身体なら叫んでいただろう。
「うろちょろするな!」
別の男の声とともに、また打撃音と苦悶の声。
梨花が、このままでは梨花が……!
切迫した意識とは裏腹に、手足の感覚はまだ鈍く重い。
どうにか指先の感覚は戻っているが、地面を力なく引っ掻くのが精一杯で、とても立ち上がれそうにない。
こんなところで私は……一番の親友を守ることもできず、ただ人質になるというのか……!?
渾身の力をこめて必死で首を動かし、視線を巡らせる。
「……がぁあっ……!」
視線の先で、梨花が吠えていた。
牙を剥き出して、立ち上がろうと足掻く。
ひとり絶望に抗う野獣のように。
すこし前までの私の親友、マイペースで優雅な少女はもうどこにもいない。
いまいるのは、奇特でアホだけれど、最後まで諦めない、屈しない。ふざけながらはしゃぎながら、どんな運命も打ち破る。
それはそれで胸を張って誇れる、自慢の親友だった。
「ぁあぁあああ……ッ!」
圧倒的な暴力をその身に受けて地を這い、土埃にまみれながらも力を振り絞って立ち上がるその姿は……、どんなに無様であっても、いやそれ故にこそ、美しく気高い。
でも……、その努力は虚しく打ち消される。
山狗の蹴りが、梨花の細い身体をあっさりと薙ぎ倒す。
地面へと叩き落された梨花は沈黙、今度こそ力尽きたように動かなくなる。
あふれた涙が、頬を伝うのがわかった。
私たちが欲しているのは、ごくありふれた日常だ。
それは決して高望みではないはず。
この国は世界でも恵まれた平和な国で、戦場の過酷なんてブラウン管の向こう側か絵空事の中にしかない。
大切な人々と笑い合うだけのささやかな幸せを求めるのにたいした努力も代償も要らない、そんな世界なのに。
いまの私たちにとってそんなものは死力を尽くしてもなお届かないほどに……遠く儚い理想だった。
「妹のほうは確保だ。そっちは放っておけ」
山狗の二人が私とにーにーのほうへ詰め寄ってくる。
強張っていた身体から、なけなしの力を抜く。
いまは、完全に動けないふりをしろ。
あるかなしかの逆転の機会を掴むために、回復の度合いを隠し通せ。いまは隠すまでもなくほとんど動かないけれどそれでもわずかなアドバンテージにはなる。
油断を誘え、隙を見逃すな。
これからどこへ連れて行かれるのか、どんな目に遭うのかを考えると怖い。
残されたにーにーや、人質をとられて不利になるであろう魅音さんたちがこれからどんな目に遭うかと考えると、もっと怖い。
それでも、考えるのをやめるな。
怖いことを怖いと認めることが臆病なんじゃない。
どうしようもないと思考停止して、状況に身を任せるのが本当に臆病ということだ……!
「邪魔だ!」
そばで地面に転がるにーにーを蹴って退かすと、山狗が私を乱暴な手つきで抱え込む。
必死で怒りを押し殺しながら、死体のように力を抜くのが私にいまできる、最大限の抵抗だった。
無力であることを嘆きながら、無力を装わねばならないというこの屈辱……いずれ何倍にもして返してやると誓う。
……でも、状況はもっと残酷で、過酷だった。
それどころではないような光景が、目に飛び込む。
朦朧としながらようやく立ちあがり、追いすがろうとする梨花に山狗の一人が軍用のナイフを……あっさりと、突き刺した。
「……ッ!」
慌てた。
状況も忘れて、わずかに動くようになった手足をばたつかせて、自分を抱えた男の腕から逃れようとする。
当然ながら、そんなことが可能なほどに私の筋力は回復していない。
腕の拘束は緩む気配もなく……何もできない。
梨花は自分のおなかに突き刺さった刃物を呆然と見つめていたが、唐突に、まるで糸の切れた人形のようにがくんと膝から地面に落ちていく。
「り……、かっ……」
嘘だ。
梨花が、こんな……、こんなに、あっけなく。
目の前で見たものが信じられない。
人が、それも自分の親友が、殺される光景なんて……!
幻覚だと逃げようとする弱い私と、これが現実だと叫ぶ理性とが激しく私の中でぶつかり合う。
視界がぼやけ、歪み、排気不能な熱が頭を駆け巡る。
こんなの、認めない。
認めたくない。
私の親友を、私の幸せに絶対に必要なひとカケラを、無残にあっけなく壊して奪っていく現実などに……どんな価値があるというのか……!
「ぁ……ぁあぁ……ッ!」
正気を押し流そうとする、怒りと殺意の奔流。
全身の毛穴という毛穴にびっしりと注射針を突き立てられるような苦痛の波に、歯を食いしばる……。
負けるか、負けるもんか、負けてたまるか……!
雛見沢症候群、という謎の奇病。
それがもたらす破滅を教えられた今だからこそ、私はその痛みに耐えることを選んだ。
この痛みから逃れるのは簡単だ、自分の正常な意識と理性を投げ捨てて、甘美な殺意に屈すればいい。
でも、それを許せば私は、北条沙都子は、二度と誰も信じられなくなるだろう。
山狗の指揮官だという三四さんや、何度も助けてくれた圭一さん、一緒に戦うと決めた仲間たちやにーにー、そんな大事な人全員を疑う殺人鬼に変わってしまう。
だから、耐えろ。
怒りは捨てなくていい、でも殺意に呑みこまれるな。
……目の前を眩ませていた禍々しい波が、私の決意の前に吹き散らされて消えていく。
当然だ。
私は、この一年を知っている。
病魔の淵から救い出してくれた仲間たちが、どれほどに私を愛してくれたのかを知っている。
幸せな日々を、その意味を、その尊さを知っている。
やわな病気などに……二度と負けるものか……ッ!
「よし、撤収するぞ!」
この場の指揮官らしい男が、叫びだしそうな美雪さんの口を大きな手で塞ぎながら叫ぶ。
どこに隠れていたのか、白いワゴンが滑り出てきて前原家の門の前で停車する。
「了解!……うっ?」
応えた山狗は、梨花のおなかからナイフを引き抜いて車に向かおうとしたところで、がくんと転びかけた。
「な、なん……」
……信じられないものを、またも目にすることになった。
笑っていたのだ。
血まみれの顔で笑いながら、梨花はその足にしがみついて一歩も行かせまいと引き止める。
「な……まだ、動けるのか……!?」
信じられないという顔で梨花を見て、蹴り剥がそうとするのだが、梨花はその蹴り足をとって、そのまま両手ですくいあげる。
「どっせい!」
「う、わ……!」
バランスを崩したところへさらに軸足を蹴られて、無様に地面に倒される山狗。
誰もが呆然と見守る中、梨花は素早くそいつが取り落としたナイフを取り上げるなり、両手で思い切り突き下ろす。
「がぎゃッ!?」
ナイフの刃は梨花の全体重をもって山狗の掌をえぐり、そのまま地面にその手を縫いとめた。
「うがあぁぁあぁあああッ!」
それを醒めた目で見下ろしながら、梨花は冷笑する。
「……おなかをばっくり裂かれてハラワタを引きずり出された経験ってありますか? 私はあります」
なにを言っているのかわからないが……、梨花の顔は酷く冷静で、苦痛など意に介していなかった。
ただ単純に余計な血があふれるのがもったいない、とでも言いたげな様子でおなかをおさえている。
「ただナイフで刺されるよりもずっと痛いわよ。並の人間なら発狂するでしょうね。……あなたは、耐えられる?」
割れた額から流れる血も顔を覆い……その朱に染まった笑顔ときたら、まさに戦慄すべき魔女そのものだった。
「こっ、こいつ……っ!」
指揮官が悪寒をこらえるような声をあげる。
どうみても彼らの脅威にはなりえない、瀕死の少女。
吹けば飛ぶようなちっぽけなその障害を前に、この場の山狗全員が立ちすくみ、動けなかった。
その不安を見透かしたように、細く薄い笑いを浮かべた梨花は視線を上げる。
「オヤシロさまのピンポイントアドバイス☆」
得意気に、ご自慢の手品を開帳する。
いや、……ここまでくれば、もはやそれは魔法だ。
「巫女を苛めると、崇りがあるのです☆」
その言葉の最後に、轟音が重なる。
「な……ッ!?」
この世界が粉々に打ち砕かれたのかと錯覚するほどの大音響だったけど、砕かれたのはこの場の絶望だけだった。
「!?」
見れば、山狗たちが乗り込むはずだった白いワゴンが横倒しになる寸前の角度まで傾き、ひしゃげている。
ワゴンの横腹に突き刺さっているのは、白い乗用車。
乗用車の前部もくしゃりと歪んでいたけれど、そのドアが開くと中から無傷の人影が悠然と現れる。
「パパ!」
美雪さんの叫びに頷いたのは、お花見のときに見かけた覚えのある大柄な青年……、赤坂さんだった。
「遅くなってすまない!」
ひょいとボンネットを踏み越えるなり、まだ唖然としたまま動けない山狗の一人、美雪さんを捕まえていた男の前に着地、反応する間もなくお腹に拳をめりこませていた。
「ぐはッ!?」
体をくの字に折って悶える山狗の手から愛娘を取り戻すとそちらを見もせずに放った裏拳の一撃で男を叩き伏せる。
あまりにも軽々と大の男が宙を舞う、不思議な光景。
そして梨花の惨状に鋭く目を細めて声を荒げた。
「……子供相手に、よくもここまで」
ぎりっと音がしたのは、きっと怒りのあまり奥歯を噛み締めた音なのだろう。
「なら……手加減は必要ないな」
「う、動……!」
動くな、と言いたかったのだろう。
羽入さんを腕に抱えた男の言葉は、ぐしゃりという破砕音であっけなく遮られた。
拳なのか蹴りなのか、それすらもわからない。
男の首が折れたのではないかというくらい反り返り、身体ごと後方に倒れこんでいく。
その顔面は鼻が曲がるほどに歪んでいて、一瞬にして強烈な打撃が叩きつけられたことがわかる。
あまりの威力に誰もが一瞬立ちすくみ、慌てたように残りの山狗が動いたときには、一人がおなかに重い回し蹴りを受けて地面に沈むところだった。
「……どうもあっけないな。以前試合した自衛官はもっと強かったが」
そのぼやきがやけに近くで聞こえた。
赤坂さんの巨体が、いつの間にかほんの目の前にあった。
「く!」
私を抱えていた山狗が警棒を振り上げるものの、とん、と軽くその腕をいなすと同時に懐深くに踏み込んだ赤坂さんの肘が山狗の水月を襲う。
「がッ……」
一撃で、白目を剥いて倒れこむ……圧倒的な強さだ。
なるほど、美雪さんが無敵と誇るのも納得せざるを得ない。
たった一分かそこらの立ち回りで、さきほどまで私たちを追い詰めていた山狗全員が半死半生の姿となっていた。
魅音さんは本当に……なんという頼もしい味方を、雛見沢に呼び寄せたのか。
「パパぁ!」
美雪さんが駆け寄る。
飛びついてくる娘を抱きとめて、
「……美雪、怪我はないかい?」
「みゆきはへいき! でも、おねーちゃんが……!」
「ああ」
美雪さんをおろすと、ぼろぼろの梨花に駆け寄る。
「いしゃは、いしゃはどこだ!」
泣きそうな美雪さんが叫ぶものの、
「医者は敵よ、残念ながらね……園崎家にいきましょ」
当の梨花が、おなかを押さえながらふらふらと赤坂さんの車に向かう。
確かに、この状況では診療所にもいけないし、とりあえず手当てがしてもらえそうなのは園崎家くらいだろう。
「あぅあぅ、梨花っ!」
いままで放心していた羽入さんも駆け寄ってその横に並び肩を貸した。
「梨花、梨花ぁ……無茶しすぎなのです!」
「全くね……、もっと痛い思いをしてこの世界に来たのを思い出さなかったら、ちょっぴりヤバかったわ……」
相変わらず梨花の言うことは全くわからない。
と、解放されたときのまま膝をついていた私の肩に力なく手が置かれた。
「沙都子……、歩けそうかい?」
見上げれば、自分もふらふらのにーにーが私の体を支えてくれていた。
身体の麻痺は抜けていないが、すこし前までに比べればかなり感覚が戻っている。昨夜の話どおりなら、敵は羽入さんや私についてはまだ殺す気はないのだろう。
だから電圧を抑えたテイザーだったというわけだ。
車に連れ込まれてしまえば、そうそう抵抗できるものではないから……まさに、間一髪のタイミングだ。
でも梨花は、殺される寸前だったのだ。
私たちの陥っている危機が、生易しいものではなかったと改めて思い知らされる。
先んじて孤独な戦いに臨んだ圭一さんやレナさんは、どれほど怖い思い、痛い思いをしたのだろう……?
「とにかく急ごう。彼らが、バックアップ……増援を用意してないとは限ら……」
みんなに向けてそう言いながら美雪ちゃんの手をひいて、自分の乗ってきた乗用車に乗り込む寸前で足を止める。
「……早いな」
その視線の先、別荘地の外の田んぼの中の道をワゴン車が二台、こちらに向かってくるのが見えた。
「みんな、急いで乗るんだ!」
車のドアを開けて叫ぶ。
わたしたちも動かない体を必死でひきずり、どうにか赤坂さんの車へと乗り込む。赤坂さん自身も運転席におさまりエンジンをかけ直している。
「……おい、しっかりしてくれ……!」
きゅるきゅると空回りするような音が響く。
さっきの衝突でどこかおかしくなってしまったのか?
「あぅあぅあぅ、赤坂! 早くするのです!」
梨花と一緒に助手席に乗り込んだ羽入さんがミラーを見ながら慌てた声を出すけど、エンジンはかからない。
そうこうするうちに私の耳にも、山狗の車のエンジン音が迫るのが聞こえてきた。
「うぅ……!」
目くらましか足止めに使える小道具はなにかなかっただろうかとポケットを探るのだけれど、その動きは自分でもいらいらするほどに緩慢なものだった。
「やるしかないか……?」
観念したのだろうか、赤坂さんが車を降りようとドアに手をかけたそのときだった。
「解体されたくなかったら……動け、このポンコツ!」
がごん!と梨花が助手席の奥に蹴りを叩きこんだ。
すると、エンジンがまるで梨花の剣幕に怖れをなして息を吹き返したかのように動き出す。
「い、いったいどうして……!?」
赤坂さんが狼狽するけど、
「さっさと出しなさい!」
梨花の叱咤で慌てて座りなおし、アクセルを踏み込んだ。
半ば壊れた車の前部がガタガタと音を立てるけど、徐々にスピードが乗り始め、赤坂家の前を抜けて別荘地を出る。
「あぅ、一台は追いかけてくるのです……」
羽入さんの声で背後を見れば一台はこの車の後に続き、もう一台は前原屋敷のほうに入っていくようだ。
「向こうは人員の回収と、痕跡を消すのが役目か。それが片付けば、こっちに来るかもしれないな……」
「赤坂さん、それでしたら怪我人を診療所へ搬送する車も必要ですわ。追って来ている一台をなんとかすれば逃げられるのではございませんこと?」
私の意見に赤坂さんはなるほどと頷くが、
「あぅ、あれが最後の山狗ワゴンとは思えないのです」
「第二、第三の山狗ワゴンが立ち塞がるであろう……」
助手席の古手姉妹の意見も(主に梨花のせいで)ふざけた調子ではあったものの、それなりに説得力があった。
目の前に見えるものだけが全てだと思って油断するくらいでは部活メンバーとしてやっていけない。
「となると、どうやって追っ手を撒くか、だね。園崎家に逃げ込もうにも、まるで逆方向だし……」
新手のワゴンが園崎家方面の道から来たので、結果として逆の道、レナさんの家やダム現場に通じる村はずれへの道をたどるしかなかった。
ここから園崎家に行く道もないではないが、かなり遠回りになるのでこの壊れかけた車では背後のワゴンに追いつかれるのは時間の問題だろう。
「ダム現場に逃げ込むのはどうですか?」
羽入さんのアイディアも、一考の余地はある。
普段ならひと気のないダム現場に逃げ込むのは自殺行為となるが、昨夜の騒ぎで消防の方や青年団の皆様、警察の方たちだっているかもしれない。
衆目のある場所に逃げ込めばさすがの山狗も追って来ない可能性は高い、が……。
「向こうが逃げる方向を無線連絡していれば、ダム現場前で待ち構えてますわ」
そう、いまや絶好の逃げ場だからこそ、まっすぐその場所に向かうのは逆に危険を伴う。
もしも私が山狗を指揮する立場であれば、その最短の退路を塞ぐ一手は、当然用意するはずだからだ。
「やはり、どこかでぶつかるしかないか……?」
が、血の気を失って青ざめた顔で梨花は首を振る。
「諦めんなよ赤坂、もっと熱くなれよ!」
素人目に見ても死にかけているくせに、妙に余裕のありそうなこの女子小学生が私の親友だ。恥ずかしながら。
ときどきこの子は人類だろうかと本気で疑いたくなる。
「この世で一番簡単な魔法の使い方を教えてあげるわ」
「にふらむ! にふらむ!」
さすがの梨花も後部座席の幼女にズビシとツッコむほどの体力は残っていないと見えて無視した。
「よく、どんな簡単なことでも諦めた瞬間に可能性はゼロになるって言うでしょ?」
ぐったりとシートにもたれたまま目を閉じて、まるで自分自身に言い聞かせるみたいな口調で説く。
「逆に言えば、諦めずに挑み続ける限りはどんなことでも最後はかなう。どんな過酷にも、百の敗北にも屈しないのなら……かなわない願いなんて、絶対にない」
その言葉は、とある誰かの横顔を彷彿とさせた。
おそらくそれは、梨花の待ちわびた英雄の在り方であり、そして……辿り着いた『答え』なのだろう。
「だから諦めないで……、絶対」
それだけ言って、体力も気力も限界に達したのだろうか。
がくりと電源を落とすみたいに体の力を抜く。
すこし不安になって羽入さんを見るけど、
「……大丈夫です、息はしていますのです」
妹が死にかけているにしては、ひどく優しい顔で頷く。
「自分に都合のいいハッピーエンドをまだ見てないのに、この子が死ぬわけはないのです。僕の妹は……アホなのと欲張りなのと諦めの悪いのが、取り得なのですよ」
世間一般ではあまり取り柄と言わないものが多いのは梨花の人柄というものだろうか。
「おー。あほかっこいいな」
美雪さんはなんだかきらきらした目で梨花を見ていた。
「パパ、みゆきもおねーちゃんみたいなあほになる!」
将来の目標としてそれはどうだろうと疑問を呈するべきなのか、もうすでに半分くらいは目標達成していると言ってあげたほうがいいのかと真剣に悩むところだ。
「……うん、なれるさ。絶対だ」
赤坂さんはしみじみとうなずいた。
「赤坂さん、来ます!」
にーにーの声で我に返る。
レナさんの家あたりの集落を通り過ぎたところで、後方の山狗ワゴンが一気に加速して距離を詰めてくる。
「あぅあぅ……梨花……」
ぎゅっと梨花を抱きしめ、おなかの傷をハンカチで押さえながら羽入さんが険しい表情を見せる。
ハンカチはもうすっかり真っ赤に染まっていた。
「くっ……!」
バックミラーで距離をはかりつつ、赤坂さんも焦りの表情を浮かべていた。
このままカーチェイスになった場合、車の激しい挙動は梨花の傷に障る。
この場の不利は明白……!
と、瞬間的に閃いたことがあった。
「赤坂さん、次の砂利道を左折してくださいませ!」
「わかった!」
何故、とは聞かずに赤坂さんはぎりぎりまでスピードを落として車を私の指示通りの道へ滑り込ませる。
ダム現場にいく道の手前で折れ、王子川の土手沿いに進めばその先の橋を渡れば……裏山だ。
あそこは私の庭、あの場所なら山狗も防げるはず……!
苦し紛れの確信とともに、車は砂利を蹴立てて坂道を駆け抜け……目的地の橋が見えてきた。
奇しくも一年前、私が独り死を選ぼうとしたのとほとんど同じ吊り橋だ。
でも、あのときとは全然違う。
今度は、生き抜くために……あの橋を渡るのだから。
<雑談>
アホ梨花は死なんよ、何度でも蘇るさ!
神楽舞完結後、次に読みたい作品は?
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神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
-
ひぐらし短編集
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ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)