「急いで!」
羽入さんたちに続いて私たちが後部座席から飛び出す。
羽入さんたちに続いて私たちが後部座席から飛び出す。
運転席に残った赤坂さんは、ギヤをバックに入れるなり飛び降りた。
橋の手前の狭い坂道、砂利の敷かれた道を後ろ向きにするすると滑り降りていく乗用車の行く手には、追っ手の山狗ワゴンが迫っていた。
「うわぁあ!」
そんな悲鳴が聞こえたけど、ハンドルを切っても時すでに遅し、よけきれずに乗用車と衝突する。
「くそ、ふざけやがって!」
停止したワゴンからは、怒り狂った山狗数人が橋に向かう私たちをめざして走り出てきた。
「早く! 早くいくんだ!」
そうは言っても、こちらも羽入さんが美雪さんの手を引き私とにーにーで気絶した梨花を両側から支えて運んでいる状態で、それほど早く橋を渡れるものではない。
「ここを通れると思うな……!」
詰め寄ってくる山狗に凄む、赤坂さんの声が聞こえる。
赤坂さん一人にしんがりを任せているのは歯がゆいけど、
私たち全員が無傷だったとしてもいまの赤坂さんのほうがおそらく強いのではないか……とも思う。
「おぉおッ!」
車から電気銃や拳銃を持ち出す暇がなかったのか、素手で数人同時に襲いかかってくる山狗たち。
赤坂さんはそれを右に左にといなしながら、完全には決まらないものの反撃さえしてみせる。
ただ打ち倒すだけならば、さきほどと同じく何秒もかからないのだろうが……全員を抑え、突破されないことを主眼に置くなら話は別だ。
橋の前という位置から動くわけにはいかないし、左右両方を同時に止めなければならないのだから。
「はぁ、はぁ、はあ……!」
その防戦に報いるためにも、すこしでも早く裏山に逃げ込まねばいけないというのに……息が乱れ、足がもつれる。
情けない。
私もにーにーも、まださきほどの感電によるダメージから完全には立ち直りきっていないのだ。
「あぅっ……美雪、しっかりつかまっているのです!」
「パ、パパ! ママー! ぼすけてー!」
さらに最悪なことに、意地悪な谷風が橋をゆらゆらと揺らしていてダメージがないはずの羽入さんと美雪さんの足も止まりがちだった。
振り向けば橋の上には、点々と赤いものが落ちていた。
……梨花の出血が、止まらない。
さっきまであれだけ動いて喋っていたのだから、見た目よりは軽い傷なのだと信じたいが……信じ切れない。
「はぁ、はあ、はっ……!」
そうして心が乱れると、余計に足元もふらつく。
「沙都子っ!」
がくんと片足の力が抜けてバランスを崩し、橋の手すりにぶつかって座り込む。
私に巻き込まれたにーにーも中腰になり、ぐっと歯をくいしばって風と半身にかかる負荷に耐えている。
「歩けるかい、沙都子」
「え、ええ……このくらい、大丈夫、ですわっ」
手すりに体重を預けつつ、自分でも苛立つくらいにもたつきながら、なんとかもう一度立ち上がる。
「逃がすか!」
「ぅ、しまっ……!」
橋の入り口で奮戦していた赤坂さんが、右から迫った二人を押しとどめている間に左から別の二人が橋の上へと雪崩れこんでくる。
「く……! 沙都子、梨花ちゃんを頼むよ!」
にーにーが私に梨花の身体を預け、風に逆らって立つ。
「悟史くん、無茶だっ!」
タックルでしがみついた二人を引き剥がし、どうにか自分も橋の上に躍り出てきた赤坂さんが追いすがるものの、引き戻せたのは一人。
残る一人は、にーにーめがけてまっすぐに突き進む。
「カッコつけるなよ、坊主! 足が震えてるぜっ!」
バットは前原屋敷に置いてきたまま、片腕を折られ、身体も満足に動かないにーにーには、打つ手などなにもない。
ただ身体を張って、山狗の進路に立ちふさがるだけだ。
「ははっ……男がこんな場面でカッコつけずに、いったいどこでカッコつけるのさ!」
まだ声は震えていた。
もちろん、足だって震えていた。
でもまっすぐに、がむしゃらに立ち向かうにーにーの背中は掛け値なしに……格好良かった。
「口だけは達者だな!」
にーにーの顔面に、山狗の拳が叩き込まれる。
そこには一辺の容赦もない。
「ぐ……!」
それでもタックルを仕掛けようとしたにーにーの腕をとり瞬時に身体の位置を入れ換えてひねりあげる。
「もう片方の腕も、折ってみるかぁ!?」
それは脅し文句だったのだろうけれど、にーにーは一瞬も怯む気配を見せなかった。
「折るなら黙って折れッ!」
躊躇なく目の前の手すりを思い切り蹴って、その反動で背後の山狗を反対側の手すりに叩きつける!
「ぅがッ……!」
山狗は思わぬ衝撃に、極めていた腕を離してしまう。
そこへにーにーがさらに肩からぶつかっていく。
「ごぁ!」
「……ぎッ!」
相手も苦しそうにあえぐものの、にーにーのほうも折れた骨に響いたのだろう、激痛に顔を歪める。
「くぅ……根性だけは、認めてやる!」
当然ながら、先にダメージから立ち直ったのは山狗のほうだった。にーにーの髪を掴み、力任せに振り回す。
「うわぁあッ!」
手すりに折れているほうの肩から激突してぐらりと倒れこみそうになるその肩を押しとどめ、引き寄せざまに膝!
「う、く……!」
さらに二発、三発と膝蹴りを打ちつけ、たっぷりと内臓に衝撃を染み渡らせる。
「どうしたどうしたぁ!」
もはや声をあげる余裕もないにーにーの足を強烈な蹴りで払って引き倒し、足元に転がったところへブーツのつま先による蹴りを一撃。
「ぁ……!」
鋭い痛みに歯ぎしりしながら、相手の攻撃圏内から出ようと転がるものの……すぐに手すりにぶち当たって、逃げ場がないことを思い知らされる。
「ヘッ……どうしたよ、貧弱兄貴。それで終わりかい?」
嫌味ったらしい声がかけられて、もうそれ以上黙って見ていることなどできなかった。
「お待ちなさいな! それ以上、にーにーを……」
前に出ようとしたけど、ぐっと手首を引っ張られる。
なにごとかと思って振り向けば、……私の腕を掴んでいるのは梨花の手だった。
「り、梨花!? 気が付きましたの!?」
「……まだ、負けてない」
目を閉じたまま、梨花の唇だけが動く。
「は? 梨花、なにを……」
「まだ、ダメ」
それだけ言って、またかくんと全身から力が抜ける。
なにが言いたかったのだろうと目を向け直して、
「な……」
正直、驚愕した。
にーにーは手すりを手がかりに身体を支え、息も絶え絶えな様子ながら……立ち上がるところだった。
「おぉおぉ、泣かせる小僧だねぇ!」
にやにやと笑いながら、余裕を見せて手を叩く山狗。
「喚く、なよ……温厚な僕でも、しまいにゃ怒るぞ……」
絞り出すような声とともに、無事なほうの拳を固める。
体格差、格闘技術、その身に刻まれたダメージ、なにを比較しても勝てる要素はひとつもない。
ないけど……、そう、ようやく私にも理解できた。
それを指摘してみたところで、にーにーや梨花や圭一さんといったお馬鹿な人たちの答えはきっと決まっている。
『うん。だからなに?』
勝てる理由がないからといって、守るべきときに立ち上がらない理由のほうがもっとないのだ、と。
ただそれだけ。それだけで事足りる単純な思考回路。
だからこそ、馬鹿なのだ。
「あぁそうかよ!」
蹴りが、拳が、容赦なくにーにーに浴びせられる。
そのたびに悲鳴をこらえ、崩れかけて踏みとどまり、また拳をきつく固める。
まるで圭一さんが乗り移ったみたいに、今日のにーにーときたら諦めが悪かった。
「……なんで笑ってやがる……!?」
しまいには一方的に攻めているはずの山狗のほうが、苛立ちを隠せずに叫んでいた。
「可笑しい、からに……決まってる、だろ……?」
こちらからはにーにーの顔は見えないけど、確かにその声は弱々しいながらも笑みを含んでいた。
にーにーはまるで切り札を隠してでもいるように、さきほどから固めた拳を崩さない。
ほんのわずかな隙を見つければ、その一撃で全てを逆転できるかのように、その拳を腰だめに構えていた。
それが気に食わず、山狗は踏み込む。
「だから、なにが可笑しいッ!」
躍りかかる山狗を見据え、にーにーは嗤う。
「隙だらけなんだよ…………、背中が」
ぼそりと言った途端、ずどん、とものが落ちるような音。
それは固めた両手を大上段から振り下ろす音で、山狗の背後に現れた赤坂さんによる必殺の一撃だった。
「げ……」
声もなく、ただの一撃で沈む山狗。
見れば、橋の入り口でやり合っていた残りの三人もすでに打ち倒されている。
にーにーはただやられるに任せていたのではなく、山狗の肩越しに赤坂さんの戦況を見ていたのだ。
橋の前の攻防で、防戦するしかない赤坂さんは、四対一でほぼ互角だった。
ならば、バランスを崩してやればいい。
相手の注意を自分に引きつけ、三対一になって動きやすくなった赤坂さんが残りの三人を打ち倒すことに賭けた。
駆けつけてくれるのを、ひたすらに待った。
殴られても、蹴られても、歯を食いしばって耐えた。
「……よく、頑張ってくれたね」
見事その期待に応えてくれた赤坂さんがそう言って、いまにも倒れそうなにーにーに手を貸してくれた。
「は、はは……、赤坂さんこそ……」
素直に、凄いと思う。
にーにーは負けなかった。
自分を圧倒的に上回る相手に、負けなかった。
もしもにーにーがあっさり倒れていたなら、再び四対一に戻った上に背後に回られている赤坂さんにだって勝ち目はなかったのかもしれない。
にーにーが最後まで戦い続けたことが、勝利を導いた。
だからこれは、にーにーの勝利。
最後まで諦めなかったから……勝った。
これが、梨花の言う魔法なのだ。
世界で一番簡単で、……もっとも強靭な魔法。
「とにかく、ここまで来れば勝ったも同然だな」
私たちは暴風に揺れる橋を支えあいながら渡りきり、その先の森の中へと逃げ込む。
もうこのあたりは私と梨花の庭、トラップ地帯だ。
「わたくしの後をついてきてくださいませ。すこしでも道をそれると、どんな目に遭うか保証できませんわ」
私の言葉ににーにーや赤坂さんがうなずく。
先頭を切って足早に踏み込み、十メートルもいかないうちに違和感が頭の中で警告を発した。
「っ!」
とっさにステップを踏み、跳び越えた草の間に目立たない色のワイヤーが見えてぞっとする。
トラップ……?
ここには仕掛けていなかったはず……!
「羽入さん、止まって!」
「あぅ!?」
美雪さんの手を引いた羽入さんが私の声に慌てて止まる。
「ど、どうしたんだい沙都子?」
にーにーの声に応えず、私は前後左右上下へと視線を走らせる。……脂汗が滲むのを感じた。
鋭敏になった感覚が、次々とそこかしこに潜むトラップの姿を浮かび上がらせる……。
身に覚えのないトラップや、配置が変えられているものが数多く含まれていることに気づき、愕然とする。
「まずいですわ……!」
その意味するところはひとつ。
裏山へ逃げようと決めたのは、『失策だった』。
そう、推理するに足る条件は揃っていたはずだ。
魅音さんや詩音さんがいれば、とうに見抜いていた。
思えば十三さんとの出会いが、全てを物語っていたのだ。
彼が裏山に踏み込んできた理由、裏山のトラップが危険地帯として評価されていたということ……誰に?
決まっている、山狗にだ。
山狗はとうの昔に私のトラップ地帯を調べ上げ、そして実際に私たちとの敵対が明確になる段階、すなわち圭一さんを失踪に追い込んだ時点で対策を打っていた。
トラップ地帯に細工し、地の利を求めて踏み込んだ私たちを一網打尽にするための準備を済ませてあった。
「向こうだ、森に逃げたぞ!」
橋のほうから聞こえた声に、一同がさっと身を低くする。
私一人なら、このトラップ地帯を切り抜けることができる自信はある。
いつもどう仕掛ければ効果的かを思考していた私にとってどのような細工が行われたか、その可能性を絞り込むのは難しいことではない。
でも……みんなを連れていては、回避の指示が遅れたら致命的な事態を招きかねない。
「梨花」
赤坂さんに抱えられた梨花に声をかける。
力尽きて眠っているようにしかみえない梨花の唇が動く。
「……なに?」
冷静な、そして年に似合わない思慮を感じさせる声音。
この頼もしい親友になら、きっと託せる。
私に、それを信じさせてくれる。
「皆さんを頼みますわ。ゆっくりでいいから6番ルートの出口へ向かってくださいませ」
ここから直近の、そして周辺にトラップを仕掛けにくい脱出路を指示する。
私や魅音さんほどの熟練やこだわりはなくとも、梨花には私と一緒に多くの仕掛けを作ってきた経験がある。
慎重に進む限り、短距離ならばよほどのことがなければ致命的なトラップに引っかかることなく脱出できるはず。
「……ええ、任せて」
疲れた様子で頷く梨花。
ほかの皆にも、どうやら裏山のトラップが作りかえられていることを説明する。
「で、でも、沙都子はどうするのですか……?」
羽入さんが心配そうな顔で、わかりきった問いを口にする。
私は……笑うしかなかった。
正直、これを選びたくはない。
怖い。心細い。
でもこの場で皆を助けられる策は、これしかない……!
「わたくしは……囮になりますわ。トラップ使いの意地にかけて、この勝負に負けるわけにはいきませんもの」
言うと同時、止められる前に立ち上がって駆け出す。
「あぅ、沙都……ぅ!」
声をあげようとした羽入さんの口をにーにーが塞ぐ。
皆は息を殺して声を潜め、山狗の気配が遠くなってから移動してもらうしかないのだ。
ここからは、私の戦いだ。
それを梨花が、にーにーがわかってくれたこと、この場を一任してくれたことが……嬉しくて、誇らしい。
その信頼が、この先に待つ恐怖、ただひとり立ち向かわなくてはならない重責を、何分の一かでも軽減してくれる。
「……さぁ、開戦の狼煙といきましてよ!」
森に踏み込んでくる山狗たちの気配を感じながら、巧妙に隠されたロープに飛びつき、引く。
素早く視線を走らせ、トラップの構造を理解すると木の陰へ飛び込んだ。
一瞬前まで私がいた場所に、ばさりと網が覆いかぶさってきて大きな音を立てる。
「……あっちだ! 囲め!」
山狗たちがその気配に気づいてこちらに接近してくる。
おそらく配置しなおされたトラップを知る彼らにとっては、この森に逃げ込んだ私たちは文字通り罠にかかった獲物。
だけど、思い通りになどいくものか。
引いたロープを別のワイヤーに結びつけながらその場を離れ、地面に身を投げ出すと見つけたスイッチを手で叩く。
頭上を吹き抜けていく数本の矢が、別の繁みに飛び込んでそこでも音を立てた。
「おい、こっちにもいるぞ!」
「二手に分かれたか……? 無駄なあがきを」
その声を聞きながら地面を這い、草を結んで足をとる仕掛けを残していく。途中、見つけた大きめの石もポケットに詰め込む。
それから中腰になると、木々の間に仕掛けられた落とし穴を飛び越えてすこし距離を稼いだ。
枝と幹の陰に隠されたロープをするすると伝い、相手の視界に入らない角度から樹上へと逃れる。
森の中の視界はさほどよくないが、数名の隊員が三方向に分かれてこちらへ迫っていることを察知した。
飛び道具のひとつもあれば狙撃してさらに混乱させてやりたいところだが、あいにくいまの手持ちには煙幕ひとつくらいしかない。
「ないものねだりをするよりも、この場にあるもので工夫するしかありませんわね……!」
ポケットに入れておいた石を、樹上から下手投げでふわりと投げ放つ。
石は緩やかな放物線を描いてまわりの枝と枝の間をすり抜けていき、ロープの張られた目標の枝にぶつかった。
ひっかけられていたロープが勢いよく外れて、その先に結び付けられていた大きな籠が山狗の一人へと激突する。
「ぅ、わっ!?」
「おい、どうした……おわッ!?」
そばにいた一人が駆け寄った途端、足元の結ばれた草に足をひっかけて前に転がり、落とし穴に飛び込む。
その騒ぎをよそに私はロープの先をくわえて枝から枝へと飛び移り、仕掛けの位置を張り替える。
そしてタイミングを見計らって、地面へと飛び降りた。
だん、と大きな音がしたが、着地は成功。
「いたぞ! ガキがいやがった!」
繁みの向こうで別方面の一人が私の姿を見つける。
「み、見つかってしまいましたわー!」
慌てたふりをしながらだっと駆け出し、木々の間に張られたテグスの下をくぐり抜けて相手をこちらの思う方向へと誘導する。
「逃がすか、待ちやがれっ!」
「馬鹿、ありゃあここの主だ、油断するなっ!」
もう一人が叫ぶが、こちらへ直進してこようとした山狗はいま仕掛けの位置を入れ替えたばかりのロープに足をとられてそのまま空中へ吊り上げられる。
「そんな……馬鹿な!? ここのトラップは……!」
「野郎、この短時間でトラップをいじってやがるんだ!」
ひょいひょいと繁みの間を抜けて距離を稼いでから、再び彼らの見える位置へと姿を現す。
「をーっほっほ! あなたがたのへっぽこトラップごとき作り変えるのは簡単なことでしてよ! うかつに動かないことですわね……すでに貴方がたのいる場所は、わたくしのトラップフィールドですわ!」
「ぐっ……いつの間に……!?」
これは、正直に言えばハッタリだった。
そんなに多数のトラップを仕掛けなおしたり新たに作っているような暇などない。
ただ、その実在しないトラップに相手が慎重になってくれさえすれば、皆が離れるまでの時間稼ぎにはなる。
「いや……、できるわけがねえ! ヤツにそんな時間はなかったッ、ハッタリだ!」
「おい、侮るなと……!」
仲間の制止もきかず、一人が私めがけて突進してくる。
「……蛮勇は、勇気とはいいませんわッ!」
跳び離れると同時に、すでに見つけてあった背後のワイヤーにわざと足をひっかけて、後ろへ転倒する。
「なにッ!?」
その途端、放たれた矢が私の頭上を通り過ぎて真正面から向かってくる山狗へと飛来した。
「うおわッ!」
その間にくるりと後に回転して起き上がり、さっき拾っておいた矢をぴんと張ったワイヤーにつがえて引き絞る。
さっきの矢をどうにか回避した山狗が態勢を整えたところへその第二矢を放つ。
……が。
角度が悪かったのか、矢はほとんど真上といってもいいようなあさっての方向へ飛んだ。
「……はッ! ハズレだなあっ!」
「ええ、ハズレですわね」
今度こそ私めがけて突っ込んできた男の、直上を私の矢が撃ち抜き、そこに仕掛けられていたネットがばさりと山狗に覆いかぶさった。
「にゃにッ!?」
「山狗さんとやらがみんな貴方程度なら、楽しめそうにもありませんわね……当てがハズレましたわ?」
じたばたともがく山狗を見下ろして冷笑する。
戦慄する残りの山狗たちを見据え、
「失策ですわね……。全てのトラップを回収しておくならともかく、仕掛けなおしておくなんて愚の骨頂。この北条沙都子、トラップマスターの名にかけて……場に存在するトラップ、その全てを支配してみせますわ!」
高らかに宣言する。
「クッ……!」
「ど、どうするよ……!?」
うろたえる山狗たちの前で、さっと背中を向けて肩越しに余裕の笑みを浮かべてみせた。
「お疑いなら、どうぞ追って来るがいいですわ。勝ち目がないと悟るまで、命があるといいですわね……!」
それだけ言い残して、森の奥へと駆け出した。
疑惑の種は蒔いた。
ここまでした上で、前を走る私がトラップに引っかからないのを見れば、どんな人間だって疑ってしまう。
私が全てを見抜き、全てを仕掛け直している可能性を。
つまり、その『心の陥穽』こそがトラップ。
そこに自分の知らないトラップがあるかもしれないという『恐れ』を抱いたなら、それはもはや私の術中。
地の利はいまや、我が手に取り戻されたということ……!
背後から追っ手の気配がなくなるまでに、十分も走る必要はなかった。
たとえ仕掛けた本人であろうとも私と同じ速度でトラップ地帯を駆け抜けられる人間など、いるわけがない。
「梨花たちが心配ですわね……」
逃げる時間は稼いだと思うが、その先に山狗が待ち構えていないとは言い切れない。
とにかくこの危機を早く園崎家に伝えなければ。
魅音さんや詩音さんが村の各所に応援を出してくれれば、この最悪のピンチを脱することもできるはず……!
斜面の罠を回避しながら駆け下りて沢筋へと達した私は、着地の軽い衝撃を膝で吸収しながら……息を呑む。
「ッ!?」
「おい、こいつは……!」
沢沿いの小道に、白いワゴンが止まっていた。
とっさに跳び離れて距離をとるけれど、ワゴンの周囲で待機していた山狗たちが色めきたつ。
……不安が、悪いほうに的中してしまった。
梨花たちだけでなく、私の行く手にも山狗が待ち構えていない保証はなく……偶然、その待ち伏せ場所に飛び込んでしまったのだ。
なんてツイてない……!
「確保だ、……油断するなよ!」
リーダーの言葉で、三人が前に出る。
遮蔽物もない河原で、大の男三人と対峙する。
この状況では、ろくな対応策がない。
走って逃げても、大人の足では森に逃げ込む前に追いつかれて捕まってしまうに違いない。
もちろん、腕力でどうにかなるとは全く思えない。
手持ちの道具は温存していた煙幕用ロージンバッグだけ。
それとて相手が一人ならともかく、三人を止められるほどの目くらましではない。
「……くぅ……」
じりじりと間合いを詰められる。
もう数メートルの距離しかない、背中を向ければその時点でアウトだろう。
足が震える、目がかすむ、指先に力が入らない。
……ここで殺されることはない。
ない、はず。
さきほどの前原屋敷でも私や羽入さん、美雪さんは拉致する方向だった。人質として利用価値があるからだ。
おそらく私は、裏切りを疑われている三四さんに対しての保険としての人質……だから、殺されない。
でも。
それでいいはずがない。
私が人質にされて、三四さんの裏切りの可能性は潰されるだけならばまだいいけれど……交渉材料として使われる可能性は否定できない。
私の命と引き換えに、羽入さんの身柄を要求したり、梨花や圭一さんが今度こそ殺されるかもしれない。
そんなのはダメだ。
ここで諦めるわけにはいかない。
梨花だって言ってた。
どんな過酷にも、百の敗北にも屈しないのなら、叶わない願いなんてない。
なら、この北条沙都子が……まだ敗北さえしていないのに諦める道理なんかあるわけもない。
梨花はあのとき、殺されかけても挫けなかった。
その一見無駄な足掻きで稼いだ時間が、強力な味方である赤坂さんをあの場に呼び寄せた。
奇跡は起きる。
諦めなければ、勝手に起きる。
起きないというなら、起きるまで抵抗してみせるだけだ!
「いけ!」
私が顔を上げた瞬間、合図の声とともに、三人が三方から同時に攻め寄せる。
視線を走らせる、彼らの訓練されたその陣形にわずかな隙を求めて、思考を巡らせる。
全てのトラップは観察から始まる。
だから……、気づく。気づかないはずがない。
「!」
真ん中の山狗は走りながらも、右足をかばっている。
昨夜の一戦で怪我でもしたのだろう、怪我をおしてこの場にいるのだ。
それなら、打つ手はある!
最後の手札、煙幕用ロージンバッグを手首のスナップをきかせながら一番左の山狗へと投げた。
包囲の一角を崩し、反転してくるであろう中央の男が怪我をかばって右にターンするのが遅れる、それに賭ける。
それが一瞬で組み立てた打開策だった。
「ハッ!」
けど、その計算は一瞬して崩される。
左の山狗はロージンバッグを見た瞬間、わたしがその手に出るのをまるでわかっていたかのような反応をみせた。
手刀でロージンバッグを迎撃、横に弾く。
白い粉末が飛び散るが、顔や胸に当たればともかく、打ち払われたのでは目潰しの役には立たなかった。
「くぅっ!」
それでもなんとか左に回りこもうと足を踏み出す。
けれど目の前の事態は、さらに予想外だった。
左の山狗が真横へと跳躍し……中央の山狗に、強烈な蹴りを浴びせていたのだ。
「な……!?」
重そうなブーツの靴底を横合いから喰らった山狗があっけなく吹き飛んで、弾かれたロージンバッグが直撃した右の山狗もろとも白い煙幕の中に突っ込んだ。
ワゴン車の傍らにいるリーダー格らしい男も、そして私もぽかんと口を開けたまま呆然と立ち尽くすしかない。
「ガキんちょ一人相手に何やってんスか、おめーら」
味方に不意打ちでヤクザキックをかました山狗はくいくいと帽子を被り直しながらにやりと笑う。
その顔は、紛れもなく……、
「十三さんッ!?」
いまのいままで気がつかなかった。
没個性な山狗の作業服に紛れているとはいっても、帽子で顔が見えにくかったとはいっても……そもそもこの場に、まさか私の味方がいるなんて思いもしなかった。
味方?
……いや、昨夜の話で十中八九彼が山狗だろうということは梨花も保証していたし、私もその前提で考えていた。
だけど思いもしなかったのは……このおバカな人が、敵として目の前に現れることだったのだ。
だから、気づかなかった。
「雲雀13、貴様ッ……まさか、裏切るつもりか?」
「はァ?」
十三さんはしらじらしく首をかしげる。
「裏切るとか、なんのことやらさっぱりッス。俺はそこのチビガキにちっとばかり飯を食わせてもらった恩があるだけの……通りすがりの造園屋だ!」
無駄に力強く、ビシッと親指を自分に向ける。
「大の男がよってたかってガキをいじめてるとかみっともねーんで、クールな俺はこっちにつかせてもらうぜ」
「……貴っ様ぁあ……!」
憤慨するのも無理はないと思うくらいの屁理屈。
でも……梨花の言うことは、本当だった。
私は諦めなかった。
諦めずに足掻いていたら、やっぱりヒーローは現れた。
……まぁ、圭一さんや赤坂さんに比べれば、ちょっぴりたよりないヒーロー役かもしれないけど。
「おっ、やるか? ゆうべ肉野菜肉肉炒めを食ってパワー全開の俺様は、ちっとばかし手強いぜ。小此木造園の誇る四十八の造園技を見せてやんよ」
ファイティングポーズを取りつつ軽口を叩いて挑発。
相変わらず緊張感に欠ける人だった。
「それがどういう意味か、わかってんだろうな……?」
「は、誰にでもひとつくらい譲れねぇモンがあるだろ? 俺にとっては、このガキがそいつだってだけだ」
「ふぇ?」
それはどういう意味だろう。
頭を高速で回転させるけれど心当たりがないような、でもなんだかなくもないような。
えとえと、ひょひょひょっとしてそれはまさか……!?
「なん……だと……?」
山狗リーダーも絶句するけど十三さんは胸を張り、
「タダ飯より大事なモンがこの世にあるかってことだよ、言わせんな恥ずかしい!」
中指を立てる下品なジェスチャーで言い放った。
「そんなことだろーと思いましたわよッ!?」
思わずみっともない誤解をしてしまって、これが梨花あたりに知られたなら恥ずかしさで死ねそうな予感がする。
「バカを言ってる場合ではありませんわよ」
「っと、……そーだな」
見れば、煙幕の張れたあたりから残りの二人も立ち上がりこちらに構え直していた。
「雲雀13、3対1でどうにかなると思うなよ」
「テメェ……ひとりでオイシイところを……!」
「この野郎はいつもそうだ。先輩を敬う気持ちがねぇ!」
リーダー格の人はともかく、残りの二人はちょっぴり緊張感が足りない気がする。
「ふん」
十三さんは3人相手に一歩も怯まず、肩で風を切る。
不敵に笑い、かかってこいと言わんばかりの鷹揚な構え。
「俺に敬って欲しけりゃ、メロンパンくらい奢れっての」
「敬いの心が安すぎますわ!?」
思わず全力でツッコミを入れてしまった。
それが合図だったかのように、3人が同時に十三さん一人めがけて跳びかかってくる。
「さがってろHOJO!」
笑いを含んだ叫びとともに、真正面からその包囲の真ん中に飛び込んで行く。
その大きな背中が、にーにーや梨花と重なって見えた。
だから、信じられる。
梨花の起こした奇跡は、まだ始まったばかり。
一年前から積み上げて来た全てが、私たちの味方になる。
ここからはもう、誰にも……止められない!
<雑談>
別に山狗の方々(十三さん含む)を
倒してしまっても構わないのでございましょう?
神楽舞完結後、次に読みたい作品は?
-
神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
-
ひぐらし短編集
-
ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)