私は用意していた台詞を口にする。
「……どうやら、間に合いましたわ」
手札を机の上に並べると、真向かいに座った圭一さんが目を見開く。
「さ……沙都子、てめぇっ……!」
圭一さんはゲーム序盤からここまで、位置関係を利用して机の下で必要カードをこっそりと融通し合って互いにチップを稼いできた私の共闘者だ。
共犯者といってもいいかもしれない。
「あら、圭一さん。どうしましたの……? 顔が真っ青ですわよ。お加減でも、悪いのではありませんこと?」
でもそれは、あくまで机の下で秘密裏に行ってきたこと。
目聡い梨花やレナさんは薄々感づいているかもしれないけど、表だって私を責め立てれば互いのイカサマがばれて、問答無用で罰ゲームが確定するだけ……!
「沙都子……、沙都子……沙都子っ!」
圭一さんはがくがくと震える指で、自分の手元にあったコインを、2枚だけ残して私のほうへと差し出した。これで私は2位に浮上、圭一さんは一気に最下位に転落。
「おやおやぁ? 圭ちゃ~ん、最初の威勢はどこに行っちゃったのかなぁ~?」
1位の魅音さんが皆からカードを回収しながらにやにやと圭一さんの顔を見る。
「みぃ☆ 油断大敵、火がぼーぼーなのです」
私に追い抜かれたとはいえ、チップにはまだ余裕のある梨花も笑顔をみせる。
「むぅ……圭一、もっと頑張ってくれないと僕の立場がないよ」
圭一さんを部活に推薦したにーにーはいまのでレナさんと同率4位に浮上。
「でも圭一くんの猫さん、きっとかぁいいよ……はぅ☆」
私たちの最大の獲物だった羽入さんはかろうじて最下位脱出だ。
「あぅあぅあぅ……なにやら水面下で恐ろしい駆け引きが交錯していたのです」
残り1ゲーム、よほどの大ポカをやらかさなければ私の罰ゲームはない。
……でも、それで満足しちゃつまらない。
今日の罰ゲームは、圭一さんの加入記念スペシャルと題して特別拡張版だった。
ビリになったら、猫耳首輪をつけたまま1位の鞄を持って家の前まで送る……というとんでもないものだった。こればっかりは負けるわけにはいかない上に、勝てばなんとも気分の良いご褒美になる。
そのためには、まだまだ大差の魅音さんを蹴落とさなければいけない。
だから、手を打った。
「魅音さん、ラストゲーム……ルーキーの圭一さんに、逆転のチャンスを差し上げるのも面白いとは思いませんこと?」
「へぇ?」
魅音さんの瞳がぎらりと光る。
部活創設以来自分で考えた罰ゲームを全て自分でこなしてきた魅音さんだけど、今日はよほど周到に準備をしてきたのかここまでゲームを完全に支配下に置いていた。
「面白そうだね……具体的に、どんなチャンスを上げるの?」
「簡単ですわ。このゲームで上がれば、通常の2倍のコインを奪える……というルールでいかがです?」
にや……、と魅音さんが唇を歪める。
確かに、このルールなら揃えた役しだいで圭一さんにも最下位脱出のチャンスがある。
でも、魅音さんは的確に私の考えを読んでいるはず。……即ち、これは2位の私が、1位の魅音さんを蹴落とすのにも絶好のルールであることを。
「……いいね。その提案、ナイスだよ。みんなもいい?」
残りのメンバーも、一瞬視線を交わしながらも異存は漏らさなかった。
誰も、負けたときのことなど考えていない。安全策に走るより、勝つことだけ考えてる。
このスリルと駆け引き……これだから、魅音さんの部活はやめられない。
カードが順に配られ、私は順次それを膝の上に載せてゆく。
左右、にーにーと羽入さんの視線が自分の手元のカードに注がれているのを横目で確認しながらスカートの裾をそっとずらす。
そこには、さきほどのゲームの間にポケットから移動させておいたトランプの束がある。今日がトランプになるかどうかわからなかったけど、家から持ってきておいてよかった。私は必要カードを何パターンか抜き出して、手札を整理した。
このイカサマが通じるのは、ぎりぎり一度だけ。
それ以外のゲームを無策に過ごすのが嫌で圭一さんを誘ったのだけど、ここまでうまくいくとは思わなかった。裏切るのを最後のゲームにせずに、一回前にしたのも全てはこのためだ。最後に笑うのは……このトラップマスター、北条沙都子でなければならない。
狙うのは、魅音さんの捨て札でのあがり。それには、彼女の不要カードを分析するために数巡は耐えなければならない。その間に要領のいい梨花や引き運のいいにーにーがあがってしまうかもしれないから、これでも必勝の策とは言えない。
それでいい。それでも勝ちたい。
この賭けに勝てば、家に帰る寸前まで至福のひとときが延長できるのだから……!
「リーチ。……くっくっく!」
たった2巡目で、魅音さんはもうあがりの態勢を整えていた。
やっぱりなにか、イカサマを使っているッ……!
たった2枚では判断材料が少なすぎる。魅音さんの手の内を絞りきれない!
「……むぅ。これは、通るよね」
にーにーは顔に似合わず強気だ。引いたカードをそのまま捨てる。
「残念」
にやりとした魅音さんだけど、次の瞬間には肩をすくめる。フェイントらしい。
……あれが通るなら、こっちは大丈夫なはず。
引いてきた手札を膝の上で組み替え、不要カードになる1枚を横に向けて机に出した。
「わたくしもリーチですわ」
リーチを宣言したら手札はもう変えられない。裏のまま机の上に並べた。
……この瞬間が一番緊張した。
裏にした手札には、自前のカードを重ねてある。無理矢理に作った大きな役だ、誰かがこのイカサマに気づいてしまえば私の負け。
「あぅあぅ……二人とも、早過ぎるのですよ」
ぼやきながら羽入さんが山札に手を伸ばしたので、すこしだけ安心する。
注目が向こうへ行けば、バレる心配は少なくなる。あとは、魅音さんのカードであがる瞬間がもっとも危険な橋を渡る瞬間だ。
「……あぅ!」
羽入さんが意を決してカードを捨てるけど、誰もあがりの声はかけない。
「う~んう~ん……手が悪すぎるよぅ」
レナさんはオリる判断をしたらしく、悔しそうに手の内から捨てた。
そして圭一さんの番……はっとした。
圭一さんは私のほうを見ている。
「……沙都子、お前、張ってるだろ」
この言葉は、普通に考えれば馬鹿馬鹿しい。リーチをかけているのだから、張っているのは当たり前。なら、圭一さんが言いたいのはそんなことじゃない……!
「羽入の捨てたカードを見もしなかった……最初から眼中にもないみたいにな」
「!」
しまった、単純なミス……“罠を”張っている、という意味か!
緊張から解放された瞬間の油断もあったのだろう、隣の羽入さんの捨てたカードの確認を怠った。魅音さんから上がらなければ、私にとっては意味がないからだ。
そこに気づくとは、……やっぱり、頭のキレだけは本物だ。
「な、なんのことでございますかしら!」
「ふん……、まぁいいさ。俺もリーチだ!」
イカサマの確認をしようともせず、圭一さんが真っ向勝負を挑んでくる。
……私は圭一さんからあがっても、魅音さんは追い抜けない。
そう気づいているから、私のリーチは怖くもない。その分だけ圭一さんにとっては有利なゲーム、イカサマを暴いて潰すよりも積極的に勝ちに行く。
この考え方、……圭一さんは思ったよりもずっと勝負師だ。
おとなしく食われるだけの羊ではないということ……!
「みぃ……こっちなのです」
さすがに3人がリーチをかけているのでは安全を追い切れず、梨花はぎりぎりのところを捨ててきた。
「さすがに一発では出ないね……ま、安全なトコを引いたからよしとしますか」
魅音さんもあがり札は引けなかったらしく、引いた札をそのまま捨てた。
くっ……いまの私の手札では、上がれない。
「ま、そろそろ出るでしょ……沙都子あたりから」
ぞくりと背筋が寒くなった。
魅音さんは、どんな手を打っているのか、無謀な挑戦を仕掛けてきた私から上がるつもりのようだ。食うか食われるか……泣きたくなるほどの緊張感が場を支配する。
「……いいや、終わりだな」
「へ?」
魅音さんが、圭一さんを振り向く。
「それで上がりだ。リーチに一発が乗って、8枚。ボーナスで2倍乗って、16枚いただきだぜ!」
得意げに言って、手札を開く……確かに、高めの役ができていた。
「……なっ!?」
この一撃で、一瞬にして魅音さんは最下位に転落、圭一さんは2位に浮上して大いに面目を施すことになった。私にあれほどの手酷い裏切りを浴びておきながら、最後まで屈することなく食らいついてくるなんて、なかなかに侮れない。
……結果的に1位となったのは、私だった。
「圭ちゃんもなかなかやるよね。最後のアレ、仕込みだよ」
帰り道、猫耳カチューシャに鈴のついた首輪をはめて、私のランドセルを抱えた魅音さんが苦笑ぎみに私に言った。
「えっ、そうでしたの!?」
にーにーは圭一さんと一緒の用事があるといって、学校の前で別れたから二人きり。
「……うん。私が使ってたイカサマだからね、あそこでバラすわけにいかなかったんだ」
圭一さんは山札を引くときに、自分のあがり札になる1枚を狙った相手が引く順番へ差し込んでいたのだ。魅音さんが同じ事を何回かやっていたのに気づいて、最後の最後でそれをやり返したというのが真相らしい。
魅音さんが事前に練習しておいた同じ手を、まさかぶっつけで成功させると思っていなかったからそのときには気づかなかったと悔しそうだ。
「結構面白い奴だよね、圭ちゃんも。……それに沙都子も!」
くすくすと笑いながら、魅音さんはひょいと手を伸ばして私の手を握りしめてくる。
「な、な、なにを……!?」
にーにーの大きな手とは違う、柔らかくて優しい感触に……戸惑う。
慌てて周囲に視線を走らせる私だけど、魅音さんは上機嫌でつないだ手をぶらぶらと揺らしている。
「たまにはいいじゃない。あんたのにーにーほどは一緒にいられないけどさ、これでも姉貴分のつもりだよ?」
「あ……」
おどけるように小首をかしげた魅音さんの、曇りのないあたたかい笑顔に……思わず泣きそうになってしまう。
……だって、それを言ってくれたのが魅音さん、園崎家の跡取りだから。
普段なら、魅音さんと二人きりで帰るなんてありえない。
魅音さんの立場で、北条の娘と手をつないで帰るなんてことがあってはいけないはずだ。
さっきから野良仕事の人たちがちらちらと視線を送っているのにも、気づいていないはずはないのに……堂々と、私と仲良くしてみせている。
それが魅音さんの意思表示なのだとわからないほどには、私も子供ではない。
「あっ……ありがとう、ございっ、……」
半泣きの声で言いかけた言葉を、魅音さんのひとさし指がそっと止めた。
「ほら……笑ってよ、沙都子。あんたが泣いたら、まるで私がいじめてるみたいじゃん」
こくこくとうなずきながら、それでも涙がじわじわと溢れてくるのを止められない。
嬉しくて流す涙なんて……あんまり、記憶になかった。
そこからはゆっくりと歩いていたつもりだったのに、楽しくて優しい時間は足早に過ぎて……家の前で、魅音さんは私にランドセルを手渡してくれた。
「沙都子。……ごめんね。きっと、何とかするから」
戸惑う私を、ふわりと一瞬だけ抱きしめる。
……あぁ。
もうずっと昔、まだ優しかった頃のお母さんに……こんなふうに抱きしめてもらったことがあるような気がする。
「あはは、それじゃ、また明日!」
さすがに照れくさかったのか、まぶしいくらいの笑顔でぱっと手を振って、魅音さんは駆け出していく。
……その背中が、林の向こうに消えていくのを見送って私はぎゅっとランドセルを抱きしめた。
魅音さんを、信じてもいいのかもしれない。
ただ上辺だけ友達でいてくれるのではなくて、私を大切に思ってくれているのだと。
当面の敵ではないとしか思っていなかったけれど、本当に苦しいときに味方になってくれると……もうすこしで、信じられそうな気がする。
でも。
……ここから先は、助けはない。
にーにーが帰ってくるまで、頑張らないと。
私はランドセルをいったん背負い直すと、玄関の扉を開けた。
「……ただいま、帰りましたわ」
なるべく大きな声でそう言ったつもりだけど、自分でさえ消え入りそうだと感じてしまうのはどうしようもない。
「沙都子ぉ、まぁた遅かったぁね! 部活だかなんか知らんけど、お店しまっちゃわないうちにお使いに行ってきぃね!」
叔母の声と、不機嫌そうなどすどすという足音が置くから響いてくる。
「……わ、わかりましたわ」
押しつけられた買い物かごと、メモを見る。
……一升瓶のお酒や、お米が入っている。
また、指が引きちぎれそうな思いをしなければならないのかといっぺんで憂鬱な気持ちになってしまう。にーにーがいないときを見計らって、わざとこんな買い物を頼むのだ、この意地悪女は。
「さっさと行ってきぃね、この穀潰し!」
「は、……はい」
怒鳴りたいのも泣き叫びたいのもこらえて、ランドセルを置くと玄関から駆け出した。
何分以内に帰ってくれば褒められるわけじゃない、でも一分遅れるたびにあの女の機嫌は確実に悪くなるのだから急がなければならない。
……あんな女、死んでしまえばいいのに。
さきほどまでの暖かい時間を、唇とともにきゅっと噛みしめて走るしかなかった。