地下区画に戻った私を迎えたのは、あまり望ましくない、中途半端な報告だった。
「H-7エリアで見失った北条沙都子は、その後J-7で捕捉されましたが、発見した分隊からの通信が途絶。その後の消息は不明です」
裏山に逃げ込むことは予想していたものの、沙都子ちゃんは組み替えたトラップ地帯をものともせずに単独で山狗を撹乱、逃げた先にいた分隊に偶然発見されたが、結局彼らも打ち倒されたのか、行方不明となっていた。
無事であることを信じるしかないが、それにしても。
「……無様ね」
小学生の女の子一人を無傷で捕まえることもできない山狗の不甲斐無さは予想外だ。
……いや、違うか。
単純に、こちらの戦力が足りていないのだ。
圭一さんとレナちゃんだって、数倍の戦力を相手にたった二人で完勝してみせたじゃないか。
こちらが充分だと思った戦力差を覆すだけの手癖の悪さ、部活メンバーはそれこそ一騎当千だということ。
たかが山狗程度の手駒で彼らを敵に回して勝てると思ったこちらが愚かだったのだ……。
「残る5名は鳳1率いる分隊が分校で追い詰めましたが、女王感染者の捕縛の隙を突かれて4名は逃走。商店街付近に逃げ込みましたので、現在包囲を進めています」
女王感染者の身柄確保、という報告は北条家にいる時点で受けていた。
この作戦の勝利条件をやっと確保したことに安堵しながら、捕まえた入江所長とあの二人組に叩きのめされた隊員たちを収容して帰ってみれば、内容は惨憺たるものだった。
これは本当に、最低限の勝利。
商店街の数名を詰めにかかっているとはいえ、女王感染者以外のメンバーはそのことごとくが逃げ延びている。
そろそろ夕刻、連日の事件で村の統括と事態収拾に追われている園崎姉妹も介入してくるだろう。
……逆転などありえない、無理な話だと思いたいが、その無理を通してしまうのが部活メンバー。
単純に集団として考えれば決して優位に立てる戦力ではないのに、個々の駒がありえない能力を発揮し、それが互いに連携することで集団戦を得意とする軍隊さえ翻弄する。
まだ、勝利は確定していない。
「……園崎家に、降伏勧告を入れるのは?」
「そうね……」
その意見も、多少は検討に値するだろうか。
羽入ちゃんという人質を得た今、優位はこちらにある。
……だけど、問題はその相手が園崎姉妹だということ。
情報がどれだけ彼女たちにわたっているのかは推測するしかないのだが、園崎そのものの組織力、赤坂刑事を通じて利用可能な公安の捜査能力などを勘案すれば、危うい。
こちらの最終目的が女王感染者の殺害であること、そしてそれが今すぐには実行できないことを知られていれば降伏勧告になど応じるわけがない。
助けるつもりがないこと、降伏を拒んでもいますぐに彼女を殺せないことがわかっていれば、彼らはあくまでも徹底抗戦を続けるはずだ。
そして羽入ちゃんを取り戻しに、必ずここへやってくる。
「……駄目ね。この段階では、彼らは投降しないわ」
「やはり……ですか」
私の答えを予期していたような返答にすこし驚く。
「大人、それも武装した我々を相手にここまで戦っている強かな子どもたちです。いまさら内容の無い降伏勧告では応じないでしょうな」
ああ、鶯1だったか、彼は小此木の片腕だ。
相手が子どもであっても侮ることなく、実際に手強い相手であることを認めるだけの度量がある。
小此木が現場に出ている状態では、彼と相談するのが一番てっとり早いかもしれない。
「もう一人、人質がいれば時間稼ぎくらいはできたかもしれないわね。……所長を使えないかしら?」
「所長にも責任を被ってもらう以上、行方不明にするというわけにはいきません。自殺偽装、死亡時刻を自然にするためには、出せないカードです」
確かにそうなる。
そもそも降伏勧告をしてみたところで、受け容れたあとは殺すしかないのだ。
この条件であの子たちを騙せると思うほうがおかしい。
「手札が足りない、か……小此木の首尾を待つ?」
「北条悟史、赤坂美雪あたりが確保できれば、少なくとも誘き出すくらいは可能かと。園崎姉妹が死亡を確認できなければ、死体でも餌には使えます」
なるほど、結束し犠牲を嫌う彼らには、仲間の死体を突きつけて士気を下げるのが一番というわけだ。
そうなると、羽入ちゃんをこちらに届けた上で悟史くんたち脱出組の包囲を優先している小此木が現状では最善手を打っていることになるか……。
「怖いのは、やっぱりあの姉妹ね。脱出組との連絡手段を断ちたいわ……電話回線を遮断できない?」
「園崎家への引込線は園崎組の監視下にあり工作不能です。内応者は興宮に配置されているので介入不可能。商店街付近、あるいは周辺の回線そのものを遮断するのは……」
「村人への影響が大きすぎて、この時刻では許容範囲を超えるわね。打つ手なし、か……」
溜息混じりに悟史くんや赤坂刑事が園崎家への連絡を思いつかない可能性を検討してみるが、
「電話工作班より連絡! 商店街の公衆電話より園崎邸に発信!……通話盗聴にて、所在の伝達が確認されました!」
さすがにそこまで都合よくはいかないか。
「園崎邸監視班より連絡! 園崎邸より車両1、後部座席に園崎姉妹を確認!」
……連絡から三十秒もせずに飛び出すとはお見事。
山狗に匹敵、いや見習わせたいくらいのレスポンスだ。
「B-3の車両を商店街南口へ急行させなさい。商店街で監視してる隊も、乗車して挟撃準備!」
「封鎖は間に合いませんな。園崎の反応が速過ぎる」
せめて状況判断に3分もかけてくれれば封鎖できたかもしれないが、あの姉妹はそれほど甘くなかった。
でも、まだ負けたわけじゃない。
「承知の上よ。合流して商店街を出たところで道を封鎖できれば充分。あのあたりの道幅なら、ワゴン1台の全長があれば塞げるはずよ」
その場の状況に即断即決で対応してくる詩音ちゃんに対抗するなら、数手先を封じるしかない。
彼女の、ゲームにおける場の支配力は大きい。
しかもそれが双子になったら、『園崎魅音』がどこまで強大なプレイヤーになるかわかったものではない。
「D-4、D-6の車両を園崎家方面の道に配置! 道を塞がれても、彼女たちは絶対に何か仕掛けてくるわ!」
なにかの隠し玉を使って田畑を突っ切るとか、側溝の上をショートカットするとか、いかにも無茶をやりそうだ。
笑いながら、前もって準備していた反則技で勝ちを無理矢理もぎ取りにくるのがあの子の常套手段……!
「……園崎車、横道のないエリアに追い詰めました!」
「油断しないで。すぐに降車して左右に展開できるように連絡を、」
「うわ!? 園崎車、停止せず! 七号車に激突!」
悲鳴と衝突音が響いたのか、耳を押さえながらの報告。
「げ、激突ですって……!?」
自爆特攻じゃあるまいし、そんなことをして何になる。
「七号車はほぼ全損のようで……、ええっ!?」
「今度はなに!?」
「園崎車が全速で後退、後方の三号車に激突!」
意味がわからない。
なにが起こっているのか、想像するのももどかしい。
声が上擦ってしまうのを感じながらも、反論する。
「こっちは全損なんでしょ!? 向こうだって……」
「園崎車は要人警護用のようです。我々のワゴンとでは、耐久力は比較になりません」
鶯1の冷静な指摘に、歯噛みするしかない。
車なんてどれも大差ないと思って道を塞がせたが、偽装に便利だと選んだ国産の安っぽいワゴンが仇になるとは。
「園崎車、再度七号車に激突! 七号車が押し退けられ、突破!……突破されました!」
「……くっ」
小手先の奇策ではなく、正面からの体当たりで強引に道を開くとは……いや、その大胆さこそが『らしい』か。
「突破されたものは仕方ないわ。園崎家まで行かせちゃ駄目よ。道を塞いだ上で、周辺に人目がなければ発砲も許可します。タイヤのひとつも撃ち抜けば、」
「あの手の防弾仕様車ですと、足回りも防弾の可能性があります。小銃の使用許可が必要かと」
横から言われて、さすがに呆れてしまう。
タイヤまで防弾なんて、どんな化け物よ……?
そんなもの、ヤクザ同士の抗争に必要なの?
こっちはこれでも軍隊だというのに……!
「小銃なんて、狙撃班以外携行許可してないわよ……」
各車両の最大装備は短機関銃。
いくらなんでも、それで負けるとは思わない。
相手はほとんどが丸腰、せいぜいがヤクザか警官が持ち出してくる拳銃くらいしか予想できない状況だった。
「いくつかの班には、小此木二尉の命令で自動小銃1を用意させてあります。八号車なら、すぐに準備できるかと」
勝手なことを、とも思うが、戦闘屋の小此木の判断ならばそれで正しいのだろう。
実際、相手が拳銃弾を寄せ付けない車を持ち出してくるなんて素人の私は予想していなかったのだから。
「八号車をE-4へ急行させなさい! そこが園崎家前の最終防衛線に……、」
「園崎車、D-3からC-4へ方向転換!」
「はぁあ!?」
実力で突破できる以上、最速で園崎家へ向かって負傷者や幼児の安全を確保するのかと思ったのに。
私の堅固な予測とは逆のルート。
ぞくりと背筋に冷たいものが走る。
ここへ来ての方向転換、これは……鬼の手筋だ。
「……全保安要員に通達っ! 各自武装の上、診療所正門で園崎車を迎撃にあたりなさい! 負傷者も全部よ!」
「了解!……って、ここへ直接乗り込んでくると!?」
「アレは鬼よ! 急ぎなさい、五分もないわ!」
慌てて保安要員の待機室に連絡が入る。
とはいっても、村の各所に配置した駒が多すぎて、ここに詰めている人間はそう多くない。負傷者を総動員しても、どこまで戦えたものか。
「三佐、小銃の使用許可も必要です」
「そ、そうね。この迎撃については自動小銃を使用許可、それに待機中の狙撃班に屋上から狙うように指示を!」
「……了解!」
「三班、正門にRPGを上げろ! 俺が現場に行くが、到着前でも連中が突っ込んできたら構わず撃て!」
矢継ぎ早に指示が入り乱れる。
「三佐、ここはお任せします!」
鶯が駆け足で司令室を飛び出していく。
RPGって確か、戦車とか装甲車を相手にするための武器だったわよね……?
アサルトライフルに、対戦車兵器まで持ち出すなんて。
田舎の子供相手に、実戦経験もない工作部隊がこんな正面からの殴り合いみたいな『戦争』をさせられる?
いったいどこのジュブナイルなのよ、これは……!
「……彼らの目的は女王感染者よ。彼女はどこに?」
「処置室や研究棟のベッドは負傷者でいっぱいで……第1会議室のソファに寝かせてあります」
「第1会議室!? 地下の入り口に一番近いじゃない!」
やることなすこと雑すぎて、眩暈がする。
負傷者より、女王感染者の身柄のほうが重要でしょうが!
「ほんとにもう……! 監視員はいるわね。すぐにここに連行するように言いなさい!」
「はっ!……あ、いえ。さきほどの命令で、ほかの保安要員とともに迎撃に出ているようです!」
「ちょっ……!?」
ここまでくると、もう絶望的だ。
確かに全保安要員に迎撃を命じたのは私だが、女王感染者を一人にするというのはどう考えても命令の優先度を取り違えているとしか思えない。
……これがおそらく、山狗の限界。
決められた作戦通りの行動は手際よくできるが、用意したシナリオから外れたが最後、慌てふためくばかり。
その場の状況に応じて創意工夫を凝らし、起死回生の策を叩きつけて来る『彼ら』との差は歴然だった。
「……あなたたちは、正門の監視を続行! 女王感染者は私が連れてくるわ!」
そう言い残してモニタールームを飛び出し、靴音高く第1会議室へと急ぐ。
こんなときにヒールのある靴なんか履くんじゃなかった、走りづらくてたまらない。
保安区画のドアの前に立ち、IDカードをスリットに通しドアが開くわずかな時間にさえ苛立つ。
「……やっと開いた!」
ここを出れば目的の会議室まではそう遠くないが、ドアの前に辿り着いたときには地上からだろう、小さく銃声が聞こえだしていた。
正門の方向だ。
もう、詩音ちゃんたちがそこまで来ている……!
焦りながら会議室のロックを解除して飛び込み、ソファに横たわっている羽入ちゃんを見つけてほっとする。
この上彼女に逃げられていたら、もはやゲームエンド。
一応手首には手錠をかけられていたが、この子だって部活メンバーだ。
意外と抜け目のない彼女がどんな手を使って逃げ出すか、わかったものではない。
「羽入ちゃん、起きて。起きなさい、ほら……」
「……あ、ぅ……」
手早く揺さぶると、彼女はとろんとした目を半分開けて、
「……も、食べられないのですぅ……」
とありがちな寝言を言う。
さほど電圧は高くなかったというが、テイザーを4本も浴びて気絶したわりには余裕のある夢を見ていたらしい。
「ごはんはないわよ。それよりもここから移動するから、さっさと自分の足で歩いて!」
私が抱えていくのはさすがに手間がかかる、だからそんなことを言ったのだが、
「……そこまでです、三佐」
部屋の隅に寄せてあった『にじり寄れ!ソウルブラザー会議』と書かれたホワイトボードががたりと動いて、その裏から鶯1が姿を現した。
その手には、……拳銃。
銃口は、あろうことか上官の私に向けられている。
「な……」
「手をあげてください。小此木二尉から、三佐が女王感染者を連れ出そうとしたら拘束しろと指示を受けています」
一瞬、なにを言っているのかわからなかった。
でも……すぐに合点がいった。
「……そう。ずいぶん信用がなかったみたいね」
小此木といったが、おそらくは郭公の指示だろう。
彼女はこのゲームを始めたときから、私のやる気のなさを見抜いていて……状況次第で裏切る駒、と見なしていた。
確かに、それで正解だ。
山狗のこの体たらくを見た上では、いくら大局ではあの子たちに勝利はないと確信があっても、向こうにつくことを考えなかったわけではない。
そういう私を引っ掛けるつもりでここで待ち伏せた彼が、羽入ちゃんに移動を促している様子を見ればそんな解釈に至るのは、当然のことかもしれない。
「してやられた、というわけね」
すっと手をあげて、壁際に下がる。
「……ずいぶんと物分りのよろしいことですな」
私が下がった歩数ぶんだけ、彼はゆっくりと前に出る。
小此木と同じ、いえそれ以上にプロの思考。
彼は確実に『当たる』間合いから、私を逃さない。
「もっと抵抗すると思ったかしら……?」
小さく微笑む。
「いえ……失礼ながら、もっと取り乱されるかと」
彼の言うことも、わからなくはない。
そう、一年前の私ならこんなわけのわからない、理不尽な展開に取り乱し、嘆きの涙を流したかもしれない。
でも、残念ながら。
この程度の理不尽、この程度の窮地など……望まずとも、部活でさんざん舐め尽くしている。
イカサマ同然の奇手奇策に翻弄され、勝ちの決まっていたゲームをひっくり返されて、罰ゲームで泣きたくなるほど恥ずかしい格好を晒してきたのだから。
……全然自慢にならないわね、これは。
「この状況で笑ってみたり赤くなったり、その余裕は私の部下にも見習わせたいものです……」
む。
さすがに百面相をしている場合ではなかったか。
「それで、……小此木には次の指示も受けているのね?」
「……貴女は、頭がいい」
「お世辞はよしてちょうだい、面映い」
順序よく考えれば、誰にだってわかること。
いまこの状況で山狗がもっとも欲している時間稼ぎのための人質、……いや、言葉を濁すのはやめよう。
殺してみせることで彼らの士気を低下させることが可能な彼らの『仲間』……その欠けているピースの代用品として最適なのが、いまここで『裏切った』私というわけだ。
本当に裏切ったのかどうかは、それほど関係ない。
つまり、郭公が求めたスケープゴートが私。
彼女は状況が変わればいつでも私を切り捨て、私との約束を反故にする予定でこんな指示も下していたわけだ。
「世辞は苦手です。貴女の指示はそう悪くなかった。ただ我々山狗の部隊としての未熟と、相手のガキどもが型破り過ぎた。アマチュアはこれだから怖い……」
その結果が、いまのこの状況。
最重要目標である羽入ちゃんを手の内におさめながらも、郭公の側での調整が済むまでは殺せない。
不幸にして実行が明後日以降になるのなら、明らかに死後48時間以上経過した死体では困るのだから。
「それはありがとう……でも、お喋りが過ぎるんじゃないかしら。口数の多い男は出世できないわよ?」
「……全くです。しかしすぐには撃てない事情もある」
それも私の予想どおりらしい。
「最低限、司令室まで貴女をエスコートしなければ、私はただの上官殺しだ」
「裏切ったことを『野村さん』に申し出なさいと?」
くすくすと笑みがこぼれる。
「…………」
本当の目的はそこではない。
郭公が知りたい情報のいくつかを私が握っている。
その最たるものは、この施設のいくつかの暗証番号だ。
特に、過去の研究資料の収められた金庫にあるいくつかのサンプルや研究ファイルが目的だろう。
それらは正しい手順を踏めば生物兵器を再び製造できる可能性があるし、実際に製造しないとしても然るべき組織、勢力に流すことで有用な取引材料になり得る。
絶対に必要なわけではないだろうが、手に入れられるものならば手に入れたいとあのフィクサーぶった女が皮算用をしても不思議ではない程度のお宝だ。
「はいはい、あなたの出世に協力すればいいのね。それはこの裏切り者には身に余る光栄ですわ」
手をあげたまま肩をすくめてみせる。
まったく自分でもどうかしていると思うが、目の前で銃口を突きつけられてなお、自分が死ぬなどという未来は頭をよぎりもしなかった。
結局は、……そういうこと。
私もとっくに、あの破天荒な部活の一員だった。
負けたときのことなど、考えるのさえ時間の無駄!
「あなた自身はどう思ってるのかしら? 私はあなたたちを『裏切って』いると思う……?」
その問いに、鶯はわずかに唇を歪めて笑みを返す。
「どちらとも。……私は命令に従うのみで、」
「もちろん『裏切ってない』ほうです!」
と、鶯の横のソファからいきなり羽入ちゃんが寝たままの姿勢から、叫びながらの蹴りを放つ。
その蹴りは、見事に……見事に外れて、拳銃を持つ鶯の腕を打つまでには至らなかった。
が、突然のことにさすがの鶯も体勢を崩される。
「ぬ……!」
一瞬の躊躇。
目の前の女王感染者を撃つわけにはいかないが、手の自由を封じているだけでは再度私を狙っても妨害される。
ならば押さえ込むのが先決か、それとも?
ああ、そこでほんの一瞬迷わなければ、
「……ざぁんねん。形勢逆転ね」
たった二歩、私が前に出て拳銃を構える暇などなかった。
「!」
私へと銃口を向ける途中で、動作を止める。
それだけ、私の目に本気で『撃つ』という意志がこめられていたように見えたのだろう。
「……いい距離です、三佐」
あと一歩踏み込めば、小此木に次ぐであろう彼の格闘術でたちまち腕をとられる間合い。
そして、形だけと受けさせられた戦闘訓練の中でそれだけはマシだと認められた射撃、その私が外しようもない必殺の距離……!
「アマチュアはその一歩が踏み込めない。拳銃というのは飛び道具のようでいて、本当の有効射程は短いもんです。射的がうまいだけじゃ、銃を使えることにはならない」
「本当にずいぶんとお喋りね。一発逆転でも狙ってるなら口を動かすより頭を動かしなさい」
私は彼から一瞬も視線を切らないまま羽入ちゃんに言う。
「立てるわね? 先にドアまで行ってちょうだい」
「助けてくれるのですね、鷹野っ」
ソファから立ち上がりながらのとびきりの笑顔に、わたしの返せる答えは微苦笑でしかない。
取引相手に嵌められたのだから、こっちの契約は不成立。
だから残った可能性に賭ける、身勝手なだけの女だ。
でもそれでいい、どう思われようが構わない。
どんな形でも、沙都子ちゃんが生き残れる可能性がたった0.1%でも高いほうにわたしの全てを賭けるだけだ。
「……それでいいのですよ、鷹野。自分の理由に誠実であるなら、誰に恥じることもない。誇っていいのです」
私の横を通り過ぎながら、羽入ちゃんはそう言った。
表情は見えなかったが、声には笑みが含まれていた。
ついさっきまで部活メンバーを殺すつもりで指揮をとっていたわたしをあっさりと赦すのだから、この子は本当にオヤシロさまの生まれ変わりかなにかだろうか。
最後に、鶯1に告げる。
「悪いわね。あなたや小此木、山狗のみんなも……意外と嫌いではなかったわよ?」
そう言いながらすっと照準を下げる。
足を撃ち抜いて、素早く部屋を出たらそのままロックして羽入ちゃんと逃げるつもりだった。
この会議室に限らず、地下のドアは外側からロックされれば内側からでは開かない仕組みになっている。
そういう用途に使うことを想定しているのだ。
でも、銃口を移動させた瞬き一つの時間さえ、目の前の男にとっては明白な隙だった。
狙う場所を変えるということは、次の場所に狙いをつけるまでの間は『撃たない』と宣言してるようなもの。
「……っ!」
炸裂音、そして空気の焼ける気配。
それが一瞬にして自分をポイントした鶯の射撃によるものだと理解する前に身体は動いていた。
ぐらりと横倒しになる身体を意識しながら、蹴る。
「ぅ!」
激突、転倒、打ち身。
それでも、生まれた闘志は挫けない。
そして苦し紛れの足掻きは、期待以上の結果をもたらしてくれたらしい。
頭を一撃で撃ちぬかれても仕方のない状況にありながら、鶯の弾道はわずかにブレた。
左耳の周辺、皮膚にひりつく痛みがあるところからみて、銃弾は耳の近くをかすめて私の髪の間を抜けた。
鼓膜に伝わった衝撃で平衡感覚が狂い、それでもなんとかドアへ向けて飛び、第二撃を浴びることはなかった。
最後の幸運は、肩から床に叩きつけられてなお拳銃を手放さなかったこと。
「!」
ドアに迫り追い撃ちをかけようとした彼よりも早く、銃口をドアの隙間に向けた。
引き金を2度引く。
正確に狙ったわけではないが1発はその隙間を抜け、もう一発はドアに突き刺さって破片を撒き散らす。
相手の反応もさすがに早い。
こちらが撃つ気配を感じた途端に身を翻し、死角となる壁際に飛び込んでいた。
「あぅ!」
先にドアの外に出ていた羽入ちゃんが体当たりでドアを閉ざし、わたしに視線を投げてくる。
わかってる!
素早く膝立ちになって、ドアのロックに飛びついた。
ドア越しに撃たれるかもしれないという恐怖はあったが、ここには女王感染者もいる。撃てるものか……!
相手にそれだけの判断力を期待して、ロックをひねる。
かちりと音がして施錠が完了。
「や、やったわ……!」
銃があれば破るのは時間の問題かもしれないが、なにより今はその時間が欲しいのだ。
この場で最大の脅威、小此木に次ぐ猛者であり実戦経験者の鶯を出し抜けたのは大きい。
「逃げるわよ、羽入ちゃん!」
「あぅ!」
いまとなっては、階段に近いこの会議室に羽入ちゃんがいたのは幸運だった。逃げ出すのになんとも都合がいい。
階段を駆け上がろうとして、不意に足が止まる。
「あ……!」
例えるなら立ち眩みのような、急激な違和感。
「ど、どうしたのですか鷹野?」
立ち止まったわたしを羽入ちゃんが振り向く。
忘れていることがあるのではないかと自問して、その答えがすぐに思い浮かんでしまう自分が恨めしい。
このまま逃げれば、所長を残していくことになる。
さきほどまでなら彼の命はわたしの勝利条件に一切抵触しなかった。
山狗の作戦通りなら、最終的には死体になることが確定していて、救う方法などまったくない。
むしろ、死んでもらわなければ困るのだ。
でも、部活メンバーの側に立って勝利を目指すなら犠牲は少ないほうがいいに決まってる。
さらに勝利条件に一切関係のないわたし個人の感情としてできるなら所長に死んで欲しくはない。
彼は彼なりに好ましい人物だったし、沙都子ちゃんの治療においては最高のパートナーなのだから。
しかし、ここから彼の救出に向かうのはあまりにもリスクが大きい。
あえて保安区画に戻り、モニタールームで待つ隊員たちに不審をもたれるかもしれないことを承知で彼を押し込んだ資料室まで足を運ばなければならない。
果たして、誰にも咎められず再び保安区画を出られるか?
……無理だ。
だいたいその間、羽入ちゃんはどうする?
ひとりで先に地上に行かせれば、基本的にどんくさい彼女のこと。銃撃戦に巻き込まれたり、山狗に再び捕まるのが目に見えている。
かといって、彼女を守りながら入江所長も救出できるほどわたし自身が頼れる女かといえばそれも違う。
学生時代は体育も含めて優秀な成績を残したと自負しているが、日常的に身体を動かさなくなってはや十数年。
山狗の訓練にもそう積極的に付き合うわけではないから、
たまの散策や部活への参加くらいが関の山だ。
雛見沢の子どもたちに比べれば明らかに運動不足なわたしは部活メンバー中、羽入ちゃんと並ぶ二大どんくさい女。
……歳をとるって、哀しいわ。
「無理、よね……」
絶対に無理だし、どんな有利も生み出さない。
「あぅ? 鷹野、どこへ?」
全ての状況はネガティブを示しているのに、……どうしてわたしは、こうして階段を降りているのか。
所長だっていますぐ殺されるわけじゃない、それはさっき確認したばかりじゃないか。
いまなら忘れたふりができる。
いま重要なのは生きてここを脱出するということ。
「ごめんなさい、ちょっと忘れ物……」
それがわかっているのに、わたしは。
「鷹野っ!?」
銃を手に、保安区画のドアへと走り出していた。
自分でも呆れるしかない行動だ。
部活メンバーの多くがそうであるように、圭一さんの毒にあてられているのは、わたしも同じなのかもしれない。
「……な、」
でも、その無謀な疾走は無理矢理に止められる。
保安区画に通じるドアが、左右に開いたのだ。
その先に立っているのは、モニタールームにいたはずの通信担当の隊員たち二人だった。
「!?」
予想外の対面に互いが一瞬、硬直する。
判断がそこに行き着くのに要した時間は、ほぼ同じ。
隊員たちが銃を構えるのとわたしが廊下のロッカーの陰に飛び込むのは、全く同時のタイミングとなった。
言うまでもない、すぐにわかった。
鶯が会議室から内線で彼らに伝えたのだ、わたしの裏切りと女王感染者の脱走を。
園崎姉妹迎撃のために負傷者も含めて保安要員があらかた出払っている以上、わたしを止めるのは彼らしかいない。
「しまった……!」
「お前は三佐を。俺は女王感染者を……!」
二手に分かれようと相談するが、そうはさせない。
半身をロッカーから出して素早く二発撃った。
狙いはこの際どうでもいい、彼らをあの入り口に張り付けるためだけの、でたらめな射撃だ。
「うわ!」
「う、撃ったな!?」
二人は慌ててドアの陰に身体を隠し、銃を構えて撃ち返してくる。
こちらも狼狽えながら、ロッカーの陰に隠れた。
近くの壁で弾が跳ねる音がして身がすくんだ。
「……ひッ……!」
あげそうになった悲鳴を、どうにか半ばで押さえ込む。
会議室のときほどの落ち着きはない。
あの鶯ならそう無駄弾は撃ってこないだろうが、実戦経験の薄い一般隊員ではそうもいかない。
こっちが隠れてからも2発、3発と銃声が響く。
それが恐怖だった。
皮肉だが、狙いすました一撃よりもどこに飛ぶのかわからない銃撃のほうがはるかに怖い。
「くぅう……っ」
……あぁ、泣きたくなってくる。
なんでわたしったら、こんなところで映画みたいな銃撃戦なんかやってるんだろう。
こんなのさっさと終わらせて、沙都子ちゃんといっしょにお料理して、久しぶりにゆっくりお風呂に浸かって、ペンギンのぬいぐるみを抱いて寝てしまいたい。
こんな殺し合いの全部が全部、夢だったらいいのに……!
「鷹野、危ないのです!」
階段の途中から羽入ちゃんが叫んで、わたしを無理矢理に現実へと引き戻す。
「あ、」
銃声が途切れていることに気づいて再び撃ち返そうと身を乗り出すけど、時すでに遅かった。
すでに二人の隊員はドアから飛び出し、わたしを取り押さえようとすぐそこまで駆け寄っている。
「い、嫌っ!」
とっさに銃を構えたものの、それを跳ね上げながら腰に組み付かれ、そのまま背後の壁に叩きつけられる。
後頭部ががつんと壁を打って、目の前に星が散った。
あぁまったく、我ながらどんくさい……!
「か、確保! かく……」
その勝利宣言を、さらなる銃声が引き裂く。
「ぅ、がっ!?」
わたしに組み付いた隊員の身体が跳ねて、そのまま支えを失って床にどうと倒れて落ちる。
見れば、その太腿の裏側が赤く染まっていた。
「な、誰だっ!?」
もうひとりが振り向きながら銃を構えようとしたが、銃声とともにその腕が跳ね上がり銃が床を転がっていく。
「……間に合ったようだね」
事態の急変がよく飲み込めないままその声のほうを向けば保安区画の入り口にふたつの人影があった。
え……?
一人は、縛られていたはずの入江所長。
もう一人、銃を構えているのは……、
「ジロウさん……!?」
山狗の制服を身につけてはいるが、紛れもなくジロウさんだった。
「ど、どうしてここに……」
「……調査部への報告もブロックされているようで、上と話が通じなくてね。確実な証拠を掴むために、潜り込ませてもらったよ」
硬い口調で言いながら、ジロウさんは帽子とヘッドセットをまとめて捨てる。
……あ……。
どうしてその背中に気づかなかったのか、彼がモニタールームの通信担当の一人に紛れ込んでいたのだと、ようやく思い至る。
ダム現場などで多くの負傷者、脱落者を出したいまの山狗はろくな再編成もしないまま各隊からの寄せ集めばかりで回っていた。
彼はどこかで脱落した山狗のカードを奪い、混乱の最中にある診療所にもぐりこんでいたというのか。
「鷹野さん、無事でよかった。入江二佐はこのとおり救出できた。……可能な限り、弁護はさせてもらうよ」
廊下の弱い照明がジロウさんの眼鏡のレンズに照り返し、その奥の目は見えない。
でも、彼の言葉の裏にこめられた意味は……わかりたくなくても、わかってしまった。
彼が掴みたかった証拠は、すでに山狗の造反ではない。
ここまで事態が派手になった以上、造反を追及するだけならば掃いて捨てるほどの証拠が揃うだろう。
でも、作戦が順調に進み、滅菌作戦が実行されたならそれらの証拠にもはや意味はなくなる。
山狗に潜入するという危険を冒してまで彼が手にしたかった証拠はおそらく、……『わたし』の無実の証明。
ならば、あのモニタールームで大いに失望しただろう。
作戦の立案者でないにしても、現地の指揮官としてわたしは山狗を統括する立場にあった。
そして自ら所長を捕らえ、妨害者である部活メンバーを仕留めるために智恵を出していたのだから。
郭公に嵌められた結果として裏切り者となり、羽入ちゃんの救出に一役買ったが、……彼の中の信頼は砕け散ったに違いない。
ジロウさんは、撃たれた痛みにうずくまる二人を手際よく拘束して立ち上がり、再び銃を手にする。
「……小銃の使用許可と狙撃班への命令は伝えなかった。現場でどうなったかはわからないが、すくなくともきみの命令としては伝わっていないはずだ」
通信担当を装っていた彼に出来る手心はそこまで。
その二つの命令が伝わっていなければ、詩音ちゃんたちの生存確率は大きく違ってくるだろう。
「こんなことになる前に気づいてあげられなくて、本当にごめん……。できるだけのことはする」
ひとつ頭を下げて、彼は第1会議室へと向かう。
あそこに閉じ込められ、機会を窺っているであろう鶯に投降を勧めにいくのだろう。
「ぁ……」
引き止める言葉など、かけられなかった。
わたしに、その資格はない。
彼の信頼を裏切ったこと、それも罪ではあるけれど。
なにより彼を傷つけたのは、彼を頼らなかったことだ。
沙都子ちゃんを救うためとはいっても、それ以外の全てを切り捨てなければならないところまで追い詰められ、それでも彼を頼ろうとしなかった。
それはわたしの罪でありながら、彼にとっても罪のかたちをとって生涯彼を責め続ける。
だから、以前のようにはきっともう戻れない。
散策と野鳥撮影を口実に連れ出しておきながら、口実以上のことに踏み込めず、困ったように笑う彼を可愛いと笑うささやかな休暇は、もうきっと訪れない。
……わかっている。
これが……なにかを選んで、なにかを失うということ。
「たかの……」
気がつけば羽入ちゃんが隣にいて、わたしの服の裾を握りしめ、あぅあぅと気遣わしげな視線で窺っていた。
その瞳は、わたしと彼がすれ違ってしまったことさえ自分の罪であるかのように哀しげな色を浮かべていた。
すこし……笑ってしまう。
「……大丈夫よ」
優しい古手の巫女、オヤシロさまの生まれ変わり。
きっと彼女は、赦す神。
でも、この罪も、この罰も、ほかの誰のものでもない。
神様にも、誰にも押し付けることなどできない。
わたしが背負っていく、わたしのものだ。
この罪深い世界を選び取った、鷹野三四のものだ。
だから微笑む。
たぶん、とびきり優しく微笑えたと思う。
「わたしは、大丈夫。……ありがとう」
……この世界にも、救いはあるのかもしれない。
わたしは彼を、この手で殺さなくて済んだのだから。
呪わしいその運命を、打ち破ることはできたのだから。
<雑談>
私はあの子の前で階段を『上がった』はずだったのに……、
気が付いたら『所長を助けに戻ろうとしていた』。
何を言ってるかわからないと思うけど私も(ry
神楽舞完結後、次に読みたい作品は?
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神楽舞、お疲れ様会もやってほしい
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ひぐらし短編集
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ひぐらし連載、長編もの(圭羽、梨圭など)